1-2

  課金するためにコンビニまで走っていたら車に轢かれて異世界転生。

 そしたら、推しのヒロインに出逢いました。


 なんて言っても誰も信じないだろうな。


 優しい風が吹き、木々の葉が擦れ合う。心地よい音に包まれた静かな空間。漂うのは獣の血生臭い汚臭をかき消すほどのいい匂い。

 まるで、ここは天国。


 ……ではなくて。

 感動による金縛りから解放された俺は立ち上がり、若干フリーズしかけた意識を正常に戻して首を傾げた。


「シャルロットさん?っていうのは人の名前ですよね?」

 俺の動作に合わせて彼女の口が動く。その可愛い口から発せられる柔らかく澄んだ声に癒される。

 耳で聞く限り、声の音程はシャルロットそのものだ。

 贅沢は言わないから、もっと聞いていたい。


 ……でもなくて。

 脱線しかけた意識を正常に戻した。


「はい。そうです」

 もう一度、彼女をよく見る。


 よく整った綺麗な顔立ちに純白の衣に身を包んだ美少女。

 スリットと呼ばれる切込みのあるスカートから覗く脚が程よい色気を出していて、大人っぽさがある。


 髪型もツーサイドアップに束ねられていて、シャルロットに瓜二つだ。違う点があるとすれば、髪が金髪ではなくて薄紅色という事だけ。


 髪色を除けば、本当によく似ている。

 髪を染めたシャルロットです、と言われれば信じてしまいそうなクオリティだ。


「……もしかして、コスプレ?」

 自身の中に沸いた疑問。だが、それはないだろう。と直ぐに考えを改めた。

 コスプレで肉食獣を簡単に倒せるはずがない。



「えっと、貴方はここでシャルロットさん?という方を探しているのね」


「い、いや。べつに探しているわけじゃ……」


 彼女の言葉を慌てて否定する。彼女の存在そのものに慣れない。これがまだクラスの女子とかならまだマシだが、シャルロットに瓜二つの少女となると、口が上手く動いてくれない。

 ……というか、今俺は話しかけられたのか?


「そうなの……貴方、かなり珍しい格好をしているわね」

 彼女の視線を全身で感じて少し気恥ずかしい。

 珍しい格好と言われたが、その通りだ。上下ジャージに上着としてフリース素材のものを羽織っているだけ。

 おそらく、この世界の衣服文化には存在しないような恰好なのだろう。


「貴方、どこから来たの?」


 はい、来ました。お約束の展開。この質問は異世界系作品では必ず聞かれると言っても過言ではない質問なのだ。

 ここで答えに矛盾が生じれば、一気に怪しい奴認定されてお先真っ暗だ。

 つまり、ここでなんと答えるかが今後の異世界生活を左右する。


「えーと、俺は東の果ての……ではなくて……」


 目の前の少女の表情を覗いながら慎重に言葉を選ぼうと試みる。だが、真っ直ぐにこちらを見詰める綺麗な赤色の瞳に貫かれ、俺は胸の苦しみに従った。


「俺はこことは別の世界からやってきたんだ!」


 勢いに任せて事実を告げる。その声は森の中に響き渡る。遠くなっていく自分の声を聴きながら恐る恐る彼女の反応を確認した。



「……別の、世界」


 目を見開く少女。その姿に胸を強く締め付けられた。

 驚く顔が可愛いとか反則級ですよ!


「そ、そうです。信じられないかもしれませんが、事実なんです」


 我ながらに苦しい言葉だ。俺でも初対面の人にこんな事を言われたら疑う。でも、それが事実であるのだから仕方がない。

 いや、しかしもっと他に言いようはあったんじゃ……。

 でもそれだと噓をつくようで、嫌だし……。

 しかし、信じてもらうのが難しいことを何の証拠も無しに言うのはどうなのだろう。

 だけど……。


「わかりました。信じます」


「―――――へ?」


 その彼女の真っ直ぐな瞳に今度は俺が驚くことになった。

 普通は信じない。こんな怪しい奴、簡単に信じちゃダメでしょ。


「信じるわ。とりあえず、私たちの拠点まで移動するから詳しい話はそこでしましょう」


 少女は軽く手を振り払う。すると、獣の身体に突き刺さった西洋剣がひとりでに抜かれて少女の手元に集まっていく。


 こ、これは―――――まさか魔法!?


「では、行きましょうか。えーと、別の世界から来た稀人、さん?」


「あ、小宮拓実です」


「コミヤタクミ、さん?」

 かなりイントネーションが可笑しかったので思わず笑みがこぼれてしまう。


「タクミ、でいいですよ」


「わかりました。私はアンジェリカと言います」


 シャルロットではない、彼女に似た少女。アンジェリカ。

 その背中を追いかけて歩き出す。これから始まるであろう異世界生活に胸を弾ませて。




 ♦♦♦


 そこは、森の中に設けられた小さな広場だった。

 木々に囲まれた街道を進んで歩くこと数分。木の小屋が建つその広場に到着した。

 小屋の横には小さなテントが2つ設置されていて、俺たちが到着するとその中から3人の男女が出てきた。

「アンジェリカ様!」


 アンジェリカ、さま?


 少女の名前を叫びながら一番に駆け寄ってきたのは黄緑色の髪が背中まで伸びている男だった。正確には春の訪れを感じさせるような、若草色だ。

 その綺麗な色と、男性が纏う雰囲気に、相手が男だと分かっていても目を奪われてしまう。

 細身の優しそうな青年はアンジェリカの身を案じた後、こちらに視線を送ってきた。


「きみは?」


「小宮拓実と言います。こことは別の世界から来ました」


 丁寧に頭を下げて名前と出身地を告げた。


「別の世界、だと。君は何を言っているんだ?」


「ドミニク。彼の言葉はおそらく事実よ。とりあえず、水を飲ませてあげて。話はそれからにしましょう」


 気の利くアンジェリカの言葉に、「わかりました」と素直に頷いてテントに戻っていく。その後ろ姿を目で追うと、こちらを注視している別の視線とぶつかった。

 橙色の短髪の男と、背中まで伸びた赤茶色の髪の女性が、俺の事を品定めするような視線で眺めている。


 俺は軽くお辞儀してから青年の後を追ってテントの前へと向かった。







 革袋に入った水をごくごくと喉の奥に流していく。

「う、うまい!」


 緊張と興奮と疲れで喉が渇いていたため、ただの水が美味しく感じる。潤いを取り戻し、俺は口から水袋を外してみんなと向き合った。


 俺は今、根元から折れた倒木の上に座っている。その正面にも同じように倒れた木があり、その上には四人の人間が座っている。


 一人は薄紅色のツーサイドアップの美少女。その姿は何度見ても推しキャラに瓜二つだ。


 もう一人は若草色の長髪の青年。見た目は優しそうな20代前半だ。


 その横には赤茶色の髪の女性。年上のお姉さんの雰囲気を纏った綺麗な人だ。この人も20代前半に見える。


 一番端に座るのは橙色の短髪の少年。おそらく、年齢は俺と近い。ただ顔がすこし怖い。元の世界に居たら絶対に話しかけたくない。



「それでアンジェリカ様。彼が別の世界から来た、というのは」


「急かないのドミニク。まずは自己紹介しなくては」


「……そう、ですね。すみません」

 青年はアンジェリカに謝った後、こちらに向き直る。

「私の名前はドミニクだ。先程は失礼な態度で接してしまい、すまない」


「いえ、こちらこそすみません。急にあんなこと言われたら困りますよね」

 急いで頭を下げて謝る。

 もし、これがアニメだったらドミニクさんは女子受け凄そうだなと思わせるほどのイケメンだ。


「俺はアルドニスだ。気軽に接してくれ」


 よく響く声で橙色の髪の少年が身を乗り出した。その無邪気な笑みはどこか子犬を連想させるものがある。


「わたしはローズよ。よろしくね」


 柔らかい声で赤茶色の髪の女性が笑う。それに軽い会釈で返す。

 いろんな作品で見かけるお姉さんタイプの女性は服の上からでも分かるほど豊満な体つきをしている。

 並みの年上好きの男なら今の笑顔だけで悩殺されるだろう。


「拓実です。よろしくお願いします」


「それで、彼の話なんだけど、事実だと思うわ。あまりにこの世界の事を知らなさすぎる」


 アンジェリカの言葉に全員の視線が集まる。


「知らなさすぎる、とは」

「怪物が頻繁に出るこの森に、何の装備も無しで入るなんて自殺願望者しかありえないわ。それに、彼の着ている服はこの世界には存在しないものでしょ?」


「確かに珍しい格好をしているわね。少し触ってみてもいいかしら」


「はい。構わないですよ」


 前屈みになったローズさんの腕が伸びてきて、二の腕部分に触れる。


「わっ、すごいふわふわ」


「ホントだ。すげーふわふわだぜ」

 いつの間にかアルドニスも俺が羽織っているフリースに触れている。

 余程珍しい感触なのか少し待ってもなかなか終わらない。どうしていいのか分からないこの状況にジッと固まって時が過ぎるのを待つ。


「確かに聞いたことも触ったこともない服だわ」


 やっと2人が離れたところで俺は大きく息を吐いた。そして目の前の4人の服を観察してみた。


 美しい純白の衣装に身を包むアンジェリカと比べると3人の服装は少し貧相に見える。

 ドミニクさんとアルドニスはRPGゲームの旅人が最初に来ているような材質の黒色の服だ。

 ローズさんは若干、肌触りがよさそうな薄い青の服に黒いフレアスカートのようなものを穿いている。


 マジで異世界だ。

 異世界装備っていう感じがする。


 静かに感動を噛み締めていると、アルドニスさんがこちらの顔を覗き込むようにして見上げてきた。

「にしても、不思議なもんだな。別の世界の住人とも言葉が通じるなんてよ」


 その言葉に全員が見事に別々の反応を示す。


「まあ、冷静に考えるとおかしなことだけど、よくあることだからなぁ」


「―――な、こういう事ってよくあることなのか!?」


 勢いよく詰め寄られて両肩をがっしりと掴まれる。かなり興奮気味のアルドニスさんに俺は言葉の訂正を余儀なくされる。


「いえ、アニメ……、人が空想したお話でよくあるんですよ」


「……人が、作ったお話ってこと?」


 ローズさんの問いに、「はい」と肯定する。アルドニスは俺の両肩から手を離すと頭を傾げた。



「丁度いいわ」

 その場の空気を変えたのはたった一言だった。


 綺麗な薄紅色の瞳を輝かせて、アンジェリカは続けた。


「タクミ。貴方の世界の事を聞かせて」


 その言葉に、息を呑んでから首を縦に振る。そして、自分がいた世界の事を話した。


 アルドニスは俺の話を目を輝かせて聞いている。

 人が好過ぎる。もう少し、他人を疑うことを覚えた方がいいのではないだろうか。


「それで、ゴラクというのが沢山あって、その中の一つに人が空想したお話、あにめ、というものがあるのね」


「はい。それが本当にすごいんですよ!ストーリー、キャラ、作画に音楽。いろんなものが組み合わさって観ている人の心を揺さぶるんです。多くの事を学べるし、大きな勇気を貰える。人生の教科書と言っても過言じゃないんです!日常系や恋愛もの、スポ根、SFに、アクション、コメディ、ファンタジーといろいろなジャンルのものがあるんですが、その中に異世界ものというのがありまして…………」


 失敗した。感情のコントロールが効かず、気が付けば熱が籠っていた。言葉を区切って、その場に縮こまる。


「……タクミはその、あにめ、というものが大好きなのね」


「…………はい、そうです」


 自分と他の人の温度差に委縮する。

 だけど、それを呑み込んで頭を切り替える。


 ここがどういった世界なのか。


 俺が今、一番知らなければならないことだ。

 ある程度の推察は出来る。時代背景はよくある中世、又は近世ヨーロッパだろう。銃火器の類が存在していれば怪物との戦闘で使わないはずがない。

 ならば、期待したいのはエルフとかドワーフとか獣人が存在している剣と魔法の世界ということだ。


 俺はかなりハイファンタジーが好きだし、その方がロマンがある。


「……あの!」


 空気を切り裂くようなその声に、皆の視線が一点に集まった。

 それに萎縮しそうになるものの、俺は言葉を続ける。


「この世界について、教えて貰いたいんだけど」


 その言葉に皆は視線を外して互いに視線を合わせる。


「そう、よね。……でも、なんて説明したらいいんだろう」


 まあ、それが普通の反応だよな。

 俺も自分のいた世界を説明することなんて出来ないし。


「じゃあ、俺が質問していくから、それに答えて欲しいです」


「それなら出来そうだわ」


 微笑むアンジェリカの笑顔がマジで可愛すぎる。


 思考を停止する。

 考えることを放棄して、その姿を脳裏に焼き付ける。


「タクミ?」

 固まる俺に、その声が聴覚を優しく刺激する。

 ……っていうか、名前呼ばれた?


「どうしたの、タクミ?」


「はぅ……」


 声がマジで天才。「可愛い」という言葉をそのまま具現化したかのような声に再び衝撃に襲われる。


「ちょ。ちょっと待ってください」


 顔を逸らし、深呼吸を数回繰り返して心を落ち着かせる。思考力を取り戻し、再び顔を彼女に向けて口を開く。


「この世界には魔法ってある?」


「まほう?」


 俺の質問にアンジェリカは首を傾げてみせた。

 何やら難しい顔をしている。


 つまり、この世界には魔法は存在しない。ということか。


「魔法、ないのかよ!」

 魔法がないという事実に思わず叫んでしまった。

 異世界転生するなら剣と魔法の世界がいい。


 そう意気込んでいたのに、初っ端から夢が壊される現実に俺は肩を落とす。


「じゃあ、さっきの剣を操るやつ。どうやったの?」


 魔法が存在しないとしたら、先程自動で動いた剣はなんだというのだろうか。

 俺の言葉が何を意味するのか、今度は伝わったみたいだ。


「あれはね。私の能力で動かしたの」


 胸を張って答えるアンジェリカ。彼女の言葉に俺は興奮を抑えられずに立ち上がった。


「能力!?」


 普通じゃない俺の状態に彼女は少し引き気味に「ええ」と頷いた。

 そこで我に返った俺は咳払いをしながら気持ちを落ち着かせる。


 まずい。本日2度目の失敗だ。こんなことでアンジェリカに嫌われでもしたら軽く自殺しかねない……。


 と冗談はここまでにして。


 大きく息を吸ってから吐く。


「詳しく聞かせてくれ」



「そうね……。先ず、この世界に存在する種族の話からね」


 来ました。

 エルフとかドワーフとか獣人とか、ドラゴンとか……。


「この世界に生きる種族は大きく分けて4種類存在するわ。知能を持たない家畜などの動物種。知能を持つ中で最も数が多く、最弱な種族である人間種」



 まあ、ここまでは推測通りだ。あとは人間の敵対種族である魔獣、怪物の類か。

 怪物に襲われたことを思い出し、背筋に寒気が走る。



「数では人間に劣るものの、人間よりも強力な獣である怪物種。そして、人間や怪物を超越し、生命体の頂点に君臨して世界を運営する存在、頂上種」


 アンジェリカはそこで一旦区切ると少し間を空けてから続けた。


「……そのまたの名を、ヴァーテクス」


 彼女の言葉にはどこか重みがあった。その後、彼女はドミニクさんに視線を送り、何かを察したドミニクさんは静かに頷いた。


「はい。この世界には貴方がいた場所のように、人間の統治者は存在しません。ただ、1000年以上の時を生き、我々を導くヴァーテクス様がいらっしゃるのです」



 2人の説明を受けて、それを生唾と一緒に呑み込んで驚愕する。


「……ヴァーテクス。神様みたいなものか?」


 聞き慣れない単語を呑み込む。そこで俺は重大な思い違いに気が付いた。


「……あれ?」


 咄嗟に顔を上げてアンジェリカを見詰める。

 最初この広場に到着した時、ドミニクさんは彼女の事を「アンジェリカ様」と呼んだ。

 その時は、彼女が王族とか貴族とか偉い血筋の人間だと思った。そんなよくある話だと。


 この世界に人間の統治者は存在しない。


 その言葉を思い出したところで、再びアンジェリカが口を開いた。


「私は貴方が別の世界から来たという事を直ぐに受け入れた。その最たる理由は、貴方が私の事を知らなかったから」


 この世界には王族も貴族も存在しない。彼女らの話を信じるなら、人間が「様」と付けて慕う存在はひとつだけだ。

 つまり、彼女は―――――。


「改めて、自己紹介を。私はこの世界に10柱存在するヴァーテクス。その内の1柱、アンジェリカよ」


 静かな森の中、その声が耳の奥で何度も反響した。



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