第13話 1人


 4月16日07:30

 父さんの死亡確認は07:23に確認された。


 身体から管が抜かれ、少しずつ機械を外されていくのが、本当に死んだんだと、医療機器の意味が無い身体になったんだと、実感してしまった。それを見ているのが辛くなった俺は、先生の方に振り向いた。


「先生、美智瑠みちるのそばに居てやりたいのですが、椅子をお借りしてもよろしいですか?」


「もちろん、構いませんよ。今持ってくるので、美智瑠さんの側で待っていて下さい。」


 そう言って先生はナースステーションの様なところに入って行った。


 先生を見送って、美智瑠の側に移動した。


 包帯に包まれた美智瑠は、実際には見えなくても全身が傷だらけなのが分かる。父さんは顔と目、手や腕が見えていたのに、美智瑠は右手と両目以外はほぼ包帯で見えなくなっている。


 少し傷が付いている右手をそっと包むと、まだ生きている手の温度を感じて、これまでに無く安心した。


 ホッとしたら腰が抜けたのか、足がガクガクして来た。


 そこに先生が椅子を持ってきてくれて、へたり込む前になんとか座ることが出来た。


 ***


 4月16日20:40

 途中に食事も摂ることもせずにトイレ3回分の時間だけ離れていたが、特に異常も無く美智瑠は眠り続けていた。


(飯は少しの間食べなくても、誰にも迷惑掛けないけど、漏らすのは普通に迷惑だからなぁ…。)


 そう考えつつ、4度目のトイレに行くために、ずっと握っていた美智瑠の手を離して、椅子から立った。



 用を済ませて、よく手を洗ってから戻ってくると、そこには白衣の先生が2人と看護師が2人、美智瑠を取り囲んでいた。


 俺が急いで近づくと、看護師さんから

「邪魔にならない場所に居て!」

 と怒鳴られた。


「はい!」

 と返事をして、壁際に張り付いて様子を見守る。


 先生2人は医療機器を見ていて、看護師2人はバインダーの紙になにやら書き込んでいる。


 何かありそうな割に動きがないので、首を傾げていると、霊安室に案内してくれた看護師さんが後ろから来て状況を教えてくれた。


「西木さん、どうやら美智瑠さんの自発呼吸が少し弱まったようです。もう一度検査をして、脳内で出血していないか確認する必要があります。」


(やっぱり悪化してるのか!)


「分かりました。よろしくお願いします。」


 検査のために集中治療室を出ていく美智瑠と先生達を、立ち尽くして見送った。


 ***


 4月16日22:10

 集中治療室の横で椅子に座って待っていると、顔色の悪くなった先生が戻ってきた。まだ何も言われてないのに背筋がゾッとした。


「西木さん、スキャンでも映らないくらいの小さな破片があるようです。脳の中心近い場所に潜り込んでいて、摘出が難しい上に取り出せても、より出血が激しくなる恐れがあります。」


「…血を抜けばなんとかならないんですか?」


「残念ながら、他の部位からも出血が拡大しつつあります。朝のオペで血を抜いた場所もまた出血があります。」


「今はまだ自分で呼吸をしていますが、もし脳死、今はまだ動いている場所まで止まってしまうと、呼吸が止まり、心臓も止まってしまいます。」


「もし、必要になったら心臓を動かす機械を使いますか?」


 その言葉にまた運ばれてきた美智瑠を見る。


 身体に巻かれた包帯は痛々しくて、唯一見える右手も少し青白く見えた。


「…その機械は動かすのに準備が要るものなんですか?」


「いえ、機械は繋げて動かすだけです。」


「それなら…もう少し考えさせて下さい…」


 先生との相談を終えて、また椅子を持って美智瑠の横に座った。


 右手をまた握り直すと、まだ温かくて安心した。


(まだ大丈夫…。まだ冷たくない。)


 母さんのあの手の冷たさを思い出して、身震いすると、また看護師さんが話し掛けてきた。


「西木さん、美智瑠さんに話しかけてあげて下さい。回復した人の中にはしっかり聴こえていたって人の話もあるんですよ。」


 そう言われれば、話しかけるしかない。


 5歳も離れた兄妹なので、美智瑠は覚えていなくても俺が覚えていることは結構ある。


 美智瑠がまだ生まれてくる前、どんな名前を付けるか、俺以外で4ヶ月くらいの間夜中に話し合っていたこと。


 生まれてからは大変で、何でも口に入れようとするわ、何でも投げるわで、父さん曰く「将来は女子プロ野球かソフト選手だな」なんて喜んでいたこと。


 少し大きくなると、人の目を盗んで、母さんの口紅を口に塗りたくっていたり、どうやってか父さんのタバコを咥えていたりしたこと。


(あー、口裂け女みたいになってる時の写真もアルバムに入ってたはず。落ち着いたら家に戻って探さないと…)


(そういや、あの事件で父さんはタバコ辞めたんだっけ?お菓子かと思ったら本物だったからなぁ…)


「美智瑠が口紅でぐちゃぐちゃの口裂け女みたいになってる写真、後で持ってきてやるよ。」


 そうやって美智瑠が生まれてから、物心付くまでの暴露話と苦労話、物心付いてからの話は、旅行の話だったり思い出話をした。


 ***


 4月16日23:53

 思い出話を話し終わると、握っていた美智瑠の手から、何か違和感を感じた。


(ん?なんか冷たくなった?……!!)


 一瞬で父さんの時と同じ感覚だと気付いた俺は、誰かを呼ぼうと周りを見回した。


 ところが、いつの間に近付いて来ていたのか、ベッドの足元にはもう先生が立っていて、

「別室でモニターしていましたが、自発呼吸が止まりそうになっています。」


「……あと、どれくらいですか…。」


「自力では10分程かと…」


 先生の話を無視して俺は美智瑠に話しかけ始めた。


「おい美智瑠…、俺の、お前の兄ちゃんの誕生日は明日なんだが…あと7分で俺の誕生日になるんだが、誕プレ用意してるんだろうな?」


 そう誕プレを強請ると、美智瑠を挟んで逆側に立っていた先生が、


「お兄さん!目を!目を開いてます!」


 ガタッ!と立ち上がって顔を覗き込むと、薄らとだが、確かに目が開いていた。


「美智瑠!」

 と呼べば、こちらを見た。


「美智瑠!分かるか!お前の兄ちゃんだぞ!」


 そう言うと、今まで微妙にピントが合っていなかったような虚な目が、俺をしっかり見た気がした。


(ちゃんと俺を見てる!認識してる!)


 喜んだのも束の間、次の瞬間には美智瑠は無情にも目を閉じようとしている。


「おい!目ぇ閉じんな!おい!美智瑠!」


 そう呼び掛ければ、また目を開いてこちらを見る。


「美智瑠!俺の誕プレ!あと…」


 チラッと心拍のモニターを見る。


(心臓はまだ動いてる!あと4分!)


 右上の時間表示は23:56だった。


「あと4分で俺の誕生日だぞ!誕プレは用意してあるのか!?」


 美智瑠は何も言わずに俺を見ている。


「お前、あんな高いイヤホン買わせといて俺には何も返さない気かよ!そんなの許さねぇぞ!さっさと治してなんか買ってこい!金なら貸してやるぞ!無利子で貸してやる!」


 美智瑠の目は少し閉じかけている。


「おい!分かった!俺のお古のタブレットだってやるし、サブスクだって一生払ってやる!」


 美智瑠はもう目を閉じていた。


「美智瑠!美智瑠!分かった!とりあえず明日だ!明日になってから一緒に考えてやるから!」


 美智瑠は目を開けなかった。


「美智瑠…、生きてるだけで、いいから…それだけでいいから…。俺を、1人にしないでくれよ…」


 それでも美智瑠は目を開けてくれなかった。


 00:01、美智瑠の右手を握っていた俺の右手をほんの少し、気のせいかもしれないけど、確かに握り返してくれた気がした。


 それと同時に美智瑠の呼吸が止まった。


 ***


 4月17日00:01

 呼吸が止まった美智瑠を見た先生が、

「…生命維持装置を動かしますか?」

 と声を掛けてきた。


「…回復の、見込みは…?」


「…あり、ません。」


「…なら、いいです…」


 美智瑠の命を諦めるようで、胸が軋んだ。


「…まだ心臓は動いています。そばにいてあげて下さい。」


 そう言われて俺は、乗り上げていた身体で美智瑠の胸元、心臓の上辺りに体重を乗せないように、耳を近づけた。


 頬に少しの弾力を感じて、美智瑠の心音が聞こえてくる。その音を心に刻みつけながら、また美智瑠に話しかけた。


「おい、美智瑠。おっぱい触っちゃったけど、怒らないでいいのかー?前は下着見ただけでぶん殴ってきたのに…」


 美智瑠が息を吹き返すのを期待してまた話しかける。


「おいおい、本当にいいのかー?今なら10発くらいは全然いいぞ…。な、何発だって、いいから、な?なに、したって、いいからさ、頼むよ、美智瑠、美智瑠!おい!美智瑠!」


 心臓の鼓動は少しずつ弱くなり、美智瑠の手からは、何かが零れ落ちていくのを感じる。


「おい!美智瑠!美智瑠!行くな!待て!待ってくれ!美智瑠!美智瑠!」


 呼び掛けても呼び掛けても、目を開けないし、手を握り返してもくれない。


 そうして00:13、美智瑠の心臓は止まった。



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