2話

 定期券をかざして、電車の改札を潜れば学校は目と鼻の先。

 

「……迷ったけど、幽霊分の切符はいらなかったよね?」

 

 首のない幽霊になったお母さんは、私の後ろをヒタヒタとついてきていた。

 幸い、私とお父さん以外の人にお母さんは見えていないらしい。もし見えていたら、今頃とんでもない騒ぎが起きていたに違いない。そんなことを考えながら、学校の下駄箱を抜け、自分のクラスに入った。

 

 ……そういえば、幽霊が見える人って、霊感があるっていうよね。そういう人は、お母さんの事見えたりするのかな?


 そんな事を考えながら席についた。そのとき、

 

 ——ガタッ! ドタンッ!

 

 隣の席に座っていた細井君が、椅子ごと盛大にひっくり返った。受け身がとれなかったのか、仰向けのまま床の上でジタバタもがいている。

 

「大丈夫?」

 

 思わず手を差し伸べると、細井君はビクッと体を大きく揺らした。そこで、私は彼が起き上がろうともがいていた訳じゃなくて、少しでも私から離れようと、後退りしようとしているんじゃないかと思い当たった。

 

 なぜなら、ひっくり返ってからずっと、細井君は私を見ているようで見ていない。細井君の視線は、私のすぐ後ろ、ちょうど首のない幽霊がいる辺りに向けられていたからだ。

 

「ねえ、もしかして見えてる……よね?」

 

 私がそう聞くと、細井君は、幽霊と私を見比べて、戸惑いながら頷いた。

 

 ————―

 

 細井春生君。入学式から同じクラスの大人しい男の子。そろそろ一年の後半になるというのに、あまり接点が無かった。先週の席替えで隣の席になったけど、最初に挨拶してからはあまり話しをする機会がなかったな。細井君、休み時間は大抵寝ているか、どこか行っちゃうかで話しかけるタイミング無かったし。

 

「細井君って、霊感あるの?」

 

 昼休みになって、私は細井君を問い詰めた。

 

 授業中もチラチラとお母さんの方を見ていたから、今更見えないなんて、言い逃れはできないよね。


 私の圧に屈したのか、朝から黙秘を続けていた細井君は渋々話し出した。

 

「……一応あるよ、霊感。だから、あまり大きな声で言わないで」

 

 細井君はそう小さな声で私に釘を刺し、クラスの中を見回した。どのグループも、自分たちの話で盛り上がっていて、私たちの方は見ていない。

 

 細井君は、ほっとしたようにため息をついて、私の後ろにいるお母さんの幽霊を一瞥した。


「河瀬さんは、その背後のやつ見えてるんだよね? なんでそんなに落ち着いてられるの? どこで拾ってきたか知らないけど、かなりヤバイよ」

 

「なんでって言われても、お母さんだし。というか、ヤバイって何が?」


「お母さん!? え? どういうこと? だってその見た目で、こんなにはっきり見えるって、強力な悪霊以外いないだろ、普通! というか、お母さんって何? なんでそんな冷静なの?」


「それは私も自分が不思議でしょうがないけど……だって、お母さんだし……」


「え……ほ、本当に? 本当に河瀬さんのお母さん? えっと…………なんか、ごめん」


「え? 何が?」


 細井君は頭を抱えて、天井を仰いでしまった。


 少しして、落ち着いたのか、細井君はため息をついた。

 

「言われてみれば、確かにそうか。見た目に反して、攻撃性が全くない。だとしたら、どうしてその姿に……」

 

 ブツブツと独り言を呟きながら、細井君はお母さんを凝視している。

 

「どうしたの? さっきお母さんがヤバイって言ってた事と関係ある?」

 

 そう聞くと、細井君は視線を私に向けた。

 

「……人間が幽霊になったとき、その姿がどうやって決まるか、知ってる?」

 

「んー……知らない。姿って決まるものなの?」

 

 細井君は、もう一度お母さんを一瞥して、さっきより声を落として話し始めた。お母さんに聞こえないよう、気を使ってくれたのかもしれない。

 

「まず、人間は死んだら誰でも幽霊になる訳じゃない。幽霊は、未練を残して死んだ人しかならないんだ。未練っていうのは、生きていた頃に叶わなかった願いの事なんだけど、幽霊は、それを原動力にして動いているんだよ。だから、幽霊の姿は、その願いを反映するんだ」

 

「じゃあ、お母さんの今の姿は、叶わなかった願いを映し出しているってこと?」

 

 お母さんの方を振り返る。その話の通りなら、このグシャグシャに潰れた首の無い体は、お母さんの願いを反映しているらしい。

 

「だから、最初河瀬さんがその……お母さんの幽霊を連れて来た時ビックリしたよ。痛々しい見た目の幽霊は、何かへの復讐を原動力にしている事が多いから。でも、河瀬さんのお母さんはそうじゃないみたいだ。あんな痛々しい見た目なのに、観察していても危険な感じが全然ない。復讐を原動力にしている奴は、もっと体が底冷えするような、オドロオドロしている雰囲気だから」

 

「じゃあ、お母さんの願いって……一体何?」

 

 私と細井君は首を傾げた。

 

「本人に聞いてみた?」

 

「朝からやってみてはいるんだよ。でも、喋れないし。ペンも持てないから筆談も無理。言葉は、たぶん通じてるんだけど……」

 

 お母さんの方へ顔を向けると、お母さんは嬉しそうに片手を挙げて手を振ってきた。


「ねえ、授業参観じゃないんだけど」

 

 左右に腕が動くたび、肘からは血がボタボタと床に落ちていく。これ、後で掃除した方がいいのかな。

 

 細井君は、しばらくその様子を眺めていたけど、突然思いついたように口を開いた。

 

「ジェスチャーで教えてもらうのは?」

 

「ジェスチャ~?」

 

「だって、いま手を振ってくれてたし」

 

 いまいち釈然としなかったけど、せっかく提案してもらったから、という気持ちもあり、その提案を試してみる事にした。


 私は、お母さんの顔の辺りを真っすぐとみて、

 

「お母さんが幽霊になった理由って、何?」


と質問した。


 すると、お母さんは右手をすっと上にあげた。パーの形を作って、それを自分の胸の真ん中に当てた。それは、生前お母さんが自分自身を指すときに使っていた仕草だった。でも、今はまるで、「この姿を見て」と言っているように感じて、思わず目を逸らしてしまった。


「なんだろう……いまいち上手くいかなかったかな」


 母の仕草をしらない細井君は、ジェスチャーの意図が分からず混乱しているようだった。しばらく頭を抱えた後、思いついたように私の顔を見た。


「もう一つ手を思いついたんだけど、今日の放課後、空いてる?」


「17時までに、ここ出られれば大丈夫」

 ……彼との待ち合わせには十分間に合う。


 そう算段していると、お母さんの手が私の方へ伸びてきた。突然の事にびっくりしてそれを避けると、お母さんの方へ視線を戻した。お母さんは、さっきと同じように手を胸に当てている。でもなんとなく、さっきより手に力が入っているような気がした。

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