3話
放課後誰もいない教室に、私と細井君は戻って来た。これから行うことの準備は、あらかじめ図書室の隅を借りて済ましてある。
私の机を中心にして、細井君は呪文のようなものを唱えながら、半径1メートルほどの円をチョークで床に書いていった。縁を一筋で書き終わると、その結び目に魔除けの札を置いた。こうすることで、机の周りに簡易的な結界が作られるそうだ。
「いつも札持ち歩いてるの? 結界の作り方もよく知ってたね」
「俺は何かと引き寄せる体質らしくて、爺ちゃんに持たされてるんだよ。結界の作り方も爺ちゃんから教わった」
「お爺さん何者?」
「若い頃そういう仕事してたらしいよ。流派があるとかなんとか言ってたけど、そこまで詳しくは知らない。そんなに興味なかったし」
細井君が席についたタイミングで、私は用意した10円玉と儀式用の紙を取り出した。
「【こっくりさん】はさ、絶対やっちゃダメ。だから、絶対呼ばないで」
そう言いつつ、細井君は周囲を見回して警戒していた。
「結界を張ったから、今は最初から円の中にいた、河瀬さんのお母さん以外の霊は入れない。俺らがこれからやるのは、こっくりさんじゃない。いいね?」
細井君は冷や汗をかきながら、自分自身に言い聞かせるようにそう言った。
「わかった。これで、お母さんの言葉を拾うのね」
「そう。だから、俺達が呼ぶ名前は……」
私たちは紙の上に載せた10円玉に指を置いた。それから、口を揃えて、
「夏歩さん、夏歩さん、教えてください」
そう唱えると、10円玉に、3人目の指が置かれた。お母さんの指だ。
「幽霊は物に触れないんじゃないの?」
「普通はね。でも、条件が揃えば触れられるんだ。この儀式は、幽霊と交信するためにその条件を揃える手順を踏んで行う。簡単に言えば、『あなたが目的を達成するため、力になります』って宣言してるような感じ。でも、儀式中幽霊ができる事は限られていて、触れられるのはこの硬貨だけだよ」
「そもそも、その条件って何?」
「幽霊の抱えている未練、それが断ち切られるチャンスが来た時かな。ポルターガイストとか、心霊現象が起きるときは、その条件が満たされたからだっていう人もいる」
細井君の説明が終わるや否や、お母さんは催促するように硬貨をコツコツと指で叩いた。
「あ、すみません。始めましょうか」
細井君は咳払いして、私の代わりに、その質問を口にした。
「夏歩さんが、愛希さんに伝えたいことは何ですか」
お母さんの指が、10円玉を動かしていく。
『い・か・な・い・で』
「いかないで? どこに?」
細井君が首を傾げた。お母さんは、その間も同じ言葉の並びを繰り返していた。
「いかないで、か」
私がそう呟いたその時、10円玉の動きが止まった。
「お母さん?」
不思議に思った私が呟くのとほぼ同時に、細井君が悲鳴を上げた。
「ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! やめよう!」
細井君は、顔を真っ青にしてあからさまに動揺していた。
その視線の先には——赤いまだら模様のついた白いワンピースを着た女性が立っていた。黒く長い髪は乱れ、青白い頬にかかっている。手首には腕輪の様な痣がある。その歩き方の不自然さ、足を伝う赤黒い血を見ていると、この女性は母さんと同じで、幽霊なのだと直感した。
女性は線のすぐ外側まで歩いてきて、円に沿うようにぐるぐると机の周りを歩き始めた。その足音が、ひたひた、ひたひたと静かな教室に響いている。そして、その足音の数が、徐々に増え始め、突然消えた。
私は恐怖から震えあがり、幽霊の気配を探して教室中を見回すが、何も見えない。
「10円玉が!」
細井君の声に驚き、視線を10円玉に向ける。
私たちの指の他に、見覚えのない4本目の指が添えられていた。
物凄い力で引っ張られ、10年玉は次々と文字をなぞっていった。
「細井君! どうしよう!」
「夏歩さんに儀式を終わりにしてもらうしかない!」
「お母さん!」
そう叫んだ途端、母さんの指が10円玉を拾い上げた。行き場を失った幽霊の手が、もがくように机を引っ掻いて、儀式の紙を粉々に破いてしまった。
10円玉がお母さんの指をすり抜け、机にぶつかって音を立てた。金属の高い音が、儀式の終わりを示していた。
「結界が破られてる……」
細井君は、呆然とボロボロに引き裂かれた札を見ていた。
「今の、なんだったの?」
絞り出した声は、震えていた。
「わからない。でも、結界を破るくらいの力を持ってた。それに、あの嫌な感じ……」
細井君は、怯えた目で私の方を見た。
「最後のあれ、なんて言ってた?」
10円玉がなぞったのは、『わ・か・れ・ろ』の文字。
「わかれろ?」
頭を抱える細井君。付き合わせてしまって、本当に申し訳ないと思っている。
「ごめんね細井君。でも、ありがとう。でもおかげで、母さんが私に言いたいことがわかったよ」
私は、立ち上がるとお母さんと向かい合った。
「あのメッセージも、突然出てきた幽霊も全部、私への嫌がらせなんだよね?」
「どういうこと?」
細井君が、驚いた顔で私を見ている。
「お母さんが死んじゃったの、私のせいなんだ」
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