夜の散歩で月が凍る

御愛

夜は好きだ。辛いことを忘れさせてくれるから。


 パチリと目が覚めると、それは大体草木も眠る丑三つ時とか、そんな時間帯である事が多い。


 そしてそういった日は、満足に寝られない事がこれまた多い。そのまま寝つけず、結局翌朝重い体と眠たい眼を伴って起きる事になるのだ。


 ちょうど今夜の私も、そんな具合だった。


 こんな夜は、決まって夜の散歩に出かける。右から三番目のハンガーにかけられた黒のフード付きパーカーと、同じく黒のキャップを身に纏って。



€€€




 高校からの帰り際、中学の同級生と遭遇した。


 思わずウゲェ、と潰れる蛙のような悲鳴を上げそうになったが、すんでのところで我慢ができた。


 なんか雰囲気変わった?


 良い事あった?


 そんな事をさりげなく聞いてくるソイツに腹が立ったが、咄嗟に調子を合わせてしまう自分自身にも、よほどの事腹が立った。


 ここに書く事も煩わしい、中学の頃の因縁なんて、そいつはとっくに忘れているだろうけど。私は今でも夢に見る。勝手に一人で苦しんでいる。さっさと忘れてしまいたいが、こうしてたまに顔を合わせると、その記憶のどれもが鮮明なものとして脳裏に蘇ってくる。同時にその時の感情も。


 死んでくれたら、どれほど楽だろうとか。




€€€





 夜気を胸に吸い込みながら、私は昼間の出来事を思い出していた。悪いのは私。思い出してしまう私。執念深い私。心の狭い私。陰険な私。凶悪で、黒く暗い私の心なのだ。


 別にアイツがした事は犯罪ではないし、正義の大人を頼っても、解決できる問題でもない。


 ただ、犠牲になった私の心は、永遠に戻る事はないのだろう。そう思うだけで、どうしようもなくアイツの不幸を願ってしまうのだ。


 これは罪なのだろう。


 でも、辺りは闇だ。私は私でなくなる。この世界の一部になれる。


 昼間の罪も、この世界でなら罪ではない。鬱屈した心は、そう思う事で晴れていく。


 ————記憶の中の私はいつも泣いていて、脆弱で、臆病だった。


 人に傷つけられる事を恐れて、いつも一人だった。それでも他人に笑われ、貶められる私は、いつも何が悪いのだろうと自問自答を繰り返していた。


 人間関係で悩んでいた私にとって、高校入学とは身の回りの環境を、そして自分自身をリセットする良い転機となった。


 私は変わった。今や泣き虫ではないし、人を恐れる事も無くなった。


 しかし、過去には囚われ続けていた。過去の知り合いの連絡先は、その殆どを消去したというのに、心は、まだ。


 しかし夜は楽しい。誰も居ない世界を夢想する昼より、誰も居ない世界を錯覚させる夜の方が、私は好きだ。この一時、夜は辛さを和らげてくれるから。


 私はこのまま夜が、全ての苦しみから解放してくれるのではないかと、密かに期待しているのだ。

 

 家の前の坂を下って、そのまま最寄りの公園に向かう。


 久しぶりに訪れた公園は暗闇のせいか思い出の中とは酷く違っていて、子供心をくすぐる巨大な遊具ですら、陳腐で不気味な玩具にしか映らなかった。


 懐かしい寂れたブランコが目に入ると、思わず駆け寄り飛び乗った。


 立ち漕ぎを始めると、同時に視界が大きく揺れる。上へ下へ、目まぐるしく映る内容は変化していく。


 不意に、視界の上側に光が出現する。


 あれはあの時から、ずっと変わらない。記憶の中でも、ずっと美しいままだった。


 それを思い出した時、私はどうも嬉しくなった。


 変わらず残った記憶には、ちゃんと輝いていたものもあったのだと。


 そう、早くも夜は、私の期待に応えてくれたのだ。


 そして私は、凍った月を見ていた。

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