4月の章 -Ⅳ-
「よーし、服もシワになってないし、寝癖も直した。これで準備オッケー」
準備万端整えて向かえた、オープン当日の朝。私は部屋の姿見の前で、身支度を整えていた。
少し癖っ毛のある青色の髪をブラシで整えて、一応、制服も着てみた。
白と青色の生地で作られた服で、どうやらマスターが用意してくれていたものらしい。サイズもピッタリだった。
お店側の出入り口から外に出て、扉に吊り下げられた『準備中』と書かれた看板に手をかける。
……その時になって、妙な不安がよぎった。もし、変なクレーマーさんとか来たらどうしよう。
「……ここまで来たんだから、しっかりなさい。クルル店長」
思わず躊躇する私に声をかけてくれたのは、表の庭木に水をあげていたエレナだった。
「……うん。私、頑張るから」
その言葉を受けて、私は『店長』という肩書を噛み締めるように一度だけ深呼吸すると、看板をひっくり返し『営業中』へと変えた。
「クルルー! 話は聞いたよ! 変な商人に騙されて、すごい借金背負わされちゃったんだって!?」
開店して最初にやってきたのは、お向かいにあるパン屋さん『ラウスベーカリー』の一人娘で、幼なじみのモネットだった。
「……モネット、それ、誰からの情報?」
「うちのお母さんがモーリスおばさんから聞いたって! それに昨日、このお店に怪しい商人が出入りしてるのを見たんだって!」
それ、間違いなくレナンドさんだよね。モーリスおばさん、噂好きなのはいいけど、あることないこと広めないで欲しい。
「その人、うちと取引がある商人のレナンドさんだよ……モネットも知ってるよね?」
「そ、そうだったの……? でも、借金があるのは本当なのよね!? わたし、全力で手助けするから!」
ウェーブのかかった胡桃色の長髪を揺らしながら、猛烈な勢いでカウンターへと近づき、その翡翠色の瞳で私をじっと見てくる。
「あ、ありがとう。モネットの気持ち、すごく嬉しいよ? でも、ちょっと落ち着いて……」
「お父さんとお母さんから、うちのお店で必要なものを聞いてきたの。買わせてもらっていい!?」
私の言葉を遮りながら、モネットは巨大なバスケットとメモを差し出しながら言った。
「い、いいけど……ちょっと待ってね」
奇しくもお客さん第一号となった幼なじみにそう伝え、私はメモを手に取る。
そこに書かれていたのは、大量の錬金炭と食用油、そして数本の
「え、こんなにたくさん注文してくれるの?」
「うん! うちはパン屋だし、炭も油も、どのみち使うから! お店の在庫がなかったら、残りは後日でも良いって!」
「ありがとう! 在庫はあるから、ちょっと待ってて!」
ニコニコ顔で言うモネットにお礼を言って、私は嬉々として商品をバスケットに入れていった。
最初こそ、その勢いに呑まれそうになったけど、やっぱり持つべきものは幼なじみだね!
「おーっす。借金錬金術師ー」
「うわ、クルルー、ティッドが来たよー」
私が店の奥にしまっていた食用油を取りに行っていると、モネットの心底嫌そうな声が聞こえた。
お店のほうに戻ってみると、そこには赤髪の少年……ティッドの姿があった。何を隠そう、彼も幼なじみだ。
「いらっしゃーい。借金のこと、ティッドも知ってるの?」
「おう。工房でもすっかり噂になってるぜ。借金錬金術師クルル様って」
言いながら、ニカッと笑う。
ティッドの家は代々鍛冶職人で、家の近くに大きな鍛冶工房を持っている。雇う職人さんも多いから、噂が広まるのも早いのかな。
「確かに借金あるけど、それは私が作ったんじゃないしぃ……」
つい唇を尖らせるも、彼は気にする様子もなく「それはいいとして、親父が
どうやらモネットに続いて、ティッドも買い物に来てくれたらしい。
「ありがとう! いくつ?」
「機械油は四つだな。研磨石は数あるに越したことないから、あるだけ欲しいってよ」
「あるだけ!? 研磨石、一つ150フォルするんだよ!?」
「親父が欲しいって言ってんだから良いんだよ。それなりの金額持ってきたしな」
予想外の注文に驚愕する私を気にすることなく、ティッドはお金の入った袋を懐から取り出して得意げに見せてきた。
「はー、さすが鍛冶職人さんちは羽振りがいいわねぇ」
それを見たモネットがわざとらしく言う。
羽振りがいいって……モネットもさっき、結構な数注文してくれたけど?
「……今は鉄鉱石が安いから、正直儲けさせてもらってるよ。つーか、お前んちだってもっとパンを高値で売ればいいじゃん。大した利益乗せてないの、商店街の皆が知ってんだぞ?」
「お生憎様ー。うちは安くて美味しいパン屋を目指してますので」
ばつが悪そうにティッドが言うと、モネットが得意顔で胸を張る。こんな事を平気で言い合えるあたり、この二人は相変わらず仲がいいみたい。
「はい。どうぞ。機械油は一つ100フォルだから、合わせて400フォルね」
そんな二人の様子を見ながら、私は頼まれた品を棚から選び、カウンターへと運んでくる。
「研磨石は全部で30個もあるけど……大丈夫? カゴ持ってこようか?」
「このカバンに詰めてくれりゃ問題ねーよ。近いし、背負って帰る」
背中の鞄をカウンターに置きながら笑顔で言う。一方の私は苦笑しながら、その中へ研磨石を詰めたのだった。
「……えーっと、全部で4900フォルになります」
そして会計。予想はしていたけど、とんでもない金額になった。
「ほい。ちょうどだぜ。確認してくれな」
ティッドが袋から銀貨を取り出し、カウンターに並べていく。それを一枚ずつ数えるも、大金なせいか、どうしても手が震えてしまった。
「ありがとなー。クルル、頑張れよ!」
「あ、ちょっと待って!」
会計を済ませて店を後にしようとしたティッドを慌てて呼び止める。
「まだお会計してないモネットも聞いてほしいんだけど、今回、スタンプカードを始めてみました」
「スタンプカード?」
二人の声が重なる。私は再び苦笑しながら、カードの説明をする。
「……つまり、2000フォル分の買い物をしたら景品がもらえるわけか」
「そうそう。ティッドはたくさん買ってくれたから、一気にスタンプカード二枚分が貯まったよ。この中から好きな品物選んで」
言いながら、カウンターの奥から景品の入ったカゴを取り出す。私が用意したのは三種類の景品で、錬金タオル、錬金薬、錬金炭の中から、好きなものを選んでもらうというもの。もちろん、数に限りはあるけど。
「そーだなぁ……じゃあ、錬金タオルと錬金炭をもらうよ」
「はーい。錬金炭は二個セットだよ」
指定された品を手渡すと、ティッドは「特にタオルはお袋が喜ぶよ。ありがとな!」と言って、今度こそお店を後にしていった。
……実は錬金タオルの販売価格は150フォルで、実質2000フォルの買い物をしてくれると10%引きという感覚に近い。
そこまで安くはなっていないのだけど、品物をもらった時のちょっとしたお得感、これって大事だと思う。
「ところでクルル、わたしの会計は?」
「あ、ごめんごめん。えーっと、ちょうど2000フォル。モネットもスタンプカード、全部貯まったよ?」
「やった。じゃあ、わたしも錬金タオル」
そう伝えると、モネットも嬉しそうに景品を選んでから会計を済ませ、帰っていった。
最初のお客さんが幼なじみ二人だなんて、すごく幸先がいい気がする。
その後も、途絶えることなくお客さんがやってきた。
薬屋さんを営むニーナが錬金薬を買いに来てくれたし、洋服店を経営するステラさんが錬金布の発注をしてくれた。
お世話になってる食堂のブレンダおばさんも錬金炭をたくさん買いに来てくれたし、大工のダンさんも食用油を買いに来てくれた。
お店にやってくる皆が皆、私を心配してくれて「困ったことがあったらいつでも来い」とか「頑張るんだよ」と励ましの声をかけてくれ、本当に嬉しかった。
……そんな楽しくも慌ただしい時間が過ぎ去り、店じまいの時間。
私は扉に吊るした看板を『準備中』にして、カウンターの裏で初日の売上を計算していた。
「え、一日の売上が15000フォル!?」
手元のお金を数え終わった時、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「商店街の皆がたくさん買ってくれたのもあるけど、初日でこれはすごいわね」
営業時間中は裏方に徹してくれていたエレナがそう言い、目を丸くしていた。
「私も信じられないよ! 研磨石を買い占めてくれたティッドのおかげかな!?」
「その可能性は大いにあるわね……だけどクルル、これが当たり前と思わないこと。皆に感謝しなきゃ駄目よ?」
「わ、わかってるってば。今日は特別だもんね」
私はエレナの言葉を胸に刻みながら立ち上がる。
「……あら、どこか行くの?」
「アトリエだよ。売れて数が減った商品を補充しとこうと思って」
「そのやる気は大事だけど、頑張りすぎて倒れないでちょうだいね。まだまだ、先は長いんだから」
呆れ顔で言うエレナに笑顔で返事をして、私はアトリエへと向かった。
……錬金術も楽しいけど、商売も楽しい。
それはこれまで錬金術一辺倒だった私にとって、初めての体験だった。
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