4月の章 -Ⅱ-


「ブレンダおばさーん! お昼食べさせてくださーい!」


 お昼休憩と理由をつけて家を飛び出した私がやってきたのは、三軒隣にあるごはん屋さん。


 小さい頃から顔見知りのおばさんが一人で切り盛りしているお店で、お肉がとろとろになるまで煮込まれたビーフシチューが名物だ。


 夜は酒場に変身するそうだけど、未成年の私が利用するのはもっぱらお昼時だった。


「クルルちゃん、いらっしゃい。今日もいつものやつかい?」


「はい! いつものでお願いします!」


 毎回座る窓際の席に腰を落ち着けながら、料理を注文する。


 私が食べるのは、決まって500フォルのおまかせランチ。


 パンとサラダを基本にして、それにスープと日替わりの肉料理がついてくる。


 そんな立派なお昼ごはんが500フォル。私調べで、間違いなくこの商店街最安値だ。


「聞いたよ。悪い人に騙されて借金背負わされちゃったんだって?」


 最初にサラダとパンを運んできてくれながら、ブレンダおばさんが心配顔で言う。


 ……ちょっと待って。それ誰から聞いたの? 私、今朝からずっと家に籠もってたんだけど。


「違いますよ。借金背負わされたのは本当ですけど、悪い人には騙されてません。マスターが蒸発しちゃっただけです」


 パンの入ったバスケットを受け取りながら、そう訂正する。


「マスターって、ルターク様がかい? そりゃ大事じゃないか」


「そーなんですよー。おかげで新人の私が借金を返すことに……って、突然こんな話をしてごめんなさい」


「今更気にしちゃいないよ。あたしとクルルちゃんの仲じゃないか。ほい。特製ビーフシチュー食べて、元気出しな。デザートもおまけだよ」


「わあ、ありがとうございます!」


 会話をしながらも、次々と料理が運ばれてくる。


 今日はスープがない代わりに、このお店自慢のビーフシチューが食べられるみたい。しかも、リンゴのコンフォートつき。やったぁ。


「今度、錬金炭をまとめ買いに行かせてもらうよ。他に困ったことがあったら、いつでも頼っておくれ」


 そう言ってくれるブレンダおばさんにもう一度お礼を言ってから、私はスプーンを手にして、食事に取り掛かったのだった。



「ただいまー」


「おかえり。ブレンダさんの料理を堪能してきたようだし、開店準備に戻るわよ」


 お店の入口から中に入ると、書類の束を持ったエレナが目の前にいた。


「その紙、なに?」


「旦那様がつけていた帳簿よ。月ごとの売上や支出金、商品の価格も載ってるはずだから、参考になさい」


 そう言いながら、分厚い書類を私に押し付けてきた。


 基本、お店にはマスターが立っていたから、この帳簿を見るのは私も初めてなんだけど……。


 自信ないなぁ……なんて考えながら帳簿を開き、その数字に目を通す。


「……って、錬金薬ポーションが100フォル? さすがにこれ、ちょっと安すぎない?」


「本当ねぇ……旦那様は庶民が手を出しやすい価格設定にしているとは仰っていたけど、これは安すぎね」


 私の素朴な疑問に反応したエレナが文字通り飛んできて、一緒になって帳簿を覗き込む。


「こっちの錬金炭も60フォルで売ってるよ。あ、月によっては80フォルの時もある……」


「……クルル、こっちを見てみて。錬金炭の素材になるテンカ石、10個を600フォルで仕入れているわ」


「ということは……いくら売っても儲けが出ない!?」


「違うわ。錬金炭の調合には木材も必要だから……その仕入れ値も加味したら、赤字よ」


「売れば売るほど損をするなんて……! マスター、これはさすがにひどい!」


「どうやら、貴族に売り渡す高級錬金アイテムで帳尻を合わせていたようだけど……収入の落差が激しいわねぇ」


「そりゃ、借金作っちゃうわけだよ……」


 マスター、錬金術の腕前はすごかったけど、商売の腕前はからっきしだったみたい。


「……この帳簿は参考にならないね。価格表も作り直さないと」


 そう言って、私は持っていた帳簿を静かにカウンターに置いたのだった。


 ……でも、価格表ってどうやって作ればいいんだろう。今から商店街のお店を回って市場調査? とてもじゃないけど無理そう。


「やー、クルルちゃん。こんにちは」


 私が途方に暮れていると、お店の扉が開いて、青色の帽子をかぶった青年が顔を覗かせた。


 誰かと思えば、このお店でよくマスターと取引をしていたエルフ族の商人、レナンドさんだった。


「あれ? レナンドさん、いつ王都に来てたんですか?」


「ついさっき。せっかくだしルタークに挨拶しときたかったんだけど、いる?」


 帽子を取り、金髪を掻きながら朗らかな笑顔を向けてくる。


「あー……その、マスターは長い旅に出てしまって……」


「そうなんだ? いないっていうのなら、また出直そうかなぁ」


 私がそう説明すると、レナンドさんは残念そうに言って、入口の扉に手をかけた。


「……あ! レナンドさん、待って! 聞きたいことがあるの!」


 次の瞬間、私はレナンドさんを全力で呼び止めた。


 商人さんといえば、商売のエキスパート! この人なら、素材や錬金アイテムの適正価格、きっとわかるよね!

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