第2話 壺中天 ~そして俺は、彼女と出会う~

 勢い込んで倉に飛び込んだまでは良かったけれど、倉の中は真っ暗だ。目が慣れていないからから、まったく見えない。

 でも、小さいころから遊び慣れていた場所だから、倉の中の配置は分かっている。

 入り口の右にある電燈のスイッチ。手探りで探して、押す。

 カチッとスイッチが入る音がして、蛍光灯のぼうっとした明かりが倉の中を照らす。

 ――いた!

 一階の奥に、人の姿が見える。白い服を着た女の人の後ろ姿、だろうか?

 そして、彼女が片手で引きずっているのは、――田淵さんだ!

「とまれ! この野郎!」

 いや、女性みたいだから「野郎」ってのはおかしいんだけれど、……今はそんなことを言っている場合じゃない! なんとかして、田淵さんを助けないと!

 俺の声に、反応はなかった。

 飛びかかろうと足に力を入れた瞬間、二人の姿がかき消すように見えなくなった。

「……、へっ?」

 思わず、変な声が出る。

 急いで姿が消えたあたりに駆け寄って、二人の姿を探す。

 そこにあったのは、古そうな壺が一つだけだ。

 正直、あまり値の張りそうなものには見えない。

 俺の見間違えでなければ、――さっき二人の姿がこの壺の中に吸い込まれたみたいに消えたんだ。

 でも、そんなことって、あるだろうか?

 身構えながら、ジリジリと壺に近づく。

 壺の口から、かすかな光が漏れ出しているのが見える。何の光だろう?

 更に壺に近づいた時、ふわっと体が浮くような感覚があった。


 ドサッ。

 いきなり宙に投げ出されて、受け身もとれず背中から固い地面に落ちてしまった。もろに叩きつけられて息が詰まり、かなりせき込む。

「な、なんなんだよ!」

 腰のあたりをさすりながら、なんとか起き上がる。むせこんだせいで、涙目だ。

 そんな俺の目に、思いもかけないものが飛び込んできた。

 俺の目の前にあったのは、月明かりに照らされた古そうな建物。

「……、えッ?」

 一瞬、自分が見たものが信じられなかった。

 周りを高い壁で囲まれた、かなり大きなお屋敷だ。

 木造で、壁の漆喰があちらこちら剥がれ落ちている。見たところ、和風と言うより中国風だろうか? 中国には行ったことないから、イメージだけど。

 屋根もゆがんでいて、屋根瓦の間から何本もの大きな草が飛び出していた。パッと見たところ、長いこと人の手が入っていないみたいだ。

 月明かりで薄暗いので、細かい所まではよく見えない。

 ……、あれ、ちょっと待てよ。月明かり?

 ついさっきまで、真っ赤な夕日だった。これは一体、どうなっているんだ?

 そう言えば、さっき持っていたスコップは? 薄暗い中、慌ててあたりを見回す。

 ――あった。

 何の変哲もないありふれた道具だけど、こんな時には、とても心強く感じる。

 ここは、いったい何処なんだろう? 実家の寺の近くに、こんな建物はない。

 まさか、本当にさっきの壺の中にでも入ってしまったって事なんだろうか?

 ……、だめだ、頭がおかしくなりそうだ。悪い夢でも見ているんじゃないか?

 とにかく、こんな所には長くいたくはない。早く田淵さんを探して、一緒に帰ろう。


 半開きになっていた門の扉を軽く押す。何の抵抗もなく、ぎィっと低い音を立てて開いた。

 足元に気を付けながら、門をくぐる。自分の足音と心臓の音が、やけにうるさい。

 門をくぐると、そこは広い庭だった。奥に、中華風の建物がある。

 異様な雰囲気の庭だった。

 庭の中に植えられた大きな木の太い枝、庭を囲む塀、そして庭の奥に見える建物の屋根、……あちこちに白い塊がへばりつき、あるいはぶら下がっている。

 まるで、クモの巣だ。そんな考えが思い浮かび、自分の発想に慄然ぞっととする

 これだけの糸を吐くクモがいるなら、いったいどれぐらいの大きさなのか?

 いや、ありえない! そんなヤツ、いるハズがない!

 でも、もしも、そんなヤツがいたら……。

 自分の後ろ、柱の陰、建物の屋根……、ありとあらゆる場所から今にもメチャクチャ大きなクモがのそっと這って出てきそうな気がしてきた。

 ごくり、生唾を飲み込む音が、いつもの何倍も大きく感じられる。

 本当に、早く田淵さんを見つけ出さないと!

 それにしても、庭中にある白い塊は何だろう?

 一番近い白い塊に近づき、スコップの先でつついてみる。

 乾燥した昆虫の繭のような塊が、カサカサと音を立てる。その中に何かごつごつとした固い手ごたえがある。

 少し強めに叩いてみると、塊の中から何か丸いものがゴロンと転がり出てきた。

 ゴトリと重い音を立てて地面に落ちた「それ」を見た瞬間、全身の血が冷や汗になって噴き出るような感じがした。

 頭蓋骨だ!

 明らかに人間と思われる頭の骨。空っぽになった眼窩が、恨めしそうに俺を見上げている。

「……、ひッ!」

 思わず、言葉にならない悲鳴が出てしまった。

「……、うッ、坊ちゃん?」

 今の声に反応したのか、真後ろから聞きなれた声が聞こえる。

 ……、田淵さんの声だ! 間違いない!

 あわてて振り返ると、庭の壁に、真新しい感じの繭がへばりついていた。声は、この中から聞こえてくるみたいだ。

 急いで駆け寄り、白い繭を両手でかき分ける。繭は湿っていて、ネチャッと手にへばりつてくるのが気持ち悪い。

 間もなく、白い塊の中から田淵さんの顔が出てきた。

「ぜぇ、ぜぇ……。あぁ、坊ちゃん! なぜ、こんなところに?」

「田淵さん! すぐに、そこから出すから!」

 良かった、意識もしっかりしているみたいだ。

「田淵さん、良かった! 早くこんな所から出よう!」

 すぐに田淵さんを繭から出そうと、体をグルグル巻きにしている糸をかき分ける。焦っているせいもあるのか、なかなか上手くいかない。

「坊ちゃん、すみません。……、あッ!」

「どうしたの? 何か?」

 田淵さんの視線は、俺の背後を見ている。

 後ろに、何かが、いる。田淵さんの様子から、ヤバいものだってことは分かる。

 すぐにでも振り返らなければいけないけど、体中がこわばって、ゆっくりとしか振り返れなかった。

「―――――!」

 俺の後ろ、庭の奥にある中華風の建物。その入り口のあたりに、人らしい姿が見えた。

 白い服を着た女性のように見るその人影、さっき田淵さんを引きずっていたヤツだ!

 長い髪はボサボサで、顔がよく見えない。

 こいつが、犯人か? それとも、彼女(?)も被害者なのか?


「誰だ!」

 オリジナリティのかけらもない、呼びかけ。ただ一つの頼れる武器となっているスコップを握りしめて、カラカラの喉から声を絞り出す。

 返事は、ない。

「誰だ! 返事をしろ! 黙っていたら……」

 女に向けて、両手で構えたスコップを突き出す。スコップの刃先が、震えていた。

 二度目に声をかけた時、白い人影に変化に変化があった。

 そして、俺は信じられないものを見るハメになった。

 女性に見えた人影、その下半身が急に膨れ上がる。

 何処にしまい込まれていたのか、それとも物理の常識が通じない相手なのか、触れ上がった下半身から毛むくじゃらの足が突き出してくる。

 その数は、八本。それに加えて、ぶくっと膨れ上がった大きな腹部。

 人サイズの下半身の中に詰まっていたのが、信じられないぐらいの大きさだ。

 数秒もたたないうちに、女性に見えていたものの下半身は、それなりに見慣れた、あまりお目にかかりたくないものに姿を変えてしまった。

 あの姿は――、クモだ!

 

 蜘蛛女アラクネ

 ゲームなんか見たことがある。上半身が女性で下半身がクモの姿ををした怪物だ

 あるモンスター萌えのライトノベルだと、知性もあって恋愛の対象にもなっていた。

 

 もぞりとと、人間の姿をした上半身を起こす。人間に似た顔が、俺たちの方を見る。

 額にある複数の単眼と一対の眼が、俺と田淵さんを見すえる。

 そこには、何の知性も感情も見て取らない。無感情な、餌に対する混じりけのない食欲があるだけだ。

 ちょっと待て!

 この季節の夕方に出るのは、『姑獲鳥こかくちょう』じゃなかったか?

 昔からこの寺に棲んでるのは、「血吸いばばあ」じゃなかったのか?

 クモだなんて、聞いていないぞ!


「きしゃあぁぁぁ!」

 蜘蛛女アラクネが奇声を上げながら、俺たちに向けてまっしぐらに突っ込んできた!

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