re:Birth ~彗星と賢者の石の狂詩曲~
@fujinobo
第1話 The First Night Toward Darkness
プロローグ ~俺が『神人(しんじん)』になったあの夜について~
「生きたいか?」
ハリのある、そしてどこか物悲しそうな声が聞こえる。多分、俺と同じぐらいの年齢だ。
目がかすんでしまって、顔がはっきりとは見えない。
そう、俺は、――死にかけている。
鼻と耳の感覚は、まだ残っている。
そして残念なことに、体の感覚――痛みがしっかり残っている。
ふっと意識が遠くなって、でもその度に体の激しい痛みで意識が引き戻される。
さっきから、何度もそんなことを繰り返している。楽に死なせては、くれないらしい。
今の俺に分かるのは、むせかえるような、変に甘く鼻の奥を満たす血のにおい。声の主が近づいてくる足音。そして、右手から広がってくる耐えがたい痛み、それぐらいだ。
傍に来た彼女がしゃがみこんだのか、服がすれる音が聞こえる。右手になにかが軽く触れたと感じた瞬間、その場所が焼け付くように痛む。
焼け火箸を突き刺されておまけにグリグリとかき回されたら、きっとこんな感じだろう。悲鳴をあげようにも、声にならない。
「ここまで、毒がまわっているとはな……。聞こえるか? このままでは、間もなく、お前は死ぬ」
言われなくても、分かっている。もうすぐ、俺は死ぬ。
「助かりたければ、――」
その内容は、俺の想像をはるかに超えていた。
でも、その時、他に選択肢なんてあったのだろうか?
たとえ、それが――――。
第一章 逢魔が時 ~始まりの夕暮れ~
「今日は、いい天気ですね! こんな日の夕暮れには、姑獲鳥が出るかもしれませんよ!」
顔なじみの田淵さんが、にやり笑いながら言った。
また、いつもの怪談だ。
俺も、小学校に上がる前には、こんな怪談でも怖がっていたもんだ。そのおかげで、田淵さんがすっかり調子に乗ってしまって、今でも俺を見る度に妖怪の話なんかをしてくるようになってしまった。
小学校以前の頃ならともかく、高校になっても同じ話で怖がるとでも思っているんだろうか?
子供だましの話で怖がっていた、あの頃の俺。もしも会うことが出来るなら、小一時間は説教をしてやりたい気分だ。
「あれ? 怖がりませんね。それなら、こんな話はどうですか? 実は、この寺には、昔から……」
「はいはい、分かってますよ!『血吸い
話の内容を先に言われてしまって、田淵さんは不満そうだ。
『血吸い
この寺で寝ていると、きまって何かに覆いかぶさられる夢を見る。夢にうなされて目覚めると、喉のところに小さな傷跡が残っている。古くからこの寺に棲んでいる妖怪・『血吸い婆』に血を吸われた痕だ。
そんな話だ。
まったく、子供だましもいいところだ!もう少し気の利いたひねりがあっても、良いんじゃないか?
夏が来るたびに庭の池で増える蚊の方が、妖怪なんかよりも、はるかに現実的な脅威だと思う。寺の奥に庭があって、毎年そこから大量の蚊がわいてくる。
「まっ、そんな話はともかく」
俺がまったく怖がりそうにないので、田淵さんが話を変えてきた。
「夕食の支度ができるまで、いつもの離れでちょっと待っててくださいね。準備ができたら、呼びに行きますから。」
なんだかんだと言いながら、田淵さんは嬉しそうだ。
田淵さんは、俺の祖父が住職をしているこの亮明寺で古くから事務をしてくれているお婆さんだ。料理の腕は抜群で、俺は小さいころからずいぶんと彼女に世話になった。
いつもニコニコしている人で、怒ったところなんか見たことがない。
でも、ひとつだけ大きな問題がある。大の怪談好きなことだ。
「じいさ……、住職さんは?」
「
『
でも、あの爺さん、とてもそんな偉い人にはみえないんだよな。
見事に禿げ上がった、ツルツルの頭。坊さんをしているから髪の毛をそっている、ワケじゃない。毛根が壊滅しているんだ。父さんの方はフサフサだから、俺は絶対に父さんに似ていると信じている。
それに、でっぷりと太った体格。
何処からどう見ても、立派な生臭坊主だ。でも不思議と、檀家さんたちから頼られている。
「そうなんだ。じゃあ、頼んでおいたアレは?」
「預かっていた書類のハンコのことですね、聞いてます。準備できてますよ。夕飯を食べている間に、上綱(じょうご)さんも帰ってくるんじゃないですか?」
「そうだね。どうせ家の方に帰っても、誰もいないしね。じゃ、いつものお願い。」
「はいよ! 大豆ミートの唐揚げ、大盛りですね!」
「あ、レモンは、要らないから!」
「はいはい、分かってますって!」
俺が小さいころからの付き合いだから、こちらの好みもまるっとお見通しってワケだ。
田淵さんの料理は近所でも有名で、実家(この寺)に帰る時にはいつも楽しみにしている。
街の方にある家に帰っても、両親は海外出張中で誰もいない。そんなワケで、夕食を断る理由なんか、どう考えても、ない。
「ゆっくりしていってください。でも、今日は、今日こそは、『出る』かもしれませんから、気を付けててくださいね!」
はいはい、またまたその話ですか。
とっくに、耳にタコができてますよ。軽く十ダースはできてますヨ、はい。
まったく、田淵さんの怪談好きにも、困ったもんだ。
この科学の時代に、『血吸い婆』だって!?
もう少し、気の利いたことを言ってほしいぐらいだ。
「ほんとに、気を付けてくださいね! こんな天気の良い日の日暮れ、特に『
「その話を聞かされて、もう何年になると思ってるの? そんな妖怪がホントにいるなら、会ってみたいぐらいだ! まったく、そんな話、最近の幼稚園児でも怖がらないよ」
「えーー、そうですか? 小学校になっても、怖がって夜に一人でトイレに行けなくて、ついてきてほしいって私に言ったのは、どこの誰でしたっけね?」
まったく、田淵さんにはかなわない。
小さいころを知られていると、なんとも厄介だ。小学校の時には、田淵さんお得意の妖怪話でずいぶんと怖がらされた。
苦笑しながら、靴を脱いで寺の中に入る。
俺が怖がらなくて残念そうな田淵さんを背に、いつもの部屋に向かう。
俺がこの寺に来た時には、いつも寺の裏にある庭に面した離れの部屋を使っている。
玄関から上がって奥に入っていくと、何かの鳴き声が聞こえてきた。
「おや、ホトトギスが鳴き始めましたね。そういえば、ホトトギスと言えば……」
「分かった、分かったから! その話も、何度聞かされたと思ってるんだ!」
田淵さんは、無駄に物知りだ。
これ以上ここにいたら、何の話を聞かされるか分かったもんじゃない。
早く、自分の部屋に行こう!
ずんずんと、亮明寺の奥に入っていく。
離れから庭をはさんだ向かい側には古い蔵があって、確かに「出そうな」雰囲気があると言えばある。それに昔から寺に伝わる怪談が加われば、田淵さんお好みの舞台設定ができあがるってワケだ。
でも、小学校のころから俺の遊び場だったから、怖いなんて感じはない。
古い蔵の傍には、橘の大木がある。
この季節には枝いっぱいに白い花が咲いていて、ミカンみたいなさわやかな香りが鼻の奥をくすぐる。嗅ぎ慣れた香りに、柄にもなく少し懐かしい気持ちがした。
橘の大木の隣を通り過ぎると、離れだ。
離れに着いて、いつもの部屋に入る。
畳のにおいがする。「帰ってきた」って感じがして、なんだかほっとする。
勉強机の椅子に座ってスマホを取り出し、時間を見た。
五時を少し過ぎている。外はまだまだ明るい。
画面を開いて、メールのチェックをしたりネットの記事を読んだりしている間に、眠たくなってきた。夕飯までは、まだ一時間ぐらいあるだろう。
そう言えば、新学期になってから、なんやかんやとバタバタしていた。
心地よい春の陽気。
思っていたより疲れていたのか、気づかぬうちに眠ってしまった。
……、次に目を覚ました時には何もかも全てが変わってしまっているなんて、この時には思いもしなかった。
ガタン!
何かが落ちるような音で、目が覚めた。
窓から差し込む夕日が、やけに赤い。
「田淵さん?」
早めに夕食ができて、呼びに来たのだろうか?
でも、呼びかけた声に返事はない。
ズル、ズル……。かわりに、何か重いものを引きずるような音が聞こえてくる。
「田淵さァん!?」
声が、さっきより大きくなる。
真っ赤な夕日のせいだろうか、返事がない時間が、妙に長く感じる。
先ほどの音は、まだ続いている。少しずつ、遠くなっているようだ。
「田淵さん!」
大声になる。それでも、返事はない。
部屋のふすまを開けて、庭に面した縁側に出る。
毒々しいぐらいに真っ赤な夕日が、庭を照らしている。
さっきから聞こえている物音は、今は倉の方からする。
「っう、あっ」
聞こえてきた声は、間違いなく田淵さんのものだ。
「田淵さん!」
これは、なにかの悪戯(いたずら)だろうか?
俺が怖がらないから、田淵さんが何か仕掛けてきたかな?
……、いや、そんなハズはない!
田淵さんは冗談や怪談は大好きだけど、手の込んだ悪戯(いたずら)を仕掛けてくるようなタイプじゃない。
そうだ! これは、絶対に、イタズラなんかじゃない!
そう思った瞬間、なんだか言葉にはできない、嫌な予感がこみあげてくる。
倉の方から聞こえてきたものを引きずるような音は小さくなり、聞こえなくなった。
敷石の上のツッカケに足をねじこみ、倉の方に駆け出した。
小さい時から、よく聞かされてきた。
日中と夜の変わる時間、陰と陽が入れ替わるその時は、現実と異界の境界線。この世のものではない連中が現れるんだ。
古い蔵の傍には、橘の大木がある。
真っ赤な夕日に照らされて、白い花も真っ赤な色に染まっていた。
まるで、血が咲いているみたいだ。
そう言えば、田淵さんが言っていた。
橘は、異界から持ち帰られた不死の薬だったって。
……、俺は、何を考えているんだ?
それもこれも、田淵さんが余計なことを言ったからだ!
早く見つけて、文句を言ってやる!
さっきは真っ赤だった夕日が、少し暗くなって、どすぐろい感じになってくる。
まるで、乾きかけた血の色みたいだ。何故か唐突に、そう思った。
倉の前で、やはりただ事じゃないことが分かった。
いつもは閉まっている倉の扉が、開いていた。
それも、ただ開いていたんじゃない!
重たそうな木製の扉が壊されて、倉の外に転がっていた。なんだか、内側からすごい力でこじ開けられたみたいに、留め金が引きちぎられている。
これは、田淵さんのイタズラなんかじゃない! 絶対に、ちがう!
夕日に照らし出された倉。扉の中は、真っ暗で、外からでは何も見えない。
まるで、倉が大きく口を開けて、その体内にこちらを飲み込もうとしているみたいだ。
中から音がする。田淵さんのうめき声のようなものも、とぎれとぎれに聞こえてくる。
どうする?
頭が、今までなかったぐらいに全力で回転する。
スマホで、警察を呼ぶ? ――いや、スマホは、離れに置いてきた。
相手の正体は? まさか、泥棒? それとも、寺に何か恨みでも持っているのか? ――分からない。
犯人は? 男? 女? 人数は? ――まったく、分からない。
このまま、蔵の中に殴り込む? それとも、『戦略的撤退』とか言いながら、ここから逃げ出す?
逃げ出す。
それを考えた時、胃のあたりがカッと熱くなる感じがする。
逃げる?
逃げる、だって?
誰が、逃げるっていうんだ?
俺を見捨てて逃げ出したクソ兄貴みたいに、俺が、この俺が無様に逃げ出す?
冗談じゃない!
嫌だ! それだけは、絶対にできない!
急いで周りを見ると、庭の手入れで使うスコップが目に入った。
スコップの柄を握り、2.3回ブンブンと振ってみる。
……、これなら大丈夫そうだ!
大ぶりなスコップの重さが、こんな時には実に頼もしい。
よし、行くぞ!
無理矢理に自分を奮い立たせて、倉の中に飛び込む。
中は真っ暗で、すぐには何も見えない。
ひんやりとして湿気た空気、土壁のにおい……、小さいころから遊び慣れていたはずの蔵の中が、まったく知らない場所みたいに感じられた。
……、この後に起こった出来事は、ずいぶん後になっても現実だって信じられないぐらいだ。悪い夢でも見ていたんじゃないか、今でもそう感じることがある。
でも、この時を境にして、全てが変わってしまったんだ。
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