第三話 泉

 417という部屋番号が書かれた扉の前で、雨色ういろは立ち止まった。


「もうあいつらは来てんのかな」

「さあね。でも、せんは来るのが早くて、みさきは来るのが遅いのが、いつものパターンだよ」


 雹牙ひょうがの問いに答えながら、雨色は扉をノックして、がちゃりと開けた。鍵は掛かっていなかった。


 甘い香りが、雨色の鼻孔をくすぐった。


 部屋の真ん中にあるテーブルに、幾つもの白いお皿が並べられていて、その上に色とりどりのお菓子が置かれている。その近くの長椅子で、一人の少年――泉がティーカップを持って、紅茶を飲んでいた。


 薄茶色の柔らかそうな髪は、丸みを帯びたショートカットに切られている。大きくくりっとした瞳は、ルビーを閉じ込めたような真紅。

 着ている白いシャツにはレースがあしらわれていて、ズボンの裾は幾らか広がっている。低めの背丈や可愛らしい顔立ちから、どこか中性的な印象を受ける、十八歳の少年だった。


 泉は三人に気付いたようで、空いている方の手を振ってみせた。


「おはよー、皆。一番乗りしちゃってめっちゃ暇だったあ。来てくれて感謝」

「お、お前……ティーパーティーしてんのか!?」


 驚いたように言う雹牙に、泉はぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「ん、そうだけどー? なーに、なんか不満でもあんの?」

「いや……不満はないんだけどよ、ティーパーティーって一人でやるもんじゃなくね!? どうしたんだよ急に!」


「あー、なんかね、さっきどっかの隊の女の子がお菓子くれたんだよねー。つくりすぎちゃったんだってさ。わざわざくれるなんて嬉しいよね」

「まあ、嬉しいことは嬉しいけどな……」

「皆も突っ立ってないで、早く座ってお茶会しよ? あ、ういちゃんはぼくの隣ね?」


 泉はそう言って、微笑みながら雨色を手招きする。雨色はこくりと頷いて、歩き始めかけた。


「ちょ、ちょっと待てよ、泉!」

「んー、どしたの、ひょうくん?」

「そ、その……雨色は別に、お前の隣じゃなくていいだろ! むしろ……その、オレの隣に……」


「あー、ぼく、わかっちゃったあ。ひょうくん、ういちゃんの隣に座りたいんでしょー? 全く、相変わらずだねー」

「ち……ちげえし! 別に雨色がお前の隣に座ろうが、何とも思わねえし!」


「あ、そうなんだ? だってーういちゃん、早くぼくの隣においでよ?」

「わかった」


 雨色は頷いて、泉の隣に着席する。がっくりと肩を落とした雹牙の肩に、雪深ゆきみはぽんと手を置いた。


「……何だよ、雪深」

「ドンマイ。君も素直になればいいのにな」

「うるせえ黙れ!」


 雹牙に胸ぐらを掴まれ、「悪い悪い」と全く反省していなさそうな顔で言う雪深を横目に、雨色はテーブルに置いてあるピンク色のマカロンを一つ手に取った。


「ういちゃんは何味のマカロンが好きー?」

「わたしは……果実っぽいのが好きかな。フランボワーズだったり、シトラスだったり」

「へえ、いいじゃんいいじゃん! ぎゅー」


 泉はにこにこ笑いながら、ティーカップをテーブルの上に置いて、雨色の腕に自身の腕を絡める。


「もう、どうしたの、泉」

「どうもしてなーい。ういちゃんっていい香りがするよね?」

「そうかな? 使ってる石鹸は、お兄ちゃんと同じだよ」


「ゆきみんと一緒なんだねー、そういう色気ないところも可愛い」

「むむ。色気あるし。バカにすんな」

「あはは、冗談だよ、ういちゃん? ういちゃんの魅力くらい、ぼくはわかってますって」

「褒めて遣わす」


 くっつきながらそんなやり取りをしている二人に、雹牙はようやく気付く。


「お、おい、泉! 雨色との距離が近すぎんだろ! 羨ま……じゃなくて、離れろ離れろ!」

「えー、やだー。ういちゃんはぼくがこうしてたら、嫌?」


「別に嫌じゃない。泉は可愛いから、なんかいい気分」

「だってよー? ういちゃん嫌じゃないってよー? だったら別によくない?」

「う、ううー!」


 ぷるぷると震える雹牙の肩に、雪深は再び手を置いた。


「いやだから何だよ、雪深!」

「君も雨色に触れてくればいいじゃないか。別に嫌がられないと思うぞ」

「ふっ、触れ……!? そ、そんな軽々しく、雨色に触れられる訳ないだろ! 馬鹿なことを言うんじゃねえ!」


「ちなみに俺は今日、雨色の頭を撫でている」

「な、何だと……!?」

「つまり何が言いたいかというと……この中で雨色にちゃんと触れてないのは、君だけだ。マジドンマイ」

「あー、うっぜー!」


 雹牙は、自分の髪をわしゃっと掴む。雨色は泉から離れてすっと立ち上がると、てくてくと歩き出した。ようやく雨色が近くにいることに気付いた雹牙の右手を、雨色は両手でぎゅっと握る。


「えっ……え!?」


 狼狽した様子の雹牙に、雨色は首を傾げた。


「何だか、わたしに触りたかったみたいだから。……ええと、嫌だった?」


 少し悲しそうな面持ちを浮かべた雨色に、雹牙は顔をみるみるうちに赤くする。


「い、嫌では……ねえよ……」

「本当。それならよかった」


 ほのかににこっと笑った雨色に、雹牙は耳まで赤くなりながら、固まった。


「まあなんだかんだ、この二人の組み合わせには勝てないよねー。全く、妬けちゃうなあ」

「うんうん、雨色は優しいな。こんなできた妹を持って、兄はとても嬉しいぞ」


 再び紅茶を飲みながら溜め息をつく泉と、腕を組みながらこくこくと頷く雪深。

 そんな二人に見守られながら、雨色と雹牙は暫くの間、手を繋ぎ続けていた。

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