第二話 雹牙
この町はホシクズと呼ばれている。夜、晴れた空に広がっている星々が、とても綺麗だから。誰かがそうやって呼び始めたのだろうと、囁かれている。
昼下がりだから、沢山の人々がホシクズの中を歩いていた。仕事の昼休憩の者が多いのだろう、飲食店には時折行列ができていた。全体的に、男性が多いように感じられた。
「お兄ちゃん、面白いことを思い付いた」
「おっ、本当か? 期待値がすごい勢いで上昇している」
「あの行列に並んで、もう一度ご飯を食べる。どう、面白くない?」
「どこら辺が面白いのか全くわからなくて、逆に面白い。満点だ、雨色」
「やった」
そんな他愛もない会話をしながら、二人は仕事場に向かって歩いていく。
ホシクズの中心部にある、噴水広場に差し掛かったときだった。
「あ」
「どうした、雨色?」
「あれ、
雨色の指差した先では、一人の青年――雹牙が欠伸をしながら歩いていた。
雪を溶かしたような銀色の髪は、ウルフカットにされている。銀の睫毛の下に浮かぶ黄金の瞳は、月を閉じ込めたよう。
銀の襟章が付けられた暗い赤色のシャツは、上の方のボタンが留まっていなくて、くっきりと鎖骨が見えている。履いている黒いズボンは、丈が少し余っていた。凛々しい顔立ちをした、二十歳の青年だ。
雪深は雨色に向けて、こくりと頷いた。
「ああ、あれは間違いなく雹牙だな。あれで雹牙じゃなかったら、多分ドッペルゲンガーだ」
「そうだよね。よし、声を掛けよう」
雨色は小走りになって、眠そうにしている雹牙の肩をとんとんと叩いた。雹牙はばっと振り向いて、それから驚いたように目を見張った。
「う、雨色じゃねえか! 急に出てくんなよな、びっくりするだろ!」
「びっくりしてくれたんだ。満足」
微かに笑顔になった雨色に、雹牙はほのかに頬を紅くしながら、「べ、別にいいけどよ……」と言う。二人に追い付いた雪深は、雹牙に向けて手を振った。
「おはよう、雹牙。今日もびっくりするくらい顔がいいな」
「はあ!? 何気色悪いこと言ってんだよ、鳥肌立っちまうだろ!」
「うん、今日もびっくりするくらい口が悪いな」
淡々と言う雪深に、雹牙ははあと溜め息をつく。
「ほんと、お前ら兄妹といるとなんかペース乱されるんだよなあ。オレのペースに合わせてこいよ」
「わたしは雹牙のペースに合わせて走ったことで、追い付いた」
「そういう意味じゃあねえんだよ! 会話のペースだよ、会話のペース!」
「……雹牙が喋り終わるのを待ってから、わたしは喋っている。これはすなわち、会話のペースを合わせているということでは?」
「なんかちげーんだよなあ、そういうことじゃあねえんだよなあ……」
呆れたように額に手をやる雹牙に、雨色と雪深は顔を見合わせて、二人して首を傾げた。
「まあいいや。とっとと職場に行くぞ。お前ら」
「「了解」」
左から雹牙、雨色、雪深という順番で並んで、噴水広場を歩いていく。
すると前から、大きな荷物を持ったお婆さんが歩いてきた。雹牙はすぐにだっと駆け出して、お婆さんに話しかける。
「おいおい、大丈夫か! そんなに重そうなモン持って、どこ行くんだよ!」
「ああ、すまないねえ……。知り合いに果物を沢山分けて貰って、今家に帰るところなのよ」
「そりゃあ大変だ! オレが持って家まで付いて行ってやるから、安心しな!」
「ええ、いいのかい……? 助かるねえ、どうもありがとうね」
「気にすんな! オレは人助けのために、鍛えているようなもんだからよ!」
前から聞こえてくる雹牙とお婆さんの会話を聞きながら、雨色は口を開いた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「どうした、雨色?」
「雹牙ってさ……めっちゃ、いい人だよね」
「ああ、疑う余地がないな。どうして口の悪さだけは直らないのか、不思議で仕方ない」
大きな荷物を肩に掛けて、お婆さんと共に歩き出した雹牙に、雨色と雹牙は温かな視線を向けた。
◇
「本当に、ありがとうね。助かったわ」
「気にすんなって言ってんだろ! 果物を切るとき、手怪我しないように気を付けるんだぞ!」
「ええ、もちろん。それじゃあ、またね」
「ああ、またな!」
雹牙は笑顔を浮かべて、家の中へと消えていくお婆さんに手を振った。
そうして振り向いた雹牙は、ぎょっとした顔をする。後ろに立っている雨色と雪深が、無表情とにやにやの中間地点のような、微妙な顔をして彼のことを眺めていたからだ。
「な、なんだよお前ら! どういう感情なんだよ!」
「うーん、何だろうな。多分これは、『微笑ましい』という気持ちではないだろうか」
「微笑ましいとか言うな!」
「やっぱり雹牙、優しい。わたし、雹牙のそういうところ、好きだな」
好き、という言葉を聞いたとき、雹牙の瞳は確かな動揺を帯びた。視線を彷徨わせて、それから彼はふっと笑う。
「……お姫様にそう言われちゃあ、光栄だな」
雨色はほのかに微笑んで、「それじゃ、職場に行こう」と口にして歩き出す。雪深と雹牙は、そんな彼女の後を追うように、一歩を踏み出した。
◇
随分と高さのある、真っ白なビルだった。警備員は雨色たちの襟章を見ると、すっと横に移動した。雨色はぺこりとお辞儀をして、自動ドアを通ってビルの中に入っていく。
複雑な模様の描かれた大理石の床が広がるエントランスを、雨色たちは歩いていく。奥の方にはエレベーターがあって、雨色は上のボタンを押した。
少ししてエレベーターがやってきて、三人は中に入る。操作盤に近い場所に立った雪深が、「4」と示された行先階ボタンを押した。扉が閉まり、エレベーターは上昇していく。
すぐに目的の階に到着し、エレベーターの扉が開く。雹牙、雨色、雪深の順番でフロアに降りる。開けた空間に設置されたソファで、二人の男が談笑していた。
三人は彼等の横を通り過ぎる。
「……おい、あれ、『男装の姫君』じゃん」
そんな声が、少し後ろで聞こえた。
「……ッ!」
雹牙は怒ったような顔をして、振り返る。
「おい、てめえら……」
笑っている男たちへと向かって行こうとする雹牙の肩を、雪深が掴んだ。驚いた表情を浮かべる雹牙に、雪深は首を横に振る。
「でもよ……」
「気にしないでいいよ。わたし、気にしてないから」
雨色はそう言って、ふっと淡く微笑んだ。前髪の隙間から紺色の瞳が見えている。その目には少しの怒気も滲んでいなくて、だから雹牙は渋々といった様子で頷いた。
「『男装の姫君』の騎士サマ、こえー」
後ろから聞こえてくるそんな言葉や、嗤い声を、雨色は無視しながら歩いた。雪深と雹牙もそれに倣って、進んでいく。
「……お前、嫌じゃねえのか?」
雹牙の言葉に、雨色は振り返った。口角が、微かにつり上がる。
「嫌じゃないよ。わたしは、あなたたち四人にだけ、理解されていればいい」
「それならいいんだけどよ……」
「うん。ありがとう、雹牙。わたしのために、怒ってくれようとして」
雨色はそう言って、再び前を向いて歩き出す。
彼女の小さな背中を、雹牙は暫くの間見つめていた。
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