“人魚”との出会いと疑問

 入口に出来ている列に並ぶと、海をイメージさせる青い制服を着た笑顔のスタッフが出てきて、すぐに場内じょうないへと案内される。開園直後は余裕なんだな・・・と、子供ながらに悟ってしまう。


 お目当ての場所がこの先にあるんだと目をキラキラさせている姉と手を繋ぎ、案内されるシアターの中へと進んでいく。


 半円状はんえんじょうに並ぶ観客席の、真ん中あたりを確保することができた。広い舞台が良く見えて、演者からも近いだろう。とても良い位置だ。


 慣れない形状の長椅子ながいすにこわごわと座ると、まだ小学生の小さい体が、フワリとしたビロードの感触に包み込まれる。


 その瞬間、先程感じた、言い表せない感情が甦ってきた。


(まただ…この感じは、なんなんだろう…?)


 その感情は、今から行われる壮大な世界観を現しているようだった。


 キョロキョロと辺りを見回して興奮を隠せない姉を横に、私はその感情がなんなのか分からず、わずかに緊張する。


 全体的にほのかな照明のシアターが、突然フッと暗くなった。次の瞬間、舞台の真ん中に、人ひとり分の幅の光が、上からギラリと通った。


(な…ん?なに?これ、なに?)


 その光の柱の上部に気配を感じ、辿って見上げる。


 青緑の魚の尻尾が見えた。


 スパンコールの鱗をキラキラとさせながら、楽しそうに上下左右に振れている。


 光の柱の中をスーッと降りてきたそれは、


 紛れもなく〝人魚〟


 おとぎ話の挿絵に描かれる、それであった。


(絵本の中から、飛び出した…?)


 妙に冷めているくせに、まだ幼い私はその時、夢と現実の区別がついていなかった。


(なに…これ?本当のこと、なの?夢?)


 目の前の幻想的な“実物”に混乱していると、姉が感極まって叫んだ。


「きゃぁぁ!マリエルー!」


 その瞬間、我に返る。


 そう、これは、キャラクターの動きを忠実に再現するよう外国人スタッフが演じている“人魚”。


 ああ、そうだ。これはショーだ。大人達が作り出した娯楽の一種。


 そう思っているのに、目が離せない。言い表せない感情が、どんどんと胸に濃く広がっていくのが解る。


(なんで? どうして? どうなってるの?)


 こんな日常離れした世界が、なぜ、目の前に広がって居るのだろうか。


 食い入るように“人魚”を見つめ、言い表せない感情と向き合う事に必死になり、その後のストーリーなど頭に入ってはこなかった。


 亀をしたハリボテとスクリーンの映像、それと“人魚”が大袈裟おおげさに話している事だけは覚えている。


(なんで、どうして? 人魚? この世界は、一体なに?)


 上演が終わり、シアターを出て「マリエルかわいかったー!」と言いながらスキップしている姉の背中を眺めながら、頭がどんどんとボーッとしていった。


 そのまま再びラストリバースクエアエリアへと歩いて戻り、アンディジョーン・アドベンチャーの搭乗口へ行くと、予約券をみせ、優先通路を通ってライダーへと搭乗した。


 怪しい洞窟の内部を通り、色々な仕掛けを五感で迎え入れる。怪しい音楽、吹き出す風、急落下するライダー。


 不思議な事に、これには、言い表せない感情は湧くことがない。


 ライダーを降りて出口から明るい外へ出て、スリリングな爽快感を反芻はんすうするが、シアターで感じた感情に、頭ののぼせは取れないままだった。


「アンディ楽しくてやばかったー!次どこ行く?なんか食べよっか?少しおなかすいたー!」


「…え?あ、うん、そうだね」


「あんた、さっきからボーっとして、どうしたの?」


 フワフワとした鈍感な姉にも気づかれるほど、様子が違っていたらしいと思い焦る。そして、ボーッとしている理由なんて、自分でも解っていない。


「なんか、人魚がね、忘れられないの」


「人魚?マリエルね!すごくステキだったもんねー!」


『なんかちがう…なんかね?なんか…』


「なになに?どしたの?」


『人魚になりたいの…かなぁ?』


「は?」


『うーん…?』


「マリエルになりたいの?」


『ええっと…?わかんない、それともなんか、ちがうなぁ…?』


「どういうことー?」


『うーーーん…?』


 短い腕を大袈裟に腕組みし、私は必死に考えた。


(なにが、したいんだろ?)


「まあ、なんか分かんないけど、何か食べようか? ポップコーン買おう! チュロスもいいねー!」


「あ!うん!食べよ食べよー!」


 姉に明るく答えるが、いくら考えても解らない疑問が薄い布のように、私の幼い心を包みこんでいった。


 キャラの耳付きカチューシャを買って着け、ポップコーンのバケツを抱えて、姉と笑いながら、様々なアトラクションを回る。


 それでも、答えの出ない疑問と言い表せない感情は、頭のどこかに残ったままで。


 一つだけ分かることがあるとすれば。それがヒントになるとするならば。


(あのキラキラした人魚を、なんとかしていつも見ていたい…!)


 それだけだった。

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