檻
学校の前に建てられた変哲のない民家は影武者を閉じ込める檻だった。檻を管理する高井紗江子と挨拶を交わしたのは昨日のこと。反抗する影武者が現れてしまった際に仕方なく活用するのだと高井から教わり、落葉は檻の存在を認知した。天音からは聞いていない。
昨日時点では誰も閉じ込められていなかった。ただ、高井が嘘を言っていた可能性もある。同じ管理者側の立場でも、落葉が胸の内まで従順ではないと天音から忠告されているかもしれない。里の最高責任者の天音が少し気を回せば、重大な事実でも特定人物への隠蔽は容易だろう。それくらいの権力と統率力があっても不思議ではない。
しかし、杞憂だった。
ゲートで遭遇した天音は『久川くんに会うか?』と持ちかけてきた。迷わず落葉が頷くと、檻までは天音自らが先導した。道中、久川を捕縛に至った経緯を聞いた。
『左手の甲に刻まれた影武者の管理番号は全影の能力であっても消せない。別人になっていようと刻印を見れば影武者か判別できる――となれば、手袋で手の甲を隠す俺たち管理者に化ければバレないって結論にいきつく。まぁ化けようにも顔を模倣できるほど強力な能力を持つ影武者は少数だが、久川くんがどうかは言うまでもないよな。チェックする側に回ればなんとかなると思ったらしいが、大きな誤算だったな』
『手袋をしていても、ゲート左手にある門衛の詰所のカメラでバレてしまうのでしょう?』
『どこで聞いた?』
『ボクも常に久川さんのそばにいたわけではありませんから。散歩で何度かゲートの近くを通っていたら、偶然見つけたんです。変わったカメラが仕掛けてあるのを。手袋を貫通するような代物とは思いませんでしたが、天音さんの話で合点がいきました』
『それじゃあ俺が教えたようなもんだな。ゲートにあるのは赤外線カメラで、表面上は隠されても透けるようになってる。監視機能も備えてるから、左手を隠しながら通ろうとしたら即座にゲートの警報を鳴らせたりもする』
『久川さんは里にずっといたのですから、それくらい知っていそうですがね。誰かに訊いたり、聞かされたりして』
『最近なんだよ、赤外線カメラが導入されたのはな。電子機器の技術は恐ろしい早さで進化してるよな。俺たちアナログな仕事の連中にはあまり縁がないと思っていたが、今では使うべき技術とそうでない技術の選定する段階まで入り浸ってる。たとえば携帯電話なんかを採用してないのはインターネットで部外者に情報を漏洩させないため。一方で俺たちが仕事にパソコンを導入してるのは、明らかに便利で作業が格段に効率化するからだ。インターネットは繋いでないから紙のノートでも事足りる使い方しかできてないかもしれないがね。まぁ、そのへんは来る前に武林さんから聞いてるか』
天音が言うように、里の文化は外界に比べて遅れている。便利になりすぎると行動の幅が増え、影武者の行動の管理が格段に難しくなる――そんな懸念が拭いきれず、里の文化もまた管理者によって前時代レベルに留められているのだと武林が落葉に吹き込んでいた。
檻に着くと、建物の手前にいた高井に頭を下げられた。無論、落葉にではなく天音に対してだ。天音が上司らしく事情を説明すると、彼女はドアの鍵を開けて中に入るよう促した。今度は落葉も対象に含まれていた。
ドアの内側には、どこの家にもあるはずの錠をかける仕掛けが無かった。内側からは自由に出られない仕掛けが、檻なんていう物騒な呼び名を裏付ける。
それだけではない。玄関をあがった廊下の先で、猛獣でさえ閉じ込められるよう縦横に組まれた鉄格子が落葉の視界を覆った。それも二重に組まれている。他にたとえようもなく、そこは正真正銘の檻だった。
あとのことを高井に任せて天音は去った。
「あまり時間はかけないように」
高井から曖昧な忠告を受け、落葉は土足で玄関をあがり一枚目の鉄格子をあけた。高井は格子の隙間から落葉に鍵を手渡し、別の鍵で一枚目の鉄格子を閉じた。
久川は昨晩、高井の姿に化けて脱走を試みたらしい。そう天音が教えてくれた。模倣された高井本人は毛ほどもそれを気にしていないようだ。
「すみませんが、規則ですので。気を悪くされないよう」
無機質な声色で弁明して彼女は背を向けた。頑丈な鉄格子に囲まれた狭い空間で、渡された鍵に目を落とす。二枚目は内側に鍵穴があり、手にした鍵を差し込み解錠した。抵抗なく開け放たれた鉄格子をくぐり、廊下を進む。
左手の部屋は六畳ほどで、生活の痕跡がなかった。新居同然の透明感を放ち、一切の家具がないから足音が異様なほど反響する。恐る恐るクローゼットを開いてみたが何もなかった。平凡な空き部屋の内装に、窓枠にはめられた鉄格子は異質だった。
廊下に戻り耳を澄ませるが、テレビや洗濯機、調理器具や足音など生活音が聞こえない。本当にここに久川がいるのか。入ってきた格子に目をやる。高井は背を向け外を眺めていた。
洗面所には歯磨きセットとタオル。どちらも湿っておらず、浴室の床も乾いていた。浴槽は足を伸ばせるほどではないにしても、ここが〝檻〟とは到底思えないほど広い。
廊下の突き当たりにあるリビングには多少の生活の気配があった。まずテレビがある。正方形の座卓の隅にエアコンとテレビのリモコンが並んでいる。ゴミ箱は空で、キッチンには冷蔵庫もあった。家族四人の一週間分の食料を保管できる大きさで、開くと二リットルの水が二本あった。どちらも嵩は減っていない。
やはり窓枠の鉄格子だけが異質で、外に出られない一点以外は快適に暮らせるだけの設備が整っている。影武者に対する敬意だろうか。脱走の画策だけを潰せれば良いのなら、こんな施設でも納得はできる。
廊下の階段をのぼり、二階にあがった。トイレと三つの部屋で構成された二階は、右手と正面の部屋のドアが初めから開いていた。順番に覗くが、どちらも一階の部屋と同じ。物もなければ生活の痕跡もない。
トイレを除けば、建物内で確認していない部屋はあとは一つ。
左手に位置するドアは閉まっている。落葉は口に溜まった唾を飲み込み、ドアノブに手をかける。呼吸を静かに整えようと努力する。整わなくても、無理にでもゆっくりと呼吸を繰り返す。そこにいるべき彼女を脳裏に思い浮かべ、緩慢にドアを押し込んだ。
その部屋でも足音がひどく反響した。
開いたドアに隠れる位置に、落葉の想像した姿を見つけた。壁を背もたれに脚を伸ばし項垂れる彼女に近づき、見下ろした。
「殺風景な部屋ですね。こんなところに転居したかったのですか?」
電池の切れかけた玩具みたいに、久川の顔が時間をかけて上を向いた。半分しか開いていない瞳と視線を交わす。
「……碧ちゃん?」
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