7

 翌日、イギーは朝のうちにゴミ捨てに行くように言われ、仕方なくまだ眠い体に鞭を打ち、納屋から荷車を持ち出した。その時に気づかなかったのがいけなかったのだろうか。ともかく急いでいたし、寝ぼけ眼だったこともあり、既に事件が起こっていたことに気づく余裕がなかった。

 屋敷の勝手口の横に、大工に作らせた蓋付きの箱があり、その中にゴミの麻袋が大量に入っている。元々はイノシシやカラス、猫といった動物避けで作られたものだが、そのうちにゴミ泥棒用に鍵とか付けられる日が訪れるかも知れない。

 イギーは慣れた手付きでさっさと中身を荷車に移し替えると、特大の溜息を一つ落としてから、屋敷を出た。最初は緩い坂道を下っていくだけだから楽なのだが、街を出て山道に入ってからはもうずっと上りといってもいい。途中、何度も休憩を入れつつ、山を一つ越えたところにあるゴミ穴までやってくると、特に中身も確認することなく、麻袋の口を広げ、その中身をどんどん出していく。ある程度足元に貯まったらそれを蹴り飛ばし、場所を開けて、再び袋の中身を取り出す。


 慣れた作業とは云え、既に日は高く昇り、台所では昼食の準備が始まっているだろう。使用人の中でも最低ランクのイギーたちが食事にありつけるのは公爵家の人間、屋敷で暮らす他の貴族たち、更には大工や上級使用人と順番が決められていて、最後に残飯の残り滓のような飯が出されるのだけれど、それはかつて宮廷料理人の一員だったこともあるという料理長アーバインの仕事。スープ一つ取っても一体何で出汁を取ったのか分からない、あるだけ全部飲み干してしまいたくなる旨味が凝縮されたものが出てくる。

 イギーがこの屋敷の使用人になって良かったと思うことの一つだった。

 思わずアーバインの極上スープを思い出してしまい、空腹を感じたイギーは麻袋を荷車の上に投げ込むと、さっさと帰りの途に就こうとした。しかしその目が妙なものを捉える。

 穴に、ゴミが食われていたのだ。

 ずるずると何かが動く度にそこにゴミが沈んでいく。


「何だよ、あれは……」


 と、ゴミが吸い込まれている中心が緑色に光った。


「うわぁ!」


 イギーは情けない声を上げ、荷車を置き去りにしたまま駆け出す。


「ば、化け物だ! 化け物がいやがった!」


 あの光ったのは目だろうか。とにかく化け物はゴミを食っていた。一体いつからあんなものがあの穴に棲んでいたのだろうか。昨日はいなかったはずだ。


 ――じゃあ今朝からか?


 イギーは考えているうちに徐々に落ち着きを取り戻しているのが分かった。動かしていた足を止め、一度後ろを振り返る。何かが自分を追いかけてくる気配はない。

 森を抜ければもう街の外壁が見えてくる。誰か呼ぶべきだろうか。けれど一体誰が信じてくれるだろう。ゴミが食われていたなんて馬鹿げた話。

 イギーはその場に立ち止まり、どちらに足を向けるべきか考える。

 荷車を置いてきてしまった。けど、そんなものまた作ればいい。

 麻袋も残っている。それだって新しいものを買えばいいだけだ。何も自分が無理をしてまで取りに戻ることはない。

 行かなくていい。さっさと帰って馬鹿げた話だろうとみんなに言って、恐くて逃げ帰ったんだと話せば幾らか大目に見てくれるだろう。

 そう思った。

 だが、彼の足はどうしても屋敷の方に向かおうとしない。

 何故だろう。

 使用人の意地だろうか。

 そんなものが自分の中にあったことに驚きつつも、イギーは山道を再び上り始める。

 荷車が見えてくるところまで戻っても、そこに何かがいるようにはなかった。


「大丈夫じゃねえかよ。何だ」


 少し安堵し、荷車の許まで行くと、穴の方を覗き込んだ。既に穴を埋めていたはずの大量のゴミは綺麗さっぱりどこかに消失し、地面だけが見えていた。ほとんど草も生えていない。黒っぽくなった土がそこにあっただけだ。

 さっきの緑色に光っていた何かはどこにも見当たらない。姿を消してしまっていた。

 それなのにイギーは背中から寒気を感じて仕方ない。いや、背中だけでなくそれは全身に広がり、ぶるぶると体が小刻みに震え始めた。鳥肌も立つ。


「早く帰ろうぜ」


 誰もいないのに声に出す。

 帰りたいのに足が動いてくれない。

 自分の体の震えが大きくなったのだと思った。


「え?」


 だが、それは違った。

 穴の中で暗闇が持ち上がったのだ。その闇の中に緑の光があった。一つ目の化け物だ。それが口を開けて何かを吸い込んでいる。

 イギーは自分の目を疑った。化け物は地面を食っていた。ゴボゴボと音を立て、黒ずんだ土が崩れていく。その化け物の前が崩れ、闇は穴の奥へと落ちていった。

 イギーは悲鳴にならない声を上げ、荷車を手にすると、慌てて駆け出した。もう彼には戻ろうという意思は全く働かず、ただただ一心不乱に屋敷を目指したのだった。

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