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 イギーが勤めるエトワール公爵の屋敷はサン・トライデントの一等地、小高い丘に街を見下ろすように建てられている。かつては要塞として築かれた城下町は周囲に五メートル級の高い壁で囲まれ、その内側を三本の川が南北に流れている。一番西側の川を渡り、蛇行した坂道を上るとその先に煉瓦を積み上げた立派な門が見えてくる。その門を潜った先に三階建ての白壁の建物と、改修中の二階建てがあり、三階の方がエトワール公爵様の屋敷で、二階建ては来年に結婚するらしい公爵の一人娘の新居だった。公爵家に入婿とは羨ましいものだ、とロンと二人で話していたが、自分たちのような使用人、それもランクDという最下層の人間にとっては夢ですら語ることを許されない、それくらい身分の差というのは自分の力では動かしようのない絶対的なものだった。


「おう、イギー。今日は早かったな」


 荷車と共に戻ってきたイギーを見て、箒を手にしていた金髪の少年が、退屈そうに声を掛けた。ロンだ。イギーも小柄だが、ロンも大きくはない。しかも彼の場合は一重の小さな目とあっさりとした顔立ちから、とても十七歳には見られなかった。


「沢山運んでも、少なくても、賃金変わらないからな。それより……」


 イギーは声を殺し、ロンに囁く。


「その、掘り出し物、あったんだ」

「本当か? 金か? 宝石か? まさか金貨がどっさり入った袋がそのまま捨てられてたとか」

「おいおい、声がでかいって」

「ああ、すまねえ」


 三十人以上の使用人が働く屋敷では、どこで誰が耳を立てているか分からない。

 イギーは周囲を見回してからロンの耳元に口を付け、ほとんど吐息同然といった声であの銀色の円盤について手短に話した。


「それってさ、そもそも売れるのか?」

「俺に分かる訳ないだろ?」


 袋をつまみ、僅かに口を開ける。ロンがその中を素早く覗き込むと、彼の顔が出るか出ないかといったところですぐに袋を荷車に押し付けた。


「どうだ?」

「あれは一体何なんだ?」

「さあ。けど、ほら、あのイースタン街のアグ爺さんなら知ってるんじゃない?」


 アグ爺さん。本当の名前はなんと呼ぶのか知らないが、顔を真っ黒にしながら集めたガラクタを分解したり、その部品で何か妙な動きをする自動機械と呼ばれるものを造ったりしている、変人だ。


「じゃあ明日あたり、持ってって聞いてみるか? 売れそうだったらいつものルートで」


 分かった、とロンに返事をし、荷車を片付けに納屋に向かった。敷地内の裏手にある納屋には農機具や掃除用具、大工道具だけでなく、キャンプ用の鍋やら焚き火を入れる鉄製の箱やら火箸も隅の方に固まって置かれている。他にも一体何に使われたのか分からない長い棒や刺又、果ては年代物の大砲までが仕舞われていた。荷車が並ぶ一画に引いてきたそれを戻すと、イギーは袋の束を抱え、それを箒や草刈り用の鎌、大きな鋏が雑然と置かれた場所の傍にまとめて置いた。例のブツが入った袋もその中だ。他の使用人が出入りするものの、一日くらいなら誰も中身を見ようとは思わないだろう。

 納屋を出ると、改築中の新居の裏手で大工たちが休憩を取っていた。侍女のマリアンヌがお茶とスコーンを出している。すらりと長身でくるりと頭の右側でまとめた赤髪が何とも愛らしい彼女は、イギーだけでなくロンたちからも評判が高い。狙っている男の使用人も多かったが、侍女長のキリエ様のお気に入りに手を付けたら屋敷を追い出されるということで、誰もが唇を噛み締めて我慢していた。


「あら、イギー。今日のゴミ捨てはもう終わったの?」

「お、おう。慣れてるからな」

「最初にうちに来た頃はどうなるかと思ってたけど、慣れるものね。わたしね、思うんだ。イギーは成りこそ小さいけど、たぶん大きなことを成し遂げる人間になるって。小さい頃からこの手の予感は外したことないの。だから、めげずに頑張ってね」


 それは天国草の香りを嗅いだ時のような、素晴らしくふわふわとした心地だった。マリアンヌの笑顔は誰もが太陽とか女神とか虹だとかに例えるけれど、イギーにとっては小さい頃、飲んだくれで川に落ちて死んでしまった父親が一度だけ持って帰ってきたその魔法の草の効用を思い出すものだった。


「あ、ありがとう」


 イギーより三つか四つ、歳上らしい。もっと話していたいと思えたが、彼女は別の侍女に声を掛けられ、屋敷の中へと戻ってしまった。

 それにしても大工たちの座っている場所から僅か五メートルほどのところに大量のゴミが積まれていた。また自分が片付けることになるのだろうか。そう思うと、気が滅入ってくる。

 力のないイギーにとって、量もそうだが、一つ一つが重い木屑や鉄屑、割れた陶器や土器といったものは出来れば他の使用人に任せてしまいたい、厄介ものの一つだった。

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