ため息
スーパーからの帰り道、僕はふと友達へこう言った。
「匂いと記憶は密接に関係していると思う」
例えば、タバコ。タバコの匂いを嗅ぐと昔父から受けた数々の虐待がフラッシュバックして息が出来なくなる。ヘビースモーカーの父が死んでもう3年経つが未だに頭の中の恨みは消えない。
少し感傷的になった僕の横で友達のRが「プルースト効果ってやつやな」と言い、言葉を続ける。
「まぁ匂いに限らず、忘れていた記憶がなんらかの切っ掛けをトリガーとして蘇ることは往々にしてあることや」
と、レジ袋を持った左手を顔の横に持ってきて、人差し指を真上にピンと伸ばして得意げにそう言った。
その時、彼は路傍の石に蹴躓いて盛大に地面に荷物を落とした。レジ袋から無残な姿になった卵のパックが覗いて僕は思わずため息をついた。
「あーあ、どうすんのコレ。これでタコ焼き作れんの?」
「……思い出した」
「は?」
「君のため息を聞いて、過去の記憶蘇ったわ」
「…ふぅん、じゃあ、聞かせてもらおうかな」
僕は立ち上がろうとするRの手を掴んで、勢いよく引き上げた。
ズボンについた砂を払いながらRは続ける。
「あれは3年前だったかな、その当時俺はクラシックにハマっててな。その日も夜遅くにリストの『ため息』って曲を聞きながら散歩してたんや」
「高尚かつ不審者的趣味だな」
「まぁ黙って聞いてろ。そいでな、近所の公園を通りかかった時にイヤホンを通り抜けるぐらいの男の悲鳴が聞こえてきたから咄嗟にイヤホンを外して、その声の主を探したんや」
「…で?」
僕は胡乱な目でRを見つめて続きを促す。
「トイレの裏の茂みの中で、おっさんが倒れていてその傍らに手にナイフを握った人が立ってたんや。怖すぎて咄嗟にダッシュしてその場から逃げ出したわ。次の日ニュースでその公園で殺人事件があったって報道してて、あんときは縮みあがったわ」
「警察に知らせようとも思ったけど唯一の目撃者やし、犯人も捕まってなかったから、万が一報復されたらって思うとよーできんかった。それからはもうリストを聞けんこうなったわ。特に『ため息』を聞こうもんならあの繊細なメロディに合わせて血の匂いがフッと脳裏に浮かんでな…」
「……見たのか?」
話を続けようとするRを遮って僕は質問し、Rは小首をかしげながら「何を?」と聞いた。
「犯人の顔だよ」
僕は淡々とそう言った。
「顔なんてそれどころじゃなかったわ」
Rはおどけて竦みあがる様な動作をしながらそう言った。
その言葉を聞いた僕はホッとしたせいか急に腹がすいてきて「ま、どうでもいいや。早く帰ってタコパしようぜ」と言った。
Rは「君はそっけないな」とため息を吐いて少し笑っていた。
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