クロニック ラヴ
あぁ、俺の天使。
優しい優しい天使は今日も俺を見守っている。
*
―カタン
深夜、ボロすぎて俺以外入居者がいない、通称「幽霊アパート」にてくだらないお笑い番組を見ているとドアポストから音がした。狭いワンルーム、テレビを前にして、背中から約1メートルほどですぐ玄関が目に入る。まぁ物音は気のせいだろうと思いつつも振り返るとそこには、「二つの眼球」があった。ドアポストを手で押し上げ、二つの眼球が暗闇の中にぽっかりと浮かんでいた。そして1分ほど目が合った後、スッと白い紙を差し入れられ、静かにドアポストが閉じられた。
心臓がどきどきしている。何故ならその瞳がとても綺麗だったから。
はやる気持ちを抑えながら、白い紙を拾い上げる。手紙にはこう書いてあった。
「お前をいつも見ている」
少しぶっきらぼうな文面ながらも、俺は胸が高鳴るのを抑えられなかった。
*
「いや、それやばいでしょ、警察に行った方がイイっすよ」
会社の昼休み、営業の出先で後輩と一緒に昼飯を食べながら昨夜の事を伝えると、ドン引きされながらそう言われた。
「そうかなぁ、俺はやっと理想の相手と出会えたと思うんだが」
俺はスパゲティをフォークでクルクルと巻きながらそう答える。
「うわ~、きもいなぁ」
後輩がハンガーグを食べる手を止めてドン引きしながら言う。
「でも、最近ニュースでもしきりに報道されてるけど、物騒な事件が多いじゃないですか。本当に気を付けてくださいね」
「あぁ、例のバラバラ殺人だろ。怖いよな」
「…どうやらその事件って死体の一部分がえぐられているらしいですよ」と後輩は眉をひそめながら身を乗り出しヒソヒソ声でそう言った。
そんな情報はニュースでもやっていなかったので、俺は驚きながら「なんでお前、そんなこと知ってるんだ?それに死体の一部分?」と聞いた。
後輩はバツが悪そうに「身内に警察関係者がいるんです、オフレコっすよ」などと言っていた。
*
―カタン
来たか。その日の深夜も音がしたので、俺は風呂場にいたのだが急いで部屋に飛び出した。そしてドアポストに目をやると、その日も二つの眼球が俺を見据えていた。
そしてお互いが無言のまま5分ほど見つめあった後、白い紙が差し込まれ、ドアポストは閉じられた。
紙にはこう書かれていた。
「臭いに気を付けろ」
俺は臭いのだろうか、愛しの天使に嫌われるわけにもいかないので、明日は香水を買いに行くこととしよう。
*
次の日の退勤後、職場近くのターミナル駅に併設されている百貨店の有名香水店に来た。
「いらっしゃいませ…あれ、もしかしてM君!?」
接客の為近づいてきた店員が俺の顔を見て、驚きの声をあげる。そこには大学時代のサークルのマドンナの先輩がいた。
「あ、はい。お久しぶりですね。まさかこんなところで…」
Oさんは美人なので、少し緊張する。結局、その日はOさんおススメの香水をお買い上げした。そういえば彼女の目も澄んだ小川のように綺麗で、俺の脳裏にもしかして天使はOさんなのでは、という考えが浮かんだ。そうだったらなんか照れるな。家までの道も心なしかウキウキだった。
*
その日の夜、早速買った香水を部屋に振りまいて、天使の訪問を待つ。どうしよう、今日は思い切って話しかけてみようかな。
玄関前にて座して待つこと1時間、かすかに廊下から人の足音が聞こえ、俺の部屋の前でピタリと止まった。そしてドア越しにしゃがみ込む気配がしてからそっとドアポストが押し上げられた。
「こんばんは」
俺は唾を飲み込み、思わず話しかける。
「あなたは一体誰ですか」
「…ただのあなたのファンです」
声は予想に反して聞いたことのない男の声だった。
「俺のファン!?嬉しいな、俺たちどこか会ったかな」
「会ったことはないけど、僕はあなたにずっと興味があって、ずっと見てたよあなたの事。ファンだからこそあなたにはずっと活動していて欲しくてね。ついつい口を出しちゃったよ」
ドアポストの中の目が歪に眇められる。
「活動?」俺は表情筋に力を入れることを辞めて無表情で言った。
「そうだよ、冷蔵庫の中身も知ってるよ。なんで眼球に異常に執着を持っているかも、この部屋がすごく生臭いのかも。だからドアポスト越しにアプローチしてみたんだ。僕、結構賢いでしょ?」
ドア一枚隔てた向こうで男がそう言う。
なんだ、天使じゃなくてただの俺のイタイファンか、でも彼の言う通りこんな素人に身元を突き止めれるなんて反省しなくちゃいけないな。俺はまた、顔に張り付けた様な営業スマイルをしながらファンに言った。
「それは恥ずかしいな、俺もまだまだだ。君はなかなかに仕事が出来るね。俺の殺人コンサルタントでもしてもらおうかな。ほら、君のアドバイスに沿って今日は香水を買ったよ」
俺は彼の眼前に今日買ったばかりの香水を取り出して、そのままその眼球目掛けて香水をぶっかけた。
「うぎゃあ」
ドアの前から悲鳴が聞こえたので急いで、ドアを開けてそいつを中に引きずり込む。
そいつの顔は本当に見たことのない、冴えない風体の男だった。ちょっとがっかりしながらも「まぁ、目は綺麗だしな」と思いながら、台所の包丁を手にとった。
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