金閣寺

 彼女にとって家は、地獄だった。


 酒浸りで働かないアル中の親父と、金と自分の美容にしか興味の持てない母親。


 血のつながっているのか定かではない妹。


 あの狭くて臭い家がなによりも嫌いだと常日頃言っていた。


 彼女とはこの狭い島で小さいころから一緒に育った幼馴染だった。


 彼女は育ったバックボーンとは裏腹に、いつも教室の窓際の席で文庫本を広げている、文面をなぞるその視線が非常に繊細で柔らかい雰囲気を醸し出していた。


「三島由紀夫?」


 ある日の教室で思わず話しかけた。


 彼女は優しい眦を少し下げて


「うん、大好きなんだ」と言った。


「この本の舞台の京都とかいつか行ってみたいな、こんな狭い島から早くでて色んな世界を見てみたい・・・」


 とても小さい声で視線を本に落として彼女がボソッと言ったので、


「高校を卒業したら、二人で京都旅行に行こうよ!」と俺は思わず前のめりで彼女を誘った。


 高校を卒業したら、島の小さいスーパーへ就職が決まっていた彼女は少しはにかみながら頷いた。



 もう1月も終わりかけのとても寒い日の深夜、携帯に彼女から着信があった。


「はい」


寝ぼけた声で電話を取る。


「ごめんね・・・旅行に行けそうにない・・・」


 彼女は震える声でそういうと電話を切った。


 何度も携帯をかけなおすがつながらない為急いで家から出て、チャリンコを漕いで彼女の家に向かった。


 山の向こうの集落に近づくにつれ、夜なのに目にささるオレンジがあたりをつつみだした。


 息をきらしながら、ペダルを踏み、彼女の家の前に着いた。


 野次馬をかき分け、燃え盛る彼女の家の前で、崩れ落ちた。


 それは皮肉なことに彼女の大好きな金閣寺を彷彿をさせた。



「清水の舞台から飛び降りるって諺があるよね。大きな決断をするときに用いられる諺、私はね、清水の舞台から飛び降りる気概である決断をいつかしようと思ってるの」


 君が教室の窓際に寄りかかりながら、春風に舞う桜をバックにそう言っていたことをふと思い出した。


 あの決断はなんだったんだろう、俺は相談するに足らない頼りない男だったのか。


 俺は今まさに京都の東山にある、かの有名な清水寺を訪れている、一人で。今年高校を卒業して京都の大学に入学した俺は田舎の離島から離れて、この関西の地に一人身を置くこととなった。


 清水寺のせり出た舞台から身を乗り出して、右手側に広がる京都市街をぼんやり眺めていると、地元で大好きだった幼馴染のことが思い出される。このまま下に落下したら会えるかな、なんてことを考えていたらじんわりと眼球に涙が張り付いてくる感覚がして、思わず瞼をこする。


「慌てないで、ほら1、2、3のきっかけで飛ぼう」


 去年の夏、彼女と近所の川の飛び込みスポットで遊んだことを思い出した。彼女は笑っていた。


 このままここにいたら、本当に飛び降りてしまいそうだったから、足早に寺を後にして、観光客を押しのけながら産寧坂を駆け降りた。


 ぼんやりとしながら電車に乗り、気づくと下宿の最寄り駅だった。地元には電車がなかったな、と思いながらホームに降り、改札を出る。家までの道のりは線路沿いに大量の桜の木が植えてあって少し壮観だった。


 春の陽光を受けて、たくさんの桜の花びらが淡く光る桜吹雪のむこう側に、人影が見えた気がして目を細めてみるが、そこに君はいなかった。


 ここは瀬戸内の島とはあまりにも環境が違うのに、ふとした一つ一つの場面で彼女の姿を探してしまう。


 春風は桜と共に彼女への恋心は遠くに飛ばしてくれないみたいだった。




 金閣寺には、まだ行けない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る