前世と来世

 弟の夢は小説家だった。

 弟はとても優しかった、この歪んだ世界で、彼は俺の唯一の光だった。

 父が物心ついた時から家におらず、アル中のろくでなしの母親と三人暮らしだった。

 酔った母親が奇声をあげながら物を壊すとき、俺と弟はサッと押し入れの中に避難して身を寄せ合っていた。

 押し入れの中で、弟と身を寄せ合い図書館で借りてきた本を懐中電灯で照らしながら、二人で読んだ。この現実逃避がとても楽しく弟はしきりに「僕もこんな小説を書きたいなぁ」と漏らしていた。

 それから数ヵ月後のとても蒸し暑い夏の日、俺は学校で教師に日直の仕事があって、家に帰るのが遅くなった。

 真っ暗な夜道を早歩きで家へ向かった。路地の角を曲がると家が見えてくるが、その日は珍しく家の前にはアル中が立っていた。しかしいつもの赤ら顔ではなく、妙に真っ青な顔と震える手でタバコを吸っていたのが印象的だった。

 妙な胸騒ぎを覚えて、急いで横を通り過ぎて、中に入る。やけに静かだった。

 玄関で靴を脱ぎ捨て、足早に廊下を抜け、子供部屋にまっすぐ向かった。

 すると弟はベッドの上で頭から血を流して倒れており、横には血の付いたウィスキーのボトルが落ちていた。

「ねぇ起きてよ」

 体を揺するが、彼はピクリとも動かなかった。

 俺は台所から包丁と、押入れからお気に入りの小説をとりだして、彼の横で読んだ。

 目から涙があふれてくる。文字がにじんで見えなくなった。

「最後の君との小説トレーニングだね」

 俺は震える声でそういった。

「こんな人生だったけれど、来世でも君の兄になりたいな」

 俺はそう言いながら、両手で包丁を高く掲げて勢いよく振り下ろした。

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