②上手さの評価は難しい
■本邦の文学界にはかつて、
・作為や技巧に富んだ小説(谷崎潤一郎)
・話らしい筋のない小説(芥川龍之介)
こう書くと白か黒か、ゼロかイチか、二者択一のように感じますけれど。しかし作為や技巧とは前章で挙げたような、キャッチコピー的な上手さやレトリックの上手さ、物語の展開や構成の上手さも複合的に含んでいて、ややこしいですね。
ラノベは文章下手とか安易に言っちゃう人も、だいたいこれらをゴッチャにしてて未整理、自身が理解できる範囲での巧拙の判断をしてるに過ぎないです。さらにレベルが低いと「誤字があるからコイツは下手」みたいな、Amazonのレビューレベルのことを言い出す人間も、いらしゃいますね。誤字脱字のチェックは、出版社なら校閲という専門部署があり、それだけでも食っていけるプロの領域でございます。そして作家は、校閲マンではございません。
■そもそも、筋がない小説を是とした芥川龍之介の小説も、技巧はありすぎるぐらいあります。芥川が小説に求めた「魂の奥底から自然と湧き上がってくるようなもの」とは思うに、技術的には稚拙なルソーの絵にピカソが見出した、童心のようなものでございましょうかね。
しかしながら、そういう人々の共感を励起するような文章とは、商業主義のキャッチコピー的な上手さとも、かなりの部分で通底するわけでございまして。糸井重里さんの代表的コピー「おいしい生活」は、自由律俳句とは違うのか……という疑問ですね。さらに問うならば「じゃあ、上手いキャッチコピーや自由律俳句を並べれば、一篇の小説になるか?」と。なりませんよね。100%出来ないとは言いませんが。イラストレーターの描く漫画が何か動きが固く、絵とセリフがすんなり頭に入ってこないことがあるように。前記以外の技巧も含め、小説はもっと総合的な上手さの、集合体でございますよね。
それは、ある部分の下手さが他の部分の上手さを引き立てさえする点も、含みます。そもそも古典の『源氏物語』にしろ『枕草子』にしろ、和歌を随所に配し、読む人の視覚イメージや共感を励起する詩文を、散文の中に織り込んでおりますよね。でも独立した詩文としての和歌そのものは、『和泉式部日記』のほうが優れているという一般的評価もあります。なにしろ和泉式部、中古三十六歌仙の一人だけございますから。しかし、だから『和泉式部日記』が『源氏物語』よりも上手いとは、軽々に断じられませんよね? 当然でございます、評価軸が違うのですから。
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