2−2
それは空がどこまでも高く感じられた晩秋のことだった。現在のユタと同じくらいの年齢であったジョー少年は朝から祖父のアイテム屋へと足を運ぶ。慣れたもので、裏の入り口脇に置かれた郵便受けから合鍵を探り当てるとジョーは我が物顔で店内へと侵入した。彼にとって、アイテム屋『ローグレイク』は祖父の自宅よりも親しみが深い第二の実家だった。
そんな不遜な孫を、祖父であるマルタはいつも歓迎してくれた。
パリッと糊のきいた白衣を来て、齢八〇を超えてもしゃんとした背筋。輝くスキンヘッドとは対照的に、顎に生えた白髭は胸にまで達していた。
「今日は何をするんだ?頼むから昨日みたいに爆発はしてくれるなよ」
「しねーよそんなヘマ!」
素材の並んだテーブルを縫うように駆け抜け、カウンター横の扉を開ける。調合室というプレートの吊るされたその部屋には、店頭には並べられない夥しい量の素材と調合器具が所狭しと置かれていた。怪しい泡を噴く薬品の数々を、ジョーはうっとりした顔で眺める。様々なアイテムたちが混ぜ合わさり、全く効能の違うアイテムへと生まれ変わる調合。錬金術のように魔力を込めて物質そのものを変えてしまうのではなく、素材本来の力を引き出し、応用していく調合をジョーは愛していた。
「俺もいつか、じーちゃんみたいに新薬を開発して世界に名を轟かせるんだ……」
昨日はたまたま、そう、本当にたまたま混ぜたら危険な『火薬草』と『火炎茸』を混ぜてしまい、調合室の扉を吹き飛ばしてしまったが……。
振り返るとまだ黒く焦げた跡が痛々しく残る扉がジョーを責めるようにギイギイと音を立てて揺れている。もちろんその時の爆音は隣接する販売スペースにも鳴り響いたわけなのだが、マルタは一切怒ることはしなかった。孫ばか、という言葉がジョーの頭をよぎったが、そんな寛大な祖父がいるからこそ自分の欲を満たせる訳なので、ジョー少年は遠慮せずに今日も調合室で素材たちを物色し始めた。ピカピカに磨き上げられた鉱石、新鮮な山菜や多彩な茸……。
見慣れたアイテムを見回す中、ふと、薬棚の上に見慣れない木箱が置かれていることに、ジョーは気づいた。毎日通い詰め、この部屋に存在する全ての素材や調合器具を把握しているジョーにとって、それはひどく異端なものに見えた。古びた脚立を手に取り、早速木の箱に手を伸ばす。幼いジョーに危機感というものがないうえ、どうせ触れてはならないものに触れたところで、優しい祖父は怒らないだろうと舐めた思考もあったのかもしれない。不用心に鍵もなにもかかっていないその箱は、たやすく蓋が開けられてしまった。
「何だ、これ」
マルタの次くらいにはアイテムに詳しいと自負していたジョーだったが、目の前に鎮座するそのアイテムの名前はおろか、一体それが鉱石なのか魔物の部位なのかすらわからなかった。ジョーの掌に少し余るほどの「それ」は魔物の牙か、ただの鉱物なのか……。ずっしりと重く、手の角度を変えるたびに光の反射で色を変えて見せる。それどころか、薄ら発光しているようにも感じられた。
(鉱物?でもこんな鉱物、図鑑でも見たことないし、ここらへんに生息する魔物の素材では見たこともない)
無造作に置かれていたものとはいえ調合室に保管されていたことを思うと、一般人に売るような代物でもないことは容易にわかる。もしかしたらこれは、世界に二つとない貴重なアイテムなのではないだろうか。
「じー……、じーちゃん、じーちゃあん!!」
湧き上がる興奮を抑えきれないジョーは崩れ落ちるように脚立を降りると販売ブースにいるマルタの元へ一目散にかけていく。
「これ使って……」
調合をしてもいいか、と聞こうとしたジョーの声は口から煙のように消えていった。いつも店にやってくる和気藹々とした客たちとは雰囲気の違う一行が、マルタを取り囲むようにして立っていたのだから。黄金に輝く鎧を身に纏った騎士たちの背後には、モリアーノが物言いたげに佇んでいた。
「ジョー、悪いが今日は大人しくしててくれ。大人の話なんだ」
いつもの優しい口調でジョーを宥めてくれるマルタ、しかしその表情はジョーが手に持っているものを見た瞬間、緊張一色に染められてしまった。
「今すぐそれを離せ!ジョー!!」
けたたましい怒号を発するマルタは、普段見せない鬼のような形相をしていた。怒号を受けて周りにいた騎士たちは腰に差していた剣を抜く。その光景に幼いジョーは恐れ慄き
反射的に手の中のアイテムを落としてしまった。
「伏せろ!!!ジョー!!!!」
あの時のマルタの顔を、ジョーは一生忘れることは出来ないだろう。大の大人が今にも声をあげて泣き出しそうなあの絶望に満ちた顔を。
ガシャリ、と嫌な音を立てて石が床に落ちた瞬間、店全体を包むように眩い光がほとばしる。何も見えない、真っ白な世界に包まれるなか、あぁ、天国があるならこういう場所なのかもしれない、とジョーは朧げに思った。
意識が戻ったとき、ジョーが一番に目にしたのは心配げに自分を見下ろす両親の顔だった。丸一日寝ていたのだと涙を流す母のことは、正直頭に入らない。
あの石は?
マルタはどうなった。
店は無事か?
まだ動いてはならないという父の制止を振り切り、ジョーは自室を飛び出してアイテム屋を目指した。店内に足を踏み入れると、既に騎士たちとモリアーノは帰ったのか、姿がない。マルタの姿も……。
恐る恐る調合室に入ると木の箱が置いてあった薬棚の前に、背中を丸めたマルタが佇んでいた。手にはあの石が握られているが、先ほど見た眩い光はおろか、石自らが発していた淡い光すらもなく、黒く変色したただの石ころのようになってしまっている。
「じーちゃん、その石……」
「竜の遺物じゃ」
竜の遺物、ゆっくりとそう言って、マルタは手の中のアイテムを慰めるようにさすっている。
「……竜が落としたアイテムを、全てそう呼ぶんじゃよ。これは『竜の爪』といってな。本物かどうかはわからないが、とても貴重なアイテムには変わりない。ひょんなことから手に入れたんじゃが、本来なら竜に関わるものは王都に渡さねばならなくてな。モリアーノがこの店を怪しんで通報したらしい」
「本当は内緒で調合しちまおうかと思ったんじゃがな」と悪戯に笑って見せるマルタだったが、緑の綺麗な瞳が寂しげに揺れていた。そういえばあの騎士たちの胸にはみな王に従属していることを示す勲章があった。しかし、今となってはそんな情報どうでもいい。
「引き渡すって、まだ持ってんじゃん」
嫌な予感がするのに、そう聞かずにはいられなかった。
「……この石は、ただの石ころになってしまった。何故かはわからん。」
氷のような冷や汗がジョーの頬を伝う。大きく目を見開き、動かなくなってしまった孫を見て、マルタはにっかりと笑ってみせた。
「心配するな、話はもうついとる」
静かに立ち上がったマルタは、石ころとなった竜の爪をゴミ箱へと放り投げた。ゴトン重々しく収まった「元」竜の爪はジョーの心にもずっしりと重い影を落とす。
「ま、まさか処刑とか」
「ほっほっほ、まさか。あの安穏な王がそんな野蛮なことするわけなかろう。それ相応の賠償金を払うだけで許された」
調合士時代に恩を売っといてよかったわいと笑うマルタ。
「い、いくらすんだよあんな貴重なアイテム」
「お前は知らんでいいんだ」
そういって静かに笑ったマルタだったが、彼の死後、モリアーノの登場により、全てが明るみになった。
マルタがモリアーノに多額の借金をしたこと。
それは店の売上、および上級調合士のマルタの賃金をあてがっても到底払い切れるものではなかったこと。
そして、残された負債はマルタから店を継いだジョーが背負うことになったこと。
しかし、最後の事実については、ジョーに不満はない。元々は自分の失態により作り出されたものであり、自分が負うべきものだ。
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