第2話 イナバウアーが決まったぜ

『駄目!! ここで倒れたら自慢のワンピースが泥だけになるのよ』

 『お見合いの時間まで、あと二十分。絶対に倒れる訳には行かないわ』

 バランスを崩した瞬間に、園子は自分の身体と脳に訴えた。

 もし倒れたら全てが終わる。途中で着替えたとしても約束した、お見合いの時間に間に合わない。特に大事な時間に遅れるような女は、時間にルーズだと嫌われるに決まっている。


 だが無情にも園子の体は体勢が崩れて、斜め後ろに傾いて行く。

 足を滑らした右足が前方に引き出され、少しずつ靴底が上を向いて行く。

 『止めて!! なんとしても転ぶことは許されないのよ』

 ほんの一瞬のことだが、そんな事が脳裏を駆け巡る。

 あと、頼りになるのは左足だけだ。その左足に力が加わる。

 必死に体勢を立て直そうと、四十五度に折り曲がった膝が最後の砦となった。


 『頑張るのよ! ここで転んだら私のお見合いは駄目になるわ。そしてあっと言う間に、三十五歳いやいや四十路になるわ』

 左足全体に力が加わる。鍛えられた筋肉が太腿に伝わる。

 ご主人様の一大事(筋肉の囁き)とあって、ありったけのパワーを左足に集中して行く。園子の体は覚えていたのだ。こういう時のバランスのとり方を。

 散々と練習を重ね来た、あの辛い日々が蘇る。一時はオリンピックを夢見てフィギュアスケートの猛特訓した体が覚えていた。今こそ、その成果を証明するのだ。オリンピックの夢は叶わなくても、お嫁の夢は叶えさせて!!

 それと同時に園子の両手がサ~と左右に開いた。


 それはもう、まるでイナバウアーだ。氷上のメダリストのようだった。

 崩れかけた体勢は、序々に持ち直して行き寸前のところで危機を脱したのだ。

 それは僅か五秒間の出来事だった。

 小学生達からは思わず「凄い!」と歓声が上がった。

 同時に近くを歩いている人達も、イナバウアーが決まった瞬間、拍手をくれた。

『やったぁ成功よ。どう君たち、まだ先輩は健在よ』

 照れるように園子は、その観衆? に手を振って応えた。

 フェギュアスケートの選手としてオリンピックの夢は叶わなかったが、お見合いだけは夢を叶えられそうな気がした。

 園子は思った。『今日の演技は金メダルね』


 つづく


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