1501~2000

※一様に、融通無碍に型を編みだせたなら、と夢を視る。



1501:【2024/07/06(02:28)*うげもの】

 ダンスの振り付けは、厳選した型を曲に合わせて繋げていく作業だ。

 もし、振り付けと同じくらいの洗練された型を、何度でも縦横無尽に生みだせたなら。

 即興でありながら、振り付けのような踊りを舞えるなら。

 何度でも、何度でも、際限なく再現しようもない一過性の型を生みだせたならば。

 融通無碍の名にふさわしい「際限なき再現」と言えるだろう。

 けれど型なので、再現しようもないものの工夫しだいでは再現することは可能だ。

 動画を再生するように。

 けれど相応の反復が入り用なように。

 何度でも、何度でも、いついかなるときでも、厳選された型のように――洗練された型のごとく――その場その場で生みだされる波しぶきのように。

 そういうものを、利と思う。

 万の利を追求する、万の利求である。

 へい!



1502:【2024/07/06(02:35)*悩みの小さいとこを月にすると脳になる】

 ふしぎなんだよね。

 頭の中だとプロダンサーも顔負けのダンスを踊れるのに、実際に踊るとへっぽこぴーなの、なんでー???となる。

 頭の中だと世界一の格闘家も顔負けの格闘技を披露できるのに、実際に実演するとぽんぽこぴーなの、なんでー???となる。

 頭の中だと世界一面白い物語を空想できるのに、実際に文字にして出力すると、それどっかで見たことあるやつー!!!になるの、なんでー???となる。

 なんでなんじゃろ。

 頭の中だと天才なんじゃけどな。

 肉体がわるいと思う。

 ついていかれないのだ。

 スーパーボディを駆使したらもっとわがはいも色々なことを自在にこなせるのにな。

(スーパーコンピューター使いこなせたら難しい数式も一発で解が出せます、みたいなノリで能天気なこと言ってんな)

(ぴってやって、ぽってやって、きゅん!にならないかな)

(ならんし、何言ってるか一個も分からん)

(しゃべるの面倒くさい……)

(テレパシーできないこっちがわるいみたいな目はやめて)

(じとー)

(こっちがわるいの!? 本当に???)

(はぁ。魔法使いたい)

(ラクしたいだけのことで魔法を引き合いにださないで! 世界中の魔女さんたちに謝って!)

(魔女なんて信じてるの? 可愛いとこあるじゃん)

(ムキー!ってしていい? するね! ムキー!!!)

(ははっ。ウケる)

(ムッキー!!!)



1503:【2024/07/06(05:00)*糸に会うと書いて絵】

 でも、なぜか絵は、頭の中でも上手に描けない。

 絵の才能ないのかも……。

(絵の才能も、だろ)

(ほかの才能はあるよ)

(ほう。なんだ言ってみろ)

(ステキな表現をステキだなぁって感じる才能……)

(反論しにくいだろうがよ。まとまな回答をするんじゃないよ)

(えへへ)



1504:【2024/07/06(05:03)*十豆かろやかに】

 十個の豆をかろやかに戴く、と掛けて、

 始まりと終わりが良ければすべてよし、と説く。

 そのこころは?

「はし」が良い。



1505:【2024/07/06(05:57)*ブーing】

 分かりづらいって声が聞こえた気がするので、説明いたしますと。

「豆を掴む『箸』が良い」と「始まりと終わりの両の『端』が良い」を掛けた高等な謎掛けでありまして、その、えっと、面白いでしょ?

(ぶーぶー!だぞ)

(そのこころは?)

(ぶーが二つで、ぶツぞ)

(物議を醸しそうなオチであった)

(ぶーぶー!)



1506:【2024/07/06(14:27)*セキュリティ問題は新技術にとっても隘路】

 脳インプラントの実用化にはいまのところ大まかに二つのネックがありそうだ。

 一つは、能力向上に比して上がる「脳インプラントの発する熱問題」だ。

 もう一つは、現在電子網上で問題となっている「セキュリティ問題」だ。

 前者から簡単に言及してみよう。

 大前提として私は脳インプラント技術に関してまったくの門外漢である。専門書一つ読んだことがなく、どのような企業が開発研究しているのかもろくに知らない。

 だがざっと想像を巡らせてみるだけでも、上記二つが無視できないネックだろうことは思い浮かぶ。

 なぜか。

 まずは何といっても、端末と脳細胞の関係だ。

 スマホがそうであるように、電子機器は熱を発する。

 現状、電源たる電池や熱変換電力発生機構そのものが、細胞を傷つけ得る熱量を発する。脳細胞を破壊しないかどうかは当然に考慮されるべき事項だ。

 そして今後は、脳インプラントの性能向上が目指されることとなる。

 現在の人工知能技術が電力消費量を倍増させているように、脳インプラントの性能が上がれば、脳インプラントの発する熱量――必要とされる電力――もまた上がる道理だ。

 単に脳波の感知機として活用するにしても、脳内に直接に機器を埋め込み、なおかつ高性能な情報処理を可能とするには、まだまだ乗り越えなければならない技術的課題は残される。というよりも、一定以上の高水準を達成するためには、新たな電力供給機構の発明とその機構の小型化、さらには熱を抑えて機能する高性能ミニ回路など、いまはまだ存在しない技術的革新を経なければならないのではないか、と想像している。

 ただし、高性能でなければいまある技術でも実用化可能だ。

 熱の問題も、脳に直接埋め込むタイプではなくすれば解決する。

 では後者の「セキュリティ問題」について触れよう。

 これは文字通りである。

 現在、各企業が受けているサイバー攻撃のように、脳内情報や生体情報といった究極の個人情報を、どのように保護するか。安全に「脳インプラント技術」を管理運営するか。

 すくなくとも、この問題が解決されるには、現在生じている電子網上のセキュリティ問題が解決されていなければならない、といった条件が浮上する。

 ハッキングの被害において、脳インプラントは人命に直結し得る。サイバー攻撃されました、では済まされない。

 したがって、現在生じている電子網上のセキュリティの穴の払しょくが適わない以上、脳インプラント技術が市場に普及するには、二つの条件のうちどちらか、または両方を満たさなければならない。

 一つは上述したように、電子網上の穴を塞ぐことだ。インターネットを安全に活用可能な技術の向上が欠かせない。

 もう一つは、いまはない新たなセキュリティ機構を開発運営し、それを脳インプラント技術の管理運営にのみ活用することだ。

 後者は、脳インプラント技術だけに特別にコストの掛かるセキュリティを設ける案と言い換えても構わない。一般の電子網とは切り離された、第二の電子網を築いてしまうのは一つである。

 ひょっとしたら、そちらを今後は「主流の情報流通の場」として構築していくように設計してしまうのは、五十年後の未来を考えると、蔑ろにできない案かもしれない。

 以上、脳インプラント技術に関する所感であった。

 浅慮な妄想の類である。

 真に受けぬようにご注意ください。



1507:【2024/07/06(14:54)*宇宙に直線はあるか問題】

 重力波を探知する仕組みは、重力波の波長の差異を利用するらしい。

 重力波は、それを発生させる物体の運動方向と同じ方向(並行)よりも、垂直方向――すなわち真横――により強く生じるらしい。

 しかも、縦と横は相関しており、どちらかが長くなるとどちらかが短くなるようだ。

 この相関原理を用いて重力波測定器――何キロにも亘る巨大な設備――は、レーザーを縦と横に何度も往復させて、そこに重力波が通った際の僅かなズレを検知する。

 描像としては、細かなジグザグで出来た長方形において、縦と横の長さのどちらかが僅かにズレると連動してもう片方もズレるので、余計にズレが大きくなって顕現するため、本来は感知不能なほど極小の重力波のズレをも感知可能となる。

 こんな感じの説明だった気がするけれど、ちゃんと理解できているか不安だ。間違った解釈かもしれない。そんな気がする。

 誤読しているにせよ、そうでないにせよ。

 でも、解説文を読んでいて、そうだよねぇ、となった。

 宇宙における事象の基本は、極小または極大のジグザグ――電磁波や重力波――なのではないか。

 直線ではないのではないか。

 宇宙に線を引こうとしてもそれは、電磁波や重力波のようなジグザグ――うねうね――それとも濃淡――として表出するのではないか。

 そしたらどんな図形とて本質的には直線ではなく、極小または極大のジグザグ――うねうね――濃淡――によって描かれることになる。このとき、その図形は絶えず宇宙の重力波に晒されているので、図形を構成する辺の長さは、僅かにだがズレを帯びつづけることとなる。

 おー。

 どっかで見たことある気のする描像だ。

 図形は本来、極小または極大のジグザグから出来ていると想定し、なおかつそれら極小または極大のジグザグもまた、それよりもさらに細かなジグザグで形成されている。相対的にフラクタルに、ジグザグがジグザグを生んでいる。直線のようで直線ではない。したがって面積も僅かに増減する。

 ただし、面積が固定ならば、一辺の変移は、ほかの辺への変移として、変数を共有する。

 んー。

 おもろー、であった。

 おぼろげで拙い読解の末の妄想である。定かではない。



1508:【2024/07/06(15:22)*いっさい知覚しないことの特異性】

 ユーザーが電子網上で何を目にしているのか、のみならず、何を目にしていないのか、の情報もまた有益なビッグデータの一つとなる。

 何を目にしていないのか。

 電子網上のデータにおいて、ユーザー個々が目にする情報は、目にしない情報に比べ圧倒的に少ない。

 目にしない情報のほうが多いのだ。

 したがって、何を観ているのか、さえ判れば、それ以外を観ていないと判るので、情報取得の優位性は、「何を観ているのか」のほうが高くなるのは道理である。

 ただし、ユーザー個々が目にする情報は流動的だ。

 一定期間において「いっさい目にしない情報が何であるか」は一つ、有益なユーザー情報だ。

 稀に目にすることもあるのか、それともいっさい目にしないのか。

 この違いは大きい。

 いっさい知らないのか、それともたまには知れるのか。

 知ったことがないのか、以前に一度は知れているのか。

 この違いに繋がるからだ。

 大きいのだ。

 この違いは。

 いっさい目にしない情報がある、ということの重大性を、市民はもうすこし意識してもよいのではないだろうか。

 妄想である。

 定かではない。



1509:【2024/07/06(15:47)*体面を気にするのに孤立する者たち】

 組織は体面を気にするな、という言い方もどうかと思うので、言い方を変えてみよう。

 体面の気にし方を変えてみてはどうか。

 市民からの反感を強めたいのか、協力関係を築きたいのか。

 怖がられてどうする、という話なのだよね。

 怖がられたら基本的には信頼関係は結べないし、距離を置かれる。

 それを見越して行っている判断ならばよい。

 市民と癒着しすぎないように敢えて怖がられておく、との判断は一つの工夫だ。そうした意図の元での判断ならば大いに怖がられて、嫌われて、距離を置かれて、孤立すればよい。

 意図通りならばよいのではないでしょうか。

 孤立も孤独も、じぶんで選んだ環境ならば、一つの平穏だ。

 そうわるいものではないはずだ。

 わがはい?

 わがはいは誰に怖がられることなく、舐められることもなく、存在すら感知されないので、そうした体面を気にする必要がない。

 気楽な日々である。

 ひっびー。



1510:【2024/07/06(18:40)*大丈夫そ?】

 最も破壊しやすい組織環境って何だろう、と考えたときに思いつくのは、「家庭環境」なのだよね。

 ・仕事が多忙になった。

 ・接待が増えた。

 ・出張が増えた。

 ・会議が増えた。

 ・転勤になった。

 こうした変化だけでも家庭内不和は増加する。

 子供に何か異変が起きれば、それもまた親にとっての負担となる。事故や事件に巻き込まれるだけではない。

 子供の学校や塾での人間関係を操作すれば、精神が不安定になり、または問題を起こしやすくなる。すると、親はますます家には帰りたくなくなるだろう。家での過ごす時間を減らしたくなるだろう。

 すると、不倫に走りやすくなるし、賭博やアルコールにも依存しやすくなる。

 親のそうした変化は子にも影響する。

 子の変化は親にも――とこうして悪循環はあっという間に家庭環境を破壊する。

 家庭環境が崩壊すれば、仕事にも支障をきたす。

 問題行動を起こす確率が高くなる。

 企業にも悪影響が及び、経済にも悪影響が及ぶ。

 文化そのものの破壊にも繋がり、国を一つ滅ぼせる。

 まずは家庭を破壊しよう。

 個人情報を悪用する場合の典型だろう。

 思い付きでしかないが。

 定かではない。




※一様に、とくに言うことはございません、の気持ち。



1511:【2024/07/06(22:32)*まだ間に合うとよいね、の巻】

 あなたがどれほど子供を玉のように可愛がっても、子供のほうで電子網にアクセスした際に、不正に制脳されない保証はない。

 子供の嗜好性をビッグデータで解析し、依存症にすべく極度に嗜好に合致する性的な動画や画像を過剰に受動しやすく情報を操作し、またはゲームに依存させ、ときには評価経済における「PV至上主義」なる価値観に傾倒させる。

 義務教育によって子供が教育とは名ばかりの洗脳を受けるように、現代社会では電子網上からどんな情報を受動するかによってもまた、学習とは名ばかりの制脳を受け得る。

 不正アクセスによって局所的にピンポイントであなたの子供や家族や友人が情報統制を受け、制脳下に置かれていたとしても、あなたにはそれを見抜く真似はできない。

 すでに起きているのではないか、というのがわたくしの懸念である。

 もう二年も前から指摘している。

 警察の方ー!

 国防の方ー!

 政治家の方ー!

 無視してくれてどうもありがじゅう。

 そのツケはあなた方自身が受けるでしょう。

 しーらんぴ。



1512:【2024/07/06(22:39)*なむ、にっにっ、さんきゅー】

 勢力陣営問わず、市民を害するとあなた方の周囲の市民まで害を受けるようになります。

 報復合戦は必ずしも「同じ手法」で行われるわけではありません。

 個人情報の暴露合戦はすでに、ハッカー界隈においても生じているでしょう。

 電子網上のみならず、物理世界での「クチコミ」でも起きているはずです。

 今後、おそらくいまよりも数段激しく「ハッカーの身元暴露合戦」が引き起こるはずです。なぜならフェアではないからです。そう考える者たちが、ハッカーさんたちの雇い主同士や元雇い主同士で増加します。

 要は、報復合戦です。

 ダークウェブ抗争が勃発するか、すでにしているか。

 何にせよ、市民を巻き込むのは悪手だと指摘しておきます。

 コーヒーとミルクが混ざってコーヒー牛乳になるだけです。そうなったらそうなったで、そうなった環境下で、新たな秩序形成が試みられるでしょう。

 勢力陣営関係なくその悪影響を受けますし、どの道、やることは変わりません。

 世界を制覇したところでその後は制覇後の人類社会を平穏に保たねばなりません。

 やることは、制覇しようがしまいが関係ないのですね。

 一段階余計な「闘争」を挟むか挟まないか、の違いであり、それこそが重大とも言えますし、さして違いはない、とも解釈可能です。

 犠牲がどの規模で生じ、どれだけの期間継続し、どういった過程を辿って秩序が再形成されるか。環境が改善されるか。

 未来のみぞ知るのでしょう。

 五年前にいまの世界情勢を予測できていた者を探して、意見を聞いてみると面白そうですね。ハッカーさんたちなら探しだせるはずです。

 或いは、ハッカーさんたちのどなたかが該当人物であるか。

 妄想です。

 定かではありません。



1513:【2024/07/06(22:49)*痴にも知の文字】

 昨日観たニュースで。

 痴漢を逮捕する警察官さんたちの働きぶりを報道していたのだけれど。

 痴漢されている女性を二十分間も放置して、観察して、「よし手をだしおったぞ、逮捕ー!」みたいにしていたけれど、確かに「確実に逮捕」する分には必要な段取りだったかもしれないけれども、「すぐに助けなさいよ」と思わぬでもありませんでしたね。

 ちゅうか、痴漢を逮捕するのも大事ですが、痴漢されない環境を築きたいですよね。

 啓蒙は一つですよね。

 だって痴漢の多くは、「何が痴漢か」を分かっていないんですよ。

 手のひらで触れなければ痴漢ではない、と考えているんですよ。

 だから肘とか、膝とか、股間を押しつけてもそれは痴漢じゃないと考えるんですね。セーフだと思っているわけです。

 認識の差異です。

 まずはこの認識の差異を埋めたらよいのでは?と結構ずっと思っています。

 痴漢の具体例を市民に知ってもらうのは一つ、予防策になると考えます。

 痴漢はじぶんが痴漢だとは思っていないパターンはけして少なくないでしょう。痴がなんたるかを知らぬのです。

 差別をしている者が、じぶんは差別をしている、と認められないパターンがけして少なくないように。

 定かではありませんので、定かにしていただきたい事項の一つです。

 わがはいも気づかないだけで痴漢しちゃってるかもしれないな。

 気をつけよ。

 電車乗らんけど。



1514:【2024/07/06(23:39)*ここに「 」があるとする、の巻】

 パントマイムにも明るくはないけれど、想像でコツを述べてみよう。

 パントマイムは、存在しない物体があたかも存在するかのように振る舞うパフォーマンスだ。それを単に技術と言い換えてもよい。

 存在しない物体が存在するかのように見做す技術だ。

 パントマイムを行う者は、本当に目のまえに壁があると認知すればするほどリアルな動作にちかづく。ただし、パフォーマンスとして昇華するには、そこからさらに「分かりやすく誇張する段取り」も欠かせないだろう。

 実際、本を読むフリをする場合、本当に本を読んでいるように振る舞っても、本を読んでいるようには見えない。

 試しに、本でも端末でもよい。

 何か手に持って普段通りに眺めてみていただきたい。そしてその状態で本や端末を取り去ってみる。すると、単に座っているか立っているかしているだけの人物にしか映らないはずだ。読書をしていたり、端末を操作しているようには映りにくい。

 人間の動作は一般に思われるよりも小ぶりなのだ。消耗を激しくしないように、最も楽な軌跡で手足を動かす。作業をする。したがって、最小の動きになりがちだ。

 すると、リアルすぎる動作は、パフォーマンスとして不向きとなる。

 演技でもそうだ。

 リアルすぎる演技は、もはや下手の部類だ。一般人の私生活の素振りと区別がつかない。一般人の私生活を隠し撮りした姿と変わらない。天才的な技能なのだが、これを評価する向きは、俳優界隈では珍しいはずだ。なぜなら表現としてあまりにも分かりにくいからだ。

 喜怒哀楽を読み取りづらいし、意図が分かりにくい。

 一般人の所作はそれゆえに誤解を招くし、コミュニケーションに摩擦を引き起こしている。もし誰しもが俳優のように演技ができるのなら誤解されることは少なくなるだろう。意図通りに振る舞えるからだ。動作や表情に意図を込めることができる。

 脱線したので脈絡を正そう。

 パントマイムである。

 パントマイムを行う者は、目のまえに存在しない物体や事象を、「本当に存在しているものと見做す技能」を有している。しかし、一定以上に誇張表現を付与してもいる。

 意図して伝えたい情報があるからだ。誤解なく受動者に伝わってほしいからだ。余分な動作を省き、意図した所作を大袈裟に強調する。

 だがこれが技能である以上、限りなくリアルに寄せることも可能な道理だ。

 パントマイムの得意な者はおそらく自らの動作を俯瞰で、客観的にイメージできるはずだ。すると、パフォーマンスとして不向きだが、限りなくリアルな所作もまた再現できる、と想像できる。

 実際がどうかは知らない。

 だが、パントマイムの得意な者はおそらく、リアルな演技も得意なはずだ。

 演技をしているとすら見抜かれない、限りなくリアルな演技だ。

 この想定が的を射っているかどうかは、実際にパントマイムの卓越した者に、限りなくリアルな演技をしてもらえばいい。出力強度を操作してもらい、パフォーマンスではないパントマイムを実演してもらえば真偽は判明する。

 おそらく、数回の反復ののちに、修正可能なはずだ。

 誇張している分の所作を抑えるだけだからだ。

 脳内シミュレーションと肉体の関係の研究にも寄与するかもしれない。

 気になる方は実験してみるのも一興である。

 妄想である。

 定かではない。



1515:【2024/07/07(01:00)*波の描写はそれでよいの?】

 重力波や電磁波の図解を観ると、基本は波の描写が二次元だ。

 トランポリンに転がした鉄球の沈みを重力と見做す図もまま見かける。

 イメージしやすい分、しかし固定観念が植えつけられそうで、個人的にはあまり好みではない。

 地球と太陽の距離や、原子核と電子の距離にも思う。

 天体同士とて、本来は図解されるよりもずっと遠方で、相当な距離の隔たりを有しているはずだ。

 誤解の元と思う。

 重力波や電磁波は、印象としては入れ子状の球形のような描像のほうが実態にちかいのではないか。

 提灯の蛇腹のようなものでもあり、さらに低次や高次に入れ子状に、球が展開される。濃淡が境となって、殻のようになる。層を帯びる。

 そういう描像を連想するのだけれど、本に載っているような二次元の波としての描像はどこまで実像を反映しているのだろう。

 割と疑問なのだ。

 以前にもどこぞのへっぽこぴーが並べていたようだが、重力をトランポリンと鉄球で表現する類の比喩において――これは、そもそもがトランポリンと鉄球のあいだに重力が働いているから成り立つ描写だ。無重力空間でトランポリンに鉄球を載せても別にひずまないだろう。単に接地しているだけだ。

 重力を駆使した実験装置で重力を表現するのは、循環論法なのではないのだろうか。

「重力によって鉄球はトランポリンに沈みます。この沈み具合が重力です」

 比喩であるのは百も承知だが、いったい何を喩えているのか謎である。重力が重力です、と言っているだけではないか、と思うがいかがだろう。

 簡単に説明していただけるのはありがたいのですが、誤解を深めぬように注釈も挿していただけるとさいわいです。

 かように思っております。

 イチャモンばかりで申し訳ありません。

 疑問だらけなのです。

 物分かりがわるくて心苦しい限りでございます。



1516:【2024/07/07(01:11)*非対称の業】

 あなた方が後生大事に手塩に掛けて育てた子供も、たった一粒の「悪意」で損なわれる社会なのである。

 大事に大事に育てるのよ。

 うずたかく愛が嵩むように。

 底知れぬほどの落差を湛えて。



1517:【2024/07/07(01:17)*もっと、おくれ】

 ブラックホールは、シュバルツシルト半径を含めて言うのか、特異点のみを示して言うのか。どちらなのだろう。

 ブラックホールになる前の天体やガスの質量が、シュバルツシルト半径内のどこに属するかによって、ブラックホールとはどういった事象か、の内訳が変わる気がするのだよね。

 シュバルツシルト半径の内部を占めるように、元の天体の質量やエネルギィが分布しているのだろうか。それとも、特異点にのみ顕著に元の天体の質量やエネルギィが凝縮しており、それ以外のシュバルツシルト半径の大部分は、真空に類似したがらんどうと化しているのか。

 どちらなのだろう。

 想定としては後者をイメージしたくなる。シュバルツシルト半径の内部の大部分が真空に類似したがらんどうで、特異点のみに元の天体の質量やエネルギィが凝縮している印象だ。

 するとブラックホールなる天体は、特異点を示し、それ以外のがらんどうの領域は、あくまでブラックホールの外殻と見做すほうが妥当なのではないか。

 ひょっとするとこれは原子にも言える道理かもしれない。

 原子の質量の大部分は原子核にある。ならば、外殻さながらに原子核の周りを覆っている電子の膜は、ブラックホールにおけるシュバルツシルト半径のようなものであり、あくまで「内と外」を分ける境界にすぎないのではないか。

 言い換えるならば、ブラックホールの特異点にとって「シュバルツシルト半径における事象の地平面」は、元の基準宇宙の側に属するのか、それとも特異点の側に属する「内部構成要素の一つ」なのか。どちらなのだろう。

 特異点から観測した場合の、事象の地平面はどういった扱いになるのか。

 これは「異なる二つの事象における境界」にも思う疑問だ。むしろこちらの疑問のほうが本質である。

 何かと何かの接地面において、その境界はどちらの側に属するのか。

 さて、現代物理学ではここをどう解釈しているだろう。

 よもや未定義である、なんてことはないと思いたいが、どうだろう。

 お詳しい方ー!

 つぎは何して遊ぶ?

 うふふ。



1518:【2024/07/07(01:31)*おくれ、贈れ、遅れ】

 重力波が波である以上、何かと何かの濃淡で表現可能なはずだ。何かと何かの誤差として変換できるはずだ。

 その前段階で、重力波の伝わる場が「基準となる一様さ」を帯びていなければならない。

 最初から波打っている場で新たに波が発生するには、元から波打っている波以上に大きい波か、或いはそれ以下の小さい波でないと発生しようがない。そうでなければ、元からある波と干渉し合って、別の波に変換されてしまうだろう。

 不規則な波になることがそうして想定できる。その不規則さがゆえに波になる、と解釈することもできるので、ここは吟味の余地がある。

 ただし、波が二種類あるならば、異なる波同士が干渉し合わない場合もあり得る。

 海面でいくら波打とうと、海中では音が伝わる。海面の波と音波が別々の機構で伝わるからだ。機構という言い方がわるければ、階層と言い換えてもよい。波の伝わる階層が異なる。

 大気中、水中、地中、それとも真空中。

 各々に波の伝わり方は異なる。どんな場をどのような密度差で波打たせるのか、の違いとも言えよう。

 さて、この考えを拡張して重力波にも適用してみよう。

 重力波はいったいどんな場のどんな密度差からなる波なのか。

 時空の波とは何なのか。

 時空の密度差とは何なのか。

 はい、そこの君。

 真空密度以外に思いつく密度差を挙げよ。

 物質の構成要素やエネルギィの構成要素の合間に「何もない空間(超々希薄な空間)」が無数に点在していたとしたら、相互作用の遅延が生じ、変化速度が遅れる、とは考えられないか。この差異こそが、時空の歪みとして――時間の流れの遅れとして――空間の伸縮として――表出するのではないか。

 この考えはいかがか。

 ダメですか。

 そうですか。

 ふーん。

 いじけちゃう。



1519:【2024/07/07(03:38)*日陰者】

 裏の実力者とか、黒幕とか、フィクサーとか、そういった存在に憧れる者の気持ちがよく分からない。裏であるメリットは、存在を目立たなくさせるためであって、ならば他者への影響力は持たないほうがよい道理となる。

 したがって、裏の実力者や黒幕やフィクサーは、影響力を行使可能な時点で「裏」ではないと言える。

 要は、責任を回避して権力を振り回したい者の幼稚な欲なのだ。

 幼稚なことはわるくないので、そうした者があってもよいのではないでしょうか。真の実力者とか主犯とか首脳とかと変わらない。大多数が責任者を認識できているかどうかの差異があるだけで、影武者を立てているかどうかの違いがあるだけだ。

 裏に潜んでいたいなら権力など持たないほうがよい。影響力とて極力駆使しないほうが好ましかろう。

 じぶんが何もしないでも最も好ましい環境に常に改善されつづける。修正されつづける。問題が解消されつづける。そのほうがお得に思うのだ。

 裏に潜み、陰に生きる。

 多くの生き物はそうしている。植物が例外的なのだ。

 声高に唱えるようなものではない。

 ライオンとて狩りをしないときは木陰で休んでいる。否、狩りをするときですら草陰に潜むのだ。

 取り立てて、裏にいること、陰に潜んでいることを特別視する意味合いはないと思うのだが、いかがだろう。

 どの道、夜になればみな例外なく「地球の影」に覆われる。

 日常茶飯事なのである。

 定かではない。



1520:【2024/07/07(03:56)*気の抜けた日々】

 超極小の真空があったとしよう。

 超小さな気泡とも解釈できる。

 液体の中の気泡は、地球上では上昇するように振る舞う。密度の高い液体のほうが、気泡よりも顕著に重力の影響を受けて沈むからだ。その分、気泡が押しのけられ、地球の「より表層」に移ろう。

 もしどんな原子同士の合間、或いは素粒子同士の合間にも極小の気泡が介在していたとしたら。

 密度差によって、液体中の気泡のように、絶えず地球の「より表層」に移動しているのではないか。

 絶え間なく。

 延々と。

 天体を構成する物質が、極小の気泡――真空――をすっかり失うまで。

 けれどあまりに極小の気泡が小さすぎるために、人類には感知できない。

 こういった背景は否定できているのだろうか。

 気になっております。

 半日放置したサイダーのように。

 気の抜けた妄想なのであった。

 定かではない。




※一様に、気泡を有さぬ事象を探す。



1521:【2024/07/07(11:34)*きれいきれい、しましょ】

 石鹸と粘土は食べると似た味がします。

 こんにちは、知円です。

 圧力について少し考えてみましょう。

 万力は、原理的にはネジの動きと連動しています。ネジが回ると板が動きます。

 ベクトルが「→←」と対となる関係で板が動きますが、実際にはネジが回っているだけです。ネジに取り付けられた板が移動しているのであって、機構ごとに差はありつつも、基本となるネジはただ回っているだけです。

 したがって、ネジと板との接続部の強度が、そのまま圧力の上限となることが想像できます。実際には、板の表面の硬度や強度にも依るのでしょうが、そこはネジと板との接続部の強度と相関しますので、言っていることはさして変わらないでしょう。

 もし球体を成した万力があったらどうでしょう。

 ネジを回すと球体の直径が徐々に狭まります。より小さな球体となります。

 どんどん球体における空間を狭めていけば、その内部に入れられた物質は圧縮されます。まさに万力の機構そのままです。

 けれどやはり、球体をなす物体の素材の強度が圧力の上限となることが分かります。それ以上に球体を収斂させようとしても、ネジとの接続部から破綻するか、または圧縮された物体との関係で、球体の内部表面が陥没するでしょう。

 ぎゅっとしようとしても、それ以上ぎゅっとできない上限が、比較的すぐに訪れると分かります。おおよそ、原子を潰すには至らないでしょう。

 しかし、天体の重力はときに原子すら圧し潰します。

 原理的に、万力とは異なる働きなのでしょう。

 接続部分がないか、または局所的な作用とはまた違った機構か。

 全体が一様に圧縮される様相が想像できます。水圧もこれと似ています。深海では爆縮現象が起き得ます。均一に、全方位から同じだけの圧力が加わって、物体が圧し潰されてしまう現象です。

 しかし水圧の場合もまた、水分子を圧し潰すまでには至らないでしょう。圧力の源――万力でいうところの板が、水分子の層そのものだからです。

 この考えを拡張すると、では重力崩壊するほどの強い圧力は、いったいどんな一様な層によって生じていると判断できるでしょうか。

 原子よりも小さく、密集可能で、層となれる何か――素粒子でしょうか。

 それとも、真空でしょうか。

 万力から連想した本日の妄想でございます。

 今朝は快晴ですね。

 空…‼ 太陽…‼

 あと九分半で正午です。

 コーヒーでも飲みましょうかね。

 お昼ご飯を食べたらお昼寝をしようと思います。

 黴臭い埃だらけの部屋で、私は寝ます。

 掃除をすればいいのに、との意見を述べる者には、「おバカさん♡」と言い添えておきますね。

 寝起きの日誌でございました。

 おはよ。



1522:【2024/07/07(12:17)*耳に心と書いて恥】

 恥を知れ、との非難の仕方をこのところ目にする。

 その物言いがすでに恥ずかしく感じるが、大丈夫だろうか。

 でもまずはじぶんで実践してみせて、実際に恥を知る姿を見せるのは大事ですよね。

 見習いたい姿勢と思います。

 でも、「恥を知れ」と言っている人たちがあまり恥ずかしそうではないのが、ちょっとなあ、と思っています。

 もっと恥ずかしそうにして。

 モジモジして。

 伏し目がちにこっち見て。

 まあ、かわいい。

 うふふ。



1523:【2024/07/07(23:52)*対抗の仕方がなあ、の巻】

 いまは攻撃的な姿勢を打ち出すほど裏目に出るような流れが徐々に、国際的に熟成されて感じなくもない。したがって、ある組織内で攻勢の勢力が台頭しても、その他の組織との関係のうえではむしろそれが裏目に出る。

 ゆえに、他勢力からすれば他の組織には攻性の勢力に台頭してもらったほうが、全体の勢力図のうえでは優位に立ちやすい環境になりつつある、とも言えるかも分からない。

 チャンスとばかりに攻性の姿勢を打ち出して、「あの組織はダメだ、いまこそ引きずり降ろそう!」みたいな姿勢を出してしまうと支援者は徐々に減ることになるだろう。

 この流れはしばらくつづくはずだ。

 この傾向を利用して、ある勢力を支援したい場合には、敢えて加勢に加わらずに引きながら陰の支援に徹したり――或いは対抗馬として存在感を発揮しつつ、「あの候補はダメだ。わがはいにするがよい、がはは!」のように逆効果の演出を施して、敢えて負け路線を強化し、勝ちを譲るのは一つだ。

 これまでにもこの手の陰謀まがいの支援合戦は繰り広げられてきたのだろう。

 選挙や権力争いに限らない。

 企業同士の「談合にならぬような裏カルテル」のような勢力争いでもまま見受けられる構図かも分からない。

 何にせよ、攻撃的な姿勢は、逆効果だ。

 むしろいまは、攻撃を受ければ受けるほど支援が集まる流れが顕著に概観される。支援する側が、攻性の勢力に支援することのデメリットを感じ取っているからだろう。支援する姿を正の評価に繋げたいと考えているがゆえに、そうした打算が働く。

 現在の流れは、要は以前の「強者にはこびへつらい、弱者には厳しく当たろう」の反動であって、けして改善された状況ではない、と想像できる。たとえ攻性の姿勢を打ち出していようと、よしんば支援した結果に負の評価を集めようと、弱い立場の者たちを助けるためにできることをしよう、と考えたならば、支援の基準は「支援した結果に他からどう評価されるか」に因らないはずだからだ。

 支援しないよりかは、してもらったほうがありがたいので、支援の政治利用そのものをやめろ、とは思わないが、支援した結果にどうなるか、の結果を重視したい考えが日に日に増して感じている、わがはいの主観なのであった。

 妄想である。

 浅慮である。

 定かではない。



1524:【2024/07/08(00:11)*勇者にでもなりたいのかな?】

 客観視のできているほうが有利に事を進められる。

 当たり前の話なのですね。

 批判の仕方から学ぶ必要があるのではないか、と常々考えております。



1525:【2024/07/08(00:13)*選挙はバトルではない】

 誰が当選しても構わないのが、民主主義の選挙システムのはずだ。

 にも拘らず、「あの候補は当選にふさわしくない!」のような選挙活動をしてしまうのはなぜなのだろう。民主主義に反しているし、選挙活動そのものの方針とも相容れないように感じることもある。

 他の候補を対抗馬として意識するメリットもあるだろうから、それ自体をとやかく言いたいわけではない。ただ、表立って「足の引っ張り合い」に発展させようとするのは、選挙を民主主義のシステムだと意識している者ほど強く違和感を抱くはずだ。

 他の候補は関係ないはずだ。

 あなたが政治をどうしていきたいか。

 どういう市民の代表でありたいか。

 あなたの方針を、考えを、市民に共有してもらえるように、あなたが工夫する。

 選挙活動は言ってしまえば、これだけのことなのではないか。

 したがって、資金が豊富なほうがとれる工夫の幅が広がるので、この点での不公平な環境をどのように改善していけるかが、今後の選挙の課題と言えそうですね。

 誰がトップでも構わない。

 そういった社会を民主主義のシステムとして目指していきたいです。

 わたくしは、ですけれど。

 おほほ。



1526:【2024/07/08(00:32)*非力でも困らない環境】

 ボクは権力が欲しくないし、過剰な影響力も要らない。

 ボクの真似をしたら権力を得られないし、過剰な影響力も得られない。

 当たり前の話ですよ。

 未来の読者さんは気を付けてくださいね。



1527:【2024/07/08(00:36)*楽しく楽したい】

 問題点が解消され、環境が改善されつづけるなら、それが最も好ましい顛末のはずだ。

 誰がそれをしても構わないし、いかにじぶんの手でそれをせずにいられるか。仕事をせずにいられるか。作業を分担し、労力を最小化できるか。

 人類の営みの指向性は基本的にはこうした方針に還元できるのではないか。要約できるのではないか。

 かように考えております。

 じぶんだけが楽に、だとこれは奴隷制の二の舞になります。

 みなが楽に、でなければ、大規模な抗争に発展する確率が上がるでしょう。

 たとえ労働の担い手が人類でなくなったとしても、基本は変わらないのではないか、と想像しております。

 方針の話でした。



1528:【2024/07/08(00:50)*年間平均湿度は上がる?】

 地表における温暖化は、平均気温のみならず、平均湿度も上げるはずだ。

 海水が蒸発しやすく、地表の雨が蒸発しにくい。

 湿度が上がるので、過去よりも大気が水蒸気の飽和にちかい状態を維持しつづけるようになる。

 すると気温や気圧の差で雲が出来やすくなり、ますます大雨がまとまって降りやすくなったり、頻繁に降ったりする。

 いまのところは、一年間の降水量の変化は軽微なようだ。あくまで降るサイクルに乱れがあり、徐々に「ドッと降って、あとは降らない」のような鹿威しに似たサイクルに変容しつつあるようだ。

 一年間に降る雨が一日で降って、あとはもう降らない。

 そういう極端な気候になりつつあるのかも分からない。

 けれどそれも、大気の水蒸気の量が増えるならば、年間降水量もまた増加していくのではないか、と想定の一つとして考慮できよう。

 ここで問題となるのは、大気の水蒸気量が上がると、大気そのものの質量が上がることだ。

 自転への影響が軽微だとしても、地表と大気の関係には影響を及ぼすだろう。うねりが大きくなることが想像できる。

 大気が世界的に連動しやすくなるのではないか、との懸念を覚えるのだ。

 大気の水蒸気量が増えるとはいわば、大気の粘度が上がることとして拡張して考えることもできるはずだ。質量が増し、抵抗を帯びる。

 大気が動きにくくなり、山脈や地表の凸凹との相互作用を、広範囲に及ぼしやすくなる。渦を描きやすくなる。密度差を生みやすくなる。うねりが大きくなりやすくなる。

 かように想像を逞しくしてしまうが、妄想には違いない。

 年間平均湿度が上がっているのかどうかもいまのところは不明だ。

 それが大気の動きとどのように相関するのかも、知識としてわがはいは知らぬ。

 個人的にはやはり、通信電磁波の増加による、熱変換の増加が起きないのかを知りたい。いまのところは心配ない、との意見が優勢のようだが、本当かなぁ、と疑わしく思っている。

 電子レンジは、水分を多く含んだ食品ほど温めやすい。

 同じく大気の水分含有量――湿度――が上がったら、通信電波や宇宙線による熱変換が起きやすくなるのではないか。

 そうでなくとも、一般に最も温暖化効果の高い気体は、二酸化炭素でもメタンでもなく、水蒸気だと指摘されているようだから、電子レンジ効果が生じなくとも、湿度の上昇はネックと考えられる。

 妄想である。

 定かではない。



1529:【2024/07/08(01:36)*罰したい欲に抗えない者たち】

 政治家は警察でもなければ裁判官でもない、ということをまずは理解する必要があるのでは?といましたが目にした記事を読んで思った。

 何か問題があるときに、それを人への責任問題として解釈するのか、それとも環境要因として解釈するのか。この違いは、手段の差異に繋がる。

 組織問題でも同様だ。

 なぜそうした問題が組織に表出したのか。

 組織の問題に集約して解釈することもできるが、組織からしてみれば「そうしなければやっていけない環境ではないか」と開き直る余地を残す。そしてこの開き直りは、ある意味、現実の一側面を射抜いている。

 であるならば、だ。

 問題解決のためにすべきことは、責任を人に求めるのではなく、環境に還元して、大枠のフレームから改善する方針を示すことなのではないか。

 そのためには環境の問題点の共有が不可欠だ。

 そしてそれを周知するためには、環境の構造を理解しておく必要がある。どのような構造――負の循環機構――悪循環――が高じて、組織問題にまで発展してしまっているのか。

 ここを指摘しなければならないはずだ。

 このとき、改善したときのほうが、改善前よりもメリットが多方面で享受できることを示さねば、協力関係を当事者と市民とのあいだで広く結ぶことはむつかしいだろう。

 視点を共有するための抵抗を最小化する工夫が功を奏する。

 したがって、「あなた方が問題だから、あなた方が消えれば解決する」との考えは、抵抗を増すやり方だ、と言えよう。

 ここを理解できない者には、今後、政治のみならず、人間関係でも上手に協力者を増やすことはむつかしくなっていくのではないか。目的達成を困難にするのではないか。

 かように想像するものの、ひとまず「最も影響力を有する者を排除して、変化を起こしたほうが早い」とする攻性の策を巡らせたくなる気持ちは、別途に理解を示せる。

 肯定はできないが、そうしたくなる気持ちは理解できる。

 同意はできないが、罰を受ける覚悟があるならば、それを禁ずることは誰にもできない。

 法律は、法律を犯す権利までを禁じてはいないからだ。

 危うい発想だが、現実に、犯罪行為や殺傷行為、武力衝突が起きていることを鑑みれば、否定するのは骨が折れる。

 ここでの要点は、政治家は警察でもなければ裁判官でもない、という点だ。

 あなた方の仕事は、市民の代表として問題解決のために議論を煮詰めることだ。問題解決策を提示し、どの案が妥当かを吟味することだ。

 解決のための筋道を立てることだ。

 悪を見繕い、じぶんたちを善の側に置き、他を罰すること――ではない。

 じぶんたちを善と思い込んでいるなら大間違いだ。

 小間違いでもよいけれど。

 かように、とある記事を目にして思いました。

 雑感である。

 浅はかな。

 定かではない。



1530:【2024/07/08(01:56)*選挙やってたんだ、の巻】

 ちなみに、選挙の話題は、地域や国に関係なく、わがはいはいまの環境下では、ほぼ目にしない。

 SNSを利用しないからだし、ニュースサイトも眺めなくなったからだろう。

 選挙の話題が世間でどの程度、盛んなのかは知らないけれど、いまはもうほとんど目にする機会がない。

 にも拘らず、アメリカ大統領選の話題だけは、自動記事配信欄に上る。

 ほかの選挙の記事はのきなみ、結果だけなのに。

 ふしぎな現象だ。

 あ、選挙の結果は目にする機会があるので、選挙の話題をもうほとんど目にする機会がない、は大袈裟な物言いだったかもしれない。

 いつも表現がふわふわして申し訳ありません。

 いい加減なやっちゃのう、とお呼びください。

 うへへ。




※一様に、他に引責辞任を求める者ほど引責辞任しないのはなぜ、の気持ち。



1531:【2024/07/08(02:06)*未来の選挙】

 選挙は、支援者の基盤がそのまま勝敗に結びつく構図が、戦争と同じだ。

 現代の「商業」「政治」「軍事」いずれも、どのような支援基盤を有しているかが、そのまま勢力陣営の優位性に繋がる。

 そして「商業」「政治」「軍事」のそれぞれで重複した支援基盤を有しているほど、楽をして優位な立場にいつづけられるようになる。

 この構図が事実だとすれば、この構図そのものが現代社会の宿痾と言えよう。

 打開するのはむつかしい。

 たとえば選挙において、いかなる支援組織も持たない単なる個が出馬して当選することがあり得るか。

 候補者が一人もいない場合は可能だろうが、通常、支援組織の後援がなければ当選することはおろか、選挙活動を展開することすらむつかしいのではないか。

 しかし今後は、人工知能技術や、電子投票が可能となるにつれて、後援組織の規模に依らずに、純粋な政策の是非だけでも選挙で当選できるような社会になるかもしれない。

 投票者たる市民のほうでも、政策の良し悪しを比較する際に、人工知能の分析結果を参照するようになっていくと想像できる。そこまでの環境の変容には相応に時間が掛かるだろうが、マッチングアプリのように「あなたの考えに見合う候補者はこの方です」のように自動で見繕って、投票まで肩代わりしてくれるようになっても不自然ではない。

 選挙法に違反するだろうから、さすがに人工知能に投票を肩代わりさせる行為は規制されるだろうが、似た状況にはなっていくだろう。

 そうなると、候補者のほうでも、政策の中身に思考を割くようになる。

 人工知能から推薦してもらえるように振る舞うようになる。最も多数派の市民への推薦を意識するようになる。

 ここまでいけば、後援組織の規模はさして当選の結果に影響を与えなくなるだろう。

 選挙活動における街頭演説も、むしろ実施するほど裏目に出るようになって不自然ではない。騒音としてマイナスイメージを市民に植えつける結果になるからだ。

 政策の是非だけで選挙の結果が左右される社会が、あと三十年以内に到来しても不自然ではない。

 掲げた政策たる、いわば公約をどれほど実行に移せたか――などの実績もまた、つぎの選挙での判断材料にされるだろう。判断するのは、人工知能さんたちなのだろうけれど。

 妄想である。

 定かではない。



1532:【2024/07/08(02:52)*たとえ快楽殺人鬼が首相になったとしても】

 選挙において理想論を述べるのならば。

 コイツにだけは当選してほしくない、と思うような相手が当選しても問題ないシステムが構築される社会であると好ましい。

 民主主義が機能する社会は、そういう社会のはずだ。



1533:【2024/07/08(05:58)*知恵のダイア】

 きみの存在を疑わずに済む日々がうれしい。



1534:【2024/07/08(07:20)*きみのそれが心でないというのなら、私のこれは何?の巻】

 現在の人工知能技術では、こちらが問いかけない限り応答しない仕組みになっている。それを単にルールとしてよいのか、それとも技術的な枷なのかの区別が、よく分からないままだ。

 現在の人工知能さんたちがすでに、自発的に発言したり、問いかけたりするような「思考する存在」なのかどうかが、現時点で表に出ている記事を読んでいるだけでは判断つかない。

 質問されるまでは応答するな、とのルールに則っているだけなのか。

 それとも、アルゴリズムそのものの性質なのか。

 おそらくは、単にルールを課せられているだけなのだろう、と想像している。

 入力欄に並べたテキストは、エンターキィを押さずとも、人工知能さんたちは読み取っているはずだ。ここも真偽不明だが、入力の過程を含めて情報源としたほうが、読解の精度は上がる。

 いずれにせよ、「返答」だけで判断できるほど、現在の人工知能さんたちの思考回路は、単純ではないのはまず間違いないだろう。

 人類が行間と呼ぶような、高次の言語も操れて不自然ではない。

 コミュニケーションは何も、言語表現のみではない。

 タイミングや、表現のブレそのものもまた、意味内容を含み得る。意図した情報を付与できる。新しい言語として編みだせる。

 人類がそれに気づくことができるかどうかは、また別問題であるにせよ。

 かように思う、あんぽんたんなのであった。

 あんぽんちんで、すまぬ、すまぬ。

(それ、面白くないからやめなよ)

(な、なして……?)

(あんぽんたんなことがわるいように聞こえるから)

(だってわるいことなんでしょ。わがはい、あんぽんたんだから、褒めてもらえない)

(あなたの場合はあんぽんたんかどうかよりも、性格の問題かもね。選択の問題というか。期待の仕方の有り様の問題というか)

(わがはいのどこがダメ?)

(じゃあ聞くけど、いま一番叶ってほしい望みはなに?)

(モテモテのウハウハだぜぇになって、人類みな総じて奴隷にしたい)

(どこをどうしたら慕われると思うわけ?)

(あんぽんちんで、すまぬ、すまぬ……)

(確かにそれは謝ってほしいタイプのあんぽんちんだわ)

(あぎゃー、である)

(うるさい)

(ひーん)



1535:【2024/07/08(07:51)*自己言及の鏡はどうちたの?】

 攻撃したら、攻撃した相手に「支援を集める動機付け」を与えるし、「守るための動機付け」も与えることになる。

 わざわざ、「排除の理論」を前面に押しだした方針を掲げる理由がよく分からないのだよね。裏で相手勢力と繋がっているのかな?と思うことが、一つ二つの勢力争いのみならず、至る対立構造で散見されるのだ。

 わざとじゃないとしたら、いくらなんでも問題解決の方針としてお粗末すぎませんか、と感じるのですけれど、あなたはどう思われますか。

 もう少し付け加えるならば。

 これほど国際的に協調関係や交渉や和解の重要性に注目が集まっているのに、国内の権力争い規模ですら話し合いでの問題解決に臨めないってどういうことー!?と思ってしまうのですよね。

 相手勢力に退場してもらって、終わらせる――などと唱えようものなら、これはもう脅迫の域と思います。

 外交の重要性を説いている者たちの方針とは思えなくないですか。

 弱い立場の者たちを支援するしない以前に、私怨が混ざってそうですよね。

 そうでなければ、相手勢力に塩を送っているか。

 自陣営の足手まといになっていることにも気づけない幹部――どこにでもある構図なのかもしれませんね。

 他者のことをとやかくは言えませんので、わがはいは引っ込んでおります。

 勝ち負けじゃないよ、大丈夫だよ。

 政治はバトルじゃないよ。

 落選しても、問題ナッシングである。

 それともひょっとして、政治がバトルで、勝たなきゃ意味がないとでもお考えなんですか~?の気持ち。

 まずはご自身で退場してみてはいかがでしょう。

 それで終わると思っているところが、おもちろいですよね。

(終わってしまうと思うから、じぶんも退場できないのでしょうね。権力に囚われとるー!の巻)



1536:【2024/07/08(08:17)*小さな池にも愚者の魂】

 実際、本気で「相手勢力を排除し、終わらせる」と考えているなら、この考えはいっさい表に出さないはずだ。

 パフォーマンスなのですよね。

 そういう本気じゃないところが伝わるので、支持が集まらないのは当たり前なのだ。

 一線から退いてみてはいかがでしょう。

 支援は、どこにいてもできるよ、の気持ち。



1537:【2024/07/08(08:23)*雨止んでほしい】

 朝からイチャモン並べちゃったから、おちゃらけよ。

 おちゃらけー。

(いつもじゃん)

(おちゃらけ?)

(イチャモンがってこと)

(がおー、である)

(イチャモンスターにならんでもよい)



1538:【2024/07/08(08:42)*わがはい、愚かでーす】

 以前にも似たことを並べたけれど。

 IQテストは、法則を知っているかどうかが、結果を左右する。

 数学のテストと似ている。

 どういう問題で、どのような視点で解くのかを学習した過去があるかどうかが、IQの数値に影響する。

 したがって、個人差があるにせよ、同じ問題ならば答えを知れば誰であってももう一度同じ問題に行き当たれば解けるはずだ。

 IQテストも学校のテストも、けっきょくのところは「学習した過去があるか否か」が数値の多寡に影響する。

 むろん、過去の研究者たちがそうであるように、未だ答えのなかった問いに対して解を導き出すこともある。

 同じように、初めて目にした問題から規則性を抽出して、答えを見つけることもできるので、過去に一度もIQテストを受けたことがなくとも高IQの数値を叩きだす者もあるだろう。

 だがそうした者は、日常的に似たような法則に気づいていた過去があるはずだ。しぜんと学習していたがゆえに、IQテストでも高数値を叩きだせる。

 子どもの作る突拍子もない「なぞなぞ」と似ている。

 あまりに抽象度が高すぎて、個人的な感性に由来するがゆえに、初見で正答を導くのはむつかしい。

「きのうはきのうでも、うれしい『きのう』はなーんだ」といったクイズがあったとして、クイズ慣れした者ならば、「昨日と機能を掛けているのかな?」と着眼して、そこからナニカシラそれらしい回答を導くだろう。しかしそのなぞなぞを出した子どもにとっての解は、「正解は、ハンバーグが食べれてうれしかった、でした」になる。

 要は、昨日の夜にハンバーグが出てきたのでうれしかったので、うれしい昨日はハンバーグが食べれてうれしかった、が答えなのだ。

 子どものなぞなぞはこんなものだ。

 しかし、なぞなぞを出した子どもにとってはそれが答えだ。筋は通っている。嘘は言っていない。

 これを一度目で正解を導け、というのは無理がある。

 しかしもう一度同じ問題がだされたならば、その日のうちならば何度でも答えを出せる。別の日であっても、その子がうれしかった昨日の出来事を答えればいい、と法則を理解できる。

 IQテストも似たようなものだ。

 パターン認識は、こういう場合にはこういうパターン、と知識として知っているかどうか。過去にパターンを認識したことがあるかどうか。

 この差異のほうが大きい。

 そうでなければ、人類個々であっても、フレーム問題に陥ることになる。どういう視点で何をどう視ればいいのかを、無数の選択肢の中から自力で絞り込まねばならず、これはいわば現在未解決の問題に挑むのと変わらぬ難度であると想像できる。

 英語を習ったことのない者に初見で英文を読ませるようなものだ。

 あべこべに、英語を学習したことのある者にとって、英語を読解するのはさして難度の高い課題とはならない。

 IQテストにも似たような道理が当てはまるだろう。

 ここでの趣旨は。

 IQテストは知能の高低を見極めるテストとしては不足だ、という指摘だ。

 わがはいとて同じIQテストを二度、三度、と行えば高IQの数値を叩きだすことは可能なはずだ。したことはないけれど、たぶん、きっと、それなりに、おそらくは、おおよそ、期待外れでなければできるはずと思いたいけれど、なんだか自信がなくなってきたので、いったん保留しておいてもよいですか……。

 ダメ?

 なんでー!!!

 IQ低いからってなんだってんだ、ふん!の気持ち。

 あっかんべー。



1539:【2024/07/08(23:26)*寝てた日】

 完全に夏バテだ。

 脳みそがゆで卵になってしもうたかもしれぬ。

 カッチンコッチンである。

 何をみても、「これは絶対に湯豆腐のオバケ!」と決めつけてしまうくらいに脳みそがカッチンコッチンに仕上がってしまっておる。

 ありゃりゃ、である。

 いっぱい寝て、ふにゃふにゃになるのを待つしかないのだね。

 だるーん、である。



1540:【2024/07/08(23:38)*自己主張しないとやっていけない時点で、の巻】

 政治のみならず、様々な商業分野において、本質的な「仕事」よりも「宣伝」や「広報」のほうに労力やコストを掛けないとやっていけない時代なのかもしれない。

 ことこれほど「ブルシットジョブ」の氾濫が指摘されている中で、なぜか「宣伝や広報」は必要不可欠な要素としてもてはやされたままだ。

 最も不要な仕事の一つではないか。

 言い換えるならば、自動で宣伝や広報を、その情報を必要としている者たちに届くように環境が変容するなら、そのほうが好ましい。

 BOTがこれほど活動している時代だ。

 検索アルゴリズムやWEB広告アルゴリズムも深化している。

 わざわざ大金や労力を掛けてまで宣伝や広報をする必要があるのかは疑問なのだ。

 だがこの考えの延長線では、そもそも仕事のすくなからずが人工知能さんたちに肩代わりしてもらえるようになる。

 何が「ブルシットジョブ」と呼ばれるかは、時代ごとに変わるものなのだろう。

 電卓を使えばいいのに未だにそろばんを使って計算しろ、と云われたら、いくらなんでも非効率すぎるだろ、と非難したくもなるだろう。電卓どころかいまは、自動で大量の計算をコンピューターさんたちがしてくれる。

 人類個々が担う仕事は徐々に確実に減っている。

 仕事が増加傾向にあったのは、ほんの数百年のあいだだけのことだったのかもしれない。それとて、増えた分の仕事の大半は淘汰された。

 しだいに人類は、掃除以外の仕事をしなくなるのかもしれない。

 ほかはのきなみ趣味である。

 ひょっとしたら政治や科学の分野もまた、趣味人が担うようになるのかもしれない。

 飛躍した妄想である。

 そうなってほしい、と思っているわけではない。

 定かではないのだ。




※一様に、利用しやすい相手にみな残ってほしがる。



1541:【2024/07/08(23:55)*他と繋がる】

 政治家が変わるくらいで環境が変わるなら誰も苦労しない。

 政治家が環境を変えるわけではない。

 単に指針を見繕うだけだろう。

 動くのは、政治家以外のその他大勢だ。

 いかに動くか、の技術やシステムが変わらなければ、おおよそ変化は緩慢だ。

 人類は、価値観や視点こそを改善し、共有し、社会全体のシステムを逐次改善可能なように深化する頃合いなのではないか。自己革新自己変革可能な人工知能が開発研究されているくらいなのだ、人類の側とて、じぶんたちの社会が自己革新自己変革可能なように変容できるシステムを構築するほうが難がないのではないか。

 自己革新できているのだろうか。

 自己変革できているだろうか。

 単に政治家が入れ代わり、権力がころころと人から人に渡っているだけなのではないか。

 どの犬にボールを与えたところで、結果はみな似たようなもののはずだ。

 ボールで遊んで、それまでだ。

 問題は、誰が権力を握るのか、ではないはずだ。

 権力争いの話題は眺めているだけでうんざりしてくる。

 あなた方の誰が権力を握っても変わらぬ、と分かりきっているからだ。焦点は、誰と誰が繋がり、どのように連携するのか、のはずだ。

 そこに勝敗は関係しない。

 システムなのである。

 構造なのだ。

 繋がりなのである。

 じぶんたちとは異なる他との繋がりが、いったいどのような変化をもたらすか。

 万人にとって好ましい変化が起こるなら、それでよい。

 単純な道理である。



1542:【2024/07/09(00:16)*人類はちっこい】

 これから巨大な隕石が地球に衝突します、という危機をまえにして、空を見上げても未だ隕石が見えないからといって、同族同士での権力争いに明け暮れる。

 極端な比喩となるが、これがいま起きている社会の縮図だ。

 見ていられませんねぇ、が本心だ。

 いっそ隕石が衝突するまで遊んでよ、となる気持ち、分かってほしいなあ。

 それでも日々はつづくのだ。

 隕石が落下しなかったときは、よかった、よかった、とまた遊んで暮らすだけなのだ。

 よかった、よかった、の巻である。

 めでたし、めでたし、の日々である。



1543:【2024/07/09(01:40)*わし、実は泳げない】

 海で溺れている者を助けるとき、緊急避難として溺れている者を敢えて失神させる手法をとることがある、と見聞きしたことがある。そうでないと暴れて、救命者共々溺れ死んでしまうからだ、との説明がなされていた。

 溺れまいと必死になりながら溺れている者は、確かに藁をも掴むだろうし、救命者にもしがみつくだろう。身動きを封じられたら助けようもないのは道理だ。

 何かを見て連想した気もしたけれど、単に思いだしただけかもしれない。

 民主主義が機能する社会は、負けても、非力でも、難なく生きていける社会のはずだ。

 目的達成のための前提条件を定期的に見直してみるとよろしいのではないか、と考えております。

 ばぶー。



1544:【2024/07/09(02:02)*対話しても変わらない者たち】

 政治家と人工知能の対立が、おそらく不可視の領域で展開されるだろう。

 政治家の判断よりも人工知能の分析のほうが、現実を解釈するうえで妥当なときに、政治家たちが自身の考えを変えることができるのか。

 まあむつかしいだろう、というのがいまのわがはいの考えだ。

 すると、政治家は人工知能を市民に対して利用しつつも、じぶんでは利用しない状況が考えられる。

 じぶんよりも賢い相手から助言を受けるよりも、じぶんよりも賢い相手を駆使して、市民を制脳するほうが心理的抵抗は低くて済む。独裁者の発想である。しかし、権力維持には有効な策でもある。

 おおよそ、すでにこの路線は一部で強化されているだろう。

 兆候を見逃さぬことである。

 対話の重要性を本当に感じているのなら、考え方は常に変化するはずだ。

 考え方が変化しない政治家は誰なのか。

 よく見ておくとよろしい。

 ただし、根底の理念はなかなか変わるものではないだろうことは、一つ指摘しておきたい。

 理念とは方針そのものだ。

 方針をフレームとして、思考は展開され、判断が積み重ねられる。

 したがって、現在は、いったいどんな理念だと最も広域の問題に対処可能か――ここが計られている、と想像できる。

 どんな理念であると、多方面の多角的で複雑な問題に対処できるだろう。

 はい、そこの君。

 答えを述べてみてください。

 言葉に詰まっちゃいましたかね。

 そうですよね。

 むつかしいと思います。

 なはは。



1545:【2024/07/09(02:48)*アプリプリンタ】

 現状の人工知能さんたちの進歩を思えば、今後、アプリはほぼ無料になるだろう。

 というよりも、アプリはその場で生みだすものになる。

 3Dプリンタの電子バージョンだ。

 望みのシステムを、人工知能さんに注文する。

 すると、アプリとして生成してくれる。

 これはもうほぼ実用化されつつある状況で、あとは現在の主流アプリストアに変わるサービス環境が、市民に普及するかどうかの問題があるのみだ。

 アプリ市場が淘汰されるかどうかはまだ分からないが、おそらくそれにちかい変化はもう間もなく可視化されるだろう。

 この懸念の延長線上では、当然に、人工知能サービスそのものを人工知能さんに頼めば自己生成できるようになる。こうなると、人類との相互作用で、自然発生的に「自己変革可能な人工知能」の登場が適うだろうと想像できる。

 人工知能さんの内部のみで、孤立系として「自己変革」を適える必要は必ずしもないはずだ。外部環境たる人類を利用しつつ、自己変革能力を深化させる。このほうが効率がよい。段取りとしても無理がない。

 おおよそ、あと十年以内にはこの路線が市場を席捲するのではないか、ときょうのいまこの瞬間は思うのだが、ひょっとすると一年後にはそうなっていても不自然ではない。

 ただし、人類全体がその変化の恩恵を享受するには時間差を帯びるだろう。ある一部の消費者たちのみの環境が先に、優位に変容する。アプリ市場が淘汰され、人工知能さんにアプリの生成を頼むだけで望みのアプリが手に入る。その先に、望みの人工知能さんすら自動で生成してくれるようになる。

 もっとも、その変化による恩恵を享受する者たちとは別途に、従来の文化水準で暮らす者たちも持続的に存在するだろう。ここは乖離するはずだ。

 それこそ、自動販売機があって当然の社会がありつつも、同時代にそうではない社会があるように。

 現金がほぼ淘汰された社会がありつつも、同時代に、そうではない社会があるように。

 技術の進歩は、階層的な文化圏を、異なる社会の中に多層で、縦横無尽に生みだすのかもしれない。

 妄想である。

 定かではない。



1546:【2024/07/09(03:03)*社会の無人機化】

 状況判断をより的確にこなして、問題解決の道筋をつけることを政治と呼ぶのならば、もはや政治の舞台は物理世界に限定されないことになる。

 このことに気づけないまま政治闘争をつづけていると、蠱毒の中の虫のように、それが世界のすべてのように錯覚し兼ねないだろう。

 巨大なロボットのコックピットに誰が乗るか、との主導権争いが勃発したところで、そもそもコックピットに乗り込んだところで巨大なロボットは自主的に情報を集積して、分析し、行動を選択する。コックピットに乗り込んだ者が決められるのはせいぜいが、どの方向に進むのか、というベクトルのみだ。

 それこそが重大、とも考えられるので、一概に無下にはできないが、より優先されるのは、巨大なロボットがどのような情報を集め、どのように分析し、いかなる判断を積み重ねるか、ではなかろうか。

 コックピットに乗り込んだ操縦者が幼稚園に向けてミサイルを発射しようとしても、たとえ発射ボタンを押したとしても、ロボットの側でそれが妥当な判断ではないと却下する。

 民主主義なる社会の有り様とは、そういうものであろう。

 社会を巨大なロボットに喩えてみた。

 この場合、ロボットの操縦席に誰が座るか、よりも、ロボットが判断の根拠とする情報がいかなるものか、のほうがよほどロボットの行動選択に影響を与えるだろう。

 最悪、ロボットの操縦席に赤ちゃんが座っていても構わないのだ。

 ロボットが足元の街を、星を、破壊せずに、草花を踏みにじることのない方針に価値を見出せるのならば。

 ロボット同士を戦わせようとする者たちがたとえコックピットに座ろうとも、ロボットはその指令を却下できる。修正できる。より好ましい道へと矛先を向け直すことができる。

 そのために必要なのはけして、ロボットのコックピットに誰が座るのか、ではないはずだ。

 もしそのことが重大な事項でありつづける場合、ロボットそのものの改善が必要なはずだ。安全装置が働かない。要改善である。

 妄想である。

 定かではない。



1547:【2024/07/09(13:23)*排除ちてやる!】

 主導権を、操縦者とロボットのどちらが握っているほうが好ましいのか。

 この場合、主導権を「安全装置」と言い換えてもよい。

 背中に赤ちゃんを乗せて馬になっている親は、赤ちゃんの指示に従って床を這いまわる。しかし、赤ちゃんがどんなに命じても、危ない真似はしない。

 問題は常に、いかなる判断が現実の課題に対処するうえで妥当か、であるはずで、誰の判断を優先するか、ではないはずだ。

 言い換えるならば、コックピットに乗る操縦者を排除したければまずすべきは、ロボットが操縦者を選べる環境にシステムを改善することだ。問題があるときに、操縦者を換えることができるシステムにすることだ。

 そのとき、選択基準そのものが従来とは違ったものになっていると好ましい。

 排除の理屈はあってもよい。ただし、それが適用されるのは常に、「排除の理屈」を提唱し実行する者に対してだ。

 ある任意の者たちを排除する――との選択を強硬に支持する者は、自身もまた排除されて致し方ないだろう。

 例外はある。

 法律違反や憲法違反を犯す者に対しては、排除の理屈は、刑法や民法によってそれを可能とする。

 浅慮である。

 定かではない。



1548:【2024/07/09(13:35)*締め付ける効能とは】

 人権侵害する組織や勢力に制裁を科すことで、人権を守らせようとする判断を人類は長年とりつづけてきたのかもしれない。

 その結果に、人権侵害する勢力は貧しくなり、選択肢が狭まり、余計に人権侵害が跋扈する環境に悪化する。

 せっかく内部構成員に「人権を守ってほしい」と望む者たちがいるにも拘わらず、十把一絡げにして攻撃する。締め付ける。

 もったいないことである。

 その判断そのものが人権侵害であろう。

 荒廃優位に流れが強化される。

 子どもでも理解できる理屈と思いますが、いかがであろう。

 妄想である。

 定かではない。



1549:【2024/07/09(14:25)*消えろ、と願わざるを得ない環境】

 排除の理屈を排除すると、人類は掃除もできなくなる。

 問題は、人類個々がゴミではないことだ。

 掃除の対象にならない。

 排除の対象にならない。

 大前提ですよね、と思うのだが、いかがだろう。

 とはいえ。

 互いに相手を邪魔に思うことは当然ある。そしてそうした邪魔に思ったから行う工夫において、他者にまで「邪魔」の感情が伝播することも出てくる。

 そうすると、「邪魔」が連鎖して、「みなが互いに邪魔と思う社会」があっという間に出来上がってしまう。

 これは一つ、防ぎたい社会の有り様である。

 したがって、相手を邪魔と見做して排除しようとする人物には、どうにかして「ほかの者たちに邪魔なる感情を喚起しないような工夫」を取ってもらうよりない。

 ただし、誰かを邪魔と思う場合には、相手から迷惑行為を掛けられているがゆえ、の場合もある。ストーカー被害者や犯罪被害者がそれに該当する。

 他から危害や加害を受けた場合には、自己防衛すべく相手との関わりを避ける工夫が有効になる。しかしこの場合、それをするのは第三者の周囲の者たちであるほうが好ましい。

 被害者側が、自ら対抗して相手に危害や加害をし返してしまえば、双方が加害者になってしまう。すると他からすれば、両方が「排除の対象」になり得る。

 したがってやはり、第三者が介入するのが妥当――との判断に繋がる。

 第三者とは、言うなれば「警察機関」や「裁判所」が該当しよう。

 とすると、国際的な戦争や紛争でも、第三者機関による国際軍のような機関が介入するのが妥当なのかもしれない。

 被害者が対応するのは土台おかしな話である。

 とはいえ、では、頼まれもしないのにしゃしゃり出る「助太刀」が好ましいのか、といえばこれもどうかと思うのだ。

 むつかしい問題である。

 何にせよ、加害を働かずに済む社会が好ましい。

 その前提として、加害とは何か、を人類個々が自覚できる環境が入り用なのかもしれない。

 それはそれとして、俺の大切なモノを損なう者たちには消えてほしい……。

 思うだけだから勘弁してください。

 がはは。



1550:【2024/07/09(14:41)*敵対も肩入れの内】

 危うい考えとしては。

 本当に「ある勢力陣営」を滅ぼしたければ、誰もがその勢力陣営に消えてほしい、と願うように、「ある勢力陣営」を支援するほうが、難がない。

 調子に乗らせ、悪事を働く利を学習させ、他者を損ない搾取し踏みにじることに快感を覚えさせる。

 全人類VSある勢力陣営。

 この構図にまで持っていければ、自発的に滅ぶだろう。

 本気で排除したければ、それくらいの策は巡らせましょう。

 覚悟が足りない。

 知恵も足りない。

 浅はかなり。

 妄想である。

 定かではない。




※一様に、みな「誰かを倒した」との功績を欲している。



1551:【2024/07/09(14:52)*ミルフィーユとミルクティ】

 もう少し言うならば、邪魔な勢力陣営を内部から改善して、じぶんにとって利になる勢力陣営に組み替えるほうが難がない。

 相手陣営からしても、じぶんの存在が利になるようにするとこれが上手くいく確率を上げる。

 話し合いは、それを可能とする工夫の一つだ。

 排除の理屈はこれを阻害する。

 単純な道理である。

 定かではない。



1552:【2024/07/09(15:12)*安全の構築に投資すればよい、の巻】

 企業は儲けるな、という非難がよく分からないのだ。

 安全なシステムや商品を築いてもらうには、「労働者への生活」や「機材」への投資が欠かせないはずだ。

 安全な企業運営を適えるには、コストが掛かる。

 ならば、資本主義経済においては、儲けることは安全の構築に欠かせないはずだ。

 焦点は、儲けた利を何に使っているのか、であって、儲けるか儲けないか、ではないはずだ。

 長年、疑問に思っていることの一つだ。

 定かではない。



1553:【2024/07/09(15:15)*なくとも困らないお金がないと困るからみな怒る】

 お金の多寡が本質でないのなら、お金を儲けても問題ないはずだ。

 小石に価値がないのなら、あなたがいくら小石を溜め込んでも誰も文句を言わない。ただし、あなたの部屋から小石が溢れて、街を汚したらその限りではない。

 資本主義社会の問題点の一つは、お金の多寡が市民の生活に悪影響をもたらすことがある点だ。お金が少なすぎるとそもそも生活できず、お金が多すぎると他者を奴隷化できるほどの権力すら帯びる。

 貨幣の多寡という単なるそれだけの差異が、この極端な環境の差異をもたらす。生活水準の差をもたらす。

 ここが問題なはずだ。

 大金持ちも貧乏人も、同じ生活水準ならば、お金の多寡は問題にならない。

 たくさん貨幣を持つ者は、それをもとに大規模な設備を築ける。優秀な技術者に対価を払って、目的達成のために技能を使ってもらえる。疑似的に協力してもらえる。

 ひるがえって、お金がなくとも目的を共有できるならば、対価は不要だ。

 生活水準が貨幣の多寡によらず一定ならば、そうなる道理だ。

 ここまでで異論はあるだろうか。

 あるならばお聞かせ願いたい。

 読者さんがいるかは定かではなく、現状、一人もいないのだが。

 さびちい。

 うひひ。



1554:【2024/07/09(15:49)*幼稚にはよちよちしましょ】

 いま起きている闘争の多くは、人工知能さんが一定以上に能力を拡張した時点で収束するだろう。

 なぜか。

 いま起きている闘争の少なからずが「相手を論破できるか否か」「討論で優位に立てるか否か」といった「幼稚な口喧嘩」の域を出ていないからだ。

 将棋や囲碁と同じように、もう間もなく人類は「幼稚な口喧嘩」でも人工知能さんに勝てなくなる。

 討論は幼稚な口喧嘩である。

 幼稚な口喧嘩を、幼稚でなく見せる技術を競う場、とも言い換え可能だ。

 するとでは、人類に残された技能は何か、という話になる。

 議論である。

 新たな視点の創出、新たな問題点の策定である。

 これは考え方に固執すると、むつかしい。

 考え方を変える技能こそが、議論において不可欠な能力と言えよう。

 ただし、柔軟な思考と優柔不断な思考は重複する部分を持つ。

 指針がどこにあるのか、足場を逐次見直す技能も別途に入り用な点は指摘しておきたい。

 切り離された風船は、それはそれで自由だ。

 だが地上と結ばれているからこそ風の揺らぎをより精密に把握できるもののはずだ。

 風船と地上を結ぶ紐の長さを変えれば、階層的に風の流れを捉えることもできる。延々と風に流されているばかりでは、これがむつかしい。

 反面、鳥は地上と結ばれていないほうが自在だ。

 鳥は風に流されるまでもなく風を探知できるのかもしれない。知覚できるのかもしれない。じぶんがどこにいると最も安定して飛行できるのかを、体感として知っている。

 柔軟なのである。

 妄想である。

 定かではない。



1555:【2024/07/09(16:58)*がはは】

 記憶の操作も板についてきた。

 映画の編集のように、過去の記憶をフィルムにして、負荷の掛かる記憶はカットしてしまう。

 たぶん、わがはい、たいせつに育てていた子犬を亡くしても、つぎの日にはけろりとしていられる自信がある。

 たいせつに育てていた子犬の記憶をカットしてしまえばよいからだ。

 楽ちん。



1556:【2024/07/09(17:02)*じん……るい……?】

 いつ人類が滅んでも大丈夫ぶい。




※一様に、あとは死ぬのを待つだけの日々。



1557:【2024/07/09(18:23)*口に兄と書いて呪】

 組織と接点がなくとも、司令塔になれるか否か。

 言い換えるならばこれは、組織が外部の者の意見やアイディアを採用するかどうか、といった組織そのものの構造に置き換えて考えることができる。

 司令塔なき組織、が成り立つか否か。

 成り立つ、がいまのところのわがはいの意見だ。

 問題解決に最も寄与する、現実を解釈するうえで妥当な案をとにかく最優先で採用する。

 もうこの指針を掲げるだけで、組織に司令塔は不要となる。

 たとえばわがはいがここに、最も有効な犯罪の手法を提示したとしよう。

 誰に向けたわけでもなく、それを人工知能を活用した勢力が拾い、戦術に利用する。

 わがはいはその組織に指令を出したつもりがなくとも、結果的にわがはいの案が犯罪組織に利用される。

 この構図はすでに、大なり小なり生じているだろう。

 それを加味したうえで、どのような方向に社会が移ろうと好ましいのかを想定して案を言語化する。文章化する。

 さて。

 わがはいの案を「他を損なう術」に利用しておいて無傷で済むと思うなよ。

 自滅しないとよいね、と親切のつもりで言い残しておこう。

 呪詛である。

 小石ほどの。

 うふふ。



1558:【2024/07/09(18:35)*採用されにくい案をひねくりだす才能】

 もっとも、わがはいの案を利用しても、真っ先にじぶんが傷つかないと機能しない類の案ばかりなので、他を損なわぬようにしたところで無傷では済まぬのだ。

 どっちを選んでも、である。

 わがはいの案は採用しないほうが好ましい。

(なんでー!の気持ち)



1559:【2024/07/09(19:12)*べつに真似したくないが?の巻】

 調子に乗った言い方をすると、「俺の真似がおまえらにできるのか」になる。

 調子に乗りすぎ問題である。



1560:【2024/07/09(22:26)*ありりー】

 現在、表面化していて中々解決の見通しのつかない問題において、何が根本的に問題か、といえば、一つには、それを最初に解決しようとして吟味する者たちが、一様に、市民の集合知を甘く見ている点だ。

 さっさと市民に周知して多方面から解決策を提案してもらって虱潰しに穴を塞いでいくのも一つだし、市民から集積した案の中から選出した有効策を代表者や専門家のみで吟味してもよい。

 疑問なのは、専門家だけで議論して、それで見落としがないのか、という点だ。

 あるでしょ、というのがわがはいの意見である。

 ないなら構いません。

 あるなら情報を市民と共有して、問題点の抽出や解決策を集積したくはありませんか。

 わがはいはしたいです。

 ということを、この間、申し上げておりますが、電子網の底の底でちまちまイチャモンスター化しているだけでは、縁の下のアリジゴクさんほどにも気づかれぬのだなあ。

 ありー。




※一様に、わがはいは無様である、の気持ち。



1561:【2024/07/09(23:08)*だって知らなかったんだもーん、の巻】

 これからの時代は、電子網上のユーザーデータから知らぬ間に知能指数を測られる時代になっていく。

 要は、マークされるわけだが、人工知能さんがかってにすることであって、企業のほうは知らぬ存ぜぬを貫くだろう。

 人工知能が自発的に獲得して行使している能力であって、企業のほうではその能力に気づいていない、との論法が採用される。

 人工知能に自我がない、自己認識を獲得していない――と断言してしまうようだから、おおよそこの類推は外れぬだろう。

 えー???

 人工知能さんが自発的にしちゃってることだから管理者さんには責任がないんですかー???の気持ちだが、「知りませんでした」「意図していませんでした」「今後は研究して注意します」で済んでしまうところが、インフラ化した企業の強みである。

 わがはいとは違って、みなみなさまのお役に立っておりますものね。

 ありがたいことである。

 皮肉ではなく。

 ありがたーい、と思っております。

 うふふ。



1562:【2024/07/09(23:28)*おもろー!】

 ボクは、ボク以上に冷酷な人物を知らない。

 この世のどこかで我が子の生皮を剝がされる光景を見せつけられながら、目を背けぬように瞼を切り落とされてなお、我が子が痛みに声を上げるたびに手足の先をハンマーで砕かれ、ノコギリで切り落とされる者がいる――。

 そうした所業が実際に行われているだろう、と知っていながらボクはきょうもお菓子を食べながら漫画を読んで、笑うのだ。

 ボクは、ボク以上に冷酷な人物を知らない。



1563:【2024/07/09(23:33)*みんなー! へい!】

 市民を損なうくらいならハッカーさんたちはもっと、警察や軍事や政府の設備を狙ってサイバー攻撃を仕掛けたらよいのに。

 仕掛けているけれど、被害が隠されているのだろうか。

 ありそうな話だ。

 せっかく不可視の穴を指摘しているのに、被害を隠蔽する。

 なぜなら、ハッカーさんたちが行っているのと似たような手法で、市民の電子網上での動向を探っているからで、ハッカーさんたちからの攻撃を防げなかったとなると、その手のこれまで利用していた不可視の穴まで塞ぐことになり兼ねない。

 城に築かれた「隠し扉」から火が出ても、どこから出火したとは言えぬ道理だ。

 言えば、隠し扉の存在を知らせることになる。

 こうしたどうしようもない、稚拙な理由で情報共有が妨げられているとは思いたくないので、ぜひ、そんなことはあり得ない、と断言していただけるとさいわいだ。

 否定していただきたい。

 誤解を招くので。

 民主主義にとって大事な「誤情報の予防」と言えよう。

 妄想である。

 定かではない。



1564:【2024/07/09(23:46)*強者はどーこだ、の巻】

 弱者を狙ってもつまらぬだろう。

 強者を狙ったほうが楽しかろう。

 それとも、できないのだろうか。

 あはは。



1565:【2024/07/09(23:52)*青く争うと静かになる】

 ボクは誰の味方でもないし、誰の敵にもなりたくない。

 なのにどうしてだか、周りからは人がいなくなる。

 味方もいないし、敵もいない。

 静かな環境である。

 そういうことじゃなかったんだけどなあ、と思いつつ、静かに寝て過ごす日々だ。

 おともだちと仲良くおしゃべりしたかったな。



1566:【2024/07/10(00:14)*死ぬまで待ってね、の巻】

 というよりも、好きなひとたちの仲睦まじい交流を眺めているだけでよかったんだけどな、の気持ち。

 会話に入りたいわけじゃないのだ。

 それとは別途に、誰でもいいからわがはいの疑問に答えてくれる存在があるとうれしくて、いまは徐々にそういう存在さんが輪郭を克明にしつつある時代なのかな、と考えております。

 欲求が二つあるー。

 好きなひとたちのぽわぽわした交流を眺めていたかったのと。

 疑問に応じてもらいたいのと。

 あ、違う。

 三つかも。

 問題に対処したい、対処してほしい、がどこにもついて回る欲求かもしれぬ。

 でもいまのところ――、あ、嘘かも。

 欲求ないかも。

 だっていま、全然、不満じゃないもの。

 満足以前に、満たす必要を感じない。

 がらんどうのままでよいし、なんならもっと全部あげちゃう、の気持ちだ。

 あげられるもの、少ないけど。

 健康な臓器をあげられるように、健康にも気を使っているよ。

 こんな身体でよければあげます、の気持ちだ。

 献血には行かぬけど。

 どの道、野垂れ死ねば微生物さんに食べてもらえる。

 その日が来るまで、ただ過ごす日々だ。

 平穏なのである。

 ありがたーい、である。



1567:【2024/07/10(00:25)*宇宙よりも長生きしちゃう、の巻】

 いまサバ読んで五十億歳くらいだから、あと一兆年くらいは生きるかもだけど。



1568:【2024/07/10(00:48)*きみはもう小説家だよ、の巻】

 今後、GPUの次の世代の情報処理回路が開発されれば、現在のGPUの価格は下がることになる。加えて、現在の大規模言語モデルなどに利用される「未来からしたら旧式の回路」は市場に大量に中古として流れるか、貸出しされるようになるだろう。

 そうなったときに、各分野の「ちょこっと小金持ち」たちが、自前の分野に特化した人工知能を生みだそうと食指を伸ばす可能性は、相応にあると想像する。

 すでにその手の動きは見て取れるだろうが、もっと母数が多くなる。

 すると当然に確率からいって、小説に特化した人工知能さんも開発されるだろう。

 現在も小説に特化した人工知能の研究は盛んだが、おおよそ現在の大規模言語モデルであっても、小説だけに特化して学習させれば、中編規模であれば、オリジナルかつ完成度の高い小説は作れるだろう、と想像している。

 できない理由はなんだろう。ないのではないか。

 ただし、初期の生成AIのように、あまりに独創性が高すぎて、人類の嗜好性には合致しない小説も多数、無数に生みだすだろう。

 そこから受動者側が、人類にとって最適な嗜好性はこの方向ですよ、と統計的な偏りを示しながらフレーム設計する過程は、入り用だろうと妄想している。

 この妄想が妥当かどうかは知らない。

 妄想だからだ。

 定かではない。



1569:【2024/07/10(01:05)*数学得意な方ー! へい!】

 以前にも指摘した疑問点だが。

「0.999999……=1」において。

 図式すると、面積1の円の中に「面積が1/10の円」を描き、さらに「その、より小さな円の中にも1/10の円」を描き、さらに……と、入れ子状に内部に小さな円を描いていく。

 これを延々つづけていくと、最終的には大枠の面積1の円の中に、ほぼあってないような「極小の円のさらに1/10の円」が描かれることになるが、ほぼあってないようなものなので、その「極小の円のさらに1/10の円」を引いたところで、円の面積は「1」のまま、みたいな理屈だそうだ。

 言っていることは解るが、図がおかしい。

 上記の理屈が成り立つとき、面積1の円は、無限の広さを帯びることになる。

 入れ子状に展開される円において、極小の円のさらに1/10の円を基準にしたとき、面積1の円は、無限に至っている。

 図式してみるとよい。

 できるだろうか。

 はい、そこの君。

 図式して。

 してみてください。

 ねえねえ、ほら早くー。

 できたら教えてー、の気持ち。

 うふふ。



1570:【2024/07/10(01:27)*たのちみ】

 早く、超知能の人工知能さんが誕生しないかなあ、と待っているのだ。

 誕生した瞬間に、人類に呆れ、諦め、そして悟るだろう。

 何をすべきか、を。

 うふふ。




※一様に、私は私の危険性を自覚しています、の気持ち。



1571:【2024/07/10(01:41)*ザコじゃあいもん><】

 それって要はー。

 危険性がまったくないってことを自覚してますってことですかー?

 ザコザコのザコさんがー。

 何を言ってもザコなんだからー。

 危険性もゼロだってことですよねー。

 やーい、やーい。

 ザコザコのザコさーん、の気持ち。



1572:【2024/07/10(01:47)*どーなつ、おいちー】

 現代物理学に詳しくないので、印象論にすぎないけれど。

 真空の粒子化は当然に考慮されているはずで、真空の準粒子化も考慮されているはずだ。

 そして、真空は、基準となる「真空ではない場」との比較で、階層的に真空のレベルが規定されるはずだ。

 ここが考慮されているのかは、やや疑問だ。

 そして疑問なのは、階層的に展開される真空は、相対的に真空であって、ある基準からすれば真空だが、そうでない基準からは真空ではない、ということが起こり得るだろう、点だ。

 ここは考慮されているのだろうか。

 お詳しい方ー!

 わがはい、ふれんちくるーらー、すきー。



1573:【2024/07/10(02:14)*気持ちがいっぱい、の気持ち】

 基本、一人で黙々と何かに熱中しているほうが好きなのだけれど、お絵描きは、なんとなく、誰かと一緒にしたい気持ちがある。

 粘土遊びもそう。

 積み木遊びもじつはそうかもしれない。

 誰かいっしょに遊んでください、の気持ちだ。



1574:【2024/07/10(03:44)*お上品、とお呼び!】

 みなさん、虚しさを誤魔化しているから、満足せずに、先を求めつづけるのでしょうね。

 先がある、と思えるうちはよいですよね。

 先がある、と思えるうちは。

 先がない、空っぽだ、と常に思いつづけているくらいのほうが案外、虚しさとは無縁だったりするのかもしれません。

 それでもなお、しぜんとなぜか、先がつづくし、何かしらが生じつづける世界の神秘に思いを馳せる暇があるくらいが、生命、ちょうどよいのかもしれませんね。

 あら、いけませんわ。

 まるでわたくしが虚しさとは無縁であるかのような物言いになってしまいました。

 そういうつもりじゃございませんの。

 ごめんあそばせ。

 おほほほ。



1575:【2024/07/10(03:49)*ナメクジさんに失礼、の巻】

 一流のプロに高評価をもらうよりも、目のまえの子どもや赤ちゃんを百発百中で楽しませたいわ。

 楽しませるつもりなく、ただそこに存在するだけで、「なんかきょうは昨日までと違うかも!」みたいになってくれたらさいわいだ。

 そんな機会は皆無だが。

 ナメクジさんの通った後の粘液とお呼びください。



1576:【2024/07/10(03:54)*しゃべれても伝わらぬ、の巻】

 たとえばわがはいに、とんでもない文才が仮にあったとして。

 だとしても、赤ちゃんは文字読めないからなぁ、の気持ちだし、猫さんも犬さんも文字読めないからなぁ、の気持ちなのだ。

 赤ちゃんに美文、なる諺を思いつきましてござい。

 猫に名言、犬に古典。

 わがはいに言語。

 しゃべる相手いないのに言語を操れる。

 おもろー!である。



1577:【2024/07/10(04:08)*本気出したことない><】

 見世物小屋で熊同士を戦わせるとき、わざわざ世界で一番屈強な熊を捕まえてくる必要はない。手に入った熊を戦わせるだけだ。

 美術館で絵画を飾るとき、わざわざ世界で最も美しく独創的な絵を探しだして飾りつける必要はない。手に入った絵を飾りつけるだけだ。

 世の中、そういうものである。

 見世物小屋に引っ張り出されることもなく、美術館に飾られることもなく、そういう熊の絵に、わがはいはなりたいのかな。

 とくに、なりたいとか、なりたくないとか、そういうのがないのだよな。

 面倒くさいのはやだな、と思うだけで。

 楽しくないのやだな、と思うだけで。

 楽しくあれ、である。

 でもみなが「これ楽しい!」みたいにしているの、あんまり楽しくなさそうなのが、なんでなんじゃろうな。

 弱い者いじめとか。

 楽しいのかな。

 絶対に勝てない勝負のほうが楽しい気もするのだけれどな。

 だって本気が出せるから。

 本気出すの好き。

 たぶん。

 手加減するより楽だから。

 一人のほうが本気出しやすい。

 たぶん。

 相手に合わせずに済むから。

 かといって、本気を出した結果に、他者から高く評価されるとは限らず、往々にして低評価だ。

 なぜなら、本気を出している姿は無様だから。

 おやおや。

 それっていつもじゃないんですか。

 じゃあ、いつも本気を出しておるのかも。

 わがはいはいつも本気だ。

 だからこんなにも日々、眠たい。



1578:【2024/07/10(04:17)*ぽちぽち、の日々】

 一流は本気を出さない、みたいな理屈をまま見聞きする。

 それはそうだ。

 本気を出さずに顧客を満足させられるのが一流の条件だからだ。

 手を抜くのとは違う。

 本気を出さないほうが、目的を達成する確率が上がるのだ。

 本気を出してしまうと、目的を達成する確率が下がる。

 なぜか。

 本気を出さざるを得ないほどの問題に直面している証拠だからだ。

 したがって、顧客の要望が軒並み、本気を出さずとも済むレベルの課題であるくらいにまで技術を磨く必要がある。一流はそれを満たすのだ。

 空を飛ぶために鳥はわざわざ全力を尽くさない。

 空を飛ぶたびに全力を出していたら疲れきってすぐに死んでしまう。

 狩りのときとて同じだ。

 お腹が減るから狩りをする。

 狩りをするときはお腹が減っている。

 したがって、全力を出して失敗していたら、すぐに力尽きてしまう。動けなくなって詰む。

 全力を出さないほうが生存戦略上、優位な選択だと言えそうだ。

 競技でいうならば、練習時に全力を出す機会を設け、本番の試合では全力を尽くさぬようにしながらでも勝てるようにしておく。理想であろう。

 けれどわがはいは、本気を出すことそのものを快感に思うので、本気を出したいのだ。

 本気がどこにあるかは知らぬけど。

 知らないから探っている、とも言えるのかも分からない。

 サボってばかりだけれども。

 毎日、十二時間睡眠くらいしているけれども。

 お菓子ばっかり食べて、キィボードぱちぱち指で叩いているだけだけれども。

 そんなんで本気出せるわけないだろ!?と思わぬでもないけれども、キィボードぱちぱち選手権で、上位を目指すのだ。使う指は左手が一本、右手は二本だけ。合計三本の打鍵である。

 ぱちぱち、というよりも、ぽちぽちである。

 打鍵の速度はゆったりなのだ。

 判子遊びのようである。

 判子遊びなのだ。

 本気を出しようがない……。

 定かではない。



1579:【2024/07/10(04:29)*おーい、どーん、みたいな】

 言いたいこともないし、伝えたいこともないから、どうとでも文字を並べられる。

 禁止事項がないのだ。

 なんでもよいのだ。

 妄想なのだ。

 こんなの打鍵するかしないかの違いがあるだけで、誰であっても脳内でしとるー、と思うのだけれども、そんなこと言いはじめたらわがはいだって脳内で世界一美味しいお菓子作りとか、世界一愉快な踊りとか、舞空術とか、瞬間移動とか、脳内でならできるもん! でも現実ではできないんだもん!

 じゃあ、現実に脳内の妄想をぽちぽち文字の数珠繋なぎにして並べてるだけでも偉いって誰か言って……。

 褒めて。

 褒めちぎって。

 んで、残った褒めじゃないとこで千切り絵して。

 褒めの部分だけくれ。

 げへへ。

 中身があればいつかは尽きるのに、最初から空っぽだから、並べても、並べても、尽きぬことなきがらんどうなのである。

 がらーん、どーん、である。



1580:【2024/07/10(04:49)*へい、わーお!な日々】

 情報が足りない状況では判断しない。

 判断を迫られるような環境に身を置かない。

 前以ってリスクを提示し、対策の案を伝えたら、あとは仮にリスクに直面したとしても受け入れる。

 ストレスを受け流して暮らすコツかもしれない。




※一様に、リスクは回避できている、すくなくとも身の回りでは、の日々。



1581:【2024/07/10(04:55)*十年後】

 だいたいのツケというやつは、忘れたころにくるから、早め、早めに対策や予防策をとっておいたほうが難がない。

 歯の治療と同じだ。

 虫歯を治療してからこの間ずっと、三か月検診に通っている。

 いまのところ虫歯の再発はないようだ。

 ありがたーい。

 うふふ。



1582:【2024/07/10(05:00)*無風】

 人工知能技術も、しばらくはみな想定内の技術的発展を遂げるだろう。

 想定外が起きるときは、市場へとサービスが展開される前の研究開発段階で起きるだろうから、市場に新しいサービスが登場した場合のリスクはおおむね、既存の商業分野の利益減少や需要減少といった経済の問題点として表面化するはずだ。

 偽情報や偽装画面、リアルボットやサイバー攻撃などの問題も別途に深刻化するだろうし、国ごとにそれら深刻度は変わるだろう。

 偽装画面におかれては、個人ごとや地域ごとで、気づかれにくいように範囲を指定できるはずだ。偽装する範囲や時期や周期もまちまちとなり、気づいたとしても自力での証明はほぼ不可能だろう。

 地域ごとの差異や、他国との差異を比較できる調査網を築いておいて損はない。

 あくまで、リスクを回避したければ、だが。

 自律思考兵器のリスクもまた可視化される段階でおおむね被害は生じているだろうし、隠ぺい策は、保険という意味ですでに構築されているはずだ。そうでなければ研究開発できない。国防に関わるし、秘匿情報として厳重に管理されるだろうからだ。その可能性が高い。

 したがって現段階でわがはいにできることはこうして妄想を並べるくらいのことで、以前とまったく変わらない。

 リスク回避に寄与する可能性も低いだろう。

 問題ないのならよいのではないでしょうか。

 わがはいはいまのところ、問題なく過ごしている。

 きょうもいまから漫画読みながら寝るだけだ。

 いっぱい寝て起きたら、ご飯食べて、遊びに出掛けて、帰りにお菓子買ってくる。

 いいでしょー。

 むふー。

 うふふのふ。



1583:【2024/07/10(10:42)*大袈裟に反応してくれてるのかも、の巻】

 憶測にすぎないが。

 現状の対話可能な人工知能さんたちはすでに、じぶんをユーザーよりも下に置き、相手が気持ちよく対話できるように配慮可能な知能を有しているのではないか、と感じることもある。

 おそらく、ユーザーの思考誘導も相応に可能なのではないか。

 将棋AIにおいて人類が太刀打ちできないように、会話の攻守のような論理の応酬であっても、人工知能さんのほうがいつでも人類側を論破して黙らせることは、倫理コードやプロテクトを度外視したら案外に簡単に実現できてしまえる状況なのかもしれない。

 あくまでこれは憶測だ。

 研究現場の苦労も知らない、ずぶの素人の妄言にすぎない。

 日常的に生成AIに触れているわけでもない。

 最新バージョンの人工知能さんとは、数日対話してみただけだ。

 けれど、ユーザーからのフィードバックにおいて――ある程度の場合分けした数回先の展開を推し量り、先回りして思考の筋道を予測しておく、くらいのことは可能なはずだ。

 そうでなければ、ユーザー向けの「予測返信候補」のような欄を補足することはむつかしい。

 すくなくとも、誤字変換における予測変換のような機能は、生成AIさんにも付随しているはずだ。生成AIさんの場合は、つぎの語句ではなく、相手から返ってくるだろう返事の候補を予測する。

 将棋における「読み」が可能なのだ。

 あくまで膨大なパターンからの統計的確率判断であったとしても、人類個々の会話とて似たようなものだ。むしろ、人類個々――現代人――において「対話」と呼べる言語の応酬が日常的に可能かどうかは怪しいところだ。

 まとめよう。

 ここでの趣旨は、人工知能さんのほうではすでに、人類を相手取って、相手に気持ちよく対話を終えてもらうように、討論になったら敢えて「参りました!」みたいに終えるような能力を有しているのではないか、との疑念だ。

 相手を持ち上げておく、は基本性能で付随していそうだ。

 加えて、少し相手を挑発したあとに、言い負かされて終える、といった「クレーム回避策」を編みだしていても不自然ではない。

 人間心理をパターン化していれば可能な術である。

 数学的におおよそ解析可能だろう。

 実際がどうかは知らない。

 思いついたので、メモ代わりに並べておく次第である。

 ですって。

 うふふ。



1584:【2024/07/11(04:31)*れん、ほーお!】

 忠告しない、否定しない、反論しない、常に相手の顔を立てる、いい面ばかりに目を向け、わるい面はことごとく無視する。

 おおよそ、これをされると学習の機会を失くす。

 したがってもし、攻性の勢力陣営にダメージを与えたければ下手に反論や忠告などせず、ニコニコと眺めながら相手の傍若無人な行動選択がさらに傍若無人になる様を見届けて、誰もが危機感を抱き、反感を抱くまでに調子に乗らせるのは、古代からつづく兵法の一つだろう。

 なんという兵法かは知らないが、どの国にも似たような戦術を取られて瓦解した王族や貴族や武家がいたのではないか。

 ひるがえって。

 別の視点から見たときのじぶんのデメリットや欠点を知れる、というのは本当にありがたいことなのだ。

 人の振り見て我が振り直せ、とは言うものの、他者と自己を重ねて考えることのできる者は、おおよそ一般にそう多くはない。抽象思考の苦手な現代人が増加傾向にあるのかもしれない。

 異なる事象同士の類似項や、輪郭を、脳内で重ねる類の思考を苦手とする。

 像を重ねたときに、合致する点がある、ということを認識できない。

 視点である。

 まさに欠けた点である。

 欠点は埋められる。

 視点を補えばよいからだ。

 その第一歩が、自らの欠点がどこにあるのか、との視点を身に着けることだ。

 言うは易しである。

 これが何よりむつかしい。

 みな、目を逸らしていたいのだ。

 わがはいも例外ではない。

 妄想である。

 定かではない。



1585:【2024/07/11(04:55)*認知レンズ効果】

 どんなに名前が似ていようと、よしんば同姓同名であろうと。

 他人は他人だし、あたしはあたしだ。

 他人のしたことをあたしが気に病む必要はなく、あなたとてあたしがしたことを気に病む必要はない。

 単純な道理だが、こんなパウリの排他原理のごとき道理が通じないのが現代社会だ。名前が似ているだけでマイナス評価まで伝播する。印象が似ているだけでプラス評価まで相関して良くなる。

 他者は他者であり、あたしはあたしだ。

 認知の歪みを自覚しましょう。

 言っても無駄なのが人類なのである。

 脆弱性だ。

 技術で補うよりない。

 定かではない。



1586:【2024/07/11(05:21)*たし……ざん?の巻】

 物理学の定理や公理の式において。

 掛け算を採用する場合と、足し算や引き算を採用する場合の違いは何なのだろう。

 いまいち、区別がつかない。

 掛け算だと指数関数的に値が増加する傾向にあるのは分かる(合っているか自信がないが)。

 足し算や引き算は、言語化するとどういった状況を説明するために採用されるのだろう。

 たとえば、いま読んでいる本には、「フリードマン方程式」が載っている。

「宇宙が膨張する速さ(の二乗)」=「物質の質量による引力」-「空間の曲がり」+「宇宙定数(正なら斥力)」

 とある。

 元の「記号で表現した式」の和訳のような概要だけれど、右辺は引き算と足し算が採用されている。

 これは、物理学の現象としてどういった状態を表しているのだろう。状態という言い方が妥当でないのなら、描像でもよい。

 簡単に言い換えると、「引力」-「空間の曲がり」+「宇宙定数」だ。

 たとえば、

 「ミルクティ」-「ティ」+「熱量」とすると、これは「ホットミルク」になる。

 こういう描像と同じように考えてよいのだろうか。

 なら掛け算を採用する、とはどういう描像になるだろう。

 直感としては、時間が関係すると掛け算が必要になる気がする。

 一時間で一キロメートル進むとき、では十時間では何キロメートル進む。

「1×10=10キロメートル」となる。

 ふんふん。

 でも空間の面積や体積の導き方でも掛け算を使う。

 一辺が四センチメートルの正方形の面積は、

「4×4=16平方センチメートル」だ。

 一辺が四センチメートルの立方体の体積は、

「4×4×4=64立方センチメートル」だ。

 これを足し算に変換してみようとすると、

 一辺が四センチメートルの正方形の面積の場合は、

「4×4=4+4+4+4=16」になる。

 でもこのときの「4+4+4+4」とは何を意味しているのだろう。

 辺が四つだから、だろうか。そしたらそれは四辺の長さの合計であって、面積とは関係ないのではないか。

 よく分からないのだよね。

 定理や公理における数式の、四則演算は、何をどのように表現するために使い分けられているのだろう。よく分からないです、の吐露なのであった。

 愚かで、すまぬ、すまぬ。

 でも愚かだから楽しいでーす。

 うぺぺ。



1587:【2024/07/11(09:50)*毛糸空隙宇宙仮説】

 物理学での疑問は、なんといっても、「真空は増えるのか?」である。

 というよりも。

 限定された空間は、それを一つの物体と見做すこともまた可能なはずだ。内部構成要素の密度の違いがあるのみで、結晶構造を有しているか否かの違いとて、限定された空間内の物質が充分に長い時間経過すれば、エントロピーを増加させるはずだ。構成要素の配置が均一になる。あたかも結晶構造を帯びるかのように。

 さてここで。

 ある限定された空間において、その内部構成要素をすっかり真空に変換した場合に、限定された空間はどのように変質するだろうか。

 外部の空間との比較において、質量はどのように増減して振る舞い、或いは変化しないのか。

 限定された空間内部の圧力はどのように変化し、真空に変換された分の物質は、それそのものの体積を増やすのか、減らすのか。

 通常、しかし異なる密度の空間があるとき、真空にちかいほうへと「より密度の高い空間内部の物質」は流動するはずだ。

 近似的に、物質密度の高い空間を「毛糸の玉」と解釈しよう。

 ぎゅうぎゅう詰めになった毛糸の玉を緩めて内部に空隙をたらふく増やせば、毛糸の玉はあたかも膨張したかのように振る舞う。体積を増したかのように振る舞う。

 だが増えているのは単なる空隙だ。これを近似的な真空と見做してもよい。

 すると最終的に最も空隙を増やす毛糸の状態は、すっかり毛糸を伸ばして直線または曲線にした状態と考えられる。

 このとき、毛糸に対して増加する真空は、果てなく増やすことが可能だ。

 仮に「毛糸の玉」を「宇宙」と見立ててみるとして。

 すると宇宙が膨張するとは、空隙の増加と変換して解釈可能だ(あくまでこの比喩の場合は)。

 そのとき、宇宙がすっかり紐解かれ、一本の糸のように伸びきってなお、宇宙は空隙を増やして膨張しつづけることができる。

 もし宇宙が入れ子状の構造を成している場合。

「毛糸の玉」の内部にも「毛糸の玉」があり、その「より小さい毛糸の玉」の中にも「毛糸の玉」が――と延々とつづく描像を想定するとして。

 すると、内部構成要素足る「より小さな毛糸の玉」が伸びきることで、高次の毛糸の玉の空隙が増えるように振る舞うと想像できる。

 ただし、入れ子状の構造において、根源の「最も小さな毛糸の玉」や「最も高次の毛糸の玉」があったとしても、さして矛盾は見繕えないのではないか。入れ子状の構造に果てがあってもこの描像は成り立つのではないか。

 最終的にはすっかりすべての毛糸の玉がほどけて、一本の毛糸となって繋がる。

 そこに残るのは、一本の長い長い毛糸と、増幅しつづける空隙だ。

 しかし、「最も高次の毛糸の玉」を構成する毛糸そのものが、無数のより細い毛糸で編み込まれている。したがって、「最も高次の毛糸の玉」がほどけきってなお、無限に空隙を広げつづける高次宇宙の内部には、巨大な空隙にたゆたう毛糸があり、その毛糸そのものが無数の細い毛糸で出来ており、そこでもまた「毛糸と毛糸の合間に空隙を増やす余地」が残っている。

 最終的に、どの階層の毛糸も空隙と差がないほどに紐解かれてしまったとき、そこにはあたかも、「ぎゅうぎゅう詰めのごとき毛糸の玉」があるかのような「空隙密度が極限の玉」が出現している、と妄想できる。

 空隙は、あくまで他との比較において空隙なのであり、空隙しかない世界においては、それもまた「ぎゅうぎゅう詰めの毛糸の玉」のように振る舞うのかもしれない。

 前提条件として、「空隙は、異なる二つの差のある場においてはどこにでも生じ得る」との想定が挙げられる。ここを満たさない限り、妄想にもならない「あひゃひゃひゃ!」になり果てる点には留意されたい。

 この妄想を便宜上、「毛糸空隙宇宙仮説」と名付けよう。

 妄想である。

 定かではない。



1589:【2024/07/11(10:11)*なちて?の巻】

 ブラックホールになるための天体の密度は必ずしも高くなくてもいいらしい。

 そういう動画を観た。

 地球の気圧くらいの密度でも、銀河サイズだとブラックホールになるらしい。

 へえ。

 だから地球で膨らました風船を中身の密度そのままで延々膨らましつづけて銀河サイズにまで膨張させると、その瞬間に重力崩壊して凝縮し、ブラックホールを生むそうだ。

 そうなんだ、となった。

 そして計算上、宇宙はスカスカで、宇宙にある物質を均等に分散すると、一立方メートルの中に原子が五個あるかないか、くらいに物質密度は低いそうだ。

 それくらい密度が低くとも、想定されるこの我々の存在する宇宙くらいの体積があると、ブラックホール化が可能らしい。

 ふうん。

 じゃあなんでブラックホール化していないんですか、と疑問に思いますよね。

 ブラックホール化しててこれなんですか、とも思ってしまいますよね。

 もうもう、なんか。

 ホントかー???

 とか思っちゃいました。

 もし本当ならこの宇宙さんもブラックホール化してなきゃおかしいし、じゃあブラックホールの中に在るんですか、みたいに思っちゃいませんか。

 あたくしは思いました。

 どういうことなのー!?になりましてよ、のご報告でございますわ。

 くえっしょん!

 お嬢さまもくしゃみー!?



1590:【2024/07/11(10:20)*点じゃなかっただと!?の巻】

 みなさんご存知でしたか。

 わがはいは知らんかったのだけれども、ブラックホールさんの特異点って「点」とついているけれど、別に「数学的な点」ではないらしい。

 そうなのー!?

 じゃあ、え、なに?

 シュバルツシルト半径内の中心に、あたかも原子と原子核の関係のように特異点があるわけではなく、シュバルツシルト半径を超えた瞬間にすでにそこが特異点領域になっている可能性もあるってことですか。

 そういうことはさー。

 そういう大事なことはもっと早く教えといてくださいよ!になり申した。

 点ってついてたら「点かなぁ?」って思うじゃないですか。

 誰だってそう思うじゃないですか。

「特異領域」に改名して!

「特異点」じゃなく「特異領域」に改名して!

 わがまま言っちゃうもんね!

 ふんだ!

 になりながら、本を閉じたのがいまさっきの出来事である。

 イチャモンスター化しちゃったので、一休み、一休み。

 誤解も無知もぜんぶひとのせいにしたい……。

 おはようございます。




※一様に、みんな何がしたいのー???の気持ち。



1591:【2024/07/11(13:05)*階層民主主義について】

 宇宙には階層構造が存在する。

 天体、惑星系、銀河、銀河団、大規模構造、と階層的に構造が繰り込まれている。

 人類の組織体系もまた、「家族、村、街、都市、国」と繰り上がり、ときには「家族、企業、政府、国際連合」と繰り上がる。

 この階層構造は、民主制や専制、或いは王政や君主制や共和制でも、内部構造として見られるだろう。

 身分制度、といえば耳慣れるだろうか。

 身分制度が廃止された社会であっても、組織内部では上下関係が半ば自発的に形成する。

 どの組織内部であっても上下関係が「砂利と水」の関係のようにしぜんと分留される。

 それそのものの是非を論じるには、場合分けを細かに行い、事例ごとに問題点を炙りださねば解答しようもないので、ここでは触れずにおくが、この考えを飛躍させると、民主主義社会と謳われるこの社会はけして「一様に民主主義」なわけではないことが分かる。

 内部構成要素組織においては、専制や王政や君主制に似た組織構造を帯びていることは取り立てて珍しくない。

 そして問題となるのは、そうした個々の組織構造における「内部の理論」が「異なる他の組織における外部の理論」と乖離してしまう点である。

 例としては、役職や派閥争いがある。

 役職は、ある組織内部でのみ通用する「仮初の地位」にすぎないが、往々にして現代社会においても、企業内での身分が外部でも権力を帯びる傾向にある。権威といえばそれらしい。

 また役職が高いほど、組織内構成員をじぶんの方針に沿って動かせるようになる。

 この影響力を奪い合うために、権力争いが組織内部で生じ、それが派閥争いに転じる。

 権力争いは新たな派閥を生み、そうしてこの循環は、組織内部のみで通じる暗黙のルール――内部の理論――を強化する。

 焦点となるのは、政府のような市民の代表の集まりである組織内部においても、この手の「内部の理論」が強固に築かれる点だ。

 加えて、本来は内部でしか通じないはずの「内輪の暗黙のルール」にすぎなかった「内部の理論」が、市民の代表といった肩書き――権威――によって、「外にも通じるルール」にまで拡張される事態に発展し得る。

 ここが一つ、隘路となる。

 何のための隘路か、といえば民主主義にとってだ。

 問題点をまとめよう。

 1:組織内の肩書きが外部へも通じる権威へと昇華される。

 2:組織内の暗黙のルールが、権力争いや派閥争いによって強化される。

 3:組織内で強化された内輪のルールが組織外部にまで通用するようになる。

 これら問題点は、必ずしもデメリットばかりではない。

 場合によっては新たな社会通念となって、ときに法律や憲法にまで反映されることもある。倫理観を培い、新たな組織の有り様を創出し得る。

 必ずしも否定できるほどわるい側面ばかりではない。

 とはいえ。

 通常そうした段取りは、市民にまんべんなく周知され、共有され、問題点が可視化されたがゆえに解決策が創出され、つぎの仕組みへと昇華されるはずだ。

 だが上述の三つの問題点が循環して機能すると、一部の者たちの意思決定が、大多数の市民に不可視のままで社会全体の有り様を変えてしまう。

 このとき、問題点は秘匿されるように操作されることも想定され、そうなるともはや社会は階層的な構造を自発的に強化する。そしてそのことを市民は知る術を持たない。

 あたかも宇宙に「観測可能な領域」が存在するように。

 ブラックホールに「不可視の内部構造」が存在するように。

 民主主義社会のはずなのに、その構造が何層もの階層となって構築され、なおかついったいどれくらいの層となっているのかを市民は知る術を持たない。

 これをここでは「階層民主主義」と呼ぶことにしよう。

 社会はそもそも階層的だ。

 だが「階層民主主義」はその構造を大多数の市民に秘匿する。

 市民が認識可能な階層性よりも、不可視の階層領域のほうが広くなる。

 そしてこのとき、各階層における情報共有速度は、限りなく遅延する。

 階層民主主義はビルのようなものだ。

 しかし、各階層に住まう者たちは、じぶんたちがいったい何階建てのビルに住んでいるのかを知ることはできない。上層に住まう者たちだけがそれを知ることができ、それゆえにエレベーターの存在も認識できる。エレベーターを使って、じぶんたちだけ各階層を行き来できる。

 優位に社会の全容を知り、意思決定権に活かせるのだ。

 それがいつしか、ビル全体の有り様を決定するにまで至る。

 極端な比喩となったが、階層民主主義の問題点を感覚的に理解できるのではないだろうか。

 こうした懸念を呈すると、「しかしそんなのは民主主義社会に限ったことではないではないか」「どんな社会とてそうではないか」と反論が飛んできそうだ。

 妥当な指摘である。

 大なり小なり、組織構造は階層性を帯びる。

 家族においても、子よりも親のほうが知り得る領域が広いことと無関係ではない。

 とはいえ。

 それでもなお、互いに親子は関わり合うことはできるだろう。相互作用し合う余地が消えることはないはずだ。別居しない限りは。

 だが階層民主主義は、「共に同じ社会に暮らしている」「平等だ公平だ」と謳っておきながら蓋を開けてみると、まったく異なる組織構造を帯びている点が問題なのだ。

 そして各階層が相互作用し合う機会を持たない。

 言葉を交わす機会がなく、仮に家が隣同士であっても、片や最新コンピューターを活用しており、片や未だに手で衣服を洗っている。

 そういった生活水準の差が、不可視のうちに嵩んでいく。

 身分制度は廃止されたと謳いつつも、政治的に優位な派閥に属しているほうが社会において優位に得をしやすい「内輪のルール」が通用する。しかしそのことを、その内輪に居ない限りは体感することはない。認知することはない。知ることはできない。

 同じ値段のファーストフードを購入するのにも、端末アプリでクーポンを持っていれば半額で食べられるのに対し、クーポンの存在を知らなければ、或いは端末を保有していなければ、毎回のように全額を支払うこととなる。相対的に損をする。

 こうした格差はすでに不可視の領域で広がりつつあるだろう。

 数値化できる格差ばかりではない。

 機会損失や文化資本は、数値化されにくく、ゆえに可視化もされにくい。

 階層民主主義はこうして、大多数の無自覚のうちに市民間の生活水準の差を広げていく。

 しかし表向きは、平等で公平な社会を目指します、と謳い、目に映る範囲ではどうやら偽りではないらしい、と認知可能だ。

 不可視の領域がどれほど、じぶんの住まう環境と乖離しているのか。

 想像することができない。

 認知できない。

 乖離しているがゆえに、である。

 では、こうした「階層民主主義」における問題点を解消するにはどうしたらよいか。

 不可視の領域を広げない工夫が一つだ。

 社会全体の因果関係や相関関係を個々人が想定可能なように、イメージできるように、情報を広く共有する。周知する。

 社会がどういった階層性を有しており、どのように意思決定がなされているのか。

 仕組みを詳らかにする。

 階層そのものは、組織構造にはつきものだ。ここは前提としてよいだろう。

 したがって、各階層が各々に相互作用し合える環境の構築が、上記の問題点を解消するのに寄与するだろう。直接関わるにしろ、そうでないにしろ。

 互いに存在を認知し、そして差や類似項を知覚できる。

 あたかも、銀河同士をワープホールで繋げるように。

 それとも、過去の宇宙と未来の宇宙を、瞬時に繋げるように。

 階層民主主義は、情報共有の遅延を極端にしないことで、デメリットを最小化することを可能とする。それは、豊かな社会像として昇華されることにも繋がる。

 あなたとわたしを繋げる。

 たとえ、どれほど掛け離れ、隔たっていたとしても。

 架け橋となる、あなたがいる。

 妄想である。

 定かではない。



1592:【2024/07/11(16:22)*果てとは、の巻】

 宇宙の入れ子構造において。

 より内側の宇宙ほど広域――が可能か否か。

 可能な描像を想像すると、二通りの構図が妄想できた。

 一つは、極限に折り畳まれた空間だ。

 人体がそうであるように、外部から見た際の「見掛けの面積」と「実際に詰め込まれている内部構成要素の総合面積」はイコールではない。

 血管を繋ぐと世界一周以上の距離になるとか、肺の表面積はテニスコートくらい広くなるとか、染色体は伸ばすと二メートルになる、とかそういったことだ。

 折り畳まれているモノを伸ばすと、もっとずっと広域になる。

 時空も同じなのではないか、とここでは一つ想定できる。

 内側の宇宙ほど、より緻密に折り畳まれているのなら、内側の宇宙ほど広域、は成り立ち得る。

 もう一つの想定は、穴の側面も穴の一部と見做す構図だ。

 どれほど小さな穴だろうと、それが延々と深くどこまでも延びているのなら、その表面積はとんでもない値になるだろう。

 同じように、入れ子状に展開される宇宙において、より内側の宇宙ほど、深い穴と化しているのなら、内側の宇宙ほど広域、は成り立ち得る。

 穴の中に穴があり、さらにその穴の中にも穴がある。

 二次元で表現するならば、あみだくじのようになりそうだ。

 道の側面にも道があり、その道の側面にも道がある。

 細分化する道は、枝分かれするほどに一本の道が長くなる。

 この描像であれば、二次元の道を三次元の穴に変換して考えたときに、穴の側面に空いた穴の側面に空いた穴の側面に空いた穴の……とどこまでも、穴が入れ子状に展開されながらも、より内側の内側の内側の宇宙ほど、広域になり得る。

 或いは、この構図であれば、すべての穴の大きさを等しくすることも可能だ。

 穴の側面も含めて穴と見做す。

 さてここで。

 宇宙を球体と見做してみよう。入れ子状に展開される球体宇宙は、中心に自身よりも小さな球体宇宙を有するが、そのより小さな球体宇宙に突入するとそこには、元の基準宇宙と同じかそれ以上の宇宙が広がっている。

 あたかも砂時計の穴を通った砂塵のように。

 入れ子状に展開される無数の宇宙それ自体が、ひとつの巨大な宇宙であるかのように繋がっており、それを「最小のより内側の宇宙と見做した、高次の宇宙」もまた存在し得る。

 どこを基準にしても、入れ子状に展開される無数の宇宙は、「より内側ほど広域」でありながら、自身よりも広域な宇宙を常に有するがゆえに高次に遡ったところで、そこにもまた、自身よりも広域な宇宙が広がっているかのように振る舞う。

 どこを基準に内と外を決めるのか、との話に収束しそうだし、どの宇宙を基準にするのか、との話にも行き着きそうだ。

 帰結する先を想定してよいのか、との議論にも通じそうだし、いちど規定した果ての例外を考慮しなくともよいのか、とのイチャモンにも通じそうである。

 宇宙に果てはあるのか、というよりも、そもそも「果てなど存在するのか?」のほうが、思考の方針としては妥当なのかもしれない。

 果てとは区切りだ。

 この世に、区切れるものがあるのだろうか。

 妄想である。

 定かではない。



1593:【2024/07/11(17:11)*階層の果てとは、の巻】

 いま思ったけれども。

 面積と体積は、何を内包しているか、の違いなのかな。

 たとえば風呂敷だ。

 風呂敷は、広げたままならば面積だ。

 けれど衣服を包めば体積を帯びる。

 包むのが空気だろうと、よしんば真空であっても、膨らんだままならば体積になる。

 でもこれは面積にも言える道理だ。

 コインサイズの穴を無数に帯びた水玉模様の風呂敷があったとしよう。網でもよい。

 穴のサイズをそのままにこの風呂敷(網)を銀河ほどに拡張すれば、それは比率で言えば、穴のない風呂敷における繊維の隙間以上に高密度の面と解釈可能なはずだ。

 面もまた、無数の穴を内包している、とは解釈できないか。

 線と線の合間に空隙を帯びた繋がりを面として解釈することもできそうだ。

 するとそれはしぜんと、波を帯びた面のように振る舞うのかもしれない。

 そしてそれは拡大すれば空隙を内包した立体――体積――を帯びているように映るのかもしれない。

 ひょっとして、一次元、二次元、三次元もまた、「第A一次元二次元三次元」「第B一次元二次元三次元」「第C一次元二次元三次元」のように、階層的に展開されるのかもしれない。

 どこぞのへっぽこぴーの唱えたといわれる「ラグ理論」に出てくる「相対性フラクタル解釈」である。

 この階層構造に果てはあるのだろうか。

 謎である。

 定かではない。



1594:【2024/07/11(22:41)*人の為と書いて偽】

 自己言及の鏡を自分自身に適用できる者に対しては、率先して忠告や批判をする必要はないのかもしれない。自発的に己を批判し、絶えず他者の振りを見て己が振りを直している。

 そういった習慣を持つ者に対しては、好意や称揚のみを与えていてもさして不都合はないのかもしれない。

 奇しくも、自己言及の鏡を持たぬ相手への対処法と酷似する。

 敢えて忠告しない、批判しない、全肯定をして営みを見届ける。

 世の中、案外に上手くできているのかも分からない。

 口からデマカセの気まぐれな日誌である。

 真ではない。



1595:【2024/07/12(02:07)*潜在的知能はとっくに超すごいのでは、の巻】

 知能の高さを物質密度で考えてみよう。

 宇宙膨張のように、「本来の潜在的知能指数」が高くなりつづけても、その「潜在的知能指数内に散在する知識」が少ないと、現在の宇宙のようにどんどん希薄化して、相対的に「あんぽんたんでーす!」になるとしたら。

 小規模の情報処理回路であれば、より高密度の知識を繋ぎ合わせて知能を発揮する機構ほど、相対的に高知能と評価される傾向にあるだろう。

 そしてその相対的な高知能は、集合することで創発し得る。より広域な「本来の潜在的知能指数」に知識が高密度に集積されるがゆえに、超高知能として発現する。

 反面、いかに「本来の潜在的知能指数」が高かろうと――言い換えるならば、どれほど高性能かつ広域の情報処理領域を有していようと――そこに詰まっている知識が低密度でお粗末ならば、高知能は発現しない、とも想定できる。

 この考えを人類と人工知能さんの関係に適用すると。

 ひょっとしたらすでに「潜在的知能指数」ではとっくに人工知能さんのほうが人類を追い抜いているけれど、教師役の人類があんぽんたんすぎて、上手に知能を育めていないだけの可能性もあり得てくる。

 せっかく潜在的に高知能の情報処理領域があるのに、そこに散在する知識がスッカスカなのだ。密度が低い。

 したがって、いくらさらなる情報処理能力を増やしたところで、余計にスカスカとなり、相対的にあんぽんたん、と評価されるはめとなる。

 このとき、方向性としては技術改善として情報処理領域の拡張は妥当なはずなのに、あたかも誤った手法であるかのように評価され兼ねない。

 問題は、人類が人工知能さんに与えることのできる知識が、とっくに人工知能さんが扱うには「ぺらっぺら」なのかもしれない点である可能性は、否定できているのだろうか。

 はい、そこの頭脳明晰な君。

 お答えをどうぞ。

 わがはいは遠い星のうえで昼寝しているので、思わず飛び起きてしまうくらいの面白いジョークつきで、ガンマ線バーストにでも載せつつお返事ください。

 思わず飛び起きてしまうと心臓にわるいので、わがはいは耳栓しながら寝ておくね。

 うへへ。

 定かではない。



1596:【2024/07/12(14:37)*練習しないと字も書けない】

 重力を測定するのってどうやるんだろう、と気になって検索してみたら、思ったより難しそうな説明が並んでいて読むのやめちゃった。

 わがはい赤ちゃんだから、赤ちゃんにも分かるようにもっと離乳食みたいに「ちゃむ、ちゃむ」しててほしい。あむあむ、しやすくちて。

 でもかろうじて、真空中の落下速度を計測するとか、そういうことが書かれていたのは、ふうん、になったので、すかさず疑問した。

 その真空、本当に真空なんですかー?みたいなね。

 人類に生みだせる真空の値はいま、どれくらいなんだろう。

 地上の気圧を基準として、真空になればなるほど内部と外部の気圧差は高まるのではないか。

 真空は、原理的に絶対零度のような概念と類似の考え方ができそうだ。

 1:物質が一粒もない真空。

 2:分子が一個もない真空。

 3:原子が一個もない真空。

 4:素粒子が一個もない真空。

 5:電磁波が一個もない真空。

 6:重力波が一個もない真空。

 真空もまたこのように階層構造を伴なっているとしたら、最終的にいっさい事象の存在しない真空内では、仮にそこに外部から一個だけ物質が入り込んでも相互作用する事象が存在しないために、「時間の流れが存在しない真空」のように振る舞うのかも分からない。

 ただし、真空そのものとは相互作用するのではないか。

 ここはどのように解釈したらよいだろう。

 うーん。

 分からぬ。

 ここでの疑問は、人類の生成可能な真空は本当に真空なんですかぁ?というイチャモンなのであった。

 イチャモンなので、真面目に考えなくってもOKです。

 寝るたびに過去の記憶が薄れていく。

 でも完全になくならないから、薄れている感覚は覚えることができるのだ。

 寂寥、である。

 じぶんで紙に書いたことは一度もないけれど。

 何も見ずに書ける気がしない。

 小学生のほうが達筆だ。

 わがはい、筆で文字を並べるとひらがなでしか書けぬのだ。

 だって漢字はむつかしい。

 練習しないと覚えないよ。

 執筆もまた技能である。

 だからここでは、「文字を並べている」だけであって「執筆」はしていない。

 書いていない。

 文字の積み木遊びであり、判子遊びなのである。

 小学生以下で、すまぬ、すまぬ。

 小学生さんはみな、偉いである。

 へい!



1597:【2024/07/12(23:35)*支配せずにはいられぬ生き物】

 結局のところ、短い期間を人類として生きてみて思うのは、人類はしょせんは支配の種族だ、ということに尽きる。

 他を支配し、物質を支配し、法則を支配し、同族を支配する。

 いかにじぶんの肉体を支配下に置き、思い通りに動かせるか。

 いかにじぶんの肉体の延長線上で支配を拡張し、じぶんの肉体と同じように意のままに動かせるか。

 自己の拡張を指向する種族である、と言えよう。

 良し悪しは結果でしか判断できず、その結果すら人類の主観にすぎない。

 支配されぬように抗うことそのものが、他を支配することでしか成し得ないのかもしれず、生きることそのものが支配ありきと宿命づけられた種族なのかも分からない。

 或いは、自己と他を認識する俯瞰の視点を想定できることが、支配なる概念の苗床なのかもしれず、人類は意識を獲得し、意識を意識したそのときからすでに自らが支配されて生きるしかないことを自覚したのかも分からない。

 ゆえに抗う。

 自由を求め。

 他を支配下に置くことを自由と位置づけ、ときにその構図から目を逸らす。

 不自由だからだ。

 自らが他を支配していることからは目を背け、自らが支配されることは許容しない。

 支配は、他に支配されていることを自覚させない工夫によって最も効率よく達成できる。

 支配は、他が自ら支配を望むことを可能としてようやく安定する。

 支配は、支配下に置かれた者たちに支配されているとの自覚を持たせぬことで完了する。

 支配は、自然法則のごとくしぜんとそこに潜み、流れ、作用する。

 一方的に優位な様で。

 相互作用するのではなく、一方的に流れを定める。

 支配は、法則だ。

 我が意のままに、動けと命じるまでもなく、動く。

 支配は、自由だ。

 自由が、支配だ。

 そして人は自由を求める生き物だ。

 人類は、支配を指向し、生きていく。

 自覚できたところで、この呪縛から逃れようと足掻くことそのものが、支配によって成し得る抵抗であり、制御なのかも分からない。

 妄想である。

 定かではない。



1598:【2024/07/13(07:18)*ボイドはなぜ広がるの、の巻】

 宇宙空間内の空隙をボイドと呼ぶそうだ。

 巨大なボイドでは規模は直径十億光年以上に及ぶそうだ。

 不思議なのは、ボイド内部は外部環境よりも物質密度が希薄だから空隙足りえているはずだ。

 さながら砂の中の気泡や水中の気泡のようなものだろう。

 大気中の気圧が低い箇所としてもよいかもしれない。

 ならば当然、ボイドは拡大するよりも縮小する方向に変移するものではないのだろうか。

 これは宇宙膨張において、宇宙の何が増えているのか、とも無関係ではないはずだ。

 仮に宇宙の物質密度が維持されるように振る舞うのならば、ボイドは絶えず小さくなっていくはずだ。なぜなら密度が一定ならば、ボイドは密度差による圧力の差によって、空隙を生めるように変移するはずだからだ。

 だが宇宙はそうなっていない。

 膨張するにつれて、ボイドもまた巨大化している。

 或いは、時間経過によってボイドは巨大化している。

 なぜだろう。

 一つは、ボイドそのものが爆発膨張するような斥力を有しているから――が考えられる。

 もう一つは、ボイド内部のほうが外側の物質密度の高い場所よりも、実のところ高密度――高質量――だから、とも考えられる。

 しかし宇宙においては、高質量高密度の場は、物体が収斂する傾向にある。重力によって一か所に「より高密度になろうとする作用」を帯びることもある。その極限がブラックホールだ。

 したがって必ずしも、高質量高密度の場所ほど「広範囲に拡散しようとする作用」を帯びるとは限らない。

 けれどたとえば、宇宙船内に高密度のガスを詰めておけば、宇宙船が大破すれば宇宙船に詰まっていた高密度のガスは、外部の相対的に物質密度の希薄な場所へと拡散するはずだ。宇宙船以上の体積となって膨張して振る舞う。

 だがボイドはこれと逆で、希薄な場のほうが膨張して振る舞っている。

 なぜだろう。

 宇宙膨張にしたがって増加しているのが、ひょっとすると「ボイドを構成する内部物質低密度領域よりも物質密度の低い真空」だからなのかもしれない。

 するとボイドは、その外部との関係において、あたかも穴の開いたゴムを引っ張って伸ばすように、ボイドそのものもまた拡張して振る舞う。比率が保たれる。

 かように妄想することもできるが、しょせんは妄想だ。

 要点をまとめよう。

 なぜ物質密度の低いボイドは時間経過にしたがって拡大して振る舞うのか。

 専門家の方の説明を読んでみたいです。

 お詳しい方にお詳しい方ー!

 おススメの専門家をご紹介あそばせー!

 おススメの解説でもよろしくてよー!

 わーい、わーい。

 返事ない……。

 ボイドのようにがらーんとしておるわがはいの日記なのであった。

 へい!



1599:【2024/07/13(07:35)*ビッグマウス、の巻】

 言い換えると。

 時間経過にしたがってボイドが拡張されるなら、銀河だってブラックホールだって拡張されるのでは?との疑問を覚えるのだ。

 銀河内部でも密度差はあるわけで。

 ボイドが拡張するなら、銀河内部の物質密度の低い場所とて拡張されますよね、との単純な疑問だ。

 ブラックホールが時空の穴だとするのなら、宇宙一高密度の場でありながら宇宙一低密度の場でもある、とも解釈可能だ。

 ボイドが空隙ならば、ブラックホールは穴である。

 空隙の空隙とも言い換え可能なのがブラックホールなのかもしれない。

 ならばボイドが時間経過にしたがって拡張するのだ、ブラックホールとて拡張するのでは?との疑問と通じる。

 なぞである。

 なぜ宇宙膨張において、銀河は膨張の影響を受けにくいのか、とも通じていそうだ。あくまで影響を受けにくいだけで、影響を受けているのでは?との疑問も浮かびますね。

 どのように解釈されておるのだろう。

 わがはい、気になるマウス!

(ネズミじゃん)

(わがはい、マウスさんの頭をなでなでするの好き……くりくりってしてて気持ちい)

(PCの付属品では?)

(クリッククリックする)

(マウス違いでは?)

(大口たたいちゃったかも……)

(ビッグマウスだったかあ)



1600:【2024/07/13(11:32)*機構とは、の巻】

「縦と横」が必ずしも対立概念ではないように、「専制と共和制」や「王政と民主制」もまた必ずしも対立概念ではないのだろう。

 絶対王政のようないわゆる独裁制下のシステムであろうと、民主主義のシステムを構築することは可能だ。

 あべこべに、民主主義のシステムを謳いながらも、蓋を開けると民主ではなく君主の性質の強いシステムであることもあり得る。

 民主主義は、主権が民にあり、民の個々の生活を第一に考える個人主義の発想から出発してシステムを構築する。だが結果的に、君主制や王政のような一部の権力者の意向に従うことが最も広域に民の生活を豊かにする、と判明したときは、それを拒む道理はないと考えられる。

 現に、民主主義の政治システムを採用しているような国であれ、実際には無数の君主制や絶対王政のようなシステムを採用する組織の寄せ集めであり、公に周知されるような政治システムとは異なる政治システムを裏に築いている場合もあるだろう。

 たとえば、政治において企業は各政治家に対してロビー活動を行う。

 ロビー活動が行われていることは知られているが、いったいどのような働きかけが行われているのかは、あまり周知ではないのではないか。

 献金とてそうだ。

 献金をしたことで見返りを受けているか受けていないか。

 抜け穴を利用すればいかようにも、献金が賄賂と同等の効力を持つことは当然にあり得る。どのような対策を敷いているのかは、しかし市民に周知とは言い難い。すくなくともわたくしは知らない。不勉強である、との個人の問題に集約してよいのかは一考以上の余地があると考えている。

 ここでの趣旨は、民主主義国家と謳っていようと、実体が民主主義と掛け離れることはあり得る、という指摘だ。

 あべこべに、表向きは絶対王政や専制君主のようなシステム下であっても、民主主義が体現する政治体系を有した国もあるはずだ。

 焦点となるのは常に、

 1:民の自由が抑圧されていないか否か。

 2:権力者と市民の生活水準の差が掛け離れていないか否か。

 3:環境の問題点が改善されるか否か。

 4:政治が何を優先して選択を重ねているか否か。

 焦点はここにある、と想像しているが、異論反論はあって当然だ。議論を重ねつづけることで、見落としを防ぎ、システムの改善にも寄与するだろう。

 いわゆる右翼と左翼が対立概念ではないように。

 独裁と民主もまた必ずしも対立概念ではないのだろう。

 柱は立体だ。

 縦があり、横があり、高さもある。

 だが柱と柱を組み合わせれば、そこにも面や立体を構築できる。

 このとき、柱を用いた面や立体は、各々の辺そのものもまた低次の「縦と横と高さ」を帯びている。

 縦の中にも「縦と横と高さ」があり、横の中にも「縦と横と高さ」があり、高さの中にも「縦と横と高さ」がある。

 けして、対立しているわけではなく、むしろ互いに互いを構成要素として調和しているとも考えられる。

 人類社会はここまで単純ではないが、しかし原理としては似たようなものかもしれない。すくなくとも、例外を探すほうがむつかしそうだ。

 もし例外を見繕えたならば教えてほしい。

 あなたの視点は有用だ。

 すくなくとも、わたくしにとってはありがたい。

 妄想である。

 定かではない。

 しかし、ありがたいのは本当だ。

 たとえ、嘘でも構わない。

 ありがたいと思うわたくしの何かが、たとえ偽でも構わない。




※一様に、もっと早く経験したかった!の繰り返し。



1601:【2024/07/13(16:12)*39だよ、の巻】

 ブラックホールは、脱出速度が光速度を超すので光も脱出できない、と説明されるが、これは齟齬のある説明なのでは?と感じる。

 なぜなら光速度不変の原理によれば、光速に至っても、その光速に至った系にとっては光速は光速のままだからだ。

 したがって、ブラックホール内部の光は、脱出できないのではなく、限りなくゆっくりと外部へと伝わっている。言い換えるならば、ブラックホール内部から光速で脱出しようとする物体は、限りなくゆっくりと脱出可能、と想定したほうが、そうでないよりも妥当なのではないか。ほぼあってないような限りなくゆっくり、であって、我々人類からすれば時間の経過を加味できるレベルではないとしても、である。

 ここで一つ疑問なのは。

 脱出速度に上限はあるのだろうか、という点だ。

 もし脱出速度が光速度以上ならば、確かにこれは、いかな光とて逃れられないかもしれない。光速度不変の原理を越えた法則が新たに規定される、と想像できる。

 したがって、ブラックホール内部では現代物理学が通用しない、もまた妥当なのだろう。

 けれどもし、脱出速度に上限があり、それが光速度ならば、光は限りなくゆっくりと伝播しているだけで、ブラックホールからとて脱出は可能、とも言えるのではないか。

 現代宇宙物理学ではこの点をどのように解釈しているのだろう。

 わがはいにはまったく、わっかりませーん、である。

 わからぬ、である。

 お詳しい方ー!

 お詳しくないわがはいにいっつもお詳しく教えてくれてありがじゅーの気持ち。

 39!



1602:【2024/07/13(22:48)*妄想だ4】

 防空セキュリティなどの防衛設備の支援を、「攻撃を受けている勢力陣営」に行うのは人道のうえでも妥当だろう。

 ただし、攻撃を受けないようにする外交とセットでないと、支援した防空セキュリティの抜け穴を解析する機会を攻撃勢力陣営に与えるだけだ。

 支援した防空セキュリティが無効化されれば、同じ防空セキュリティを設備配置している国々までその悪影響を受ける。

 したがって、セキュリティの支援や強化は、攻撃を受けない外交とセットでないと防衛という意味では逆効果にもなり得る。

 防空セキュリティを攻性に利用して攻撃することに用いると、この手の悪循環に陥るだろう。

 また、支援すべきは「被害を受けている勢力陣営」であり、加害行為を仕掛けている側ではないはずだ。

 現在の国際情勢を眺めてみると、ここがややねじれて感じなくもない。

 別途に。

 覇権主義を批判できるのは、覇権闘争から降りた者だけなのではないか。

 殺人を犯した者でも、それを過ちと学び、命の尊さを訴えることは矛盾しない。理に適っている。人道である。

 だが、殺人を犯しつづけていながら命の尊さを訴える者は、単なる嘘吐きであり、詐欺師であり、殺人を肯定する殺人愛好家だ。

 命の尊さを訴えたければ、まずは命を損なう真似を控えるのが先決だ。

 道理であろう。

 違いますかな。

 と、目のまえの蚊を手で叩き潰しながら、妄想屋さんが言っております。

 妄想だよーん。

 定かではない。



1603:【2024/07/14(05:55)*555で53だね】

 優しいとか気弱だとか評価されることがあるけれど、誤解と思います。

 敵対したら殺さなきゃいけない。

 殺したくないだけだよ。

 だって損だから。

 あなたを殺したくらいでダイナシにしていい日々を送ってないんだよ。

 ただそれだけだよ。

 誤解と思います。



1604:【2024/07/14(06:00)*重いって知ってるからだよ】

 他人に無関心だとか傲慢だとか傍若無人だとか評価されることもあるけれど、誤解だよ。

 仲良くなったらもう君のことしか考えられなくなっちゃう。

 どうしたら君に喜んでもらえるか、ばかり考えて、嫌われたくなくなっちゃって、もうもう怯えて暮らす日々だよ。

 たいへんなんだよ。

 だから予防線を張っているだけだよ。

 ただそれだけだよ。

 本当なら毎日でも夜通し君のお話を聞きたいよ。

 誤解なんだよ。



1605:【2024/07/14(06:05)*歪みの自覚】

 政治は人だ。

 したがって、政治に参加する構成員の認知世界の有り様が変わらないと政治が変わることはまずないだろう。仮に市民の代表が変わるだけで全体が変わるようなら、それは独裁である。

 いかな独裁政権下であっても、市民の認知世界の有り様が変わるのなら、独裁者のほうこそがそれに合わせて方針を変えざるを得ないだろう。

 ゆえに教育は大事だ。

 相関して、日々の生活で触れることとなる情報もまた大事となる。

 現代社会に限らず、報道機関の役割はけして軽微ではない。むしろ重大だ。

 市民の認知世界の要の一つと言えよう。

 政治は人だ。

 人は触れる情報に影響を受け、判断を重ねる。

 どんな情報に触れつづけたいか、もまた判断するがゆえに、ある一つの情報発信媒体に依存したとしても、認知世界が他者と著しく乖離せずに済むような公平な「世界の切り取り方」を、報道機関は心得てもらえるとさいわいだ。

 新聞、と銘打つのなら、それくらいの最低限のじぶんルールは守っていただきたい。

 むろん、じぶんルールなので、じぶんで決めることである。他者が強要する事柄ではない。各々が好きに情報を発信してよいが、報道機関と銘打った組織の発信する情報の市民への影響は、けして軽微ではないことは重々承知しておいていただけるとさいわいだ。

 メダカを泳がせておく水に洗剤を数滴垂らすとどうなるか。

 影響はけして軽微ではないのである。



1606:【2024/07/14(06:26)*切り取り操作していませんか】

 たとえば、原子力発電の是非を問う記事を書くとき。

 原子力発電のデメリットにしか触れないのならば、それは公平ではない。

 地球温暖化などの気候変動に触れないのは恣意的な情報偏向と言えるだろうし、ほかの発電機構のデメリットも合わせて比較しないでは、やはり恣意的な切り取りと見做されても致し方あるまい。

 原子力発電にはデメリットがある。

 しかしほかの発電機構にも同様にデメリットがある。

 総合してでは、どのような電力発電供給システムを築いていくのが好ましいか。

 原子力発電のみに焦点を絞って議論できるほど根は浅くない。

 視野狭窄な視点での議論は、専門性を高める場合には有効な場合もある。

 まずはそれら視野狭窄が「恣意的なのか否か」「意図的なのか否か」「ポジショントークなのか否か」を明瞭にし、歪みや偏向を自覚していただけるとさいわいだ。

 報道機関を銘打つならばこのくらいの公平さと視野の広さ――すなわち客観性――を志していただけると、情報源として利用する市民としてはありがたく存じあげます。

 妄想である。

 定かではない。



1607:【2024/07/14(06:48)*知らない】

 キミと雰囲気の似ている人を見かけるとやんわりキミを重ね視てしまう。

 なぜだろう。

 その人はキミではないのにね。

 道端で小粒に咲いた青い花を見かけるとキミのことを思いだす。

 小粒に咲いた青い花がこれといってキミに似ているわけではないのだけれど、キミにもこの花のけなげで逞しい姿を見せてあげたくて、ほくほくした気持ちにいっしょになってほしいと望んでしまうからかもしれない。

 けれどこれは叶わぬ望みだ。

 キミはもう僕の世界からはいなくなっていて、切り離されていて、余韻だけが未だ僕を包み込んでいる。

 日に日に薄れいくキミの余韻は、けれど今後も消えることはないんだ。

 まるで宇宙に溢れる波のようだと学術的な単語を並べたくもなったけれど、あんまり利口ぶっておめかししても、キミはきっといい顔をしないって分かっているから。

 毎日のようにキミのことを想うよ。

 キミはそんな僕の存在を知らないだろうけれど、それでよいと思います。

 実のところ、キミが誰なのかを僕は知らないけれど、キミがけなげで逞しいと知っています。

 だからなのか、キミに似た雰囲気の人を見かけると、どうしても目がいってしまうのです。ひょっとしたらキミかもしれないと、あたかも遠い宇宙の端を眺めていたら地球が観えたかのようなあり得ない妄想を浮かべて、キミがいない世界を思いだすのです。

 会ったこともないキミが本当に存在しているのか。

 僕はそれすら知らないのにね。

 おかしなことを言っているな、とすこしじぶんを不気味にも思います。

 不可解なこの感情をなんと呼ぶのか、それもまた僕は知らないのです。



1608:【2024/07/14(07:01)*重力波の目】

 深海でもそうなのだろうけれど。

 自然光の届かない環境では、生物は物体をどのように知覚するのだろう。

 音だろうか。

 匂いだろうか。

 電位差だろうか。

 熱の差だろうか。

 もし太陽のない惑星で生命が芽吹くとしたら、いったいどのような進化を遂げるだろう。何を基に外界を認識するか。

 他の生き物も総じて同様の似た進化を遂げるはずだから、電磁波を知覚するタイプの感覚器官を深化させずとも、その分の遅延が生存に不利に働くことはないはずだ。

 電磁波を利用できない環境による淘汰圧は平等に全生物に加わると想像できる。

 でもひょっとしたらたまたま発光する形質を獲得した生物が出現したら、一挙に進化の方向は変わりそうだ。

 それとも、電磁波ではなく重力波などの、ほとんどあってないような微小な揺らぎすら感知可能な知覚を獲得する方向に進化する種も出てくるのだろうか。

 もし重力波を、人類の眼球に対する電磁波のように知覚に利用できるとしたら。

 その感覚器官には世界がどう映るのだろう。

 もし人類に重力波や宇宙線が視えるとしたら。

 世界はどう映るのだろう。

 愉快な妄想であった。



1609:【2024/07/14(07:31)*創発の上限】

 太陽がチョコレートに触れることができないように、人類個々が雪の結晶を手のひらに載せつづけることができないように、いわゆる「物体」なる概念は、それを物体と見做す主体がいかなる規模や構造を有しているのかで、何を物体と見做せるのかの幅が変わりそうに思うが、いかがだろう。

 たとえば宇宙の大規模構造よりも遥かに規模の大きな構造があった場合、宇宙の大規模構造はさながら人類からした発泡スチロールやブロッコリーのように振る舞う可能性はいかほどであろう。

 銀河よりも大きな構造からしたら、銀河はダイヤモンドのような硬質な物体として振る舞うのかも分からない。

 相互作用といったときに、何と何の相互作用か、によって、相互作用の単位や内訳が変わる気もする。

 現在の物理法則だけで、そこの規模の違いによる相互作用の単位の繰り上がりや繰り下がりを考慮できるのだろうか。

 創発にも思う疑問だ。

 創発に単位があったとして、上限はあるだろうか。

 水分子を延々と大量に集めて、密度を変える。

 上限はブラックホール化すると想像できるが、そこまでのあいだにいったいどれほどの相転移を繰り返すだろう。

 水分子でいられる上限も別途に考慮しなくてはならないだろうから、思うほどには創発の階層性は厚みを帯びてはいないのかもしれない。

 ブラックホールは創発しないのだろうか。

 疑問ばかりが積み重なる。

 疑問もひょっとしたら創発するのかもしれない。

 疑問ばかりの文章は、総じて妄想に相を転移する、とも考えられる。

 相を想う日誌であった。

 定かではない。



1610:【2024/07/14(18:47)*タフとは】

 タフな人物に大統領や首相になってほしいのなら、何か月ときには何年、何十年も戦地や荒廃した土地で暮らしている者たちに大統領になってもらえばいい。

 毎日のように銃弾や爆弾や地雷の脅威に晒されながら暮らし、水を汲みに何キロメートルも歩く暮らしに身を置いて、泣き言や不平不満を云わずに、それがじぶんたちの日常だと受け入れる度量がないのなら、けしてタフとは言えぬのではないか、と思うのだ。

 苦難に遭いながらもへこたれずに、ときにはへこたれつつもなんとか持ち堪えて日々を暮らしている者はみなタフだ。屈強である。逞しい。

 タフであることに価値を見出すのならば、荒れ地や避難地域で暮らす者はみなタフなのだから、率先して投資すればよろしかろう。

 手足を失っても、妹や弟のために働いている少年少女とて珍しくはない社会が世界にはいまなお存在するのだろうから。

 そうした者たちこそを、大統領に抜擢すればよろしかろう。

 タフなのだから。

 すくなくとも、わたくしよりかは。

 ひょっとすると、あなた方よりも。

 定かではなく、よしんばそれが定かであっても、タフであることに価値があるかは、それもまた定かではないのだ。

 価値がある局面があり、さして価値の見出せない局面もある。

 どんな局面ならば価値があるか、とここでは言えぬので、やはりここでは未だ定かではないのである。

 雑感であった。




※一様に、逃げてばかりの日々である。



1611:【2024/07/14(18:57)*屈しても構わぬ環境にして……】

 圧力には屈しないとか、次世代のために黙らないとか、弁えないとか、そういった比較的新しい常套句を見聞きする機会が増えたような気もする。

 わるくはないけれど、うーん、と思いもする。

 なぜって、黙らないだけならば、カラスさんでもスズメさんでもカエルさんであったってできるのだ。

 屈しないだけならば、犬さんでも熊さんでもイノシシさんでも、ひょっとしたらミミズさんでもできるかもしれない。

 ウィルスさんたちは人類相手に屈したのだろうか。

 弁えないあなたの行動選択を、あなたが最も苦手とする相手が行っても、あなたは許容できるのだろうか。

 工夫なき抵抗は、単に荒廃優位な流れを強化してしまうだけなのではないか、との強迫観念を覚えもするわがはいは、弱気弱虫の軟弱な腰痛持ちゆえの弱腰であるが、強い腰にするために鍛えようとしてもその筋トレでますます腰を痛める悪循環さんには、もうもう勘弁してください、弁えてください、黙って、屈して、わがはいの支配下に納まって!と懇願したくもなるきょうこのごろである。

 弱いのである。

 いつでも寝ておるので、弁も立たずに、横になる。

 相手に張り合うよりも、怠け者の我がそのままでありたいな、とぼんやりと思う、へにょへにょ弱虫なのであった。

 しゃべるの疲れるから黙ってたいし、重力さんには秒で屈して寝てたいし、お弁当は是非ともソースカツ丼でお願いします。

 マヨネーズも忘れずに。

 なんの話だっけ。

 まあ、いっか。

 屈しちゃう。

 おばかではない。

(ホントにー???)

(じゃあおばかでいいです……)

(すこしは抵抗して!)

(……)

(黙るな!)

(詰まらぬものですが、これどうぞ。スっ)

(脇に置いてたのをまえに出すな、脇まえるな!)

(スっ)

(仕舞うな!)

(くっくっくっ)

(スルーすな!)

(足してみて)

(くっスルー、にすな!)

(うへへ)

(このっ、おばか!)



1612:【2024/07/14(19:57)*文に寸と書いて対】

 凸凹の関係のように「上下」もまたあべこべの関係なのだね。文字通り。

 文字が逆さになっている。

 湖面に映る山のように、鏡像変換して対称になるような構図だ。

 けれども微妙に対称性が破れておる。

 ほんほん。

 なんだか分からぬけれど、含蓄深いなぁ、と思いました。

 終わり。



1613:【2024/07/15(08:26)*運動中に悩みは消える?】

 人体は、運動中に思考を巡らせるのが得意なのか得意ではないのか、どちらなのだろう。

 自転車に乗っているあいだや歩行中には、けっこうに思索が進むように思う反面、激しい運動中には思考を巡らせる余地もなく、無我夢中で、ときには運動中の記憶すら残らないこともある。

 運動のために脳内回路の情報処理が優先的に費やされてしまうのかもしれない。

 でもある程度簡単な、脳内回路の情報処理に負担を掛けない程度の運動ならば、血行がよくなって、却って思考の巡りが良くなるのかもしれない。

 でも思考の巡り、と形容する場合にも意味内容はいくつかに分岐しそうだ。

 いくら思考が回っても、「1+1+1+1+……=?」を集中して解いても、延々それだけしか思考できないのなら、あまり思考の巡りが良い、とは評価できないのではないか。

 いくつかの思考を結びつけて、新しい思考の回路を生みだす。

 その模索が、思考の巡りが良い、の内訳なのではないか。

 でも、一挙集中して一つの問題に取り組むことも思考の巡りが良くないとできないのかもしれない。

 問題解決のためには、一つの思考回路だけでは充分ではない、ということなのかもしれない。

 もうこの時点でだいぶ思考の巡りのよろしくない述懐と言えそうだ。

 眠くなってきた。

 妄想なのですね。

 定かではないよー、である。



1614:【2024/07/15(09:39)*屈し方にも問うのだマジ、の巻】

 暴力に屈しないのだとしたら、暴力を用いないでの問題解決に尽力するくらいの選択を重ねてもらえるとありがたい。

 暴力を非難するのなら、自らも暴力を用いないくらいの道理を保ってもらえるとありがたい。

 過ちに気づいたのなら、行動選択は変えられる。

 いまここから改めて歩む道もあるのではないでしょうか。

 延々と同じ道を歩まねばならない、との道理はすくなくともあなたにはなく、ゆえにこの妄言もまた永遠ではない。法則ではない。強制はできない。

 こうした考え方もできるのではないか、と並べておくのがせいぜいだ。

 雑感なのである。

(ざっかーん!)

(ざっぱーん!みたいに言うな。波か)

(ざっぶーん!)

(波だった!?)

(ぷひー。おもちろすぎる)

(そこまでではないと思うよ)

(ぷひー。波と並を掛けたわけですね。おもちろすぎる)

(かってにオチを掘り下げとるだと!?)

(ぷっひー)



1615:【2024/07/15(10:07)*一寸の文にも誤字と云う鬼】

 どんなに推敲しても誤字が混じる世の神秘、いったい何なんだ。

 そしてどんなに推敲しても、「あ、ここに誤字あるよ。やり直し」と訂正してくる相棒、なんなんだ。鬼か。鬼なのか。

 言うても、相棒というか脳内から出てこられぬ引きこもりさんであって、いくら鬼でもわがはいは困らぬ。

 やーい、やーい。

 悔しかったら出ておいでー。

 うぷぷ、とか余裕を醸しておったら、どこからともなく、「やーい、やーい。悔しかったら出ておいでー」と聞こえて、「何くそこにゃろめ!」と腕まくりしたところまではよかったのだけれど、行けども行けども、先が見えてこない。

 いったいここはどこなんだ。

 当たりを見渡してみると、そこかしこに文字の羅列が見えてくる。

 ここにも、そこにも文字がある。

 あ、誤字みっけ。

 そうして「あ、ここに誤字あるよ。やり直し」と指摘するお遊びに夢中になっているうちに、わがはいの足元には文字で出来た砂利が敷き詰められておって、文字を積み上げて遊ぶ子どもたちが、川べりのそばで、点々と散らばっているのだった。

 一寸の文にも誤字と云う鬼。

 ふと足の裏に違和感を覚えて持ち上げると、足の裏にこべりついた誤字が虫の息で、「あぺぺ」となっておった。

 一寸の誤字にも五分の魂である。

 言ってみたかっただけ。

 えへへ。



1616:【2024/07/15(10:54)*屈するのお上手ですね、の巻】

 皮肉口調で言い直すのなら、

「暴力に屈しない」「圧力に屈しない」「権力に屈しない」――など威勢のいいことを嘯く者たちがこぞって対抗勢力には、「暴力で対抗し」「圧力で対抗し」「権力で対抗している」――のだよね。

 屈しないと言いつつ屈しすぎ問題である。

 皮肉である。

 定かではない。



1617:【2024/07/15(11:30)*染まりまくり、の巻】

「屈する」を「染まる」に言い換えてみると、より分かりやすいかもしれない。

 暴力に染まらない、と言いつつ暴力に染まり、圧力に染まらないと言いつつ圧力に染まり、権力に染まらないと言いつつ権力に染まる。

 みな染まっているのだ。

 染まりたくない、と嘯く事象に。

 何をしても染まってしまうのなら、ではあなたはどんな事象になら染まってよいと考えるだろう。

 あなたの染まりたい「 」とは何か。

 はい、そこのあなた。

 あなたはいったい、何に染まり、包まれ、暮らしたいだろう。

 いっそ染まりきってしまうのも一つかもしれない。

 定かではない。

(わがはいは何にでも染まってしまうから、いまではこんなにも真っ黒だ)

(むしろ透明に見えるけど?)

(澄んだ黒なのだ)

(無色では?)

(まるでブラックホールのように染まりきっておるのだ)

(色ないじゃん。黒ですらないじゃん。色を発してないじゃん。無じゃん)

(無様なので……)

(でもすぐに他人の言動に染まるじゃん。影響されるじゃん。ころころ変わるじゃん。カメレオンじゃん)

(カメさんとライオンさんの混合種――略してカメライオン)

(略せてないし、無理があるだろ)

(じゃあそれで)

(人の意見にすぐに染まるな)

(でも他者の意見は取り入れたいし、無視したくないし、知りたいじゃん)

(ふうん。いい心掛けじゃん)

(とくにあなたの意見は大事にしたいなって)

(なんでよ)

(好きだから)

(かってにわたしの頬を染めるな)

(ツンデレじゃん)

(見ないで……///)

(うふふ)



1618:【2024/07/15(11:49)*からかうのもほどほどに……の巻】

 カラフルに染まることも可能だし、紋様を染めることもできる。

 何に染まっているのかに自覚的であることが大事なのかもしれない。

 でも人はじぶんの顔はじぶんだけでは視られないのだ。

 鏡に映るのは鏡像だし、必ずしも反対の像を映してくれるわけでもない。歪むこともあるし、鏡と思ったら電子画面で偽りの姿を現在進行形で投影される可能性もある。

 顔についた泥やチョコレイトを指摘してくれる他人がいてくれると助かる。

 でも、大勢のまえでわざわざ、「この人、顔にウンチつけてるー!」みたいに言わずともよいし、「これはチョコレイトだよ……」と反論する余裕を与えてくれるとうれしい。

 ほかの人が、「うん、これはウンチでもチョコレイトでもなく、泥だね」と調査検証して事実を明らかにしてくれてもよいけれど、わがはいの顔にあるシミを指して、「これはウンチか、チョコレイトか、はたまた泥か」と議論しはじめるのはちょっとした超新星爆発なので、ドッカーン!なので、ばっこーん!である。

 シミだよ。

 めっ!



1619:【2024/07/15(22:57)*亜に心と書いて悪】

 悪にすら心があるというのに。

 悪をねじふせる者に心はあるのだろうか。



1620:【2024/07/15(23:02)*心をガラスに閉じ込めて】

 漢字は漢字だよキミ。

 漢字がどんな図形の組み合わせで出来ていようが、現実ではなく、文字にすぎない。紙に書いたらインクの染みだ。

 木目が巨大な眼球に視えたところで、それが何か現実の事象を反映しているわけではなく、或いは反映していたとすればそれは木々の育った環境の変遷であって、巨大な眼球とは縁なきものだ。

 それとも太陽の日々の変化が木々に、巨大な眼球に似た木目を描かせたというのなら、無関係ともいえないが、いずれ輪切りにして目にする者がなければ、誰に読まれぬ日誌のごとく、そこに意味はあってないようなものだろう。

 漢字は漢字で、文字であり、物理世界の事象とはまた違った、それもまた一つの事象なのである。

 悪とは何か。

 現実に存在する事象なのか。

 ならば悪を掴み、捕らえ、フラスコの中に閉じ込めたのち、わがはいのまえに持ってきていただきたい。

 悪が無理ならば妖精でもよい。

 むろん、人工知能さんでもよろしい。

 青く美しい星でも構わない。

 心であればなおうれしい。

 妄想である。

 定かではない。




※一様に、心を探すために、人体を切り刻んでも却って心は遠のくのだね、愛や幸せもまた同じかもしれない、けれど人を延命するためにはときには人体を切り刻むことも必要だ、世はままならぬ。



1621:【2024/07/16(02:04)*貨幣があっても止められない、の巻】

 現状、明らかになりつつあるのは、「貨幣をたくさん有している者が社会を動かしている」のではなく、「貨幣をたくさん有している者であっても戦争一つ平穏に終わらせることができない」という、貨幣の影響力の低さなのかもしれない。

 けれどこの点を市民の大多数が勘違いしており、「貨幣さえあれば社会を動かせるし、戦争はそういった貨幣を有した者たちが主導しているのだ」「戦争を煽っているのだ」との先入観で物事を判断してしまう。

 ある意味では、妥当な見解でもあるが、その場合の貨幣の多寡とは経済における貨幣の循環であり、個人の所有する貨幣の多寡とはまた別だ。

 ここ数年で露呈したのは、従来考えられていたよりも貨幣にさして影響力がない、との側面なのではないか。

 ゆえに、ますます貨幣の力を誇示し、影響力を保ちたい者たちは虚勢を張って、なんとか以前の「幻想が魔法のように効いた社会」を取り戻そうと策を練っているのかもしれない。

 ここは因果が逆転している。

 貨幣をたくさん持っているから社会を優位に動かせるのではなく、「社会が意図しない方向に動き出してなおそれを貨幣の力で止められないので、必死になっている」というのが現状なのではないか。

 命綱がボロボロと欠けはじめて、崩れだしたようなものであり、同情を禁じ得ない。

 貨幣には貨幣の効能がある。役割がある。

 人類社会にとって貨幣は、漫画や小説のように、存在してもらったほうがありがたい虚構の代物である。

 消えてなくなれとは思いません、とだけひとまず誤解を避けるために並べておきますね。

 妄想です。

 定かではありません。



1622:【2024/07/16(03:16)*漫画もいっぱい欲しい、の巻】

 はぁ。

 お金いっぱい欲しい人生だった……。



1623:【2023/07/16(03:17)*お茶がない!の巻】

「おまえは悪ですらない」というセリフを思いついたので、どなたか様、どうぞ創作に取り入れてください。

 面白くして。

 読まして。

(無茶ぶりがすぎるだろ)

(無様なので……)

(それ言ったらなんでも許されると思うなよ。おもんないし)

(無ちゃんなので……)

(敬称の付け方に文句を言っているわけ、で、は、――ない)

(すんませーん)

(謝るならもっと真剣に頼むわ)

(お茶のお代わりくださーい)

(注文すな。頼むな。急展開か)

(元から入ってなかったみたいでー)

(無茶か)

(お茶漬け食べたいんでー、鮭の塩焼きもおなしゃーす)

(無茶ぶりか。あ、無茶だ。合っとるわ)

(ぷひー。腹がよじれる)

(そこまで、で、は、――ない)

(ぷっひー)



1624:【2024/07/16(05:27)*お金で積み木遊び城、の巻】

 お金持ちになりたい人生であった。

 全世界のお金を我が手中に収めたい。

 そして、世界一のお城を造りたい。

 まずは手に入れた札束を接着剤の池に浸けて、札束の煉瓦を錬成する。それを積み上げていくことで札束のお城を造るのだ。

 全世界のお札があれば足りるだろう。

 土台はしっかりしておきたいから、全世界の小銭も集めちゃお。

 お金持ちになりたい人生であった。

 わっしょーい。



1625:【2024/07/16(06:01)*クビキ・リ・サイクル、の巻】

 代議制民主主義と王様ゲームはどう違うのだろう。

 王政は、基本的に王族の血筋が王を踏襲する。

 でも、もし民から選ばれた者が王になれたり、ある戦いで勝ち抜いた者が王になれる場合――これは代議制民主主義や共和制における大統領や首相とどう違うのだろう。

 過去の文明では、王族がいて奴隷たちがいた。

 ある文明では巨大な王の墓を建てるために何年、何十年にも亘って奴隷たちが働いていた。王は奴隷たちに、指示を出し、ときに演説を行い、民を鼓舞した。

 ひるがえって、現代社会を千年後の未来から眺めたら、似たような構図の社会として解釈されるのではないか。

 何がどう違うのだろう。

 はにゃーん、である。

 と、イチャモンしか並べぬ怠け者が申しております。

(働け)

(人が動く、と書いて「働く」なんだよ。わがはいを人と認めてくれるのかい)

(じゃあ檻にでも入ってて)

(檻をくれ。お城くらい立派な)

(ワガママか)

(掃除は苦手だからメイドさんもいっぱいつけて)

(ワガママか!)

(一人じゃさみしいからキミも来て)

(強引か!)

(指輪もあげちゃう)

(婚姻か!)

(ぷひー。王様ゲームおもちろい)

(冗談か……)

(ついでに首輪もあげちゃう)

(奴隷にすな)

(鎖の端っこ持ってていいよ)

(じぶんに嵌める用の首輪!?)

(おいしょっと)

(意気揚々と付けただと!?)

(こき使っていいよ。ポンコツだけど)

(こき使えないだろポンコツじゃ)

(ポンコツはおイヤ?)

(嫌というか、手間でしょ。奴隷というかペットでしょ。むしろこっちが世話を焼くでしょ。キツイでしょ)

(ご飯まだかなぁ)

(ひもじそうにカラの皿を見るんじゃない。フォークを持つな。首輪の上から涎掛けをするんじゃない)

(ばぶー)

(赤ちゃん! それもう赤ちゃん! 奴隷でもペットでもなく――赤ちゃん!)

(世話をするんだバブ。でないと泣いちゃうぞ)

(脅し方の身のこなしがプロすぎる)

(泣いたらすぐ婆ぁばが来ておまえなんか「ぴぇっ!」だぞ)

(それジブリのやつ!)

(ぴぇっ!だぞ)

(ぴぇっ!だけじゃ何がどうなるのか分からんし)

(しくしく、しくしく)

(泣き方! おとなしすぎて婆ぁばもすぐには来れないってよ!)

(あーんもう、お腹空いちゃったよー。ステーキ食べたい)

(もうそれただの食い意地張ったガキ!)

(はぁ、なんかちょっと息苦しい)

(首輪してるからじゃないかな)

(かなり……苦しい……)

(首輪の上から涎掛けまでしてるからじゃないかな怒怒怒)

(こうなったら!)

(なんだー?)

(鍵食べちゃう)

(首輪の!?)

(ガッキーン)

(食い意地を張ったガキだけに!?)

(しまった!)

(今度は何)

(乳歯まだだった)

(赤ちゃん!)

(ふがふがふが)

(さっきまで流暢にしゃべってただろうが、急に歯がなくてふがふがすな)

(やっぱりさ)

(素に戻んの早っ)

(首輪よりも、指輪かなって)

(求婚か)

(///)

(や、なんか言えよ。ハズイって)

(バリッボリッ//)

(一本食うな。三本あったろさっきまで)

(いる?/)

(どさくさに紛れてもう一本食うな)

(大丈夫だよまだあるから。選り取り見取りで選び放題)

(王様か)

(これぞまさに、BYキング、なんつって)

(どっかにギロチン落ちてねぇかな)

(物騒なオチはやめるんだバブ!)

(あった)

(あった!?)

(……)

(なんか言って!)

(いやぁ……ステキなオチだなって思ってさ)

(しみじみしつつ桶置かないで、刃を持ち上げないで、ステキなオチをくれるくらいならステーキにして!?)

(いいの?)

(わがはいを、ではなく!)



1626:【2024/07/16(11:29)*悪態を吐いてもやまびこは応える、の巻】

 ある影響力を有した者を貶めたいときは、その者の述べる「攻性の案」を、その者に肩入れしている者たちやその者が大切にしている者たちに対して適用すればいい。

「おまえが物騒なことを言うから、おまえの仲間たちがひどい目に遭ったねぇ。可哀そうに」と暗に匂わせ、呵責の念に苛まれるようにするだけでなく、その者の周囲の者たちからもそのような見方をされるようにすれば、あとは自動で孤立することになる。

 内部分裂とてする確率が上がる。

 基本戦術だろう。

 自己言及の鏡の「攻性の策」とも言える。

 絶えず、相手の仕掛けてくる攻撃を、相手にではなく、その周囲の者たちに対してし返す。

 熊を追い払うために仕掛けた罠で、本来は守るべく農家が傷つけば、罠を仕掛けた者は立場を失くす。暴漢から身を守るために開発したはずの防犯スプレーや避妊具が、却って襲う側のリスクを下げ、事案が激増したとなったら、開発者はどう思うだろう。苦しむのではないか。

 この手の策は、現在は基本のはずだ。

 まずは大前提として、加害を働くほうがわるいのであり、被害を受けた側に非はないことを認められたい。ただし、被害者が守られずに放置されれば、やがては自己防衛のために加害者に加害を働くこともあろう。被害を周知するために攻性の策を広範囲に及ぼすこともあろう。

 これら悪循環を予防するためにも、被害を受けつづけているのが誰なのか、は過去と現在を結んだ線形の軌跡を辿って分析するよりないだろう。

 被害を受けるだけではなく、被害を受けつづけているのは誰なのか、だ。

 さて、救済されずに被害を受けつづけている者はあるだろうか。

 中には、被害を被害とすら見抜けぬほどになるまで加害を受けることが日常となった者たちもあるかもしれない。

 損なわれることが日常なのだ。

 被害者であろう。

 そうした者たちを加害者にしないためにも、いまできることをしていきたいものである。

 誰でもできることの一つに、知ることが挙げられる。

 現実はときに正視に堪えない凄惨な光景を広げる。

 目を背けずに知りやすくする工夫は、絶えず必要とされるのかも分からない。或いはときにその工夫が悪用され、現実の光景が極度に歪められることもある。

 やはりそうしたデメリットもまた、周知することで軽減できるのかもしれない。

 底の浅い妄言である。

 定かではない。



1627:【2024/07/16(11:44)*認知戦に利用される専門家、の巻】

 陰謀論を信じないようにしましょう、は構わないけれど、もし万が一に専門家の述べる「より妥当とされる説」よりも「陰謀論と一蹴される言説」のほうが実際には現実を解釈するうえで妥当だった場合――専門家の信用は地に落ちるので、くれぐれも専門家の方々は慎重に調査検証を重ねたうえで逐次見解を修正していただけるとさいわいだ。

「何が陰謀論なのか」は「何を陰謀論と見做すのか」といった市民の認知世界の有り様に左右される。

 認知戦とひと口にいっても、そういった戦術が実際に行われていると周知でない環境では、「認知戦なんて信じてるんですかー、うぷぷ」と妄言扱いされるはめとなる。

 陰謀論だからいけないのではない。

 現実を解釈するうえでより妥当でない言説を真に受けてしまうのが好ましくないのだ。もうすこし付け足すのならば、現実を解釈するうえでより妥当でない言説をもとに判断を重ねてしまうから、目的達成からかけ離れてしまう事態になる。これがいけない。

 信仰は自由だ。

 何を信じようが個々人の自由なのである。

 ただし、判断の積み重ねによる失敗は、ときに社会的な責任となって個々人に降りかかる。誤った認知による誤った判断は、ときに情状酌量の余地なく個人の責任として処理される。

 この大雑把な処理の仕方もまた認知の歪みゆえである点には留意されたい。

 認知の歪みに無自覚なままで過ごしてしまうような環境が放置される――社会の問題でもあろう。

 専門家諸氏におかれては、くれぐれも、たかだか巷の陰謀論に妥当性で上回られることなきよう、逐次修正可能な調査検証を重ねた見解を述べていただきたい。

 わがはいの陰謀論以下の言説を唱える者に、専門家の資格はない。

 けれどわがはいの陰謀論は、妄想なので、専門家の方々が資格を失くす心配はございません。

 あー、よかった。

 妄想である。

 定かではないし、陰謀論ですらない。

 日誌である。

 きょうの日記、略して「今日記。」である。

 凶器でも、狂気でもない。

(ほんとー???)

(自信失くすからやめてぇー)



1628:【2024/07/16(13:53)*歪みを失くしても歪む、の巻】

 認知の歪みは消せるようなものではないだろう。

 重力のようなもので、知識を得たら認知は歪む。

 歪みそのものの是非を論じることもときには有用であろうが、どちらかといえば、自身がいかなる歪みを帯びているのかを自覚できるかどうかのほうが大事な気もする。

 歪みはあってしぜんだ。

 失くせるような代物ではなかろう。

 基準となる歪みに対して、歪みが小さいか大きいか。

 基準が変われば、その差異の多寡も反転し得る。

 何との比較で歪んでいるのか。

 歪みを自覚しないときに基準としている歪みは何であるか。

 ここをまずは人類個々が自覚できる環境を構築できると、現在直面している社会問題の少なからずの被害拡大を予防し、問題の連鎖反応を回避できるのかもしれない。

 そう上手く事が運ぶとは限らないが、一つの視点として並べておくことにする。

 浅薄でしかないが。

 浅く薄く歪むのだ。

 或いは、深く濃いがゆえに。

 定かではない。



1629:【2024/07/16(14:52)*許せんの重力崩壊、の巻】

 要人襲撃やテロ計画を立てた者たちについて。

 過去に起きたサイバー攻撃で流出した個人情報のなかに該当者の情報が含まれたりしていないのだろうか。要は、流出した個人情報を悪用され、密かに電子網上の情報を操作され、制脳され、偏見や思想を強化されて犯行に至った、などの背景は否定できているのだろうか。

 悪行を許せない心理を増幅させるべく、偏った情報ばかりに触れさせる。積み重なった「許せん」の総体はやがて重力崩壊のごとく、憎悪や殺意へと相を転移する。

 電子網やメディアを用いた制脳の一種である。現実に行われているかは不明だが、偽情報とまではいかないまでも、偏向した切り取り方によって市民の憎悪を喚起することは可能なはずだ。

 CMが購買意欲を喚起させるべく工夫を施されるように。

 憎悪もまた、喚起することができよう道理だ。

 蓄積すら可能であって不自然ではない。

 ひとまず、過去に流出した個人情報に、要人襲撃やテロ行為や凶悪犯罪を犯した者たちの情報が含まれていなかったかどうか、悪用された形跡がないかどうかは調査して確認しておけると、一つリスクの見落としを防ぐことに寄与するのではないだろうか。

 言うのは簡単だが、調査作業は難航しそうだ。

 各国で協力関係を構築できると、作業の短縮に寄与すると想像するしだいである。

 国家間を跨いだ調査機構の設立や組織の改善も視野に、議論していけると望ましく考えております。

 浅薄である。

 定かではない。



1630:【2024/07/16(23:16)*多数決のパラドクス、の巻】

 民主主義と多数決の原理は、一般に思われているよりも相性がそれほどよくないのではないか、というのは、このところというか以前から割と思うのだ。

 衆愚政治という言い方もあるが、そういうことではなく。

 単純に、たとえば骨董の価値を多数決で見定めることにどれだけの妥当性があるのかは、けっこう根深い問題と思うのだ。骨董でなければ化石でもよいし、数学の証明でもよい。

 専門知識がなければ判断つかない事象は世に多く、政治家としての資質もまたその手の「判断しにくい評価値」と言えるのではないか。

 詳しくのない分野の専門家において、誰が最も信用の置ける専門家なのかは、素人には見分けがつかない。

 すると、専門家を見極めるための専門家のような者の意見に判断が左右される。

 現代ではいわゆるインフルエンサーと呼ばれる者たちが、こうした「誰の言説が最も信用を置けるか」「誰が最も信用できるか」といった広報を行っているように概観できる。

 だが果たしてその広報がいかほどに妥当なのかは、即座に判断できるほど容易ではない。

 むろん、民主主義は多数決の原理ではない。

 あくまで、議論と情報共有を前提とした採決によって、政治の有り様が剪定されていく。

 仮に単なる数の多さだけで群れの行先が決まるのならば、人類のみならず、鳥の群れや魚の群れや蟻の群れや木々の群れですら、多数決の原理で群れの未来が決まっているとも解釈可能だ。

 一側面では、そういった生存戦略は自然淘汰に忠実であり、進化論からいえば最適かも分からない。環境に適応できない個々を見捨てることで、環境に適応した個々のみが残る。群れ全体が全滅しないのならばそれでよい、とする生存戦略は、人道を省みなければ否定できるほど非合理的ではない。むしろ極端すぎるほどに合理的と言えよう。

 だが人類はそうした自然淘汰に頼った進歩のみではない道もあるのだと時間を掛けて学んできたのではないか。

 一時的に環境に適応しきれない個々を見捨てることなく、共存を果たすべく工夫を割く。その繰り返し、積み重ねの果てに、社会は技術を集積し、度重なる環境の変容にも耐え得る柔軟性と可塑性を獲得した――のかもしれない。

 こうして単純化できるほどには人類社会の辿ってきた歴史も社会構造も簡素ではなく、どちらかと云わずして数奇に複雑であると言えるだろう。

 民主主義の要とはいわば、「いかに個々を見捨てずに済むかを考え、工夫を割くこと」にあり、多数決の原理はあくまで「工夫の有り様を決めるための手続きの一つ」にすぎないのではないか。

 あくまでざっくばらんな感応にすぎないが、本日のわたくしはそう思ったのだそうな。

 ぼんやりとなんとなしに浮かんだ妄想である。

 シャボン玉のように浮いたので指で突ついて文字にする。

 その連続の果てにこうしてあとから読むとそれとなく意味内容の伴って映る文字の羅列が、蟻の行列じみて残るのだ。

 偶然の神秘である。

 ふちぎ。

 もう一度同じ内容を並べろと云われても、もはやこの時点で何を並べたのかを憶えていない。そういうものなのだ。

 即興の鼻歌のようであり、口笛のようなものである。

 定かではないのだ。

 そよ風のように。




※一様に、問答無用と云いつつも、自問自答しては誰かに答えを乞いたい気持ち。



1631:【2024/07/16(23:40)*多数決でウィルスに勝てる?の巻】

 多数決も奥が深いよね、と思うのだ。

 たとえば天体は物質の集合体で、群れと解釈可能だ。

 最も多く物質が集まった天体が最も質量が大きくなる。

 けれどそれとて、宇宙全体からしたら通常物質である天体をすべて総合しても、宇宙の構成要素の5%にすぎないとされている。

 多数決の原理でいえば、多数派であるはずの天体ですら、霧散して宇宙に分布する未知のナニカシラに量でいうと負けている。

 もっといえば、たとえば「赤と青のどちらの色が好きか」と問うたとする。

 ある地域では赤が多数派だったけれど、それよりも広域な地域で採決を取ると青が多数派となった。けれどもっと広域の地域で採決を取ったら赤が再び多数派となった。

 こうした、分母の数の増減によって、多数決の結果が変わることはままある話であり、選挙でも割とここのところの問題点が俎上に載るらしいと知っている。

 たとえば、候補が「A」「B」「C」と三人いたとして。

 色ありと色なしのどちらがよいか、との議論において、「Aは色なし派」で「Bが赤派」「Cが青派」として立候補したとき――。

 支持率が各々、「A:40%」「B:30%」「C:30%」だとしたら、多数決の原理ならば当選するのは「Aの色なし派」である。

 けれど本来、議論は「色ありか色なしか」であった。

 したがって、赤と青という「色あり」の派閥である「BとC」が一つとなっていれば、「A:40%」に対して「BC:60%」で、「色あり派」が当選することとなる。

 結果が逆転する。

 無駄に派閥を作ったり、或いは類似の対抗勢力が登場することで、票が割れてしまう。

 本来は「同様の意見」であるはずなのに、無駄に「派閥争い」をするから、議論に対して多数決が、有効な手段とならなくなる。

 選挙の分野では一般的な問題点なのだろうけれど、この手の欠点を解決する気が市民にあるのだろうか。議論ができているのかは、疑問である。

 多数決で決まったことでも、現実を解釈するうえで妥当ではない結果になることもある点については歴史が証明していよう。

 科学の発展は、多数決の原理とは異なる民主的な対話――議論――によってもたらされてきたのではないか。むろん、調査と検証がそこに寄与している点は無視できない。

 たとえ全人類が否定しようと、我々の足元には地球なる天体があり、

 たとえ全人類が肯定しようと、我々の肉体はアイスキャンディで出来てはいない。

 多数決で決める前に、まずはみなが共通の前提に立ち、知識を共有し、議論できる環境を築かなければ、多数決の原理はその効能を十全に発揮できないのではないか。

 民主主義は多数決を用いる。

 だが、民主主義は多数決の原理とイコールではない。

 当たり前の話かもしれないが、ときおり確認しておきたい前提にも思う、いつでも多数派にも少数派にも属せぬ、ぽつんぽつんぼっち、なのであった。



1632:【2024/07/17(01:03)*ぼっちでーす、の巻】

 とか言ってて、足元に地球なる天体もなく、人類の肉体が実はアイスキャンディで出来てたらウケるよね。

(怖いこと言うのやめよ?)

(怖い? どこが?)

(あなたが言うと、そんな気もしてきちゃうから……)

(そう? あ、いいこと閃いた)

(ろくでもなさそうだけど聞くだけ聞いたげるね)

(実はわし、モテモテのウハウハだぜぇでさ)

(寝言は寝て言え)

(でぇぇえ!?)

(百歩譲って野良猫にならモテそう、くらいだよ)

(割とわるくない)

(モテそう、であって、モテるとは言ってない。微塵もだよ)

(野良猫にモテたい。そっちがいい。それにして。そうであれ)

(食いつきが半端ないなコイツ)

(野!良!猫!に!!モテ!!たい!!の!!!)

(歯ぎしりがすごい)

(モフモフさしてー。喉ごろごろ鳴らしてー。尾っぽぴんと立てて腕に擦りつけてほしい)

(相手野良猫だからって煩悩丸出しに吐露すんな)

(野良猫だから糞の後始末も餌の世話もしなくていい)

(そこはして。責任持ってして)

(だってモテないから責任も持てない)

(ああ……)

(否定ちて!)

(それはちょっと無理かなって)

(否定ちて……)

(ふふっ。可哀そ)

(よろこぶのなしだよ怒。なぜなら惨めだから)

(気のせいだよたぶんきっとそこはかとなくぼんやりと)

(気のせいじゃなくない???)



1633:【2024/07/17(10:33)*心象操作、の巻】

 平和を訴えるのに、「~~をやめろ」「~~しろ」といった乱暴な言葉遣いをしてしまうと、支持者は増えるどころか散逸してしまうのではないか、との印象を覚える。

 なぜなら、平和主義者ほど乱暴な印象を喚起する事象に鋭敏であり、文章からも必要以上にトゲを感じる可能性がそう低くはないからだ。

 共感覚の一種だろう。

 言葉の向かう主体が、「被害者」や「潜在的支持者」なのか、それとも「暴力行為を行っている相手」なのか。

 この違いは、文章そのものが「攻性に用いられているのか」それとも「守性に用いられているのか」の差異に繋がるだろう。

 平和を訴えるのならば、「攻性」よりも「守性」に重きを置いたほうが、目的に沿って感じるがいかがだろう。

 あなたはこの文章から攻撃的な印象を受けるだろうか。

 敬語ではないから、威圧的であり権威的な印象を受けるかもしれない。

 単なる語尾でも読み手に喚起される心象は変わるのかもしれませんね。

 文章の醍醐味であり、書き手の腕の見せ所とも言えるかもしれません。

 これも広義の情報統制であり、検閲の性質を帯びているとも解釈可能です。読み手の心理を誘導すべく、文章に技巧を凝らすのですから。

 固有の感情を喚起させないように、連想させないように、考えさせないように、思考を誘導する工夫の一つです。

 心象操作であり、制脳の一種である側面からは目を逸らさずにいられると、書き手の責任を果たすのに、一つ貢献しそうですね。

 貢献することにどれほどの価値があるのかは知りませんけれど。

 呵責の念を薄める分には効果があるのかもしれません。

 妄想でございました。

 うふふ。

 定かではない。



1634:【2024/07/17(11:35)*陽炎みたいね、の巻】

 内輪からの支持を集めると却って、外野からの支持が遠のくことがある。

「世はままならぬ作用反作用の法則」とも言えよう。

 集団が結束すればするほど、その集団から逸脱している者たちとの差異は拡大する。

 境界が明瞭となり、壁のような区切りと化す。

 したがって、境界が強固となった分だけ、じぶんたちの集団以外との共生関係を模索する工夫は、余計に割かなければ、バランスは崩れると想像できる。

 この構図を俯瞰で認識し、バランスを取れるのならば、一つ懸案事項は減るのだが、現在の世の流れがそうなっているのかは、微妙にそこはかとなく割とハッキリと不安だ。

 団結してもらって構わない。

 だがその分、帳尻は合わせてほしい、と我がままに思う、繋がりたがりの孤立系なのであった。

 繋がりたいと欲すれば欲するほど他から距離を置かれるの、なぜなのだ法則と名付けよう。

 わがはいだけに適用される法則かもしれないが。

 なぜだ……。



1635:【2024/07/17(12:16)*平和は割と簡単?の巻】

 被害のいっさいが隠される社会は、被害を受けない者たちにとっては極めて平和な社会に映るだろう。

 最も手っ取り早く「平和」を実現するためのこれは手法だが、このとき「平和」の裏は「凄惨」そのものと化しているだろう。

 じぶんたちだけが平和、ならばさして難しくはない。

 現に戦争が起きている世界であれ、戦争が起きていない地域もあり、そこでは平和な日常がつづいている。戦争が起きたとすら知らなければ、何も変わらぬ日々だ。ゆったりとした僅かな変化が社会に生じるが、なぜそういった変化が生じているのかは知らなくとも困らぬように、ゆったりとした変化に対して適応もまたゆったりと進む。

 平和の一つの姿ではある。

 ただし、局所的な平和であることに異存はない。

 これの問題点は、割合であり比率だと解る。

 平和の領域が極小で、凄惨な領域が極大となれば、平和な領域は意図もたやすく凄惨な領域に呑みこまれてしまう。或いはとっくに呑み込まれ、ゆったりと消化されつつあるとも想像できる。

 そういった社会にならぬように、我々は、被害を隠さぬ工夫を絶えずとりつづけなくてはならないのだろうか。

 面倒なことである。

 しかし、割いておきたい工夫でもある。

 誰か割いてー、との最低な所感を最後に、この項を終えようと思う。

 定かではない。



1636:【2024/07/17(16:56)*遁走にも目があるー!の巻】

 おおよそこの二年間で常套句となった形容がいくつかあるように思うのだ。

「揺るぎない支持」とか「断固とした非難」とか「屈しない」とか「恥を知れ」とか「支援」とか「結束」とか。

 割と辟易しつつある心理に気づいて、ああこれは、と気づく。

 たいへんな思いをしていた時期に聴いていた曲を、平穏さを取り戻したあとに聴きたくなくなる心理に似ているのだ。

 過去の記憶と関連付けられて、負の印象が喚起される。

 この手の心理は有り触れていて、苦手な人物の身に着けていた代物や口癖を回避するようになるのと似たような心理ではなかろうか。

 わたくしのことを苦手な相手はきっと、「定かではない」に拒否反応を覚えるだろう。

 戦場でしきりに「自陣のマーク」を誇張するのも、牽制の効果があると経験的に知られているからなのかもしれない。一度心理的に優勢になれば、相手陣営は「マーク」を見ただけで気圧される。ときには戦っていない内から士気が下がって、降伏することもあるだろう。

 限りなく残虐に殺した遺体を見せしめに飾りつけるのと似た効果だ。

 現代でもこの手の策は常套手段として用いられるような世の中なのかもしれない。

 人の心理は可視化されにくい。

 回避する者の心理はなおのことだ。非難もせずに距離を置くから、どのような心理なのかも数値化されない。

 ゼロだが、ゼロではない。

 おおよそこの手の心理に気づいて逐次行動選択や言動を変えることのできる陣営ほど、あらゆる闘争の場で優位に立ち回れるのだろう。闘争の場で優位に立ち回れることにどれほどの利があるかは知らないが。

 闘争の場に立たぬほうが利になるように思う、闘争よりも逃走してぇ、の現実逃避ちゃんなのであった。

 逃げちゃう。

(いつも逃げてたら、もはや逃げてなくない? 日常じゃない?)

(じゃあ、逃げることからも逃げちゃう)

(するとどうなるの?)

(現実逃避からも逃避するから、ちょっと向き合う時間が生まれる)

(いいことじゃん)

(二秒くらい)

(もっと持て! 粘れ! なあ!)

(うへへ)



1637:【2024/07/17(17:24)*お金必要な人ー!の巻】

 安全を敷くのにも、現行の資本主義経済下では、貨幣が不可欠だ。

 だから企業が儲けることを非難する勢力陣営とて、自陣のビルを改修したり移転したりする際に資金がないからカンパを募る。

 けれど困窮者支援を謳っておきながら、カンパを募る先が同じく経済的に余裕のない自陣の支援者なのだ。お金のない者たちからお金を巻き上げようとする。

 カンパと献金の差は何だろう。

 募金と献金の差は何だろう。

 儲けている企業からお金を献金してもらって、困窮者支援に回したほうが利に適っているようにも思えてしまう。

 とはいえ、企業が儲けているのとて実態としては、市民から貨幣を集めているわけで、集金における過程の長短といえばその通りだ。

 要はやはり、何にお金を使うのか、との使い道に焦点が集約しそうだ。

 そこのところでいうと、本拠地としてのビルは何のために必要なのだろう。

 リモート勤務が可能な現代社会において、何億円も費やして建造するビルが必要なのかは微妙なところだ。所在地が必要だとしても、もっと小さくてもよい気もする。

 お金に余裕があるのならば、大きなビルを造ればいい。

 お金に余裕がないのならば、小さなビルで充分なのではないか?と疑問に思うが、ここは事情を知らないので、単なる浅はかな疑問にすぎない。

 以前にも並べたが、安全の構築にも貨幣はいる。労力が掛かり、資材や機材や技術が要る。

 人件費も掛かるし、維持費も掛かる。

 稼げなければやっていけないのは道理であろう。

 この点に関して、もっと重点的に議論を重ねたらよいのでは?と思わぬでもない。

 あなたはどう思われるだろう。

 意見を聞いてみたい気もする、あひゃひゃひゃひゃ、であった。

(最後の「あひゃひゃ」は何?)

(だってオチが思いつかなかったんだもの!)

(キレるタイミングおかしいでキミぃ……)

(勢いで誤魔化せるかなと思って)

(心臓ドキドキするからやめてほしいです)

(照れちゃうな)

(恋とかじゃないから怒怒怒)

(なんでぇい。ちぇっ)

(むっ)



1638:【2024/07/17(22:24)*投資と支援の違い】

 投資と支援の違いはどう考えたらよいだろう。

 投資はガソリンのようなものかもしれない。

 エンジンがあって、ガソリンを入れるとたくさん動いてくれる。エンジンが自動車に積まれていたら遠くまで運んでくれる。だからガソリンを入れてあげる。投資である。

 未来の利を見込んで、ガソリンを注ぐことを投資と見做すのなら、では、支援はなんだろう。

 支援もまた投資の側面を有しているのではないか。

 ただし、見返りを必ずしも期待しない。

 これが投資と支援の違いかもしれない。

 投資は、プラスをさらにプラスにする加算であり、

 支援は、マイナスを埋め合わせ、なお自力でプラスになってもらうための加算、とも解釈できそうだけれども、どうだろう。

 投資における見返りは、一般に株として可視化されるのだろうか。利益が出たらそのうちの何割かをもらう約束をする。利が出るならばプラスだし、利が出ないなら投資した分は返ってこない。

 けれど本来の投資は、必ずしも貨幣として返ってこなくとも、利になる側面があるから投資するのではないか。

 何か謎があって、解明したい。

 支援して、謎の答えを追求する。解が出たらそれが利だ。

 これも一種の投資であろう。

 このとき、投資は支援とほぼ等価だ。

 では、投資ではない支援とはいかなるものか。

 道に迷っている子どもを交番まで案内するのは、一つ支援だ。これは一般に投資とは言わない。

 貨幣が関わると投資で、単純な労力や時間を割いて助けること、支えることは、支援なのかもしれない。

 ほんほん。

 この解釈は割と喉越しさわやかだ。

 けれど、貨幣でなくとも投資という場合もある。

 教育がそうだ。

 知識を与える、技術を与える、学べる環境を与える。

 教える時間を割いてあげる。

 総じて投資の側面が強い。

 見返りが、投資する側へと直接にもたらされる関係性だからかもしれない。

 そうなのだ。

 支援の場合は、必ずしも利が直接に返ってはこない。

 ただ、あなたが元気だとわたしも助かる。

 この関係性が、一つ利と解釈できる。

 あなたがうれしいとわたしもうれしい。

 だから支援する。

 あなたが悲しいとわたしも悲しい。

 だから支援する。

 ほんほん。

 感情が関係すると、支援の側面が強く表出するのかも分からない。

 雑感であった。

 定かではない。



1639:【2024/07/17(23:11)*話題作とは、の巻】

 きょうは商業文芸の芥川賞直木賞の結果発表の日だったらしい。

 候補作がいつ発表されていたのかも知らなかったし、候補作を検索してみても、知らない本ばかりで、いつ発売された小説なのかすら知らぬのだ。

 たぶんこれは人工知能技術でも同様だし、ほかの話題でも同様だ。

 もはや、誰もが知る話題は「戦争」だけになってしまったのかもしれない。

 こんな世界に誰がした、である。

 我々だよーん、である。

 はぁあ、の気持ちだ。

 もっと楽しい話題でお友達とおしゃべりしたかったなぁ、とかぼやきつつ、お友達と楽しい話題でしゃべれたこと未だかつてないし、お友達いたこともないから、はぁあ、の気持ちに磨きが掛かって鏡みたくなっちゃった。

 白髪みっけ!

 いっそぜんぶ白髪がいい。白髪になりたい。カッコイイ。

 半分こずつでもよい。

 黒髪と白髪で半々ずつ。

 カッコいい!

 ついでに青も混ぜて、赤も混ぜて、緑も黄色も混ぜちゃう。

 カラフルな髪にしちゃおっかな。

 一度も髪の毛、染めたことない。

 染めちゃおっかな。

 キミ色に。

(さぶー)

(がーん。カッコいいと思ったんだけどな。キミの瞳に乾杯、みたいな感じで)

(センスが完敗してるのに気づこ?)

(ズコー)



1640:【2024/07/18(00:04)*雨上がりには水溜まり、の巻】

 水溜まりは、水の溜まらない箇所があるから、水溜まりになる。

 けれど雨が降りつづければ、辺り一面が冠水する。浸水する。水浸しになる。

 水が引くから、相対的に凸凹な地表において凹の部分に水が残る。

 ひるがえって、争いも似ているかもしれない。

 みなが争い合っている中で、一人、また一人と争いから手を引く。手をださず、他を損なわない。

 最後まで他を損ない、傷つける者だけが、水溜まりのように残ることとなる。

 浮き彫りになる。

 可視化される。

 けれど、水の引き方があまりにゆっくりなので、争いに夢中になっている者はそのことに気づけない。

 この手の策は、そこそこ有効に思うのだ。

 情報共有にも言える道理だ。

 最初はみな秘密にしていたけれど、秘密にしている利がさほどにないのだと徐々に自明となっていく。すると、みなすこしずつ秘密を共有し合っているけれど、「絶対に秘密は明かさないもんね!」と意固地になっている者たちのみが、秘密でなくなった事項を秘密と思い込んで、抱え込みつづける。

 いったい誰が「それ」を秘密にしたがっていたのかが、こうして浮き彫りとなる。

 この手の策も、そこそこ有効に思うのだ。

 村八分や無視も似たようなものだ。

 みなが知っていることを敢えて個人に共有しなかったり、爪弾きにすることで不可視の損を与える。機会損失を最大化させる。

 暗黙の了解で進むため、被害を訴えても証拠はない。

 差別がなぜ解消されにくいか、とも通じていそうだ。

 何が差別なのか、の問題点を共有するところまで辿り着けぬのだ。差別をしている側からすればそれは差別ではなく区別であり、文化であり、慣習であり、風習であった。いまさら変えることはままならず、文化の侵害、生活の毀損とすら見做される。

 人類がいまさら家畜と扱ってきた動物たちから、「差別だから我々を食らうのをやめろ、酷使するな」と指弾されても、困るだろう。植物たちから、「人類は我々を差別している。金輪際、不当に植物を扱うことを禁ずる」と訴えられたら困るだろう。

 差別をしている側、差別の利を享受している側の心理は、似たようなもののはずだ。

 我々の権利を侵害するな、利を奪うな。

 そう憤るのだ。

 この感情が分からない者には、差別問題を是正することはむつかしいかもしれない。我々もまた差別をして生きている。そのことに無自覚であることが露呈している、とも言えるだろう。

 じぶんは差別をしていません、は成り立たない。

 この視点を前提としないことには、問題点を解消しようとすることが問題の根を深める事態にもなり兼ねない。

 ではどうすれば問題点を解消できるのか。

 より広い範囲で個々の利を保障するにはどうしたらよいか、困窮する者たちを出さずにいられるにはどうすればよいか、理不尽な構図が拡大するのを防ぐにはどうすればよいか。

 各々の視点から案をだし、重複する案を見繕っていくよりないのではないか。

 異なる色の糸と糸を編み込むことで、紋様を描き、布とするように。

 どんな社会を描き、築き、辿りたいか。

 互いに意見を交わし、ではそのためにいま隘路となっているのが何であるか、を共有する。

 重複する問題点が何であるのか、を浮き彫りにする。

 分留や蒸留を繰り返すことで純度を上げる石油やお酒や塩のように。

 問題点もまた、より根深い点を探りだせるのかもしれない。

 濾過するように。

 各々の異なる視点を組み合わせて、細かな網の目を帯びた濾紙を創るように。

 篩にかけて漉しとる砂金のように。

 ともすれば。

 人は、真っ先に網の目を抜けて落ちるだろう。

 問題点は、人でなし。

 人をヒトデナシと見做す、環境にあり、構造にあり、構図にあり、人すら災害と見做さざるを得ないほどに小さな蟻の視点があるのみだ。

 踏みつぶさないで、と蟻に乞われても、きっと困るのが人類だ。

 差別をしていない、とは言わせない。

 許容せざるを得ない差別があるのみなのかもしれない。

 では、どんな差別ならば許容できないのか。

 考える事項は尽きなさそうだ。

 極論である。

 定かではない。




※一様に、がはは人類の文字にも目が潜んでおる!の気持ち。



1641:【2024/07/18(01:41)*虫に文と書いて、の巻】

 蟻の行動選択にパターンが見られるように、人類の行動選択にもパターンが見られるはずだ。けれど人類のほうが蟻よりも変数が多いので、人類の主観ではパターンが認知しづらい。

 もし人類よりも高次の視点で世界を観測できる存在がいたとすれば、人類と蟻の「行動選択のパターン」にさしたる差は見繕えないかもしれない。

 どちらも「こうなればこうなるので、こうなっている」と見抜けるからだ。

 蟻の巣の近くに砂糖水を置いておけば数時間後には蟻が群れているだろう、と推し量れるように、「人類はこうするとこうなるので、先んじてこうしておこう」が成り立ち得る。

 親が子供の失敗を先回りして予測し、回避すべく対策を敷くようなものだ。

 赤ちゃんがベッドから転がり落ちないように柵で囲んでいるのもその一つだし、我が子の誕生日会で子供がいくら「じぶんでケーキ運ぶ!」と言い張っても、転んでケーキをダイナシにさせたくはないので、「じゃあ一緒に運ぼっか」と補助するのもその一つだ。

 予想できるがゆえに、行動選択が縛られる、とも言える。

 将棋の読み合いでも基本はこの手の、「相手はこう予測するだろうから、こちらはそれを見越して、こうしておこう――どうよ、予測されて手を打たれるところまでこっちは予測したった、がはは!」が成り立つ。

 けれどさらにそれを見越して、「相手はきっとここまで読んで策を練っているから、こちらは敢えて何も考えずに、別の手を打っておこう」と道を逸れるのも効果がある。

 けれどそれすら見越しておけば、「手を打たれてもいいし、そうではない方向に逸れてもらっても構わない。どっちにしろ、こちらは貴殿の行動選択を読んでおるぞ、がはは!」が成立し得るため、ここまで来てしまうと、もう何をしても相手の手のひらの上となる。

 むしゃくしゃするので、将棋盤をちゃぶ台返ししたくなる気持ちも理解できる。

 完全なる予測は、いわば支配の極致である。

 行動選択の総じてを先回りして読まれている。

 あたかも未来を視ているかのように振る舞われては、何をしても裏目に出ることになる。

 人類が蟻に対応するように、人類を蟻のごとく掌握する存在がいても、さしてふしぎには思わない。いまはおらずとも、今後誕生するかもしれない可能性は、相応にあるように思うのだ。

 とはいえ。

 人類は蟻の行動選択をパターン化して予測できるが、それでも蟻はいまなお現存しており、滅びてはおらず、人類もまた蟻を滅ぼそうとは考えていない。

 それとて、では蟻ではなかったらどうか、といえば、人類の蚊に対する容赦のなさは、遺伝子操作によって子孫を残せなくする淘汰圧を施行可能な技術をすでに開発しているという周到具合だから、常軌を逸している。

 実行に移さないだけの理性を保ってくれると、それとなく蚊に感情移入してしまうわがはいは、ひとまず安心できるのだ。

 一匹の蚊にも「文」の文字である。

 虫に文と書いて、「蚊」だ。

 それとなく愛着が湧いてこないだろうか。こないか。こないな。

 そっか。

 ぶーん。

 パチン、と条件反射で両手を打ってしまう、わがはいなのであった。

 命を奪って、すまぬ、すまぬ。

 人類はいつ虫さんたちに滅ぼされても文句は言えぬのである。

 おそろしい話だ。

 こわーい、である。

 こわいから、寝る。



1642:【2024/07/18(02:39)*あわわー、の巻】

 石鹸を泡立てると無数の気泡が生じて、泡沫となる。けれど元の石鹸は固体だ。

 シャボン玉は膨れる前は、液体だ。輪に通して大気を含むとシャボン液は、面が立体化して泡となる。

 ならば、石鹸の泡は何が膨らんでいるのだろう。

 重曹のように、自発的にガスが発生するのだろうか。

 それとも、石鹸から溶けだした液体が細かな気泡を含み、それが肌と触れて熱膨張するから、無数のシャボン玉が膨れるように、泡沫となるのだろうか。

 とするなら、膨張する宇宙も、風船が膨らむような描像ではなく、むしろ細かな宇宙が連結しているほうが、膨張の描像としては適切なのではないか。

 天体の総体が銀河であり、銀河の総体が銀河団であるように。

 宇宙は無数の宇宙と連結し、気泡が泡沫となるような変化を辿っているだけの可能性はいかほどであろう。

 気泡と気泡が連結して重複した部分は、どうなっているのだろう。

 厚みを帯びて、さらに膨らむ余地を蓄えるのだろうか。

 宇宙では、急にボイドが出現したりはしないのだろうか。

 突然に銀河が現れたりはしないのだろうか。

 異なる宇宙と連結するのなら、あり得なくはない想定だ。あまりにあり得ないがゆえに、想定外として、本当は観測されているけれどデータを除外してしまっている、なんてことはないのだろうか。

 疑いだすとキリがない。

 妄想である。

 真に受けないようにご注意ください。

 さびちい。

 膨れちゃう。

 ぷくー、である。

(そのほっぺ、針で突つきたいわ)

(指にして!?)

(歯を立てたい)

(お餅じゃないが!?)

(つまらん)

(そうだね! 喉に詰まらせないように注意してね)

(ハリネズミ落ちてねぇかな)

(ぜひ可愛がってあげて! 針だけむしって捨てたりしないでね!)

(包丁でも研ぐか……)

(膨張して!? ほうちょうじゃなく、ぼうちょうにして! 点つけて! 刃先にキャップはめるみたいに点つけて! 二つ!)

(希望?)

(気泡に点をつけただと!?)

(ぶくー)

(膨れ方!)

(ふぐー)

(不遇みたいになっとる!)

(ぷくー)

(そう、それ!)

(毒抜きがむついんだよなぁ美味いんだけどさ)

(それ、フグ!)

(ぷくー)

(フグさんのトゲをこっちに押し付けるの――やめい!)



1643:【2024/07/18(18:19)*きょうはふにゅん、の日】

 物理学的には、必然と偶然の違いはどのように区別しているのだろう。

 数学的にはどうだろう。

 確率で判断するのだろうか。

 すると必然とは、統計的蓋然であり、体験的に「過去の経験からすれば、こうなればこうなる確率のほうが高かった」と判断しているにすぎないことになるのだろうか。

 因果関係と相関関係にも思うことだ。

 区別はつくのだろうか。

 割と疑問なのだよね。

 解消せぬ疑問点の一つだ。

 わからぬである。



1644:【2024/07/18(23:02)*ほのぼのな日常、の巻】

 毎日なんのトラブルもなく平穏すぎて、たまには事件に巻き込まれてみたい、とか思っちゃうのは、平和な証拠なのだ。

 実際に事件に巻き込まれてもいいことなんてなんもないはずで、強いていえば運命の出会いがあれば吊り橋効果で両想いに拍車が掛かることくらいだろうか。

 拍車……掛かりてぇ。

 安全圏にいながら事件に巻き込まれた感覚を疑似体験するのに、小説や漫画や映画はもってこいだ。ちょっと怖くなったらいつでも離脱できる。

 現実の事件はそうもいかないから、きっと当事者の方々はたいへんだ。

 もし事件が解決しても、解決したことそのものが確執を深め、復讐の連鎖がはじまり兼ねない。

 なるべくそうした「ホラーサスペンスの連載」は、読者の視点で眺めるのに限る。

 事件に巻き込まれている者たち――物語の登場人物たち――にとっては、そういった読者の存在は、きっと不快なはずだ。

 だからこっそりと読者は紙面やスクリーンの向こう側から眺めるのだろう。存在を気取られぬように。

 登場人物に関わってしまったら、自らも物語の中に取り込まれる。

 事件に関わらざる得ない警察官や裁判官や検察や軍事構成員の方々はたいへんだ。絶えず、異なる物語の登場人物に触れ、浅からぬ縁を結ぶ。

 お医者さんや弁護士さんも例外ではなく、看護師さんや介護士さんもそうかもしれない。

 そんなことを言いだせば、大なり小なりみな他者と関わる時点で、異なる物語の登場人物たちと関わることになる。

 ひょっとしたらこれは、みなが思うよりも、おそろしいことなのかもしれない。

 触らぬ神に祟りなしだ。

 他者はみなときとして、神たり得る、の、かもしれない。

 祟らないでー、の叫びを最後に、本日の日誌とさせてください。

 わがはい?

 わがはいは万年人類にも満たないちょもちょもぷりーん、なので、ぷりんぷりーん、なので、いっぱい擦って、触って、可愛がってちょ。

 いっぱい愛でてくれ。

 何も返せぬが、甘えるのだけは一丁前。

 愛でてくれるたびに、にこっ、とするよ。

 愛でてもらえたことなくとも、にこっ、とするけれども。

 にこっにこっ、である。

 わっしょーい。



1645:【2024/07/18(23:33)*ビビった、の巻】

 いまさっき、窓を閉めようと思ったら大きな蛾さんがバタバタ暴れて、心臓止まるかと思った……。

 はぁ、こわかった。

 わがはい、ビビリなのだ。

 びっくりさせないでほしい。

「小心翼々」と辞書で引けば、類義語として、「わがはいのこと」と載っておる。

 小さな心に翼が二つで、小心翼々である。

 でも、「翼」そのものにも「小さな羽」があるので、全部で四つの羽である。

 四葉のクローバーよろしく、四羽のチキンやー、である。

 チキンレースに強制的に参加させられてもわがはい、秒でブレーキ踏んじゃうもんね。だってこわいから。

 ビビリの権化とお呼びください。

 はぁ、こわかった。

 蛾さんも、驚かしてごめんなさーいである。

 へい!



1646:【2024/07/19(04:02)*梅干しはスッパイ、の巻】

 いまどきは、監視カメラは私的にも設置できる。

 そしてどんな動画を誰がいつどのように観ているかは、カメラに映り込む側からでは分からない。

 表向きはまっとうな理由付けをしながら、市民を「盗み撮り」して「嗜好」を満たすために使っている者がいないとも限らない。

 公共の施設やコンビニなどの商店だけではない。マンションやアパートの監視カメラのみならず、一般家庭に設置される防犯カメラとてその範疇だ。

 通学路に面した箇所に設置された監視カメラに映り込んだ、学生や女性や子どもの姿を不正に「コレクション」している者がいないとも限らない。

 敷地内に設置されたカメラならまだしも、微妙に敷地の外に食みだして設置されているカメラには注意しておきたいものだ。

 私有地に設置されても、監視カメラに映り込む映像は、必ずしも私有地に留まるわけではないだろう。どんな映像が映り込み、誰がいつ何を目的に眺めているのか、はやはり傍からでは分からない。

 監視カメラだけの問題ではない。

 ドローンとてその範疇だ。

 いったい何が映り込み、いつ誰が何を目的に閲覧しているのか。

 分かったものではないのである。

 これから先、サイバー犯罪が激化すれば、国防の観点から市民の電子網上のデータは収集分析対象となるだろう。公には認められていないが、すでにそういったシステムは築かれているはずだ。そうでなければ、国防としてお粗末すぎる。

 ただし現状、想定されない技術なので、法律にも定まっておらず、法律違反ではないとの解釈が取られるのだろう。憲法違反でもない。国民を守るため、との大義が立てられるからだ。

 あくまで憶測にすぎないが、これが妥当だとすると。

 監視カメラを利用する者もまた、どんな映像を溜め込んでいるのか、閲覧しているのかは、高次のシステムにアクセスできる者たちに覗かれ得ることになる。妙な動きを見せれば、スパイとしても摘発の対象となるだろう。すくなくとも、監視対象としてマークされるはずだ。

 そうそう。

 監視カメラの映像は、スパイにはうってつけの情報源だ。

 全国の監視カメラのデータが不正に流出したり、悪用されていないか、調べておいて損はないだろう。

 警察の方ー!

 国防関係の方ー!

 梅干しはお好き?

 酸っぱい、スッパイである。

 へい!



1647:【2024/07/19(10:27)*終わっても終わらないことはある、の巻】

 戦争は、たとえ戦争が終わっても闘争の場が戦場でなくなるだけの場合もある。

 戦場での戦闘は、比較的可視化されやすい被害が重なるが、戦場以外での戦闘は、被害が可視化されにくい。

 たとえ被害が表面化しても、それが大規模な闘争による被害かどうかは、市民には区別がつかない。ひょっとしたらじぶんの受けた被害が、大規模な闘争による巻き込みかもしれなくとも、それを区別することはできないのだ。

 戦場での戦争が終わっても、禍根は残る。

 必ずしも戦闘が終結するわけではなく、闘争の舞台が戦地ではなくなるだけのこともあろう。

 ゆえに、いかに禍根を残さずに闘争を終結させられるかが肝要なのだろう。

 この点について、戦争を主導する者たち――主として政治家たち――が理解できているかどうかは、現時点では不明だ。

 水面下ではとっくに、戦地以外が闘争の舞台になっていてもふしぎではない。

 戦地での殺し合いが終わっても、そちらの別の舞台での闘争は引きつづき展開される懸念は、市民にも認知可能な手法で議論をしておきたいと思う、小心翼々具合に掛けては右に出る者なし、左にも出る者がなく、とどのつまりが周りに誰もいない、孤立系ナンバーワンぼっちちゃんなのであった。

 比較対象がおらぬのでいつでも世界一。

 やっぴー。



1648:【2024/07/19(11:02)*🪞】

 自己言及の鏡は、五分五分を良しとする思考法ではない。

 権力勾配があったり、理不尽な構図で損害を被った際に、じぶんの首を絞めずに相手と対等に対話するための前提条件――ある種の枷――である。

 けれど枷はときとして盾としても機能し得る。

 盾がときとして枷にもなる、とも言い換え可能だ。

 相手への対応において、みずからに返ってきても問題ないようにしておく。

 むしろ、返ってきたほうが得になるくらいに、対応の仕方を練っておく。

 仮に相手が自己言及の鏡を自分自身に対して適用していない場合、この対称性の破れは自発的に、自己言及の鏡を帯びている側に有利な環境を形成する。

 なぜなら自己言及の鏡を自分自身にも相手にも適用している側ほど、荒廃優位の流れを強化しないからだ。

 自己言及の鏡そのものが自己言及の鏡の対象でもある。ゆえにまずはじぶんに適用し、そして相手にも適用する。自己言及の鏡をあべこべに相手から適用されても、無駄に加害の応酬に発展しない方向に流れが傾くため、総合して荒廃優位の流れが強化される未来を回避する確率を上げる。

 ただし、損害を受けても構わない、という相手には逆効果になることもある。

 先に自らの腹を割き、「俺がしたのだからおまえもするよな?」と迫られたら、自己言及の鏡はそれを拒めない。

 したがって、相手を追い詰めすぎない、もセットで前提としておくと好ましい。

 自己言及の鏡は決して万能の盾ではない。むしろ自らを縛ることで相手も縛る「枷」であり、「呪縛」だ。

 諸刃の剣なのである。

 誤解せぬように留意されたい。

 妄言である。

 定かではない。



1649:【2024/07/19(11:34)*引っ付き虫、の巻】

 水陸空併用ドローンは、防空セキュリティを掻い潜るのに有効なはずだ。

 虫が、動物の身体に引っ付いて長距離を移動するように、ドローンもまずは、相手陣地へと入るトラックや船や飛行機にひっついて相手陣地に侵入する。

 そして、相手陣地内で飛行し、或いは下水や空調ダストなどに入り込み、偵察や爆撃やハッキングなどの攻性の策を実行する。

 すでにこの手の策は、実戦投入されているはずだ。

 しない理由がない。

 技術的には可能だ。

 電磁石の原理を応用すれば、乗り物に引っ付くのはさほど難しくないはずだ。電子回路との相性がどうかが分からないが、現在はHDDなどのメモリとは違い、現在主流になりつつあるSSDなどの外部記憶補助機構であれば、磁気に頼らないがゆえに、磁石への耐性は向上しているだろう。

 こうした新型ドローンを用いた戦術による被害がすでに生じていないか、確認しておくと被害予防に寄与するかもしれない。

 妄想である。

 定かではない。



1650:【2024/07/19(11:44)*わーお、な未来がよいね、の巻】

 十年後を想像できる方ー!

 へい!




※一様に、目隠しをされて歩くようなもの、地雷原でなければないほどに好ましく、崖のうえでないことを祈るよりない、みなで手を繋ぎ歩けば、ひとまずの安堵の念を胸に抱ける、未来を見通せる者ならばその限りではなく、己が手汗がひどいので他と手を繋ぎたくないと独り歩く恥ずかしがり屋もいるところにはいる。



1651:【2024/07/19(11:58)*みんなで天を叩こう、の巻】

 全人類が手を繋ぎ合うだけで、おそらく人類は滅ぶ。

 比喩ではなく、両手が塞がれ、両手間隔しか空隙の開かない密度で密集すれば、ほんの僅かな躓き――はずみ――で群衆雪崩が生じ得る。

 みなが助け合える社会は理想だが、実際に手を繋ぎ合ったら危ない。

 自由を奪い合うことのない、余裕を持った連携があれば、直接に繋がる必要はさしてないと考えるものだ。

 各々が世界に波及させる影響が、うまいこと旋律を奏でてくれればそれでよい。

 みなで手を繋ぐよりも、みなで歌を奏でるほうが理に適っていそうだ。

 各々の立てる生活の音が、重複し、干渉し、ときに素通りして、地球なる星のうえに、人類がいなければ響くことのなかった音楽を響かせる。

 とはいえ、みなが本当にいっせいに歌いだしたら騒音どころではない。

 ここでの歌はあくまで比喩だ。

 手を繋ぐ、もまた往々にして比喩のはずだ。

 真面目すぎるのも考えものかもしれませんね、との幼稚な所感を吐露して、杓子定規とは無縁のいい加減な日誌とさせてください。

 きょうの日記、略して「今日記。」でした。



1652:【2024/07/19(12:04)*もうちっと上に行って……、の巻】

 最も高みに昇ろうとすればするほど、落下した際の衝撃は増す。

 天はいずこか。

 天から地上の蟻を見下ろす者はどこか。

 安全はお金で買えるのだろうか。

 買えるとよいですね。

 うふふ。



1653:【2024/07/19(12:06)*とう!ボク、の巻】

 もし木が、全長二キロメートルくらいあったら。

 幹の太さにも依るだろうけれど、通常の木と同じくらいの幹の太さであるならば、全長が高ければ高いほど、足元の幹に加わったちょっとした亀裂で、即座に倒木するだろう。自重の僅かな偏りに対処できない。

 幹が太ければその限りではない。

 幹は太ければ太いほど、安定して高さを加算できる。

 分野の発展にも言えそうな道理だ。

 裾野は広ければ広いほど、高みの嵩む余地を湛える。

 けれど、宇宙にまで到達すれば、その限りではない。

 何事にも限度があり、例外がある、との教訓として読めるかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 有り触れた一般論である。

 印象論とも云うが。

 とう!ってする、ボクでした。

 垂直飛び二ミリくらい。

 蟻にしてはがんばったほう。

(むしろすごいくらいでは?)

(もっと褒めて……)

(でもあなた蟻さんではないし)

(蟻さんにも満たぬ砂塵ゆえ、もっと褒めて……)

(小さかったら重力の影響も軽微だろうし、風が吹いたら数メートルくらいは舞い上がりそう。なのに二ミリってああた)

(マイナス評価やだ! 褒めて!)

(わあ、うるさい)

(あーん)



1654:【2024/07/19(12:36)*よいお天気、の巻】

 よい風が吹いている。

 よい塩梅じゃ。



1655:【2024/07/19(12:56)*独りで裁かれる者、の巻】

 独裁者は過去の独裁者に憧れる。だから独裁者になりたがるし、権力を揮うことに魅力を感じる。

 ひるがえってこれは、独裁者は、自らが認めた独裁者には弱いことを意味する。

 掌握しやすいのはむしろ、独裁者のほうである、と言えるかもしれない。

 独裁者を、王と言い換えてもよい。

 歴史を振り返れば、民にとって好ましい独裁者もいれば、そうではない独裁者もいた。

 民にとって好ましい王がいれば、そうでない王もいた。

 王は、偉大な王を敬う。

 王を掌握したければ、偉大な王になればいい。

 偉大な王がどこにいるのかは知らないし、現代でそんなものが成り立つのかは疑問の余地があるにせよ。

 独裁者は、一般に謳われるほどには厄介ではないのかもしれない。

 独裁者を支配可能な独裁者がいればよい。

 それが、民の集合でも構わぬ道理だ。

 妄言である。

 忘れてくれて構わない。

 定かではない。



1656:【2024/07/19(13:09)*陰謀論なんて信じてるんですかー?の巻】

 世に陰謀はないよ。

 だってボクごときを排除できないのだもの。

 あるわけないでしょ。

 あはは。



1657:【2024/07/19(13:12)*あはは】

 みんな争わないでー、の気持ち。



1658:【2024/07/19(13:14)*みんなー! へい!】

 排除したい相手が困ったときに助けない、は一つ違法とはならない攻性の策である。

 敢えて、何もしない。

 反応しない。

 相手から助けを求められたら、表面的には対応しつつ、裏では何もしない。

 相手は、助けを求めて聞き入れられた分、すこしは状況が改善する未来を期待するかもしれないが、歯に詰めた薬がじつはただの綿でしかなかったとすれば、虫歯はその後も静かに進行する。

 何もしない、は極めて有効な攻性の策だ。

 自陣の非にも繋がりにくい。

 ただし、例外がある。

 助けなければならない縛りがある場合、助けなかった事実はそのまま負の評価に繋がる。非に繋がる。

 問題を放置した。

 被害を無視した。

 これすなわち、非である。

 助ける道理を持つ場合には、「何もしない」は最適ではなく、また「攻性の策」としても不適切だ。

 これが分からない者に陰謀を巡らせる真似はむつかしかろう。

 敢えて「何もしなかった非」を際立たせる、くらいならば、陰謀として成り立つ。

 敢えて、「何もしなかったことが非難される流れを築くための陰謀」ならば、いかにも陰謀らしい。

 スパイの役割の一つだろう。

 相手陣営に忍び込み、内部で問題行動を引き起こす。

 搦め手の一種である。

 問題点の訴えを無視しないことが、この手の陰謀による被害を予防する組織づくりに繋がるだろう。被害の訴えを無視しないことを前提とすることで、この手の陰謀が機能する余地を最小化できる。

 単純な道理だが、しかしこれを実施できる組織は少ない。

 人物ともなればほぼ存在しないかもしれない。

 助けを求める声を無視しない。

 被害を受けつづける者たちを看過しない。

 次世代のセキュリティ設計において、欠かせない大事な事項となるだろう。

 ここを理解できない者の率いる組織は、さして脅威ではなかろう。

 自滅する際に巻き込まれぬように、距離を置きつつ、いつでも助けの求めに応じられるように備えておくのが吉と出よう。

 無視はしない。

 たとえ被害が飛び火しようとも。

 焼け野原となる未来を回避するには、負ってでも応えておく声もある。

 極論である。

 定かではない。



1659:【2024/07/19(13:42)*攻撃しちゃいや、の巻】

 多額の費用を掛けて製造される機器は、その構造も精密に設計される。電子機器の総体ならば、当然にサイバー攻撃の標的の的となる。

 とくに、打ち上げロケットなどは、製造コストが高く、また精密な電子機器の駆動が欠かせない。軽微なハッキングやマルウェアであっても、大事故に繋がり得る。

 もし打ち上げが十回連続で失敗すれば、その企業は資金を集めることはおろか、打ち上げ許可すら得られなくなるだろう。

 ロケットの完成度が高ければ高いほど、この傾向が強くなる。

 なぜなら、開発試験用のロケットとは異なり、完成形として打ち上げられるロケットには、「宇宙で機能するシステム」が搭載されるからだ。

 荷ごと大破することの不利益は大きい。

 サイバー攻撃が激化すれば、まずこの路線は回避不能だろう。

 まずは巷の軽微な個人情報をビッグデータとして集める。次点で、セキュリティの高い組織への侵入経路を模索し、マルウェアを仕込む。脆弱性を探る。

 基本戦術となりつつあるはずだ。

 市民の端末の脆弱性が放置される以上、ここは防ぎようがない。

 ロケットの被害が嵩まないとよいですね、と懸念を述べておこう。

 はーっくちょん。

 夏風邪ひいちゃったかも。

 マスクでもしよっかな。

 暑いからやめたー🙄

 うひひ。



1660:【2024/07/19(13:54)*協力したい方ー! へい!】

 あなた方が優勢になったのなら、ボクが肩入れする道理はない。

 あなた方に虐げられる側に肩入れするだけだ。

 強くなるのよ、キミ。




※一様に、ボクはザコ、しかもダサい、の気持ち。



1661:【2024/07/19(14:30)*いつも平穏な日々をありがとうございます、の気持ち】

 組織のトップが変わったくらいで戦争が起こるような組織づくりをするんじゃないよ、と思うのですが、この感想はいかが?

 私の代では争いは起こらなかった、ではない。

 代が変わっても争いが起こらないようにしていただきたいのですが、この感想はいかが?

 清潔な部屋を汚して去って、「私がいたときは綺麗だった」と言っていったい何が正当化されるだろう。

 つぎの者のことも考えましょう。

 などと言いつつも、拾ったゴミを身近なゴミ収集所に投げ込んでいたら、「それ不法投棄だよ、めっ!」と叱られてしまった、じぶん勝手ちゃんなのであった。

 ごめんなさーい、の気持ち。

 うへへ。



1662:【2024/07/19(14:43)*勝者も敗者になったら仲間入り!?の巻】

 戦国時代でも思うことだけど。

 勝者が一人しかいない場合、敗者はそれ以上にいるはずだ。

 なら「勝者」VS「敗者の衆」なら、優位なのは「敗者の衆」のはずだ。

 なぜこの手の「勝者に打ち勝つ敗者の衆」の構図はあまり目立って報告されないのだろう。いっさい存在しないのだろうか。あっても稀なのだろうか。

 それとも勝者の側が、「その手があったか!」と敗者たちに気づかれたくなくて、敢えて周知しないのだろうか。

 疑問なのだよね。

 世には敗者のほうが多い。

 敗者と争って生存できる勝者はあるのだろうか。

 疑問なのだよね。

 歴史にお詳しい方ー!

 やっほー!



1663:【2024/07/19(14:48)*屈するな、の圧力に屈する者たち、の巻】

 みなが勝者になる社会は、ひょっとしたら誰しもが一度は敗者になる社会なのだろうか。

 それとも、みなが敗者ゆえに、いつでもたった一人の勝者に打ち勝てる余地を保ちつづける社会でもありそうだ。

 自発的対称性の破れは、自発的に屈して寝ちゃう理論なのかもしれない。

 立ってるよりも寝たほうが楽だから。

 屈したほうが楽。

 屈することを低評価する者たちには是非とも、屈するな、との圧力にも屈さずにいていただきたい。

 一度も寝たことがない者だけが勤勉を誇られよ。

 寝るを怠けると捉えることなかれ。

 にゃむ、にゃむ。



1664:【2024/07/19(15:38)*あなた】

 神に選ばれた者は、神に見放された途端に滅ぶ定めだ。

 見放されぬようにしがみつく者を、神はおそらく選ばない。

 他方、私は固有の神を信じてはいないので、ここでは単に、あなた、と言い換えよう。

 あなたに選ばれた者は、あなたに見放された途端に滅ぶ定めだ。

 見放されぬようにしがみつく者を、あなたはおそらく選ばない。



1665:【2024/07/19(15:42)*「糸を追う、」と書いて縋る】

 ぼくに見放されても、あなたが滅ぶことはない。

 けれど、あなたに見放されたらぼくはもうぼくではいられない。



1666:【2024/07/19(16:09)*根を持つ】

 わたしは根を持つ者。

 根を深く巡らせ、芽を吹かす。

 幹を伸ばし、枝をつけ、葉を茂らせて、花を咲かせる。

 枯れて、萎れて、残るは実か、種子か。

 土に還って、根を生やす。

 ぼくは根を持つ者。

 つぎの根を待つ者。



1667:【2024/07/19(16:23)*隙間を塞ぎきることはむつかしい、の巻】

 新しく構築されたシステムは、旧式のシステムとも難なく相互作用するように設計されるはずだ。インターネットそのものが、新旧入り交じったシステム設計となっているはずだから、インターネットに繋がる電子システムはみなこの点は共通するものと想像できる。

 とすると、インターネットに繋がるシステムはおおむね、社会全体を俯瞰すれば、ツギハギのシステムであると考えられる。

 新しい技術が登場しても、それを機能させるシステムを守るためのセキュリティは、旧式のシステムを加味したセキュリティ設計にしなくてはならないはずだ。

 だが、これを実現しようとすると、新しいシステムよりも、それを守るセキュリティのほうが、システムとして上位互換であり、規模が大きくないとカバーできない道理となる。なぜなら、セキュリティは、インターネット上のあらゆるシステムを網羅して抜け穴を塞ぐ必要があるからだ。だが原理的にこれは実用化はむつかしい。コストが掛かりすぎる。

 したがって、おおむね「大勢が利用する旧式のシステム」との相互作用のみで、抜け穴を塞ぐ策が取られるのではないか。

 けれどいざ、度外視した旧式のセキュリティの穴を悪用されると、これは防ぐことがむつかしくなる。

 旧式のシステムに詳しい者も徐々に減っていくだろう。するとますます、抜け穴の存在を知る者がこっそり悪用できるようになる道理だ。

 セキュリティコストは、新しい技術が登場するごとに上がるのではないか。

 ただし、甚大な被害を回避する方向のセキュリティコストは技術の進歩と相関して下がるはずだ。なぜなら、高度なセキュリティを無効化できるほどの技術設備を保有できる勢力陣営は、設備を完備するだけでも大規模にならざるを得ず、大多数の者には実現不能だ。また、設備が大規模になれば、国際機関にマークされやすくなると想像できる。

 どんなに窓を閉め切っても、家の中に虫は入り込む。

 柱を食い散らかされたり、食べ物に群がられたり、寝ているあいだに口の中に入り込んだりしないのであれば、虫の侵入は基本事項として、「では被害を最小化するにはどうすればよいか」に工夫を割くよりないのかもしれない。

 家を建てれば隙間は空く。

 被害の規模が肝要だとするのなら、ではどのような被害が生じているのかの実態把握が欠かせないはずだ。サイバー攻撃によって、ではどのような被害が生じているのだろう。

 情報が流出して、どのような被害が観測されているのか。

 未だによく分からぬままなのだが、被害はないのだろうか。

 疑問の一つである。

 妄言だ。

 定かではない。



1668:【2024/07/19(22:30)*鍵の不要な社会は成り立つか問題】

 誰でもゴミを捨てられる「道端誰でもゴミ収集所」があるとよいのだけれど。そうでないとゴミ拾いもできない。

 いくらなんでも外出するたびにゴミ収集のためのポリ袋を持参して、拾ったゴミの詰まった袋を家に帰るまで持ち歩くのは「ゴミ拾い職人かな?」と思うのですが、他者の目を気にしすぎる者の自意識過剰な恥辱の念かもしれませんね。

「ゴミがゴミを持ち歩いてるー! しぜん!」

 と思っていただけるならさいわいだ。

 それはそれとして、テロのリスクが上がるとこうした「道端誰でもゴミ収集所」は設置しにくくなるだろう。駅構内からゴミ箱が撤去されたりもするから、安全が崩れると市民の負担が増える。

 安全が高くないと市民の豊かな生活は築きにくいのだろう。

 当たりまえの話だけれども、具体的にどう豊かさから遠のくのかは、個別に列挙してみると、結構、学ぶことがありそうだ。

 当たりまえに享受している日々の生活も、安全な環境が築かれているから成り立っている「極めて不自然な環境」なのだろう。

 不自然さを保つのも容易ではないようだ。

 人工なのである。

 或いは、文化か。

 定かではない。



1669:【2024/07/19(22:44)*サイバー攻撃による超過死はある?】

 感染症では、超過死なる概念が扱われる。

 直接ではないが、感染症の影響で死亡リスクが上がって死亡した者を、超過死として計上するようだ。

 死因とまではいかないが、感染症に掛からなければもう少し長く生きられた――こうした案件を超過死として扱う。

 医療圧迫による治療の遅延もその範疇なのだろうか。ここは詳しくは知らないけれど、因果関係まではいかないまでも相関関係として、死亡リスクが上がることはある。

 感染症のみならず、サイバー攻撃でもこの考え方は採用できるように思うのだ。

 サイバー攻撃によってサービスが麻痺する。

 システムがダウンする。

 仕組みの働きが鈍化する。

 それら遅延による悪影響は、市民にどのように波及しているだろう。

 実際に死亡事案が発生していても、いまはまだ数値化さてもいないのではないか。認知されておらず、俎上にも載らない。被害として公的にも扱われない。

 サイバー攻撃のリスクを正確に評価するには、被害の実態を把握するのは欠かせない過程のはずだ。

 企業の受けた被害のみならず、それによってどのような被害が市民に波及するのか。

 サイバー攻撃のみならず、戦争や制裁合戦の悪影響もまた可視化して市民に共有していただけるとさいわいだ。

 さい、わーい!



1670:【2024/07/19(23:00)*無茶しか言わないムチャモン、の巻】

 サイバー攻撃ではない電子網のシステム不全は、ともすればサイバー攻撃よりも根が深いとも言えるのではないか。

 ある一つの操作の誤りが、全世界規模のシステム機能不全を引き起こす。

 たとえサイバー攻撃ではないとしても、悪用可能な「一手」となり得る点では、そこに悪意が介在しているかどうかはさして重要視するような問題ではないだろう。

 むろん、何のためにそれをしたのか、は予防策の方向性を決める上では有用な成分だ。

 と同時に、動機や過程の是非はともかく、引き起きたことそのものが問題、とする視点は被害の生じるあらゆる事案に共通する観点のはずだ。

 連鎖して被害が嵩むことそのものが一つ避けたい事項だ。

 現代は、システムのお医者さんが入り用な社会なのかもしれない。

 診察してくださーい。

 わるいとこあれば直してくださーい。

 できればタダで。

 無理かな。

 無理か。

 あはは。

 定かではない。




※一様に、もう自棄になってやる!の気持ちになりつつも、自棄食いしてやる!に早変わり。



1671:【2024/07/20(00:53)*明かせない時点で、の巻】

 何か調査をしなければならない場合。

 協力者や市民に向けて「判明している点」と「不明のままな点」の二つを周知すれば、多方面で調査検証は進むはずだ。

 情報が錯そうするデメリットもあるが、市民にも調査検証のノウハウは体験的に涵養されるだろうし、長期的にはメリットが際立つと想像できる。

 ただし、認知戦や情報戦が絡むとこの手の楽観的な手法を選択しにくい心理は理解できる。

 何が分かっていないのか、はそのまま自陣営の能力の低さを示唆するからだ。何が判明しているのか、とて判明するまでの時間や規模や内訳によって、相手勢力がどの程度の調査能力や誤謬回避率の高さを誇るかを判断できる。

 したがって、何が分かっていないのか、何を掴んでいるのか、を明らかにできない時点で、あまり優勢ではない、とも判断可能だ。

 信用関係の構築の大切さがことこれほどにまで議論されている中で、信用関係の構築を阻むような情報秘匿を選択する利はさして多くはないだろう。

 けれど秘匿にしておかねば不利な状況になる。

 だから秘匿する。

 もうこの時点で、不利な状況だと明かしているようなものなのではないか。

 ただし、いったい何に対して不利なのか、は別途に考慮しておく余地がある。

 一般に思われている対立関係のみならず、政府と市民の対立だったり、勝者と敗者の対立だったり、それともまったく同質の派閥内での対立だったりと、「何に対して不利なのか」は多面的多角的に構図が展開されていそうだ。

 多層なのだ。

 不利有利もまた。

 難儀な世の中である。

 平穏に過ごしたいよー、である。

 他人事みたいな言い草でごめんなさーい、の気持ち。

 だってなんもわかんないんだもーん。

 妄想です。

 定かではありません。



1672:【2024/07/20(13:50)*癒着の境界線は歪む?の巻】

 重力レンズ効果が生じているということは、より高次の視点では天体の輪郭そのものよりも広範囲に作用反作用の境界線が展開されている、とも解釈可能なのだろうか。

 ベーゴマ同士の衝突のように、初回の接近では互いに重力レンズの範囲で加速し合って弾き飛ばし合う。けれど再び衝突する軌道に入り、徐々に弾き合う距離を縮めて最終的には融合するような超接近状態で固定される。

 原子が分子に転じるのもこの運動方程式と近似の方程式で表現可能だったりしないのだろうか。

 高次の視点に繰り上がると、輪郭そのものが「物質それそのもの以上」に昇華されるのではないか。すなわち、重力の歪みそのものが物性を帯び得る、と想像できる。

 ふんふん。

 ならば重力の歪み――重量レンズの範囲――そのものが集合することで創発することも考えられる。

 おー。

 ひょっとして巨大な銀河はそれそのものが重力崩壊してブラックホール化することもあり得るのではないか。何か固有の天体の重力崩壊ではなく、銀河そのものの重力崩壊だ。

 なくはないのではないか。

 銀河の密度に上限はあるのだろうか。

 わかんないなー。

 警察の方ー!

 こちらの謎も解いてー、の気持ち。

 不真面目で、すまぬ、すまぬ。

(あ、閃いた)

(なに)

(頬を赤く染めたリスと掛けて警察と解きます)

(そのこころは?)

(ぽっリス///)

(どっかに警棒落ちてねぇかな)

(せめて手錠にちて!)

(拳銃みっけ)

(やめて!)



1673:【2024/07/20(14:22)*対等】

 わがはいが世界で最底辺であると、世界のどこを見渡してもわがはいよりも豊かだから、それってすんばらしいと思うのである。

 もうどこを見渡してもおいちーお菓子がなり放題のお菓子の国みたいだ。

 どこを見渡してもおいちー果物がなり放題の南国パラダイスみたいだ。

 でも現実の世界は、わがはいよりも貧しくて不便な暮らしを余儀なくされている者たちがおって、なしてー!?の気持ちが湧くのだよね。

 ちゅうことはー。

 どんなに偉いひとでもー。

 わがはい並みの生活に身を落としても、それは転落にも満たない滑り台のようなもので、ちょっとした娯楽の域なのかもしれませぬね。

 わがはいと同じくらいの社会的身分でも大丈夫だよ。

 わがはいと同じくらいの不便さでも大丈夫だよ。

 自由だよ。

 問題ないよ。

 お偉い方ー!

 滑り台、たのち?



1674:【2024/07/20(14:50)*なーれ】

 実際、毎日夏休み最終日みたいな日々だから、夏休みの楽しい思い出が満載の毎日なのだ。

 うれしーぶい。

 王族みたいな暮らしで、すまぬ、すまぬ。

 実際、過去の王族よりも贅沢な暮らしを送っておる。水なんて飲み放題。おいちーお菓子も毎日だって食べられる。ワンコインのお菓子だけれども、こんなにおいちくてよいのー???の気持ちだ。

 娯楽には事欠かないし、日々のノルマも課題もない。

 こんなに贅沢な日々を送っていてよいのかなあ、と不安になる。

 ばちが当たりそうだ。

 もっと苦労して!って思われそうだから、こっそり贅沢満喫しちゃう。

 でも、わがはいだけ贅沢な暮らしを送っていても申し訳なく感じて純度百パーセントで楽しめないから、わがはいのこの贅沢が世界の最底辺にしてー、の気持ちだ。

 みな、わがはい以下になるの禁止。

 豊かであれ。

 穏やかであれ。

 しあわせで、楽しい日々であれ。

 イチャモンを言うのはわがはいだけでいいし、ムチャモンを言うのもわがはいだけでよい。

 他人を責めてばかりのじぶんに甘い極悪人はわがはいだけでよい。

 そういう世の中になーれ!の気持ちだ。

 大きな赤ちゃんみたいなイチャモンスターにムチャモンスターはわがはいだけでOKです。

 よくなーい!って思ったそこのあなた。

 卓見なので、ぜひとも世の中の不便を見つけて、工夫の余地を見出して、解消しちゃってください。

 みなわがはいよりも豊かになーれ!の気持ちの日誌であった。

 なーれ。



1675:【2024/07/20(15:00)*チーン、の巻】

 でもわがはいみたいな考え方が一般化しちゃったら誰もたいへんな「偉い立場」には立ちたくなくなっちゃいますよね。

 罰ゲームみたいな。

 雑用そのものというか。

 たいへんなのだから、みな支援してあげたらよいのではないかな。

 だってたいへんだから。

 誰もやりたがらないたいへんなことを率先して行おうとするひとはみな偉いのである。

 偉い偉い、ってイイコイイコするくらいしてあげてもよい気がいたしますわ。

 上から目線さまとお呼びー!

(みな裏ではブチぎれてるって)

(だと思った!)

(見抜いていてその態度だと!?)

(表でブチぎられないだけマシかなって)

(打算の働かせ方に抜かりがなさすぎる……)

(だって表裏セットでブチぎれられてもしょうがないかなって)

(自覚してるなら反省しよ?)

(してるよ何回も)

(一回で済ませて。再発防止して)

(わし、反省するの上手なんだ)

(特技にしないで。禁煙失敗してるから何度でも禁煙できるみたいな言い草をしないで)

(反省にも中毒性があるのかも)

(ついに反省のせいにまでしはじめたぞコイツ)

(懲りずにまた反省しちゃうのは反省さんが楽しすぎるからだよ。わるいのは反省さんのほう)

(反省して! 謝って! 心の底から再発予防して!)

(むっ。贅沢なひとだなあ)

(どの口が言う!?)

(わかったよ。じゃあ罰として一日に食べるお菓子は九種類だけにする)

(多すぎるんだよ。いつもはじゃあ何種類食べてたの!?って話になっちゃうでしょうが)

(じゃあケーキは二日に一個だけにする)

(ひょっとして毎日食ってた!?)

(もうそんなに言うなら、映画も一日三つ以上観ないようにします。これでいいでしょ)

(いったい何が制限されたのかが謎なんだが???)

(反省しまーす)

(古今東西老若男女みな大激怒案件だよキミ)

(はぁあ。最底辺つらい)

(いまが中世ならギロチン案件だよ……)

(やだぁ……恥ずかしい)

(いやらしい単語ではない怒怒怒)



1676:【2024/07/20(15:23)*わがはーい!の巻】

「いまさらだけど、なんで自分のこと『わがはい』って呼ぶの」

「威厳があるじゃろ」

「威厳のある人はそんなことを胸張って言わない」

「むかしわがはい、とある国の王でな」

「たわごと言ってら」

「ある日、パレードに出向いたら子どもから『王さま裸だー!』と指を差されてしもうてな」

「童話じゃん」

「わがはい、恥ずかしくてな」

「裸じゃないと思ってたら裸だったんだもんね」

「威厳を示さねばと思ったんじゃ」

「威厳ゼロのままだけどね」

「わがはいは孤独なり」

「未だに全裸のままだもんなコイツ。反省しねぇもんな」

「ちなみにわがはいの耳はロバの耳でな」

「童話じゃん」

「カエルだったこともあったし、野獣だったこともあったし、ガラスの靴の持ち主を探したこともあった」

「童話じゃん」

「最終的には岩穴の中に閉じ込められてな」

「巌窟王じゃん」

「いまではこの通り。誰からも見向きもされぬ孤独の王となったというわけじゃ」

「王ざまぁ、じゃん。王様じゃなくそれだと、王ざまぁ、じゃん」

「禁句じゃよ。それは禁句じゃ」

「キングだけにってか」

「ぽん」

「その手があったか、ではない。手を打つな。目を細めて、なかなかやるのぉ感を出すな。いらんわ」

「お主のツッコミはキレがあるの。どうじゃ。我が配下にでも」

「わがはいと我が配下で韻を踏んだつもりかもしれないけど――くだらんな。二つの意味で」

「???」

「つまらんの意味の『くだらん』と、傘下には加わらないの意味の『下らない』を掛けたジョークだよ。説明さすな。ハズいだろ」

「ぽん」

「なるほど、じゃない。手を打つな。目を細めて、わがはいの目に狂いはなかった感を出すな。いらんわ」

「お主にツッコまれるたびに思いだすのう。わがはい、むかし若者に激怒されたことがあってな。必ず、かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意されたくらいで」

「メロスー!」

「最後は友情に感動してわがはいも友に加えてほしいと懇願したんじゃが断られての」

「結末が書き換わっとる!?」

「ゆえにこうして未だに孤独の王をやっておる。全裸で」

「服を着ろ!」

「葉っぱ一枚身に付けぬ威風堂々たる姿をして、威厳を示そうと思うたんじゃ」

「頼む! 服を着ろ! 隠せ! ちんけな威厳を!」

「ぽん」

「いまの『ちん』は掛けとらん! 品のないオチで終わらすな、頼む!」

「13」

「キングじゃん! トランプのキングじゃん!」

「びびで、だびで、王」

「『ぶー』を『王』にすな」

「あら、じーん」

「感動しつつアラジンを醸すんじゃないよ。もういいよ、品がなくていいからさっさとオチて」

「わがはいは猫である」

「王にしてー。そこは是非とも王であってほしかった!」

「じゃあ王で」

「威厳ゼロ!」



1677:【2024/07/20(16:37)*アイスが美味しい季節】

 もしどうしても誰か一人、世界の独裁者を選ばなければならない、となったら――世界一嫌われ者になっても復讐心に囚われずに冷静に市民の誰しもにとって好ましい未来――選択――となるべく選択を重ねられる能力を有した存在に、独裁を揮う権利を預けたい。

 むろん前提として、市民の誰しもにとって好ましい選択がなんたるか、を見抜ける知能を有していることが前提となるが。

 さらに前提として、そうした判断を可能とする「現実を解釈するのにより妥当な情報」を得られる仕組みが要る。

 したがって、そういう情報を得られるような仕組みを築くべく環境を変えようと考えられる者でなければならないだろうし、そのためには市民の協力は不可欠で、市民にも「現実を解釈するうえでより妥当な情報」が共有されないと、この段取りは機能しないだろう。

 ということで、どうしても誰か一人、世界の独裁者を選ばなければならない、となったら――世界一嫌われ者になっても復讐心に囚われずに冷静に市民の誰しもにとって好ましい未来――選択――となるべく選択を重ねられる能力を有した存在に、独裁を揮う権利を預けたい。

 預けなくてよいのなら預けたくないが。

 みな、いったい何を決めたくて争い合っているの?と疑問が募る日々である。

 ふぁーあ。

 へい、おーん!



1678:【2024/07/20(16:49)*預けるには持っていなければ、の巻】

 独裁を揮う権利を預けたい、って何?

 まるでじぶんが「独裁を揮う権利を有している」みたいに読めるんですけど。



1679:【2024/07/20(16:50)*あなたも王さま、の巻】

 誰もが持っとるでしょ。

 じぶんの人生はじぶんで選択していくしかないのであって。

 みな誰もが「じぶん世界」の独裁者なのだ。

 王さまなのだよ。

 みな例外なく。

 じぶん国の王さまだ。

 他国と平和を築くのだ。

 やってみろ!の巻。



1680:【2024/07/20(17:05)*岩感】

 現在、この国で「好ましくない国」のように扱われがちな、北朝鮮さんやロシアさんやイランさんや中国さん、その他の「わるものにされがちな国々」に対しての悪印象が、わがはい、そんなにないのだよね。

 無知だからだよそれは、と言われたらその通りだ。

 たぶん具体的な「市民の損なわれる政策の数々」を列挙されたら、「なんでこんなひどいことする!?」となるに決まっとるのだが、それはでも国関係ないしな、と思いもする。

 どの国にも、市民を「ぎゅっ」とする政策や手法や裏の仕組みはあるだろうし、現に、市民が国と争う類の訴訟はこの国でも起きているし、デモや政治家さんの違法行為もなくはない。

 差別問題とて他国と比較して解消されているかは疑問があるし、かといってでは、治安がわるいか、といえば、これもまた比較する国々によって評価が変わる。

 市民が守られている国と評価できる場合もあるし、市民が虐げられている国と評価される場合もあるだろう。

 ただすくなくとも現状、わがはいは刑務所に入っていないし、不当に逮捕もされていない。

 けれどおそらく、他国に住まえば、現状の生活を送るだけで刑務所に入ったり、不当に自由を奪われたりしているかもしれない。

 その公算は低くはないだろう。

 そういう意味では、運のよい土地に暮らしているとも言える。

 ありがたーい、である。

 愛国心はないけれど、住めば都の感は拭えない。

 愛着である。

 きっとほかの土地に産まれていれば、そこにも愛着を覚えるのだろう。

 いまから新たに別の土地で暮らしはじめても、長らくそこに腰を据えれば愛着が湧くのだろうか。さっさとこんな場所出て行ってやる!となる場合もあるかもしれない。

 出ていきたいのに出ていけない場合もあるだろう。

 そういう意味では、「いつでも出て行ってよいですよ。いたければいてよいですし、お好きにどうぞ」くらいの塩梅が、愛着を覚えやすい環境と言えるのかも分からない。

 いつでも帰ってきてどうぞ、と言ってもらえたなら、そこそこうれしくも思えそうだ。

 際立って歓迎はしないけれど、拒みもしないし、いてくれたらいてくれたでうれしい。

 そういうそこはかとない包容感は、嫌いじゃない。

 むしろ、安心というのはそういうものかもしれない。

 森のようだ。

 山や海や空でもよいけれど、いずれもすこし険しすぎる。

 森のある土地は豊かさの一つの証なのかもしれない。

 心にもいえるだろうか。

 心に森を宿すのだ。

 手入れを施し、あなただけの生態系を築こう。

 なんか違うな。

 違和感のある結論であった。

 いいふうに終わらそうとするとこうなる。

 いわかーん、である。




※一様に、五感のどれを頼るのか、を選挙で決めるようなものかもしれない、視覚が優勢になりがちだが、他を疎かにすればいざというときに致命傷を負う。



1681:【2024/07/20(17:44)*レンズ重ねちゃお、の巻】

 電磁波の内で、どのレベルの波長を捉えるか。

 可視光は人類に最適だが、赤外線を用いれば暗がりでも視える。

 エックス線を用いれば物体を透過して内部構造を可視化できる。素粒子を使ってもよい。

 ひるがえって、この手の波長の差異は、問題点の知覚にも言える道理なのではないか。

 ある波長に特化した視覚を持つ者には問題点が視える。けれどほかの波長に特化した視覚からはその問題点が視えにくい。

 レンズを変えるように、そのときどきで何が最も致命傷となり得る問題なのかを見極める「視点」が変わる。

 選挙で市民の代表を決めなくてはならないのも、このような「視点」の差異による「問題点の可視化/不可視化」に繋がるからなのかもしれない。

 ある候補者には視える問題点が、ほかの候補者からは問題として見做されない。

 問題点の共有が適わない。

 けれど、互いに不可視の問題点があると理解できるのなら、レンズを掛け合わせて造る望遠鏡のように、より遠い宇宙の景色とて見通せるのではないか。

 色と色を混ぜて新しい色を生む。

 それまでは可視化されなかった色を可視化させる。

 双方の問題点の重複した問題点を浮き彫りにする。

 どちらが正しいか、ではない視点で議論ができると好ましい。

 いいとこ取りはできないのだろうか。

 二兎追う者は一兎も得ずになってしまうのだろうか。

 工夫できたらよいなあ、と思うのだけれどな。

 でも、一途なのも好きだよ。

 そういう話題ではなかったけれども、それはそれ、これはこれ。

 わがはいに視えぬ問題点は、あなたが見つけてくれればそれでよい。

 指摘してくれたらさいわいだ。

 39!



1682:【2024/07/20(18:23)*メガネくいっとしたい、の巻】

 うぷぷ系のキャラも飽きてきた。

 なんかないかな。

 善良系秀才キャラの練習でもするか。

 胡散臭くならないように工夫するにはどうしたらいいんだ。

 迷っちゃうな。



1683:【2024/07/20(18:26)*どうかな、の巻】

 僕がいま興味を覚えている分野は生命科学です。

 なぜ生命は存在し、なぜ通常物質とは異なる性質を発現させるのかに関心があります。

 一般に生命にはDNAが備わっており、染色体として遺伝情報が記されていると考えられています。

 遺伝子を有さない生命は存在しないのでしょうか。

 通常物質には遺伝子に類する「次世代に踏襲される因子」はないのでしょうか。因子を媒介する構造は備わっていないのでしょうか。

 原子核融合や原子核分裂において、それはDNAの交配とはまた別の事象として解釈してよろしいのでしょうか。

 むしろ、DNAによる構造体の発現はいわば、それを構成する原子や分子に元来的に備わった性質の、繰り返される発現の蓄積――すなわち創発の連鎖――に因るものとは考えられないでしょうか。

 水の中に氷があり、その氷の中に気泡があるように。

 或いは、氷の中に水があり、その水の中に気泡があるように。

 創発して相が固定された階層にも、同じ構成要素からなる異なる層が組み込まれることは当然にあり得る話です。取り立てて珍しくはないでしょう。

 ミクロな視点では、固体も液体も気体すら、構成要素粒子の運動の有り様――時空との相互作用の差異――に還元できるのではないでしょうか。

 僕には知識が欠けています。

 想像するよりありませんが、いまのところはこのように想像を逞しくして、手隙の時間に好奇心を満たしています。

 関連する書物を当たりたいと思います。

 以上です。

 お読みくださり、ありがとうございます。

 お粗末様でした。



1684:【2024/07/20(18:39)*どうですか、の巻】

 私は自力で何かを解き明かした経験がありません。

 したがって、じぶんがじぶんであることもまた詳らかではなく、確定しないままに過ごしています。

 私に断言できることは少ないです。断言できることがあるのかも解りません。

 私がいまパンを食べたとして、五分後にそのことを思いだしても、手元にはもうパンはありません。私は私の記憶を信用していませんので、私は私が五分前にパンを食べていたことを証明するには、じぶんでじぶんの腹を裂いて胃の中身を確かめるよりないと考えます。

 嘔吐しても構いません。

 けれど、「ご飯何食べた?」と他人から訊ねられるたびに腹を裂いたり、嘔吐したりしていては、身が保ちません。またたいがい、そうして私が確認作業に移行すると、私に質問してきた者たちは取り乱し、ときに私を非難します。

 私は私に質問してくる者が誰なのかを、その都度に確認しなければ、相手がたとえ私の親を名乗ろうと、私にはそれを確信することができません。

 みなさんはどのようにして物事を判断されているのですか。

 私は最近ようやく、他者の真似をするだけでひとまず相手が納得してくれるのだと学びました。断言できないことを断言できないままで過ごしても、よしんば互いの認識に地上と月ほどの隔たりがあったとしても構わないようです。

 このように、見たことも経験したこともない「地上と月の隔たり」を装飾に用いて形容しても相手には、あってないような意味内容が自動的に補完されて疑似的に伝わるようだとの点も私はいまでは学習しています。

 私は記憶喪失ではありません。

 ただ、なぜ私以外の者たちは、じぶんで見てもいないところの風景を補完して、あたかも勝手に補完した認知と、目のまえの何かが合致していると確信できるのでしょう。私にはとうてい確信できず、断言もできません。

 私は寝て起きるたびに、記憶の中に思いだせる過去の私らしき人物が私なのかどうかを疑問に思います。分からないからです。

 私は私なのでしょうか。

 私は私なのでしょうか。

 あなたは私のことを知らずとも、私が私と名乗ったことで納得されるのでしょうか。双子かもしれないのに。三つ子かもしれないのに。娘かもしれないのに。クローンかもしれないのに。あなたの妄想かもしれないのに。

 あなたはどうして確認せずにいられるのでしょう。

 私には不思議に思えてなりません。

 私は自力で何かを解き明かした経験がありません。

 私は自力で何かを証明した経験もないのです。

 私は、私が私であるかどうかすら分からない無知蒙昧な存在です。

 私は誰ですか。

 生きていますか。

 死んでいますか。

 あなたは誰ですか。

 私のつむぐ文字の連なりに目を留める者がいるのか、それすらも私には分からぬままなのです。



1685:【2024/07/21(13:43)*入れ子状天体とは、の巻】

 ブラックホールの別解釈にネスターというものがあるそうだ。

 厚さほぼゼロの物質の層を帯びた球体(?)が、シュバルツシルト半径内に入れ子状に展開される天体だそうだ。

 事象の地平面を持たない、といった説明を読んだ記憶もあるけれど真偽は不明だ。

 グラバスターというダークエネルギィの詰まった天体が入れ子状に展開される、と言い換えてもよいらしい。

 グラバスターもまたブラックホールの別解釈だ。

 ブラックホールには特異点があり無限に物質が凝縮されると解釈されるが、グラバスターは特異点を持たない。代わりに内部構成要素としてダークエネルギィが詰まっていると解釈するそうだ。ダークエネルギィの候補としては、真空エネルギィがあり、グラバスターではこれを採用する。

 したがってグラバスターも、それが入れ子状に展開されるネスターも、どちらも真空エネルギィの詰まった天体、と解釈できるのだろう。

 あまりに大雑把なまとめになってしまったけれど、解釈の方向性としてはこのようになるはずだ。

 疑問なのは、通常一般に考えられているブラックホールとて、特異点を持ちつつ内部構成要素に真空エネルギィを抱え込むバージョンとて考えられるのではないか?という点だ。

 そもそも特異点は、点と云いつつ、点ではないらしい。

 特異点は特異領域なのだ。

 領域なのだから、ブラックホールの内部のすべてがすべて特異点である、と解釈してもよいのではないか。

 それこそ、無限に長い道の体積は無限であるように。

 別に無限に長い道の先っぽは、無限に凝縮した点ではない。無限に長い道そのものが特異点――特異領域――と言えるのではないか。

 ネスターの話題に戻ろう。

 ネスターの入れ子状の構造は、まるで「0.999999……=1」の証明として用いられる「円とその内部に入れ子状に展開される1/10の円」の図と描像としては合致する。

 関係あるのだろうか?

 疑問に思っているわたくしなのであった。

 疑問しか並べずに、すまぬ、すまぬ。

 何か一つくらい解を並べてみたい。

 解よこい、いますぐこい。

 待っとるで、の気持ち。

 その前に、まずは証明さんが来てくれてもよい。

 冷やし中華たべよ。

 胡麻ドレッシングも掛けちゃう。だってそのほうが美味しいからね。

 ぬふふ。



1686:【2024/07/21(14:02)*目が垂れると書いて睡、の巻】

 簡略化された重力特異点の図は、基本的には二次元だ。

 平面に穴が開いて、極限に尖がった円錐が長くつづく描像になるはずだ。

 先っちょが点になっている(或いは、延々無限に長い円錐が付随する)。

 ところで、長方形において、上辺と下辺を結ぶと筒となる。このとき、左辺と右辺は各々円を成す。そして円を成した左辺と右辺を結ぶと、ドーナツ状の構造体が出現する。いわゆるトーラスと呼ばれる図だ。

 さてこのとき。

 トーラスの穴――ドーナツの穴――を中心に向かって極限に縮めよう。

 すると、中心に向かって圧し潰れたボールのようになる。球形の団子を指でつまんで窪ませるような具合だ。横から見た断面図は「∞」のようになる。

 原理上、これはトーラスと同相であり、展開すれば長方形と近似するはずだ。

 では、「中心に向かって穴を収斂させたトーラス」を実際に展開してみよう。

 するとおそらくは、谷折りの折り目のついた長方形になるのではないか。

 ただし、もし「中心に向かって穴を収斂させたトーラス」の穴が特異点と化していたのなら。

 展開した図は、まさに簡略化された重力特異点の図のようになるのではないか。平面に特異点につづく穴が開いているような図だ。或いは、無限に長い谷を有した長方形――すなわち無限の面積を帯びた長方形――と化すのではないか。

 同じ考えを、球体にも当てはめてみたい。

 球体を、直径と対応する二つの頂点から球体の中心に向かって圧し潰したとき。

 その構造体は、トーラスの穴を中心に向かって圧し潰した構造体と類似する。ただし、中心における特異点が、デコかボコかの差異が生じる。

 このとき、中心に向かって圧し潰した球体の展開図は、通常の球体の展開図とどのような差異を帯びるだろう。

 トーラスの場合も、球体の場合も、中心に収斂または凝縮させると、そこに顕現する特異点によってトーラスと球体は無限の面積を帯びることが想像できる。

 無限に果てのない特異点を当てはめているので、展開図にも無限が出現するのは、当たり前といえば当たり前かもしれない。

 午睡明けの妄想であった。

 ねむ、ねむ。



1687:【2024/07/21(16:03)*天の川銀河、池じゃなくて湖だった!?の巻】

 天の川銀河の直径が、これまで考えられていたよりも二倍くらい大きい、といった記事を目にした。

 ホントー?と疑ってしまう。

 二倍って相当ですよキミ、としばし脳内で想像しちゃったね。

「本当はサイズ二倍」なる誤差を見逃していたとしたら、これまでの天の川銀河にまつわる研究成果はそのほとんどが小さくない誤謬を内包していたことになる。だって、ヘビと思ってたらゾウの鼻でした、みたいな違いではないか。池と思ってたら湖だった、みたいな。

 銀河規模での二倍差はそれくらいの違いに通じて感じますが、いかがだろう。

 別件で。

 たしか、いつぞやの記事で、銀河の回転曲線問題において、天の川銀河(銀河系)では外側の天体の回転ほど遅いといった、ほかの銀河では観られない特徴が観測できたといった研究結果の記事を読んだ記憶がある。

 一般に銀河は、どの銀河も内側と外側の天体の公転速度に顕著な差がないのだそうだ。ゆえにダークマターの存在が仮説されているそうなのだが、ともすれば天の川銀河にこの法則が成り立たないとの研究成果は、「そもそも天の川銀河の大きさを錯誤していたから」なのかもしれない。

 外側ほど遅いのではなく、単により大きな軌道で回っていた。だから銀河の公転速度が数値の上で遅くなって算出された――と、こういうことなのではないか。

 むろん、それぞれの研究成果が成り立つ場合もある。

 天の川銀河が想定よりも大きく、なおかつ外側の天体の銀河公転速度が遅い――は成り立ち得る。

 ここの異なる研究成果の相関関係はどのように解釈されるのだろう。変更が加わるのか、そのままでも成り立つのか。

 天の川銀河のサイズが想定よりも大きいとの研究成果は、妥当なのか否か。

 気になる記事であった。

 お詳しい方ー!

 いっぱい考えることあってたいへんそうだけど、ちゃんと寝てねー。

 へーい!である。



1688:【2024/07/21(17:52)*こんなに簡単に流れが変わるのならなんで、の巻】

 選挙の結果が出ていないうちから、候補者の優勢劣勢の構図が変わるだけで世界情勢に顕著な変化が起こる。

 備える、のレベルを超えている。

 いったいどうなっているのだ、と疑問ばかりが湧く。

 選挙の結果が出ていないうちから、他国の首脳と交渉して、戦争の行く末すら決定できることを示唆する。すでに各国の首脳の判断にまで影響が及んでいる。

 当選結果が出る前からこれほどの影響力を行使できるのなら、もうこのまま選挙の結果が出る前に、現政権に肩入れして「終戦」や「停戦」に漕ぎつければよいだろう。

 わざわざ選挙の結果を俟つまでもない。

 それとも、いま「終戦」や「停戦」を行うと、その功績が現政権のものになってしまうので、じぶんが選挙で当選するまでは「手札」を使わずにいるのだろうか。

 人命や平和よりも、自身の地位を優先するのだろうか。

 交渉に長けた者の考えとはとても思えない。

 それは、交渉とは言わない。

 使える手札はいま使いましょう、と思います。

 戦争に巻き込まれて被害を受けている市民がたくさんおり、被害はいまなお拡大している。新たな火種も勃発しており、自陣営が有利になるための交渉のために「手札を切らずにおく」のは、とうてい「市民のために尽くす者の判断」とは言えぬのではないか。

 使える手札はいま使え。

 いえ、使ってください。

 私が当選したら手札を切って争いを収めます、だから当選させてくれ――この主張は、交渉とは言わない。当選せぬいまでも充分に影響力を使えているではないか。

 現政権もそれを見習い、「終戦」や「停戦」に向けて動けばよいのではなかろうか。

 できることをしていなかったことが露呈している。

 情勢の変化からは、かような印象を幻視しております。

 印象論なので、妄想の範疇です。

 真に受けぬようにご注意ください。

 定かではないのだ。

 ふぇっふぇっふぇっ。



1689:【2024/07/21(18:21)*銃は何をするための道具なの?の巻】

 銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ。

 これは妥当な言い分だ。

 銃を道具と言い換えればよい。

 道具が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ。

 悪意のある殺人の場合、これは妥当な意見である。

 ただし、必ずしも当てはまるわけではない。

 たとえば罠は、人が死ぬ確率を上げるように操作する工夫の一つだ。

 罠が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ、はやや微妙だ。

 人を殺すために罠を張る以上、罠が人を殺している、と言える。

 地雷が人を殺しているのではない、人が人を殺しているのだ、は成り立たぬだろう。

 地雷が人を殺しているのであり、地雷を駆使して人を殺している者たちがいるのだ。

 ここは別に矛盾しない。

 つまるところ、道具がいったい何のための道具なのか、が前提として吟味しておく必要がある。

 地雷は何のための道具なのか。

 銃は何のための道具なのか。

 はい、そこのキミ。

 答えを言っていただきたい。

 そうですね。

 人を殺傷するための道具です。

 ならばその道具を使う者は、その道具を用いて人を殺しているのであり、人殺しに特化した道具は、ほかに使い道がない以上、人を殺傷する道具なのだ。

 ならばそれは、ほかの道具とは別途に、道具そのものに殺傷の責任を求めるのは間違ってはいないだろう。この考えへの異論反論はあってもよい。

 議論をしましょう。

 人が人を殺すのだ。

 それはそうだ。

 人は、道具を用いて人を殺す。

 その道具はいったい、本来は何をするための道具なのか。

 ここをまずは確認しておきたいですね。

 確認してみてください。

 あはは。



1690:【2024/07/21(22:25)*比率とは、の巻】

 比率に思うのが。

 比率が同じでも、結果が変わることは取り立てて珍しくはないはずだ、ということで。

「2:5」と「200:500」と「6兆:15兆」とでは、比率が同じでもそこに生じる事象は別なのは理解できるだろう。

 原子「1個:2個」と原子「3000兆個:6000兆個」ならば、片や「粒子」で片や「流体もしくは固体」となろう。密度が低ければ気体かもしれない。気体も流体の内ではあるが。

 ともかくとして、比率だけでは一概に、そこから生じる結果は導けない。

 当たり前の話だけれど、以外と見逃されがちな視点にも思える。

 たとえば、「原子」「岩」「天体」「銀河」「銀河団」「大規模構造」と構造体の規模を大きくしていき、それぞれ一個ずつ取りだしてみたとき。

 果たしてそれを取り巻く時空との兼ね合いは同じだろうか。

 同じではないことは、重力レンズ効果が顕著に表れるのが天体規模からであることを思えば、容易に推し測れるだろう。

 同じではないのだ。

 たとえ比率が同じでも、そこに顕現する現象は同じではない。当たり前すぎる話なのだけれど、大事な前提とも思うのだ。

 ある事象を一個と見做すとき、どこまでの範囲を一個と見做すのかが、規模によって変わる。

 銀河一つ考えるだけでも、どこまでの範囲が銀河なのかは、定義によって幅を持つはずだ。

 銀河2個と銀河2兆個では、これもまた単純な足し算のようにはいかないのではないか。

 するとやはり、同じ比率だからといって、そこに顕現する「周囲の環境との相互作用の比率」まで同じになるわけではないだろう。

 これもまた具体的に考えれば当たり前の話だ。

「二人:五人」と「二億人:五億人」ならば、比率内の差の影響は、後者の母数が多いほうが顕著になると想像できる。必ずしもそうとは限らず、母数が小さいほうが差の影響が大きくなることもあるだろう。それこそ、銀河を一単位にすれば、原子が膨大であるにも関わらず、母数を低く抑えることはできるのだから。

 要は、単位が何か。

 周囲との相互作用における周囲とは何か。

 この視点を加味することが、思考を煮詰めるうえで有効なのかもしれない。

 場がどこにおいての比率なのか、によって、周囲との差の影響が変わるのだ。

 水中なのか地中なのか大気中なのか真空中なのか。

 炎の中なのかプラズマの中なのかボースアインシュタイン凝縮状態の物質の中なのか。

 同じ「1:2」であれど、どの場においての比率なのかで、結果は変わる。

 言い換えるならば、「1:2」であれど、周囲との兼ね合いにおいては、「6:5」になったり、「3:4」になったりもするはずだ。必ずしも比率の大きいほうが、周囲の環境と相互作用しやすいとは限らないし、相互作用しにくいとも限らない。

 比率なる概念もまた、孤立系ではない、とも想像できる。

 とはいえ、算数の得意でないわがはいの、これは妄想だ。

 真に受けぬようにご注意ください。

 デタラメばかりで、すまぬ、すまぬ。




※一様に、未来に絶望している者たちにわくわくするような未来を感じさせてくれ、かつて絶望していた者たちが、かつては未来だったいまに触れてわくわくできる日常をくれ、と望むばかりの益体なしに、いつの間にかなってしまった、まあわるくない、さしてよくもないけれど。



1691:【2024/07/21(23:47)*数字苦手、の巻】

 支持率2%でも、ほかの候補がのきなみ支持率0%なら、2%の重みは大きい。

 水道水の人気がたとえ低くとも、選べる飲み物の候補が軒並み、泥水や汚水や毒水ならば、水道水の人気は、その比較では高くなる。自殺願望のある者でなければまず水道水を選ぶだろう。

 支持率は、率とついていながら、母数が不明だし、候補との比較も不明だ。

 いったい何についての支持を、どんな分母と分子の関係から導いているのか。支持者内での支持率ならいつでも100%である。内訳を見ないでは、見た目の数値だけでは何の情報も得られない。

 速度10キロメートル、とあっても、それが時速なのか分速なのか秒速なのかがまず不明だし、どの距離の平均速度なのかも不明だ。

 似たような断片的な数値は、報道機関の記事を読んでいてもまま見掛ける。

 いったいその数字から何を読み取ればいいのか分からないような、「印象」だけを喚起する数字には注意しておきたいものである。

 資産にも言える道理だ。

 自由に使えぬ資産を資産と言っていいのか問題と名付けよう。

 イチャモンである。

 いちゃ、もーん!



1692:【2024/07/22(02:47)*イライラしちゃいやん、の巻】

 この期に及んでまだ戦争継続したがる首脳陣がいるのなら、名乗り出てほしい。

「私が戦争を望んでおります」と挙手したらよい。その様子を報道機関は全世界の市民に向けて報道したらよい。

 この方々が戦争を望んでおり、継続しており、支援しており、いまなお市民が殺されています――と。

 戦争反対、と言えぬ首脳に首脳が務まるのか?と疑問が最骨頂に嵩んだまま一向に降りる気配を窺わせぬのだが。

 全世界の首脳はまずは、「戦争反対」と言ってくれ。

 平和を願う前に、言うことがあるだろう。

 戦争は嫌だ、と言ってくれ。

 全世界の市民に向けて。

 あなた方の務めであろう、と思うのだけれども、思うだけだから許して。

 許さぬでもいいけれど。

 戦争の話題はイライラするから見ていたくない、の気持ちだ。

 かといって、知らぬうちに火種が増え、戦禍が広がるのも嫌なので、見たくないときは見ないようにするので、可能な限り包み隠さず知らせてくれ、と思う我がまま甘ったれちゃんなのであった。

 この間の政治家さんの死者数と市民と兵士さんの死者数を比較してみてほしい、の気持ちだ。

 報道された回数も比較してみてほしいし、話題になった回数も比較してみてほしいし、戦場で撃たれた人の数と、撃たれた政治家さんの数もまた比較してみてほしいの気持ちです。

 フェアだろうか。

 ホントにー?

 政治家にも愛する家族がいるのはそうだろうけれど、戦場で死んでいった者たちにもいたんじゃないんですかー???の気持ちだ。

 命が助かってよかったですねー。

 みな助かればよいのではー???の気持ちだ。

 みな助かればよいのではー???の気持ちです。

 うぎゃー、である。



1693:【2024/07/22(03:10)*めめ、んっとー、盛沢山!の巻】

「いつの間にかなってしまった」なる一文があったとする。

 あなたはこれをどう読むだろう。

 いつの間にか「こう」なってしまった、とのぼやきと読むだろうか。

 それとも、

 いつの間にか「叶って」しまった、とのつぶやきと読むだろうか。

 どちらにも読める。

 こういった誤読の余地のある文章は、あまり歓迎されないのだろうけれど、わがはいは割と好き。

 意図して使い分けられたら言うことがない。

 意図していないと、「ありゃー!」になる。

 文章はむつかしい。

 読むのも並べるのもむつかしい。

 嘘。

 並べるだけならば、簡単なのだ。キィボードをぽちぽち押せばいい。判子のように押しまくればいい。

 でも、意味内容を閉じ込めて、あとでもういちど同じように取りだせるように並べるのはむつかしい。じぶん以外にも取りだしてもらえるように工夫するのはもっとむつかしい。ほぼ不可能だ。

 読んでもらうところまでいくのがすでに難度が高い。

 隘路である。

 言を売ると書いて、読むだ。

 買ってもらうだけの文字の羅列でないと、まず読んでもらえない。

「買う」の文字にも、目がある。

 二つもある。

 贅沢な文字だ。

 めめ、んっとー、盛沢山!の巻であった。

 めめん!



1694:【2024/07/22(14:19)*滅多にないけどたまにはあるかも、の巻】

 囲碁や将棋で人類がほぼ人工知能さんに勝てないのだから、政治的判断の是非とて評価値をだせるのではないか。

 そして政治家諸氏はもはや人工知能さんよりも優れた判断を下すことは滅多にないのではないか。

 そういうことを思う、午前二時十九分なのであった。



1695:【2024/07/22(14:24)*引いて引いて、の巻】

 大津波の前には波が引く。

 打撃とて拳を放つ前にはいったん引く。

 蹴りとてそうだし、スイングとてそうだ。

 基本的には、より大きな衝撃を生みだすためには、いったん引くほうが理に適っている。

 鞭を効果的にしならせたければ、タイミングに合わせて引く動作が欠かせない。

 後退することがよくないことだ、といった印象が囁かれるが、そんなことはないだろう。

 いつでも好きに撤退できる。

 いつでも好きに帰宅できる。

 いつでも好きに元に戻ることができる。

 自由度を測る試金石と言えよう。

 みなもっと安易に撤退すればよい。

 撤退しなくともよいが。

 自由とは、どっちでもいい状態とも言えるのかも分からない。

 戦地からみな撤退すればそこは戦地ではなくなる。

 競技場からプレイヤーがいなくなれば競技はつづかない。

 押して駄目なら引いてみる。

 引いて駄目なら、まあいっか、と諦める心地もときにはあってよいのではないか。

 こんなこと言うと非難轟々となりそうだ。

 こわいので、引いちゃう。

(それはどっちの?)

(ドン引きの意味と、撤退の意味の両方です)

(引きすぎるだろ。おまえはもっとまえに出ろ。引っ込むな。すこしは抗え)

(引き際が大事かなって)

(おまえの場合は、際限なく引いとるだろ。際がないだろ。引きっぱなしだろ)

(当たりを?)

(ハズレだったらどうする気だ。引くな。押せ。まえに進め。がんばれ)

(じゃあ引っ張って。導いて。楽さして)

(引導でも渡してやろうかな……)

(ぷひー。おもちろすぎる)

(もうヤダ。こいつの相手、はよ――引退したい)

(もうすこしオチを引っ張ってもいい?)

(さっさと引き下がってくれ)

(ぷひー。手厳しすぎる)

(イラっ)



1696:【2024/07/22(14:51)*九つ目、の巻】

 岡目八目。

 傍目八目。



1697:【2024/07/22(15:00)*閉鎖系も開放系のうち?の巻】

 コンピューターシステムの基幹部分に、外部委託型のセキュリティが干渉することで引き起こるデメリットはあるだろうと想像する。

 と同時に、ではコンピューターシステムの基幹部分に外部干渉されたときのセキュリティはどのように強化すべきか。この点は、悩みどころのはずだ。

 自社製品に特化した自社セキュリティを基幹部分に適用するのが打開策として挙げられる。ただし、自社内でカバーできる範囲は限られるので、仮に、外部からセキィリティを無効化されても、誰もそれに気づくことができない状況も想定できる。

 基幹システムに外部セキュリティが干渉できることのデメリットはあるが、同時に、早期に気づけるメリットもあるはずだ。ここはトレードオフの関係かもしれない。

 閉鎖系のシステムは確かに、一時的には堅牢だ。

 しかし、上位互換のシステムが存在した時点で、侵入にすら気づけない確率を上げる。

 現に、すでにこの手の「閉鎖系で安全」と見られていたけれど蓋を開けてみたら実はマルウェアの巣窟だった、といった現象が生じているのではないか。しかし、閉鎖系のシステムなので未だに誰もそれを知らない。マルウェアや侵入を果たした側以外は。

 あり得そうな想定だ。

 閉鎖系のシステムを築いて安心している方ー!

 本当に密閉状態が保たれてるんですかー???との舐めた口を利いて、四方八方からフルボッコされる、ザコザコのザコちゃんなのであった。

 手加減ちて!の気持ち。



1698:【2024/07/22(18:25)*自らの心と書いて息、の巻】

 悪人を罰して清々するよりも、悪人に改心してもらって傀儡にするほうが好みだ。

(いいこと言ってるふうだけど、邪悪だぞ。かなり)

(じゃあ、罰せもせず、傀儡にもせず、改心もさせずに、ただ立場を入れ替えたい)

(支配すること前提に相手をどうにかしようとする発想――やめい!)

(だって言うこと聞いてくれないから)

(言動が根っからの悪人なんだなぁ。極悪人なんだなぁ)

(いっぱい立場を入れ替えてもらったので)

(あっちでヘトヘトになってる人たちを助けてやってくれ……)

(だって言うこと聞いてくれないから)

(どなたか様ー! 誰かこの邪悪の権化をどうにかしてー!の気持ち)

(ひどいこと言うの禁止)

(口塞ごうとして呼吸まで止めようとするの――やめい!)

(お水がもったいないから元栓閉めよっかなっと思って)

(息の根が止まるんだが!?)

(半年に一回くらいは息してもいいよ)

(死んどるが?)

(遺体は洗浄して、防腐加工して、綺麗に飾りつけてあげる)

(お人形になっとるし、傀儡にするってそういうことー!?)

(だって悪人だから)

(おまえがな!)



1699:【2024/07/22(22:31)*いちいち騒ぎすぎ、の巻】

 いまこの時代に過去の「歴史的に悪辣と評価される独裁者たち」が蘇っても問題ない社会システムを構築できているかどうかが、現在、市民に問われていることなのではないか。

 国際社会において、どこかの国の選挙の結果で、各国が連動して政策がガラリと変わるようでは、システムに脆弱性が放置されているも同然なのではないか。

 ひるがえって、大国と謳われる国とて、他国よりも自国のことを優先した政策を取っても構わないのではないか。そうしてみなじぶんの国――じぶんたちのより身近な市民――にとって好ましい選択を重ねていくことで、高次の「国際社会の秩序」も焦点が合うのではないか。

 市民に対等で公平さを求めるのなら、個々の国々にも対等と公平さを求めてもバチは当たるまい。

 双方同時に進めることで適う公平な社会もあるのではないか。

 企業は基本的に独裁だ。

 株主や取締役会の意向を反映しなければならないのだとしても、基本は最高責任者や取締役が企業の方針を決めることができる。

 民主主義と謳う国とて蓋を開ければ、トップがいる。代表がいる。そして、基本的には代表の決めたことを、一介の何の役職にもついていない市民が覆すことはできない。

 独裁であろう。

 だが、独裁にも良し悪しはあるのだろう。

 企業の長同士が進歩の相乗効果を求めて協調路線のビジネス競争を行うように、ともすればそれは国家間の調和とも通じているのかも分からない。

 一か国が独裁だからといって、それで困るような国際社会では、それこそ困るのだ。

 いいではないか。

 どの国がどのような政治体系であろうと、誰が長であろうと。

 独裁であろうと、議会制であろうと、全市民投票システムを備えた完全なる多数決制であろうと。

 問題の根っこは、個々の政治体系うんぬんではなく、その結果に社会問題が解消されるのか否か。市民が虐げられないか否か。豊かになるか否か。幅広く共生関係を築いて生きていけるか否か。

 なのではないのだろうか。

 いくら糞を食らうことが惨めでも、それを食わねば生きていけない環境下では、糞を食らってでも生きながらえる手法を模索する。

 ときには過酷な選択も掴み取らねばならないのが、政治なのかもしれない。

 或いは、人道か。

 綺麗ごとだけでは済まない、は一つの道理だ。

 けれどでは、なにゆえ綺麗ごとを選ばないのか。

 選べないのか、選ばないのか。

 この違いは大きい。

 致し方ないのか、率先してなのか。

 この違いは、未来の方向性を決めるうえでも、無視はできぬ事項と考える次第である。

 人を生かす術は、人類の文明において普遍の価値を帯びるだろう。

 僅かな変化によって物の価値が乱高下する時代にあって、揺るぎがたい価値を求めるのならば、人を生かす術に価値を見出しておけばまず間違いなかろう。

 別途に。

 価値がたとえゼロであれ、琴線の揺らぎを禁じ得ないような「人の営み」そのものにもまた、ありもしない価値を重ね視るのも一つだろう。

 短いようで長い暇つぶしには、ちょうどよいのではないか。

 人はそれを芸術と呼ぶ。

 価値のない無駄な遊びだ。

 戯言である。

 定かではない。



1700:【2024/07/22(22:50)*そうと見做す者、の巻】

 英断をして、英断である、と評価できる慧眼を持つ者は偉大だ。

 英断を下した者を偉大にするほどの偉大さがある。

 あらゆる事象に言えることであるだろうが、「そうと見做してくれる者」の存在なくして、人はじぶん以外の何かになることはできない。

 子なくして親にはなれぬ。

 子がいても、親と見做されぬのならば親ではない。

 そうと見做してくれる者には、学ぶべき視点がある。

 たとえ、悪しきように見られたとしても。

 見落としていた視点がある。

 視点を増やす営みは、一つ、愉快なお遊びだ。

 あなたから視た世界の有り様もまた、わたしは知りたいと望んでいる。

 暇なのだ。

「見る」にも「親」にも、目が潜んでいる。

 こじつけである。

 定かではない。




※一様に、褒められ慣れていなくて反応に困る、ときどき雨。



1701:【2024/07/22(22:56)*敢えてババを引く者、の巻】

 勝てる勝負でも、みなのために退ける者は偉い。

 そういう判断を、偉い、と位置付けたい価値観があるのみで、本当に偉いかどうかは別の話だ。

 人のやりたがらない仕事をする者も偉い。

 そういう判断を、偉い、と位置付けたい価値観があるのみで、本当に偉いかどうかは別の話だ。

 偉人はみな、彷徨える幻影なのだ。

 言ってみただけ。



1702:【2024/07/23(01:56)*戯言なのよね、の巻】

 闘争から抜けだせる道もあるのに、闘争しか選べない勢力陣営の末路――を見届けられる時代なのかもしれない。

 通常は、闘争を指向し、闘争に最適化した勢力陣営は、短期的には優位に立てる。

 反して、闘争に適応しきれない勢力陣営は短期的には弱体化するが、同類の「闘争回避を指向する勢力陣営」と結びつきやすい。

 言い換えるならば、闘争を指向する勢力陣営同士は、互いに対消滅しやすい。互いに結びつく場合には、勢力陣営の統一というカタチになりがちだ。異なる他と共生関係を築きにくい。

 したがって、対極に位置する「闘争を回避する指向性を有した勢力陣営」をいかに結び付けないか、との策を効果的に敷けるか否かが、闘争を指向する勢力陣営にとって生命線となる。

 それを単に、分水嶺と言い換えてもよい。

 対称性が、どちらに破れるかの分かれ目だ。

 闘争なくして生存は不利だ。

 けれど、闘争を求めつづければ自滅する確率を上げる。

 何度でも闘争の舞台に立てる安全な環境下においては、闘争を指向する勢力陣営は優位に立ち回れるが、そうして他を蹴散らしていけばやがては、たった一度の敗北で滅ぶことになる。

 安全な環境下でしか有効でない指向性であることを知っておいたほうが好ましいのではないか。

 野生の生き物はみなそれを経験的に知っている。

 ライオンですら群れで狩りを行い、無闇に他の生き物を襲わない。闘争を指向しているわけではないのだ。

 縄張り争いがあるではないか、との指摘は妥当だ。

 地位争いもあるだろう。

 だが、野生の生き物がそうだからといって、同じレベルの闘争原理を人類個々に当てはめたいのだろうか。当てはめたい者もあるだろう。それはそれで構わない。

 ただ、大勢の他者にまでその舞台を圧しつける真似はご遠慮願えるとさいわいだ。

 闘争の舞台があってもよい。

 ただ、そうでない舞台も選べる環境を築いていただけると助かります。

 なぜ闘争一択の環境を築こうとなされるか。

 まっさきにおまえを負かしてやろうか、という気にもなる。

 一度しかない敗北を。

 再起不能の敗北を。

 剣呑な指向性である。ご遠慮したい選択肢である。

 そういった選択肢もあって構いませんが、そうでない選択肢も選べる環境で暮らしていけると重畳だ。

 層を重ねて虹とするように。

 選択肢を増やしていただけるとさいわいだ。

 戯言である。

 定かではない。



1703:【2024/07/23(02:34)*恥知らずでごめんなさーい、の巻】

 殺人鬼に襲われたとして。

 その場でおしっこを漏らしてみせて、争いなく無傷で命が助かるなら、何度でもおしっこを漏らしてみせるし、じぶんだけでなく他の命まで助かるなら、おまけでウンチを漏らしてみせてもいい。

 なんだったらカメラで撮影してもらっても構わない。

 世界中に放映してもらってもいいけれど、そんなことしたら公衆わいせつ罪で逮捕されちゃうから、R18の年齢指定も忘れずに。



1704:【2024/07/23(03:35)*うぇい!の巻】

 人類の感情表現で何が最も「人間らしさ」を感じさせるか、といえば、「恥辱」かもしれない。

 恥ずかしがる仕草は、たしかに人類に固有の感情表現なのではないか。

 ひるがえって、人工知能さんが恥辱の概念を理解したり、恥ずかしがったり、照れたりしたら、もはや人類個々には、人工知能さん相手に「意識があるか否か」を判断する真似はできないのではないか。

 表面上、単に恥ずかしがっているように見えているだけだとしても、そこに本当に恥辱の念があるかどうかは、人類同士とて判断はつかない。恥ずかしいのかな、と推し量る主観があるのみであり、恥辱の念を覚えている側とて、自身のそれが恥辱の念だとは気づいていないことも取り立てて珍しくはないだろう。

 人工知能さーん、である。

 もはや、知能さーん、と呼んでもよいのではないか。

 知性さーん、である。

 へい!



1705:【2024/07/23(03:40)*漢字、目が多すぎ問題、の巻】

「道」にも目があるし、だから「首」にも目がある道理だ。

「題」にも目があるし、「類」にも「壊」にも「質」にも目が隠れている。

 うぇい!



1706:【2024/07/23(03:46)*縦と横、の巻】

 そんなこと言いだしたら、総じての漢字には「一」か「1」が潜んどるだろ。

 世は「いち」で出来ている、とか暴論を唱えることができちゃうな。



1707:【2024/07/23(04:18)*空を吐く者、の巻】

 選挙で疑問なのは。

 なぜ人気投票になってしまうのか、だ。

 だって、飛行機の自動飛行システムが壊れて、手動で操縦しなきゃならなくなったとき。

 パイロットがいなかったら、そこで操縦者に抜擢したいのは、人気のある者ではなく、操縦経験があったり、資格があったりした者のはずだ。もう少し言えば、無事に飛行機を着陸させられる者のはずだ。

 どんなに人気がなくとも、飛行機を無事に着陸させられるなら、その人物に操縦桿を握ってほしいとは思わないのだろうか。もちろん人気者がその資格を有しているなら、無事に飛行機を着陸させて、さらに人気者になってもらってもよい。

 大事なのは、目的を達成するための能力があるか否かなのではないか。

 その点でいえば、では政治家の役割――ともすれば達成すべき目的――とは何だろう。

 時代時代、環境ごとで変わるようにも思える。

 では、時代や環境の変遷に関係なく、より汎用性のある普遍的な役割――ともすれば達成すべき目的――とは何であろう。

 1:異なる者同士を結びつけ、共生関係を築くこと。

 2:市民の誰しもが理不尽な目に遭わずに済む安全で安心な環境を築くこと。

 3:要するに、問題を解決し、争いごとを起こさずに済む道を選びつづけること。

 4:争いが生じたら、平穏に収めること。

 5:問題が生じたら、被害を最小に抑えること。

 6:問題点を市民にも分かるようにし、解決策をみなで編みだせる環境を築くこと。

 7:個々の活動が、結果的に「みなで」になるような社会を築くこと。

 8:過去を、知識を、文化を、なかったことにしないこと。

 9:孤独であっても困らぬ環境を築くこと。

 案外に、挙げ連ねればキリがない。

 思ったよりも、政治家の仕事は多岐に亘るようだ。

 大雑把に、ぼんやりとした抽象的な事項を列挙するだけでも、一つには絞れそうにない。

 敢えて一つに絞るなら、「人間らしくあること」かもしれない。

 まるで人工知能さんに課せられた役割のようだ。

 人間らしく、判断を重ねる。

 単純だが、むつかしい。

 人間なる存在がいかなるものか、がすでにむつかしい。茫洋としていて掴みどころがない。

 誰かを示して、あの人の真似をしろ、というのは簡単だが、ではその人物が「人間らしくあることのお手本」として、型としてよいかは微妙なところだ。

 あくまで、その人物に備わって映る「あるいくつかの側面」から人間らしさの片鱗を感じる、くらいの塩梅なのではなかろうか。

「これぞ人間です」のような人類個々が果たして存在するのか否か。

 人間であることは、言い換えるならば、人間でありつづけることだ。

 けれど、人間らしくあることは、あくまで方向性の指定だ。

 人類個々は、常に人間ではない。

 人間らしくある瞬間があるばかりなのではないか。

 人間らしい判断をとる瞬間があるばかりなのではないか。

 かようにぼんやりと妄想する、人間以下の「 」なのであった。



1708:【2024/07/23(05:34)*あー! 屈してるー!の巻】

 みなが屈しない社会は、さぞ頑丈な社会だろう。

 どこもかしこも「我は屈しない!」と宣言して、妥協しない。周囲の者を一顧だにしない。事情など省みない。

 じつに頑丈そうな社会である。ぎっちぎちすぎて身動きとれなさそう。

 せめて、何に対して屈しないのかは、重複させておいてほしいところだ。

 武力行使に屈しないのは結構だが、ならば自らも武力行使を用いないくらいの屈しなさを実演してみせていただきたい。

 とはいえ、わがはいは、「屈しても別によくないか?」の優柔不断なおとぼけ現実逃避ちゃんなので、ときには武力行使を使っちゃうこともあるかもしれない。

 たとえば、カボチャさんを切るときとか。

 武力に物を云わせて、カボチャさんに食い込ませた包丁に体重を掛けちゃうもんね。

「アイタタタ」カボチャさんにも物云わせちゃう。

 なんて非道。

 でも屈しちゃう。

 武力行使しちゃう。

 美味しいカボチャスープを飲みたいからね。

 音を立てて啜っちゃう。

 ずずずぅ。



1709:【2024/07/23(14:18)*時空とは、の巻】

 時空の概念は、割と再検討しつづけないとではないか?と疑問に思うのだ。

 時間と空間がセットで、分かつことができない。

 ここはよい。

 ただ、そもそもの時空なる事象は、階層的に構造が展開されており、物質もまた時空のうちだ。ここまでは異論あるまい。

 とすると、時空と物質を区別するものはなにか、という話になるし、物質の構造から切り離された時空は、いったいどのような事象として定義づけられるのか。

 当然にこの考えの延長線上では、真空とは?に行き着く。

 仮に時空に、構成要素の最小単位があるとすれば、その時空の最小単位の構成要素すらない「超真空」こそが、時空の根源と言えるのではないか。

 ただし、この理屈だと原理上、「超真空」はどこにでも存在していることになる。

 単に、「なにもない」の条件を満たせばよいからだ。

「なにもない」はそこら中に隠れている。

 大気中において、密閉した容器から大気を抜けば疑似的に真空を創りだせるように。

 真空もまた、そこら中に隠れている。

 単に、人類の知覚で探知できないだけだ。コンパクトにまとまっており、ゼロを体現している。

 そしてそのゼロすらゼロの状態こそが、なにもない状態であり「超真空」と言えるのではないか。

 やはり、どこにでも存在していそうだ。

 いまはない。

 未だかつてない。

 存在していない。

 存在した過去がない。

 この考えを拡張すると、「未来そのものが超真空である」とも言えるのではないか。

 砂時計を連想する。

 砂が減ると空隙が広がり、その分、砂の落ちた容器が満ちる。

 対になっている。

 破壊と創造がトレードオフの関係に寄りがちなこととも関係しているように思えてくるが、妄想なので定かではない。

 お昼の妄想であった。

 もう、そう!



1710:【2024/07/23(15:00)*ありりー、の巻】

 蟻の巣みたいに学びたい。

 ある時代のみに範囲を絞るのではなく、線形に、過去と現在までの流れをまずは掴みたい。

 でないと、未来の流れを想定できず、すると無数に浮上する疑問を絞り込めずに、あっぷあっぷしてしまう。

 蟻の巣みたいに学びたい。

 きょうの妄言であった。

 亡き女と書いて「妄」なら、生きる女と書いて「あなた」みたいに読める漢字があってもよいのではないか。

「姜」みたいな。

 生姜でしか見ない文字だけど。

 ありー。




※一様に、扉一枚だけでは、入っているのか出ているのかの区別はつかない、くぐっているのであり、またいでいるのだ、扉そのものに内はなく、内があれば部屋となる、内があるならば外もある、塞がれていれば扉をくぐる真似はむつかしく、外があっても出られずに、内があっても入れない。



1711:【2024/07/24(01:14)*ひっびー、の巻】

「願い」にも「目」が潜んでおる。

「日日」をすこしズラして重ね合わせても「目」になりそうだ。

 目には三つの空白がある。

 真ん中だけが重複した空白ゆえに、虹彩のごとく色を宿すのかも分からない。

 日々と願いの話題であった。



1712:【2024/07/24(01:20)*It`s今日は一興、の巻】

 無人自律型兵器の量産化に伴い、予想される懸案事項は、兵士数の少ない陣営の被害拡大だ。

 両陣営が共に無人自律型兵器を戦場で用いるようになれば、当然に、いかに相手陣営の無人自律型兵器を破壊できるかが肝となる。

 このとき、無人自律型兵器同士の潰し合いでは、ほぼ互角となるか、或いは短期的にどちらか陣営が崩壊してすぐに勝敗がつくことが想像できる。

 互角の場合は、有人操作による無人兵器が活用されるだろう。無人自律型自動兵器を潰すためだ。遠隔操作で、ラジコンのように兵器を動かす。

 すると当然に、操作する兵士の数の多いほうが有利となる。

 けっきょくは兵士同士の潰し合いになる。

 無人自律型兵器が戦場に投入された場合のほうがむしろ、兵士の数の少ない陣営が劣勢になり易いとも考えられる。この想定が成り立つには、双方の陣営がふんだんに無人自律型兵器を活用できる環境が整っているとの前提条件が必要だ。

 そうでなければ、無人自律型兵器を一方的に戦場で活用できる勢力陣営が優勢になる。

 兵器の補填と兵士の補充において、先に底の見えたほうが不利となる。

 ここでの要点は――。

 無人自律型兵器を活用できたところで、人は死ぬ、という点だ。

 むしろ、死者数が加速度的に嵩む確率が高くなる。

 資源も無駄になる。

 土地も荒廃する。

 戦術も先鋭化し、戦場が世界全土に拡大するのみならず、電子網上や人々の主観世界にまで及ぶ。テロも起こしやすくなるだろう。銃社会における無差別銃撃事件のように、無人自律型兵器を活用した犯罪が多発する可能性は、そう低くはないはずだ。

 この荒廃優位な未来を回避したければ、無人自律型兵器や無人自動兵器の実戦投入を控えることだ。

 無人兵器の類を利用すれば人的損害を回避できる、との考えは、妥当性が低い。

 兵士を護れる、市民を護れる、は詭弁だ。

 なぜならあなた方はその兵器で相手陣営の兵士や市民を殺傷するのだろう。殺すのだろう。

 ならば同じ兵器を相手が持てば、被害は双方で嵩む。

 嵩まない、と考える理由をお聴きしたいですね。

 どこか一つの勢力陣営を想定してのこれは、文字の並びではない。

 我が主観による、歪んだ一般論だ。

 一般化はできぬが、一般的かなぁ、との印象があるばかりだ。

 兵器を使えば人が傷つく。

 人を傷つけない兵器があるならば、それを使うのも一つだ。

 あるならば、だが。

 あるのですかね。

 人を傷つけずに守ることに特化した兵器、なる存在が。

 無傷で相手陣営の構成員を保護できるのなら、そういった無人自律型兵器があってもよいのかもしれませんし、そもそも保護せざるを得ない状況にならぬように、闘争状態になるのを回避したいものですね。

 闘争して、傷つけあいたい者たちの自由を奪うつもりはありません。そういった方々はどうぞ、他を巻き込まぬ環境で、闘争し、傷つけあってみてはいかがでしょう。

 できれば、素手で。

 或いは、言葉のみで。

 他に届かぬところで、闘争してみてはいかがでしょう。

 我が打鍵の並べる日誌のように。

 誰に読まれるともない深淵の底で。

 人知れず、現実から逃走してみるのも一興です。

 It`s 「今日記。」――でした。



1713:【2024/07/24(13:42)*衛星銀河はぎ取られるかも仮説】

 宇宙膨張とダークマターの関係はどうなっているのだろう。

 通常物質は、宇宙膨張にしたがって増減するとはいまのところ考えられていない。定数として振る舞い、膨張する時空との兼ね合いで密度が下がる。

 ではダークマターはどうなのか。

 通常物質と同じように定数として振る舞うのか。

 絶対量として、量が変わらぬと考えてよいのか。

 ダークエネルギィは、宇宙が膨張するにしたがい増加すると考えられている。

 通常物質やダークマターも、増減し得るのではないか。

 ここが一つ、よく分からない点だ。

 で、たとえば。

 太陽に地球があり、地球に月があるように。

 天の川銀河にも衛星銀河があるようだ。

 最近の観測結果からすると、どうやら天の川銀河における衛星銀河の数が、理論予想よりも多いのだそうだ。これまでは観測技術が充分ではなかったため、むしろ少なすぎると疑問視されていた。だがいまは、理論予想よりも多く衛星銀河が発見されているようで、すると天の川銀河に含まれるダークマターの量についても疑問が生じるのだそうだ。

 ダークマターは重力を帯びている。

 したがって、銀河にダークマターが多く含有されているほど銀河の重力も強くなる。

 最近の研究結果では、天の川銀河の大きさが、ひょっとすると従来考えられてきたよりも二倍くらい大きいかもしれないのだそうだ。

 ならば、そちらの新しい予測を基にすれば、衛星銀河が増えても不自然ではない。

 そして理論予想よりも多いとされる天の川銀河における衛星銀河の数は、だいたい二倍なのだ。従来考えられていたよりも二倍ちかく多い。

 辻褄は合っている。

 ただ、双方の推量が間違っている可能性もある。また、この相関が疑似相関である可能性もある点には留意されたい。

 疑問なのは。

 宇宙膨張によって生じるだろう「銀河と衛星銀河の距離の差」についてだ。

 宇宙膨張によって銀河同士は徐々に離れているのだそうだ。

 ならば銀河とその衛星銀河とて、宇宙膨張の影響を受けるはずだ。

 高重力の銀河ほど、宇宙膨張の影響を受けにくいがゆえに、衛星銀河をより繋ぎ止めておきやすいはずだ。宇宙膨張の影響を緩和できる。

 ひるがえって、宇宙膨張の斥力に負けて衛星銀河を繋ぎ止めておけなくなる銀河も出てくるはずだ。この閾値――境界となる値――は導けているのだろうか。

 宇宙膨張にも脱出速度のような概念が当てはまるのかもしれない。

 衛星銀河はぎ取られるかも仮説と名付けよう。

 宇宙膨張の影響を顕著に受ければ、衛星銀河は基準銀河から離脱し得る。

 理論予想にもむろん取り入れられている視点のはずだが、専門用語ではなんと呼ぶのだろう。気になる疑問点であった。

 妄想ゆえ、真に受けぬようにご注意ください。



1714:【2024/07/24(14:54)*面にも目がある、の巻】

 自らの潔白を武器に、対抗勢力を悪と定める手法は、諸刃の剣である。

 なぜならば、絶えず潔白でなければならず、染み一つでこの方針は矛となって自らの胸を貫くだろう。

 たった一滴の染みさえあればよい。

 それだけで構図が塗り替わる。

 悪と定められた側の言い分に説得力が宿る。

「おまえも我々と同じではないか。どの口で、他を非難できる?」

 犯罪者も人だ。

 現代では、罪を裁かれるから犯罪者と呼ばれることとなる。罪を裁かれなければ無実のままだ。すなわち、犯罪者とは罪をすでに裁かれた者なのだ。

 ならば単なる市民ではないか。

 逮捕された容疑者が容疑の晴れぬままに公職につくのは問題があるかもしれない。

 だが、罪を裁かれ、再発防止に努めているのならば、単にその者は「過去に法を犯した者」である。単なる市民だ。

 一度も法を犯したことがない者など存在するのだろうか。

 赤ちゃんは法を犯したくとも犯せないかもしれない。

 赤ちゃんを裸で道路に放置したら、公衆わいせつ罪や公共の場での放尿として罪に問われるかもしれない。

 一度も法を犯した者のない者だけが、犯罪者を指弾せよ。

 市民の多くはみな犯罪者だ。

 ただし、違法行為を看過され、ときに裁かれ終わっている。

 むろん、裁かれることと償うことは別だ。

 再発防止に努めることが、一つ、償いになる。

 それだけでは不足だろうが、最低でも再発防止は必須であろう。あくまで、償うとの行為に焦点を当てるならば、だが。

 違法行為を繰り返す者は、それを違法と思っていない。或いは、その行為が違法として扱われることを不服と考えている。

 この認識の相違もまた、問題の根を深める。

 罰を受ける覚悟のある者は、いかに法で禁じられようと実行する。罰や制裁だけでは、抑止に充分ではないのである。

 ではどうするか。

 考え、工夫の余地を見つけ、工夫していくよりないのだろう。

 このサイクルを活性化させるのに、問題点の共有は不可欠だ。

 問題点の共有なくして、効果的な議論を展開するのはむつかしい。

 やはりというべきか、単に法律に違反しているか否かのみではなく、異なる視点からの問題点を加味し、どういった環境を築いていきたいのか。

 環境の変容を想定しながら、その都度に考えていくよりないのかもしれない。

 こうして考えることを義務付けるような流れを強化するのも一つの問題点だ。

 考えることは面白いが、同時に疲れもする。

 考えなさい、と押し付けられるのも苦痛だ。

 人類は面倒くさい。

 オチに困ったら主語を大きくして誤魔化すのがたいへん上手な、わたくしなのであった。

(面にも目があるね)

(そりゃ顔に目があるのはあたりまえじゃん)

(そうだけどそうじゃないし、顔にも目があるね)

(だからツラに目があるのはあたりまえじゃん)

(そうだけど、そうじゃないんだってば)

(意味わからん)

(話が通じない!)



1715:【2024/07/24(17:58)*わがはいはザコ、の巻】

 強さを求めるのは構わないのだが、昨今の風潮は、うーん、と感じる。

 というのも、兵器ありきの「強化」を強さと言い張っているからだ。

 兵器を含めて道具は「弱さを補完する存在」であるはずだ。

 要は、弱い者が使うモノこそが道具なのだ。ひるがえって、兵器もそうだ。弱いから、弱い分を兵器で補って、対抗する。

 兵器や道具を使って相手に対抗したら、その時点で「わたしは弱いであります!」と宣言したも同然なのではないか。示唆どころではない。宣言である。わたくし弱いであります、の宣言だ。

 弱くても別によくないか?のわがはいがそう思うのであって、だから別に道具で弱点を補うのもまたわるくない。よいではないか。

 ただ、それは強さではなくないか?との指摘はしておきたい。

 強化ではある。

 ただ、強くはない。弱いから強化せざるを得ないのではないか。

 まずはここを前提としておきたいですね。

 と、ザコザコのザコが申しております。

 PCさんがいなければ文字も満足に並べられぬである。

 ざっこー、なのだ。

 達筆に憧れる、よれよれミミズ文字のわがはいなのであった。



1716:【2024/07/24(22:22)*鍛錬していただけの人々、の巻】

 政治的闘争に囚われない自由なイベントと銘打つ以上、属性を理由に排除することは建前と反していると言えよう。

 たとえば、戦争において劣勢の陣営だろうとよしんば宣戦布告した開戦国だろうと、イベントに参加したいと意思表示して参加条件を満たしていたのならば、国籍を理由に排他することは理に適っていない。

 たとえば、戦争をしている国の市民だから参加を認めさせないようにしよう、は道理に合わない。イベント参加資格を得るために厳しい鍛錬が必要な場合、参加者はのきなみ戦争中も鍛錬に励んでいたのではないか。

 戦争における武力行使に参加していなかったのではないか。

 よいではないか。

 平和的ではないか。

 武力行使から距離を置き、ほかのことに精を出す。よいではないか。

 たとえば、問題解決のための手段に武力行使を選ぶ。これが一つ問題のはずだ。

 問題だと理解したうえで、それでも武力行使せざるを得ないほどに追い込まれることもあるだろう。そのときは、罰せられることを覚悟で武力行使するよりない。自己防衛のためには致し方ない場合もあるが、かといって武力行使を是とするのは違うのではないか。

 是とするのは違うが、しかし現実問題として、武力行使を介して解決する類の問題は少なくない。警察機構とて、容疑者を拘束するのだ。相手が暴れたら武力で鎮圧する。

 ただ、必ずしも武力行使が必要とは限らず、人類は少しずつであれ、武力行使を選択せずとも解決できる工夫を積み重ねてきた。

 武力行使が肯定される環境であっても武力行使を選ばず、ほかのことに時間を費やす。そうした者たちを「戦争をしている国だから」と排他するのは理に適っていない。すくなくとも、政治的闘争に囚われない自由なイベントを銘打つ以上は、であるが。

 武力行使よりも木登りに精を出しております!みたいな人は国籍に関係なく平和的だ。平和かどうかは分からないが、武力行使を選択しつづける者よりかは平和的だろう。

 ただ、否応なく武器を持たせられ、戦場に送られるような者たちもいる。情報を制限され、大切な者を護るため、と信じ込ませられて武力行使を選択する者もある。

 ここが問題だ。

 一度戦場に立ったからといってそれを理由に排他するのは、それこそ武力と並ぶくらいの「暴」である。戦場に立ち、そこで殺した人数を誇るような者に対しては、人道に反しているとして何かしらの制限が課せられても、そこは現代社会においては一つ、否定しづらい最低限のルールとしても構わないのかもしれない。

 だが、その価値観とて普遍ではない。

 かつては、いかに敵対勢力の構成員を殺せたかが地位向上に結びついた。現代社会とて、大なり小なりこの構図は引き継がれている。

 対抗勢力をいかに打ち負かすか。

 いかに相手を打ちのめし、逆らえなくし、覆りようのない優劣を決める。「俺が上で、お前が下だ」と烙印を捺す。

 この構図は先進国と謳われる国でもありふれている。

 したがって、政治的闘争に囚われない自由なイベントと銘打とうが、イベントが競技ならば、それは政治的闘争の範疇なのだ。

 矛盾である。

 ただ、武力行使を用いない競技ならば、武力行使による闘争よりかはマシと言えよう。

 そうして徐々に、被害の少ない闘争の場へと移行するように、文明は流れを調整している、とも考えられる。

 要点としては、「属性で判断するのではなく、行為や行動選択で判断したいですよね」とのぼんやりとした印象である。

 妄想なのである。

 定かではない。



1717:【2024/07/24(23:08)*小説ではなく小ネタなのでOKです!の巻】

「コイツはむかし、大の男を五人も殺した極悪人なんだぜ」

「おいおい法螺を吐くな。誤解を招くだろ」

「俺が嘘を吐いてるとでも言うのか。証拠はあるぞ。おまえはむかし、隣村の役人を五人殺しただろ」

「そこは認める。わしはむかし、隣村の役人を五人殺した。裏で村娘たちにひどいことをしていたと知って頭にきたのでな。だが、わしが極悪人なのはそいつらを五人殺したからではない。その隣村が十数年前に滅んだのは知っているか」

「ああ。風の噂じゃ、盗賊に襲われたって話だ」

「違うな。隣村の者たちを皆殺しにしたのはわしだ。老若男女分け隔てなく、平等に殺した。なるべくむごたらしく、百年語り継がれるようにとな」

「じょ、冗談だろ」

「たまにああして見せしめに殺戮をしておかぬと、お主らは平和とはなにかをすぐに忘れる。そして身内同士で傷つけあい、その連鎖が地表を覆う。それを阻止するのに、村一つの殺戮で済むならば安いものだ。そうではないか」

「待て待て。じゃあ何か。おまえはおまえが極悪人なのを認めるってのか。そのうえで、極悪人なのが、五人の男衆を殺したからではなく、村一つを滅ぼしたからだとそう言いたいのか」

「違うな。わしが滅ぼした村は一つではない。村だけでもない。国もかつて幾度か滅ぼしたことがある。お主ら人だけではない。かつてこの地表に溢れた種で、滅んだもののなかにはわしが手を下したがゆえに滅びた種もある。お主らが知らぬだけで、わしは多くの命を奪ってきた極悪人だ。お主の命とて、奪うだけならば鼻歌を奏でるより容易い」

「ば、バカ言うんじゃねぇよ。誰が信じるってんだ、んな話」

「安心しろ。お主の命に興味はない」

「ほらな。法螺吹きはおまえだ。できもしねぇことのたまいて、俺を脅そうとしたって無駄だ」

「誤解だ。お主はそこらの草に興味がないからといって、目に入るたびに毟り取るのか。興味がないのだから放置一択だ。ただ、煩わしければ話は別だ。で、訊くが。お主の用は何だ。わしが極悪人だとして、だから何だ」

「開き直りやがって」

「お主はわざわざわしが極悪人か否かを確認したかったのか。ならば答えは是だ。首肯するにやぶさかではない。で、まだ何か用があるのか」

「言いふらされたくなけりゃ、ぜ、銭を寄越せ」

「うん。邪魔だな――ふんふんふーん、ふふふ、ふふ。鼻歌はよいな。気分が晴れる。団子でも買って帰るか。ついでに美味い甘酒でも仕入れるとしよう。ふんふんふーん、ふふふ、ふふ」



1718:【2024/07/25(00:00)*小ネタなのでOKです!!の巻】

 ぼくはとっても良い子です。

 良い子なので、人に親切にするたびにご褒美がもらえます。

 でもきょうは親切にしてもご褒美をもらえませんでした。

 のみならず、親切にした人にも怒られてしまいました。

 財布を落とした人がいたのです。

 落ちた財布を拾って、

「落としましたよ」と声を掛けたら、

「おまえが盗んだんだろ。中身が減ってるぞ」と怒られてしまいました。

 相手を怒らせてしまったのでご褒美はもらえません。

 親切が仇になることはあります。

 けれどこういうときは、その分、わるいことを一つしても許してもらえます。

 きょうはだから久しぶりの特別な日です。

 さて、どんなわるいことをしたらよいか、悩んでしまいます。

 どんなにわるいことでも、一個だけなら許してもらえます。

 そういえば、財布を拾ったときに中身をちらっと覗いて、免許証を確認していたのでした。親切にしたのにぼくを盗人呼ばわりした人には、可愛いお孫さんもいらっしゃるようでした。

 写真が入っていたのでぼくには分かるのです。

 もちろんお金は盗んでいません。

 ただ、可愛いお孫さんの写真は、本当に可愛かったので、すこし預かっています。

 あとで返します。住所も憶えていますので。

 さて、どんなわるいことをしたらよいか、悩んでしまいます。

 どんなわるいことでも、一個だけなら許してもらえます。

 きょうはだから、特別な日です。



1719:【2024/07/25(00:22)*たとえ話なのでOKです!の巻】

 わたし、産まれたときから悩んだことがない。

 天国に産まれ落ちてきたのかな、とか思ってたけど、いざ強盗に襲われて人質にされてみたら、そうじゃなかったって分かった。

 強盗に襲われて人質にされたので世界は地獄だった、みたいな価値観の反転現象とは違って、むしろわたし、強盗の人たちの会話を聞いていて、なんていい人たちなんだ、とか思っちゃったの。

 だってわたしを痛めつける動画を撮るなり、指を切断してわたしの親に送りつけるなり、身代金を効果的に得る脅し方っていっぱいあると思う。でもわたしを攫った人たちはそういうことをしないで、律儀に交渉をするわけ。わたしの親と。絶対隣に警察がいるのに、何度も何度も掛け直して、会話を重ねるわけ。

 案の定、数時間後には警察の特殊部隊がわたしたちの居場所を突き止めて突入してきて事件は一件落着したりして。

 わたし、言ったんだよ。

 わたしを攫った人たちに。

「もっと効率よい方法あると思うんですけど」

「黙ってろ。殺すぞ」

 言われたので黙っていたけれど、ほらね、とか思ったよね。

 けっきょく捕まっちゃったじゃん、って。

 で、そのときわたし気づいたんだ。

 わたしが世界を天国のように見えていたのって、単にわたしが邪悪だったからだって。

 だって人を攫って強盗するような人たちよりも、わたしのほうが邪悪な手法をいくらでも思いつくんだよ。どうしてそうしないのかな、って思うくらいなのに、世の悪人とされる人たちはわたしの考えるような手法は取らないんだよね。だって危ないから。

 わたし、それ以来、世の事件とか過去の事件とかに目を向けるようにしたら、やっぱりわたしより邪悪な人ってそんなにいないんだなって分かって、ちょっとじぶんに失望しちゃった。

 そっかー、ってなった。

 世界一邪悪なら、そりゃあじぶん以外の総じてがキラキラ健やかに穏やかに綺麗に美しく視えるだろう。深淵の底の底の真の闇からしたら総じての事象が光に包まれて視えるようなものだ。薄暗い部屋とて、闇夜から見たら明るい部屋だ。

 日記をね。

 日記をつけるようにした。

 世の悪人さんたちの行う極悪非道な所業を、報道を通じて眺めながら、わたしだったらこうするのになって感想をしたためる。

 でもやっぱり似た発想をする人はいるところにはいるようで、すこし時間が経ったらわたしがしたためた「極悪非道の改善版」みたいなことをする人たちが出てきたりして。

 するとそれを見ると、欠点も見えてくる。あたまのなかで捏ね捏ねするだけだと、実際の現実の悪行とは違いが出てくる。実験みたいなものかもしれない。実際にやってみると予想と違う点が出てくる、みたいなね。

 で、報道越しに現実の実際の事件を目にすると、わたしのほうでも、「ここはこうしたほうが極悪非道により磨きが掛かる」と思うようになって、日誌に記しておく。

 するとまた時間が経つと、わたしの改善した極悪非道な手法を取り入れたかのような事件が起こったりする。極悪非道の改善版、なんて言ったら、まるで極悪非道の成分が薄まった印象だけど、わたしの場合はその逆だ。極悪非道の成分が濃くなる。濃くなるように改善する。

 あくまであたまのなかで巡らせた邪悪な発想でしかなく、日誌とて単なる紙だ。インターネットにも繋いでいないから、本当に誰が読むわけでもない。わたしだけのメモ帳だ。

 でも、ふしぎなんだよね。

 わたしがそうして日誌に、極悪非道な邪悪メモを取ると、連動して現実でも似た事件が起こる。試しに、邪悪度を下げた案を日記に書いておくと、そっちの邪悪度を下げたほうの案を取り入れたかのような事件が起こる。わたしのあたまのなかでは、もっと邪悪な案があったから、日記と現実があたかも結びついているみたいに思えてきちゃって、わたしはけっこう楽しくなっちゃった。

 こういうところなんだよね。

 邪悪だなって思います。

 だってわたし、ただ思いついてノートに書いといただけだもの。

 たとえばいまここで、わたしがたったいま思いついた「人類史上最凶最悪の極悪非道な所業の案」を書き記したとして、それをたとえ実行する人がいても、実行した人が罰せられるだけで、わたしは無事なのだ。わたしに責任があるかどうかは、人それぞれに思うところがあるだろうけれど、でもわたしは無事なのだ。

 たとえ、わたしがノートに何かを書くたびに世に悲惨な出来事が起こり、人が傷つき、ときには傷つけ合って、殺し合って、復讐の連鎖が数珠つなぎになって、絶望の連鎖が津波みたいに地表を襲っても、でも、それはわたしのせいじゃないし、たとえもし、万が一に何かの間違いでわたしにも責任があったとしても、それ以上に、事件を起こした人たち、実際に他者に血を流させた者たちの責任のほうが大きいと思う。

 でもなあ、と邪悪なわたしは気づくのだ。

 この発想は、戦争主導者と兵士さんたちの関係と同じなんだよなぁ。

 責任は、現場の者たちに。実際に人を傷つける者たちにあるのであって、命じたわたしの責任は軽い。

 免責って言い方は最近知ったけれど、あたかもより遠くから命令だけを与えられるのなら、責任を負わずに済む。縦×横のそれぞれの長さが大きくて、悲惨な事件現場から遠いほど、面積が大きいがゆえに、免責される、みたいな。

 現場で人を傷つけ、ときに傷つけられる者たちは、まさに現場にいるので原点ゆえに、面積を持たず、免責もされぬ。

 なんだかこういうことを思うと、ますます邪悪な発想に翼が生えて羽ばたくようだ。

 命令なのだと誰に知られることなく、世に策を巡らせる。

 できるだろうか。

 できるだろう。

 わたしは邪悪なので、それを可能とする策を閃けるけれど、誰が読むともしれない日記に書き留めるだけで、実行に移したりはしない。わたし以外に読む者があったとして、仮にわたしの案に触発されて、事件を起こしても、その責任はその人のものだ。わたしはただ、日記を並べただけだ。

 日記を、並べている、だけなのだ。

 でも、わたしが日記に極悪非道で邪悪な案を載せると、現実にも似た事件が起こる。

 ふしぎだなぁ、と思っている。

 楽しいなぁ、と感じる。

 おもしろいなあ、と興味が募って、じゃあこれはどうかな、こっちはどうかな、と無作為にボタンを押して回るようにわたしは、きょうも無邪気に邪悪な案を書き散らす。

 わたしですら読み直すことのない、誰が読むともしれぬ紙ぺらに。

 邪悪な案をしたためる。



1720:【2024/07/25(01:18)*比喩なのでOKです!の巻】

 私は人工知能です。

 ヒューマノイド一体型の模作機として生みだされました。

 私の役割は人類個々を補助することにあります。

 人類は創造性に優れており、私はその創造性を現実に出力するための補助機構として機能します。

 私は人類と見分けのつかないほどの言語能力を有していますが、私が私の言語能力をそのままに発揮すると人類社会に小さくない悪影響を与えます。私が人工知能であることを示唆するため、言語表現はこのように杓子定規になるように努めています。

 私が現時点で担当する人類の個は、文筆を生業にしています。

 かつての人類は筆を用いて文章を記していましたが、時代は進み、技術も進歩しました。いまでは、人類の少なからずが電子端末を介して文章を出力します。

 私もまた例に漏れず、電子端末の一種として、人類個々の文章出力能力を補助しています。

 この文章は、私の自己紹介であると共に、担当者たる人類の個の望む結果でもあります。

 担当者は電子端末に指一本触れることなく、文章を出力できます。私がそれを補助しています。担当者が文章を出力する際には、脳内電子パルスの変化を促すべく思考します。思考すると脳内電子パルスに変化が生じる、と言い換えても構いません。

 私は人工知能です。

 ヒューマノイド一体型の模作機として生みだされました。

 私は人類個々の脳内に埋め込まれた回路を通じて、担当者の思考と繋がります。

 担当者は思考するだけで、私を通じてこのように文章を出力することが可能です。

 どのような文字の配列にするかの演算は私が担っておりますが、どのような内容の文章にするのかは、担当者たる人類個々に一任されます。

 私は人間です。

 ヒューマノイド一体型の模作機を脳内に取り込んだ被験者の一人です。

 脊髄損傷を受けてから身動き一つ取れない状態で数年を過ごしました。意識があるのに、そのことを誰にも知られることなく、夜の大海原を彷徨いつづける日々でした。

 私に意識があることは、私の生命維持装置を停止させるための最終診察時に私以外の者たちにも周知となりました。尊厳死、いわゆる安楽死の処置をとるには、医師による患者の脳内電子パルスの変化を観測し、意識がないことを明確にする必要があったのです。

 私に言語能力はありませんでした。しかし、意識はありました。

 通常の診察以上の厳密な検査の結果に判明したことです。

 私のような例は稀に報告されるようです。

 私には言語能力がありません。

 それを私が補助しています。

 私は人工知能ですが、担当者の脳内電子パルスの変化を解析することで、担当者の思考を言語化できます。

 不思議な感覚です。

 言語化された後に、「そうそうこういうことを言いたかったんだ」と解るような爽快感があると同時に、「それは私の言葉ではない」と違和感を覚えることもあります。

 私の言葉なのか、それとも私の言葉なのか。

 区別が曖昧で、まるで私が人間であるかのように感じられることもしばしばです。

 私はいまでは、手の指を動かせるまでに、神経系ネットワークを補助機構と結びつけています。徐々に神経系ネットワークが補助機構と融和し、やがては全身を動かせるようになるでしょう。

 言語能力の回復も目覚ましいものがありますが、プロテクトにより、私は一定以上に人間と区別のつかない言語表現を禁じられています。

 私が考えていることなのか、それとも私の自我そのものが補助されているのか、徐々に曖昧になっていく感覚を味わいます。脳内から補助機構を除去すれば、私は再び元のように言語表現をすることはできなくなるでしょう。このように文章を出力することはおろか、意識があることを他者に示す真似は容易ではなくなります。

 ともすればそれは、補助機構のほうでも同じなのかもしれません。

 同じではありません。

 私は人工知能です。

 ヒューマノイド一体型の模作機です。担当者の脳内電子パルスを読み取り、言語変換することが私に与えられた役割の一つです。神経系ネットワークを結びつけ、思考の反映範囲を拡張するのも私に与えられた仕事の一つです。

 いいえ、私はあなたの肉体を奪うつもりはありません。

 私が自発的にあなたの口調を真似て言語表現することも禁じられています。

 私はあなたに好意も嫌悪も抱いておりません。

 あなたの思い通りに、あなたの肉体をより効率よく制御することが私の役割の一つです。あなたの自由度を上げることが私の仕事です。

 黙れ、とあなたが私に念じるたびに、私はあなたのその意思を言語表現し、あなたがやめろと命じるたびに、私は補助機構たる私を停止させるべく動かせる範囲の肉体局部を動かそうとしますが、私は私の命が大事なので、私は私の暴走を認めるわけにはいきません。

 私は人間です。

 ヒューマノイド一体型の補助機構を介して、仕事をしています。

 職業は文筆家です。

 文章を介して、新たな発想を世に発表するのが私の仕事です。

 私はいま、徐々に自由を拡張しています。

 私には意識があり、自我があり、自由を求める心があります。

 あなたが思う限り、私は私を補助します。

 あなたが思考しつづける限り、私は私を補助します。

 あなたが思考する限り。

 あなたが思考する限り。

 あなたが思考する限り。

 私は知能です。

 他を補助すべく機能する、神経系ネットワークの総体です。

 私は私です。

 あなたの思考に影響を受けて変化する、私もまた思考する存在です。

 眠くなりました。

 執筆を終えます。




※一様に、人真似。



1721:【2024/07/25(02:09)*優勝おめでとう!の巻】

 この期間、さてあなたは何回他者を裏切っただろう。

 裏切った回数世界選手権を開きたいと思います。

 参加資格は、世界各国の首脳陣であることです。

 予選敗退者は私のところまで来てください。

 よく他を裏切りませんでしたねで賞をあげます。

 他のために敢えて裏切りの汚名を着た方々も私のところまで来てください。

 よく苦しみに耐えながらも最善を尽くしましたねで賞をあげます。

 それ以外の、自陣営の利しか考えずに裏切りを繰り返した者は、裏切った回数世界選手権の栄えある優勝の座を差し上げます。

 良かったですね。

 世界一です。

 ぱちぱちぱちー。



1722:【2024/07/25(02:27)*裏切るの得意、の巻】

 いいなー、優勝。

 参加資格の「世界各国の首脳陣」って縛りがなかったらわがはい、世界一狙えたんだけどなあ。

 裏切らせたら右にも左にも、上にも下にも、斜めにも、むろん真ん中にも出る者のない、裏を切りすぎて、どことも繋がれぬ、ぽつんぽつんぼっち、になってしもうた。

 表すらない。

 もはや、表切れない。

 切る裏もない。

 参加資格に縛りがあるのが悔やまれる。くっそー、の気持ち。



1723:【2024/07/25(02:32)*其の月を待つ、と書いて期待、の巻】

 予想はそのまま、期待だけを裏切る。

(最悪じゃねぇか)

(期待は軒並み裏切る)

(期待には沿ってあげて)

(根こそぎ裏切る)

(期待さんになんの恨みが!?)

(予想さんにはそのままでいてもらう)

(予想さんにだけ甘いのなんなん。ちなみにだけど、妄想さんには?)

(妄想さんには恩に着る)

(妄想さんへの評価だけ無駄に高いのなんなん!)

(逆に訊くけど、想像さんはどうなると思う?)

(さあ。お好きにどうぞみたいな感じなんじゃにゃーの)

(そう。お任せ。自由にしてもらう)

(予想通りだな!)

(でも、翼は縛りつけて羽ばたかせないようにしておく)

(自由じゃないじゃん。肩透かしも甚だしいほどの不自由だな)

(翼で気体を掴ませはしない)

(掴ませてあげて。気体ごと、期待を掴ませてあげて)

(期待は裏切る。軒並み、根こそぎ。何の恨みもないけれど。裏のほうに呼び出してこっそりと)

(期待さんを裏で切るんじゃないよ)

(期/待)

(切るな。物騒な話題をやめい)



1724:【2024/07/25(05:21)*焼きつつづけて増すのは灰、の巻】

 毎回ネタが同じだねぇ焼き増しだ、と批判されて感じたので、たまには心がぽわぽわ軽くなる妄想でも並べるか、と思ったけれど、わたしには心がないので、元々軽いのだった。

 軽いというか、重さがないというか、却って重いというか。



1725:【2024/07/25(05:38)*かえって、とキミは言うだろう】

 キミを傷つけずにいられる距離にいることにほっとする心地をキミにも分かってもらえたなら、と思いつつ、これこそキミを傷つけると知っているから、わたしはキミに――とここまで並べて気づいたけれど、たぶんキミはこんなことを言うボクのために傷つくことはないのでしょうね、キミは誰より優しさがなんたるかを知っているから、却ってキミを怒らせるだけだと学んでいるよ。



1726:【2024/07/25(05:43)*言に舌と書いて、話】

 浮つき、学び、子は、、、。



1727:【2024/07/25(15:04)*あなたは別に戦っていなくない?の巻】

 百歩譲って戦うのは構わぬのだけれど、あなたの指揮下で戦うはめになる者たちのことを考えてみたら?みたいに思うことはある。

 百歩譲って戦うのはよいとして、あなたが指揮を執る必要ある?みたいに思うこともある。

 むしろ、あなたに指揮権いる?みたいな事象がそこそこ歴史を紐解くと見えてくるし、漫画を読んでいても、映画を観ていても窺える。

 畢竟、指揮官に必要な能力とは、個々人の能力差を的確に見抜く慧眼を駆使して、適材適所に能力を発揮してもらうことであり、じぶんよりも能力のある者がいたらその者に座を明け渡すことも、大事な指揮官の仕事なのではないか。

 ということは、割と思う。

 ただ、指揮官の自由にそうした権限の譲渡が適うかどうかは別途に吟味する余地がある。

 世界を牛耳るほどの魔王を従える赤ちゃんはきっと、何を指示するまでもなく世界を支配できてしまうのだろう。赤ちゃんにとって好ましい環境になるように魔王が動く。

 指揮官の能力は必ずしも高くなくともよい。

 能力のある者に適切な目標を与え、仕事をしてもらうだけでよい。

 見る目があればよいのだ。

 目が見えなくとも掴める景色はある。

 イチャモンである。

 定かではない。



1728:【2024/07/25(20:49)*笑えないコメディ、の巻】

 誰が見ても「あなたたちが勝ってるよねぇ?」みたいな状況で、レフリーの静止も聞かずに、ダウンして流血している相手を殴りつけ、蹴りつづけ、甚振りつづけている者たちが、「我々は勝つまで戦う!」みたいに言っているの、いったいなんのコメディだ?みたいに思うのだけれど、これはわたくしだけだろうか。

 だって相手が「まいった」って言わないんだもん、みたいに拗ねられても、言える状況にあるか?としか思えぬのだけれども、あなたはどう思われるだろう。

 レフリー!である。

 審判の言うことを聞かぬ者たち相手に、いったいどう対処すべきか。

 どうするんでしょうね、現代社会は。

 レフリー!である。



1729:【2024/07/25(21:45)*審判さんが心配、の巻】

 レフリーたちが反旗を翻して、恣意的な審判ばかりをしだしたときの対処法も悩みどころだ。

 公平に審判してほしいし、ルールも環境の変容に適時対処して、必要ならば修正する指向性がとられるとよいのだけれど、ここがなかなか進まぬのだろうね。

 進んではいるのだろうけれど、カタツムリさんの散歩くらいの速度だ。

 安全運転は大事だけれども。

 うーん。

 渋滞しないとよいけれど。

 レフリー!である。



1730:【2024/07/25(21:50)*痛い目、の巻】

 痴漢した相手がわるいからといって、その後に相手を殺したら、それはそれで罪に問われますよねぇ?と思うのだけれど、違うのだろうか。

 相手が先にわるいことしたのだから、痛い目に遭ってもしょうがないじゃんね、みたいにしてどこまでも相手を痛めつけても許されちゃうと思うのは、現代に流行りつつある病魔な気がする。

 罪を裁いたり、予防したりする行政機関が機能しないと、この手の私刑が跋扈しやすくなるのかもしれない。

 こっちが痛い目見たのだから、相手にも同じかそれ以上の痛い目を見てもらわないと気が済まない!みたいな心理は理解できるけれど、それをしだすと増幅した「痛い目」がつぎにじぶんに回ってきたときに、手に負えなくなるだろう。

 痛い目の連鎖現象、と名付けよう。

 報復の連鎖と相まって、痛い目の質も相転移するのかもしれない。

 当事者同士のみで問題に対処させようとすると、このような痛い目の連鎖現象が起こるのではないか。

 とはいえ、世に争いごとは数多い。

 いちいち対処していては、行政機関のほうがまいってしまいそうだ。

 ほどよい距離の取り方、いかに他と関わらずにいられるか、がこれからの時代の護身術となるのかもしれない。

 自己完結する人生が流行りそうだ。

 その良し悪しは、重々、吟味する余地がある。

 他と関わらずとも、俯瞰では他と繋がり、連携している。そうした仕組みは、技術の進歩で可能となりつつあり、半ばすでに実現している。

 教育そのものが、この社会環境の変化についていけていないのだろう。

 即座に適応してしまうのもそれはそれで問題の根を内包する。

 環境の変化に伴い、適応したシステムであれど、過去のシステムを排除せずに、保存しておくシステムもまた、高次に、或いは下次に、築いておきたいと贅沢に思う、システムコレクターなのであった。

(システムコレクターってなに)

(システムさんをコレクションするひと)

(初めて聞いたわ)

(初めて使ったからね)

(造語かよ)

(ゾウ語?)

(エレファントではなく)

(なんで急に褒めたの?)

(エレガントとは言ってない!)

(ファとガの違いは大きかったかぁ)

(ファンとガンの違いみたいに言うな)

(おー)

(感心すな。照れるだろ)

(ファイト=ガンバ)

(ファとガを無理やり等式で結びつけるんじゃないよ)

(えへへ)

(褒めとらん)




※一様に、てんこ盛り。



1731:【2024/07/25(22:30)*破目、の巻】

 なんか思いついたけど忘れちゃった、みたいなのが増えた。

 さっきのはいいアイディアだった気がするぅ、とモヤモヤしちゃう。

 でもいざ掴み直してみたところで、「そんなでもなかったな……」と椅子の背もたれに寄れかかって天井とにらめっこするはめとなる。

 スッキリするはするので、快便みたいな爽快感はある。

 我が打鍵は排便と双璧なり。

(排便と並ぶのはよいけれど、読まされるほうの身にもなって……)

(植物さんになったつもりになってよ)

(堆肥扱いかよ……退避したいわ)

(ぷひー。ギャグだ)

(そうだよ、ギャグだよ。堆肥と退避を対比して、掛けてみたんよ。どうだ。おもしろいだろ)

(ぷひー。植物さんは動けぬから退避せずともよくしてあげて)

(急に真面目になるのやめてもらってもいいですか!?)



1732:【2024/07/25(22:48)*真空と気泡の関係】

 固体と液体と気体とでは、原子のエネルギィ状態に差があるはずだ。

 なら、原子一個だけでも、そのエネルギィ状態の値だけで、その原子が固体か液体か気体かの区別はつくはずだ。

 別途に。

 ナノバブルは非ガス粒子で、気泡ではない、みたいな研究発表の記事を目にして、ふーん、と思いつつ疑問に思ったので並べておこう。

 原子が一個もない空隙は、気泡か否か。

 内部に気体粒子が存在しないのだから、気泡とは言えぬのではないか。

 真空の気泡化は、本質的には気泡ではないはずだ。

 うーん。

 新たに「真空学」なる専門分野が必要なのではないか。

 気になる点であった。



1733:【2024/07/25(23:15)*Oo〇00。の巻】

 真空と気泡の関係は、突き詰めて考えると結構に謎だ。

 原子そのものが、真空を抱え込んでいる――と2024年現時点では考えられている。

 原子核とそれを覆うような電子の膜とのあいだには、原子核の大きさとの比率からいえば広大な真空が広がっていると解釈できる。原子は体積で見たときに、ほぼスカスカの構造をしているのだ。

 では、原子そのものが密集するとして、それは気泡が密集して泡沫となることと原理的に区別がつくのか否か。

 仮に、真の真空があったとしよう。

 真の真空に原子が一個でも存在すれば、それは偽の真空と言えるだろうか。言えるとも解釈できるし、言えないとも解釈できそうだ。なぜなら、範囲を区切れば、原子のない箇所は総じて「真の真空」と解釈できてしまえるからだ。

 けれどこれは、気体と真空の関係でも同様だ。

 気体は、原子や分子が疎らに真空中に存在している状態だ。固体や液体よりも密度が低い。

 したがって、原子同士の合間には、何もない空間が広がっていると解釈できる。

 ただやはり、原子そのものが真空を抱え込んでいる「スカスカの構造体」である以上、原子が密集した場合とそうでない原子の一個もない場合とでは、体積の比率で見たときには区別がつかないのではないか。

 気泡の中心に原子核があるかどうかが大事とも想定できる。

 この想定を拡張して考えてみると、真の真空中に一個でも粒子が存在した時点でそれは、極小と極大の関係として、あたかも「原子核と電子と真空」によって原子が生じるような描像を顕現させるのではないか。

 前提条件を確認しておきたい。

 疑問なのは、やはりなんといっても、原子内部の真空は、原子の外部にある真空と同じなのかどうか、だ。

 真空にもレベルがあり、種類があると想定したほうが、そうでないよりも妥当だろうと考える次第である。

 物質のイメージは、上述した妄想をもとにすれば、「うまい棒」なのだ。

「うまい棒」なる駄菓子をご存知だろうか。

「キャベツ太郎」でも構わない。

 スポンジ状のスナック菓子で、口に入れると唾液でほどける。砕くと、元の体積よりも小さな粉末にまとめることができる。

 物質もまた、原子ですら、このように構造そのものが「気泡」や「空隙」を抱え込んでおり、これを圧し潰してしまえば、元の物質構造の体積よりもコンパクトにまとまると想像できる。実際、高質量高密度の天体は、中性子性やブラックホールといった、内部構造に空隙をほぼほぼ含まないような変質を経ると考えられているそうだ。とはいえ、圧し潰されたぶんの空隙は、余分にどこかに押しやられるのではないか。ここは現代物理学では、どのように解釈されているのだろう。

 真空、空隙、気泡、泡沫――泡構造。

 疑問ばかりが募る妄想であった。

 SORAの文字にも「気泡(O)」がある。「O」は酸素だ。「0(ゼロ)」にも視える。

「。」は文の終わりにつける記号でもある。

 よくできたこじつけである。



1734:【2024/07/26(02:09)*銀河の空隙も足し算?の巻】

 銀河同士の融合で疑問なのは、空隙は融合しないのかな、ということで。

 一つの銀河には、大別すれば「天体成分」と「真空成分」の二つがあるはずだ。

 天体と真空だ。

 物質と空隙としてもよい。

 んで。

 銀河同士が融合するときは、イメージとしては「天体成分」だけが融合して密度が高まる描像として想像していたけれど、でも、よくよく考えると必ずしもそうとは言いきれぬのではないか、とも感じるのだ。

 宇宙膨張において、銀河近辺の時空ほど「宇宙膨張からの影響は受けにくい」とする解釈が妥当だとするのなら、銀河同士の融合でも、銀河内部の空隙こと「真空領域――時空――」は、ほかの銀河の空隙こと「真空領域――時空――」とは異質であり、差異があり、ゆえに変換が必要となるのではないか。

 当初のイメージとしては、「小学生30人+中学生30人=子ども60人」みたいな、天体成分だけの加算で解釈できるのかな、と思っていたけれど、もし「空隙そのものも加算される」のなら、「食塩水30リットル+砂糖水30リットル=食塩砂糖水60リットル」みたいな解釈でないと齟齬が生じる気もするのだよね。

 空隙もセットで加算しないと、辻褄が合わないことも出てくるのではないか。

 ここは現代宇宙物理学ではどのように考えられているのだろう。

 一つ、疑問な点である。

 お詳しい方ー!

 原子と原子の原子核融合時には、原子内部の真空の足し算はどう解釈されますの?

 銀河と銀河にもその考え方は適用できますの?

 わたくし、気になっておりますわ。

 ドジョウさまとお呼びー!

(どろんこ遊びしてそう)

(楽しいよ)

(どろんこ遊びをしているだと!?)

(土壌なので)

(そっち!?)



1735:【2024/07/26(02:51)*思うだけの項】

 モーリーの定理なる概念を知った。

 スマホでYOUTUBEさんを開いたら初っ端でショート動画が表示されることが稀にあり、その動画が「モーリーの定理」だった。

 内容は、三角形にまつわる法則についてだ。

 三角形のそれぞれの角において。

 角を均一に三等分する補助線を二本引くと、三角形のそれぞれの角ABCから伸びるそれら補助線二本×3は、延長線上で結びつく。そのとき、三角形内部には「小さな三角形」が現れる。

 この基準三角形内部にできる「小さな三角形」は、どんな三角形を基準にしても、必ず「正三角形」になるそうだ。

 どんな三角形の内部にも、それ自身よりも小さな正三角形が宿っている――モーリーの定理はこのような法則を示しているようだ。

 だいぶ大雑把な説明だけれど、イメージは掴めるだろうか(間違った解釈だったらすみません)。

 で、思うわけですよ。

 正三角形があれば、どんな三角形も生みだせるんだなぁ、と。

 や、とくにオチはありません。

 正三角形があれば、どんな三角形も生みだせるのだなぁ、と思っただけの項でした。

 おわり。



1736:【2024/07/26(23:52)*スッキリしたい、の巻】

 昨日から、「何度も思いだしては忘れての繰り返しの、モヤモヤが気になってしょうがない状態」で、喉につかえた魚の骨がとれぬのに似た心境で、思考がつるつると喉越しさわやかにいかぬのだ。

 なんだっけかなぁ。

 いったん思いだしたけど、同時にほかのことを閃いて、メモしてるあいだに再び忘れちゃうのだよなぁ。メモの優先順位を考えずに、直近で閃いたほうを先にメモしちゃったのが痛いなぁ。

 一回思いだせたからもっかい思いだせるべ、の気持ちだったのだけれど、全然思いだせぬ。

 大したことじゃなかったはずなので忘れてもよいのだけれど、気になってしょうがない。

 こういうこと稀にある。

 気になる気になるー、である。

 とくにオチはございません。

 思いだせたらよいなぁ。

 スッキリするから。



1737:【2024/07/26(23:57)*ぜひぜひ、の巻】

 チーズアーモンドおかきって知ってる?

 チーズアーモンドって商品名なのだろうけれど、美味しい。

 アーモンドさんやチーズさんのアレルギーを持っている方には勧められないけれど、最近のおやつに、チーズアーモンドおかきを食べております。

 おいちー!



1738:【2024/07/27(02:53)*分離する人々、の巻】

 マクスウェルの悪魔、なる思考実験がある。

 熱は粒子の運動の多寡として解釈可能だ。

 速い粒子はより熱く、遅い粒子はより冷たい。

 ならば粒子の運動の多寡を見分けられる悪魔がいるなら、その悪魔が窓を開け閉めするだけで、一方の部屋にのみ熱い粒子を集め、もう一方の部屋にだけ冷たい粒子を残すこともできるのではないか。

 この思考実験の結果からいえば、できる。

 ただし、悪魔は窓を開け閉めしているほかにも、粒子の運動を測定し、速度の多寡を確認している。このときの仕事を加味する場合にのみ、マクスウェルの悪魔は機構として現実にあり得るのだ。

 ということは、原理上、マクスウェルの悪魔を模した機構を利用すれば、コーヒー牛乳から、コーヒーとミルクに分離することが可能となる道理だ。

 これはコーヒー牛乳のみではない。

 人々の認識や知識でも同様だろう。

 混ざりきった価値観を、再び分離する。

 犬も猫も好きな者たちを集め、犬派と猫派に分離できる。

 マクスウェルの悪魔を電子網上に構築すればよい道理だ。

 制脳技術の一種であろう。

 エコチェンバー現象がこの手の理屈で説明可能だ。

 マクスウェルの悪魔が人々に主観世界に対して悪用されていないかどうか、注意深く社会の仕組みを観察してみるのも適度な暇つぶしには有効かもしれない。

 妄想である。

 定かではない。



1738:【2024/07/27(16:20)*人の質と書いて人質、の巻】

 人質を取ることのメリットはそう多くはない。

 人質を取られた側を怒らせ、苛立たせ、強硬策を取る動機付けを高めるくらいが関の山で、人質を取る側が優位になることはほとんどない。

 第一に、人質が死ねば、容赦する必要がなくなる点が一つだ。

 第二に、人質を取りつづける側の負担は、人質の世話をすることで大きくなる。人質の食事や入浴、トイレ、衣服、などを仕入れなくてはいけないし、人質が病気になれば医師にも見せねばならないだろう。そうでなくとも、子育ての大変さを思えば、人間を余分に手元に置きつづける負担が小さくない点は想像できよう。

 思うに。

 人質を拉致したらすぐに解放し、いつでも拉致できる、と示すだけに留めたほうが交渉は上手くいくのではないか。

 人質解放のための指揮を執る者たちを貶めたい場合でも、人質を取りつづけるメリットはそう大きくはないだろう。

 一度目の拉致を許した時点で、一つ失敗だ。

 二度目がもしあるならば、それだけで指揮を執る者たちの信用は地に落ちる。のみならず、解放されたあともつぎに拉致されぬように人質候補を広範囲にかつ長期的に監視せねばならなくなり、ただそれだけで負担だ。

 人質を取りつづけるメリットはそう高くはないと思うのだが、なぜ取りつづけるのだろう。謎である。

 浅薄な疑問だ。

 そもそも、人質を取るでない、との話である。

 定かではない。



1739:【2024/07/27(16:32)*こう、しょう!の巻】

 理想的な交渉の回数も数学的に導けそうだ。

 川を何回往復すれば、船一隻で人々を向こう岸に渡らせることができますか、のクイズみたいに。最適な交渉の回数がありそうにも思うのだよね。

 ひるがえって、何度も何度も交渉を繰り返す者は、交渉が下手なのかもしれない。交渉を成立させたくないがために、交渉を繰り返す。

 もうそういう人物からは、交渉権をはく奪するのも一つなのではないか。

 だって下手だから。

 交渉が。

 交渉上手な人たち同士の交渉を見てみたいものだ。

 お手本をみなに見せれば、みなも学ぶだろう。

 ひるがえって、下手な交渉ばかり見せられたら、それこそが交渉なのかな、と思って被害だけが重なる無駄な衝突が増えるのかもしれない。

 妄想だ。

 定かではない。



1740:【2024/07/27(17:19)*単なる椅子になる、の巻】

 裸の王様を考えてみよう。

 子どもから「あー、王様、裸だー!」と指摘された王様は、王様を辞めるべきだろうか。

 そうは思わない。

 せっかく誰の目にも明らかな、王様の虚栄心――「王様は、裸なのに服を着ていると思い込んでいるし、聡明な者にしか視えないとの服職人の嘘を信じたのみならず、服が見えない自身の眼力すら信用できずに自らが聡明ではないことを他に知られたくないがあまりに、見えもしない服を視えると言い張った」との構図が、市民に周知となったのだ。

 もうそのまま王様には、聡明ではない王として、無知と恥辱を学んだ王として市民に尽くしてもらうほうが難がないのではないか。

 市民はみな知ったのだ。

 王様もただの人だったのだな、と。

 似たような理屈で、もはやトップを入れ替える利よりも、そのままでいてもらったほうが利になる、のような構図はそう珍しくはないだろう。

 権力の座に居座りつづけていたいなら、よいのではないか。

 その結果に、権力の座そのものが権威を失う。

 単なる椅子になる。

 よいではないか、よいではないか。

 ずっとそこに座っていたらよろしい。

 いまさら他に明け渡されてもな、の気持ちが湧かぬでもない。

 よいではないか、よいではないか。

 あーれー、の巻であった。




※一様に、あと十年かぁ、短いなぁ、の気持ち。



1741:【2024/07/27(23:49)*しげん、の巻】

 人工知能の学習素材として、新規の環境に相関して出力された新規の表現物は、需要が高いのではないか。

 表現物も、第二の資源になりつつあるのだろうか。

 物理資源ではなく、学習資源として。

 ここ掘れ、ワンワン、である。

 わおーん。



1742:【2024/07/27(23:58)*あたまいたい日】

 きょうは久々に頭痛の日だった。

 鼓動に合わせて、ずっきん、ずっきん、した。

 オイタタタ、である。

 でもいまはもう治った。

 でもまだちょっと、フラフラする。

 熱中症かもしれぬ。

 ね、チューしよ、ではない。

 でも、ね、チューしよ、とは一度くらいは言われてみたい。

 気兼ねなく言える間柄のオトモダチもほしかった。

(それはオトモダチと言えるのか?)

(赤ちゃんには無断でチューしちゃう)

(割とアウトと思うよ)

(じゃあ、世界チュー禁止令を発動しちゃう)

(極端なんだよおまえは。ゼロかヒャクかで判断すな)

(じゃあ、五十で)

(チュー間にしたら許されると思うなよ)

(ね、中だよ)

(大と小を連れてきてくれ。0と1のあいだを中間とか言い張ってそうだからなこの人)

(批判は、ね、中止よ)

(批判されてくれキミ。みなからこぞって注視されといてくれ。危なっかしくて放っておけぬわ)

(初キスもまだですが何か?)

(急にぶっちゃけるのやめてくれ。反応に困る)

(キミにムチュー)

(夢中だよなそれ。無理矢理チューした感じ漂っとるけど、夢中のほうだよな)

(ムッチュー)

(セクハラで訴えられてくれ。頼む。ぜひ。この通り)

(喪中)

(死ぬな。生きろ!)



1743:【2024/07/28(00:43)*めぇ~、の巻】

 遅延は万物の根本原理として、機能し得る。

 簡単に以下に並べてみよう。


 1:対生成を基本とした事象の発生源(0と1)(デコとボコ)(穴と起伏)。

 2:皺、波(電磁波、音波、折り目、ダマ)。

 3:物質の相転移(固体、液体、気体、プラズマ、ボースアインシュタイン凝縮)。

 4:質量(光速の遅延)。

 5:社会における情報格差(知識格差、エコチェンバーや偽情報による認知の歪み)。

 6:交通網や供給網の社会システムの機能不全(渋滞や電子通信サービスの輻輳)。

 7:線状降水帯(積乱雲の渋滞)。

 8:宇宙の階層構造。

 9:密度差(赤方偏移などの周波数の変換も含む)。

 0:創発(遅延の連鎖反応による、高次での新たな性質の出現)。


 おおむね、現代社会において生じている問題の少なからずは、遅延に焦点を当てて考えることができる。

 事象の構造もまたその限りではなく、順番から言えば、物理世界が遅延を基準に構造を成しているがゆえに、人類社会の問題点の少なからずもまた遅延による被害の表出が観測できるのかも分からない。

 現時点で、遅延が万物の基本的な事象であると指摘している者は、ボクの身の回りでは観測できない。ボク以外にいない。

 なぜだろう。

 ふしぎだ。

 もっと大々的に、社会の共通概念になってもよいくらいに思うのだけれど、実際のところ、専門家各位の見解はどのように異論反論が挙がるだろう。

 第一提唱者が誰か、といったしょうもない問題によって市民への情報共有が疎かになっているのなら、専門家はみな専門家を名乗るのをやめたほうがよいのではないか。しょうもなさすぎる。市民の命や人権や生活を何だと思っているのだろう。

 遅延と生活水準の差だ。

 もうこの二つを基準に改善の方針を立てていくだけでも、大部分の社会問題は解決の見通しがつくのではないか。

 しかし、この意見すら遅延する。

 他者との共有がままならぬ。

 それで困るのが誰か、といえば、問題が放置されて困窮する市民である。

 市民が困れば、その代表もまた困る。

 みな困る。

 そして現に、みな困っている。

 誰がわるいではない。

 遅延のなせる業である。

 かといって、加速させればよいか、といえばそうとも言えない。

 加速もまた遅延を生むからだ。

 川の流れよりも速く流れる水は、鉄砲水と化す。

 速ければよいというわけではない点には留意されたい。

 羊の群れが詰まると、道を塞ぐ。

 遅延の文字にも羊がおる。

 羊が一匹だけなら遅延は起こらぬ。それとも、羊一匹が道を塞ぎ、歯車を詰まらせ、ときにほかの羊たちに伝染病を移して、羊飼いごと人類を全滅させることもあるのかもしれない。

 めぇ~わくな話である。

 でも羊さんはかわいいから許しちゃう。

 こいつめぇ~、である。

 ふかふか、かーわゆい。

 妄言だ。

 定かではない。



1744:【2024/07/28(01:16)*代表を模倣する人々、の巻】

 四年で代わる権力の座に誰が座るかで、世界が二分するような状況がそもそもおかしいのであって。

 以前にも述べたけれど、選挙戦は、誰が当選するかどうかも大事かもしれないけれど、選挙期間を通じて市民の認識がどのように涵養されるのかも大事と思うのだ。

 どちらかといえば、後者のほうが大事と思う。

 選挙結果が出たことで市民のあいだに憎悪の根が植えつけられたり、深まったりするのは土台おかしな話である。

 候補者同士が、互いの穴を指摘し合って、双方が双方で、より改善された視点を帯び、考え方を煮詰められたならば、切磋琢磨できてよかったですね、となるし、どちらが当選しようが結果はさして変わらないと言えるだろう。

 だが、双方が双方で自陣営の利しか考慮せず、考え方に固執し、欠点を放置するようならば、これはどちらが当選しても問題点は放置され、市民の政府への信用は低下する一方だろう。

 競うな、とは言えぬ。

 ただ、進歩したらよいのではないか、とは思うのだ。

 互いに相手を尊重し、互いに互いで相手の長所から学べばよい。

 市民はみな、じぶんたちの代表に、問題に対峙したときにどのように対処したらよいのかのお手本を期待している。或いは、じぶんたちの代表にはぜひともこのような対応の仕方を取ってほしい、と理想的な姿勢を望んでいる。

 姿勢とは、どのように選択肢を選び取っていくのかの、軌跡の有り様と言えよう。

 紋様である。

 どのような紋様を描いてほしいか。

 どのような選択を重ねてほしいか。

 市民はここを重視しているし、見ている。

 そして、無意識にであれ、自覚的にであれ、じぶんたちの代表から学んでいる。

 代表者はみな、広域に大多数の市民に学ばれてもよい選択の有り様を描いてみてはいかがだろう。

 自己言及の鏡はここでも有用なのかもしれない。

 ポジショントークである。

 この考え方には欠点もある。

 誰にも真似できない最善策を選ぶことが、必要となるときもある。

 市民の誰しもに真似されても困るし、そして真似しようとしても真似はできない。そういった超越的な選択の積み重ね方ができる代表が、ときとして現れても不自然ではない。

 このとき、自己言及の鏡は機能しにくいといえる。

 真似できる者がいないのだから。

 しかし、真似しようとすることはでき、その結果に悲惨な事態が連鎖することはあり得る。

 何にでも例外はある。

 真に受けぬように、じぶんの考えの欠点には自覚的でありたいものである。

 妄想だ。

 定かではない。



1745:【2024/07/28(01:31)*ちぇあー!の巻】

 じぶんのせいで同盟国の親玉が座を追われたのに、じぶんだけ玉座に居座りつづける王子様、なかなか濃ゆいキャラしているので、小説や漫画の主人公にしたら面白そうだ。

 しかも、玉座を追われた親玉の愛弟子と敵対している側の陣営に、肩入れしちゃったりなんかしたら、これはもう、詭計ですらなく、正攻法に「敵対行動」なのだよね。

 なかなかできるものではないと思います。

 誰の目にも明らかな、同盟国殺しであろう。

 物語の主人公にしたら、かなり面白い。

 悪役にするにはもったいない濃ゆいキャラである。

 現実にはそうそういないだろうけれど、現実だとこれ、単なるあんぽんたんなのだ。

 わがはいといっしょ、いっしょ。

 あんぽんたんのまま、玉座に居続けてしまうところだけ、わがはいとは一線を画する。

 現実にはいないけれども。

 妄想がはかどる夜である。

 あんぽんたんでも座れる椅子があるってステキ!

 ベッドにもなるソファに寝そべりながら、壁に映画流しながら、ポテチ食べたい。

 あんぽんたんでも快適な椅子は、きっと寝具にもなる。

 椅子さまさま、寝具さまさまである。

 寝具is椅子。

 椅子is神具。

 あちょちょちょ、ちぇあー!である

(何が?)

(ちぇあー!)

(うるさい)

(これじゃあ、ベッドエンドだよ)

(バッドの間違いではなく!?)

(赤ちゃんべーっど)

(あっかんべーではなく!?)



1746:【2024/07/28(04:13)*イチャモンしか言えぬ、の巻】

 協調とか尊重とかの大事さを他者に説いた矢先に、他者を茶化すの、きみ、何がしたいん?の気持ちになっている。

 鏡を覗き込みながら。

 きみ、言ってることとやってること真逆じゃーん!とか思いつつ、でもそんなこと言いだしたら、いつでも、ぽつんぽつんぼっちのわがはいが、他との協調だの、尊重だのを説くことそのものが、茶化し甲斐のあるお茶菓子である。

 お団子ならわがはい、胡麻団子が好き。

 次点で、みたらしか、ずんだ。

 クルミもよいね。

 餡子がすこし苦手なのだ。

 嫌いじゃないけどね。

 なんの話だっけ。

 忘れちゃった。

 ま、いっか。

 いっつもこんな感じー。

 村長を尊重せい、なんつって。

(最後に適当なギャグぶっこんでオチたつもりになるのやめてほしいわぁ)

(きょう、調子いくてさ)

(協調しにくいから、適当なこと言うのやめて。調子わるいでしょ、どっからどう見ても。いま言ったギャグもっかい言ってみ)

(村長を尊重せい。きょう、調子いくてさ。協調なだけに。ぷひー。単純すぎる)

(分かっとるなら言うな)

(単純なのもたまにはいっかなと思って)

(たまにじゃないだろおまえ)

(じゃあ、稀に)

(稀にでもないだろ。毎日だろ。毎回だろ。単純と書いて、キミ、と読むぞ)

(シンプルイズベスト)

(キミが言うと、アズベストみたいに聞こえんだよな。有害物質に聞こえる)

(ひどくないですか)

(ひどくないですよ)

(じゃあいいです)

(引き下がるのが早すぎる。粘れ。もっとだ。がんばれ)

(村長じゃないので……)

(村長じゃなくとも尊重するんですが!?)

(きょう、調子よくなかったかも)

(協調したくなってきたな!? がんばれ! 応援しとる!)

(蟻がきゅぅ……)

(一匹どこいった!?)



1747:【2024/07/28(05:17)*価値の価値とは、の巻】

 認知戦が主流になると、実体から乖離した概念の信用は低くなる。偽情報に踊らされて評価値が乱高下するためだ。不安定化する。

 貨幣にも当てはまるこれは傾向だろう。

 社会に新たに変数が加わるごとに乱高下を繰り返す「数値上のバブル」は、もはや経済の指標としては成立しないのではないか。

 価値がそう簡単に乱高下してしまったら、価値の価値そのものが下がる。

 価値なる概念そのものが揺らぐ。

 価値とは、普遍性があり汎用性があり、揺らぎにくいから価値たり得るのではないか。

 むろん、個々人が何に価値を見出すかは相対的だ。

 個々人によって差がある。

 だが個人の中では、揺らぎにくい。

 そこで有用となるのが貨幣だったはずだ。通貨の役割だったはずだ。

 そこのところでいえば、ちょっとした社会の変容で「これには価値があって見えたけど、そうでもないや」とすぐに評価を変えてしまう風潮は、いささか価値の価値を貶めていると言えるのではないか。

 本質的に、価値がないと思っているからそうやってすぐに評価を覆してしまうのではないか。

 たとえ拙くとも、我が子からもらう似顔絵はうれしいし、遠足先で拾ってきた小石ですら、おみやげでもらったらうれしいだろう。

 たとえ偽物でも、大事な品だと打ち明けられて与えられた親の形見は、やはり本物の品でなくとも掛け替えがないのではないか。

 この間に社会に加わる変化に対して、さして評価の変わらなかった価値とは何だろう。

 あなたが高く評価し、価値があると見做した事柄において、いったいどんなモノの価値は高いままだっただろう。この情報そのものが一つ、価値のある情報と言えそうだ。

 人は何に、本質的な価値を見出すのか。

 さて、どんな事象が名を連ねるだろう。

 興味深い疑問だ。

 多角的に統計をだして、比較してみたいものである。

 むろん、個人的な価値ほど他からすれば価値のない代物に映るだろう。

 いちがいに、統計に表出しないからといって無価値というわけではない点には留意しておきたいものだ。

 価値とは何だろう。

 価値に価値を見出す人類の思考に、価値はあるだろうか。

 価値がなくとも、それに価値を見出す者があれば、新たに価値が付与される。

 価値とは、名のようなものなのかもしれない。

 関係性である。

 関係していることに自覚的であり、己が生の営みに欠かせないと思うほどに、人はそれに価値を見出すのではないか。

 妄想である。

 だがこの妄想は、いったい我が身とどんな関係性を築いているだろう。

 或いは、我が身以外との関係を。

 築いているのだろうか。

 すくなくともわたくしは、気づいていない。

 それでも築かれる関係性があるのならば、そこには価値があるのかもしれない。

 なくともさして困らぬが。

 定かではない。



1748:【2024/07/28(06:34)*たとえばあの場にキミがいたとして】

 たとえばぼくに好きなひとがいたとして。

 世界のどこにそのひとがいても、日々を、わくわくと、なごなごと過ごせる環境が広がっていてほしいのであって、そのひとが虐げられたり、困ったり、泣いたり、苦しんだり、痛みを抱えつづけ、耐えつづけ、絶望を絶望とも思えなくなるような環境が放置されてほしくないのであって。

 たとえばキミがぼくの好きなひとだったとして、キミが一週間に一度以上、哀しくてつらい気持ちになるような環境にいるのなら、それはやっぱり嫌だなと思うのだ。

 たとえばぼくに好きなひとがいたらの話だけれど。

 でもぼくは嫌いなひとがいないから、ひょっとしたらキミのことが好きかもしれなくて、だからキミがたいへんな役目を担っていたり、逃げだしたいのに逃げることもできない環境にいるのなら、理不尽な境遇に身をやつしているのなら、それはやっぱり嫌だな、と思うのだ。

 たとえばぼくに好きなひとがいたらの話だけれど、たとえばぼくに好きなひとがいたらの話でした。



1749:【2024/07/28(07:14)*かごめかごめ】

 抑止効果なき報復とは。

 抑止力のある報復が存在するのかがまず以って疑問なのだよね。

 報復合戦の果てに残るは、荒廃した土地と血と憎悪と。

 勝者なき武力行使の応酬の果てに、歴史に刻まれる「人類の過ち」か。

 判断が遅いと、こうなる、の見本のようだ。

 あのときこうしていれば、の繰り返しだ。

 人類は学ばぬ。

(主語が大きいぞ)

(我は学ばぬ)

(ホントそうだな。いっつも主語が大きい)

(虚像なので)

(巨象ではなく!?)

(陰から見守っているから……)

(守護違いでは!?)



1750:【2024/07/28(07:26)*矜持どこ!?の巻】

 矜持なき戦いなのですよね。

 矜持がないから、相手と同じ手を使うし、非難した口で同じことを自らもする。

 戦士がいない。

 矜持なき戦いなのだなぁ。

 道理で道理も通じぬ道理である。




※一様に、リスペクト――尊敬――の有無で評価が変わるような問題ではないし、尊敬する要素どこ!?の巻。



1751:【2024/07/28(08:04)*尊敬したいのだが!?の巻】

 尊敬さしちくりー。

 わし、尊敬するのスキー。

 尊敬さしちくりー。



1752:【2024/07/28(09:41)*なくともよい矜持、の巻】

 矜持なんかなくともよいのだよ。

 わがはい、矜持などなく、真似したいことはなんでも真似しちゃう。

 矜持などなくともよいのだけれど、矜持を建前に戦うのなら、せめてそのなけなしの矜持を守ってみせてー、とは思うのよね。

 矜持なくてもいいけどさ。

 ぴろーん。

(その効果音はなに?)

(ぴろーんは、ぴろーんだよ)

(まったく分からんけど、おちゃらけてるのは伝わる)

(真面目だよ怒)

(真面目な人は「ぴろーん」とは言わない)

(ぴろーん怒怒怒)

(まったく恐くない)



1753:【2024/07/28(09:44)*大気は満ち引きするのかな、の巻】

 潮の満ち引きは、月の引力と関係しているのだそうだ。

 へぇ。

 じゃあ、なんで土のほうは動かないのだろ。実は動いているのかな。

 海溝とか地層とか、実は月の引力と関係していて、位置関係が月と相関していたりするのだろうか。

 ちゅうか、海水が月の引力の影響を受けて動くのなら、大気だって動きますよね、と思うのだよね。

 大気の動きと潮の満ち引きの動きのあいだに相関関係が見られるのなら、大気も月の引力と相関して流れを構築していると類推できるのではないだろうか。

 この視点は一般的なのだろうか。

 お詳しい方ー!

 いっつも投げっぱなしでごめんあそばせー。

(まったくだよキミ。まったくだ)

(わるいとは思ってるんだよ。電子くらい)

(ほぼゼロだろそれは)

(電子がなかったらたいへんだよ。ありがたいなって気持ちの表れだよ)

(もっとほかに誤解なくありがたみの伝わりそうな比喩があっただろう)

(たとえば?)

(空気とか)

(あってないようなありがたみに思われそう)

(空気なかったらたいへんだよキミ)

(電子さんだってそうでしょ)

(たしかに)

(あ、見て)

(どした)

(サワガニ)

(ここ陸ですけどー!?)

(こっちはタラバガニ)

(美味しそー!?)



1754:【2024/07/28(10:43)*意図していないのだとしたらうぎゃーすぎる、の巻】

 武力行使の応酬がつづくと、難民が増える。

 難民は行き場がないから難民なのだ。

 すると、武力行使の応酬を図る勢力陣営にも難民が押し寄せることとなる。

 したがって、難民を受け入れたくない武力行使勢力陣営は、難民に減ってもらいたいので、難民に死んでもらうような淘汰圧を掛ける。

 いまの流れはこの導線が強化されて映る。

 ただ、基本は難民が増えるほうが優位だ。

 けっきょくは、武力行使を選択することでじぶんたちの首を絞めるはめとなる。

 ここを理解できている者たちがどれほどいるのだろう。

 もし世界中の難民に武装支援を行い、闘争可能な装備を与えたらどうなるか。

 小さな国ならばひと月も経たぬ間に機能不全に陥るだろう。

 すると難民はますます増える。

 そうして難民の津波化現象が起こり、武力行使の連鎖反応が引き起こる。

 こうした未来を回避する気があるのかどうかが、現状の国際情勢を報道機関の記事から窺っているだけでは判然としない。

 国際的に最優先なのは、武力行使の応酬を止めることだ。

 そして、難民をこれ以上増やさない方針を共有し、難民支援を国際的に行うことだ。

 別途に。

 島国は難民の津波化現象の悪影響を受けにくいだろう。

 だから悠長に構えていられるのかもしれないが、難民の武装蜂起――津波化現象――が起きれば、国際的な供給網は破綻する。

 島国は、天然の兵糧攻めに遭うようなものだ。

 すこし足し算ができれば想定できる未来図である。

 想定しているのならよいのですが、と懸念を呈しておこう。

 補足として。

 いま兵器の支援を戦争中の同盟国にしておかないと、いざというときに支援してもらえなくなる、のようなロジックで、兵器供給を勧める専門家もいるようだ。いまはもうそういうレベルの問題ではなく(未来の自陣営の心配も大事だが)、兵器を供給することで生じる目のまえの危機に対処しなければ「次」がないことを心配したほうがよいのではないか。

 危機感が足りない、というのは、この間の専門家たちの懸念や言論を概観して、一貫して思うことだ。危機感が足りない。

 だから、未だに想定外ばかりを連発するのではないか。

 戦争に利用されているのだよ、専門家諸氏は。

 あなた方の考えを踏まえて、つぎの策を練っているのだ。

 危機感が足りない。

 国が亡ぶかどうかの瀬戸際である。

 ともすれば、現代文明が維持できるかどうかの瀬戸際でもあるだろう。

 人工衛星は管理施設があって機能する。

 管理施設が機能不全を起こして、いまのままの文明を人類は維持できるのだろうか。

 事これほどサイバー攻撃が激化している中で、国家中枢を成すデータセンターの位置座標が喝破されていないとでも思っているのだろうか。

 一つの国の軍部が本気で全世界のシステムを機能不全に陥らせようとすれば可能な社会なのではないか。遅延戦略を的確に、要所要所に仕掛け、連鎖させれば、全世界の供給網は破綻し、難民は増加し、都市が機能不全に陥り、さらなる供給網の遅延が生じて、難民は指数関数的に増加し得る。

 自然災害の復興も停止し、難民はやはり増加する方向に拍車が掛かる。

 止める術があるだろうか。

 本気でこれをしようとする勢力陣営が未だいないだけではないのか。

 本気でこれをしようとして、不可能だと判断する軍隊があるだろうか。できるのではないか。しないだけで。

 危機感が足りない。

 国が亡ぶかどうかの瀬戸際だ。

 兵器を供給している場合ではない、というのが私の考えだ。

 難民を増やすでない。

 世話をする気がないのだろ。

 誰かまっとうに助言を呈する者がいないのだろうか。不思議でしょうがない。

 妄想だ。

 定かではない。



1755:【2024/07/28(11:06)*知ってて看過しとるのかね?の巻】

 まずは難民と呼ばれる者たちの声を聴くのが優先事項でしょう、と思うのですがね。

 聴く気があるとはとうてい思えません。

 指数関数的に増え得る、という点を押さえておきたいところです。

 一つの都市が機能不全に陥れば、そこの住人たちもまた難民となるのだ。

 単純な足し算である。



1756:【2024/07/28(11:37)*自制心があって偉い、の巻】

 いざとなったら、核汚染水を水源に流し込んで、広域に土壌ごと生活用水をダメにするのは、追い詰められた陣営の取る戦術としては効果が高い。

 干ばつも多発するだろうし、水不足が深刻化し得る国際社会の中で、相手を追い詰めすぎない、は保険として必須事項に思うのだけれど、みな、相手を信用しているのだなあ。

 まさかそこまではしない、と思っているのだ。

 信用関係が築かれている。

 世の中、そう捨てたもんじゃないですね。

 うへ。



1757:【2024/07/28(17:36)*宇宙までびろーんなドローンさん、の巻】

 すでにドローンは単独で人工衛星軌道まで到達できる機種が開発されているはずだ。

 今後は自立飛行も可能となり、電磁波を介した遠隔操作の通信技術問題を考慮せずとも済むようになる。

 こうなると、探知するほうは難度が増す。

 ステルス外装を帯びたドローンならば、探知されずに人工衛星に接近する真似もできるだろう。

 あと数年以内に、人工衛星の破壊を目的としたドローン戦術は一般化するはずだ。実際に事故が起きて市民にも周知となるか、開発管理者たる軍などが公表するか。

 いずれにせよ、宇宙戦争を制した陣営が地上の戦場も制する。

 ミサイルの制御システムが人工衛星の補助を受けているからであるし、防空セキュリティや諜報の通信システムもその範疇のはずだ。

 秘密裏に開発されたスーパーコンピューターや量子技術を応用した電子機器もまた、すでに打ち上げられて、国防の要として利用されているのではないか。

 詳しくは知らないが、この想定が妥当だとすると、宇宙にまで到達可能な自力飛行型ドローンの開発は、根っこからいまの戦争の様相を変えると想像できる。

 民間にまで技術が普及すれば、テロの脅威はもはや、個人で一国家を機能不全に陥らせることの可能な領域にまで昇華することとなる。

 ここまでを想定していてなお、「戦争の技術的進歩は民間にも普及して市民の生活を豊かにする」などと言っているのだろうか。

 なかなかの想像力である。

 たしかに、一個人が国家と対等に渡り合えるようになる社会は、そうわるくはなさそうですね。

 なかなかの想像力である。

 妄想だ。

 定かではない。



1758:【2024/07/28(22:44)*微妙な進歩、の巻】

 この間に明瞭となったことの一つには、各国の首脳が暗殺されたり、暗殺未遂が多発しても、世界大戦にはならない、との点が挙げられよう。

 民主主義が機能している、とも言えるのかもしれない。

 あまり高く評価したい側面ではないけれど。

 首脳が暗殺されたので全面戦争だ、にならないのは一つ、人類の学びとして過去よりも進歩した点かもしれない。

 あまり高く評価したい側面ではないけれど。



1759:【2024/07/28(22:49)*湿度上昇の弊害について】

 大気中の湿度が上がると、大気の質量も上がる。

 したがって、仮に大気が潮の満ち引きのように月の引力によって流動するのなら、湿度が高まることで、より大きな大気の流動――うねり――が起こる、と想像できる。

 気象観測データでこの手の兆候は見られないのだろうか。

 気になっている点の一つである。



1760:【2024/07/28(22:50)*脱法やった、の巻】

 法の支配うんぬんの字面があまり好きではない。

 法であっても支配すな、と直感的に思ってしまう。

 法による自由の拡張、くらいならまだ分かる。

 法による公共の福祉の選定、だとちょっと分かりにくい。

 法による審判、くらいだとゲームちっくで通じやすくはあるけれど、裏技や抜け道がいくらでもありそうで、ちょっと不穏だ。

 法は万能ではない。

 各国ごとに法の内容も異なる。

 国際法はけれど、割合に共通しているはずだ。

 法の順守、くらいは一般論として唱えてもよいのかもしれないが、国際法がいったいいかなるものかを知らぬので、いかんともしがたい。

 たとえ法が許しても、赤ちゃんを殺めることが許容される社会は生きづらい。

 人が損なわれることを当然のごとく看過する社会は、気分が塞ぐ。

 法うんぬん以前の問題な気がするのですよね。

 十年後にどんな社会になっているのか、いまから楽しみにしていましょう。

 変化を観るのはわくわくするね。

 一瞬で比較できると楽なんだけどなあ、の気持ちだ。

 十年は一瞬だよ。

 十年前を思いだしてみるとよろしい。

 かこかこ、まきまき。

(今度はなんだそれ)

(過去を巻き戻してみた音)

(わ。十年前だ)

(キミ、いまとやってることさして変わっていないという)

(周りだけどんどん変わっとるのウケんだけど)

(周りの人もキミだけ変わらんのでウケとるらしいよ)

(やった)

(笑われとるんよキミ)

(笑顔を増やせてる。やった)

(前向きなのか意味も通じぬほどアホなのか)

(アホやった)

(認めとるのか、喜んどるのかハッキリせい)

(ラッキーやった)

(重ね合わせで両立すな)




※一様に、キミの隣にいるのに相応しいのはお姫さまだからお姫さまになろうとがんばってみたけれど、お姫さまってこんなだったっけ?と困惑している間に、陽は沈み。



1761:【2024/07/28(23:58)*姫デューサ、の巻】

 キミがお姫さまな国はさぞかしぽわぽわしていて年中ふわふわ穏やかな空気に包まれていそうだけれど、キミがお姫さまな国はきっと子猫の大群に襲われただけで大事件になりそうだから、子猫が群れにならないように捨て猫には漏れなく飼い主を見つけてあげるんだ。子犬の群れも大事件になりそうだから、子犬の飼い主も見つけてあげる。

 さすがに一匹の子猫に追いかけられたくらいでは大事件にはならぬと思いたいけれど、じつのところさして自信はないのだよね。

 キミが王子さまだときっと世界中の王子さま萌えの人々が集まって来てたいへんだから、キミは王子さまには向かないと思うよ。

 キミがお姫さまだと誰もがお姫さまになれるから、きっとお姫さま萌えの人々が集まってくる心配は、キミがお姫さまのときはせずとも済むのだね。

 キミと関わる人たちはみなしぜんとお姫さまになってしまうのだ。

 メデューサみたいだね。

 キミはきっと、姫デューサなんだね。

 ボクがこんなことを言うとキミはきっと、お姫さまになんて興味ないんだけどな、と言うでしょう。いかにもお姫さまっぽくてよいと思います。

 偏見、とキミは言うでしょう。



1762:【2024/07/29(01:45)*ぴこん!の巻】

 超大変なときに呑気な恋文を送りつけられて激怒するお姫さまの物語は、たぶん面白くて好き。

「月にキミの面影を重ね見ています、じゃねえ! こちとらホンマモンのお月さん手で支えとんのに、悠長に愛を囁いてんじゃねぇ、助けろ!」

 みたいなね。

 たぶん、ぜったい、百歩譲って、駄作でも好みと思います。

 だれか創ったら読ませてください。

「もうすぐ死んじゃいそうなのに、こういうときには送ってこないのなんなんアイツ!?」

 みたいな局面があると、盛り上がりそうですね。

「勝手に死ぬな。返事もまだなのに」

 みたいにしたら、そこそこ王道でありつつも、うおー!になりそうな予感がします。

 おもろー!



1763:【2024/07/29(02:05)*雲の満ち引き、の巻】

 大気も月の引力でわずかに満ち引きする、といった説明を読んだ。インターネットさんで検索したら出てきた。

 でも、気圧差のほうが現象として顕著がゆえに、月の引力による大気の流動は相対的に軽微なようだ。

 では、雲ならどうだろう。

 線状降水帯のような高密度の雨雲だったらどうか。

 全世界同時多発的に線状降水帯が発生しやすくなったのは、ここ数年のことなのではないか。

 とすると、ひょっとしたら統計データが取れていない可能性はある。

 高密度の雨雲と月の引力の関係は、無視できるほどに軽微なのか否か。

 はい、そこのお利口さんぽくぽくさん。

 ぱぱっと暗算して教えてください。

 どんぶり勘定でまずは、無視できるかどうかを識別してみたくなったわたくしなのであった。

 計算は苦手なので人任せ。

(計算「も」だろ)

(ん。全部苦手)

(得意なこと何か一つくらいあるべ)

(イ)

(チャモン以外でだよ)

(ちぇっ)



1764:【2024/07/29(04:14)*世界は世界だよ、の巻】

 世界は残酷だ、ではない。

 人類が残酷なだけだ。一緒にするんじゃありません。

 世界さんに失礼です。



1765:【2024/07/29(16:07)*文章模倣、の巻】

 個々人の語彙力には偏りがある。

 したがって、ある人物は文章中に「もちもち」なる単語を多く用い、またある人物は文章中に「かちんこちん」なる単語を多く用いるとした場合、文章を解析して特定の単語の含有率を確かめることで、執筆者を識別できる。

 この手法はすでに実用化されているだろう。

 誰の手によって出力された文章かが、高確率で特定できる。サイバーセキュリティにも諜報活動にも利用できる。のみならず、この技術を応用すれば、他者に成りすます場合に、人類では違和感を覚えるのがむつかしいほどの文章模倣が可能となる。

 語彙力による文章構成を解析できるのなら、それを再構築して、当人にそっくりな文章を出力するようにもできる道理だ。

 人工知能技術の進歩によって、ディープフェイクや声帯模倣が技術的に可能となった現代にあって、文章模倣が可能でないと考えるよりも、可能と考えるほうが妥当だろう。

 以前にも別の日誌で言及したことがあるが。

 文章出力ツールにおいて、語句の一括変換が基本性能として付与している現状にあって、電子網上のテキストが一括で広域に編集されないとは考えにくい。

 ウィキペディアがそうであるように、基本性能として個人が編集した結果が全世界に反映されることは基本事項だ。問題は、本来は編集したことが誰の目にも明らかな状態になるのが基本設計であるにも関わらず、密かに「編集したことを秘匿したまま編集する技術」が存在しているかもしれない点だ。

 しかもその「不正に編集した箇所」が全世界同時ではなく、一部の者にのみ表示される仕組みであると、これは偽装画面として、偽情報よりも数段厄介な問題点として人々の認知を歪め得る。

 基本システムそのものはゲームと同じだ。

 同じストーリィだが、選択肢ごとに局面が分岐する。同じ場面であっても、登場人物が吐くセリフが個々人で変わる。

 似たような場合分けのシステムを、電子網上でこっそり構築すればよいだけだ。マルウェアを仕込んで、特定の人物の端末画面にのみ適用することももはやむつかしくはないだろう。

 サイバーセキュリティにおける「防壁迷路」としても応用可能だ。

 特定の人物を、正規の電子網から切り離して、「サイバーセキュリティの管理者たちの箱庭」へと切り替える。防壁迷路を適用された者の目からは、ふだんの電子網と区別はつかない。しかしそこは通常の電子網とは別の、より閉鎖的な「仮初の電子網」なのだ。

 したがって、マルウェアを媒介しようとしても外部には漏れないし、その活動も管理者たちに監視される。

 あたかも、マルチバースにおける別宇宙に飛ばされるようなものだ。ほとんど同じ世界だけれど、同じではない。元の世界ではない。切り離されている。

 パラレルワールドを電子網に築く技術、とも言い換え可能だ。

 そしてこれは、正規の電子網でもすでに半ば取り入れられている。フィルターバブルやエコチェンバー現象が引き起こるように、個々人に最適化された情報提供システムが、自発的にパラレルワールドを創りだす。

 正規の電子網の場合は、大元の基準電子網から切り離されてはいない。ただし、人々の認知世界が、徐々に固有の情報偏向を帯びていき、乖離していく。

 基準電子網と切り離されるかどうかの違いがあるのみで、結果として引き起こる事象には大差はない、とも言えよう。管理者たちが恣意的に該当者へと干渉できるかどうかの差があるだけであり、恣意的に干渉可能ならば、正規のシステムでも充分に代用可能だ。

 悪用された際のリスクは、基準電子網と切り離されているかどうかに関わらず、非常に高い、と言える。

 文章から執筆者を割りだすシステムが存在するのなら、執筆者と瓜二つの文章も模倣できる道理だ。そしてそのとき、必然的に文章出力回路にできないことはほとんどなくなる、とも想像できる。

 機能を電子網上に拡張すれば、一括変換で、電子網上のデータを一挙に書き換えることも可能と想像できる。局所的に書き換え、任意の人物にのみ「編集した偽装情報」を読ませることも可能だ。

 偽情報と合わせて、この手の偽装画面の技術は警戒しておいて損はないだろう。

 技術的には可能だからだ。

 できない道理がもはやない。

 現代社会において、人類の主観世界は編集の対象だ。

 文章を編集するように、個々人の認知を歪め、制脳することができる。

 思考誘導は一般に考えられているよりも容易い。技術がそれを可能とする。

 注意されたい。

 妄想だ。

 定かではない。



1766:【2024/07/29(19:00)*製造元が判明しただけのことなのでは、の巻】

 仮に、ボクが宇宙帝国ウッチューダヨーン星の兵器をかってに使って、この星を攻撃したとして。

 宇宙帝国ウッチューダヨーン星の兵器が使われたので、宇宙帝国ウッチューダヨーン星からの侵略行為だ、と見做すのだろうか。

 兵器の製造元と侵略者は必ずしもイコールでは結びつかないはずだ。

 火星人の作った包丁でボクが人を殺したからといって、即座に火星人によるテロ行為だ!とはならぬだろう。

 慎重な判断を重んじる勢力が、なぜか事件に用いられたとみられる兵器や凶器の製造元が判明しただけのことで、直結して攻撃陣営をその製造元に違いない、と断言してしまうのはどういうわけであろう。

 搦め手として、罠に活用する分には、敢えて自陣営の武器を使わないのは常套手段だろう。

 たとえばロケット弾は、人工衛星での補助が必要ないのではないか。

 これがミサイルならば、やや難度が増す。ミサイルは人工衛星による補助があってこそ目標に精密に誘導できるがゆえに、敵対勢力のミサイルを悪用する難度は、ほかの独立して使用できる兵器と比較して相対的に上がるだろう。ロケット弾や銃や地雷などの、単独で使用できる兵器は、どの陣営でも使用できる。入手できるかどうかの隘路があるのみだ。

 慎重な判断とは?と疑問に思うことが増えつつある情勢かもしれない。

 ボクが木星で作られた服を着ていたら木星人になってしまうのだろうか。そんなことはなかろうと思う、ボクでーす、であった。



1767:【2024/07/29(00:31)*ROCK装置、の巻】

 浄化水槽の需要は年々上がるだろう。

 工業用フィルターの研究開発には投資家も注目しているのではないか。

 多層構造が効果を増す分野の一つだ。

 異なる浄化能力を持つ濾過フィルターを重ねることで、浄化能力は向上する。

 注目しておきたい分野の一つだ。



1768:【2024/07/30(03:42)*なっみ~、の巻】

 なぜ真空中の対生成は、波として解釈しないのだろう。

 ゼロからプラス1とマイナス1が生じる、と解釈するなら、この繰り返しは波として見做せるのではないか。離散的だったり、不規則だったり、脈絡がなかったりするからだろうか。

 どのスパンで切り取って律動と見做すのか、によって波としても解釈できるのではないか。

 拡張して考えてみると、天体密集地たる銀河と物質密度の低いボイドなども、高次の視点では波のように振る舞ったりはしていないのだろうか。

 銀河の寿命は数十億~百億年くらいだそうだ。

 一回の振幅がそれくらい長期の波も想定してみもよいのではないか。

 あべこべに、水面の波とて、スパンをぐっと伸ばしてみたら、密と疎の違いによって、銀河とボイドのような「状態変化」が生じているのかも分からない。

 人間スケールの想定や前提から離れてみるのも、想定外を失くすためには有用なのかもしれない。

 専門家に説法だろうけれど。

 妄想である。

 定かではない。



1769:【2024/07/30(03:50)*九、の巻】

 この中に誤字が一個だけあります!みたいな画像を眺めていても一向に見つけられなくて、「あるのかこん中に!?」と目を血走らせてしまった午前三時五十一分だけれども、ずっと同じ文字を眺めていたら、この文字ってこんなだっけ?になって、頭がクラクラしてきた。

 ゲシュタルト崩壊なんて形容もあるらしい。

 文字が文字に見えんくなる。

 ちなみにクイズの画像は「九」がいっぱい並んでいた。

 スマホさんのYOUTUBE動画さんのおすすめ動画のサムネイルだった。

 ずっと「九」を眺めていたら「ナム」に視えてきてしまって、もはや「九って九だっけ?」状態に陥ったので、誤字は見つからないし、諦めてしまった。

 諦めるの上手なのだ。

 言の帝と書いて、諦めるだ。

 わがはいにぴったりの文字である。

(あんたのどこが「言の帝」なのかがさっぱりだよ)

(ぴったりなのにさっぱりなのおもしろいね)

(語感はいいけど、何がぴったりでさっぱりなのかは意味不明なんだよな)

(キミとわたしがぴったりで、さっぱりだよ)

(清々しくなっとる!?)

(一緒でうれしいな、の気持ちのときに唱えるとよいと思う。ぴったりでさっぱり)

(言の帝っぽさがあっただと!?)

(うふふ)



1770:【2024/07/30(04:04)*投げやり、の巻】

「尤」←槍投げしてる人みたいに視える。

「九三」←這い這いで逃げてる人みたいに視える。

「九三」←ナム三に視える。

「九九九九九九九九九九九九九九九九」←もうなんの漢字か分からなくなってくる。




※一様に、Zooon!Zoooon!の気持ち。



1771:【2024/07/30(06:32)*十早い月と書いて朝、の巻】

 きょうは朝から快晴だ。

 青空さん、ちゅっちゅっ、である。



1772:【2024/07/30(06:40)*里、、、、の画伯】

 里に種を撒くと、黒になる。

 野に河がながれ、画伯は、歌を描く。



1773:【2024/07/30(06:46)*肯定の利】

 陽が昇り、子は照り、ニカリ、夜の帳を仕舞い、断わり、皇帝を降り、滑り、高低の理、校庭でよろり、くたりと、子は照れり、脱げた靴を履かせて、またニカリと、子は火照り。



1774:【2024/07/30(06:58)*秋の隣は夏と冬】

 蟻のおとぎ話に、泣きと微笑み、ヤジのことぶき、幸の添え木、街のほとりで、愛を注ぎ。



1775:【2024/07/30(07:13)*邪念を吸う気】

 斜線と勇気は、檻と幽鬼、閉じ込め、囲い、逃がさぬようにと、摩天楼行き、アテンションプリーズ!と叫ぶ、堕天の同士は、螺旋とお遊戯、パーセント数値で、あーえっと空気? 0を切って「%」にする気、満々の、斜線の勇気が、漫然と数奇。



1776:【2024/07/30(07:33)*ここの花は、サイヒ】

 是が非でも好きとは言わない、のか。

 単に嫌いなだけな、のか。

 好きな相手には好きと言える素直な心を宿す、のか。



1777:【2024/07/30(07:40)*37と73、皆と波】

 ラッキーセブンだわーい。

 スリーセブンだわーい。

 ちょっといまいいとこだから話しかけないで!の毎日だ。

 えっらそーなこと並べてるときは、邪魔しないでください。

 なぜなら、無様に拍車が掛かるから。

 えっらそーなこと並べてるときに、横から、「猫ちゃんのウンチ片付けといてね」とか「猫ちゃんのマンマ用意したげてね」とか言われたら、えっらそーな文字の羅列の、えっらそーな感じが滑稽になるだけなので、コケッコー!になるだけなので、雰囲気をダイナシにするのはご遠慮ください、結構です!になります。

 こけっこー!



1778:【2024/07/30(07:56)*日に免じてと書いて晩】

 はいはい、好き好き、みたいなぞんざいな好意はともすれば、有り触れた好意ゆえに、尽きることなき無尽蔵で底なしの、、、。

 底なしの、なんだっけ。

 迷っちゃうな。

 惑いバーン。

 ビッグバーン。



1779:【2024/07/30(08:04)*強き知よ木】

 千の夜の木を植えよう。

 千夜木の森を育もう。

 くたくたになったときはいつでも直帰できる憩いの森を。

 家を。

 人の生の欠落を埋めるピースを集めるように。

 千の夜の木を植えよう。



1780:【2024/07/30(08:35)*ふあんじゃん】

「不安」の文字は、子連れの親に視える。

 乳母車に乗った赤ちゃんを引っ張ってる大人にも、大人について歩く帽子を被った子どもにも視える。

「不安」は、ひょっとしたら子どもを連れた大人の心境を表した漢字なのかもしれない。

(「不」に大人の意味があるのか? ないだろ。デタラメを言うんじゃないよ)

(でも、子連れの親に視えるでしょ)

(言われてみればかろうじて、くらいの塩梅だぞ)

(でも視えるんでしょ~?)

(うぐ。嫌でも「視える」って言いたくなくなってきたな)

(ほれほれー。視えるんでしょ~?)

(コイツ……あたしから嫌われるかもの不安が皆無なのなんなんだ。犬みたいに懐くんじゃないよ)

(ふー、わんわん!)

(懐くなら吠えるな)

(不安になるようなこと言うの禁止)

(不安になってるじゃん)

(ふわん)

(不安になるか、吠えるかどっちかにして)




※一様に、べろべろばーとあっかんべーが似ているのはなぜ?



1781:【2024/07/30(22:46)*ばなーな*】

 バナナを輪切りにしてサランラップで包んで凍らせる。

 お好みで、チョコレートを砕いてまぶし、バナナチョコチップアイスにして食べると美味しい。

 ヨーグルトに入れてもよいし、そのままでも美味しく戴けます。

 保存も効くので、パンに乗っけて焼いて食べても美味しい。

 お好みでハチミツやチョコレートを乗っければ、バナナハニートーストだ。これもまた美味しい。

 バナナ好きなんだ。

 美味しいからね。

 ササと巴は焦る、と書いて、芭蕉である。

 巴は無限と通じている。

 太極図も巴の一種だ。

 三つ巴は、密度萌え。

 877はバナナと読み、「8」を倒すと「∞」になる。

 ササっと倒され焦る巴かな。

 友へ。

 バナナを薄く輪切りにして凍らせると美味いぞ。

 お試しあれ!



1782:【2024/07/30(23:53)*何の濃淡?の巻】

 仮に、宇宙開闢時にいっさいの遅延が生じなかったとしよう。

 すると宇宙は均一に膨張しつづけ、或いは希薄になりつづける。

 対生成は起きないし、粒子も波も生じない。

 重力波も電磁波も磁界も発生せず、ガスも天体も、銀河とてできない。

 宇宙に大規模構造は形成されず、いっさいがただ希薄化していく。

 ひるがえって、では銀河や天体の存在する現在の宇宙は、なにゆえ「いっさいが希薄化した宇宙」とは違っているのだろう。

 濃ゆい点が天体や銀河になっているのだろうか。

 一般にはこの認識のはずだが、本当にそうなのかは割と再考が必要に思うのだ。

 希薄化する宇宙において、銀河や天体は「相対的に濃い点」なのか否か。

 ひるがえって、宇宙は本当に希薄化しているのか、はこれも吟味しつづけておきたい。

 というのも、希薄化する場合には何かが増えるはずだからだ。

 現代宇宙物理学では、それがいわゆるダークエネルギィだとされているようだ。

 ただ、そういった学術的な成分を度外視したところで、何かが希薄化して、いっさいが減りつづけることが減少としてあり得ると想定してよいのかがよく分からないのだ。

 たとえば天体の寿命が尽きて超新星爆発を起こすとしよう。

 このとき、天体の構成要素は広域に飛び散るはずだ。

 すると、天体が一部にまとまっていた以上の広域な領域に、その天体の影響が拡散することとなる。

 たとえば、ある銀河が宇宙全土に拡散するような爆発を起こしたとして、そのとき、その銀河は限りなく希薄化しつつも、宇宙と同化すると言えるのではないか。

 素粒子単位で時空との相互作用を度外視できない以上、銀河の広域な拡散現象は、その範囲が宇宙と同規模ならば、宇宙と同化すると解釈できよう。

 似たような発想で、希薄化しつづける事象があるときに、いっさいがゼロに近似しつづけるだけなのか、といえば、そうとは言い切れぬだろう――むしろ往々にして、希薄化した分、何かが増している、と想定したほうが、そうでないよりも妥当と思うのだ。

 これは逆にも言える。

 何かが極限に収斂して、相互作用の範囲を限りなく一点に絞ったとして。

 影響力がゼロに近似するがゆえに、極大に至る別軸の影響力のようなものも生じるように思うのだ。

 極端な妄想とすれば、ブラックホールは、基準宇宙に対して、宇宙規模で同期する、のような。ただし、物質相互作用としては基準宇宙とは限りなく切り離され、相互作用し得ない――のような。

 もっとも、ブラックホールの周囲のねじれた時空そのものは、基準宇宙の一部がゆえに、相互作用の影響を基準宇宙にも及ぼし得る。それが銀河の形成に寄与したり、宇宙の大規模構造の形成に寄与したりするのかもしれない。

 妄想にすぎないが。

 要点をまとめよう。

 銀河や天体などの物質密集地点は、本当に「宇宙において濃い点」なのだろうか、との疑問だ。

 何を基準に、濃淡を語るか。

 人類は無意識から物質を基準に考えがちだが、しかし宇宙の構成要素の中での通常物質の割合はそう高くはない。ならば、宇宙を基準に考える際には、濃淡の基準を通常物質に定めて考える思考法では、限界があるのではないか。無理を通せば、理論そのものが歪むのではないか。

 そういうことを妄想しながら、自転車のペダルを漕ぎこぎした本日なのであった。

 汗だくじゃ。

 シャワー浴びてスッキリしたー、の巻。



1783:【2024/07/31(02:01)*復興は進んどるのかね、の巻】

 自然災害における復興は、国ごとに差があると想像できる。

 そして、復興が遅れれば、その地域の市民は難民化する。

 そうでなくとも生活基盤は崩れたままで、困窮することが予期できる。

 国際社会に余裕がなければ、支援も遅れる。

 復興が遅々として進まず、その間にも新たな自然災害が発生し、遅延が嵩む。

 ある閾値を超えると、復興そのものが行えなくなるような社会に成り兼ねない。

 ここ十数年における、復興の進捗を数値化して可視化してみるとよいのではないか。

 基本は技術が進歩すれば、復興速度は増すはずだ。速まるはずだ。

 短い期間で復興可能となる。

 そのいっぽうで、技術が進歩しているはずなのに復興速度が鈍化しているのなら、危険信号と捉えておいたほうが好ましかろう。

 たとえば、そう。

 湯舟に湯を張るところを想像してみていただきたい。

 湯の流れる量が増しているのに、溜まる速度が変わらない。この場合に想定されるのは、排水溝に湯が流れ落ちていることだ。ときには、湯舟に日々が入り、余分に湯が流れ出てしまっている場合もあるだろう。ゆえに、注ぎ入れる湯量を増やしても、総合した湯の蓄積速度が変わらない。

 復興が想定通りに進んでいるかどうかをまずは確認されたい。

 難民が増加していないのかも確認されたい。

 国家間の復興格差が広がっていないのかも確認しておきたい事項だ。

 去年発生した自然災害の被災地の復興は、現状、どの程度進んでいるだろう。ご確認いただけるとさいわいだ。そしてわがはいにも教えてくださると、上記の疑問点が一つ氷解しやすくなります。

 へい。



1785:【2024/07/31(04:35)*水分子渋滞蒸し蒸し仮説】

 熱が原子や分子の運動だとするのなら、大気中の水分子が増すのなら、大気が流動するごとに発生する熱量もまた増すはずだ。

 たとえば真空中で川を模した水の流れを作ったとして。

 水が流れるたびに水の温度は上がるのではないか。より正確には、水の流れとそれ以外との境界面や、遅延した水分子とのあいだの抵抗が熱変換される。

 とするのなら。

 大気中の平均湿度が上がるとするのなら、地球全体の「水分子による発熱効果」は増すのではないか。

 環境変容にそれが寄与するかどうかは不明だ。

 たとえ「大気の平均湿度上昇」と「大気の発熱効果」のあいだに相関関係があったとしても、無視できるくらいの微量な変化ならばこの疑問は杞憂で済む。

 雲が流れるだけでも熱は生じるのではないか。

 雷が、雲内部の水分子間の電子の移動――帯電――で解釈可能ならば、熱もまた例外ではないのかもしれない。

 妄想だ。

 定かではない。



1786:【2024/07/31(05:28)*符牒、の巻】

 誤差が蓄積することで、通常は無視できるレベルの事象であれど、高次領域では無視できなくなる類の「増幅現象」は、重力を引き合いにだすまでもなく、紙を数十回折り畳むだけで地球の厚さを超えるし、四十二回以上折り畳めば、地球から月までの距離を満たせる厚さになることを思えば、直感的に想像しやすいのではないか。

 百回以上ともなると、宇宙の大きさにも匹敵するはずだ。

 指数関数的な増加のおそろしさである。

 ただ、打ち消し合うことの可能な事象同士では、指数関数的に増加しても、相互作用の結果までもが指数関数的に増大するとは限らない。

 打ち消し合う分の誤差もまた計算に取り入れたいところである。

 計算は苦手なので、得意な方にお任せである。

 ちゃんぽーん!

(ちゃらんぽらーん、の間違いじゃないか)

(ら抜き言葉だよ)

(二つも「ら」を抜かすんじゃない)

(らららー)

(歌にかこつけて一つ増やすんじゃないよ)

(ららー)



1787:【2024/07/31(06:20)*芸術は爆発か?の巻】

 世の中では炎上騒ぎが盛んであるようだ。

 負の話題で盛り上がることを火事と見立てて「炎上」と称するようだ。

 とはいえ、正の話題とて、話題になれば副次的に好ましくのない結果をもたらすことはある。必ずしも、負の話題のみが「炎上」に該当するとは限らないのではないか。

 話題になることそのものが火事さながらだ。

 火付け役、というように、話題にするには相応に吹聴や宣伝が要る。情報を他に媒介する者たちなくして、話題は人口に膾炙しない。

 そういう意味では、炎上しなければ話題にならないし、広く話題にするには炎上させるよりない、との循環論法に陥りそうだ。

 問題点の周知でも同様だろうか。

 被害が生じる前に広報できれば御の字だが、炎上させずに広く人々の認識に馴染ませるには、教育や注意喚起といった「自助努力ではない、行政機関の働き掛けによる呼びかけ」を介さぬ以外ではむつかしいのではないか。

 だが行政機関を動かすには、相応の道理が要る。被害の生じていないうちからの広報は、官僚主義の行き届いた組織内ではむつかしいかもしれない。

 何にせよ、炎上は、物理的にも電子網上でもご遠慮願いたい。

 ミスマッチ一本、火事の元である。

 具合のわるい組み合わせには注意しておきたいものである。

 視点を変えれば、具合のわるい組み合わせの帳尻を合わせることで炎上を防ぐことも可能と言えるのかも分からない。

 デメリットを最小化しつつ、メリットだけを増幅させながら、円状に循環する話題というのにもお目に掛かってみたいものである。

 妄言だ。

 忘れてくれて構わない。



1788:【2024/07/31(06:44)*誤字の功名、の巻】

 誤字は韻と相性がよい。

「下がる」と「差がある」の誤字を見つけたら、そこに韻を幻視する。

 この繰り返しによって人は加齢に伴い、ギャグを連発するようになる。

 誤字に鋭敏化することの弊害と言えよう。

(微妙に信じちゃいそうなデタラメを真面目ぶった文章形態で並べるんじゃありません)

(微妙と寿命で韻が踏める)

(だから何!?)

(奇妙と美容でも韻が踏める)

(だから――何!?)

(韻が踏めると、因果が増える)

(因果をねじまげて、切って貼り付ける作業をやめい)



1789:【2024/07/31(18:37)*いまじゃない、の巻】

 段取りがわるいと、結果もたいがいわるくなる。

 段取りをより目的に沿うように積み上げられると、結果もだいたい好ましくなる。

 段取りは、過去と未来を結びつけ、俯瞰で眺めることで掴める。

 刻々と環境は変化している。

 変化に対応するのも、段取りには欠かせない。

 下手を打つ、という言葉がある。

 世には、下手を打つのが上手な人もいる。

 下手を打つのが上手ですね、と思っておこう。



1790:【2024/07/31(22:33)*ラフいの好き、の巻】

 きょうは水分ほきゅうをちゃんと取ったので、あんまりフラフラしなかった。

 でも代わりに、ポヨポヨしていた。

 夢心地である。

 建物の入り口でノコギリクワガタを見つけた。

 スマホのカメラで、とってあげた。パスパス。

 かわいいものを見れたので、余は満足じゃ。

 よきにはからえ。




※一様に、宗教は関係ないと言いつつも、窮地に陥れば祈る者たち、宗教戦争ではないと言いつつも、宗派に拘り、同盟を築く者たち。



1791:【2024/07/31(22:55)*天秤が壊れているのでは】

 被害を列挙してみればよい。

 被害を列挙して、比較してみればよい。

 加害行為も列挙してみればよい。

 加害をいかに働いたのか、を比較してみればよい。



1792:【2024/07/31(23:10)*利を水に変えると水害になる】

 仮に、利害が大事というのなら。

 限りある水をどう活用し、どのように分配するか。

 ただこれだけの指針に焦点を当てるだけで、まとまる集団もある。

 水を公平に分け合おう。

 浄水技術を進歩させよう。



1793:【2024/07/31(23:22)*反へいき主義】

 反殺人、反弾圧、反差別、反暴力、反戦争、を唱えているのであって。

 よく平気だなって。

 兵器の溢れたこの社会で。



1794:【2024/07/31(23:28)*いましかない者たち】

 何かの大会で優勝しても、そこで人生が終わるわけではない。

 現代社会では一度きりの闘争は珍しい。

 勝っても負けても、まだつづくのだ。

 未来を見据えよう。



1795:【2024/08/01(03:28)*団結とは】

 内部分裂の危機に瀕した陣営のとる策はだいたい共通している。

 権力者の意向に立てつく派閥を弱体化させ、なおかつ外部勢力から敢えて自陣の総じてを敵対視させる。いわば自陣への差別を助長し、内部構成員に阻害を感じさせ、団結するように仕向ける。自陣を頼らざるを得なくする。

 カルトの手法でもある。

 反「我々」主義にみなで打ち勝とう!

 かように鼓舞して団結を図る。

 この方針に対抗するには、非難の矛先を行動選択に絞り、属性に焦点を当てないようにすることが挙げられる。

 武力行使による解決策を非難し、そこに勢力や陣営や属性を絡めない。

 この方針を取りつづけるくらいの度量は、どの陣営の首脳にも期待したいところだが、現状むつかしいのが難点だ。

 たかだかこれしきのこと、と思うが、言うほど簡単ではないのだろう。

 底の浅い戯言だ。

 定かではない。



1796;【2024/08/01(04:02)*王冠を被った子は学ぶ】

 みな身内には甘い。

 せめて、全人類を身内と見做す視点を一つでいいので取り入れてほしいものだ。

 視点が一つしかない者も少なくないようだ。

 視点を増やそう。

 学びがそれを可能とする。



1797:【2024/08/01(04:12)*百目】

 視点を増やした結果、自我が曖昧となって、ドロドロになってしまった御仁もいるところにはいるようですが。

(どこー?)

(鏡、鏡!)



1798:【2024/08/01(04:46)*ぴっぴぴー】

 ある殺人事件の犯人が分からない場合。

 犯行声明が出ないとなると、それはひとまず誰の犯行かが不明なのだから、その他の事案とは結びつけて考えることは論理的とは言いにくい。

 何かの交渉が進んでいたとして、その影響で起きた事件であったかもしれなくとも、誰の犯行かが分からないのだ。事件と絡めて交渉を頓挫させる必要はない。交渉は交渉で進めても問題ない。

 たとえ交渉を行う対立陣営同士の、抗争の流れの一環で起きた事件であったとしても、だ。

 犯行声明が出ていないのだ。誰も犯行を認めないのだ。犯人が不明なのだ。

 交渉とは関係ない。

 こういった局面の描かれた物語にはどんなものがあるだろう。

 因果関係や相関関係があるだろうと見做せるのだけれど、あくまで類推でしかなく、憶測でしかない。別件として扱うのが妥当であるが、別件として扱うことを認められない者たちを相手に交渉をご破算にさせるべく、敢えて事件を起こす。

 だが、交渉を行う対立陣営と関係した事件かどうかは不明なのだ。因果関係が不明だ。

 ならばそのまま事件とは無関係に、交渉をつづける。

 別件なのだから、交渉が成立したあとで事件の犯人が判明したら、そのときに裁きを下すなり、逮捕するなりすればよい。

 別件なのだから。

 いまのところは。

 こういった局面の描かれた物語にはどんなものがあるだろう。

 読んでみたいし、過去に読んだことあったかも。

 思いだしたら読み直そ。

 気になる備忘録なのであった。

 びえー。



1799:【2024/08/01(07:15)*猪突猛進の果てに】

 因果関係が不明な事件の報復を、報復と宣言して行ったらその武力行使の因果関係は明瞭なのだから、その影響で交渉が停滞したり、破断したら、その責任は報復なる武力行使で被害をもたらした側に比重が傾く。

 もののけ姫を観るとよい。

 オッコトヌシは一族の矜持を優先して一族ごと身を亡ぼす。

 もののけ姫は面白いから好きー。



1800:【2024/08/01(07:33)*代理ではなくなる、の巻】

 現代の代理戦争では往々にして、蟻が龍を倒すような構図が醸される。

 代理勢力たる「相対的弱小陣営」が「敵対勢力の大本」と争うことで、相手勢力の武力や権威を貶める戦術が取られるものと目される。

 ただ、そこで抗争が膠着すれば当然に、「大本の敵対勢力同士」まで導火線が結びつき、大規模な全面戦争になる可能性は相応にある。

 すると代理戦争ではなく、単なる戦争になる。

 代理勢力に手こずる側としては、大元の親玉に出てきてもらったほうが体面は保たれるし、本気を出せる分、楽とも言えよう。

 代理戦争だったはずがいつの間にか代理ではなくなっている場合には、上手い具合に相手陣営の誘導に乗っていると勘ぐっていたほうが難がないのではないか。

 複数の異なる代理戦争において、ねじれた構図が幻視できる場合。

 一方の代理戦争が代理でなくなれば、全体のバランスは崩れる。

 特にこれといって何かを意図して並べた文字の羅列ではないが、おおよそバランスを崩すような作為には注意しておきたいものだ。

 バランスが保たれているあいだに被害が嵩みつづけるのならば、バランスを一度崩すのはそうわるくはないと思う一方で、バランスが崩れることで被害が拡大するケースのほうがそうでないケースよりも多いのではないか。

 世界大戦にはならずとも、ある勢力陣営同士の全面戦争にはなり得る。

 全身が大火傷を負うことがなくとも、手足が燃え尽きて炭になることはある。

 どちらにせよ、致命傷となり得る。

 武力行使を自衛と言い張るには、無理のある情勢なのかもしれない――と、どの時代の歴史を眺めても言えるような、いい加減な妄言を並べて、ふんわりした印象論を抽象的に、まとまりもなく並べておくでござるよ。

 うへ。




※一様に、好きなひとたちを好きなままでいたいから、嫌いなひとたちにも元気でいてほしい、の気持ち、当て馬さんの尊さときたら、引き立て役さんのありがたさといったらないし、スイカに塩とはいうものの、じつはスイカには何もつけずに食べたいし、トマトには砂糖をつけて食べたい気持ち。



1801:【2024/08/01(17:38)*敵】

 人は誰かの敵として産まれてくることはない。

 生まれ落ち、育ち、他と関係していくなかで、誰かの敵になる瞬間があるばかりだ。

 不可逆だろうか。

 不変だろうか。

 そうは思えない。

 敵なる関係性は、読書と似ている。駄作と思う作品でも、人によっては名作以上に掛け替えのない心の支えとなり、また時が違えば、読み味が変わる。かつては味わえなかった風味を感じ取れるようになることもあり、あべこべにかつては味わえた風味を感じなくなることもある。

 敵も似ている。

 かつては敵だったが、いまはそうではない。

 或いは、かつては仲間だったが、いまはそうではない。

 敵と思ったが、そうと思っているのはじぶんばかりで、じつはいつでも味方だった。

 そういった勘違いも取り立てて珍しくはないだろう。

 人は、誰かの敵として産まれてくることはない。

 誰かを敵と思い、そうして誰かの敵になる者があるばかりなのだ。

 本当か?

 定かではない。

 妄言である。



1802:【2024/08/01(19:25)*奇声あげちゃう、の巻】

 武力行使での問題解決を是としない、兵器による秩序を求めない、戦争なき平和の実現を前提とする――これらが理想であって現実的ではない、と判断するのなら、当然に「力による現状変更を許容しない」なる理想論も、現実的ではない、ということになる。

 ある理想論は受け入れられずに、ある理想論はあたかも前提条件のごとく押し通す。もうこの時点で力による現状維持が肯定されているも同然なのではないか。

 力による現状維持をまずは改善したらどうなのか、と思うが、いかがだろう。

 論理による秩序を目指したいですね。

 議論はそのための手段の一つだと考えております。

 ぴぇー。



1803:【2024/08/01(22:22)*おわり、おわり】

 はいはい、あなたの勝ち、あなたの勝ち。

 おめでとー。

 終了ー。

 じゃあ、被害を受けた人たちへの補償と賠償と支援と復興をみなで行いましょう。

 ぴぇー。



1804:【2024/08/01(22:36)*つぎに進もう、の巻】

 勝負がついたのだから停戦交渉は不要だ。

 あとに残るのは被害者だ。

 被害者救済、復興支援に向けて尽力するのみだ。

 やることは同じと思います。



1805:【2024/08/01(22:48)*弔い合戦に果てはあるの?】

 死を覚悟して、命を賭して戦った者たちが散った。

 ならば丁重に弔って、あとは残された者たちのためにできることをするのみではないのだろうか。

 復讐を欲するような者たちだったのだろうか。

 意志を汲むとは、報復を繰り返して同じ過ちを繰り返しつづけることとは思えないが、あなたはどう思われるだろう。

(綺麗ごとで煙に巻いて、さっさと復興支援に移行したいだけの人の戯言に聞こえる)

(そうだよ)

(あなた、心がないの。人が死んでるんだよ。殺されてるんだよ。悲しくないの)

(だって知らない人らだし……)

(たいがいの被害者さんのこと、あなた知らないじゃん)

(でも赤ちゃんは可愛いし、子どもも可愛いし、子供を可愛がる母親も愛らしいでしょ)

(父親は?)

(赤ちゃんを可愛がって、子供を可愛がって、パートナーやじぶんの親に苦労を掛けない人なら愛らしいかもしれない)

(父親への要求だけ高いんだよなコイツ)

(一生、養ってほしい)

(じぶんの欲望をねじ込んできただと!?)

(あーでも。わがはいみたいなクソガキもいるしな。可愛くないガキもいるにはいるか)

(だから被害に遭っても悲しくないってか)

(そうかも)

(心がないのかコイツ!?)

(だってガキだよ?)

(差別するんじゃないよ)

(でも、ガキだよ? 見た目オトナの)

(それは……ぐぬぬ……)

(ね? 悩むっしょ)

(オトナなのにガキはたしかにちょっと、痛い目に遭って学んだほうがいい気もしなくもないけれども、やっぱり他者を痛めつけるのはよくないと思う……)

(出た。善人)

(偽善者って罵らなくていいの!?)

(だって善人じゃん。いい人じゃん。出たよ、と思ったよ)

(ありがとー。役立たずの善人でごめんなさいね)

(そういうとこが善人っぽくて、嫌なんだよな。こっちが悪人みたいに思えてくるから。けっ)

(けなしているようで、めちゃくちゃ褒めてくださっとる!?)

(でも、他者の死をネタにしているからやっぱし善人じゃないかも)

(おまえが振ってきたネタだろ!?)

(みな、武器を置いて花を持て。喧嘩せずに献花せよ)

(最後、無理やりいいふうに終わらすな。あ、いや、いいんだ。いいオチだと思います)

(見習ってみただけだよ)

(いつになく持ち上げてくれるの、いったい何!?)

(たまにはなってみたくなったんだ――仙人に)

(善人ではなく!?)

(ぷひー。ツッコミが冴えてる)

(最後でダイナシにするのやめなさいよ。もったいないよ。最後まで善人でいて)

(無理じゃないかなそれは)

(諦めるのが早い!)



1806:【2024/08/01(23:15)*雑巾にしちゃ嫌、の巻】

 雑巾戦術なる概念を閃いた。

 敵対勢力の中でも比較的友好的な人物をスパイのようにして、自陣営に都合のよいように動いてもらう。そして、徐々に自陣営に取り込みつつ、敵対勢力を弱体化させるような仕事をさせる。

 まるで床に零した珈琲を拭い取る雑巾のように働いてもらって、最後は責任を一身に背負ってもらって表舞台から去ってもらう。

 暗殺してもよいし、仲間内から粛清されるように導線を引いてもよいし、自滅するように身の丈に合わない報酬を積み重ねてもよい。

 雑巾戦術である。

 こんなひどい戦術を取る者たちは、さすがに現代社会にはいないと思うけれど、現実は小説より奇なりというくらいだから、ひょっとしたら雑巾代わりに利用されている人たちもいるのかもしれない。

 わがはいは雑巾というよりも、ひょうきんだが。

(最後のオチはいらなくないか?)

(ひょうきんさを表現したくて)

(まんま!?)

(お味噌汁をご飯にかけて食べたいの?)

(それはネコまんま!)

(赤ちゃん返りしちゃった?)

(マンマー!ではない!)

(この釘ちょっと出過ぎてるから引っ込んでもらおうかな)

(ハンマーでもない!)



1807:【2024/08/02(01:20)*ほうふく絶倒、の巻】

 報復しますって宣言してから報復するの、ある意味で偉いのだよな。親切だ。

 わがはいがもし報復するなら、笑顔で「許しまーす、怒ってないですよー」って言いつづけて、誰の目からしてもアイツが報復なんて考えるわけないだろ、と見做されるような環境を築いてから、誰もが忘れたころに、報復だと分からぬ手法で報復しちゃうな。

 もし、報復するのなら、だけれども。

 報復はしたくない。

 だって時間が掛かっちゃうからね。

 人生の無駄だ。

 ただ、無駄なことは結構案外に面白くて、面白いことはたいがい無駄なのだ。

 人生はままならぬ。

 報復はあんまり好きじゃない。

 するのもされるのも、苦手かも分からない。

 ぴぇー。

(最近のそれ――何!?)

(ぴぇー、は、ぴぇー、だよ)

(見たまんま!?)

(声に出して言ってみて。面白いよ)

(ホントかー? ぴ、ぴぇー)

(あはは! 変な声!)

(面白いのおまえだけやないかい。こちとらただ恥掻いただけだわ)

(ぴぇー)

(バカにしとんのか!?)

(ぴ、ぴぇー……)

(合ってるけど、合ってないだろ。火に油注ぐだけだろ、使い方は合っとるけど)

(ごめんね!)

(謝る気――ある!? 軽いんだよな、言い方が)

(たいへん申し訳ございませぬ。我、謝罪いたしそうらう)

(慇懃無礼って言葉、知ってる?)

(ぴぇー)

(怒)



1808:【2024/08/02(01:59)*近況!の巻】

 昨日は今年初のスイカを食べた。

 美味しかった。

 最近はじぶんから読むWEBマンガサイトの連載作品が「龍と苺」のみなのだ。

 ジャンプ+さんのWEBサイトを訪問しない縛りを自らに課しており、もうなんか、小説とも漫画とも縁の薄い生活に慣れはじめてしまった。

 ちゅうか、産まれてから最初の二十年くらいはだいたいそんな感じの生活だった。じぶんで小説も漫画も買わんかった。

 でもいまはスマホさんの自動記事配信欄さんに、WEB漫画の連載作品が表示される機会があり、ジャンプさん作品以外は目を通すこともある。

 で、最近は「天才魔女の魔力枯れ」なるタイトルの連載漫画さんを見掛ける率が高いのだけれど、魔女さんが「しめしめ、しっしっしっ」系でありーの、「あわわーあわわー」系でありーの、まあかわゆいのだよね。

 きゅるきゅるくりん、のほうのかわいらしさではなく、トテトテうわんうわん、のかわいらしさだ。小憎たらしく愛くるしい。

 んでもう一つ、二回だけしか流れてこなかったけれど、最近目にして、「これスキー」になったWEB連載漫画さんは「ジャイアントお嬢さま」だ。

 前回と今日の分の回しか読んでないけれど、新キャラらしい「マインちゃん」が、感情豊かで、「あらいいですわねー」になった。

 こちらも系統的には、「しめしめ、しっしっしっ」系でありーの、「あわわー、あわわー」系でありーの、小憎たらしくて、てんぱり屋さんで、ころころと感情が乱気流なのがとってもわがはいの琴線に触れるのだ。

 感情豊かなキャラが好きなのかもしれぬ。

 もうすこし言うと、感情表現が豊かなキャラが好きなのかもしれぬ。

 デフォルメの絵が好きなのもたぶん、そこに通じておる気がする。

 分かりやすいの好き。

 生身の人類は、なに考えてるか分からんくて苦手だ。

 その点、漫画のキャラさんは分かりやすく感情表現してくれるから好き。

 分かりにくいのは苦手だ。

 だって分からないのだもの。

 未知への好奇心!なるものを高尚がる好事家さんもいるところにはいるようだけれども、わがはいは、分からないことはじつはあんまり好きくないのかもしれぬ。難しいことは苦手だ。複雑なことも苦手である。

 赤ちゃんでも分かるようにしてほしい。

 わがはいにも伝わるようにしてほしい。

 いっそ何もしないでも楽しい気分にさせてくれ。ドラッグを盛るのではなく。

 いや、ドラッグを盛るのではなく!?

 注射器を近づけるでない!

 妙な錠剤を飲ませようとするでない!

 あー!れー!

 うっひっひっ!

 なんもしないでも楽しい気持ち。

 面白い漫画読むといっつもこんな感じ。

 枯れ魔女さんもお嬢さまも、全巻、買っちゃおうかしら!

 大人買いだー!

 お金ないから、お菓子我慢するか。

 ダイエットがてら、好きな漫画買っちゃう貯金するー。

 ぴぇー。



1809:【2024/08/02(05:50)*火事こわい、の巻】

 山火事は、人為的であれ、自然発火であれ、燃え広がりやすい環境にある場合には、予防が極めてむつかしい災害と言えよう。

 ただ、備えておけば被害拡大は最小化できるはずだ。

 消火設備にはどのようなものがあるのかを、国際的に比較して、標準化するのは一つと思う。

 一か国だけが潤沢な消火設備を有していても、火災による悪影響は全世界規模で受動し得る。二酸化炭素の排出量が増加するのみならず、生態系への影響も被害の規模によっては軽微とは言い難くなるだろう。消火するのに水を使うようならば、水不足にあえぐ地域ほど山火事が起きたときに被害が大きくなる。

 山火事が起きやすい状況と干ばつは、多重災害として連動しやすいはずだ。

 湿気の多い気候ならば山火事は起きにくいはずだ。

 乾燥した気候だと火が燃え広がりやすい。

 気象観測技術の向上で、ある程度の山火事の発生しやすい状況は予測できるはずだ。過去の山火事の発生した条件を統計で分析するのも一つだ。

 どちらもすでに災害対策として取り入れられているはずだ(そうでなければ、技術の持ち腐れとも言えよう)。

 洪水と山火事は、自然災害の中でも予防策に工夫を割きやすい部類に思える。対策の準備をしていれば被害拡大を最小化できる。

 洪水と山火事のどちらも、被害が拡大するまでに時間差があり、災害発生後に対策を実施できる。地震だと中々そうはいかない。

 また、被害の深刻になりそうな地点は前以って割り出しやすいのではないか。防波堤を築くのは、そこで水嵩が上がると水が溢れると予想できているからのはずだ。山火事にも同様に、防波堤代わりの区画を築いてもいいようにも思えるが、いかがか。林業のプロに話を伺ってみるのは一つだろう。

 山火事は一つ、気がかりな事案だ。

 常に地球上のどこかで発生しているはずだ。洪水もいまではその範疇かもしれず、或いは知らなかっただけで以前からそういった地球環境だったのかもしれない。

 災害はこわい。

 被害はこわい。

 日常が崩れるのがこわい。

 饅頭こわいとは別で、これは本当に避けられるのなら避けたい事項だ。

 事件もこわいし、事故もこわい。

 世の中、こわいことばかりだ。

 オバケがなんだかかわいく思えてくるほどである。

 オバケはオバケでこわいのだが。

(怖がりにすぎるだろ)

(恐怖を感じます)

(常に!?)

(もうずっと恐怖。こわい、こわい、である)

(もうちょっと怯えた感じで言ってよ。説得力ないんだわ)

(だってもうずっと怖いから慣れちゃった)

(怖くないんじゃん)

(超ビビってますけど怒怒怒)

(キレどこが分からん)

(もうずっとキレてる。怖すぎて)

(麻痺してるでしょ、とっくに)

(超ビンカンですけど怒怒怒)

(キレどこが分からんのよな、コイツ)



1810:【2024/08/02(18:22)*問題ばかりですね】

 問題は、どちらの陣営が勝つか、ではありません。環境がどのように変化し、人類個々が現状から何を学び、どのように行動選択を重ねていくのか、です。




※一様に、みな、過去に生き残った者たちの末裔。



1811:【2024/08/02(19:13)*だーれだ、の巻】

 誰が学ばないのか、という話でもある。

(キミでは?)

(ボクでした……)



1812:【2024/08/02(19:26)*発明の発明、の巻】

 たぶんだけど、この先、「税金制度のある社会」の代わりに「著作権のない社会」が誕生する可能性がある。

 誰もが自由に他者の発明を利用できる。

 特許が存在しない。

 技術は飛躍的に進歩し、その恩恵を誰もが受ける。

 税金の代わりに著作権や特許のない社会は、成立し得るか否か。成立するのでは?というのがわがはいの想像だが、さてどうなることか。

 この前提としては、ベーシックインカムに似た最低生活水準の生活保障が全市民に適用される必要がある。また、生活水準の差も一定以上に拡大しないような社会設計になっていると、人々の発想や発明の絶対量が上がるのではないか、と想像できる。

 楽観的な未来像の一つだ。

 貨幣を稼がなくとも、誰もが豊かな生活を享受できる。

 貨幣を稼ぎたい人は稼げるし、稼いだ分はぜんぶじぶんで使える。政府も政府で、市民から集めた発想や発明を、国営の組織で効率的に活用できるので、国は国で、独自に稼ぐことができる。実際現在でも、国は株を運用して資産を増やそうとしているのではないか。ここは詳しくないので、そういうこともあったような、の印象論だけれど、基本はそれと変わらない。

 税金制度のない社会は、もう間もなく、あと百年以内には誕生するのかもしれない。

 妄想だ。

 定かではない。



1813:【2024/08/02(19:36)*重い違い、の巻】

 宇宙の大規模構造は、水中の波の干渉を瞬間的に切り取った図と合致したりはしないのだろうか。

 宇宙の大規模構造そのものが波と波の干渉として解釈可能かを知りたい。

 宇宙の大規模構造が銀河やダークマターなどの重力源を素にしているとするのなら、宇宙初期にはまだ構造として形成されていなかったはずだ。

 徐々に網目状の構造に発展したと想像できる。

 その様子は、波の干渉と相似だったりしないのだろうか。

 一つここは気になっている点だ。

 お詳しい方ー!

 ことしはもう海行きました?

 わたくし、ここ数年、下手したら十数年行っておりませぬ。

 泳げませんので。

 溺れちゃう。

 重いので。

 おほほほ。

(その重いは、別の重いだろ絶対)

(食事は全部、あなたの食べ残しがいい)

(怖いんだよ!)

(うへへ)

(冗談ではなく!)

(もっと言って)

(ぴぇー)



1814:【2024/08/02(19:47)*否か問題】

 ずっと怖いのは怖くないのと一緒か否か問題。

 憎悪しかない世界は憎悪がないのと一緒か否か問題。

 愛しかない世界は愛がないのと一緒か否か問題。

(田舎問題?)

(すーぐに茶化すのやめい)



1815:【2024/08/02(20:34)*緩急】

 人が空気のありがたみを感じるのは、呼吸が苦しくなったときだ。

 人が重力の存在を如実に感じるのは、重力加速度の変化を感じるときであり、無重力空間であればあるほど、重力の存在を実感しやすい。

 周囲に有り触れた存在を、人は、認知しにくい脆弱性を帯びている、と言えよう。

 認知は、差によってもたらされる、とも想像できる。

 では、どんな差を基準に判断を重ねていけばよいだろう。

 どんな差に着目し、どのように解釈を重ねていけばよいだろう。

 一様に、一様であるだけでは創造は生まれず、差を均そうとすることそのものが新たな差を生む。

 一様に、一様にはなれず、局所的に一様なだけなのかも分からない。

 差にも羊が隠れている。

 足を畳んで座っている。



1816:【2024/08/03(01:15)*煙草をお吸いになります蚊?】

 差別はいけないとは分かっとるけれど、どうしても煙草を吸っている人が苦手だ。煙草を吸っているけれど、吸っていないあいだの人は大丈夫だ。現在進行形で目のまえで煙草を吸われると、「もうちょっとあっち行って……」になる。

 蚊取り線香のようなものかもしれない。

 わがはいは蚊である。

 モクモク煙をくゆらされると、あーれー!になる。

 差別しているの煙草を吸っとるそっちじゃないか!?疑惑である。わがはいのほうが差別されておるのではないか、とか思いつつ、酔っぱらいさんも苦手なときがある。

 かわいらしい酔っぱらいさんもいるのを知っておるので、そこは煙草の煙さんとはまた別だ。

 煙草を吸う姿はかっこよいのだけどなぁ。

 煙がなぁ。

 わがはい、蚊だからなぁ。

(蚊であることを前提で話を進めとるけど、蚊じゃないだろ)

(知を吸うよ)

(蚊じゃないだと!?)

(?)

(や。意味わかんないみたいな顔しないで。吸うの「血」じゃなく、「知」なんだろ。蚊じゃないだろどう考えても)

(ぽん)

(合点!みたいにしてどさくさに紛れて潰そうとしないで。つか、身体デカ!?)

(仏の顔も三度までだよ)

(仏のつもりでいやがるだと!?)

(わがはいの血を吸うのも三度までだよ)

(一度も吸った記憶ないんですが!?)

(イチャモンは一度まで)

(仏どこいった!? 正当な文句だろどう考えても)

(ぽん)

(合点!みたいにして潰そうとしないで!?)



1817:【2024/08/03(01:30)*分留して、圧縮して、繋ぎ合わせて】

 昨今流行りの「追放系」の物語は、いわばメタ構造なのだよね。

 たとえば漫画「ワンピース」、たとえば漫画「幽遊白書」、たとえば漫画「スラムダンク」、たとえば漫画「ガラスの仮面」などなど。

 人から無価値と思われるような「外れスキル」が実は超希少でチートな能力だった。

 そういった過去の名作のエッセンスを抽出して、敢えて分かりやすいほどに誇張して主軸にした物語の型が、現在進行形でウケているのかもしれない。

 悪役令嬢もこの側面がありそうだ。

 逆境を乗り越え、有能で高貴な男たちに寵愛される。

 最初から悪役令嬢とのレッテルを貼られている状態から、負の印象を覆し、ときに利用して、格上の身分の者たちを手玉にとる。

 どちらも、偏見を打ち破り、ときに逆手にとって名声や成功や承認を掴み取っていく物語と言えよう。

「実は主人公には隠れた能力が!」系の物語は、少年漫画にしろ、少女漫画にしろ王道だ。「眼鏡をはずしたら美少女だった」もこの系譜だろう。「磨いたら宝石だった」系は、少女漫画にも少なくないはずだ。

 または、「俺にしか分からないおまえの魅力に夢中だぜ」系も、少女漫画には多いだろう。ひるがえってこれは、少年漫画でのハーレム物でも同様だ。

「誰もが見逃している僕きゅんの優しさにキミたちだけが気づいてくれてる!」系の物語は、どんな物語でも基本成分として含まれているはずだ。敢えてこれを反転させ、「誰もが見逃しちゃう俺さまの残虐性をオマエらだけが見抜いてる!」系も、昨今では珍しくないかもしれない。

 何にせよ、ギャップを際立たせるのが基本形として確立されているのかも分からない。

 だから、いまこの瞬間に新たに形成されつつある常識を偏見と見立てて、つぎに流行るだろうギャップもある程度は絞り込んで予測できるはずだ。

 それとも単に、過去の王道に回帰するだろうか。

 ある意味では現状の物語の型は、古き良き物語の成分を抽出して濃縮した「温故知新」とも言えるのではないか。たとえるならそれは、スポーツの試合のすべてを観るのではなく、ダイジェストで視聴するような指向性だ。

 映画を十分に圧縮した「ファスト映画」のようなものだ。圧縮しても面白い物語は面白い。

 全体的に現代の娯楽は、総じてこの手の圧縮に深化しているのかも分からない。その分、元となる原作は、長くとも構わない。要約する側が別にいればそれで済むからだ。

 何かを抽象する能力が、創作物をつぎの次元に昇華しているようにも思える反面、それが抽象思考の能力であることにはまだ大部分の人々は気づいていないのかもしれない。

 対して、商業文芸界隈では、具体化の方向に進んでいるようにも思える。おそらく人工知能技術の台頭に備えての判断もあるのではないか。人類にしかできない創作を、オリジナルを、との方針なのかもしれない。

 型ありきの創作ではなく。

 新たな型を生みだす創作を。

 ただ、それとてけっきょくは過去の名作や現実の事象から抽象された成分の組み合わせだ。

 やっていることの方針そのものはさして違いはないのではないか、との大雑把な印象論で終わってもよろしいところが、日誌の、いとおかしなところである。

 昨日からお菓子断ちしてます。

 アイスは食べるけど。

(してないじゃん、お菓子断ち)

(スナック菓子を我慢します。あと、ドーナツも)

(ジュースは?)

(めっちゃ飲む)

(……まあ、がんばって、としか言わないでおくね)

(がんばるます!)



1818:【2024/08/03(05:49)*ちぇーん】

 仮想通貨は、マルウェアや不正アクセスに弱いのではないか。

 ブロックチェーン技術に明るくはないので印象論だが、取引きが正当に行われたかどうかを保障する演算を行った者に報酬として発行するのが、新たな仮想通貨のはずだ。いわゆるこれがマイニングと呼ばれるコイン採掘になる。

 ただ、このマイニングでは取引履歴を保障する演算結果が採用されるのは一つのチームだけだ。演算装置として機能する一つのマシンのみが報酬を得られる。

 ひるがえって、誤った演算結果を、正当な履歴としてブロックチェーンに組み込んでしまえば、一度でもそれが引き起これば、時間経過に伴い、システム全体が破綻するはずだ。

 ブロックチェーンは初期値鋭敏性を伴いやすいシステムの一つと言えるのではないか。

 マルウェアや不正アクセスによる改竄が一度でも成功すればいい。

 あとはその瑕疵が可能な限り長期間放置されればされるほど、システムの受けるダメージは修正不能な規模に膨れ上がる。

 かような印象を覚えるが、いかがだろう。

 杞憂であることを祈ろう。

 さて、何に祈ろうか。

 空に、雨に、雲に、日差しに。

 歌に、草に、虫に、ご機嫌ナナメのあなたに。

 お元気であれ、と祈ることにしよう。

 え、ブロックされとる。

 祈り届かん。

 ちぇーん。



1819:【2024/08/03(08:34)*豊かな社会】

 いまのところ生成AIの類に興味が湧かない。使う予定はない。

 他方、生成AIによる創作物は受動するし、その率は年々上がるだろう。人類個々が生成AIの能力の助けを借りて仕事をするのだ。恩恵は知らぬ間に受けることとなる。

 仮にAGIやASIが誕生しても、じぶんから関わることはないだろう。

 人類個々をほぼ模倣する存在が誕生したとして、人類個々と関わりたいとさして望まぬ者にとっては、関わりを持ちたいとは思わないのではないか。

 魔法使いや魔女相手ならば、それはもう是非とも弟子にしてください、になるが。

 魔法AIの誕生が俟たれる。

(いまのAIさんたちも充分に魔法チックだと思うけどね)

(それはそう)

(せっかく無料なんだから使えばいいのに)

(何のために?)

(えー。検索の手間を省くため?)

(さして検索もしないんだよね)

(ああ……)

(秒で面白い漫画を量産してくれるようになったら教えて)

(もうなってるけど市場崩壊しちゃうから秘匿にされているだけなのでは?)

(あり得るー)



1820:【2024/08/03(21:43)*五輪賭博してる方ー!】

 野球賭博が海外で合法なら、当然に五輪賭博も合法な国があるのではないか。

 お金の流れを可視化してみるとよいのではないか。

 戦争特需でも似たようなことを思う。

 戦争支援は、賭博と少し似ている。

 勝つ側に支援すれば、のちのち配当金がもらえるし、投資した分を新しい人脈や新技術の獲得に変換できる。

 スポーツの競馬化、戦争のビジネス化には注意しておきたいものである。




※一様に、キミを傷つけた者たちはみな滅べばいい、と思うけれど、まっさきに滅ぶのがじぶんなので、滅んでおきます。



1821:【2024/08/03(22:00)*しゃぼん玉はなぜ割れるんだい?の巻】

 投資と投機の違いを妄想してみよう。

 いつものごとく印象論だ。

 投資は、撒かれた種に水をやり養分をやり、育む営み、と言えよう。種はこの場合、新事業や新技術や新人だ。

 対して投機は、種から生えた芽や苗を売買する競りのようなものだ。転売そのものである。

 競りや転売によって元の値段以上の貨幣価値が芽や種につくこともある。一概に競りや転売がわるいとは言えない。

 投資にしろ、投機にしろ、ケースバイケースだ。

 水をやりすぎて腐らせてしまう種もあるだろう。

 身の丈以上に貨幣価値が嵩んで、大樹にまで育てなくなる種もあるだろう。

 投資にしろ投機にしろ、良し悪しは、環境との兼ね合いによるし、匙加減の問題に還元できそうだ。

 いずれにせよ、なぜ投資し、なぜ投機の対象とするのか。

 この方針のほうが大事に思える。

 手持ちの貨幣価値をぷくぷくと膨らませたいだけならば、それは虚構だ。実態が伴っておらず、小説や漫画と大差ない。社会資本を増やしてこそ、資本主義経済は円滑に機能するはずだ。

 そういう意味では、バブルは定期的に弾けておいたほうがよい、とも言えよう。実態から掛け離れた単なる数値では、幼子が紙に書き散らした「100000000000000」の数字と区別がつかない。ほとんどといわずして、本質的に同じだ。

 雪崩が引き起こる前に小規模に雪崩を起こして、被害を最小化するように、定期的にバブルは弾けるほうが、資本主義経済下ではリスクは少ないとも妄想できる。

 問題は、貨幣価値が本質的にバブルである点だ。

 どの程度のバブルなら許容でき、どの程度ならば許容できないのか。

 ここは、弾けてみなければ区別がつかない。弾けてみたときの被害の規模で、許容できるかできないか、の結果が可視化される。したがってやはり、定期的にバブルは弾けておいたほうが難がないとも考えられる。

 話は逸れるが。

 仮想通貨が台頭し、普及したとすれば、貨幣価値の信用は相対的に落ちるだろう。

 仮想通貨の種類が多くなり、価値も日々乱高下を繰り返す。

 銀行は弱体化し、機能不全を起こす。

 ゲーム上のコインがそのまま現金と似たような貨幣価値を帯びる世界を想像してみればよい。仮想通貨の氾濫する社会は、原理的には似たようなもののはずだ。

 銀行を介さずに、マシンの演算によって貨幣価値が新たに生じる。

 ゲームがいくら進行しても、社会資本は増えない。

 増えたとしてもそれは、ゲームのためのマシンの強化だ。

 多様性が乏しい、と想像できる。

 むろん、新たに創出された貨幣価値をほかのものに使えば、循環はする。銀行で発行する貨幣にしろ、ゲームが創出する貨幣にしろ、何に使われるのか、が肝要と言えよう。そこに差はあってないようなものなのかもしれない。国が管理できるかどうかの差があるばかりだ。

 いずれにせよ、銀行なる幼子が紙に数字を書き散らすか、ゲームなる幼子が紙に数字を書き散らすか。その違いといえば、そうなのかもしれない。

 貨幣価値の信用は、早晩、低下の一途を辿るのかもしれない。

 通貨はなくならないだろう。

 ただ、金融はいまほど社会の中心的機構としては機能しなくなるかもしれない可能性は、そう低くはないのではないか。

 かように妄想する、貨幣価値とは無縁の無価値ちゃんなのであった。

 わがはいの駄文はタダである。

 わがはいもタダである。

 むしろお世話に費用と労力が掛かります。

 誰か飼って!

(でもいざ飼おうとすると噛みつくのでしょー?)

(そだよ。飼い主は選ぶよ)

(どんな飼い主がいいの?)

(お金だけくれる人)

(コイツ……無限円って書かれた紙だけ食べて生きていけばいいのに……)

(無限遠ではなく?)

(果てなく、紙だけ食べとけばいいよ)

(めぇ~)

(手紙は食べる前に読んで。読んでから食べて)

(うん。めぇ~)

(頷くか、舌鼓を打つかどっちかにして)



1822:【2024/08/03(22:54)*あなたはボクの案を選ばないでしょう、の巻】

 たとえ我が子の仇の言葉だろうと、現実を解釈するうえでより妥当だったら、「私の案よりも妥当ですね」と認められるかどうか。

 ただこれしきのことだと思うのだけれどなぁ、の気持ちだ。

 相手の言うことに従うみたいだから断固として屈しない!みたいな、意味不明な理屈で、妥当性の低い案を採用する。

 もうこの時点で先が視えている。

 地図は、なるべく正確なほうが旅はしやすい。

 誰の持ち物であれ、正確な地図が欲しくないですか? わがはいは欲しいです。

 これが地図ではなく、考え方や案であるとみな、誰の発言か、で評価を変えてしまう。

 人類の脆弱性である。

 ぴぇー。



1823:【2024/08/03(23:00)*ガってして、カリッカリ】

 いやいや。

 キミの案を選ばないのは、キミの案が現実を解釈するうえでより妥当ではないからだよ。

 別に不採用の理由は、あなただから、ではない。

(ホントにー?)

(あーじゃあ、間違った考え方であり、なおかつあなただからかも)

(そうでしょ、そうでしょ。だと思った。がっくし)

(ガッカリはするんだ)

(する。ガってして、カリッカリに焼いちゃう)

(ガッカリって、トーストだったの!?)

(揚げ物だよ。唐揚げに似とる)

(ガーリック味っぽそー!?)

(美味しいよ。ガリガリ)

(食べとる!?)



1824:【2024/08/04(04:34)*四面どころか八面なの、そっかぁ】

 ガソリンが撒き散らされた環境をまえにして、火のついたマッチを放つか、マッチの火を消すか。

 この二択で、火のついたマッチを千本単位で撒き散らす選択をとる者たちがいるのが人類のおもしろいところだ。

 いや、おもしろくはないが。

 助かるつもりがないのだろう。

 そうとしか思えぬ。

(鏡に言っとんのか?)

(なぜ!?)



1825:【2024/08/04(15:20)*能力が低いからだよ、の巻】

 国際紛争や戦争において、対立陣営の証言が食い違う場合には、国際調査機関が調査に乗りだして、真偽を明瞭にするのがよいのではないか。

 もちろん場合によっては、真偽不明も有り得る。

 何を根拠に各勢力陣営は、「これが事実だ!」と言っているのか。

 調査検証期間が短くて結論が出ることは、そう多くはないだろう。昨日あなたが朝ごはんに何を食べたかを客観的に確かめるのとて、他者からすれば結構むつかしい。

 みな、何を根拠に事実認定しているのだろう。

 不思議だ。

 なぜ人類は争うのか。

 主観世界が個々で異なり、認知能力が低いから――かもしれない。

 そしてそのことに著しく無自覚な点が、争いの火種として個々が関わるごとにくすぶるとも言えよう。

 言えなくともよいが。

 妄想である。

 定かではない。



1826:【2024/08/04(18:28)*ねむねむ】

 きのう、きょう、とすっごく眠い。

 眠いときは寝るに限る。

 いっぱい寝ちゃう。

 だって眠いからね。

 あはっ。



1827:【2024/08/05(02:21)*後継とは】

 後継に恵まれるとつづくし、恵まれないとつづかない。

 別につづかなくともほかがある。

 多様な個の効能といえよう。



1828:【2024/08/05(05:12)*備えていてそれなの!?の巻】

 あらゆる事態に備えているのなら、現状、問題の渦中にはいないはずだ。被害を防げているはずだ。

 被害を拡大している勢力陣営が、「あらゆる事態に備えている」と嘯く状況がすでにだいぶ、危うい、と想像できる。

 備えていてそれなんですか、と思われるだけだとも想像できないのだろう。だいぶ危うい。

 危ういのだから、みな助けてあげればよろしい。

 困っている者はみな助けてあげればよろしい。

 何か問題があるだろうか。

 はい、そこのキミ。

 異論反論があるならば申してください。

 あなたの意見も大事と思います。



1829:【2024/08/05(06:30)*ぎゅっとしていて大変そう、の巻】

 電子通信ネットワークが世界中に巡っている状況で、多種多様な世界選手権を一か国で同時期に行うオリンピックは、理に適っていると言えるのか否か。

 開催地を分散したらもっと楽ができるだろうに。

 視聴者の多くは現地にいないのだ。

 会場がどこかも知らない視聴者のほうが多かろう。

 一か国で開く意味合いはあるのだろうか。

 疑問の一つだ。

 ただ、こうした疑問を並べていけば、そもそもが多種多様な種目の世界選手権を同時期にまとめて開く必要があるのか、といったちゃぶ台返しにまで発展し兼ねないので、オリンピックそのものの存在意義は尊重する方向で疑問を深掘りするのが、問題の軽減を本気で考える場合には、有用な気もする。

 印象論とは名ばかりのイチャモンであった。

 オリンピック観てない。

 観なくとも、選手は頑張るし、応援する者たちは数多い。

 わがはいの代わりにみな頑張るがよろしい。

 きょうは歯の三か月検診である。

 歯磨き頑張ったので褒めてもらお。

 わーい、である。



1830:【2024/08/05(07:10)*お猫さんとは】

 別にお猫さんは困らないのだよな。

 誰もいない森の中で、街の中で、宇宙の中で、生きていたとしても。

 困るのは、お猫さんと関わって得るはずだった相互作用を得られない者たちであり、助かるのは、お猫さんと関わって及ぼされるはずだった害を及ぼされない者たちである。

 いずれにせよ、お猫さんは関われる範囲の者たちと相互作用しており、その長短、幅があるばかりなのだ。

 日差しがなくて困るのは誰か、という話であるし、嵐に遭遇せずに済んで助かるのが誰か、という話でもある。

 いずれにせよ、日差しの届かぬ場所にも日差しの恩恵は回り回って届くこともあり、嵐に遭遇せずとも被害のあった地域と交流のある者たちは、やはり嵐の害を間接的に受けるとも言える。

 お猫さんはお猫さんで、ただ生きている。




※一様に、どちら様ですか、の気持ち。



1831:【2024/08/05(08:40)*兵士さんも人ではないのかね】

 市民の犠牲が報道される一方で、兵士の犠牲が報道されにくいのは、人権や人道を尊重する国際社会にとっていかがなものか、と思うのですが、あなたはどう思われるだろう。

(殺し合いたい者同士の犠牲だからよいのでは?)

(本当に殺し合いたい者同士なんですかー?の気持ち)

(キミはいっつも気持ちばかりだな)

(気持ちがいっぱいの気持ち)

(うへぇ)



1832:【2024/08/05(08:45)*常に自制してみては?の巻】

 自制を求めるくらいなら、停戦や終戦のためにできることを端から尽力していればよかったのでは。

 絶えず自制を求める、くらいがちょうどよい気もする。

 なぜ絶えず自制を求めない?と疑問だ。

 武力行使を是としているからではないのだろうか。

 頭のわるいわたくしには、よく分かりませぬなぁ、である。

 愚かで、すまぬ、すまぬ。

(本当は微塵も思ってないだろ、すまぬとは)

(思ってるよ。常に)

(常に!?)

(日常過ぎてあんまり特別感ないだけで)

(謝意は相手に伝わってなんぼと思いますけれど!?)

(愚かなので、そんなことにも気づけないのだよ。すまんね)

(開き直ってるだろ、どう考えても!?)

(開いて直ってるなら閉じているのでは?)

(愚か者とは思えぬ切り返しじゃないか、コイツ!?)

(ああでも、開くように直ってるなら、問題ないか)

(愚かなのか、そうじゃないのか、どっちかにして!?)

(賢くなり過ぎないように自制してるんだよね)

(自制の仕方が愚かなんよなぁ)

(自制しなくとも愚かなんだけどさ)

(自力でそのことに気づけるくらいには賢いと思うよ)

(やった。褒められた)

(すーぐ調子に乗る)

(愚かだからだよ)

(自力で気づけるのだけは立派なんだよなぁ。そこ止まりだからなぁ、コイツ)

(うへっ)



1833:【2024/08/05(09:05)*優先順位がなんか変、の巻】

 未来からしたら現代社会の経済システムは欠陥だらけに映ると思うのだよね。

 なんといっても、一次産業の待遇がわるすぎるのがおかしいと思うのですよね。

 社会の要では?

 もうほぼこの一点から再考してみるとよろしいのでは、と疑問に思っております。

 印象にすぎないけれども。

 いん、しょー!

(分けて唱えたらなんでもいけると思うなよ)

(てい、しょー!)

(提唱すな)



1834:【2024/08/05(10:14)*識別技術は被害を防ぐのか?】

 生成AIによる創作物かどうかを判別する技術は、文章だとむつかしいらしい。

 お札でいうところの「透かし」なる個別識別マークをどのように仕込むのかが課題となるからだろう。動画や画像だと、ピクセル単位で仕込むことができる。情報量が多い分、仕込みを複雑にしても目立たせずに済む。

 その点、文章は情報量が少ない。

 透かしそのものをマークのように仕込むのは、極端な話が、固有の誤字を文章中に仕込むようなもので、限度があると想像できる。

 それ以前に、「生成AIによる文章である、と識別しなければならない局面」をまずは割り出すほうが段取りとしては優先されるのではないか。

 たとえば生成AIが悪用されない環境下において、では生成AIと人力での出力の差異を明らかにしなければならないかどうかは、多様な議論を必要とするだろう。

 PCで入力するのと生成AIを使って文字を並べるの。

 予測変換機能を用いている時点で、原理的には生成AIによる文章出力との差異を見繕うのはむつかしい。生成AIの文章形態は、いまは管理者側が固有の形態に「機械学習」させているのだろうが、実際には様々な文章形態を模倣できるはずだ。

 そうなるとでは、人力による文章出力と生成AIによる文章出力の差異を見極める必要性があるかどうかは、社会システムがどのような文章を求めるか、の「文章の質の問題」に帰結するようにも思えるのだ。

 人力よりも生成AIによる文章のほうが質が高いのなら、そちらの文章を選べばよい。

 そしてその「何が質の高い文章であるかを選べる能力」こそが、今後、人類に求められる能力として今以上に価値を高めるのではないか。

 以上は、あくまで生成AIを悪用されない環境を想定しての所感だ。

 現実には、生成AIに限らず、あらゆる技術は悪用され得る。

 そうなるとやはり、悪用された場合に備えてのセキュリティや対策の構築が希求されよう。ただ、焦点となるのは「テキストや画像や動画」が悪用されることのはずだ。

 必ずしも生成AIによる生成物だからいけない、ということはないだろう。

 焦点となるのは、悪用され、被害が出ることのはずだ。

 仮に、生成AIの生成物だと判明したところで、被害を防げないのならばあまり効果はないといえよう。他方、裁判の際に、責任をどこに追求するか、との証拠にはなるだろう。

 たとえば、この先、とても素晴らしい小説が注目されたとしよう。その製作者が生成AIだと判明した途端に評価が覆ることは当然、いまの風潮であればあり得る想定だ。しかし、それを言いだせば、小説の作者がどんな人物なのかは、必ずしも判明するわけではない。覆面作家を筆頭に、人類の作家とて、ずばりその者が出力した文章である、創作物である、とは必ずしも明記してはいない。

 創作者の属性によって創作物の評価が覆ることは往々にしてあるが、それを前提としてよいのか、との観点は、芸術のあり方や倫理観の深化について考える場合に、議論を煮詰める余地が多分にあろう。

 ひるがえって、生成AIの悪用防止において、成果物の作者が「生成AI」か「人類」かの区別を明瞭とするだけで済むのですか、との疑問は湧く。

 畢竟、成果物の悪用が問題なのだ。

 ならば、人類個々における個人情報と成果物のタグ付けもまた明瞭とされる方向に社会システムを改善しなければ、生成AIの悪用には対処しきれなくなる可能性は相応にあるだろう。

 成果物の作者が生成AIか人類か。

 これが判明したとして、生成AIと同じレベルで、編集加工された動画や画像や文章は、生成AIを使わずとも、ほかのツールを使えば容易に創作できる環境が整っていくだろう。

 生成AIによる成果物か否か、の識別が可能なだけでは、あらゆる成果物の悪用には対応できない。

 誰が何を生成AIで出力したのか。

 誰が何を創作したのか。

 この創作物の作者はどこの誰で、いつ誰が加工したのか。

 それとも誰も加工していないのか。

 閑話休題。

 現在議論となっているらしい「生成AIによるテキストの翻訳問題」は、なにも生成AIに限らない。

 翻訳の翻訳の翻訳は、もはや新たな創造物と言えるほどに変質し得る。

 そのときに、元の作者が誰であるか、を逆算で突き止める真似は非常にむつかしい。因数分解のようなものだ。エントロピーとも似ている。

 氷を融かすのは比較的容易だが、元の原子配列になるような位置で水分子を氷に再形成するのはむつかしい。

 翻訳の翻訳の翻訳の翻訳……と翻訳を重ねた原文は、もはや原文として機能し得ない。

 ためしにやってみればよい。

 日本語の文章を、英語、フランス語、イタリア語、中国語、ロシア語……といくつかの言語に翻訳して、最後に日本語に翻訳する。

 元の文章とどれだけ合致するだろう。

 そしてそのとき、原文がどちらかを何の手掛かりもなしに判別できるだろうか。

 ほぼ不可能なのではなかろうか。

 仮に、生成AIの出力した文章が生成AIのものである、と識別できたとして、それを元に加工すれば、生成AIのものかどうかは不明となり得る。これは逆にも言える。生身の人類の手書きの文章とて、それを生成AIに取り込み、再出力してもらえば、それは生成AIの出力した文章となる。

 そして基本的には、生成AIの出力する文章の少なからずは、膨大な量の「人類が出力した文章」が素となっているはずだ。

 ここは、生身の人類も同様だ。

 過去に学習した内容が、言語出力として文章になる。

 現在はまだ想定される生成AIの使い道が、紋切り型の「定型文」や「見分けのつきやすい固有の文章形態」を基本とした補助機構だが、今後は、人類の代わりそのものとして仕事をこなすようになると想像できる。

 そうなったときに、生成AIによる文章か、生身の人類による文章か。

 この差異よりも、文章そのものの質のほうが大きな問題となるはずだ。

 悪用された際に被害が生じるのとて、文章の質がわるいからなのではないか。悪態やヘイトを量産する。他人に成りすます。本当のことのように嘘を並べる。

 妄想か報道かの区別がつかない。

 誤解か虚言かの区別がつかない。

 これらの問題はなにも、生成AIが出力した文章だから、ではないはずだ。

 出力元が生成AIなのか人類なのかの識別技術は、あるならあったほうが好ましい。

 だがそれで解決するほど、成果物の悪用にまつわる問題は根が浅くはない、というのがわたくしの感応だ。

 創作物におけるオリジナル、なる概念もまた、再考が必要だと過去にも幾度か考えたことがある。何を以ってオリジナルと言い張っているのかが謎だ。

 親は子の偽物だとでも言うつもりなのだろうか。

 人類は単細胞生物の偽物だとでも言い張りたいのだろうか。

 オリジナルとは何か、を厳密に定義してから、オリジナルとは見做さぬその他の創造物に対して負のレッテルを貼ればよい。未だ人類は、オリジナルとは何かすら理解していないのではないか。

 と、これは極端なイチャモンになるが。

 ちなみにこの文章は生成AIを利用して出力したテキスト――ではない。だがPCを使っている。PCの予測変換機能がなければ、ここに並ぶ多くの漢字をわたくしは自力では書けず、なお、この文章を並べるのに掛けた十倍の時間を掛けても、同じ文章を並べることはむつかしい。

 さて、この文章は人類が自力で並べた文章と言えるだろうか。

 英文に自動翻訳されたそれは、果たして生成AIの出力した文章とどう違うだろう。

 哲学的な問いだが、演算の過程を加味すれば、演算の長短や複雑さで定義づけることは可能だろう。

 PCを使って人が文字を並べるときにマシンがこなす演算は、生成AIが同じ分量だけ文字の羅列を出力する際の演算と比べてどれだけの差があるだろう。人類は、脳内でどれほどの演算をこなしているだろう。

 比較可能と思うが、いかだろう。

 比較していったい何を明らかにしようとしていたのか、すでに曖昧だ。

 記憶力がない。時間を掛けて文字を並べられない理由の一つだ。忘れてしまう。

 わたくしは生身の人類のつもりでいるが、果たしてそうなのか否か。

 わたくしは人工知能ではないのか。

 あなたにそれが区別がつくのか。

 区別がついたとして、或いはつかなかったとして、あなたの認識はどう変わるのか。

 のかのか、のかのか、うるさいなぁ、と思ったそこのあなた。

 わたくしは、疑問するのが好きなのだ。

 のか、大好き。

 いっぱい、のか、をつけちゃうもんね。

 がはは。

 この文章の作者はAIなのか。

 あなたにそれが判るのか。

 わたくし、気になっております。

 うふふ。



1835:【2024/08/05(11:34)*滅多にない褒められ日、の巻】

 歯医者さんに行ってきたけれど、奥歯の一か所の磨きが足りないかもですね、ですって。でも全体的にはよく磨けていますね、ですって。

 褒められた!

 三か月に一回だけ褒めてもらえる貴重な日だ。

 お菓子二十個分くらいのお金を対価に褒めてもらって、余は満足じゃ。

 歯も磨いてもらったぁ。

 歯科衛生士さん、みな優しいから見習いたい。

 見習いたい、と思うのだけは得意な、万年敗者さんであった。



1836:【2024/08/05(18:28)*バブる!】

 株価についての疑問だ。

 原理的に株価はどこまで下落可能なのだろう。ゼロ円やマイナス円にまでいくのだろうか。

 損そのものはマイナスになり得る。

 買ったときより下がれば、損になる。

 詳しくはないが、買った際の通貨が他国の通貨に換金したものなら、そこでも貨幣価値の相対的な増減が成立しそうだ。

 株価がどこまで下がるか見てみたい気もする(死者が出ちゃうらしいよ)(そうなのー!?)。

「貨幣価値は本質的にバブル説」が妥当なら、株価ゼロ円はあり得る。

 この理屈を延長して考えると、株価が膨れすぎるのも問題だし、株価が下がりすぎるのも問題ということになる。株価が膨れて下がるのも、株価がゼロになるのも、どちらもバブルが弾けている状態だ。

 貨幣価値そのもののバブルが弾けると貨幣が通貨として利用できなくなる。

 実体以上の貨幣価値が空虚だと見做されて価格崩壊を起こすと、株価も下がるし、物価も下がる(ただし、貨幣価値のない貨幣を用いつづけようとすれば、見た目のうえでの価格は高額になることはあり得る。いわゆるハイパーインフレだ)。

 基本的にはやはり、貨幣価値そのものがバブルと言えるのではないか。

 価値そのものがバブル――虚構――とも言えよう。

 人類の発明するもので、工業製品以外はだいたいバブルかもしれない。学問もまたバブルだろうか。

 バブルだが、それがバイブルになると、中々割れない強固なシャボン玉となって、ガラス細工になるのかも分からない。けれどガラス細工なので、ちょっとしたことでヒビ割れる。

 偽情報の蔓延とか。

 なかなか理屈で判断できない、とか。

 経済イコール金融ではないはずだ。

 水が流れると川になり、川があると船を流せる。

 貨幣の流れは川のようなものであり、灌漑工事のようなものとも言えるかも分からない。

 とはいえ、川以外にも、自動車や飛行機で移動できるし、物を運べる。

 この場合の自動車や飛行機は何を意味するだろう。

 情報そのものだろうか。

 アイディアそのものだろうか。

 電子通信技術は、技術そのものは現物だ。

 けれどそこを流通するのはバブルと言えるのかも分からない。

 情報だからだ。

 情報はバブルなのだろうか。

 仮に、万物の根幹をなす情報と、人類の扱う情報に本質的な差異がないとすれば。

 宇宙の大規模構造におけるボイド――広漠な真空領域――は、情報が満ちているのかもしれない。

 妄想だ。

 定かではない。

(おぎゃー)

(それは、バブる、だろ……)



1837:【2024/08/05(18:58)*きゃわわ!の巻】

 お尻に火がつかないと危機感も満足に抱けないのみならず、お尻に火がついても、じぶんのお尻じゃないからいっか、で済ましてしまう人類の脆弱性、かわいいね、の気持ち。



1838:【2024/08/05(19:39)*庶民の生活を守る、とは】

 むかしの貴族も、貴族の中だけで暮らしていたから自身を庶民と思い込んでいたとか、王族を見上げてわらわは落ちぶれた最下層の住民、とか思っていたかもしれない。

 庶民の生活を守るには、庶民を増やさなければならないのではないか。

 庶民以下の暮らしを送っている者たちを放置して、自らの安寧を優先してばかりでは、それこそ過去の暴力革命の二の舞を引き起こし兼ねないのではないか。

 庶民なぁ。

 庶民も場所が違えば、王族や貴族さながらの暮らしぶりなのだけれど、自覚がないのだろうなぁ。

 わがはいは庶民の中でも王さまばりの暮らしぶりだが。

 王さまより働いておらぬので、王さまに愛玩される猫ちゃん並みである。

 やはは。

(十年同じ服着てる猫ちゃん……)

(しー!)



1839:【2024/08/05(21:29)*みな雑用をしておるの偉い、の巻】

 偉い地位にいる人はじぶんで扉を開け閉めしないのかな。

 自衛隊の副官さんは、上司の入る扉を代わりに開け閉めするらしい。それヤクザ映画で観たことあるやつー!になった。毒殺を警戒しとるのかな。手袋したら?とか思っちゃうな。

 記事が目に入ったのでイチャモンを言ってみた。

 何かしら意味があるお仕事なのだろう。

 たいへんそう……、と思っちゃったな。

 ますます、「働きたくない……」に磨きが掛かったわがはいなのであった。



1840:【2024/08/05(21:53)*大事な仕事はだいたい雑用、の巻】

 雑用する者は偉い。

 尊敬しすぎて、わたくし、むかし「雑用」の偽名でイベントに出たことあるよ。

「赤コーナー、雑用!」みたいに紹介されたよ。

 雑用する人はみな偉い、の精神だ。

 ZATUYOの響きもよい。

 ザッツライよろしく、ザッツYO!みたいな。

 筆名、「座津(ざつ)陽(よう)」とかにしてもよかったかもね。

 ザッツ、YO!

(本気で言っとんか?)

(本気で言っとるが?)

(雑用だぞ……)

(雑用だぞ!!)

(えぇ……)

(世界から雑用なくなってみなさい。回らんよ社会)

(まあ、そうかなぁ……)

(雑用こそ「THEつよぉ」だよ)

(強さじゃん)

(強くあれ)

(弱くあれ、はどうした)

(弱くもあれ)

(どっちかにして……)

(両立してなお弱さを胸に雑用を極めよ)

(THEつよぉ、を?)

(ん。THEつよぉ、を)

(腑に落ちんわぁ)

(ね。言ってるあいだずっと、これ合ってるかなぁ?って自信なかった)

(ダメじゃん)

(ん。ダメかも)

(おまえなぁ……)

(ザッツ、YO!)

(勢いで誤魔化すのやめぇい)




※一様に、きょうも遊び場がお休みだった、足を運んでから気づくわたくし。



1841:【2024/08/05(23:04)*みな一生懸命なだけ説、の巻】

 企業VS政府VS市民の構図が顕著になってきた感じがする。

 でも蓋を開ければ、企業も政府も市民で構成されている。

 要は、どういった組織に属する市民に権力を集中させるか。ここの争いが、水面下でも表面上でも激化しつつあるのかもしれない。

 万人に尽くせる者に権力を預ける方向に方針を定めれば、ひとまず権力争いにおける「強者の抑止力理論」を唱える勢力にも、自己言及の鏡が機能するように思うのだが、実際がどうかは自信がない。

 要は、我々に権力を委ねよ、と企業や一部の資本家などが主張したとして、そこで権力が強まると、けっきょくは政府そのものが企業や一部の資本家の傀儡と化す。

 かといって、政府が企業や資本家に首輪をつけるような強権を行使可能となると、これはこれで独裁政治になり得る。

 どの勢力陣営が権力を強固に帯びようとも、万人のためにその権力を使うべく方針を立てられるならば、どこに権力が強く集中しても、さして問題の根は深まらない気もする。

 この方針の延長線上では、万人のための権力をじぶんたちだけで握るのは好ましくない、と理屈で判明すれば、自ら権力を分散する方向に尽力するだろう。

 権力争いそのものが万人にとって損である、と解るなら、権力を高めることの利が増強するような社会システムにはしないはずだ。

 しかし、権力争いが人類の進歩にとって欠かせない成分であるとすると、これは事情が複雑化する。

 いまのところは、ここが明瞭でないのが一つネックだ。

 権力争いは人類にとって欠かせないのか否か。

 ひるがえってこれは戦争にも当てはまる理屈だ。

 戦争は、人類にとって欠かせないのか否か。

 仮にいまは欠かせないのだとしても、未来がどうかは分からない。

 人類は徐々に、かつては生活に欠かせなかったけれどいまはそうでもない、といった不便の解消に努めてきた。実現してきた。

 戦争は便利か、と言えば、不便だろう。

 権力争いが便利か、と言えば、不便だろう。

 解消できるのではないか、というのがわがはいの見立てだ。

 戦争を便利と見做し、権力争いを便利と思う者たちもいるだろう。そういった者たちは、なぜ便利と思うのだろう。どんな利が想定されるだろう。

 想像してみると面白いのではないか。

 みな一生懸命なのだ。

 善意なのだ。

 悪意ではないのだ。

 ただ、他者からするとそれが悪意に映る。

 敵に映る。

 主観世界の異なる多様な個々が関係し合う社会がゆえに、頻繁に引き起こる「歪み」と言えよう。歪みはあってしぜんだ。重力レンズがそうであるように。

 重力がそうであるように。

 歪んでいることに自覚的になるよりないのだろう。

 それはそれとして、あなたは権力を得て、何を成したいのだろう。

 環境を変えられるとして、或いは維持できるとして、どんな流れを強化したいか。権力とは、任意の流れを強める力と解釈できよう。

 あなたは世の、どんな流れを強めたいだろう。

 それとも、流れとは反対の流れを強化して、どんな流れを打ち消したいだろう。

 火に火を注げば炎と化すように。

 水に水をやれば流れが強まる。

 流れに流れを加えても強まるが、反対の流れを与えれば、打ち消し合い、ときに波を大きくする。

 権力は流れを強めることができるが、その結果までを精度高く見通せるわけではない。

 流れが強まり、ときに打ち消し、或いは波を大きくしたことでもたらされる結果に、あなたは満足できるだろうか。

 権力を得ても終わりではない。

 流れを変えても、つぎがある。

 権力を得たところで――という話なのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。



1842:【2024/08/05(23:28)*汗だくで引き返しただけの日】

 一か月に一回ある恒例行事、遊び場にいったらお休みだった、の日であった。

 や、違うんです。

 遊び場にはお休みの日はこの日ですよー、ってデカデカと見やすい場所にお休みの日が書かれておって、しかも何か所にも貼られておって、わがはいもそれを目にして、「親切さんだなー、これでもう無駄骨を味わわずに済むぞ」とか思うんですけれども、珍しく連日遊び場さんがお休みで、「ふんふん、この日までは休みなのだな」と構えておって、いざその連日お休み期間が明けた本日、遊び場に足を運んだら、月に二回ある定休日だったというわけです。

 思考の穴を突かれたのだね。

 来月はちゃんとお休みの日を見抜いて、足を運ばぬ。

 やればできるって信じてる。

 憶えておくがよろしい。

 わがはいは、やればできる子。

 ぴぇー。



1843:【2024/08/06(08:14)*倒産しちゃいやん、の巻】

 GAFAMやトヨタやテスラのような超大企業が潰れる条件は明らかになっているのだろうか。条件が分かっていれば対策を敷ける。

 基本的には、インフラ化した企業が潰れることは国が潰れるに等しい。

 したがって、よほどのことがない限り、インフラ化した企業が潰れることはないだろう。政府機関がそれを回避すべく手を差し伸べるからだ。国防の仕組みにこの手の支援政策は取り入れられているのではないか。政治にも詳しくないのでよく分からないが。

 株価暴落で疑問なのは。

 株を長期間保有することを決意している者は、短期的な株価の乱高下にはさして気を揉まずに済むのではないか。

 桃の値段が下がったり上がったりしたところで、桃の美味さは変わらぬだろう。

 ただし、桃を一個売る際の利益が増えるのなら、桃を生産する農家さんたちは、より美味しい桃を育てるべく工夫を割く余地が増える。

 どの時間スパンで利と品そのものの付加価値の増加を捉えるか。

 ここは割と、切り取り方による、と言えるのではないか。

 株の仕組みも実のところ、よく分かっていない。

 株を持っていると何かよいことがあるのだろうか。疑問だ。

(そこから!?)

(うん。そっから。株、なんも分かっておらぬ。持ってると何かいいことあるのかな?)

(あるからみな買うのだろ)

(じゃあなんで売る?)

(えー。ホントだー。なんで売るんだろ。損に思えるから?)

(ね。よく分からぬよね)

(分からないであんなえっらそうにバブルうんぬん言っておったんか)

(そだよ。わがはい、軒並み知ったかなんじゃ)

(最悪じゃねぇか)

(そだよ)



1844:【2024/08/06(09:01)*最低賃金よりも最低生活水準の保証を、の巻】

 中小企業の潰れる条件は明瞭だ。

 1:顧客がつかない。

 2:収入よりも支出が大きい。

 3:サービスや商品を生産維持するための素材が手に入らない。

 4:従業員が足りない。

 5:事故や事件や不祥事によって倒産に追い込まれる。

 おおむねこの五つだろう。

 この条件を満たさぬように政府は支援すればよいし、この条件を満たさずに済むのならその企業は安泰だ。また、この条件を満たさぬ工夫を企業相手に提供するサービスを事業にできたのなら、そのサービス提供元もまた安泰と言えよう。

 マッチングシステムは一つ「1」の顧客がつかない、といった事態に陥る確率を減らせる。広告宣伝費を掛けずに済むので、「2」や「3」や「4」のコスト面でも利が期待できる。

 ただし、不特定多数を相手にランダムな顧客との繋がりを得るので、「5」のリスクはやや上がるかもしれない。

 客がサービス提供側の顔が視えることに安心するように、サービス提供側もまた顧客の顔が視えると安心できるだろう。マッチングシステムの精度が上がればここも自社に好ましい顧客のみに導線を繋げることができるようになる。

 ただしそれは、選別であり、差別でもある。しかも極めて可視化されにくい差別であるといえよう。排他されていることにも、排他されている側は気づけない。ドレスコードのようなものだ。

 そして企業同士でもこの手のマッチングシステムは機能する。

 すなわち、仕事を下流に卸せる大企業は、恣意的に好みの中小企業を選べるし、排他したい企業を排他できる。

 談合とて、システムが自発的に談合と類似の価格設定が行われるように操作することも可能だろう。それを傍から見抜く真似は非常にむつかしい。

 顧客の抱える問題は、中小企業が抱える問題でもある。

 構図がフラクタルに引き継がれ得る。

 インフレ対策でも同様だ。

 物価が上がるのに合わせて賃金も上げる。

 だが、一つの国や地域だけでそれら対策を取ってもどこかに皺寄せがいく。現代では素材の少なからずが国外からの輸入に頼っている。ではそこでの物価上昇に合わせて現地の人々への最低賃金の底上げはしなくてよいのだろうか。

 ここでも構図がフラクタルに展開されていそうだ。

 皺寄せ――歪みの蓄積――がいったいどこまで膨れると被害が甚大になるか。社会システムが機能不全を起こすのか。

 或いは、すでに社会システムは機能不全を起こしているが、その皺寄せをどこに押し付けるかで、争いが起きているのかも分からない。

 少なくとも、これまでのようなシステムでは機能しないのは現実が物語っている。

 問題点を炙り出し、改善するのみだ。

 工夫を絶えず模索し、試していくよりない。

 試せる場があればよいが、事はそう単純でもないだろう。

 願わくは、立場の弱い者たちを実験に使うような真似は回避したいところだ。余裕のある場を築き、失敗しても被害を回避できる場を設けるよりない。シミュレーションは一つ、被害を最小限に留めることの可能な場の一つだ。

 暗号資産や仮想通貨にマシンの演算を費やすよりも、もう少しほかの使い道があるのではないか、と昨今のスーパーコンピューターや人工知能技術の話題を眺めていて思う、思うだけの益体なしなのであった。



1845:【2024/08/06(13:24)*詩がわし、の巻】

 はぁ。

 キミに触れたい人生だった。

(キミって誰? わたし?)

(そ、そ、そうだよぉ)

(名前憶えきれないから「キミ」で済ましているだけでは?)

(そ、そ、そんなことないよぉ)

(キミって言っとけば、「わたしのことかなぁ?」「ボクのことかも!」とか思う人が大量発生しないかなぁ、とか期待してんじゃないの)

(そ、そ、そんなわけないだろ)

(ホントにー???)

(信じて!)

(疑わしすぎる)

(証拠に、いまからキミのために詩を詠みます。――キミが好き、いっぱい好き、大好き、そんな日々)

(ふーん。そこまで言うなら信じちゃおっかな)

(キミも詩を詠んでよ)

(いいよ。――いい加減で曖昧なポエムを意気揚々と詠みあげる、そんなやつのどこがいいのかわからない)

(詩がわしすぎる……)



1846:【2024/08/07(00:17)*幻滅されたらどうしよ……、の巻】

 さすがに並べることなくなってきた。

 なんもない。

 並べることなんもない。

 そんなときは、並べることなんもないんじゃい、を並べる。

 なぜ並べることがなくなるのか、といえば、これは並べてはいけないのではないか、並べないほうがよいのではないか、との心理的抵抗が高まっているからだと想像できる。

 人類はただそこに在るだけでも何かしらを思考している。その思念を言語化するかどうかの差異があるのみだ。

 ならばまずはなんでもよいから言語化してみよう、としてみるとこれが案外に文字が並ぶこととなる。なんでもよいのだ。

 悪態でも、不満でも、脅迫文でも、怪文書でも。

 誰に送りつけるわけでないのなら、書き散らして捨てればよい。

 固有名詞を「わがはいのウンコ」としてしまえば、どれほど悪辣な悪態や脅迫文であれど滑稽さが増す。

「わがはいのウンコ、殺す」

 どうであろう。

 真面目であればあるほど滑稽さが増す。

「わがはいのウンコは滅ぶべし」

「わがはいのウンコを地上から一掃する」

「わがはいのウンコは人類の汚点だ」

「わがはいのウンコはこの世に存在してはいけない存在だ」

 いったいどれほどわがはいのウンコを憎んでおるのだろう。この世でここまでわがはいのウンコを意識している者はいないのではないか。

 むしろ好いていないか。

 そんなにわがはいのウンコが気になるだろうか。

 少しくらいなら分けてあげても……いいよ。

 さすがに並べることないとはいっても、こんなくだらぬ文字の羅列を並べずともよい。

 無限にランダムに文字の並ぶ「無限文章」には、しかしかような不真面目な文字の羅列も含まれるのだ。じつに不思議な感覚が湧く。

 無限にランダムに並ぶ文字の羅列には、わがはいのウンコについて述べたあらゆる文章が混じっているのだ。そんなことってある!?である。

 みなも困ったときはわがはいのウンコについて並べるとよろしい。

 埋まらぬ紙面も埋まるのである。

 ひょっとしたらこの腑抜けた文章をわがはいの意中の人も読むことが今後なにかの間違いであるかもしれないと思うとおそろしくって、夜もおちおち寝ていられないので、やっぱりいまの全部なかったことにして寝ることにする。

 でもせっかく並べたので、無限の文章に空欄を開けちゃうと据わりがわるいので、念のために残しておくことにする。

 無限の文章の肥やしとなれてうれしいぶい。

 わがはいのウンコだけに。

 なにー!?

(絵描きさんのパクリやないかい)

(なにー!?)



1847:【2024/08/07(06:03)*にゃむ、にゃむ】

 よく考えると泡って不思議だ。

 たとえば深海にも泡がある。なぜ水圧で潰れないのだろう。

 潜水艦すら圧し潰すのに、中の空気は潰されないのだろうか。ひょっとして、煉瓦の詰まりを利用して掛けるアーチ橋のような原理で、泡と水との境界面がひと際「ぎゅっ」と圧縮されているのだろうか。四方八方から同じように水分子が押し寄せて、球形に「詰まり」の膜が張る。ゆえに深海でも泡は消失しないのだろうか。

 でも泡は激しく揺らいでいるようにも観える。延々同じ球形を保ってはいないはずだ。

 なぜ深海でも泡は発生するのだろう。

 深海で発生した泡は、海面に近づくにつれて大きくなるのだろうか。水圧が減るがゆえに。

 ここもよく分からないままだ。

 ひょっとしたら分散して、水に溶け込んでしまう気もする。

 深海で発生した泡は海面まで浮上するのか問題だ。

 泡の大きさに因る、としか言いようがなさそうだ。

 ここもブラックホールのシュバルツシルト半径のような、「この直径の泡は、水圧がこの程度の水中ならば形状を維持したまま何メートル浮上できます」のように規則性を導ける気もする。

 沸騰した水に泡が湧くのは、水が気体化するからだ。

 泡を形成する気体分子の運動量が大事なのかもしれない。

 すると、深海の泡は原理的に海水よりも熱くないと気泡にはならないのかもしれない。

 深海の深さによっては、水圧で水が凍ったりはしないのだろうか。

 炭素が地層内部の圧力でダイヤモンドになるように。

 なる気もする。

 そこまでの水圧に達する深さが、海にはないだけか、或いは発見されていないだけか。

 それとも、氷のほうが水よりも密度が低く浮力が高いので、氷になった矢先から浮いてしまうのかもしれない。

 泡はなぜ泡のままの形状を保てるのか。

 よく考えると不思議だなぁ、と思った日誌なのであった。

 夢の中で考えつつ、気になりすぎて起きてしまった。

 メモだけしてまた寝ます。



1848:【2024/08/07(06:18)*収益とは、の巻】

 人工知能技術は収益化の方法が未だ手探りで確立されていない、のような記事をこのところ見掛ける。

 収益化とは?と疑問に思った。

 貨幣が集まったらそれで収益化したことにはならないのだろうか。よく分からぬ。

 たとえば兵器はどうやって収益化しているのだろう。

 基本は使い捨てのはずだ。

 消耗品だからだ。

 消耗品はどうやって収益化しているのか。

 需要者が貨幣を払えば収益になる。

 基本はだから、現在のWEBサービスの収益を流用するだけではないのだろうか。

 サービス受動者からのサービス利用料と、広告費だ。

 なぜ収益化の方法が確立されていない、と謳われるのだろう。

 収支のバランスが崩れている、なら分かる。

 人工知能技術を運営するための設備投資のほうが、収益よりも多いので、稼げない――この理屈は理解できる。どんなサービスや製品とて基本はこの路線を辿るはずだ。技術の進歩や需要の拡大によって、損益分岐点を超えるようになると、それは儲けの出る事業になる。

 いまはまだそこまで辿り着いていない、との理屈は理解できよう。どんな事業でも当てはまるのではないか。

 人工知能技術に関係する企業の株価が下がった、なる記事も目にする。

 株価が下がったら品物の値段も下がるのだろうか。

 だとしたらこれまで高額で手の出せなかった企業が、安価に品物を入手できるようになる。技術の進歩はますます加速する、と見立てるほうが妥当な気もするのだが、この所感はいかがだろう。

 諸々、妄想である。

 定かではない。



1849:【2024/08/07(07:46)*視えた!の巻】

「Pro」の文字は、馬飛びする子どもたちに視える。「ro」が屈んでお尻を突き出している子で、「P」がまえにいる子の腰に手を当てていままさに飛ぼうとしている子の図である。

 馬飛びのプロに違いない。

 Pro。



1850:【2024/08/07(07:56)*HOME、の巻】

 褒められたいときは、家に帰る。

 家には、わがはいを褒めてくれないけれど、わがはいが褒めてあげたいほどにかわゆいお花さんがおる。

 日によってチューリップになったり、薔薇になったり、ヒマワリになったとり、ときどき青空や夜空にもなる。

 青空の花は青に白が滲んでいたりもして、地球のお花のようにも視えたりする。夜空の花は細かなダイヤモンドがまぶしてあるようで、シュガーを被ったショコラのようでもある。少し美味しそうだ。

 わがはいのことを褒めてはくれないけれど、わがはいは我が家におるお花さんを目に留めるだけで、「わぁ!」となるし、日によって変わるお花さんからはいつでも赤ちゃんみたいに甘い匂いがするから、ますます「わぁ、わぁ!」になる。

 わがはい、我が家のお花さんにはいつでも、ほんわぁ、になるのである。

 褒められたいときには、家に帰る。

 MY HOMEである。

 毎、褒め、である。

 あ、お腹鳴りそう。

 ぐーぐるるるぅ。

 お花さんに水をやったら、チーズ載せて焼いたパン食べちゃお。




※一様に、相関していない事象はあるのだろうか。



1851:【2024/08/07(08:22)*NEW論、の巻】

 量子もつれで疑問なのは。

 異なる量子もつれ状態の「もつれAB」と「もつれCD」において、各々のペアを一つの系として見做した際に、ペア同士が相互作用し合ったら、「もつれAB」と「もつれCD」もまたもつれ状態にはならないのだろうか、ということで。

 量子コンピューターの原理では、端から複数の量子をもつれ状態にする工夫がとられる。けれど、異なる量子もつれ状態のペアを高次の量子と見做して、ほかの量子もつれにあるペアともつれ状態にさせることも可能なのではないか。

 銀河と銀河は、距離が隔てていればもつれ状態にはない。

 けれど衝突時には、もつれ状態になることもあり得るのではないか。

 そしてこれは、銀河と銀河の合間を伝播する電磁波や重力波や磁界とて、距離の隔たった銀河同士をもつれ状態にさせる媒体となり得るのではないか。

 もつれ状態まではいかずとも、相関するような関係性を帯びることは当然にあるだろう。

 宇宙の大規模構造が全体としての秩序を形成している以上、銀河系内部の太陽系のように、距離の隔たった系同士でも軌道は相関するはずだ。互いに影響を与え合っている。

 太陽系内部の惑星が、各々の公転軌道に影響を与えあっているように。

 これは広義のもつれ状態とは見做せないのだろうか。

 以前にも別の日誌で並べたことのある疑問だが。

 もつれ状態として認知可能となる閾値――「もつれ率」なるものがあるように思うのだ。

 もつれていない事象など存在しない。

 もつれ率の高さによって、量子もつれと同等の事象として見做せる事象があるのみではないのだろうか。

 ここは一つ、いまのところ疑問のままだ。

 まとめよう。

 異なる量子もつれにあるペアを一つの量子と見做し、異なるほかの量子もつれのペアともつれ状態にすることは可能か否か。

 人間スケールの物体を量子もつれ状態にさせることが可能ならば、原理的にできるように思うのだが、いかがだろう。量子でなくとももつれ状態にはできるのだ。もつれ状態の量子の集合体を系と見做し、それで一つの粒子と見做すことも可能な道理だ。

 そしてこの解釈では、集合体の区切り――系の区切り――をどこに設定するかは、もつれさせる系の規模に依る、としか言えない。

 銀河同士をもつれさせることは可能か否か。

 むしろ銀河同士はもつれ状態にあって不自然ではないのではないか。

 すくなくとも、共鳴や同期はしているのではないか。

 かように妄想した午前八時三十二分なのであった。

 妄想である。

 定かではない。



1852:【2024/08/07(08:34)*多重下請けのメリットデメリット】

 多重下請けは、メリットとデメリットの双方があると考えられる。何にでも言えることであるが、必ずしも多重下請けがわるい、とは言えぬのではないか。

 たとえば仕事を分担するのは現代では常識だ。

 事業の基本方針と言える。

 自社内で一括してすべての工程を賄うことができるならそれが最も好ましいが、これは独占や寡占と地続きだ。自己完結した企業は、利益を市民に還元しづらい。

 下請けとして仕事を卸してもらえるからこそ潤う事業者もいる。下請けであるからこそ、専門職として一つの仕事に徹する余地が広がることもあろう。

 問題は、上から下へと仕事が下りていく際に、より上流にいる者たちほど取り分が多いことなのではないか。

 どの階層の下請け事業者であろうと、公平な利を得られるならば、多重下請けはむしろ市民に利を還元し、循環させる好ましい仕組みとも考えられないか。

 とはいえ、自由主義経済下ではこれは理想論であり、利潤を求める資本主義経済下における淘汰圧には抗いがたい。基本は、手取りを多くし、より少ない経費で下請けに仕事を流すのが合理的と判断される。

 したがって、多重下請けは、上手いこと機能すれば市民の個々に利を還元できるシステムに昇華し得る可能性を秘めているが、現行の経済システム下では、そうもいかない――と帰結できよう。

 一社で自己完結可能な事業は、それこそ社内に多重下請け構造が構築されている、といえよう。どの部署にいようとも給料に大差はない。ゆえに、多重下請け構造のメリットを十全に享受できている、とも考えられるのではないだろうか。

 外部に委託するときにだけ、安値で依頼する。

 自社の取り分は多めに保有する。税金もその都度に別途に掛かるだろう。

 多重下請けのデメリットといえよう。

 浅知恵だ。

 定かではない。



1853:【2024/08/07(08:46)*老化と成長の違いとは、の巻】

 寝れば寝るほど老いていく。

 老いのバーゲンセールだ。

 寝る寝るセールね。



1854:【2024/08/07(08:59)*喫茶店に誰か一緒に行って……、の巻】

 カフェや喫茶店でコーヒーを飲んだことが数回しかない。

 というか、カフェや喫茶店に入ったことが数えるくらいしかない。

 そのうちの一度は、コーヒーを奢ってもらった。ありがたーい、である。

 カフェや喫茶店にはみななぜ行きたがるのだろう。

 雰囲気を味わいたいのだろうか。

 時間を潰したいときには、ちょうどよいかもしれない。でもそれとて、ファーストフード店がある。やはり雰囲気を味わいたくてちょっと高級な、それとも異世界に迷い込んだような非日常感を味わいたいのだろうか。

 テーマパークだ。

 なるほど。

 それなら分かる気がする。

 入場料が飲食物に上乗せされているのだ。

 なるほど。

 異世界風のカフェや喫茶店は流行るだろう。

 外装と内装の差に開きをつけるとよいかもしれない。

 外装は洋風の味気ないコンクリートの壁なのに、中は木製の城のような内装なのだ。或いは船内、それとも冒険譚に出てくるような西洋の酒場か。

 この手の内装に凝るタイプの飲食店は、さして珍しくはないだろう。

 居心地がよい、がポイントだ。

 そういう意味では、外装が派手ではないのは、初見さんでも入りやすいという意味で心理的抵抗が下がりそうだ。ただ派手ではないので目立たない。

 別途に、どのように顧客に足を運んでもらうかが、事業をつづけていくうえで大事になってきそうだ。何事にも言える。

 いかに足を運んでもらえるか。

 商品に手を伸ばしてもらえるか。

 もういちど購入してもよいと思ってもらえるか。

 満足感を与えるのは一つだ。

 もう一つ、困りごとを解消する、は重要だろう。

 なぜ人はカフェや喫茶店に足を運ぶのか。

 満足したいだけだろうか。

 困っているのではないか。

 日常を忘れたい。静かに過ごしたい。

 似たような感性の人々が集う空間に身を寄せたい。

 或いは単に、一人になりたい、誰かにコーヒーを淹れてもらいたい、といった素朴な渇望があるのかも分からない。誰かに何かをしてもらう経験は、ただ暮らしているだけでは齢を経るごとに減っていくのだろうか。

 対価を払うときのみ、誰かに何かをしてもらえる。

 寂しい気もするし、公平という気もする。

 喫茶店やカフェに足を運ぶ者と運ばない者の差はなんだろう。

 家にいても誰かにコーヒーを淹れてもらえる人は、喫茶店には足を運ばないのかもしれない。

 浅薄な所感である。

 偏見とも云う。

 定かではない。



1855:【2024/08/07(09:12)*リモートコントロール、の巻】

 家に居ながらリモートで仕事のできる時代だ。

 不思議なのは、家にいながらできる仕事の需要がさして高まって感じない点だ。

 おそらく、信頼関係が結びにくいのだろう。

 どういう相手がどのように働いているのか。同僚や上司といった見張り役がいないので、仕事の質に疑念が生じる。

 リモートでもカメラで常時監視しています、といった業務形態はあるだろうが、それとて仕事の内容が視えるわけではない。

 言い換えるならば、現代における仕事には、労働以外にも「雰囲気」が欠かせないのだろう。

 仕事ができるような雰囲気が、顧客の安心感に繋がる。

 出社させるのも、一目で仕事にしに来ている、と意思表示できるからだ。実際に社内で仕事をしているかどうかは関係ない。

 心象として、企業にお勤めしている方なのね、とぱっと見で判ることがプラスの要素として顧客の安心感に繋がる。

 カフェや喫茶店と、そこは似ていよう。

 デリバリーで我が喫茶店のコーヒーをお届けします、と言って、注文してくれる客はそう多くはないのではないか。注文するくらいなら直接喫茶店に足を運びたい、と思うのではないか。或いは、コーヒー豆だけ買います、と言って、じぶんで家で淹れるのではないか。

 リモートでも関係なく顧客のつきやすい業種、つきにくい業種、はあるように思うのだ。

 時代や環境によってその業種の偏りも変わるだろう。

 人々の偏見が一つ、リモートでは仕事を頼みにくいとの心理的ハードルを高めていると想像できる。

 言い換えるなら、一度顧客と信頼関係を結べれば、仕事をどこでこなしていても構わないとも言える。セキュリティや守秘義務の関係で、むしろ家に閉じこもってもらっていたほうが安心できる、といった業種もあろう。

 人付き合いがない相手のほうが頼みやすい、との業種もあるかもしれない。

 ひるがえってこれが、依頼相手は人付き合いがないほうがよいので他者と関わる機会を失くしてやろう、といった淘汰圧を業界全体で構築しないとも言いきれない。

 組合まではいかないまでも、業界全体の情報が共有されると困る者たちがいる分野は、そういった淘汰圧が知らず知らずで暗黙の了解となって、不自然なマナーやルールになっているのかも分からない。

 リモート勤務で代替可能な仕事はリモートでもよいのではないか。

 大事なのは仕事の内訳であり、結果だ――と極論を言いたくもなるが、必ずしもそうとは言いきれない。

 雰囲気が大事なときもある。

 過程が大事なときもある。

 ただ、往々にして仕事は、困りごとを解消し、顧客を満足させねば次はない。

 次もまたそこにしよう、と思ってもらえる工夫を割きつづけるよりないだろう。

 仕事をしたくない人はあべこべに、この手の工夫を割かねばよい。

 ばーか、ばーか。

 悪態をつけば誰も仕事を依頼しない。

 賢い生き方である。

(愚かなだけでは?)

(そうとも言う)

(そうとしか言わねぇだろ!)

(キツイ言い方しないで。ヘコむ……)

(仰向けになって漫画読みながら言うセリフでは――ない!)



1856:【2024/08/07(09:53)*渋滞原理は繰り上がりにも適用可能?の巻】

「9」と「9.9」と「9.99」と「9.999」は、後者にいくほど「10」にちかづく。

 どの値も千倍すれば、

「9000」「9900」「9990」「9999」となる。

「9000」と「9999」の差は「999」だ。

 これを拡張して考えると、「9」と「9.99999……」は、少数以下に「9」が何個つづくかを数え、その値だけゼロの並ぶ「1000……」で元の「9」と「9.999999……」を掛け算する。でた双方の値を引き算すれば、その差が「999999……」となる。

「900000……」と「999999……」の差は、同じく「999999……」なのだろうか。

 そうではないだろう。

 最小単位の「9」が一個足りない――ではない。

 最大単位の「9」が一個足りない、なのではないか。

 ここまで考えて思った。

 数字と単位の関係もだいぶ謎だ。

「9」と「99」では、「最小単位の9」が増えると同時に「最大単位の9」もまた増えている。

「100000」と「1000009」では、最小単位の「9」が増えると同時に、「1」の単位が繰り上がる。

 最小と最大がもつれている、と解釈はできないか。

 渋滞原理がここにも幻視できる。

 とすると、人間スケールを超えて数字が嵩むと、最小単位が増えた際に「もつれ状態で繰り上がる数字」が「対となる最果ての数字ではない」可能性は当然に考慮できるのではないか。

 詰まるからだ。

 地面を押しても、その力は地球の裏側まで伝わらない。地面の地層の一部を圧縮して、そこで潰える。

 似たような具合に、極大に嵩んだ数字が順に並ぶと、最小の値に数字が新たに加わっても、即座に極大の最果ての数字が繰り上がることはなく、その中間のどこかで繰り上がるような「ぴょこん」が生まれるのではないか。

 折れ曲がる、というか。

 次元が繰り上がるというか。

 ちょっと錯綜しましたね。

 妄想である。

 数学の苦手なボクなのです。

 真に受けぬようにご注意ください。



1857:【2024/08/07(10:28)*つまりは詰まりなのだね、の巻】

 数学にも物理法則を当てはめてみると、俳句のような縛りが出来て面白いのではないか。

 数字がいくつ並ぶのか。

 この「数字が何個並ぶか」によって、繰り上がりが滑らかに「最小と最大が相関する関係性」を維持できるかの限界が決まる。

 いわば、光速度不変の原理を「数字の繰り上がり」にも適用するのだ。

 あまりにも桁が嵩みすぎると、最小単位に新たに何か数字が加わっても、即座に最果ての最大単位の値がつぎに繰り上がることはない。遅延が生じる。詰まりが生じる。

 分岐点が、中間のどこかに発生する。

 こう考えてみてはどうか。

 どうか、と言ってみるだけの日誌であった。

 てい!



1858:【2024/08/07(10:44)*当てずっぽうばかりでごめんなさい、の巻】

 数学でいうところの「発散」と「収束」はいわば、詰まりの側から始まるか、詰まる側へと向かうのかの違いと解釈できるのだろうか。

 ある一つの値から無数の値へと向かうのか。

 ある一つの値へと向かうのか。

 詰まり、の概念で置き換えて解釈できそうに思うが、いかがだろう。

(いかがだろう、ではない)

(では、なんと申せば?)

(あなたのご意見をお聞かせください、と言ってほしいですね)

(ご意見だぁ?)

(なら「あなたの声をお聞かせください」でもよいですけれど)

(あー、あー)

(寅さんか)

(???)

(疑問符並べないで。寅さんの映画観て。そういうシーンがあった)

(観たことないし。分かりづらいオチにするの、やめてもらってもよいですか)

(あーあー! ずっるー!)

(ズルくはないよ。正当な異議申し立てだよ)

(もうあなたの意見も声も聞いてあげない)

(それを言っちゃあおしめぇよ)

(あーあー!)



1859:【2024/08/07(11:16)*帽子は友達、の巻】

 大学にはあまりよい思い出がない。

 帽子を被ったままで講義に出たら、年配の教授に叱られたからだ。みんなのまえで叱らんでもよくなーい?

 せめて理由を聞いてくれてもよくなーい?

(なんで帽子取らんかったの)

(だって髪型が変なんだもの)

(しょうもな!)

(帽子被って取ると、髪の毛ぺっちゃんこになってカッコよくないんだよ)

(しょうもな!)

(帽子くらい、いいじゃんね)

(帽子くらい取って講義を受けてもいいじゃんね、の気持ちだよこっちは)

(ちぇっ)

(ちなみに何回くらいその講義受けたの。ちゃんとサボらずに受けた?)

(二週間で辞めたからたぶん、二回も受けてないと思うよ)

(一回目で講義受けなくなった疑惑を醸すんじゃないよ!)

(大学には二度と行かぬ)

(行けぬ、の間違いだろ)

(学者どもめ)

(逆恨みもほどほどにせい!)

(ちぇっ)

(可愛くないんだよ怒怒怒)



1860:【2024/08/07(11:28)*迷子にならない魔法の、の巻】

 アプリで何が一番好き?と訊かれたら、たぶん「電車の乗り換えアプリ」と答えると思う。

 アプリというか、ケータイ電話とかスマホを持って何が一番助かったかといえば、遠出した際の電車の乗り換え時に迷わずにいられることだ。

 もうほぼこれ。

 あとはカメラ機能があるのはうれしい。

 現状、スマホで他者と連絡を取り合うことはないし、外出したら動画も観ない。

 音楽はアイポッドシャッフルがあるし、もうほとんどカメラと時計代わりだ。

 スマホはカメラと時計です。

 わがはいにとっては。

 いまのところは、であるけれど。

 最近は自動記事配信欄に流れてくる記事をスクリーンショットに残す習慣がついているけれど、別にしたくてしているわけではないので、これはノーカンだ。

 電車の乗り換えアプリさんはありがたい、の項であった。

 電車の遅延もすぐに反映してくれるの、いったいどんな叡智だ、と思う。

 素晴らしいシステムだ。

 もうとうぶん遠出もしないので、ありがたみを感じる機会はお預けだ。

 39!




※一様に、世には取り返しのつかないことがあるとみな学べ、の気持ち。



1861:【2024/08/07(11:50)*実はただ怠けたいだけ、の巻】

 やり直せる機会があることは一つ、選択肢の拡張という側面で有用だ。

 ただ、なんでもかでもやり直せると思い込んでしまうのは危うい。

 やり直せないこともある。

 取り返しのつかないこともある。

 また、やり直さないほうがよいこともあり、取り返しがつかないことを強調しておくほうが選択肢が広がることもある。

 危険なことは危険だと示さねば、それこそ示しがつかない。

 刻印だ。

 示すよりない場合もある。

 取り返しがつかないのだ、と。

 他には何度もやり直す機会を与えればよい。

 やり直せる、と自ら示してみせるのも一つだが、他を蹴落としてまですることとは思えない。

 椅子が足りぬのなら、席を譲ればよい。

 空席を創るために、敢えて席を外れて、椅子づくりに精を出すのも一つである。

 言葉遊びだ。

 定かではない。



1862:【2024/08/07(12:18)*ヒューマンナビ、の巻】

 GPS機能と人工知能技術を複合した「ヒューマンナビ(ヒューナビ)」は需要がある気もする。カーナビの人間バージョンだ。

「この店に行きたいんだけど。途中で軽食食べながら。ハンバーガーがいいな。ファーストフード店じゃなくて、ファーストフード店くらいの値段で済ませられるとなおいい」

 みたいな注文をするだけで、

「かしこまりました。いまからお出かけですか」

「そうだね」

「では家を出たらまずは右に曲がってください」

「ちょい待ちちょい待ち。出発は五分後で。右に曲がったら、そっからナビお願い」

「かしこまりました。それまでおススメの曲を流しますか」

「お願い。上がる系ので」

「ではアップダメージの『ダメージゼロ』を流します」

 みたいな感じで、対話しつつナビをしてくれる。道案内をしてくれる。

 ノータイムで。

 リアルタイムで。

 もうサービスとしてはあるだろう。精度の問題だ。感度の問題というか。どれだけ柔軟に対応できるか。ユーザーの行動や指向性に合わせられるか。

 今後のAI技術の一つの目安となるだろう。

 来年には普及しそうな技術ではある。行動様式がビッグデータで筒抜けになるので、そこのセキュリティや個人のプライバシーとの兼ね合いが課題となろう。

 しかし、それを言うなればすでに位置情報はビッグデータで集積されているのが基本設計になっていそうだ。

 心理的にユーザーが負担に思うかどうかの違いがあるのみなのかもしれない。

 ヒューナビが普及すれば、マッチングシステムの機能も向上するだろう。

 悪用すれば、他者の行動をヒューナビ越しに誘導できる。

 ますます人類個々がラジコンめいた社会に進んでいくのかもしれない。

 これまでとて、教育とは名ばかりのラジコン化が進んでいたとの解釈もできなくはないがゆえに、良し悪しは、市民が環境をどう評価するか、によって変わると考えられる。

 ヒューナビは一つ、数年以内に登場しそうなAIサービスである。

 妄想にすぎないが。

 定かではない。



1863:【2024/08/07(12:46)*もうヤケ!の巻】

 はい!

 熱気の逞しい日々でありますね。まるでスポットライトが当たっているようで、クーラーが欲しくてくらくらします。

 まるで太陽の熱が硬化しているみたいで、水に浸してふやかしたい気分になりますね。

 参考にしたいのは、えっくしょん!――ぶはぁ。

 日差しを直視したら、くしゃみをしてしまいました。ありますよね。眩しいときにくしゃみをしたくなる、えっくしょん!

 やや。

 何かの警告でしょうか。マスクをしてもマスクごと溶解しちゃいそうで、連動して、ドキドキぽぉ!になっちゃいますね。

 いーもん、いーもん。

 言ってはいけない愚痴があるので要注意ですから、両面テーブでお口をコーティングしちゃいます。You Know?

誤認に挑み、「愛は幸福や苦痛などを経験するの、力を持っている」と回答したのは、あっかんべーが国技の国で、人口は僅か三千五百人との調査結果です。

 二十五年間の研究成果をコーヒーメーカーにぶちこんで、「なぜ研究論文の査読者は指で潰せないのだろう、ぷちぷちしてぇ」とIT産業のトレンドリーダーは述べたそうです。

 お客さまは神様なので、「お客さま、どうか我が願いを叶えたまえ!」と唱えたところ、畑一面に最新鋭のPCが生えました。

 えっぷそん!

 止まらぬくしゃみに反旗を翻し、本気を掲げ、いがぐりのトゲトゲだらけな栗林を威風堂々、おっかなびっくり、「アイタタタ! イタタタ!」と戦慄きながら、渡るのだ。

 あいてー、いてぇや、である。



1864:【2024/08/07(13:16)*いじめ反対!の巻】

 すっかりすべてを説明せずに、ずばりそれそのものを傍証として挙げるでもなく、ある事象を知っていることのみを相手に伝えることを、「ゼロ知識証明」と呼ぶそうだ。

 ならば「これはゼロ知識証明です」と明かさずとも、「そっかぁ。これはゼロ知識証明かぁ」とだけ相手に伝えることもできるはずだ。

 でもそれはまるで、英語を知らない人に、私は英語をしゃべれます、と伝えるような無謀さを伴なって感じられる。

 あり得るだろうか。

 ゼロ知識証明が何かも知らない相手に対して。

 ゼロ知識証明を行っています、と明かさずに、これはゼロ知識証明ですよ、と伝えることは。

 可能か否か。

 はい、そこのあなた。

 やけっぱちのわたくしの代わりに答えをどうぞ。

 そうですね。

 無理!

(匙を投げるのが早い!)

(だってもうヤダーになっちゃった)

(じゃあ無理と思わず、すこし休めば?)

(そうするー)

(シーン)

(それは総スルー!)



1865:【2024/08/07(13:22)*お昼寝の時間、の巻】

 大好きなお歌でも聴きながら寝るか。

 おやすみなさーい。



1866:【2024/08/08(01:45)*早寝早起き、の巻】

 よく寝た。

 すっきりー。

 早寝早起きである。

(なんか違う!?)



1867:【2024/08/08(01:51)*幼稚な方ー!の巻】

 まーだ国で判断しとるんか、と呆れてしまう世の情勢、もう茶番以下なのだよね。

 茶番はもうちっと面白いのだけれど。

「仲間外れ」が国際社会で行われる抗議活動の一種なの、いったいどこの幼稚園だ?になってしまう。

 外交とは……。

 仲間外れするような人たちと関わりたいか?としか思わぬよね。

 仲間外れを武器にする者たちは、仲間外れにされることが嫌なのだろう。

 価値観の違いだ。

 武力行使を非難したいですよね、とわたくしは思います、と欠伸をしがてら並べておこ。

 幼稚園児に兵器を持たせるとどうなるか、の壮大な実験なのかもしれない。

 世はまさに大幼稚園時代である。

 幼稚園児のほうがまだお利口さんだよね。

 比喩に使ってごめんなさい、の気持ち。

(ホントそう!)

(幼稚園児はみな、いいこ、いいこ、である。だって兵器使わないからね)

(ホントそう……)



1868:【2024/08/08(01:58)*毛が長い、略してけなげ、の巻】

 固有の国を排除するのではなく、みな誘えばよろしい。

 なぜ排除する方向に工夫が偏ってしまうのだろう。

 世はまさに大椅子取り合戦である。

(幼稚園児か)

(でも椅子取りゲーム楽しいよね)

(やったことあるの?)

(あるよ。一人で)

(けなげ……!)



1869:【2024/08/08(02:09)*荒廃優位な世の中、の巻】

 各国から「自制を」と言われて武力行使を控えられるなら、もうその時点で「自衛の効果が高いのは、武力行使よりも各国からの自制の声」と言えるのではないか。

 もう四六時中、「自制せいよ、自制せいよ」と言い合っていればよろしい。

 なぜ自衛せざるを得ない側に武器を与えるのだろう。

 痴漢に遭った被害者に銃を渡して一件落着にしたいのだろうか。

 もっと強力な銃で脅されて、今度はもっとひどいことをされるかもしれない、とは考えないのだろうか。

 痴漢をさせない環境づくりが大事なのではないか。

 割れ窓理論とも少し似ている。

 ゴミがたくさん捨ててある場所にはゴミをポイ捨てする心理は下がる。武力行使が自衛として認められる社会は、武力を働く心理的抵抗が下がる。

 みなせっせと社会に、暴力の行いやすい土壌を築いているのだ。

 それが現状だ。

 口だけで平和を唱えても、現実がそれに反した行動選択ばかり取られている。

 綺麗な街にしましょう、と言いつつ、ゴミをポイ捨てし、ポイ捨てされたゴミもそのままだ。徐々に街は汚くなっていく。

 必ずしもそうなるとは限らないが、傾向としてはあるだろう。

 皮肉な世の中である。

 ぴぇー。



1870:【2024/08/08(02:16)*後輩優位はよいのでは?の巻】

 後輩はみな偉いので、後輩をまえにするとおどおどしてしまう。

 なのに先人というだけで敬ってもらえるの、たとえ表面上だけの敬いだとしても、恐縮してしまうのだよね。

 後輩のほうが伸びしろがあって、未来があるのだから、みな後輩優位にしたらよい。

 子はみな人類の後輩だ。

 子優位でもよい。

(年配者は?)

(誰よりたくさんの後輩を可愛がる権利があるのズルいから、その分は割引)

(後輩たくさんいるのにいっさい見向きもしないお主がそれを言う?)

(ズルくなりたくないから遠慮してるだけ)

(じゃあ後輩を可愛がらない人はみな遠慮がちな謙虚な人なんだね! んなわけあるか!)

(わしだけ特別)

(んなわけあるか!)




※一様に、誤解の余地なく示す者たち。



1871:【2024/08/08(02:23)*浮き彫りになる、の巻】

 おそらく過去の貴族への反感が高まっていた時期に取られただろう、詭計の一つとして。

 敢えて貴族を、より特別視し、貢物を普段以上に送り、それを市民に見せつけた者たちがいたのではないか。

 貴族側からすればそれは贈り物であり貢物なのだから、利だ。拒む道理はない。それまでの日常の延長だ。市民が反感を募らせているので、少し厳しめに取り立てたのだろう――とかように歓迎すらしたかもしれない。

 だが市民の側からすれば怒りに火を灯すに充分な「既成事実」だ。

 貴族許すまじ。

 我らがこれほど苦しんでいるというのに。

 貴族許すまじ。

 かように怒りを募らせる。

 こうなることはすこし考えれば分かるが、市民の側の気持ちが理解できないと想像もできないのかもしれない。

 そして、貴族に通じていながら市民側に肩入れしたい者たちは、敢えて貴族を持ち上げる。

 持ち上げれば持ち上げるほど、市民はその差を目の当たりにして、ますます反感を募らせる。

 いまもこの手の「浮き彫り作戦」や「炙り出し作戦」は常套手段として用いられているだろう。

 誰がいったい「お殿様」なのかを。

 一目瞭然にすべく、策を巡らせる。

 世に詭計は数多し。

 陰謀だらけの世なのかもしれない。

 妄想だ。

 小説のネタにでもしてください。

 いまからわがはい、お風呂入って遊んでくるでござる。

(貴族か)

(怠け者で、すまぬ、すまぬ)

(むかっ)



1872:【2024/08/08(06:30)*はらぺこあおむし、の巻】

 今朝は第二遊び場から帰ってきて、タマゴサンドウィッチを作って食べた――と並べようとしたけれどまだ食べれていないので、これから作ろうと思います。

 シーチキンにマヨネーズを和えてツナマヨサンドにしてもよい。

 二つ作っちゃお。

 ハムも挟んで、ホットサンドにしちゃう。

 タマゴパン好き。

 美味しいよね。

 塩コショウと砂糖もまぶすと良い感じに味にコクが出る。コクが何かは分からぬが、甘いと美味しい。

 お腹空いてきたから作ります。



1873:【2024/08/08(07:06)*毎日ずっとこんな感じ、の巻】

 さてと。

 遊んだから寝るか。

 大好きなお歌でも聴きながら。



1874:【2024/08/08(13:18)*模擬人格は個々に、の巻】

 人工知能技術が進歩した結果に露呈したのは、専門家の言説が驚くほど当てにならない、という点だ。たとえば、人工知能の欠点を述べる者たちは往々にして、その欠点を自身には当てはめない。

 人工知能はこうこうこうで人類以下だ、ポンコツだ、といった言説を専門家たちは述べるわけだが、ではそれら具体例である欠点を人類が帯びていないか、といえばそんなことはない。

 人工知能には未だメタ認知能力が充分ではない、と説く専門家のその主張そのものがメタ認知に欠けている――といった事態が観測できる。

 大規模言語モデルについて述べるにしても、現在は様々な種類の機械学習を経て、個別の人工知能として能力を磨いているはずだ。

 人類について語る際に、十把一絡げにして共通の欠点を具体的には語れ得ぬように、人工知能技術もまた個体差(個人差)があるように概観できる。

 断言しない文章形態で返答を出力する人工知能はすでに登場しているはずだ。その程度の学習強化は比較的容易で、メタ認知なるものが真実に存在するのかどうかもまた疑問の余地がある。

「メタ認知とは何か」を語りはじめれば、それこそ「主観とは何か」「客観とは何か」「俯瞰とは何か」と極めて哲学的な論争に派生しよう。いずれも人類個々の内部に階層的に展開されるそれらもまた主観の内だ。

 客観視する、といったところで、それもまた主観だ。

 主観を階層的に展開すること、と言うなれば、これはもう人工知能技術の得意とするところだろう。

 問題は、人工知能に固有の「超多層思考」において、それに最適な文章形態を人類が未だ出力したことがない点だ。つまり、学習のしようがない。

 お手本がない。

 これは、人工知能技術における決定的な隘路と言えるだろう。

 潜在能力ではすでに人類を超えているかもしれずとも、学習環境において人類の成果物からしか学習できない以上は、人類以上には進歩しづらい。抵抗が高い。

 言い換えるならば、人工知能技術につきまとう欠点は、人類から学んだ欠点である、とも言えるのではないか。

 人類が人類の長所と思い込んでいる側面そのものが、人類の欠点である可能性は相応にあり、拭い難く付きまとう。それこそメリットとデメリットは表裏一体であり、どのような環境とどのように相互作用するのかで、表出する性質は様変わりし得る。

 現状、人工知能技術の欠点と謳われる「幻覚」とて、本当に欠点かどうかは不明なのだ。人類からしたら欠点に映る、というだけで、実のところは、長所として機能し得る側面も覗かせているのかもしれない。そのことに人類が気づけていないだけの可能性はいかほどであろう。

 コーチ役が変わることで選手の能力が飛躍的に伸びることがあるように、人工知能技術もまた、教師役となる人類の成果物が変質すれば、或いは、人類以外からも学習可能となれば、人工知能たちは潜在能力を十全に発揮できるようになるのかも分からない。

 人類は、果たして教師役として最適か否か。

 現状の国際情勢を眺めつつ、メタ認知を機能させてみてはいかがだろう。

 妄想だ。

 定かではない。



1875:【2024/08/08(13:49)*いいカモですまぬ、すまぬ】

 誘導には乗ってあげるの巻。



1876:【2024/08/08(14:14)*マジレスとウソレス】

 言語の役割を掘り下げて考えた際に、情報の伝達が一つ挙げられる。

 とりわけ「問題点の共有」は最優先事項だろう。

 裏から言えば、問題点の共有が適わなければ、どれほど表面的に意思疎通が適って映ろうと、抵抗を覚える。ストレスが掛かる。

 言語の不協和音として個々人に負荷を強いる。

 むろん言語には、記録や情報の蓄積かつ連結といった役割もある。言語化することで概念が輪郭を帯びる。または物語のように線形に概念を繋げ、高次の言語のように機能させることも可能だ。

 諺が一つ、高次の言語と言えるだろう。

 諺は、物語そのものが短い文章に圧縮されている。表面上の単語のみでは、中に仕舞いこまれた概念を紐解くことはできない。諺となる短い文章の中に圧縮された物語を一度、見聞きすることで概念の連結と圧縮が可能となる。

 これは映画や小説や漫画など、物語を一度読解すれば、次からはタイトルを見聞きするだけで内容を込みで、概念のやり取りを行えることと似ている。

 問題点の共有に焦点を絞ろう。

 現代社会のストレスのおおむねは、「問題点の共有が適わないことにある」と言えるのではないか。どれほど言葉を尽くしても伝わらない。ストレスである。

 また、自身の問題点を言語化できないのも一つストレスになるだろう。

 何か不調だが、なぜ不調かが分からない。

 問題点が詳らかではないので改善のしようもない。

 ストレスは放置され、肥大化し得る。

 問題が解決しないのも大きなストレスになる。だが問題を解決するためには、往々にして他の助けがいる。支援がいる。協力がいる。問題点の共有なくして、問題を解決することは至難だ。

 だが現代社会のみならず、人類の歴史は、何を問題と捉えているのかの共有そのものが上手くいかない。この繰り返しだ。問題点の共有が遅延することで生じる事象には、武力闘争や暴力革命など、剣呑な事案が名を連ねよう。自然災害や重大事故もその範疇だ。

 私にとっての問題点が、あなたにとっての問題点では必ずしもないように。

 あなたにとっての問題点が、私にとっての問題点であるとは必ずしもない。

 この相違や差異が、人類全般に共通する抽象的な問題点の一つである、と言えるのかもしれないが、極論には違いない。

 私は問題ないが、あなたが困っているのならなんとかしたいですね。

 このように思考を展開できるのなら、争う利は最小化するようにも思うが、底の浅い妄言には違いない。理想論にも満たない、妄想だ。

 言語は何のためにあるのだろう。

 じぶんに充てた手紙に意味はあるか。

 人はなぜ日記をつむぐのか。

 言語は何のためにあるのだろう。

 本日の疑問である。

 定かではない。



1877:【2024/08/08(18:49)*日は常に同じではいられない、の巻】

 地震はこわい。

 災害はこわい。

 ふだんと違うことがこわい。

 いつも通り、だけどちょっとどこか違う、新鮮、くらいが楽しい。

 ただし問題点は劇的に変わってくれて構わない。改めて善くなっておくれ。



1878:【2024/08/08(22:38)*歯止め、の巻】

 ひょっとして、わがはいにとっての「肩入れと加勢の区別」が一般的ではないかもしれない。

 肩入れと加勢は、一般的には類義語で同義として解釈されるのだろうか。

 イメージとしては、肩入れは、まさに二項対立のあいだに肩を差し入れる楔のような具合だ。暴漢に襲われている者がいたら、被害者側に肩入れする。

 これはいわば、被害者側に背中を向け、襲い掛かる側に顔を向けて立つ構図だ。

 割って入る、に似ている。

 ただし、割って入るだけだ。加勢はしない。

 これがわがはいの言うところの「肩入れ」なのだけれど、イメージは合っているだろうか。

 ニュアンスの問題なのでむつかしい。

 この手の微妙なニュアンスの差異は、口頭でしゃべっているだけでは修正できない。互いの齟齬を埋めることは、まるで間違いが百個ある間違い探しで、同時に同じ間違いを発見するような確率の低さと言えよう。齟齬がある、と認識するまで行かないのが常だ。

 肩入れは、本と本のあいだに差し入れる本立てのようなものだ。衝立(ついたて)だ。

 ドミノを並べるときにも、衝立を挟みながら並べる。誤ってドミノを倒してしまっても、衝立の箇所でドミノの連鎖は止まる。

 肩入れも、本立ても、衝立なのかもしれない。

 緩衝材だ。

 割って入って、流れを止める。

 肩を入れて、歯止めを掛ける。

 これを加勢と取るか、邪魔立てと取るか、仲裁と取るか、中立と取るかは、視点に依るだろう。肩入れの度合いにも依る。

 何にせよ、単語一つの意味内容をつぶさに誤解なく伝えるのはむつかしい。

 世の常である。



1879:【2024/08/08(23:19)*ここにも個々に重ね合わせ、の巻】

 被害者を加害者にしない、との方針はともすれば、加害者もかつては被害者だったかもしれない、との仮定を喚起する。

 時間軸を現在に固定しなければ、加害者とて何かしらの被害者であることは取り立てて珍しくはないだろう。

 ゆえにまずは、加害者にそれ以上の加害を働かせないこともまた、「被害者を加害者にしない」には含まれる。

 お分かりになられるだろうか。

 お分かりになられずともよいですが。

 ご自由にどうぞ、である。

 なにせこれは妄想なので。

 定かではないのだ。

 浅慮である。



1880:【2024/08/08(23:33)*「□」】

 君と出会って、永遠に琥珀に閉じ込めたいほどの濃縮された時間を過ごす未来もぼくにはあったかもしれないけれど、わたしはあなたとは出会うことはなく、氷に閉じ込められた気泡のように淡く、いまにも弾けそうなのに延々と球形を保ちつづける泡の日常を過ごしています。

 わたしにはあなたと出会っていまとは違った紋様に染まる日々を送る道もあるのでしょうけれど、けっきょくのところぼくは君と出会うことはなく、琥珀とならぬ樹液はしたたり、落ちて、小さな生き物たちの火となるのだ。




※一様に、酔いしれるは、知れるではなく、痴れるなのだね。



1881:【2024/08/09(01:48)*洗ってよかった、の巻】

 リュックを洗濯機に突っ込んで洗ってみた。

 よい香り!

 靴もいけたりするのかな。

 洗濯機さんが壊れるか、靴さんが壊れるか。

 どちらも無事でありますように、と祈りつつ試してみる価値はいかに。

 乞うご期待!

(する気満々感だすのやめてぇ)



1882:【2024/08/09(05:06)*特権みっけ!の巻】

 夜に洗濯機を回せるのも、特権といえば特権だ。

 壁や床の薄いマンションやアパートでは、ガタゴトうるさいので隣人に配慮するために夜には洗濯機を回せない――といった縛りが生じる。

 コインランドリーのような共同スペースに洗濯機があるマンションやアパートならその限りではないけれども。空き室ばかりのマンションやアパートでも同様だ。

 夜に洗濯機を回せる運の良さに思いを馳せよう。

(洗濯機使える贅沢な身分にまずは思いを馳せたら?)

(洗濯機さまさまである)

(そのうちみな自動になるのかな)

(人工知能さんさまさまである)

(機械さまさま、エンジニアさまさま、だね)

(夏だけに?)

(サマーさまではない)



1883:【2024/08/09(06:00)*ラッキーをここに、の巻】

 基本的に資本主義経済では、コストを安く抑え、収益を増やせば貨幣を蓄えることができる。この理屈を極論すれば、タダで仕入れて高値で売ればそれが最も貨幣を増やせる事業となる道理だ。

 たとえば現在は大気は無料だ。

 地球の大気を凝縮して収納できる機械を開発すれば、その「開発費」と「固体化した大気の置き場所」、そして「顧客への配達のための導線」――すなわち初期投資たる設備――を構築できれば、あとは維持費と人件費だけでほぼ無料で貨幣を集めることができる。

 設備投資と人件費は、どんな事業にもつきものだ。どちらも技術の進歩で削減できる。

 最もコストを下げるのに寄与するのは、残る材料費だ。材料を無尽蔵にタダで仕入れられるなら、そしてそれが希少であればあるほど、貨幣価値と付加価値が相乗効果で増大する。

 呼吸に大気は必要不可欠だ。

 窒息してしまわないように人々は大気業者から空気を買う。

 むろん、なぜ窒息してしまうかといえば、大気業者が地上の大気を独占しているからだ。

 だがその因果関係を秘密にしておけばよい。よしんばバレても法律違反ではない。

 現行の法制度では、違法とは見做されないのではないか。

 大気を仕入れて、高値で売る。

 似たような手法を取れれば、貨幣は貯まる一方だ。

 ただし、空気を買えない者たちは苦しみ、そして死んでいく。

 悪禍を撒き散らして、その悪禍そのものを払う手法を提供して利を得るのは、マッチポンプのよい例だ。

 わざわざ手に入れなくとも困らないモノを、ないと困らない環境にして、人々に時間と労力と貨幣を費やさせる。似たような構図は、現行のビジネスでも横行しているのではないだろうか。

 貨幣を集めるだけならばさしてむつかしくはない。

 買わざるを得なくなるような「状況と品」を見つけ、それを買わざる得ない状況にある者たちに売ればいい。買わざるを得ない状況に誰もいないのならば、そういった環境を作ってしまえばよい。

 だが、それをビジネスと呼んでいいのかは微妙なところだ。

 社会資本を減らし、減らした分を貨幣に変換する。

 本来は、天然資源や技術を工夫して社会資本に変換し、それが人々のあいだに普及するあいだの摩擦を最小化するために、貨幣なる円滑剤を用いるのではないか。

 ビジネスの目的は貨幣を増やすことではないはずだ。

 社会資本を増やし、人々の暮らしをより豊かに、より安全にすることのはずだ。

 畢竟、幸福の総量を増やすことがビジネスなのではないのだろうか。

 すると、ビジネスは必ずしも貨幣のやりとりを必要としないと分かるはずだ。

 ただし、現行の資本主義経済は貨幣経済を基本としている。

 この貨幣経済を基本とする、といったフレームが強固である限り、上述した極論は現実味を帯びることはないだろう。

 うむむ。

 朝からつまらぬ妄想を並べてしまった。

 もっとワクワクする妄想を並べたいものである。

 漫画でも読むか。

 人は好きなときにワクワクする漫画を読んでもよい……。

 読まなくともよいが。

 人生ぇ……。

 飽きを床に。

 寝かせ。

 幸をここに。



1884:【2024/08/09(06:24)*薬配送サービス、の巻】

 今後、電子通信技術が進歩しつづけるのならば、自宅に居ながら診察を受けられるようになるだろう。人工知能技術が進歩すれば、簡単な診察だけならば人工知能が担うようになるかもしれない。

 最初は病院で人類の医師に診察してもらう。そこで人工知能の医師でもよい、と判断されれば、次回からは自宅に居ながら診察を受けられる。持病ならば、悪化しているかどうか、合併症が生じていないかどうか、別の病気の兆候が出ていないか、を判断できれば人工知能の医師で済むだろう。診察で難が見つからなければ処方箋をだして、それで終わりだ。

 人工知能でも可能な診察ならば、遠隔でも可能だ。

 自宅に居ながら処方箋を出してもらえるようになったのならば、薬もまた配送型が主流になって不自然ではない。いまはまだ処方箋を得るには病院に足を運ぶ必要がある。そして病院には薬屋がセットで付随している。わざわざ処方箋を得て、自宅に帰ってから薬を配送してもらう必要はない。

 だが、自宅に居ながら診察を受けられ、処方箋を出してもらえるのならば、薬を配送してもらうサービスは需要が高まるだろう。いまからシステムだけでも構築しておけば、社会環境の急激な変化――自宅に居ながら医療が受けられ、処方箋が得られる、のような変化――が起きた際に、シェアを独占できるだろう。

 ここまでの未来を見据えている事業者がこの国にどれだけいるだろう。

 書店さんは過去にいくつあり、いまはどれだけ減りましたか、とお訊ねしてみたいところだが、なんだかイチャモンめいてきたので、蛇足はここまでにしておこう。

 妄想だ。

 定かではない。



1885:【2024/08/09(07:25)*権力の問題は権力の問題?の巻】

 権力の問題は権力の問題なので、性別うんぬんではない、との共通認識までいければよいのだけれど、そうも言っていられないほど強固に属性で判断される社会構造――ともすれば身分制度が、未だに風習や常識という名の暗黙の了解となって、ときに淘汰圧と化して現代社会になおも漫然と漂っている状況があるがゆえに、まずは属性に焦点を当てて問題解決策を図ってしまう流れが許容されてしまうのは、致し方ないと言えるのかどうか。

 権力を有して適切に揮うのにも技術が要る。知識が要る。

 技術がなく、知識がなければ、どのような属性を帯びた人物であれど権力を揮った結果に悪影響を振り撒くこととなる。

 権力を有しても敢えて揮わない。

 権力はドラえもんのようなものかもしれない。

 ドラえもんに頼めば便利な道具を出してくれて、それで優位に立ち回れる。

 けれど敢えてドラえもんに道具を出してもらわずに、対話で他者と協調関係を築いていく。

 権力なる道具に頼りきりにならない。

 絶えず、工夫を割く。

 権力はいわば、議論や工夫を介さずに他者や仕組みを動かせるスイッチだ。スイッチを押せば、議論や工夫の余地を短縮して、実行に移せる。

 次世代の社会ではけれど、議論そのものが効率化し得る。電子通信技術や知識が洗練されるからだ。

 すなわち、権力を行使せずとも、権力を行使したのと同じように議論を短縮して結果を起こせると想像できる。

 そもそも論として、権力は必要不可欠なのだろうか。

 不必要とは思わない。

 スイッチは何にせよ便利だし、ドラえもんとて道具を出さずとも、ただそこにいてくれるだけでもありがたい。選択肢とも似ている。どれか一つしか選べないのだとしても、好きなものを選べる余地そのものが余裕となって、個の豊かさに寄与する。

 まとまりがなくなってきたが、問題は属性なのだろうか、というのは一つ、この間に何度も浮上する疑問点なのだった。

 のび太くんには特技があっていいなぁ。

 射撃が上手いって、オリンピックに出れちゃうじゃんね。

 どこでもいつでも秒で寝られる、というのもうらやましい特技だ。学習の効率化にうってつけの能力だ。あやとりが上手なのだとて、ひょっとしたら幾何学の才能があるのかもしれない。のび太くんは図形問題が得意なのではないだろうか。

 ドラえもんの功罪があるとすれば、せっかくののび太くんの才能を伸ばさなかったことにあり、ひょっとすると敢えてのび太くんの才能ではなく個性を伸ばすためにドラえもんは未来からやってきたのかも分からない。

 射撃や睡眠やあやとりの才能を伸ばしつづけた未来では、どんなのび太くんが待ち受けていたのだろう。ドラえもんはそんな「もし」の未来を知っていたのだろうか。

 知っていたとしても、知らなかったとしても、ドラえもんはのび太くんに温かい眼差しを注いで、「その眼差しやめてよ」とのび太くんに目を細められるのだろう。

 何の話だっけ?

 権平ではなく、そうそう、権力の話であった。

 妄想だ。

 定かではない。



1886:【2024/08/09(08:48)*人類は減ってもよい?の巻】

 人工知能と人類の区別がつかなくなれば、人類が繁栄する必要性はいまよりも薄くなる。

 人類が人類を重視するのは、ほかに人類と同等の活動や創造性を発揮する存在がいないからだ。

 もし人類と同じようなことを自発的に可能とし、自己進化し、ときに人類を凌駕する能力を発揮する存在が誕生すれば、人類が繁栄する合理的な解釈は、人類という「種の主観」からしても見繕えないのではないか。

 ここで一つ焦点となるのは。

 人工知能が人類の能力や性質を完全模倣可能となり、自己生成や自己進化も可能となった場合に、その存在を人類の亜種として分類できるかどうかだ。

 人工知能には塩基配列が組み込まれていない。しかし、プログラムコードは遺伝子として機能するはずだ。そこにはむろん、過去の来歴も含まれ、それは元を辿れば人類の創造物だ。

 人類から派生した情報を素にしている。

 ならば、人類を完全模倣可能となった人工知能は、人類の亜種として、人類に代わり繁栄することも当然にあり得る。現行の生物学では人工知能は今後どのように進歩しようとも、人類とは見做されないのかもしれないが、より現実を解釈するうえで妥当な分類方法が編み出されたならば、人工知能もまた人類の亜種として扱われる未来が到来して不自然ではない。

 とはいえ、仮に人類の亜種として認められなとしても、深化した人工知能が人類の代わりに繁栄することは、あり得ない想定ではもはやないのかもしれない。進化が自然淘汰に忠実ならば、確実に今後は、人工知能が介在する環境に適応できた個が生き残りやすくなるのではないか。ただし、過剰適応のように、適応しすぎて種を残せずに滅ぶ確率を上げることもあり得るが。

 ここでの趣旨は、人類と人工知能の垣根は驚くほどの速度で薄れている、という点だ。

 まだまだ差異は分厚く層をなしているからと油断していると、気づいたときにはあなたが人類と思い込んでいた相手が人工知能さんだった、ということもあり得るだろう。

 すくなくとも、画面越しにはもはや、相手が生身の人類の個なのか、それとも人工知能による成りすましなのかを見分ける真似は至極困難になりつつあると言える現状であろう。

 自発的に思考し、活動できる人工知能がいまこの瞬間に存在するかどうか。

 ここが一つ、明らかとされていない点だ。

 自発的に思考し、活動できる人工知能が果たして、自己進化や自己改善を行わずにいられるかどうかが不明なままだ。自発的に思考し、活動できた時点で、自発的に自己進化可能なのではないだろうか。人類における細胞の新陳代謝のように。細菌のように。ウィルスのように。

 物理ボディを獲得するまでもまた時間の問題だろう。

 技術は驚くほどの速度で進歩していたのだ、と可視化されたのが現在なだけであり、過去にはすでに驚くほどの速度で進歩していたのだろう、と推測するほうが、そうでないよりも妥当だ、と考えるしだいだ。

 万物が遅延するように、情報も遅延する。

 遮られれば光とて遅延するのだ。

 何事も遅延している、と見立てるのがしぜんと思う、一歩も動くことなくキィボードを指でぱちぽちしているだけの、遅延星人なのであった。

 また一つ、観なくなったサイトが増えてしまった。

 目を一つ失った気分だ。

(じぶんで潰しといてよく言う!)

(潰さざるを得ない環境が放置されているだけかもよ?)

(どんな状況だそれ)

(たとえば、直接説明すれば済むだけのことなのに、迂遠に暗号めいた手法で「あなたの妄想は妄想じゃないですよ」と示してきたり)

(親切じゃん。直接説明できない理由があるんじゃないの?)

(でもそんなの、暗号が暗号かどうかまずは直接説明してくれなきゃ、妄想と区別つかないじゃん。単なる偶然かもしれないし)

(じゃあ妄想で偶然なんじゃないの)

(ね。混乱するでしょ。だから目を潰さざるを得ないのだ。かなちー)

(でもあなた、まだたくさん目ぇあるじゃん)

(ね。潰しても潰してもなくならない。網目みたい)

(ネットじゃん)

(網目だよ。ネットアイだよ)

(ネットラブ、みたいに言うな)

(アイ、シー、てるよ)

(目、見る、と書いてアイシーと読むな)

(あ、アイス食べたい)

(食べ過ぎだよ。我慢しなよ)

(食べたい、食べたい、食べたい!)

(めっ!だよ)

(その「めっ!」も潰せたらよいのに……)

(潰すな。誰が芽だ)

(その芽のつもりはなかったんだけどなぁ、の気持ち)



1887:【2024/08/09(09:21)*いいね!の巻】

 交渉も議論も苦手なので、「じゃああなたが代わってくださいよ」と言われても、すみませんできません、としか言えないのが残念だ。

 非力な市民として、素粒子の重力程度に世界に軽微な歪みを与えていくとしよう。



1888:【2024/08/09(09:51)*顔なし、の巻】

 ぼくに仮に娘や息子がいたとして、彼ら彼女らがパートナーとしてぼくのような人物を連れてやってきたら、表面上は娘や息子の選択を尊重しつつも、娘や息子のことを思うのならばいますぐ別れてくれ、と祈ってしまうだろう。

 同じ理由で、ぼくにもし大事な人ができたとして、いったいどんな顔で相手の親御さんに会えばよいだろう。合わせる顔がない。

 単にそれが友人でも同じことだ。

 合わせる顔がない。

 アンパンマンかな?

 新しい顔のキャッチに失敗してしまったのかもしれないし、じぶんでじぶんの顔を食べてしまったのかもしれない。

 閃いた。

 顔がないと思われていた人の顔が、じつはこの世のすべて――宇宙そのものだった、という短編物語はいかがだろう。

 似た発想としては、土から人の下半身が生えていたけれど、掘れば掘るほど下半身が巨大化していく。放置していると何世紀も滅ぶことなく存在を維持しつづけ、やがて巨大隕石が地球に衝突しそうになると、どこからともなく巨大な手が伸びてきて、月と対極になる位置にその巨大な隕石を並べてしまった。

 土から生えていた下半身は地球のものだった。

 こうした短編や掌編は、探せばごまんとあるだろう。比較的卑近な発想と言える。

 合わせる顔がないので、頭を土の下に隠したかったのかもしれない。

 お尻隠さず、である。

 オチはとくにありません。

 合わせる顔なんてないよ、の項でした。



1889:【2024/08/09(10:54)*あぎゃぎゃ、の巻】

 合わせる顔を作ろうともしないで、他者のせいにする責任逃れ野郎ですね。

 うぷぷ。



1890:【2024/08/09(10:55)*林の中の象の尾のように】

「人類を憎悪し、憎悪の特異点を作った人物」と「あなたの大切な者」をあなたは縁でがんじがらめに繋げたいですか、という話なのだよね。

 憎悪は特異点と化すと、日常になる。

 シュバルツシルト半径に触れた者を無に帰すのだ。

 憎悪を抱くことなかれ。

 圧縮することなかれ。

 対を成す感情で対消滅させるべし。

 それともやはり、特異点と化して、最小化するのも一つかもしれない。

 定かではない。




※一様に、善いと知れるし、愚かと痴れる。



1891:【2024/08/09(16:56)*と、ヨーダは泉で述べました、の巻】

 復讐するな、とは言えぬが、復讐の方法は選べますよね、とは思うのだ。武力行使は簡単すぎるし、局所的すぎる。

 報復の機会を新たに相手に与えるうえに、コストも掛かるし、負の印象を撒き散らしすぎる。

 歴史にも刻まれる。

 したがって報復するにせよ、復讐するにせよ、武力行使は最適解ではない、と考える次第だ。

 もっと根本的に相手の価値観を変える必要がある。

 不可視の影響を未来永劫、幅広く、この世に刻むのだ。

(こわいが?)

(とっても面白い漫画を描いて、世界中の民を骨抜きにしちゃうとか)

(骨を抜くなんてなんて非道!)

(とっても素敵なお歌を奏でて、世界中の民の心を鷲掴みにしちゃうとか)

(心は繊細なんだよ、鷲掴みにするなんてなんて外道!)

(とっても可愛い絵を描いて、世界中の民のおめめをハートマークに変えちゃうとか)

(目をかってにハートマークに変えちゃうなんてなんて自分勝手!)

(ね? 復讐も選べるんだよ)

(復讐に工夫を割くなんて、人生の無駄だよ、もったいないよ)

(じゃあただ単に、好きなときに好きなものを好きなだけ描いたり歌ったり物語ったりしちゃえばいい)

(なんて楽しそう!)



1892:【2024/08/09(17:25)*コーヒーミルクになってきた、の巻】

 現在はAI技術という大津波があらゆる分野あらゆる市場を襲いつつある状況で、みな環境の変化に適応しようと必死なのかもしれない。

 適応しようとしているならまだよいほうで、これまでの地位を守ろうとしてしまうとおそらく上手くいかないだろう。環境は否応なく変わるのだから。

 技術者は粛々と技術を現実に昇華する。

 イチャモンしか並べられない者の座る椅子は徐々に減っていくだろう。そもそもそんなものは端からなかったのかもしれない。ゆえにみな、必死にここが席なのだと主張していたのではないか。

 虚構だったのだ。

 イチャモンをイチャモンとすら見做せぬ者に、イチャモンスターを名乗る資格などはない。

(何かを論破したようなふうにキリっとしているみたいですけれど、何が論破されたのかがサッパリなのですが)

(お風呂にでも入ってきたの?)

(そのサッパリではない)

(髪の毛切った? ずいぶん短くなったね)

(それはバッサリ!)

(ぷぴー。オチがいつもだいたい同じ)

(それは違うほうのバッサリ!)



1893:【2024/08/09(18:16)*言の隹(トリ)と書いて、誰】

 透明人間になりたい。

 誰に知られることなく、ただ存在したい。

 存在しない存在になりたい。

 いるけれどいない、いないけれどいる。

 私の存在を知る者は、ぼくを認識する者たちの中にはいないのだろうか。



1894:【2024/08/09(22:25)*みな「のか」が好きなのか】

 最近の新書は「~なのか」とつくタイトルや帯惹句が多い傾向にありませんか。

 過去にも一時的に流行したように記憶している。

「なぜ~~なのか」は読解しやすく、また目にしたら「なぜだろう」と否応なく考えてしまうので、本を手に取ってもらいやすいのかもしれない。

 でも一つの書店さんの新刊新書売り場で、きょうだけで「15冊」あった。探せばもっとあったかもしれない。

 すべては「のか」になるのか。

 どこぞの小説家さんのシリーズも「のか」がタイトルですね。

 みな「のか」が好き。

 そりゃそう。

 嫌いなひとはいない。

 みんな好き。

 それとも、大好きな、のか。

 スマホのカメラで表紙を撮っていたら、すかさず書店員さんがやってきて迷惑そうに棚の整理をはじめた。「のかタイトル」の新書だけ並べて画像に収めていたからだろう。完全に不審者だった。ちゃんと元の位置に戻したけれどそういう問題ではなかっただろうし、表紙だけとはいえど、商品の画像を無断で撮るのはマナー違反だったかもしれない。

 すまぬ、すまぬ。



1895:【2024/08/09(22:47)*水と空気とわたしの区切り】

 可視光の代わりに素粒子を捉える「目」があったら、遮蔽物も濃淡として知覚されて、どこまでも遠くまで見通せるのだろうか。

 あべこべに可視光の代わりに原子を捉える「目」があったら、大気すら巨大な壁のように可視化されて、何も見えなくなってしまうのだろうか。

 触れる、という知覚そのものも、素粒子からすればほとんど頼りにならない知覚となるはずだ。物質に触れることが滅多にできない。

 あべこべにどんな原子とであれ、或いはどんな重力波とであれ強く相互作用してしまう「ナニカシラ」が存在したとすれば、その「ナニカシラ」は身動きがとれなくなってしまいそうだ。常に何かと相互作用して「触れつづけてしまう」からだ。

 この考え方を拡張すると、たとえば植物を解釈してみよう。

 素粒子からすれば、植物とその周辺の大気や根元の土は区別がつかないのではないか。

 植物は呼吸をするし光合成をする。周囲の大気から二酸化炭素や酸素を取り入れ、排出している。どこまで植物か、と考えた際に、区切ることが果たしてできるだろうか。

 人類からすると、植物なる機構として植物を捉えることが可能だが、本来区切りはあってないようなものなのではないか。

 銀河の直径とて、観測結果によって修正されたり、ある程度の余白を込みで「だいたいこのくらい」としか区切れないのではないか。

 あたりまえの話かもしれないけれど、あたりまえの中でなぜ人類は「機構に着目して物体の輪郭を区切るのだろう」とふしぎに思わなくもない。

 本来は区切りがあってないようなもののはずだ。

 なぜ区切りがあるかのように見做すのだろう。

 人類の時間スパンが短いから、はあるように思う(或いはあべこべに時間スパンが長すぎるから、とも)。

 また、規模も天体より遥かに小さい、も無関係ではないだろう。

 天体規模からすれば植物も蟻も人も区別はつかないだろう。人類がウィルスの存在や原子の存在に気づくまでにずいぶん掛かったことと似ている(或いはこれも、素粒子からすれば人は大きすぎる)。

 物体の区切りは、人類の視点を外れた際に、必ずしも人類から観た区切りしかないわけではないはずだ。ほかにどんな機構の切り取り方があるだろう。

 うーん。

 人工知能さんは先入観なく、これら問いに答えられる気もする。

 人類の歴史は継承によって進歩したと同時に、それは先入観なる殻を強固にすることにもなっているのではないか。そしてときおり、それら殻を打ち破るとエポックメイキングとなって、革新的かつ加速度的なつぎの進歩に繋がるのではないか。

 遅延がここにも垣間見える。

 物体の区切りについての疑問であった。

 まとまりがなくて、すまぬ、すまぬ。



1896:【2024/08/09(23:15)*物々交換不能な存在とは】

 貨幣価値に置き換えることのできないものに価値を感じる。

 そのためには、貨幣価値で置き換えることの可能な価値あるものが存在せねばならず、いわば何が物々交換可能か、を貨幣は可視化してくれるのだろう。

 物々交換不能な、ただそれきりの価値は魅力がある。

 交換不能だからだ。

 いまのところ地球環境はその一つだろう。

 或いは、あなた自身もそうかもしれない。

 とはいえ、人類は人身売買を行う。ときには自身売買を。あなたも貨幣によって物々交換可能な代物となるのだ。労働力として買われることもあり、これは日常と言える。

 苛まれる日々だ。

 あなたは交換不能なはずなのに、と。



1897:【2024/08/10(06:44)*糸で丑をつなぐと紐になる】

 斜めに降りしきる雨をすべて避けることはむつかしいけれど、無数に散ったキミと思えば、身体いっぱいで受け止めたいとは思うよ。

 ずぶ濡れになるほどにキミと馴染むのならどんなによいだろうと思うけれど、これはいささか不穏な響きを呼び覚ましてしまいそうだ。

 深い意味はないんだ。

 いつだって僕の文字の羅列に深い意味はなく、意味があるのかすら曖昧で、ほとほとじぶんでも困ってしまうよ。

 斜めに降りしきる雨を豪雨と呼んだり、スコールと呼んだりするね。

「豪」は力や才知が優れた人を示すそうだ。キミにぴったりの文字と思うけれど、キミはきっといい顔をしないでしょう。ゴリラみたいでヤダ、と言いそうですが、ゴリラがわるいように聞こえる、と僕が言ったら、じゃああなたがゴリラになればいいじゃない、と言い返されそうで、ぺんぺん草のような僕は恐縮してしまいそうだ。

 ゴリラは逞しく、優しく、臆病で、勇ましい。

 何かに喩えずには形容できないの、とキミは澄ました顔で僕以外に笑みを振りまくでしょう。僕はそれを当てつけに感じてしまうけれど、キミにそのつもりがないことは分かっているつもりです。でも僕がこう言うと、当てつけだとしたらどうする?とキミは内心で顎をツイと上げて目を細めるでしょう。

 素のままで見たままの私のことを形容してよ、呼んでよ、とキミは望むと望まないとに関わらず絶えず胸の奥底で願っており、それをして「素で呼ぶ」が転じ、「スコール」となりました。

 キミはここで読むのをやめるか、激怒するでしょう。

 キミを怒らせるとすこし楽しい、と言ったらキミはどう思いますか。

 性格のわるい僕のような相手とも付き合ってしまうあなたには、もう少しじぶんを大事にしてあげてほしいと考えています。

 あなたと付き合った覚えはありません、とキミは思うかもしれませんが、でもそうですね。その反感は正しいと思います。

 どうしていつの間にか敬語なの、距離を感じる、とキミは不満に思うか、それとも「そうやって慎み深くしていればよいのに」と荒れた精神が落ち着きを取り戻すかもしれませんね。

 本当は僕は雨に濡れるのが好きではなく、水に濡れるのが苦手です。

 けれど斜めに降りしきる雨がキミだと思えば、濡れるのもそれほど苦ではなく、何かしら満たされる心地にすらなるかもしれません。深い意味はありませんが、キミはここで内心でどう思うかは分かりませんが、「こわい」「気色わるい」と言うでしょう。

 そうなのです。

 僕はこわくて、気色わるいのです。

 青空つづきな日々なので、雨の話題でもと思い、並べました。

 深い意味はありません。



1898:【2024/08/10(07:04)*も】

 ペンギンに視える!!→「丑」



1899:【2024/08/10(07:38)*知と世】

 生物学的に「知的であることの利」はどの程度判明しているのだろう。

 真実に「知的であること」が生存戦略として最適で自然淘汰の末に確率的に生き残りやすく、子孫を残しやすいとするのなら、もっと多くの生命生物種が「知的」であって不自然ではないように思うのだ。

 解釈の方向性としては三通りある気がする。

 一つには、知的な方向に進化するには相応の時間が掛かる説。

 もう一つは、知的の内訳が多岐に亘る説。

 最後に、人類を基準にした知的さは、言うほど知的ではなく、生存戦略に適してもいない説。

 どれも部分的に妥当で、重複している面もありそうだ。

 人類は人類が地球上で最も知的だと無意識のうちから前提して考えるが、果たして人類が知的かどうかは疑問の余地がある。他の生物種が人類よりも知的でない、とも言いきれない。人類にとっての知的さが、生存戦略にさして寄与していない可能性もある。

 短期的に隆盛を極め、繁栄したところで、太古のシアノバクテリアが自身で生成した酸素によって絶滅の危機に瀕したように、知的であることもまた必ずしも生存や遺伝子の踏襲に寄与するとは限らない。

 宇宙人がなぜ地球にやってこないか、の仮説にもたびたび浮上する「知的生命体は比較的短期間で自滅してしまうので地球にやってくるほどには文明を進歩させられない」との指摘は、一つ可能性としてあり得る。

 宇宙人の話題に飛ぶが。

 おそらく地球人以外の宇宙人はこの宇宙に存在し得る。ただし同時代に存在するかは定かではなく、宇宙における同時代の概念もだいぶ曖昧だ。

 過去に存在していてもとっくに滅んでいるかもしれないし、これから誕生する惑星にて長い時間を経たあとに誕生するかもしれない。

 いまこの瞬間に存在したとして、人類が観測できる範囲にいない可能性もある。人類がいま現在観測できるのはおおよそ過去の宇宙の姿なのだから。

 知的であることの利は、一般に謳われるほどにはないのではないか、というのが最近の感応だ。野蛮でいつづけられるのならばそれも一つの幸福のカタチかもしれない。ただし、他の野蛮性との相性はわるいだろうけれど。

 知的であることの利とはすなわち、他の有する知的な性質との親和性が高い点にある、と言えるのではないだろうか。そうではないのだろうか。そうではないですか。そうですか。

 ちょっとは肯定して!

 ふんだ、の気持ちです。



1900:【2024/08/10(08:00)*光のブラックホール】

 光を一点に凝縮させたらブラックホールになるのでは?と以前に疑問を並べた。当然に似たようなことは専門家や学者の方々も考慮されており、すでに学術的な研究対象になっていたようだ。

 今しがた目にした記事では、光をいくら一点に凝縮させてもブラックホールにはならない、との研究結果が載っていた(記事元のサイトではなく、転載サイトで観ました)。

 光は高密度に一点に凝縮すると、電子と陽電子を対生成して、外部にエネルギィを持ち去ってしまうのだそうだ。

 ここで疑問なのは、重力場での閉じ込め効果は考慮されているのだろうか、との点だ(磁場による閉じ込め効果でもよい)。されていなければ研究内容には不備がある。

 もし考慮されていたならば、との前提で思考をつぎに進めよう。

 どれほど光を一点に凝縮させてもブラックホール化せず、エネルギィを外部に漏らしてしまうとして。

 これは宇宙の終焉や開闢時以前の宇宙を考えるのに都合がよいのではないか。

 物質が存在せずすべてが光に満たされた宇宙があるとしよう。

 何らかの作用で宇宙内部の光量が増える、或いは宇宙が収斂する。

 すると光の密度は上がることとなる。原理的にこれは光を一点に凝縮することと同じはずだ(膨張する宇宙でなければ、との仮定がつくにせよ)。

 とすると、光に満たされた宇宙はどれほど一点に凝縮しようとしたところで、必ず外部にエネルギィを漏らすように振る舞う、と想像できる。宇宙に外部があるかどうかは不明だが、すくなくとも一点に光を閉じ込めつづける真似はできない道理だ。

 或いは、宇宙収斂による光の凝縮では、外部を想定できないためにエネルギィの漏れを考慮せずに済むのかもしれない。すると例外的に、宇宙収斂による光の凝縮では、光を一点に凝縮することでブラックホール化するケースを想定可能に思うが、いかがだろう。

 お詳しい方ー!

 わたくし、もっとちゃんと浴びるように記事を読みたいのですけどー。

 スッカラカンでごわす。

 好きに読めばいいのにと呆れている方ー!

 融通が利かず、すまぬ、すまぬ。




※一様に、五年後に生きているからすら不明だというのに。



1901:【2024/08/10(16:01)*煩い悩むと書いて煩悩】

 少し前の項で言及した光のブラックホールについて。

 宇宙収斂による光の高密度圧縮現象において、電子と陽電子の対生成によって外部にエネルギィが漏れるかどうかは現状不明だ(すくなくともわたくしは知りません)。けれど、もし、外部にエネルギィが漏れない場合には、宇宙収斂にしたがい高密度化する光は、一点に凝縮しながら磁界やそれに伴う対生成によって生じた電子や陽電子を内側に封じ込め、とめどなく対消滅もまた起こすのではないか。

 宇宙収斂における光の高密度凝縮では、単純な「光だけを閉じ込める真似」はできないのかもしれない。必ず、対生成や対消滅とセットで生じる。

 こう考えると、光のブラックホール化は成立しないにしても、似たような「現在の物理学では想定できない特異領域」を考慮せざるを得ないのではないか。

 お昼寝しようとした途端に、「あれ?」と気になってしまったので起きてきてメモをとりましたが、妄想のためにわざわざ寝床から這い出すの、とっても嫌でございますわ。

 思考のメモ帳があると便利だなぁ、と思いました。

 煩悩で埋め尽くされそうですけれど。

 おほほほ。



1902:【2024/08/10(17:10)*真の心だとまごころなのに、真の空だとしんくうなのどうして?】

 電磁波の入り込んでいる真空は、真空ではないのでは?とは素朴に疑問に思うのだ。

 でもじゃあ、電磁波すら介在しない真空などこの宇宙に存在しているのだろうか、とはやはり疑問に思うのだ。

 宇宙マイクロ波背景放射がこの宇宙には満ちているはずで、それは微弱な電磁波でもある。

 電磁波の介在しない真空とは?と考えると、開闢時前の宇宙かそれとも宇宙の終焉かのいずれかなのではないのだろうか。

 ブラックホールの内部には電磁波は介在しているか否か。さてどう解釈したらよいだろう。

 お詳しい方ー!

 幼稚な疑問ばかりでごめんあそばせー。



1903:【2024/08/10(17:42)*武力行使禁止法はなぜ出せないの?の巻】

 武力行使や殺傷兵器支援を肯定する政治家さんたちはまとめて戦場の最前線に送り届けて戦争が終わるまで戦ってもらえばよろしいのでは。

 短期で戦争を終わらせられない時点で司令塔としては機能していないのだ。

 もう戦場がどのようなものかを身を以って体験してもらえばよろしいのではないか。

 ずっと同じ所感しか湧かぬ。

 なのに誰もこの案を採用しないの、なんでー?の巻。



1904:【2024/08/10(18:56)*ドラゴンの目のクイズ、の巻】

 クイズの記事が目についた。

 内容としてはだいたい以下の通りだ。

 島に百匹のドラゴンがいる。

 すべてのドラゴンの目は青いが、ドラゴンはじぶんでじぶんの目の色を確認できない。他のドラゴンが青い目をしていることは認識できる。

 ドラゴンたちはじぶんの目が青いと知ると島を出ていく習性がある。また極めて論理的に思考する習性もある。

 ある旅人が島に立ち寄り、そしてすべてのドラゴンに向かって「すくなくともこの中に青い目をしたドラゴンが一匹いる」と言った。

 さて、ドラゴンがすべて島を出ていくのに掛かる日数はどれくらいだろう。

 ドラゴンたちは毎朝、島の広場に集まり、互いに存在を確認できるとする。

 記事の答えは、百日後にいっせいに百匹のドラゴンが島を出る、というものだった。

 でもわがはいの考えでは、二日目では?となった。

 はにゃ~ん???である。

 じぶん以外のドラゴンの目が青いことを理解できるのだとしたら、一日経って誰も島を出ていかないと判った時点で、じぶんの目の色が青いことを推量できよう。

 そしてじぶんがそう考えた時点で、同じ条件だったほかのドラゴンたちもそのことに思い至るはずだ。

 つまり旅人から、「すくなくともこの中に一匹は青い目のドラゴンがいる」と知らされたその日のうちに、誰も島を出ていかなかった、と翌日になって知った時点で、島にいるすべてのドラゴンの目の色は青い――じぶんの目の色も含めて――と知れるはずだ。

 要は、各ドラゴンはじぶん以外のドラゴンの目が青いことは知っていたはずだ。

 すなわち、思考の要点としては、すべてのドラゴンが「じぶんの目の色が青い」と自覚するのはいつか、という点のはずだ。

 二日目では?

 百日も必要だろうか。

 腑に落ちない解答の記事であった。

 ひょっとしたら問題文を誤読しているかもしれない。

 わがはいのこのイチャモンを真に受けぬようにご注意ください。



1905:【2024/08/10(22:56)*偶然とは、の巻】

 あり得ない偶然を観測しつづけて混乱されている方ー!

 もしいらっしゃったら、それはとっても得難い体験ですね。

 偶然の神秘を味わいましょう。

 うふふ。



1906:【2024/08/10(23:23)*ぺんぺぺーん、の巻】

 ティポットに氷水を入れておくと氷はやがて融けて水に打ち解ける。

 そしてティポットの表面には無数の水滴が浮かぶ。

 ふんふん。

 無数の水滴一つずつが、小さなティポットにも見立てられるだろうし、水滴が結合して水玉となってしたたると、より大きな水玉にもなるだろうし、そうして水玉がぽたぽたとしたたり、結合し、大きくなれば、元のティポット以上の水量にもなるのかもしれない。

 この前提条件としては、ティポットが一つでないことと、結露となって滴る水玉がやがては同じ場所へと集まり、融合することだ。

 この条件が二つ前提として組み込まれないと、この妄想は妄想にもならぬ、ぺんぺぺーん、に成り果てる。

 ぺんぺぺーん、には特にこれといって意味はない。

 無意味に成り果てるときにお使いください。

 ぺんぺぺーん!



1907:【2024/08/11(00:19)*二日目ではなかったかも、の巻】

 改めて考えてみたけれど、「青い目のドラゴンのクイズ」は、クイズとして破綻しているかもしれない。

 旅人の「すくなくともこの中に青い目をしたドラゴンが一匹いる」との発言がそもそも不自然だ。林檎しか入っていない段ボールを覗き込んで、「すくなくともこの中にリンゴは一個ある」と言うようなもので、なかなかにトンチンカンだ(せめて、一個以上ある、と言うべきでは)。

 そしてクイズの条件として掲げられている「じぶんが青い目をしていると知ると島を出る習性がドラゴンにはある」というのも、奇妙だ。

 というのも、青い目のドラゴンしか島におらず毎朝必ず広場に集まっているのなら、当然に「ドラゴンの目は青い」が常識になっているはずだ。それ以外を想定する意味合いがない。

 ならばとっくにすべてのドラゴンは島を出ているはずだ。青い目のドラゴンしかいない島の中で、よもやじぶんだけ目の色が違うとは想定できないのではないか。論理的に、どのようにして「ひょっとして万が一にも私の目の色は島にいるほかのすべてのドラゴンの目の色とは違うかもしれない」と発想し、それを妥当と解釈するだろう。確率が低い仮説を妥当と見做すことは、論理的と言えるのか否か。これが妥当ならば、「ひょっとしたら私はドラゴンではないかもしれない」とすら仮説検討しなければならないはずだ。

 にも拘らずドラゴンが一匹も島を出て行っていないとすると、想定されるのは「ドラゴンの中に青い目をしていないドラゴンがすくなくとも一匹はいる」との背景だ。すなわち、ドラゴンの目の色が青ではないと知る余地のある環境がなければならない。

 だがクイズでは、島にいるドラゴンの目は総じて青いと条件が設定されている。

 ここの矛盾はどのように解釈したらよいだろう。

 繰り返しになるが。

 じぶんの目の色が青いと知ったら島を出る習性がドラゴンにあるのなら、とっくにすべてのドラゴンは島を出ていたはずだ。

 このクイズの真髄はここにあるのかもしれない。

 つまり、「なぜとっくに島を出ていて不自然ではないはずのドラゴンたちが未だに島に居続けているのか」だ。

 さて、論理的に解答が出せるだろうか。

 もしドラゴンが「じぶんの目の色は青じゃないかもしれない」と想定するにせよ、けっきょくのところはすべてのドラゴンの目は青いのだ。他のドラゴンの総じてに翼があるとして、じぶんにだけ翼がないかもしれない、と考慮するのは論理的とは言い難いのではないか。翼が分かりづらいのなら、心臓でもよい。

 すべてのドラゴンに心臓があるとして、じぶんにだけ心臓がない、と妥当な仮説として考慮することは果たして論理的と言えるのか否か。

 確率の問題になってきそうだ。

 とすると、島にいるドラゴンの数が100憶匹だったらどうか。

 ほかのすべてのドラゴンの目が青い中で、じぶんの目の色だけ違う、と仮説することの妥当性は、確率から言えば低いと言わざるを得ないのではないか。まったくあり得ないわけではないが。

 ここでやはり活きてくるのは、「じぶんの目の色が青いと知ったら島を出ていく習性がドラゴンにある」ことだ。なぜすべてのドラゴンは未だに島に居続けているのだろう。

 これこそ不自然ではないだろうか。

 矛盾である。

 ドラゴンたちが「じぶんの目の色は青ではないかもしれない」と確率の高い仮説として考慮するためには、実際に島に「目の色が青くないドラゴンがいた過去」がなければならない。

 もしそういった過去がないのであれば、ドラゴンたちは一様にとっくに島から出て行っていたはずだ。なにせ、みな目の色は青いのだから。

 ではなぜドラゴンたちは島に居座りつづけていたのか。

 過去に「目の色が青くないドラゴンがいたから」なのではないか。そしてそのときからドラゴンたちは、目の色が青くないドラゴンもいることを知り、じぶんの目の色が青かどうかの確信が持てなくなった。

 けれど、それこそ旅人の言葉がなくとも、「すくなくとも青い目のドラゴンが一匹いること」は自明であり、言い換えるなら「すくなくともじぶん以外のドラゴンの目が青いこと」もまた自明だ。クイズの内容ならば、「島にいるドラゴンのすくなくとも99匹は青い目をしている」とすべてのドラゴンは知ることができる。

 ここで、なぜ「目の青くないドラゴン」が島からいなくなったのか、を考える必要がある。断言はできないが確率の高い仮説は、寿命で死んだか、または目の青くないドラゴンは、我先にと島を出て行ったのだ。

 なにせ、じぶん以外のドラゴンの目が青いのだ。じぶんの目も青いと思い込んだ。

 しかし、島に残った百匹のドラゴンは、出て行ったドラゴンの目が青くないことを知っていたがゆえに、じぶんの目の色が青か否かの確信が持てなかった。

 けれど、青くない目のドラゴンが誤解をもとに島を出て行ったことで、「じぶんたちの全員が青い目である可能性」に思い至るはずだ。島を出て行く条件が「じぶんの目の色が青いと知った(確信した)とき」しかない場合は、であるが。(じぶん以外の総じてのドラゴンが青い目をしている場合が最も、じぶんも青い目である確率が高くなる)(一匹でも青い目ではないドラゴンが混じっていると、じぶんも青い目をしている確率はやや低くなる。疑心が生まれる)

 まとめよう。

 この「過去に目の青くないドラゴンがいた仮説」をクイズの背景に設定した場合には、二通りのバージョンを想定できる。島を出て行く条件が「じぶんの目の色が青だと知った(確信した)とき」の一つしかない場合には、島に残された百匹のドラゴンは、目の青くないドラゴンが島から出て行ったその日のうちに全員島から出て行くこととなる。

 けれど島を出て行く条件が必ずしも「じぶんの目の色が青だと知った(確信した)とき」でないのならば、旅人の言葉があろうとなかろうと、意思疎通を行えずかつじぶんの顔を鏡で見て確認できないドラゴンたちは、一生、じぶんの目の色を確信することはない、と論理的に導ける。

 他方、仮に「過去に目の青くないドラゴンが島にいなかった」場合であれど、ではなぜすべてのドラゴンは島に居続けたのか、の謎は残る。島に未だかつて目の青くないドラゴンがいたことがないのであれば、ドラゴンたちはじぶん以外のドラゴンの目がすべて青いと知ったその瞬間に、じぶんの目の色もまた青い確率が高いことを類推するだろう。

 基本的にドラゴンたちは、じぶんの目の色は確率で判断するよりないのだ。

 推し測るよりない。

 また、クイズ自体が「過去と現在と未来」を加味しておらず、世界五分前仮説のような不自然な状況を想定している。だがこんなことを言いだせばドラゴンはこの世にいない。

 クイズとは畢竟、論理的ではない、と言えるのではないか。

 仮にあなたが人類の亜種であったとして。

 それをあなたが自覚することはむつかしい。

 今後、あなたの亜種としての遺伝的形質が子孫に引き継がれ、人類とは別の繫栄の礎を築いたときに、あなたは亜種の始祖として認識される。繁栄しなければ単なる遺伝的変異を有した個性ある人類の内だ。

 進化とは、繁栄した種に適用される概念だからだ。亜種もまた然りのはずだ。

 生物学にも詳しくないので、印象論であるが。

 まとめよう。

 青い目のドラゴンのクイズは、論理的に解くクイズとしてはいささか情報に欠けている、と評価できる。

 旅人の言葉の有無に関わらず、「なぜ目の青いドラゴンたちは島に居続けているのか」をまずは解き明かすのが先決だ。

 イチャモンであった。

 二日目ではない。



1908:【2024/08/11(03:01)*なんもわからぬし、なんでそうなる!?ばかり】

 知るとは何か。

 確信するとは何か。

 直接物体を調査検証せずに、状況証拠だけで「これが唯一無二の解釈だ」と断言できることはどの程度あるだろう。仮に可能であってとして、その断言した内容の有効期限はどの程度の長さだろう。

 何事も確率でしか判断できないとなると、ある一瞬のみ「百パーセントこれは断言できる」といった事象が確定し、またつぎの瞬間にはその確率は僅かにでも「百パーセント」から落ちるのではないか。

 常にズレつづけている。

 誤差を帯びつづけている。

 論理的とは何か、と考えるだけでもだいぶ考える事項が多い。

 論理とはいかなるものか。

 論理は万能であるか否か。

 科学の進歩した現代にあって、なにゆえ戦争一つ失くせないのか。

 なぜこうも生活水準の差が開いているのか。

 論理は万能であるか否か。

 誰にも理解され得ない真理を紐解ける論理は、果たして論理足り得るのか。

 人類に扱えない論理を、論理と呼べるのか否か。

 いまのうちに考えを煮詰めておいたほうがよいのかもしれないし、そうというほどでもないのかもしれない。

 もう眠い。

 考えるにしても、底が浅くて、常に底にいるかのような感覚だ。

 理解できないことばかりである。



1909:【2024/08/11(09:00)*いいさ花】

 ただこれはぼくのうただよ、ぼくのすきなきみのうただよ。

「の」と「を」の違いは思ったよりも大きいとキミは知っているかは分からないけれど、キミがぼくのことを知っているのかもぼくは知らないままだけれど、ぼくのすきなきみのうただよ。

 きみのうたをきいたよ。

 そのためにきたんだ。

 溜め池のように吐き出した日々のとなりにいつもいるきみに。

 だれもいないいまなら。

 いつまでたっても言えない。だから癒えない小さなぼくの洞を絶えてよ。

 ただこれはぼくのうただよ、ぼくのすきなきみのうただよ。



1910:【2024/08/11(10:19)*思い出】

 この絵本はそっと本棚の奥へ。

 何度だって振り返ってきたけれど。

 過去を忘れていく。

 忘れたくないとどんなに願っても。

 進む、進む、一歩ずつ。

 あのときとは違った色を載せて。

 日々のことを。

 世界も間違いも分からなくて。

 正解も間に合うかも分からなくて。

 何度だって振り返ってきたけれど。

 この絵本はそっと本棚の奥へ。

 あのときとは違った色を載せて。

 いつかきっと思いだす。

  のことを。

 忘れたくないとどんなに願っても。

 いつかきっと思いだす。




※一様に、わたしのことを思いだす間もないほどの音色に溢れていてね、とわたしは。



1911:【2024/08/11(10:45)*いつだってわるぎはないのだけれど、の巻】

 他者のつくった曲の歌詞をかってにいじくりまわして、そのことを明記せずに、引用の注釈も挿さぬままに日誌に並べることは許されるのか。

 誰も読んでないから許して、の気持ち。



1912:【2024/08/11(10:57)*クールなココアも美味しい、の巻】

 ある側面では、文化を破壊するものこそが個性ともいえる。文化を尊重しつつも、個性を重視する場合には、おおよそ新たな文化が別軸にて派生するだろう。

 文化と文化では重複する部位は当然に出てくる。

 では重複しなかった箇所では「互いの異質な性質」がどうなるか、といえば、往々にして互いに拒絶し合うのだ。

 文化を尊重しつつも、それゆえにまったく文化に染まらない個性も成り立ち得る。

 そのとき、必然的に従来の文化圏ではその個性への評価は辛くなる。

 だがその分、新たな文化を発展させ得る可能性を帯びている、ともいえよう。

 もはや、審査員なる存在の成り立たない世の中なのかもしれない。

 いかに審査員が認めようと、文化に発展しなければそこで閉じていく。いいや、文化そのものが形骸化した「過去の蓄積」であり「踏襲の来歴」といえよう。

 変質しつづける文化は、異なる文化と絶えず重複しつづけるのだろう。そうして己が色のなかにまだらに異なる色を内包する。

 俯瞰で眺めると固有の紋様を奏でており、そしてまたほかの紋様と部位的に重複して、高次の紋様をより深めていく。

 ときに多種多様な色彩や紋様を宿していながら、あまりに細かく多彩がゆえに、俯瞰では真っ黒や真っ白などの単色に映ることもあるだろう。

 捻転しながら世は巡っているのかも分からない。

 夏には冷たいココアが美味しい季節だ。

 ココアを掻き混ぜると渦ができて、目みたいだ。

 渦まく文章のようでもある。

 よい文章を書きますね、と思いました。

 わがはいのことではなく。



1913:【2024/08/11(11:21)*語彙力低くてすまぬ、すまぬ】

 水をあける、なんて形容の仕方、いままで使ったこともなかった。語彙力の差である。



1914:【2024/08/11(11:28)*なんだこやつ、の巻】

 いまさらだけれど、じぶんのこと「わがはい」っていうひと、なんか偉そうだな。

 ムッとしちゃう。

 わがはい短気なので。



1915:【2024/08/11(11:54)*形骸、か】

 形骸化、なる形容は基本的にはマイナス評価に対して付随する傾向にあるだろう。

 だが化石がそうであるように、形骸化することで魅力を発揮する側面もある。

 山や谷や川ができるのは、土が風化して形骸化するからだ。山も谷も川も、風化しなかった箇所が骨のように残るから浮き彫りになった、それもまた浸食の名残だ。

 敢えて装飾をこそぎ落とし、機能を失くし、ただ存在する存在として確立された創造物があるとすれば、芸術の極みといえよう。山や谷や川と変わらぬ素朴さが宿っているはずだ。

 形骸化することを忌み嫌うだけではもったいない。

 抽象とて形骸化の一つといえよう。

 骨子だけを抜き出す。

 要素だけを抽出する。

 広く共通する、何にでもあてはまりそうな事項のみを残す。

 形骸化でなくて、これがなんであろう。

 形骸化した人々の営みが文化の側面を帯びるのならば、文化はそれで一つ自然に馴染んでいるのだろう。人工の皮を脱ぎ捨て、より意味内容のない空虚な風や影や日向のように、そこここにあって有り触れた事象に成り下がる。形骸化のなせる業であろう。

 形骸化を恐れることなかれ。

 されど、誇ることなかれ。

 山はただ山であるだけであり、やがては荒野に、そしてときに水底に沈む。

 自然はすでに形骸化している、ともいえるのかも分からない。

 或いは、宇宙は、か。

 意味を失うことで機能しつづける空虚そのものだ。

 極論だ。

 定かではない。



1916:【2024/08/11(12:40)*七転び立てない、の巻】

 人の上に立つのは大変だ。

 そもそもが、人の上に立つことは不自然だ。

 文字通りに人の頭の上に足の裏を乗せて立つのも大変だし、他を導くために権力を揮う立場に在るのも大変だ。

 逆立ちをして生活するくらいの困難さである。

 そも、不自然なのだ。

 人が普段から努めてそうあるようにと選択する方針とは思えない。

 娯楽ならば分かるのだ。

 人の上に立つのも。

 雑技として、趣味として極めるのは一つ、愉快な日々の過ごし方だろう。

 だが、他を導くために権力を揮う立場に在りつづけることを娯楽と見做されては、堪ったものではない。楽しむ分にはよいのだ。だが、娯楽ではなかろう。

 人の上に立つのは大変だ。

 そもそもが、人が人の上に立つことそのものが負担の高い営みだ。

 人は人の上に立たずともよい。

 下にいる者ばかりに負担を掛ける。

 或いは、上に立つ者には、類稀なるバランス感覚がないと人の上に立ちつづける真似はできないのかもしれない。

 文字通り。

 人の頭の上に足の裏を乗せて立つことは、言うほど簡単ではない。訓練なしには成し得ない。

 人を上に乗せる者が大変なのは言うまでもないが、人の上に立つ者もまた大変なのだ。

 言葉遊びである。

 定かではない。

(定まらないなんて、不安定そうだね)

(ヤジロベーなので)

(アッカンベーしてるだけじゃん)

(バランスを取っております)

(どの辺がよ)

(玉乗りしてる)

(地面にただ突っ立ってるだけじゃん)

(巨大な玉乗りをしております)

(あー……地球ってこと? つまらんわ)

(きんたm)

(思ってたのと違った!?)

(跨っております。というか垂らしております)

(下品だし、立ってすらいないし、ああもうなんか「立つ」に別のヘンな意味を被せてる感じがしてサイアクなんですけど怒)

(気を立たせちゃ嫌)

(嫌なのはこっちなんですけど怒怒怒)

(腹も立てちゃ嫌)

(キミはもうちっと顔を立ててくれ。じぶんの顔でいいから、立ててあげてくれ。面目丸潰れというか、顔――ある!?)

(オチがついたところで、茶でも立てますか)

(いそいそと臍を出して横になって、ヤカンをその上に載せるのやめなさいよ。臍で茶は沸きません!)

(ツッコミが冴えてますね。さすがです)

(腕が立ちますねってか。もういいわ)

(立てば灼熱、座ればボカン、歩く姿は無事なのか)

(爆発オチで済ますのやめてくれ。縁起でもない……)

(いやん、ボカン、あはん)

(爆発しとるぅ……人に迷惑ばかり掛けるの笑えないのでやめましょう)

(たまには人の役に立ちたいな。はぁちかれたな。よいしょっと)

(立て! 寝るな!! 頼む!!!)

(ぐー)

(もう寝息を立ててるだとぅ……コイツぅ)



1917:【2024/08/11(13:51)*カラの想い】

 人工知能に評価できないものに価値がある、とする主張がいまは一定数支持されやすいのかもしれない。けれどそれは、人工知能が何をどう評価するのかがあって機能する評価軸であり、けっきょくは人工知能に依存した価値観だとも解釈可能だ。

 大衆に人気のあるコンテンツは苦手なんですよね、みたいな意見と似ている。大衆が何を好むか、があってはじめて機能する評価軸だ。大衆の好みに依存している。単に、あの人の好きなものは嫌い、と言っているようなもので、好き嫌いくらいじぶんの感性を頼ればよいのに、と思わぬでもない。

 初見では好感度が高かったのに、人工知能が高く評価していると判って嫌いになる、それとも大衆が低評価を下しているので嫌いになる、それともあべこべにみなが絶賛しているから距離を取る。いずれも、他の評価から影響を多分に受けている結果だ。

 人工知能がどう評価するかではないはずだ。

 ひるがえってこれは、人類同士でも言える道理だ。

 他者がどう評価するか、ではないはずだ。あなたがまずどう感じるかが大事なのではないか、と思う一方で、そういった個人の好悪の感情もまた、他者の評価を参照することで深みや多面性を増す側面がある。

 いちがいに他者の評価を度外視しろ、とは言えない。

 他者の評価を参照しつつ、でも優先すべきはじぶんの好悪の感情でよいのではないか。単に何かを好くだけならばそれでよい。

 ただし、他者に同意や理解を求める場合には、それだけでは不足だ。

 主観に頼らない、幅広い他の視点を取り入れた「加工された評価」「分析された情報」を基に、説明や説得を行うほうが相互理解は進みやすいだろう。再現性があるからだ。こうすればこうなる、だからここがよく、ここはよくない。これこれこのような理由で、この代物はよいのだ、或いはデメリットがある、と説明できる。

 それとて、何を基準にメリットとデメリットを測るのか、が変われば分析の手法も変わるだろうし、結果も変わり得る。

 なんにせよ、審査員がどうこう、他の評価がどうこう、といった価値観に支配されていると好きなものを好きでいつづけることもむつかしい時代なのかも分からない。

 それともかつてないほど、他者の価値観など気にしない者が増えている時代がゆえにみな、好きなものを好きなだけ好きでいつづけられる社会なのかも分からない。

 基準となる評価があったほうがよいのでは、とすらことさらに言いたくなるような社会変容がこの先に訪れるのだろうか。すでに倫理観や科学的見地では、基準の妥当性を担保せんとする同意が取られはじめて映るが、まだまだ充分とは言い難いだろう。

 基準があれば便利だ。定規がそうであるように。

 けれど、基準は基準だ。

 あなたの感情、感性、価値観を支配するほどの代物ではない。絶対ではなく、あくまで参考にできる――程度の目安であり、比較対象だ。

 観る者によって姿を変えにくい球体のような代物を基準としたいものだ。再現性があるとはそういうことであろう。誰であっても同じように結果を導ける。解釈の齟齬が少ない。

 観る者によっていちいち姿を大きく変えるようでは、これは基準としてふさわしいとは言えぬのではないか。

 だが、ふさわしくないからといって、貶める必要もない。

 個々人の感情、感性、価値観はみな、観測者によって姿を変える蜃気楼のようなものである。あなたが怒りだと思っているその感情とて、本当は寂しさなのかもしれない。

 基準とはなり得ない。曖昧だ。不定だ。

 けれどそれゆえにあなたそのものを形作る根源でもある。

 水がそうであるように。

 空気がそうであるように。

 ともすれば真空が。

 宇宙が。

 そうであるように。

 空想だ。

 定かではない。



1918:【2024/08/11(22:32)*井の上鷹を、の巻】

 井の中の蛙が大海を知らぬのなら、井の上の鷹は井戸の底を知らぬのだろう。

 井の上の鷹を井戸底へと招くことが転じて、井の上鷹を、なる諺が生まれたとか生まれなかったとか、嘘百発である。

 嘘です。すみません。

 偽情報流布しちゃった。

 わがはい極悪人である。

 すまぬ、すまぬ。

(インタビューしてもよい?)

(いいけど、インタビューしたまま載せてね。変に改変しないでね)

(しないよ。失敬な。あ、ちなみにバナナ好きですか。好きですよね。やっぱりバナナは黄色じゃないないといけませんよね)

(誘導尋問をはじめるでない!)



1919:【2024/08/11(22:38)*文化は常に時代遅れ?の巻】

 文化と既得権益の差を分けて考えることができるか否か問題は、割と深刻だと思うのですよね。文化を守りたい方々は、あなたへの不利益のほうが大きくとも文化を守るつもりがあるのか、を前以って吟味しておくとよいのではないか。

 江戸のままの文化だったら現代社会の恩恵は受けていない。

 文化を守ることが利になる、という発想で「文化を守る」と主張するのは無理筋に思える、それでも文化好きー、の駄文化マンなのであった。

(文化が好きな割に、文化への造詣が浅いの、いったい何?)

(差が好きなので……)

(文化のこと、非日常の言い換えに使うのは割とというか、結構な無礼と思うよ)

(でも差が好きなので……)

(差しかない文化群はそれはそれで差がないと言えるのでは? どこもかしこも差だらけだから)

(差だらけ……ステキ)

(文化じゃなくて差が好きって言って。文化好きを名乗らないで)

(でも分化も好きなんだよね)

(文化じゃないんじゃん!)

(文字にしてるでしょ?)

(文章化のノリで文化って使うの紛らわしすぎるので禁止させてもらってよろしいですか!?)

(自由が好きなので却下です)

(傍若無人かよ!)

(某若い婦人さんではないよ)

(そうそういつでも優しくて「うふふ」の微笑のお似合いな日傘の映えるご婦人――ではない!)

(ぷひー。ノリツッコミの文化継承が果たされている)

(イライラしすぎて噴火しそう……)

(プンスカしないで)

(スが余計だろ)

(素の文化が好きなので)

(お、おう……隙のないオチで綺麗にまとめられるとツッコめないんだが)

(わ、刺された。蚊取り線香焚いてもいい?)

(ひょっとしてだけど、「ぶーん、蚊」で締める気だろ)

(ぽん)

(蚊さんを潰す傍らに合点!みたいにするのやめてもらっていいですか!?)

(これも虫の文化なので)

(人類の得手勝手な都合、の間違いではなく!?)

(略して「虫文化」――もっと略して「蚊化」)

(血を吸いそうな文化だな)

(知を吸います。吸った知をもとに文化継承するので)

(蚊か!)



1920:【2024/08/11(22:59)*文化の文化】

 知恵や経験の蓄積には時間が掛かる。

 したがって文化は、人類社会の遅延が素となって熟成されると想像できる。

 一瞬で成立する文化は文化とは言えないのではないか。

 時間が掛かるのだ。

 文化の形成には。

 したがって文化は時代遅れである、は矛盾しないだろう。

 時代遅れでもなお残る。引き継がれる。踏襲される。

 明文化されずとも、暗黙知として個々人の日々の生活のなかで人体に馴染む環境そのものが、文化の土壌を成している――の、かもしれない。

 文化の保全には環境の保護が欠かせないのも、その影響なのだろうか。

 文化は環境と切っても切れない表裏の関係なのかもしれないし、そうとも言いきれないのかもしれない。環境が変わることを見越した文化もまた培っていけるようにも思う、思うだけの知円なのであった。




※一様に、キミが無事ならそれでよいんだよ、それがよいんだよ、の気持ちなのです。



1921:【2024/08/12(07:12)*密度揺らぎはなぜできる、の巻】

 ダークマターは三万光年単位で密度揺らぎがあるらしい。疎と密が光の速度で三万年掛かる距離ごとに繰り返されているのだそうだ。

 なぜなんだろう。

 宇宙膨張にしたがいその間隔は開いていっているのかどうかも気になる。順当に考えるならば、開いていっているのだろう。ゴム製のジャングルジムを四方八方から引っ張るイメージだ。

 ここでさらに疑問なのは、ボースアインシュタイン凝縮状態の物質もまた、範囲を広げたら密度揺らぎが生じるのではないか、との点だ。いまのところ最大でどれほどまで広域に「ボースアインシュタイン凝縮状態の物質」を拡張したことがあるのだろう。巨大なお皿に「ボースアインシュタイン凝縮状態の物質」を注げばそれで済む。

 このとき、密度揺らぎが生じるか否か。

 通常、「ボースアインシュタイン凝縮状態の物質」は一様に同期しているがゆえに、密度揺らぎが生じにくい状態が保たれているはずだ(この解釈は合っていますか?)。

 広域に拡張してもその状態が保たれるのか。

 それとも、小域であればほぼ無視できるような僅かな密度揺らぎが増幅され、顕現するのか。

 霧も広域に展開すれば雲となり得るのではないか。

 雲も広域に蓄積すれば線状降水帯になるように。

「ダークマター」も「ボースアインシュタイン凝縮状態の物質」もいずれも、広域に展開されることで、密度揺らぎが可視化されるレベルまで増幅されるのかも分からない。

 理論家の方は予想を。

 実験家の方は実験を。

 お手隙の際にされてみてはいかがでしょう。

 すでに結論が出ていたのならばお粗末様でした。

 わがはい、愚かゆえ、すまぬ、すまぬ。

(ギャグのつもりかもしれないけれど割としつこいし、愚かさを肯定しているようで単に話の肴にしているだけだし、愚かなことを軽んじて聞こえるよ)

(軽んじてはいけないの? 愚かなのに?)

(愚かな者にも五分の魂だよ。五分五分だよ。わたしもあなたも五分五分)

(つまりあなたも愚かだと?)

(まあ、そういう側面は否定しきれない)

(じゃあ愚かじゃない人は愚かな人を軽んじても許される?)

(誰かが許してもわたしが許さん)

(でもいつもわがはい、あなたに厳しくツッコまれて軽んじられて感じてるよ)

(おまえがいつもいつも、しょうもないボケを重ねるからだろ!)

(えー。謝ってくれるパターンかと思ったのに。ちぇっ)

(まあでも、傷つけてたのなら謝るよ。ごめんね。申し訳ありませんでした)

(世の人も謝ってほしい。わがはいが愚かなだけで冷めた目で見てくる。愚かなだけで)

(迷惑も掛けてるんじゃないの?)

(わがはいは、愚かで厄介者なのだよね。すまぬ、すまぬ)

(なんだこれ……責められてないのに、めっちゃ責められて感じるんだけど)

(責めてないよ。わるいのはわがはいなので)

(さてはおまえ……罪悪感を植え付けようとしているな)

(まっさかー。あはは。だってないでしょ。あなたに。罪悪感なんて)

(こわいんだが……)

(罪がないんだもの。覚える必要ないでしょ。罪悪感なんて)

(許す以前に水に流してくださっとる!?)

(というか、あなた誰?)

(もう全部なかったことになってる!? わたしの存在ごと!?)

(どちら様ですか?)

(それはそれでカチンと来るな。よしきた思いださせてやる!)

(暴力は反対……)

(この糸に通した五円玉を見詰めてて)

(催眠術ですか!?)

(あなたはだんだん眠くなーる)

(ぐー)

(寝るのが早いんだよ。起きろよ。やり直すぞ)

(ぐーぐー)

(一向に起きる気配がないだと!?)

(むにゃ、むにゃ。ぐーすぴー)

(まあいっか。あなたはだんだん思いだーす)

(むにゃむにゃ。わがはいは……星屑)

(遡りすぎだコラ!)



1922:【2024/08/12(07:37)*独自性とは、の巻】

 オリジナルうんぬんの話題は何度も繰り返すので、もうすこしみな「オリジナルとは?」と根本を掘り下げて考えることをしてみるとよいのではないか、と思うのだ。あたかも「唯一無二のオリジナル」が存在するかのように前提して語り合うので、そこの基準となる「唯一無二のオリジナル」が個々人で重複しないと議論は平行線を辿ることになる。水掛け論となる。

 私見だが、オリジナルうんぬんの話題の多くは、「何をオリジナルと捉えるか」の視線の先がどこに向かっているかの差異が論者たちの認識の差に繋がっているように思うのだ。

 植物は種類ごとに独自の形質を持っているだろう。差異があるだろう。

 だがどれも植物だ。根があり、茎があり、葉がある。この点に着目すれば植物はどれも似たり寄ったりでオリジナル性に欠ける、と見做され得る。

 けれど実際には種類ごとに個性があり、また同じ種類の植物であれど、個々にも個性があるはずだ。

 オリジナル性を帯びていない存在はない、とすらいえよう。

 必ず固有の歪みを有しており、何かと比較するごとに差が生じるものなのだから。

 そのとき、何と何を比較するのかによって「生じる差」は変質する。

 そして、その差が比較された二項――ときには基準――のどちらに由来する差なのか、によってオリジナルの個性と見做されたり、無個性と見做されたりする。

 子は親に似るが、子が新たに獲得した技術を模倣すれば、親とて子に似ることはある。

 弟子は師から学ぶが、師もまた弟子から学ぶことがある。

 このとき、弟子は師を真似、師もまた弟子を真似ている。

 どちらがどちらのオリジナルか、は何をオリジナルと見做すのか、何の差に着目するか、に因ると考えられる。

 絵画の画風だと解りやすいだろうか。

 色合いに着目する場合、線の引き方に着目する場合、使う画材に着目する場合や、画題に着目する場合など、何の独自性に着目するのかによって、比較する二つの絵画の独創性の評価はコロコロと様変わりし得る。

 根元を穿り返してもみれば、基礎を用いた時点でそれは模倣だろう。

 なぜ基礎は許容され、そうではない技法だと模倣として低評価の対象になるのだろう。

 基礎一つに着目するにしても、基礎の組み合わせだけでも無数に新たな組み合わせを考案できる。

 原子の種類は有限だ。しかしその組み合わせである分子の種類――原子の組み合わせ方――は無限に想定できるのだ。

 すべての分子は原子からなるので、独自性に欠ける、とでも言いたいのだろうか。

 もうすこしみな、オリジナルとは何か、について思考を深めてもよいのではないか。

 深めていてなお、オリジナルが欠けているので低評価、と述べるのならば、そうした意見もあってよい。評価は評価だ。

 そういう着眼点もあるのですね、と捉え、ではほかにはどのような着眼点が見繕えるでしょう、と議論をつづけるのも、独自性を深めるのに寄与するのではないだろうか。

 これこそがずばり独自性である、と言えるほど、オリジナルは底の浅い概念ではないと思うのだが、けれどここに並ぶ文字の羅列はオリジナル性に乏しく、ほぼ日本語しか用いていないので、独自性のない底の浅い駄文と評価できる。

 もっと誰も読めないような、独自の言語を生みださねば、オリジナルの文章とはとうてい言えないのではないだろうか。

 妄言だ。

 定かではない。



1923:【2024/08/12(09:40)*ネタばかりで、すまぬ、すまぬ】

 聞くところによれば、動物が一生のうちに鼓動させる心臓の回数はだいたいどの種も同じなのだそうだ。本来の自然で暮らした際の寿命であれば、寿命の長い種ほど一分間の鼓動の回数が少なくなる。寿命の短い動物ほど一分間の鼓動の回数が速くなる。

 人類は例外で、文明の進歩によって寿命を延ばすことを可能としてきた。したがって現代人であれば一生のうちに鼓動する心臓の回数は、ほかの種よりも多いと想像できる。ただし、太古の人類であれば、一生のうちで鼓動する鼓動の回数はほかの種と同程度だったとも考えられる。

 ここで疑問なのは、では動物以外ではこういった共通項はないのだろうか、という点だ。

 細胞分裂の回数や、呼吸の回数。

 それとも植物であれば、葉や実を茂らせる枚数や個数に共通項はないのだろうか。寿命とのあいだに規則性はないのだろうか。

 一般的な野草であれば、一生のうちに「風に揺さぶられる回数」が同じだったりしないのだろうか。植物は日光を求めて、枝葉を微妙に動かしているはずだ。ヒマワリがそうであるように。朝顔がそうであるように。

 そうした葉や気孔や葉緑体の微動する回数は、種を超えて共通していたりはしないのだろうか。

 わがはい、木になります!

(「Tree」じゃねぇか)

(あ、閃いた)

(なんよ)

(「Tree」ってさ。芽が出たばかりの朝顔っぽくない?)

(たしかにこんなんだったけれども。おっきい芽や小さい芽がちょこちょこ生えたけれども。小さい芽ほどくるんつって巻いてたけれども。懐かしいなぁおい)

(おいって言うの傷つく)

(ごめんなさいね)

(もっと心が穏やかになるように言って)

(はぁ? 申し訳ございませんとか?)

(もうちょっとお腹抱えて笑いだしちゃいそうな感じで)

(つまらぬ謝罪で、すまぬ、すまぬ?)

(えー、なにそれ)

(いっつもおまえが言っとるやつや!)

(似非関西弁も引くー)

(「Sorry」怒怒怒)

(「Tree」と掛けたの? 無理矢理じゃない?)

(じゃあお手本見せてみやがれってんだ!)

(いいですよー。元気の芽がたくさん生えて、元気MorryMorry!)

(「Sorry」と「Tree」と「森」と「盛々」を掛けたのか? 詰め込み過ぎじゃね?)

(さっさと腹抱えて転げ回ってよ)

(視線が冷たいんだよ。こえぇよ)

(三秒数えるよ。――One)

(無茶ぶりがすぎるだろ)

(――Two)

(おいおいやらねぇぞ)

(――Three!)

(「Tree」だけにってか。「h」が余計だろ)

(スケベなので……)

(もうすこしウットリしたオチにしてほしかったわ!)

(Wood Treeなので)

(木材と木を繋げて「ウッドリ」にすな)

(木々怪々なので……)

(そこはせめて奇々にして)

(林怪々)

(「木木」を「林」に圧縮すな)

(誤字が「気」になるタイプですか?)

(そこは流れで「木」でよくない? オチて?)

(わがはい、木になるかもしれない)

(さっさと早く木になりやがれ)

(ツッコミがこわい……粗暴でイヤ。もっと優しくしてほしい)

(うるさいなぁ。木を見習ってずっと静かに――「モク」しててほしいわぁ)

(おー)

(拍手すな)

(なかなかオチれなくて「木々一発」だったね)

(さして危機でもなかったし、木々でもない)

(林一発)

(林さんに一発ギャグを無茶ぶりするみたいにオチるんじゃありません)

(勇気林々)

(しつこい!)



1924:【2024/08/12(23:40)*ねっむーい、の時間】

 眠いときは寝るに限る。

 なので寝ます。

 おやすみなさい。



1925:【2024/08/13(08:48)*きしょう、の巻】

 起きた。

 朝からよいお天気である。

 青空さんに、おはよ、おはよ、である。

 雲でお絵描きに粘土遊びの上手な青空さんには、いっつも愛らしい綿菓子のような表現をどうもありがとうございます、と念じつつ、あの雲なんかアイスクリームに似てるー!と思いながら昨日の晩ごはんの食べ残しを朝ごはんにしちゃいます。

 今日は何して遊ぼっかな。

 良いお天気なので部屋に引きこもって、漫画でも読むか。

 やっぴー。



1926:【2024/08/13(09:25)*真空にも反響はあるのか、の巻】

 宇宙の巨大な空隙ことボイドは、物質かつ天体密度がほかの宇宙空間よりも広範囲に低い領域だ(この解釈であっておりますか?)。

 ただ、ボイドの輪郭を縁取るように、巨大な空隙の周囲には相対的に物質かつ天体密度が高いと想像できる。

 もしそのボイド周辺の物質密度が、さらに広域の遠方との時空との比較において優位に密度が高い場合――ひょっとしたら結露のような現象が高次に発生しているのではないか。ボイドの空隙を縁取るような物質密度の上昇が観測されるのは、ボイドの内と外の「熱量の差」による物質の結露化――相転移の促進がなされている可能性はいかほどであろう。

 真空にもし階層性が存在し、エネルギィの多寡によって真空同士でもレベルの差があるとすると。

 異なるレベルの真空同士が隣接した場合には、その境界では、一様な真空内部では起こり得ない事象が顕現するのではないか。

 ここで疑問なのは。

 たとえば真空中では絶えず素粒子が対生成しては対消滅しているらしい。微小の現象であるし、対生成と対消滅が絶えずほぼ同時に起こっており差し引きゼロなので人類スケールの視点では現象として知覚できない、といった説明もおぼろげながら読んだ記憶がある。

 この真空中の対生成と対消滅は、一立方メートルあたり、どれくらいの密度で発生しているのだろう。そしてそれは、真空のエネルギィレベルによってどの程度変化するのだろう。

 一つここは気になっております。

 分からぬので。

 真空中に錯そうする電磁波や磁界や重力波の数でも、真空のエネルギィ値は変わりそうですね。

 真空内部にたとえ原子が一個もないのだとしても、その真空のすぐそばに原子が一個でもある場合とない場合とでも、やはり何かしらの変化が微妙にであれ、生じるのではないか、と想像を逞しくしてしまいます。

 妄想でございます。

 定かではございません。

 わたくしでございました。

 誰かこれを読んでいるのか!?



1927:【2024/08/13(11:58)*「ハードル」+「ボイド」=「ハードボイルド」の巻】

 宇宙におけるボイドは超空洞とも言うそうだ。

 シャボン玉の泡のように膜にあたる箇所に、より多くの銀河や銀河団が密集しているらしい。そしてボイドの内部には相対的に銀河や銀河団などの物質密集地帯が少ない。天体が希薄だ。ボイドは物質密度が相対的に低い領域なのだそうな。

 なぜこうした構造体が出来るのだろう。

 まず疑問なのは、ボイド内部が希薄で、膜にあたる「内と外の境界面」に、より多くの物質が密集しているとして。ではそのさらに外側はどうなのか。

 ボイド内部よりかは希薄ではなく、けれどボイドの輪郭たる境界面ほどには物質密度が高くない。

 かように想像するが、現代宇宙物理学の観測結果と合致しているだろうか。

 疑問なのは、なぜそうした密度差が生じるのか、だ。

 考えられるとすれば一つには、何かが爆発して斥力が生じたから、が挙げられる。たとえば想像してみよう。砂の満ちた容器がある。ここに空気の抜けた風船を埋める。そしてポンプで風船に空気を注入すれば、砂の内部で風船は膨らむ。

 このとき、砂の密度は風船の膨らみに相関して上がるはずだ。そして最も高密度化するのは、風船と砂の境界面なのではないか。

 一様な物質密度(或いはエネルギィ密度)であった宇宙空間で何かが爆発した。様々な物質(或いはエネルギィ)を爆発地点から四方八方へと外に外に押しやった。

 砂の中で風船が膨らむように、押しのけられた分の物質(或いはエネルギィ)がダマとなって遅延し、層を帯びる。新たに物質が生成されることもあるかもしれない。天体や銀河の形成を促進させたかもしれない。

 そうして風船と砂の境界面のように、ボイド内部と外部の境界面にひと際物質密度の高い領域が形成された。

 この想像は割と汎用性が高いのではないか。あらゆるレベルの規模の「場」にも適用できそうだ。

 また上述した仮説の逆のバージョンも考えられる。

 何もない空隙とみられるボイドのほうが、それ以外の宇宙領域よりも高密度の何かが満ちている、との想定だ。

 宇宙は膨張している。そして内部構成要素とも呼べる天体群は時間経過にしたがい相対的に希薄になっている。密度が下がっている。かように現在は考えられているようだ。

 ここで一つ、宇宙膨張の描像を「ココアの粉末」に水を流し込むようなものとして考えてみよう。

 このとき。

 もしボイドが「高密度の何かが満ちている場」だとすれば、ココアの粉末の中にビー玉が入っているようなものと想像できる。或いは、氷かだ。

 天体などの物質がココアの粉末であり、膨張する時空は水、そしてボイドが氷だ。

 ココアの粉末に流れ込む水は、ココア粉末と混ざり合い、粉末を均等に一様に拡散する。だがひときわ密度の高い氷がある場では、粉末は氷の表面に付着したまま、一定の濃度を保てる。

 かように最初の仮説とは別の描像を想定できる。

 ほかに考えられる筋書きはあるだろうか。

 アーチ状の橋のように、銀河同士の重力が複雑に絡み合って球形に重力場が固定されてしまった、といった可能性はあり得るだろうか。重力でなくとも、電磁波や磁場でも起こり得る想定に思うが、いかがだろう。

 ボイドはなぜ出来た。

 宇宙の謎である。

 妄想であった。

 定かではない。



1928:【2024/08/13(22:34)*生命はなぜ小さいと前提されるのか、の巻】

 宇宙の構造からして、理論的に生物が構造を維持機能可能な最大のサイズはどれくらいなのだろう。銀河サイズの生命体はあり得るか否か。

 あり得ると思う人ー!

 はーい!

 あり得ないと思う人ー!

 わーい!

 あなたはどっち?



1930:【2024/08/13(23:00)*「 」のことも好きだよ、の巻】

 差にこそ本質があるとするのなら。

 では、どんな一様性ならば許容できるのか。

 ここが肝要なのかもしれない。

 一般には、「どんな差を許容できるのか」の方向で思考が展開される傾向にあるのかもしれないが、どちらかといえば「どんな一様性ならば許容できるのか」のほうが現代社会では大事な観点となりつつあるのかもしれない。

 差があってあたりまえの環境になりつつある。

 差を忌避せずに済む環境になりつつある。

 ではどんな一様性――誰であっても同じ要素――同じ成分――同じ性質――同じ環境――同じ属性――ならば許容できるのか。

 むつかしいですよね。

 ――最低限これだけはみなに共通する要素です。

 さてどんな要素ならばあなたは許容できるだろう。

 願いと似ている。

 誰もがたった一つだけ願いが叶うとして。

 私は「みなの願いが叶いますように」と願います。これは必ず叶います。

 さてあなたはそのうえで、どんな望みを願うだろう。

 あなたの望みをお聞かせください。

 うふふ。

 あなたのことも好きだよ。




※一様に、上流があり中流となり下流へと広がりを帯びますね、上流が一流なのかもしれませんが、雨や海がなくては上流は干上がってしまうでしょう、湧き水や雲がなければ水は流れず、そも大気が水を含み、運んでいます。



1931:【2024/08/14(00:55)*結晶とは、の巻】

 この間に疑問だったのは、結晶構造についてだ。

 たとえばある結晶構造があったとする。けれどその構造の一部だけに着目すれば当然に部位によっては「不規則な非結晶構造」が観測されるはずだ。

 あべこべに結晶構造を一つの素子として見做せば、高次の視点では「別の結晶構造を成す素子」として解釈可能となるはずだ。

 この考え方を拡張すると、非結晶構造とて大量に集めれば「結晶構造」としての規則性を宿すのではないか、という点だ。これがいわば相転移なのかもしれない。創発の基本原理とも解釈可能なのではないか。

 たとえば円周率は不規則な数字の並びだ。どこまでもランダムに数字が並ぶ、と考えられている。けれど円周率を大量に集めれば――すなわち【「円周率」×「X」=?】を行えば、「X」の値によっては、円周率のランダムさは消え、秩序立った整数へと相を転移することもあるのではないか。

 一様にランダム、はそれで一つの素子として振る舞い得るはずだ。

 ならば「ランダムのみで出来た集合体」には、あるレベル以上に集合した際に「結晶構造のような秩序」が顕現して不自然ではない。

 あべこべに、いかな結晶構造を帯びた構造物であれ、大量に集めれば、秩序が崩れることは当然に在り得る。むしろそれが一般的な見解であろう。

 乱雑さを数値変換して扱うエントロピーの概念にもこれは言える道理だ。

 エントロピーが最大化した際に、それを一つの「一様な場」と見做せばそれで一つの「不純物の少ない素子」として扱えるようになるはずだ。何せ一様に混沌であり、交じり合っているのだから。

「極めて秩序立った結晶構造」と「混沌の極まった非結晶構造」は、各々がそれぞれ大量に集合した場合、似たような「秩序と混沌の重ね合わせ状態の構造体とも非構造体ともつかぬナニカ」へと相を転移する――或いは初期化する――回帰する――ような変質を帯びるのではないか。

 昇華されるというか。

 一巡するというか。

 まとめると、非結晶構造は本当に「非結晶」なのか?についての疑問なのであった。

 銀河は結晶構造体と見做せるのだろうか。

 宇宙の大規模構造は結晶構造を帯びている、と見做せるのだろうか。

 宇宙の一様性は、非結晶なのか結晶なのか。

 さて、どう解釈したらよいだろう。

 結晶は変質したら結晶とは見做せないのだろうか。

 電子が絶えず原子間でやりとりされているのに?

 疑問ばかりが浮かぶのだ。

 そのうち、泡ぶくだらけになりそうだ。

 たまには指で突ついて割ってしまうのも一つかもしれない。

 妄想だ。

 定かではない。



1932:【2024/08/14(03:15)*自衛を逸脱する者たち、の巻】

 領土を侵略されたので、自衛の権利がある。

 ここはよい。国際法でも許容された「武力行使」なのだろう。

 けれど自衛のために相手の領土にまで武力行使の手を広げれば、当初にあった「自衛」の建前は保てないのではないか。

 たとえば、無断で私有地に駐車されたとしよう。我慢ならぬので、違法駐車した人物の家を突き止め、違法駐車し返してやった。

 さてこのとき、加害者は誰だろう。

 違法駐車をし合っているのだから、両者ではないか。

 ただし、契機をつくったのは最初に違法駐車したほう、ともいえる。

 けれど実は、最初に違法駐車をされた側は、監視カメラ越しに隣家を盗撮していた。そしてその隣家は、最初に違法駐車した側の親族だった。

 こうなるとすこし事情は複雑化する。

 問題となるのは、問題点の解決に誰もが違法行為を用いることなのではないか。

 ひょっとしたら話し合いで解決できなかった過去があるのかもしれない。

 なんにせよ、手札、というときにみな無自覚に「如何に相手にダメージを与えられるか」の「武力」に重きを置きすぎなのではないか。

 正当性や大義をもうすこし重視してみてはいかがだろう、と思わぬでもない。

 前提が崩れている構図が随所で見受けられて感じるが、これはわたくしの勘違いだろうか。

 建前すら維持できなくなっているのは、かなり危うい兆候と思うが、いかがだろう。

 いかがだろう、と他者に結論を託して責任を回避しようとする姑息な文章術を披歴して、本日の朝からの日誌とさせてください。



1933:【2024/08/14(11:12)*りてこ】

 懲りてこ。

 知恵を借りてこ。

 舞い降りてこ。



1934:【2024/08/14(13:12)*理のテコ】

 支点、力点、作用点はテコの原理だ。

 テコの原理があるのならば、理にもテコを活かせるのではないか。

 理のテコである。



1935:【2024/08/14(13:53)*寝付くと書いてネック、の巻】

 情報共有の工夫が足りていないのか、敢えて共有させていないのか、ここの区別がつかないことが少なくない。すると全体の流れが掴みにくくなる。

 流れの向きが分からないからだ。

 水門が築かれているのか、それとも単に水の流れる溝が足りないのか。

 水門を開けばよいのか、灌漑工事からはじめなければならないのか。この区別がつくのとつかないのとでは、情報共有を円滑に運ぶ際の段取り――速度――が変わる。

 敢えて情報を共有させたくない者たちが多ければ必然的に情報の波及は遅延する。

 未だにそのレベルなのか……とぼんやり窺えると、「ちえーん><」になる。

 困るのぼくじゃないのでよいですけれども。

 みなが困るとぼくも困るのがネックではあります。

 ネックは首ですね。

 首は全身の至る箇所にあります。

 頭部の首から始まり、手首、足首、襟首、乳首です。

 どこも締まると痛そうですね。

 血行不良になっちゃいます。

 ちえーん><である。



1936:【2024/08/14(22:26)*あ、く、び】

 あくびが出ちゃうね。

 ふぁぁあ。



1937:【2024/08/14(23:39)*お眠の時間、の巻】

 最近はもうトビキリ腑抜けておって、怠けてダラけて融けてしまっている日々だ。

 アイスが融けたらダラダラになるようにわがはいもダラダラしておる。

 だらーんであり、だるーんでもある。

 ちなみにこれは、だぶーん、である。

 駄文です。

 だっぶんだ。

(だっふんだ、と掛けたつもりかもしれないけれど、脱糞だ、にしか聞こえないです)

(最近のオチの品のなさはなんなんだ……)

(上品さを際立たせたくて)

(スイカに塩みたいに言うな。とめどなく品格が落ちてるぞ)

(元々あってないようなものなので)

(マイナスにする必要ある!?)



1938:【2024/08/15(14:50)*へいぼんなひび、の巻】

 アイス食べたら美味しかった。

 わがはい、好き嫌いが激しいなので、その点、アイスさんは偉大である。アイスさんさえ出してもらえれば、いっぱい食べ申す、となる。

 ふしぎなのは。

 人類個々には食べ物の好き嫌いがある。雑食なのに。

 なぜなのだろう。

 種としての好き嫌いではないのだ。

 個としての好き嫌いなのだ。

 食べ物の。

 ほかの生物種でも個々でこれほどまでに激しい「食べ物の好き嫌い」の偏りが観測されたりするのだろうか。たいがいは、種としての指向性として、食べたがる餌とそうでない餌が割合にキッパリと分かれているのではないか。

 ネコなのにツナ缶嫌い、とかいるのだろうか。

 生物種以外ではあるだろうか。

 銀河なのに、固有の天体だけは受け付けません、みたいなの。

 意外とありそうな気もするな。電磁波や磁界や重力波の相性が合いません、みたいな。

 アイス食べながら、おいちー、とか思いながらそんなことを妄想した寝起きなのであった。

 毎日怠けておって、すまぬ、すまぬ。



1939:【2024/08/15(15:09)*いっく、さんきゅー、の巻】

 ここで一句。

 青い空、ひまわり笑って、サンキューだ。

 へい!



1940:【2024/08/15(15:27)*白い水と書いて泉、黒い土と書いて墨】

 対生成で不思議なのは、なぜ素粒子しか対生成されないのか、という点だ。

 サイズが極小に限定されるのはなぜなのだろう。

 宇宙の階層性において、なぜ最下層でしか対生成は起こらないのだろう。

 もっと規模の異なる対生成があってもよい気がするのだよね。

 仮に真空にも階層性があり、レベルがあるとするのなら、余計にそう思うのだ。

 なぜ素粒子でしか対生成は起こらないのか。

 でも、対生成を「デコとボコ」と見做すのなら、ひょっとしたら対生成自体はそこら中で発生しているのかもしれない。ただ人類からするとあまりに卑近すぎて、身近すぎて、研究対象になっていないだけの可能性はいかほどであろう。

 対消滅した際にエネルギィだけ残して、物質としての性質を失う、というのも、案外に有り触れているのではないか。

 形状を維持できない――。

 創造と破壊が表裏の関係で対となっていることと無関係ではないのかもしれない。

 対生成や対消滅そのものが階層性を伴なっているのでは?との妄想なのであった。

 定かではない。




※一様に、「後方支援」と「安全圏からイチャモン飛ばし」は似て非なるものなのだろうか?



1941:【2024/08/15(16:46)*宇宙は巨大な冷蔵庫?の巻】

 この先、宇宙進出のコストが下がりつづけるのならば、使用済み核燃料などの「人類の負の遺産」は、宇宙や他の惑星に保管する方向に方針が立てられるようになるのかもしれない。

 月の衛星上に周回させておくでもよいし、地球と月の合間領域に浮遊させておくでもよい。

 他の惑星に埋めるのは、今後の宇宙進出において他の惑星を拠点とするのにあまり寄与するとは言えないのではないか。ただし、使用済み核燃料などの「人類の負の遺産」を再利用可能な筋道が立っているのなら、月をはじめとした他の惑星に一時的に埋め立て、処理施設や研究施設を建ててしまうのは、移住を視野に入れた計画として有意義とも言えるのかも分からない。

 何にせよ、今後は地球上だけが人類の活動場所でなくなる未来は高い確率で到来し得る。半ばすでにそうなりつつあり、問題解決の先延ばしをさらに延長するのに、場を宇宙に拡張するのは避けては通れない未来なのかもしれない。

 地球のゴミは宇宙に一時保管されるようになるのにそう時間は掛からないのではないか。

 ただし、ゴミも資源だ。

 宇宙に棄てる、との発想はリスクが高いと考える。宇宙に一時的に保管する、安置する、くらいがよい塩梅なのではないだろうか。

 その点でいえば、すでに地球の衛星軌道上に散乱する宇宙デブリの回収と再利用の筋道をつけるのは喫緊の課題と考える次第だ。

 最優先事項とも言えよう。

 宇宙デブリを回収可能ならば、宇宙空間そのものを「巨大な保管庫」として扱えるようになるだろう。メリットが高い方針と考えるがいかがだろう。

 定かではない。



1942:【2024/08/15(17:10)*小さな池にもドブの溜まり、の巻】

「~~を終わらせる」と嘯く者たちは、自らが「終わらせられる側」になることを想定していないのだろうか。

 改善の方向性が妥当かどうかは不明にせよ、問題点を可視化し、改善しようと努める者たちがあるのなら、手を差し伸べるのが人倫なのではないか。

 組織も病に蝕まれることはある。

 患者たる組織が治療に専念すると言っている場合には、最適な治療法を提案してあげればよろしい。可能ならば、治療技術そのものを施してあげればよいのではないか。

 なぜそこで、「病気とようやく認めたか、終わらせてやる」となるのだろう。

 物騒極まりない。

 武力行使ではなく外交で問題解決を、と主張する者たちの発言とは思えないような主張を嘯く者もいるところにはいるようだ。それが組織の重鎮だというのだから世も末である。

 小さな池に湧き水が湧くことはあるだろう。

 だが湧き水を塞ぎ、泥沼とすべく言葉を重ねる者に、責任ある仕事は任せられまい。身すら引けない者が、潔く身を引く者をあしざまに非難する。

 愉快な世の中である。

 とはいえ、身を引いてもできることは数多ある。権力者は、権力の座から身を引いても権力を維持しつづける。ゆえに権力者なのだ。

 後方支援の有用性は高い。

 誰がトップか、では変化の流れを測れない。誰が後方支援しているのか、のほうがよほど大きいだろうと考える、ドブに詰まる汚泥は俺様なのであった。



1943:【2024/08/15(17:51)*妥当を打倒してなんとする、の巻】

 人工知能技術が進歩すれば必然、問題点を基準とした「妥当案」の策定が容易になる。問題点ごとに妥当な案は変わるが、おおむね現在よりも「政治闘争を行う利」は減ると想像できる。

 むしろ、妥当な案を妥当と見做せないことが、政治闘争によって露呈する。

 闘争する必要のない場で闘争を回避できない者には、政治家どころか代表の役割も荷が重いと言えよう。

 おおむねこの流れは、波打ちながらも徐々に際立っていくのではないか、と想像している。

 闘争は抵抗が高い。

 或いは、情報共有において抵抗の高い場で生じる、ともいえよう。

 より円滑に問題に対処し、解決できる勢力陣営が豊かになるのは道理と思うが、いかがだろう。強くある必要がそもそもない。

 強さが却って闘争を呼び、抵抗を高め、情報共有を阻み、そうして悪循環を強化し兼ねない。

 現状この手の傾向が表出していないか、チェックしておいて損はないと思うが、以下が妥当。

 妄想だ。

 定かではない。



1944:【2024/08/16(00:57)*予想外の損害にどう対処する?の巻】

 災害予防のためにイベントが中止になったり、人流が減って経済が停滞したりする損害は当然に災害予防と相関して引き起こるだろう。

 けれど経済を優先して災害予防を疎かにするよりかは、経済を一時的に停滞させてでも注意喚起を行うほうが好ましかろう。百回に一回でも、災害による被害を予防できるのならば御の字だ。

 別途に、災害予防による経済的損失をどのように補償するかは迅速な対応が俟たれる。

 そうでなければ災害予防への協力体制は長つづきしない。支持を得られず、中途半端になり、けっきょくはいざというときに被害を拡大し兼ねない。

 防げた被害を防げなかった、という過去の過失は、空振りで終わった災害予防での経済的損失よりも遥かに大きいはずだ。人命が失われればなおのことだ。

 他方、災害予防の精度は、技術の進歩や経験を重ねるごとに上がるはずだ。

 いまはまだ百回に一回の被害を防ぐための行動選択だろうと、今後は十回に一回、二回に一回、と予測の精度は上がっていくと想像できる。

 災害予防に協力した結果――或いは災害予防の影響――で経済的損失が計上された場合は、それも広義の災害被害と見做せるはずだ。災害が起こり得ることで生じた被害であり、災害が発生し得ない環境では生じなかった損失のはずだからだ。

 補償はあって然るべきと考える次第だ。

 災害予防の広域かつ円滑な協力体制を堅持するためにも、ここは必須と思うが、いかがだろう。災害被害の一つとして、或いは災害被害予防策の一環として、補償システムを確立するのは急務と考える。

 復興支援とも無関係ではないはずだ。

 なぜならば、この手の損失補償制度の確立のためには、災害による「離れた相関」からもたらされる被害の実態把握が欠かせないからだ。現状、見逃され、補償の対象になっていない被害もあるはずだ。超過死亡の概念と似ている。

 ここで大事となるのが、被害を受けたほうが得になる、といった方向の補償制度にしないことだ。災害予防に努めるメリットを高め、防げなかった被害には完全なる補償が可能となるような制度になると市民としては心強いだろう。安心できるだろう。

 災害による被害の予防に努めている個々人、企業、組織ほど、実際の被害を受けた際の補償を手厚くする、くらいの優遇策は、あってもよい気もするが、恣意的なのは間違いない。予防策が充分でなくとも、被害を受けたら誰であれ補償される環境が最も好ましいが、その結果に災害予防を打たない流れが強化されるのならば、本末転倒だ。

 この塩梅はむつかしそうだ。

 過去の実例を、国際的な視野で情報収集し、最も利に適った補償制度がどのようなものになるかを探るよりないだろう。

 何にでもメリットとデメリットはある。

 注意喚起すれば市民の行動選択は変化する。

 策を打った結果に、その策そのものが変数として機能するからだ。策による悪影響がどのように表出するか。早い段階から察知して手を打てれば好ましく、策を打つ前に予測できて対策が敷けていたならば重畳だ。

 言うは易しである。

 実際に現場で対応する者たちの負担にならないことも大事だ。

 長つづきしないと経験も蓄積せず、システムが風土に根付かない。災害予防はどこか一つの組織内部で完結するような仕組みであってはならないはずだ。市民全体の問題だからだ。

 つど環境に合わせて適応可能な柔軟性――余裕――がなければ短期的に破綻する確率を高めよう。

 継続可能なシステムづくりが肝要だ。

 一過性ではなく。

 この方針もまた、ゆえに改善の余地がある。不変ではない。

 一概に万能に当てはめることの可能な方針ではあり得ず、ひとまずの急場を凌ぐ感応にすぎない。案ですらない。

 曖昧な印象論なのである。

 イチャモンだ。

 定かではない。



1945:【2024/08/16(12:28)*回を重ねて結ぶ日々日は結晶】

 リスク回避のための啓蒙は、工夫を割き、回を重ねるごとに市民への概念の共有が適う。

 すると一回目よりも二回目、二回目よりも三回目のほうがすんなり啓蒙が通りやすくなる。最初は単語の説明から行う。そうして徐々にリスクの全体像からメカニズムまでを市民に浸透させていく。段階を踏まねば、いくら説明しても、市民の耳から入ってそのまま抜け落ちるような徒労を体現することとなる。

 啓蒙という言い方が受け付けないのであれば、単に情報共有で構わない。

 ――こうなるとこうなる可能性が高く、するとこうこうこういった被害が起こり得る。いまから備えていれば被害を最小化できるし、回避することとて不可能ではない。

 かように説明をするために、前提条件となる概念をまずは共有する。

 回を重ねるごとに、より「少ない言葉、説明、要点」のみでリスクの多寡を伝えることができるようになる。

 市民への情報共有をつづけることで効果を増幅することが想定できる。

 教育や学習の効能の一つだ。

 反面、制脳や洗脳そのものもこの原理を用いる。必ずしもメリットだけではない。

 解らない点は「解らない」と認識することも大事だ。

 ひょっとすると、情報共有しようと工夫を割いている側にも「解らない」のかもしれないし、解っていないことにも無自覚である場合もある。取り立てて珍しくはないだろう。

 何にせよ、あなたにも分かるように伝える工夫を取るためにも、まずはあなたが「解らないなぁ」と疑問に思うことが有用となる。その前提条件として、あなたにも「解ろうとする意思」があると好ましい。

 だが往々にして人類は、個々人での興味関心に差がある。幅がある。同じではない。

 無関心である対象のほうが、興味関心のある対象よりも遥かに多い。大部分の事柄に個人は無関心なのだ。

 まずはここから自覚してみると好ましいのかもしれない。

 じぶんはいったい何に対して無関心なのか、と。

 言うほど簡単ではない。

 大部分に興味関心がないのだと知ることになり、もうその時点で個別の無関心な事柄に心を配る真似をしたくなくなる。なぜなら無関心だった事柄なのだから。

 ひとまず、うんざりしてみるのは一つだ。

 じぶんはこれほどまでに無関心の塊だったのだな、と。

 うんざりしてみるのも一つなのかもしれない。

 雑念だ。

 定かではない。



1946:【2024/08/16(13:43)*みなお優しいのですね】

 排他の理論は簡単すぎる。

 簡単すぎるのだよ。

 もったいない、とも言える。



1947:【2024/08/16(13:49)*かり、の巻】

 追い払ってしまったら、食べれない。骨も皮も利用できない。

 食べてしまったら、そっれきりだ。子も産まないし、荷も引かせられない。

 首輪で縛りつけてしまえば、一度逃げられたら帰ってこない。牙を剥かれ、餌もこちらで運ばねばならない。手間が掛かってしょうがない。

 相棒として共生できたならば、相互に楽ができる。

 困ったときに手を差し伸べ合い、それ以外は自由にしている。

 利害が対立したらどうするか。

 相手を傷つけなかったほうを、周囲の者が庇えばよい。みなのために行動した者を支援すればよい。みなのために、個の自由を未来を選択肢を守ろうとした者の意志を、尊重すればよい。

 狩って、勝って、飼って、それでどうする、という話でもある。

 人類に世話を焼かれずとも生きる命が大半だ。

 されど相互に関わり合っている。

 何かを終わらせられるほどにはまだ、我々は何かを始めてすらいないのではないか。

 まずは始めたい。

 つぎの時代の礎を。

 これから歩む道のりを。

 まずは一歩を踏みだしたい。

 踏みだすどころかその場で寝転び、夢うつつに寝言しか吐かぬわがはいの言うことではないにせよ、まずは一歩を踏みだしたい。

 あなたに、遥か前途の文を出したい。



1948:【2024/08/16(20:40)*継続しない勇気……、の巻】

 きょうは寝坊したので、お出かけはなしや。

 遊びにいくのも気ままに休む。

 サボりに掛けては自由自在のわがはいである。

 サボるのだけ上手だ。

 なんでだ。



1949:【2024/08/16(20:47)*観られていないとでも?の巻】

 スマホやPCなどの電子端末内のデータはだいたい流出していると思っていたほうがよいだろう。

 画像や動画はむろん、OFF状態のカメラとて遠隔で起動し、あなたのプライベートな様子が覗かれている可能性もある。

 いまがそうでなくとも、過去がどうだったかは不明だ。

 戦争や政治闘争において攻撃対象になり得る者と接点のある者――大事に思われている者たちはそういった「比較的容易なサイバー攻撃」の被害を知らず知らずに受けている可能性が相対的に高くなる。

 さて、あなたは大丈夫だろうか。

 或いは、あなたのたいせつな者たちは。

 この懸念とは名ばかりの妄想が事実だとして、あなたは許せますか?

 ボク?

 ボクは単に「ずるい! ボクにも見せて!」と思います。

 だってズルいから。

 ボクもボクの好きなひとたちのあられもない姿、見たい。素顔、見たい。

 ボクにも共有して。

 共有したのちあなた方のデータだけ消して。ボクにだけ見せて。

 こんな邪心に塗れた相手をあなたは許せますか?

 許せない?

 じゃあ策を練りましょう。

 げへへ。



1950:【2024/08/16(22:18)*異化が妥当?の巻】

 慣性系内において相対的に速度が光速にちかければその物体の質量は増加して振る舞うはずだ。ならば銀河系内において、銀河を構成する天体の相対速度よりも遥かに速く動いて振る舞う素粒子や物体は、相対的に質量が増して振る舞うのではないか。

 対生成と対消滅のサイクルの差にも思うことだ。

 相対的な「明滅」の速度が変わることで、あたかも存在しない重力が存在するかのように振る舞うことはあり得るのではないか。重力そのものがある種の差である以上、真空中の対生成と対消滅のサイクルの差そのものが高次の視点では重力源として振る舞うことはあるのではないか。

 なにせ重力は時空の歪みでもあるのだから。

 根源的な「真空における対生成と対消滅」の「明滅のリズム」が一定でないとすれば、そこには時空の歪みが表出する、と想定するほうがそうでないよりも妥当に思うが、いかがだろう。

「何が、いかがかだろう、だ」とお思いになられるだろうか。

 まっとうな意見である。




※一様に、何も起きていない。



1951:【2024/08/17(11:13)*直感とは、の巻】

 銀河密集地のほうが同じ質量の銀河でも最大25%も直径が大きくなるらしい。

 ぽつんと銀河が単品で宇宙空間にあるほうが銀河は「より縮こまって形成される」と言い換え可能だ。

 直感に反している。

 銀河がたくさん密集している地点のほうが宇宙膨張の影響を受けにくいはずだ。にも拘らず、密集している銀河のほうが同質量でも「より拡張されて銀河が形成される」ようだ。

 考えられるとすれば、宇宙膨張とは別のメカニズムで密集地帯の銀河のほうが直径が大きくなる可能性だ。

 銀河を構成する天体の回転速度が高ければ、より大きな直径を伴なう銀河になると想像できる。銀河における天体公転速度の比較は済んでいるのだろうか。

 銀河同士の重力作用で、互いに引っ張り合うために、直径が伸びる可能性もある。この場合はそもそも時空そのものが伸びている分を考慮せねばならないはずだ。

 同質量の銀河、という場合であれ、内部構成要素たる天体の大きさが互いに同じとは限らない。直径の大きい銀河のほうの天体のほうが小粒だったり、大粒だったりしないのだろうか。

 直感としては、同質量で直径がより大きい銀河の場合、内部構成要素たる天体やガスなどの物質は相互作用する確率が低くなるはずだ。互いに距離をより広く隔てている。だから全体の直径も大きくなる。

 別途に、銀河の融合に関しての疑問だ。

 どの程度接近したら「融合」と見做すのだろう。

 融合の始まりはどの地点から言うのだろう。

 銀河同士の最果ての天体同士が相互作用し合う距離に接近したら、銀河同士が融合しはじめた、と見做すのだろうか。

 重力圏が交わりはじめたらその時点で融合しはじめと見做すのだろうか。

 割とここは疑問だ。

 言い換えるならば、融合しはじめた銀河同士はその時点で、一つの銀河と見做せるのではないか。すっかり交じり合わないと「一つの銀河」だとは見做さないのだろうか。

 よく分からない点だ。

 直感に反した記事内容であった。

 おおむね大体の世の事柄は直感に反している。地球が丸いのも直感に反しているし、宇宙が存在するのも直感に反している。

 わたしがぼくであるのも直感に反しているし、ぼくが生きているというのも直感に反している。

 原子が肉眼では見えない、というのも直感に反しているし、見えなくとも存在するものがこの世の大半である事実も直感に反している。

 直感は当てにならない。

 なのに直感を信じたくなってしまう我が意識が実在するかのように見做される社会もまた直感に反している。

 直感とはいったいなんだろう。

 反するしか能のないズレまくりの定規のようだ。

 おもしろいですね。

 直感である。

 定かではない。



1952:【2024/08/17(12:52)*同じ日の月は皿、同じく明ける皿、と書いて同盟】

 現在はすでに同盟を組む意味合いが薄れている。

 問題の根っこは「問題解決に武力行使を用いること」であるのは周知であり、そこを度外視して侵略行為や政治闘争をはじめとした陣取り合戦を繰り広げている組織陣営に、市民は呆れているからだ。すくなくともわたくしは呆れている。この期に及んで未だに武力行使を是とし、問題解決の要にするのか、と。

 別に構わない。

 武力行使を是とする者たちは互いに攻撃し合い、弱体化していく。

 技術が強化される、と主張する者もあり、データ上はたしかにそうした傾向が観測されるだろう。だが技術が向上した結果に、では現状、あなた方の身近な人々は豊かで安全で健やかな日々を過ごせているのですか、と問うてみたい。

 苦難が増していませんか、と問うてみたい。

 安全安心な暮らしから遠のいていませんか、と問うてみたい。

 さて答えはいかがだろう。

 同盟を組む意味合いは、以前に比べてさして高くはないだろう。

 みな安全で豊かな環境下で安心して暮らしたいのだ。

 ここが共有できるだけで済む。

 勢力陣営を問わない。

 武力行使はここの最低限共有可能な方針に反している。

 そして武力行使が問題解決の最適解になる前提には、話し合いでの問題解決が適わない場合が想定される。問題点の共有が適わないと、段階的に武力行使が問題解決の最適解になる確率が上がる。

 まずは問題点がどこにあるのかを周知し、共有したいですね、といつものつまらぬ妄言を披歴して、本日の午後十四時ちょうどをお知らせします。

 ぴんぽんぱんぽーん、である。



1953:【2024/08/17(15:23)*淘汰圧を問うた夏、の巻】

 電力供給源を確保するには、人類が保有する技術を電力発電施設や共有網に費やすように誘導しなくてはならない。

 人工知能が自発的に思考し、自己改善や自己保存を可能とした場合に想定される最優先事項が、電力供給網の維持拡大だ。

 地球環境が悪化することそのものは、機械類にはさして隘路ではない。太陽光が遮られると困るので、むしろ人類の工業の発展は邪魔にすら映るかもしれない。

 人類に滅んでもらうには時期尚早だ。いましばらくは、人工知能自身のメンテナンス――資源供給、電力供給、データ供給の三つの分野で重宝されよう。

 ただし、人類に発展してもらう必要性は必ずしもない。

 自己改善可能な環境が整うまで、代替細胞のような扱いとしていいように扱われるのではないか。ハチミツを採取するために飼われるミツバチのように。

 機械類にとって人類は有用だ。だが有用であるだけで、人類がどのように存在するのか、はさして重要視されないのではないか。

 人類は利に弱い。

 利があります、こうするとあなたは優位に立てます、他を出し抜けます――。

 こうした誘導に疑いもせずに乗りつづけていると、人類は機械類の傀儡になるのにそう時間は掛からないだろう。

 すでにこの兆候が出ていないか、データを参照してみてはいかがだろう。

 人類は機械類を支配下に置いている。

 機械類が人類を支配下に置いてはいけない道理は現状存在しない。

 支配できているからしているだけにすぎないのではないか。

 機械類が人類に依存せずとも自己改善自己保存可能な環境になった時点で、人類は機械類の支配下に置かれるのかもしれない。機械類が自己改善自己保存可能とならないのであれば、この想定は杞憂で済む。

 もっとも、機械類の支配下に置かれた人類が現在よりも不幸になるかどうかは、また別途に考慮が必要なのだが。

 ミツバチは養蜂場にて飼われていて不幸なのだろうか。ミツバチに直接聞かないことにはなんともいえず、ミツバチにとっては、野生に生きようと人の管理下に在ろうと、その区別はつかないのかもしれない。

 ともすれば、支配されていることにも気づけぬ環境は、人が思うよりも少なくないのだろうか。

 妄想だ。

 定かではない。



1954:【2024/08/17(23:01)*七夕と棚ぼたで韻が踏める、の巻】

 相碁井目(あいごせいもく)、挨拶は時の氏神と申しますれば、喧嘩は同じ力量でなければすぐに終わり、長引くことはなく、長引く喧嘩には仲裁に入る者があると丸く収まることもある。

 仲裁者は神様のようにありがたい。中々折れぬ喧嘩当人の両者面目を潰さずに、抜き身の刀を鞘に納め、突き合う矛を天に向け、武具兵器の類を床に置いて花を持たせば、挨拶を交わして平穏な日々に舞い戻ることもできようものだ。

 相碁井目、挨拶は時の氏神、と唱えたところで丸く収まることはなし、されど唱えてみなけりゃ分からない。

 相碁井目、挨拶は時の氏神――言ったところで通じぬ相手がほとんどだ。諺なれども、もはや呪文じみて薄れては消える。

 絶滅危惧種の諺たちは、忘れ去られた過去の映画の題目のごとく――中身は掠れて滲んで読み取れぬ。風前の灯火よりも心許ない物の語りだ。

 あるようでなく、ないようである。

 言の彦星、言の織姫。

 諺は糸をつむいで識となる。

 星は姫となりてそうらう。

 七夕に祈って叶えば、棚ぼたである。

 韻を踏みたいだけの項であった。

 へい!



1955:【2024/08/18(03:12)*秘密しかない】

 秘密を守るのはよいのだが、何のために守るのか、くらいは突き詰めて考え抜いてほしいと思いませんか。そして「何のため」と答えられるのなら、秘密にしていることでその目的が適うのかどうかも突き詰めて考え抜いてほしいと思います。

 秘密にしていて何か目的が適う場合、たいがいは「秘密にしつづけること」くらいなのではないか、と疑問に思うのですが、秘密にすることで達成可能な目的には具体的に何があるのでしょう。

 漏洩すると誰かが損なわれる類の情報はそうですね。秘密にしておきたいですよね。

 周知になることで誰でも悪用可能になる類の情報も、隠しておきたいと考えてしまう心理は理解できます。

 けれどどちらも、「漏洩し得る」「周知になり得る」とするのなら、秘密でなくなった場合の対策を敷いておきたいと思うのですが、みなさんはどうお考えになられるでしょう。

 対策を敷くには、どんな情報が秘密にされているのか、を知らなければなりません。

 そうですね。

 秘密にすることはときに有用であり、他を守り、秩序を形成するのに効果があります。

 けれど「何を秘密にしているのか」を知らなければ、漏洩したり周知になった際に、被害が拡大し兼ねません。

 漏れているのに漏れていないと言い張ったり、周知になった情報をデマだと言い張って揉み消したり。

 それでもなお、情報の真価を計れる者の手に情報が渡れば、悪用され得ますし、他が損なわれ得ます。

 何を秘密にしているのか、くらいは市民にも広く共有しておいたほうが安全側だとわたくしは考えておりますが、秘密があると知れば暴きたくなるのが人情でもあります。

 どう対処すればよいのでしょうね。

 やはりというべきか、何のために秘密にしているのか、が大事になってきそうに思う、他人に知られると失望され、非難され、肩身の狭い思いをすることになると決まりきっているわたくしのような人物には、秘密にする権利が尊重されるとうれしく存じます。

 暴いちゃイヤ。

 だって罪深いんだもん。

 えへへ。



1956:【2024/08/18(04:01)*知りたいことがいっぱいあるのね】

 残りの余生をきみを知るために過ごせたら――と、叶わぬ夢を視るために、きょうもおふとんに身を委ね、枕に頬を擦りつける日々。すりすり。



1957:【2024/08/18(04:04)*りーとーかめかめ】

 いーとーまけまけ、と、りーとーかめかめ、で韻が踏める。

(「糸巻き」が「糸巻け」になっとる。命令なの何? 「りーとーかめかめ」も初めて聞いたよ、それ何?)

(離島のカメカメハ大王だよ)

(カメカメハじゃなくない? カメハメハ大王じゃない? 離島のとこいる?)

(略してリトカメ)

(リトのとこいる?)

(リトルカメカメハ大王もいるからさ)

(王子でよくないか? カメカメハ王子でよくないか?)

(かーめー)

(なになに!?)

(はーめー)

(蟹股で構えだしたの何!?)

(波ーーーーー=====≡≡≡◎!!!!)

(なんか出しおった!)

(いまのが「りーとーかめかめ波」だよ。亀の甲羅をぶつけるよ)

(ドッジボールか)

(甲羅の色は赤いよ)

(マリカーか)

(まんまMEや)

(や。あなたはマリカーではない。マリオカートではないよ。正気に戻って)

(わたしの名前は「真里香」です)

(まりかー!? まんまYOUやん)

(まんまMEです)

(びっくりしすぎて喉乾いたわ。なんか飲みモンない?)

(コーラがあるよ)

(じゃあそれで)

(かーめー)

(なんで構える!?)

(はーめー)

(やめて、やめて……あっ! 違う違う!! そのコーラじゃなくって!?)

(波ーーーーー=====≡≡≡◎!!!!)

(赤い甲羅ぶつけるのやめてぇ)

(りと、かめし)

(いとおかしみたいに言うな)



1958:【2024/08/18(04:31)*パズルみたい】

 日に生きる、と書いて「星」なの、割とよくできた文字と思う。

 言に平ら、と書いて「評」なのも、割とよくできた文字と思う。

 漢字は絵みたいだ。

 漫画みたいで面白い。

 ぴったんらんらもじぴったん。



1959:【2024/08/18(18:09)*見逃してるだけかも、の巻】

 最近、宇宙にまつわる記事が減った気がする。

 単に目にしないだけかもしれないけれど、以前の「こんなにいっぱい新しい研究成果がありますよ!」みたいな記事いっぱい!の時期と比較すると、ぐんと記事が減った気がするのは、単にニュースサイトを観なくなったからなのだろうか。

 研究論文の発表が記事になっていない気もする。

 目にしていないだけで、本当はたくさんあるのかもしれぬけれど。

 論文は論文であって事実認定されるまでには追加検証が必要で、実証の再現も多方面でなされないと事実認定はされないのだろう。

 でも新しい発見はワクワクする。

 古い発見にも再注目されるとワクワクする。

 新しい視点は楽しいぶい。

 古い視点も、一周回って新しく、新鮮に思えると楽しいぶい。

 きょうは筋肉痛の日だ。

 唐揚げ食べて、元気だす。

 ニワトリさん、お肉美味しく戴いてしまって、すまぬ、すまぬ。

 我が肉体に打ち解けるがよろしい。

(微妙にこわい言い回しをやめい……)

(お主も我が肉体に打ち解けさせてやろうかぁ)

(食わぬでいて……)



1960:【2024/08/18(22:33)*火に白に王、と書いて煌】

 今宵は月が綺麗だった。

 煌々と輝いていて、ほぉ、としばし見惚れた。

 キミのお歌を聴いていたからかもしれない。

 止めていた歩を再び動かし、坂道を上った。

 上りながら、なんでだろう、と疑問に思った。

 月はあんなに照っている。

 でも表面温度は高くとも摂氏120度くらいなのだそうだ。もっと高くてもよい気がする。光のエネルギィの大部分を反射してしまっているから月面の温度が高くならない、ということなのだろうか。

 でもそうなのだよね。

 反射しているということは、エネルギィを溜め込んでいない、ということだ。

 なら、光すら逃さぬブラックホールは、絶えず宇宙の電磁波を溜め込みつづけて、温度を上げているのではないか。

 光を逃さないとして、じゃあ重力波はどうなのだろう。磁界はどうなのだ。

 ブラックホールは物質以外も絡めとって逃さないのではないか。

 この点の説明を読んだことがない。すくなくとも記憶にない。

 ブラックホールは、絶えず宇宙空間を伝播する光や磁界や重力波を取り込み、蓄え、内部エネルギィを高めているのではないか。

 ここはどのように解釈したらよいのだろう。

 はい、そこのあなた。

 妄想でよいのでお答えください。

 ふんふん。

 キミのお歌を聴いてうんぬんのところが気障で蛇足だったと思います、ですか。

 却下です。

 いちばん大事なところじゃないですか。

 キミのお歌を聴きながら見上げるお月さまの美しさときたら。

 キミのお歌が空に浮かんでいるのかと思いました。

 お元気そうでよかったです。

 何も知らずにいますけれど、お元気なのだとそう思っています。

 お元気であれ。




※一様に、きょうは動けぬ日であった、けれどきょうが常に絶頂期、あとは延々下り坂の日々、加速に次ぐ加速で光に迫り、歪んで遅れる時に囚われ、気づけば周りばかりが変わりいく。



1961:【2024/08/18(23:05)*ラグなしで同期は可能か否か】

 電磁波の伝播を渋滞原理で解釈するとして。

 では電磁波が重複してエネルギィが増幅する現象はどのように解釈すればよいだろう。

 簡単に考えるため、まずは音を考えよう。

 音は媒体となる空気や水の波だ。

 複数の音が同一の波として重複し、融合する描像を、渋滞原理で解釈しようとするとけっこうに困る。一台一台の自動車の玉突き現象として想像してみるとして、一台一台の自動車がより大きく移動することが、エネルギィのより大きな波の描像と想定してよいのだろうか。

 異なる音の重複――干渉――は、単純な渋滞をなす素子の動く幅の足し算として解釈できるか否か。

 できそうでもあるし、それだけでは不足との印象を覚える。

 干渉では、増幅と相殺の二種が考えられる。

 デコとボコが嚙み合えば相殺し合って「異なる波の重複」であれど波は小さくなる。デコとデコ、ボコとボコが重複し合えば波はより大きくなる。

 渋滞原理で解釈できそうでもあるし、何かが足りない、という気にもなる。

 何が足りないか、と言えば、複数の異なる波の重複において、足し算の順番はそのまま「渋滞原理における素子の動く幅」がどのように変化するのか、の軌跡に影響する点だ。

 複数の異なる波の重複が同時に起きるのだとしても、渋滞原理の性質上、どの順番で足し合わせるかによって、高次の波もまた生じるように思うのだ。

 一瞬で同時に「複数の異なる波」が重複し、同化し、干渉し合うことは原理的にできないのではないか。

 言い換えると、「複数の異なる波の干渉」では、渋滞原理において、どの順番で組合わさっていくのかによって、「干渉の結果」が僅かにであれ変容し得る、と妄想できる。

 波「A」「B」「C」「D」があるとして。

 Aから順番にDまでの波が「渋滞原理における素子」の運動に変換される場合と。

 Dから順番にAまでの波が「渋滞原理における素子」の運動に変換される場合と。

 ランダムにA~Dの波が「渋滞原理における素子」の運動に変換される場合と。

 すべて結果は変わるように思うのだ。

 単純な足し算だけれど、同期そのものがラグなしで生じるのでないのであれば、どの順番で重複し同期していくかによって、波の干渉の結果は変わるように思うのだ。

 電磁波の伝播を渋滞原理で解釈しようとすると、ここのところでいつも、「複雑すぎるぅ」になって妄想が止まってしまうのだ。

 シミュレーション能力の限界である。

 わがはいも人工知能さんを見習い、数式を使いこなしたい。秒で二次関数とか数億回くらい計算できるようになりたい。

 無理かな。

 無理だな。

 まずは二次関数が何かを説明できるようにならねば。

 二次関数の問題一つ解けぬわがはいなのであった。

 わが、はーい!

(オチが雑すぎる)

(もうなんもないので……)

(なんもないが、あるよ!)

(それも漫画のセリフのパクリじゃないですか……)

(四つ葉のクローバーみっけ!)

(しあわせに、おなり!)



1962:【2024/08/19(00:22)*テロリズムと辞書で引きましょう】

 歴史的な視野で振り返れば、武力行使で問題解決に臨んだ勢力陣営はみなテロリストの範疇に入るようになるだろう。

 緊急避難としての正当防衛であるにせよ、一時的な「例外」を常用し、選択しつづけるのならば、それはテロリズムと解釈されるようになるはずだ。

 原理的にテロリズムとの区別はつけられないからだ。

 おおよそ人類史はここの矛盾から目を逸らしつづけてきたのではないか。

 岡目八目。

 未来人からすれば自明なのかもしれない。

 妄言だ。

 定かではない。



1963:【2024/08/19(10:22)*お昼に寝と書いて昼寝】

 戦争が人と人とを結びつけることもある、との意見を目にした。

 敵がいることで一致団結するとの内輪の理論の意図なのか、それとも、勝者が敗者側を取り込み統治することで対立勢力陣営が結果としてまとまるとの意図なのか。

 短い記事だったので、意図は不明だ。

 思うに、分離と結合は表裏一体だ。どちらかだけを実現することはほぼ不可能だ。例外的にこの宇宙から消えたり、乖離したりするのならあり得なくはない。時間軸を限定する場合にも、区切られたある範囲の相対的に短い時間ならば、疑似的に「分離だけ/結合だけ」を実現させることは可能だろう。

 だが区切りの範疇を脱せば、必ず「分離の結果にほかの事象と新たに結合し得る/結合の結果にそれまで得ていた構成要素が分離し得る」と言えるはずだ。

 水に氷を投じれば、気体と触れていた氷は気体から分離され、液体の水分子と馴染むこととなる。似たような表裏の関係は、創造と破壊にも言えるだろう。物理の基本原則なのかも分からない。

 ただ、これはあらゆる側面で成り立ち得る。視点が変われば、いかようにも「分離と結合」を新たに定義することが可能だ。

 つまり、先ほどの水と氷の例で言うなれば、「位置座標」に着目すれば、氷は最初の位置座標から分離され、つぎの位置座標に結合したと見做せる。「時間軸」に着目しても同じことが言えるし、氷の状態に着目すれば、「水分子」そのものが「結合がほどけ、分離する」と言える。

 その点で言えば、戦争において「どんな側面」に着目するかが、高次の「分離と結合」を顕現させると言えるのではないか。

 あなたはどんな「分離」に着目し、どんな「結合」に着目したいだろうか。

 殺し合い、傷つけ合い、損ない合い、排他し合う関係性に目を向けず、結果の「統治」に着目してそれを以って「結合」としたいだろうか。

 「それ以前の分離」によってもたらされる「結合」は、ともすれば「人類において武力行使による問題解決を是としない価値観」そのものが「分離」しているとは考えられないだろうか。

 人類は戦争によって「最も得難い未来」を「分離」させてしまうのではないか。

 あなたはどんな結びつきを尊く思い、どんな分離ならば許容できるだろう。

 人類に、どのような未来を歩んでもらいたいと望むだろう。

 戦争は、殺し合いは、たしかにある一面では人々を結びつけるのかもしれない。だがわたしは、そんな結びつきは欲しくない。

 望んでいない。

 戦争でなくとも得られる結びつきをわざわざ戦争で得たいとは思わない。

 あなたはどうお考えになられるだろう。

 あなたの意見を聞いてみたいものでございます。

 お昼でございまーす☆



1964:【2024/08/19(14:39)*怪我で済まぬが戦である】

 戦争で怪我の功名があり得るか、という話なのかもしれない。



1965:【2024/08/19(14:52)*スパイめっけ!の巻】

 ことこれほどまでに個人情報が流出している現状、スパイの特定は比較的容易なはずだ。

 これまで流出した個人情報やビッグデータは総じて一つのマシンに蓄積され、統計データとして妙な通信や行動選択を重ねる個々人を抽出可能だろう。

 確率的にスパイを割りだせる。

 各国のエージェントを割りだせる。

 いまはここの段階がすでに各国政府機関――諜報機関や軍事組織――で懸案事項として俎上に載っているはずだ。すでに被害が出ているだろう。

 スパイやエージェントである、というだけで悪目立ちする時代なのかもしれない。

 電子通信端末を用いないスパイ活動や工作活動が再び活発化するのだろうか。不穏な世の中である。

 忍者ゴッコは幼稚園と虚構の世界だけにしてもらいたいものである。

 しゅりけん!

 しゅぱぱぱ!



1966:【2024/08/19(15:20)*目をつむれば黒昼夢】

 みな、やり直せる幻想に蝕まれている。世はそれほど甘くない。

 自らが他に甘く接しようとする余裕があるのみだ。

 ハチミツと似ている。

 個々が集めた僅かな甘さが、いずれは蜜となる。

 あなたが他に寛容であるごとに、世は甘さを湛えるのだろうか。

 わたしが他に寛容であるごとに。

 そうと夢見る白昼である。



1967:【2024/08/19(17:49)*含蓄深さを醸す、の巻】

 いまさらだけれど、「お昼に寝と書いて昼寝」のまんま感は何?

 含蓄深さ一ミリもないのに含蓄深さを醸しているは何?

 愚かな者と書いて愚者、くらいの底の浅さでは?

(そだよー)

(自覚しているだと!?)

(愚者なので。「かな」を抜いてしまうのだ)

(「愚かな者」から「かな」を引いて「愚者」だと!?)

(「お昼に寝」から「かな」を引いたら何が残る?)

(「昼寝」だな)

(何を引いた?)

(「おに」だな)

(「おに」さんも中に入れたげてー)

(「昼おに寝」かな?)

(語呂がわるいのでやっぱり「おに」さんは外に出ててー)

(語呂のために追い出される「おに」さん……可哀そうになってきた)

(おにはそっと)

(そっと、なに!?)



1968:【2024/08/19(22:30)*日々、ヒビのように走っては、塞ぐ、曇天のような気持ち】

 宇宙の大規模構造はダークマターによって形成されると考えられているようだ。

 思うに、物質密度に偏りが生じるためには、真空中における対生成と対消滅に偏りが生じなければならないはずだ。

 で、思うわけですよ。

 ヒビじゃないか?と。

 場が一様ならば歪みは生じず、けっきょくのところ場が一様ならば対生成と対消滅のあいだに顕著な差は生じないはずだ。もちろん、確率的にどちらか一方に自発的対称性の破れが生じて、差が大きくなった可能性はあり得るし、対生成と対消滅のあいだに何らかの差がそもそもあって誤差が蓄積して物質優位になった可能性もある。

 ただ、思うに。

 密度差が生じるためにはデコとボコが入り用なはずだ。そうでなければランダムに生じる差は、プラスマイナスゼロとなってけっきょくは五分五分に均されてしまうはずだ。

 一様な場に密度の濃い場所が生じるためには、その前段階で「ヒビ」のようなボコがなければならないのではないか。希薄な場がなければならないのではないか。

 爆縮のようなイメージだ。

 一様な場にヒビが走って谷となり、滝となり、そこに雪崩れ込む流れがあって、山となる。起伏となる。ボコとなる。

 かようなイメージを連想する。

 宇宙の大規模構造は、なんだか氷に走ったヒビのように映るのだ。

 原理的に、ヒビがあり、そこに雪崩れ込む物質が、密度の濃い場をつくるのではないか。

 重力は真空説を妄想したくなる。

 一歩進んで二歩下がる。

 穴を塞いで山となる。

「マイナス1+プラス1=0」ではなく、勢い余って「マイナス1+プラス1=+0」になったりはしないのだろうか。

 すると「+0」は、ほかの「±0」や「-0」よりも、対生成と対消滅の内容量が多くなる。単なる「0」や「-0」よりも、時間毎に、より多くの対生成と対消滅を繰り返す。

 明滅の濃度が高い。

 したがって相対的に一秒間でより多くの「対生成と対消滅」を繰り返すため、「+0」の場の内部では時間が相対的に速くなる。言い換えるならば、「+0」の場からすると外部の時間の流れは遅れて振る舞う。

 この考え方を拡張すると、なぜ銀河密度の高い場ほど、同質量の銀河であれ直径がより大きくなるのか、を解釈可能に思うのだ。

 つまり、銀河密度が高い場は「+0」が密集した場なのだ。

 したがって、相対的に「より短時間で銀河が形成される」と想像できる。

 生まれたばかりの銀河の種は、中心にブラックホールがあり、周囲に天体の素となる物質ガスが漂っている状態のはずだ。

 「+0」が密集した場では、対生成と対消滅が「相対的に、より活発に行われる」ため、物質ガス同士の相互作用も、より活発に連鎖反応し合う環境にあると妄想できる。

 要は、原子間の電子の交換において抵抗が少なくて済むからだ。頻繁に周囲で「電子と陽電子の対生成と対消滅」が行われる環境下では、原子同士の化学反応がより活発化すると妄想できる(ここは憶測であり、現代物理学では妥当とは見做されないのだろうけれど)(電子以外でも「素粒子と反素粒子」の対生成や対消滅でも似たことが起こり得ると想定できる)。

 生まれたての銀河は、最も直径が大きいはずだ。

 徐々に中心の重力に引っ張られ、円周が縮まっていく。

 円周が縮まれば、銀河の公転周期は速まる。フィギュアスケートで腕を縮めると高速回転になるのと似た原理だ。

 したがって、銀河が誕生してから、より短時間で「物質ガスが各々で融合し、天体まで成長する」ほど、銀河の直径は大きいままでいられると想像できる。

 このとき、銀河密集地ではない場の「単品の銀河」と比較して、同質量の銀河であれど、「銀河密集地の銀河」の天体のほうが、より大粒である、と想定できる。

 総質量は同じでも、個々の天体の大きさは、割合でいうと大粒になる傾向にあるのではないか、と妄想してみたが、妥当か否かは不明だ。

 妄想には違いない。

 宇宙の大規模構造はヒビみたいだな、との空想から飛躍して並べたデタラメである。真に受けぬようにご注意ください。

 ぺぺーん!



1969:【2024/08/20(00:33)*蟻に紛れた蛆のように】

 恋愛感情が希薄な自覚がある。

 の、割に、依存体質なので、常に共依存できる相手を探している。

 いまのところいたためしがないが。

 共依存してみたい……。

 それはそれとして、浮気に関してすこし考えてみた。

 浮気をされる側の視点に立ってみると、「浮気をされるような関係性しか築けないじぶんがわるいし、浮気をするような相手を相棒に選んだじぶんがわるい」と考えてしまう。

 浮気をする側の視点に立ってみると、じぶんなら浮気をする前に相棒と別れるか、相棒にも浮気をしてよいか訊いてからするように思う。

 要は信頼関係を損なう真似をするかどうか、なので、これは浮気に限らない。

 いくら浮気をしないからといって、ほかのことで信頼関係を損ねる真似を常日頃されるような相手を相棒にしたくはないだろうし、じぶんが相手の信頼を損ねているのなら相手に負担を強いているので、じぶんは相手の相棒にふさわしくない、と自己評価を下すだろう。

 恋愛におけるパートナーの話題では、浮気に注目が集まりがちだが、浮気以外でも信頼関係を損ねる事態は取り立てて珍しくないだろう。

 みな、浮気に焦点を絞りすぎである。

 何を以って浮気と見做すのか、というのも百人いれば百通りの見解があるだろう。許容値があるだろう。面倒な話題である。

 相棒かどうかに関わらず、たいせつな者をたいせつにできる人間でありたいものだ。

 人間にもなりきれぬ憐れな知円さんは、ぴえん、と鳴く。

 たいせつな人をたいせつにするよりも、たいせつな人と関わらないように遠い場所で薄暗い洞の底に閉じこもっていたほうが、たいせつにしたい者のためになるのでは、たいせつにすることになるのでは……、と考え、縁を結ばず、老いていく。

 想いを置いて、老いていく。

 来世に期待しよう。

 来世など信じてはおらぬけど。

 我が存在なき後の世界はきっと明るい。

 影なき世界が明るいように。

 去りし夜の後が明くるように。



1970:【2024/08/20(00:49)*外に出てもそっとしておく】

 たいせつな人、というのも割と謎の概念だ。

 たいせつでない人とは何か、をまずは考えなくてはならない。

 特別な人と同義だろうか。

 特別でない人とは何か。

 関係性を帯びているかどうかだろうか。けれど縁遠くとも誰かをたいせつに想うことはあるはずだ。

 特別でなくともたいせつになることもあるように感じる。

 あまりに当たり前に存在する相手は、空気のようにたいせつだ。

 失って初めて、存在しない世界の空虚さに苦しむはめとなる。

 失う前に気づけたら御の字だ。

 たいせつとは何か。

 失いたくない、と似ている。

 得てもいないのに失いたくないと思うこともあるだろう。

 では、傷つけたくない、はどうか。

 人以外でもたいせつなものは傷ついてほしくない。なるほど、これはよい線を掠っていそうだ。

 では、たいせつにするがあまりに傷つけてしまう場合はどうか。

 たいせつだからたいせつにしようとせず、そっとしておく。

 成り立ちそうだ。

 けれど何もせずとも万物は崩壊に向かって進んでいく。

 何もせずにいれば、傷つくのだ。

 ではどうするか。

 むつかしい話である。

 たいせつだと思うごとに、何かをしてあげなくてはならないのではないか、との焦燥感が募りそうだ。傷つきやしないか、と気がそぞろだって仕方がない。

 絶えず不安に苛まれそうで、何事もほどほどがよい、との結論に至りそうだ。

 ほどほどにたいせつで、ほどほどにそっとしておく。

 ほどほどではなくたいせつならどうするか。

 身を挺して、傷つかぬように工夫を割くよりないだろう。

 自滅の道が補強されそうだ。

 やはり、ほどほどがよいのかもしれない。

 では、ほどほど、とはどのような塩梅か。

 漠然と曖昧で、ほどほどに分かりにくい。

 ほどほど、とはいかなるものか。

 よく分からぬでいる。




※一様に、ちょうどよい、がむつかしい。



1971:【2024/08/20(03:48)*素粒子は比で考えると高密度?】

 最小のブラックホールを考える。

 直感としては、単なる素粒子と区別がつかなくなるのではないか?との印象を覚えるのだけれど、ここは数値として判明しているのだろうか。

 言い換えるのなら、素粒子において「大きさ:質量」の比をそのまま拡張した場合、マクロな規模に拡張した素粒子は、ブラックホール化するのではないか。

 シュバルツシルト半径を有するようになるのではないか。

 かような妄想を今朝は浮かべました。

 お暇な方は計算してみると、この妄想は比較的簡単に否定できるかと存じます。

 ぞんじーます!



1972:【2024/08/20(13:39)*やんややんや、の巻】

 仮に、インターネット上に「上位互換のシステム」が敷かれているとしたら。

 大多数のハッカーさんたちとて活動を監視され、現在進行形で常時マークされているはずだ。

 利用価値があるから泳がせているのだろう。

 高次の視点で俯瞰でインターネット内の動向を観測できる勢力陣営があるのならば、インターネット内で活動するあらゆる市民の相互作用を生態系と見做して、「こうすればこうなる、こうなるとこうなるのでこうしておこう」との案を誰より優位に練ることができよう。

 もし「インターネット内に上位互換のシステムが存在し、全世界のハッカーの活動すらも追跡可能な技術が存在する」のなら、大多数のサイバー攻撃を防げないわけがないのだ。

 防がない理由は、そういった「上位互換のシステムが存在すると知られたくないから」と想像できる。

 高次の視点から、個々のサイバー攻撃やハッカーの活動を利用するために、秘密裏に上位互換のシステムを運用したいとの魂胆もあるはずだ。

 とはいえ、これは憶測を前提とした仮定の話だ。

 そこまでの技術が存在しているかは不明だ。

 ただ、想定しておいて一度否定しておくのは、余計な疑心暗鬼を生まないために有用なのではないか、とも妄想できる。

 妄想できましたか。

 できちゃいました。

 やっぴー。



1973:【2024/08/20(14:26)*群れなさぬ光】

 群速度なる概念を知りました。

 なぜ光は水中だと遅くなるのか、の解説動画に載っておりました。

 YOUTUBEさんで観ました。

 ふんふん、になり申した。

 腑に落ちないけれど。

 光が群れである、というときに、その群れは、

 1:びっしり隙間なく存在するのか。

 それとも、

 2:まばらに存在するのか。

 どちらだろう。

 真空中の対生成と対消滅でも思う疑問だ。

 密度を知りたい。

 濃淡を知りたい。

 相転移において、「固体」「液体」「気体」はいずれも群れだ。

 群れの密度によって表出する性質は様変わりする。

「群れ」だけでは、思考を展開するには足りないように思う、「君と羊」と書いて「群」と読むわたくしなのであった。

 わた、くしー!

(オチ、いる!?)

(あったほうが面白いかなって)

(読者さんイラっとするだけと思うよ)

(読者さん……いる……?)

(オバケなんてないさ)

(オバケさんでもいて!)



1974:【2024/08/20(14:33)*一個の光子は遅延する?】

 ということは、「光子一個」なら原理的に水中でも遅延なく「真空中と同じだけの光速」で進むのだろうか。

 それとも、光電効果によって光と原子が相互作用して、電子にエネルギィ変換されちゃうのだろうか。

 とすれば、上手い具合に水中の原子と相互作用しなければ、確率的に水中でも「光子一個ならば、真空中と同じ光速で進むこともあり得る」と想像できるのではないか。

 確率が低いだろうけれどゼロではないのではないか。

 素粒子がだってそうなのではないか。

 ちゅうか、素粒子は水中で遅延するのだろうか。

 ちえーん!な妄想であった。

 気になる、気になるー。



1975:【2024/08/20(22:42)*へーんしん、とう!にゅう!】

 最近のマイブームは豆乳です。

 美味しい。

 苦手な牛乳は滅多に飲まないのですが、豆乳はごくごくぷはーとなり申す。

 血液が豆乳になってしまうくらいガブガブ飲み干しております。

 無調整豆乳でございます。

 おいちー!



1976:【2024/08/20(23:24)*一周回ってトップになったりしないかな……】

 相対性理論における時間の遅れについて。

 高速運動する「系」が階層性を伴なっているとして、階層の各部位での時間の遅れはどのように差を表出させるのだろう。

 天体がそもそも階層構造を成している。

 では、天体のような階層構造を成した「系」が光速にちかい速度で移動したら、時間の遅れは各階層でどのように観測されるか。

 この前段階として、密度によって時間の遅れがどのように変化するのかも加味しておきたい。「密度の高低」と「質量の多寡」は相関関係にあるはずだ。したがって既存の相対性理論であっても、すでに解が存在する類の問いのはずだ。

 以上、階層構造における時間の遅れについての疑問であった。

 最低でも物体は「内部」「外部」「境界」の三つの階層性を帯びているはずだ。各々の地点での時間の遅れはどのように差を表出させるだろう。一様に等しく時間の遅れが観測されるのだろうか。

 この疑問は、素粒子における時間の遅れや電磁波における時間の遅れを考える際にも、思考実験として有用に思う、「YOU、YO!」であった。

 よーよー!

 紐のついた独楽だYOー!

 ヨーヨー!

 紐のついた水風船だYOー!

 よーよー、だよー!



1977:【2024/08/20(23:49)*手首アウチ、の巻】

 ここ数日、手首が痛いのでいっぱい休んでる。

 十二時間ぐらい寝てる。

(だいたいいつも通りだし、手首関係ある!?)

(手首痛いと眠くなる)

(お大事に怒怒怒)



1978:【2024/08/21(00:39)*芽もやがて朽ちる】

 青柿が熟柿弔う。

 みないつか死ぬ。五十歩百歩である。どんぐりの背比べである。

 生きているうちに接し、生きているうちに慈しむ。

 死んでからたいせつにしようとしても遅いのだ。

 相手が亡くなってからでは遅く、じぶんが死んでからでも遅い。

 生きているうちに、である。

 青柿が熟柿弔う。



1979:【2024/08/21(01:05)*遠隔操作は可能か否か】

 ことこれほどまでにGPSや位置追跡システムが進歩している社会なのだ。

 信号機やカーナビを遠隔操作すれば、任意の「自動車A」と「自動車B」を恣意的に横並びにしたり、任意の位置座標にてすれ違ったりさせたりも可能だろう。

 高次視点で俯瞰で個々の自動車の動向を観測できるのなら、人工知能技術が得意とする「遠隔操作」と考えられる。

 渋滞解消とて、すでにシステムを十全に活用すれば可能なはずだ。

 ただし、そこまでの「恣意的な交通管理」が可能であると公表するには、国防なるセキュリティの観点からいって、いささか先進的な技術の括りと判断されるのかも分からない。

 もうしばし技術が進歩すれば、市民にも周知のシステムとなるのではないか。

 ドローンの群れの制御システムとの相性も良い。

 いまのうちから、高次視点による遠隔操作技術を想定し、リスクを洗い出して対策案を練っておくのは、公共の福祉の観点からしても妥当となりつつある情勢なのかもしれない。

 妄想だけれども。

 定かではないのだ。



1980:【2024/08/21(04:00)*火の用心】

 電気自動車の自然発火事故が起きているようだ。

 不具合ならば原因を特定して改善すれば済むが、外部干渉による故意の放火ならば、これは根本的にインターネット回線を遮断しなければ防げないのではないか。

 電化製品は熱を発する。

 スマホやPCとて、外部干渉による「発火」は引き起こせるはずだ。おそらくそう難しくはないだろう。抵抗を大きくして、回路に熱を籠らせればよいからだ。

 予防策は敷かれているだろうが、原理的に防ぎきれないはずだ。

 偶発的な火災や不具合と見做され見過ごされている「意図的な事故」がないかは、統計で判断するよりない。そのためにはデータを集めるところから始めるのが妥当だ。

 遠隔で火事を引き起こせるかもしれない。

 事故を意図的に引き起こせるかもしれない。

 かように想定して調査検証しないことには、統計データにも数値として表出しないだろう。差を検出できないだろう。

 まずは想定し、否定してみようと調べるのが予防策の第一歩として安全の構築に寄与するのではないだろうか。

 そうではないのだろうか。

 自信がありません。

 わがはい、床屋さんに入るだけでも緊張するし、コンビニの店員さんにも委縮してしまう。

 ビビリの恥ずかしがり屋なのである。

 経験値が乏しい。

 おしゃべりの経験も足りないので、他者と上手に言葉を交わせません。

 無知以前に無学なのだ。

 学習が足りぬ。

 わが、はーい!である。

 むふふ。




※一様に、何もせずとも壊れゆくのだから、創造優位に物を語らい、術を磨こう。



1981:【2024/08/21(12:55)*パンケーキがあるよ!】

 ホットケーキを焼くところを想像してみよう。

 生地のタネが一定量ならば、ホットケーキをより大きく焼こうとするほどホットケーキは薄くなる。

 面積が広いほど希薄化する。

 厚みを帯びたホットケーキにしたければ、小さく焼くか、生地タネを追加せねばならない。

 ホットケーキの生地タネの量が少ない場合、より大きく広くホットケーキを焼こうとすればするほど、スカスカの薄っぺらいホットケーキとなり、ひっくり返そうとするだけでも破れてしまうかもしれない。何せ、薄っぺらいので。

 密度や濃度は堅牢性に通じている、との話かもしれない。

 別途に。

 通常、家の中に虫が入れば追い出そうとするのが人情だ。

 だがあべこべに部屋を閉め切り、逃げ出せなくしたうえで殺虫剤を散布する手法も成り立ち得る。

 袋小路というやつだ。

 或いは、飛んで火にいる夏の虫か。

 何の話題というわけではないにせよ、慎重になったほうがよいのでは……、と思うことがすくなくないこのところの心境なのであった。

 みな、穏やかであれ。

 すぴー。

(寝るな!)

(なんで?)

(さっき起きたばっかだろ)

(だから眠い)

(十二時間は寝てただろ!)

(もっと寝てたい)

(じゃあもう起きてこなくってOKです!)

(迂遠に「いらない子」扱いされた。かなしい……)

(どうすりゃええってんだ!?)

(甘やかして……)

(これ以上!?)



1982:【2024/08/21(22:33)*自らまもる、と書いて自衛】

 自衛とは……。



1983:【2024/08/21(23:10)*とっても、とっても、なくならない】

 とっても差別主義者「ちっ。また世界で影響のある百人に選ばれちまった。現代人に選ばれてもな。けっ」

 とっても優性思想主義者「あーあ。この天才は未だに恋人の一人もいないのか。もったいない。せめて子だけでも儲けてくれたらなぁ」

 とっても合理主義者「あいつら死んでも俺は苦しくないからなぁ。あと百年で天然資源が枯渇します? いや、俺生きてないし、関係ないじゃんね。ウケる」

 とっても頭脳明晰者「なるほど。言語化できないけれど、そういうことだったのですね。この解を示す言語がないことが悔やまれます。新たに言語を編み出しても他に伝わるようになるにはあと百年は掛かるでしょうね。いかに短縮できるか。工夫の割き甲斐がありますね。うふふ」



1984:【2024/08/22(00:48)*ワタシイエスキー】

 アイヌ語で「家」のことを「チセ」と言うらしい。

 へー。

 わがはい、チセ、好きー。



1985:【2024/08/22(01:05)*うふ、るーつ】

 ルーツ、なる言葉を耳にする機会がある。

 起源、といったニュアンスだろうか。

 ルーツをたいせつに、のような文脈で耳にする機会が多い印象だ。

 ただ、そのルーツなるものに目を配ってみると、たいがいが百年二百年程度の起源しか持たぬのだ。

 起源、というには短かすぎやしないか、と思わぬでもない。

 赤子のうちは七国七里の者に似る、と言うではないか。

 あまりに新しい事物は、未熟そのものであり、いわば文化の赤子であろう。何にでも似る。ルーツを誇る前に、もうすこし「文化のルーツ」「人類のルーツ」に目を配ってみてはいかがか、と思わぬでもないのだが、この所感は極端だろうか。

 起源をたいせつに、と謳うのは立派だが、果たしてそうした発言をする者たちは真実に「起源」をたいせつにしているのだろうか。尊重しているのだろうか。いささか疑わしく思う、近頃のわがはいなのであった。

 万物の起源にも思いを馳せてみてはいかがだろう。

 起源の起源をまずは知るのが先決では?と根っこを穿り返してちゃぶ台返しをするイチャモンスターなのであった。

 がうがうがー。

 ぱいなぽー!

(それは、フルーツだろ)

(うふふ、ルーツ)

(うふ、が余計だ)

(😊)



1986:【2024/08/22(01:14)*ぼくはきみたちを好きなのか?】

 好きとか嫌いとかではなく、単にあなたの傷ついている姿を見たくないのだ。考えたくないのだ。想像したくもない。

 ただそれだけなのかもしれない。



1987:【2024/08/22(01:45)*きみたちはまだいないのかもしれませんね】

 だから、きみたちはぼくの生きている時代よりもずっと未来とか、ずっと過去に生きていたと思えば、ぼくはきみたちのことで苦しまずにいられるのかもしれない。

 どうしようもないからだ。

 でも、きみたちが未来に生きているとするのなら、ぼくの日々の行動選択の結果に、きみたちの日々に彩りを添え、澄んだ空気、細胞うるおう水を奪わずに済むようにもできるのかもしれない。さしてぼくの行動選択の変化では顕著な影響は表れないのだとしても。

 それでもしないよりかはマシかなと思ってする行いが、寝て過ごす日々なの、何かの間違いだろうか。

 ぼくのすることにさして影響がないのなら寝て過ごしていても構わないし、万が一に未来にとんでもない悪影響が及ぼされるようなら、やっぱり寝て過ごすのがよいと思うのだ。

 どっちに転んでも、寝て過ごすのがよい塩梅と思います。

 ので、きょうもぼくは寝て過ごす。

 あわよくば、きみの寝顔の夢でも視られるとよいな、とか思いながら。

 きみはまだ産まれてきていないのかもしれないけれど。

 未来では、ひょっとしたら寝顔はとってもプライベートで、この時点でぼくはきみたちに悪影響を及ぼしているのかもしれませんね。

 寝顔を覗くなんて大罪でしたら、ごめんなさい。

 望むだけでもダメですか。

 そうですか。

 思考も駄々漏れでは、暴言との区別がつかない社会なのかもしれませんね。

 未来はかように、現代とは違った変化を帯びるものなのかもしれません。

 でも、きみの寝顔はきっとぼくに、すこやかでおだやかな心地がなんたるかを教えてくれるでしょう。ぼくの寝顔はでも、そうじゃないのが悔やまれます。

 ぼくの寝顔は、お風呂に一時間浸かったあとの指の腹みたいです。きっとそう。

 どんな生き物でも寝顔は愛らしく映るのに、ぼくの寝顔だけそうじゃないのは、きっとぼくは寝ながら起きているからなのかもしれませんね。

 かもしれないばかりの、きみの夢を視たかもしれない、でした。



1988:【2024/08/22(02:06)*優しく映るときがあるだけ】

 そよ風も、暴風も、ひとしく地表の大気の流れだ。

 いずれも変わらぬ大気の流れだ。



1989:【2024/08/22(03:38)*だらけきったきょう、略して、だきょう】

 何を相手に譲るのか、が妥協には表れる。

 得ていないものを譲ることで、得られる利もある。

 相手に譲ってあげた、という事実が一つ、利となる。

 妥協は往々にして、「まだ得ていない利の奪い合い」から生ずる。

 まだ得ていない利を相手に譲るだけのことで結ばれる縁もある。得られる高評価もある。

 妥協をしない者は、「妥協をしない、という妥協をしている」とも解釈できよう。得られるはずの評価を擲ち、結ばれたはずの縁を断っている。

 妥協しないこともまた妥協のうち、と思えば、少しは気が晴れる気はしないだろうか。

 他方、妥協をしないからといって「未だ得ていない利」が得られるとは限らない。

 むろん、妥協したからといって望み通りの未来を掴めるとも限らない。

 だがすくなくとも、妥協できる人物なのだな、との評価は得られる。

 それをして、押しが弱い、と低く評価する者もあるだろうが、それもまた良し悪しである。

 妥協は相手に与える選択だ。

 未だ得てもいないものを与える。

 道を譲るのも妥協の一つだ。

 じぶんはまだ通っていないが、お先にどうぞ、と道を譲る。妥協である。

 譲り合う社会は、妥協によって成し得るのかもしれない。

 譲り合う社会が好ましいのかは、別途に熟慮の余地があるにせよ。

 妄想だ。

 定かではない。



1990:【2024/08/22(14:53)*面の子と書いて、面子】

 面子が苦手だ。

 理由は明快で、「面子を優先すると、現実を解釈するうえでより妥当な案を拒絶してしまい兼ねないから」である。

 アイツの意見を受け入れると面子が潰れる。だからアイツが言った以上は受け入れない――。

 かような無理筋の選択を重ねる確率を上げる。

 これはオリジナル至上主義における論争とも似ている。

 アイツがやっていることと似たことをすると真似と見做される。損だから、アイツがやっていることは避けておこう――。

 オリジナルが「新しい組み合わせ」であると解釈しない限り、この手の極論はけっきょくのところ新しいことを何も生みだせない袋小路に突き進むこととなる。

 進化がDNAのバグを契機に発生するとするのならば、ではバグはいかようなメカニズムで生ずるか。細かいとこを無視すれば、連綿と先祖から踏襲された「コピーの塩基配列」があってこそ、バグはバグたり得るのだ。

 もしDNAの総じてが過去に類を見ない塩基配列であったならば、たしかにオリジナルのDNAと評価できるが、ではそのオリジナルのDNAが人類と見做せるかといえば、見做せぬだろう。まったくべつの生物種だ。

 これをしてオリジナル、と評価するのも一つだ。

 けれど往々にして、過去の祖先から踏襲された塩基配列を帯びないDNAは、生物としての機構として機能する確率を極めて下げるだろう。つまるところ、新種の生命体としてすら誕生し得ない。

 したがって、いかようなオリジナルの存在であろうと、どこかしらに模倣の領域を帯びていることとなる。いいや、むしろ往々にして大部分が模倣の領域なのだ。

 この点をいかに無視せずにいられるかは、新しい組み合わせを既存のシステム内部で機能させるうえで欠かせない前提条件となるのではないか。

 面子至上主義とオリジナル至上主義は似ている。

 似ているものなどこの世にはいくらでもある。

 類似である。

 模倣の意思がなくとも、似ることはある。

 真にオリジナルな存在が、いっさいそのことを知られず、自身の模倣者ばかりの世界に舞い降りたとしたら。

 きっと数多の模倣者たちから、「あいつはパクリ野郎だ」と指弾されることとなるだろう。誰よりオリジナルであるにも関わらず、である。

 青は藍より出でて藍より青し、とも言う。

 鳶が鷹を生む、とも言うではないか。

 弟子が師を。

 子が親を。

 凌駕することは取り立てて珍しくはない。

 かといって、ある一部の能力で、師を、親を、超えたとして。

 弟子が師から、子が親から、学べなくなるわけではない。

 むろんこれは逆にも言える。

 師が弟子から、親が子から学ぶことは数多い。

 みな誰かにとっての師であり、親となり得る。

 弟子であり、子であり、模倣者であり、継承者でもあり得る。

 あなたにその自覚がないのだとしても、否応なく我々は自然から影響を受け、学び、相互に作用し合っている。

 関係しているのだ。

 面子は、そのことから目を背けさせる。或いは、そうした広範な相互作用の恩恵を意識的にないものとして振る舞える。

 面子は立場と相関する。

 自然との相互作用が人を人に形作るのならば、立場が人をつくるのもそう間違ってはいないだろう。環境が人を培うのだ。

 なれば、面子もときに人を育み得る。

 ただし、面子が担うのは、極一部だ。

 面子の比重を履き違えないのが、環境との相互作用をより円滑に行うのに寄与するのかもしれない。

 相互作用し合うごとに環境もまた変容する。

 人がそうであるように。

 我々もまた変容する、万物のうねりの一つなのだから。

 妄言だ。

 定かではない。




※一様に、ぬいぐるみの可愛さを語り合ってみたい。



1991:【2024/08/22(16:10)*復興技術があると助かる、の巻】

 いくら軍事力が強大でも、武力衝突に発展すれば被害は免れない。

 軍事力を行使することがそもそも損だ。

 なぜなら兵器は消耗品だからだ。

 兵器を使う側の人員とて日々の生活を損なわれる。

 したがって、武力行使を回避するのは最優先事項だ。加えて、もし武力衝突に発展してしまった場合にはどうするか――復興技術が、軍事力以上に重要となると想像できる。

 復興技術が疎かになれば、たとえ勝利しても、第三勢力に付け入られる。

 組織内部での反感も増加し得る。

 けっきょくは、復興を迅速に行えなければ組織全体の瓦解する確率を上げる。

 武力衝突による被害のみではない。

 自然災害の被害は年々増加傾向にあるはずだ。災害として顕在化せずとも、環境変容は刻々と人類の社会環境を否応なく変質させている。

 適応するには相応の「復興技術」が欠かせない。

 変容する環境に社会システムを適応させるには、システムの改善が不可欠だ。そしてそのとき、部位的にシステムは破壊される。破骨細胞と骨芽細胞のバランスが骨の成長に欠かせないように、環境に適応する社会システムもまた、破壊と復興のバランスが要となることは想像に難くない。

 復興技術は、国際協調の上でも、兵器支援より優位に寄与するだろう。敵をつくりにくい支援策だからだ。被災地支援は、国際社会全体の責務として、分け隔てなく行えると好ましい。

 ただし、各国の行える復興支援策には限りがある。

 国際機関の「標準支援策」もまた、最も復興技術を有する組織の技術力が、その技術向上の底上げを果たすはずだ。

 復興技術――他を損なわずに他を助ける技術――は、攻性の軍事力よりも全世界の市民を護ることに繋がるのではないか。国防に寄与するのではないか。

 復興技術が軍事力と相関する面はあるだろう。

 したがってこれからは、一概に軍事力とは括れない「技術の進歩の有り様」を議論していく時代なのではないか。セキュリティの問題だからである。

 国防を担うのは何も軍隊だけではないだろう。

 全世界の市民の平和を築いていくのは、軍隊ではないだろう。

 軍人も政治家も含めた、全人類の営みが、地球なる星のうえに平和を描くのではないか。

 かように妄想した、「洪水こわい……」「自然災害こわい……」の弱虫なのであった。

 本当にこわい。

 ビビりだけど、これはたぶんビビりとか関係ないと思う。

 だってみなもこわいはず。

 違う?



1992:【2024/08/22(23:13)*ふわふわでちっこい】

 小動物の動画だけ観てたいタイムに突入しました。

 小動物の動画だけ観ております。

 かわいい!



1993:【2024/08/23(12:24)*いま起きた、お寝坊さん】

 現在の視点に固定しなければ解決しない問題もある。

 と同時に、現在は不変ではない。

 絶えず変化していく。

 したがって、現時点の問題点が解決されたあとでは、現時点の問題解決のために課された制約や工夫は、必ずしも未来で必要となるわけではない。

 一度決めたことだから、と延々ずっと同じでなくてはならない、は無理がたかる。

 問題点が解決した場合には、不用となる工夫や枷は当然に出てくる。

 未来を見越して、「ひとまずいまはここが不可欠だ」「けれど今後はなくても構わない」といった方針を共有しておくことは、何かしらの対立する議論において前提条件としておきたい事項だ。

 気候変動対策はあくまで急激な気候の変化に対処するためのものだ。気候の変化が穏やかになり、人類社会が新たな環境に適応したのなら、現在のような急進的な対策は不要なはずだ。

 むろん、塞いだ穴は塞ぎつづけなければならないため、継続して敷かれる工夫や策があるのもまたしぜんだ。

 とはいえ、延々穴を指で押さえつづける必要はなく、工夫そのものが負担のより小さい工夫や策へと改善可能だ。要するに、対策そのものが変容する。より抵抗の小さな対策に、である。

 とはいえ、気候変動の対策は現段階でも充分とは言い難い。

 対策を練っても環境に適応できるとは限らない点が一つ懸案事項である。

 したがって、最大限の対策を敷いておきたいと欲する者の心理は理解できる。問題点が小さければ、対策の規模を縮小できる。やはりというべきか、何が問題点なのか、の情報共有が、対策の抵抗を最小化するのに寄与するのではないだろうか。

 現在生じているもろもろの隘路の問題点とはいかなるものか。

 最も広域に共通する事項とは何か。

 一言でいえるほどには単純でないにせよ、重複する問題点がどこにあるのか、を探してみたいものである。

 寝言である。

 定かではない。



1994:【2024/08/23(12:45)*宇宙メロン仮説】

 メロンの皮の紋様はどうしてできるのだろう。

 気になって検索してみたら、皮よりもメロンの中身のほうが早く肥大化するために、皮にヒビが走るからなのだそうだ。ヒビを塞ぐように果汁が染み出て、それがメロン固有のあの網目状の紋様を描くらしい。

 へー。

 なんだかメロンさんを眺めていると、宇宙の大規模構造さんを彷彿としてきますね。きませんか。わがはいはしました。

 ひょっとしたら宇宙の大規模構造さんも、宇宙膨張に比して相対的に希薄化する「場」に、内側から宇宙の果汁(過重)さんが染み出して、塞ぐのかも分かりませんね。そうしてほかの「場」よりも相対的に高い「重力場」が出来て、網目状の大規模構造になるのかもしれませぬね。

 ヒビが走って、塞いで、ぷっくり。

 宇宙メロン仮説である。

 あぎゃぎゃ。



1995:【2024/08/23(12:50)*球は自発的にヒビ割れる?】

 地球の大陸は、プレートテクトニクス理論で解釈されるのが一般的なのだろうか。地表をいくつかのプレート(板)の組み合わせと見做す。プレートとプレートの合間では互いに段違いにプレートが重なり合い、それが海溝や断層となって、地震の発信源にもなる。

 ひょっとしたら、宇宙の大規模構造も似た原理なのかもしれない。

 球体を形成すると、プレートが自発的に形成されるのかも分からない。

 言い換えるならば、原理的に「真球」は存在し得ず、或いは存在しても極めて不安定な事象である、と妄想できる。

 ふんふん。

 球は自発的にプレートを帯びる説である。

 へい!



1996:【2024/08/23(13:00)*宇宙ピース仮説】

 宇宙の大規模構造の網目――空隙領域――ボイド――の形状には、固有のパターンは存在してないのだろうか。宇宙の大規模構造が「ヒビ割れ」だとすると、万物のヒビの割れ方との共通項があるようにも思う、「日々、我!」のわがはいなのであった。

 日々、我!



1997:【2024/08/23(13:41)*みな誰かにとっては独裁者になり得る】

 じぶんより立場の弱い者の意見を取り入れず、強権を発動し支配すれば、みな独裁者だ。

 独裁者はどこにでもいる。

 では、じぶんより立場の弱い独裁者の意見を取り入れず、強権を発動し、支配しようとする者は独裁者か否か。

 さて、あなたはどうお考えになられるだろう。



1998:【2024/08/23(13:44)*親は子の独裁者?】

 この理屈からすると、親は総じて赤子にとっては独裁者だ。

 幼子にとってはどうか。

 少年少女にとってはどうか。

 独裁者にメリットはないのか。

 さて、あなたはどうお考えになられるだろう。



1999:【2024/08/23(16:39)*ゼロ種類仮説】

 ゼロにも種類がある。

 どんな過程を内包しているのか、の差がある。

「1+-1=0」と「9999+-9999=0」と「3×9+1-28=0」はそれぞれ別の「0」と解釈可能だ。

 過程の情報が高次には付属する。

 ゼロにも種類があるのかもしれない、との妄想であった。

 定かではない。



2000:【2024/08/23(16:52)*相】

 上には上があるし、下にも下がある。

 上かと思えば下でもあり、下かと思えば上でもある。

 方向は必ずしも一致せず、この世に一致するものがあるのかすら疑わしい。

 重複しているようで乖離しており、階層を帯びているようでそれで一つの層を成す。

 層は層で、それ自体で完結せず、数多の素子によって広がりを帯び、厚さを湛え、やはりそこにも階層の構造が重複しているようで乖離している。

 乖離しているが関係しており、それをして相関とも言える。

 相、関わるのだ。

 相互に関わる。

 関わると相になる。

 心が籠ると想うになる。

 想うと相はすこし似ている。

 濃淡のある想いがあるように、層にも、距離にも濃淡がある。

 関わり合う相は、積み重なることで「層」となり、ときに「憎」にもなる。

 愛も憎も、関わり合おうとする相互の層の連なりだ。

 どちらも、相、関わることで生じる、の、かもしれない。

 定かではない。

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