1001~1427

※一様に、さてと一区切りつけるか、の繰り返し。



1001:【2024/06/02(21:26)*物ではないよ物では】

 あれは俺の大切なものだから傷つけるなよ、と匂わせるだけのことに多大な労力を掛ける。徒労である。

 そうして何かを特別視することで、却って傷つける確率を上げる。

 一度始めてしまうと収拾がつかなくなり、あるとき破綻して、自ら大切なものを損なうことになる。

 総じての存在を大切にすると、この手の徒労を背負わずに済む。

 みな大切なのだ。

 傷つけてよい存在などない。

 よしんば大切でなかったとしても。

 傷つけてよい存在などはない。

 と言いながら、手元のお菓子の包装紙を破り捨てて、今宵もおいちーお菓子を頬張るのである。

 おいちー!



1002:【2024/06/02(21:48)*大事なこと】

 隠し事一つできない人物と関わると、プライバシーは尊重されないも同然だ。

 なんでもかでも打ち明けてしまうような人物とは関わらないのが賢明だ。



1003:【2024/06/02(21:57)*思うだけならボクにでも】

 誰かを大切にしたい、と想うことはボクにだってできるけれど、誰かを大切にすることは彼にはできないのですね。

 私は誰かを大切にしたいと思ったためしがありません。

 思ったところで大切にできるわけではないと知っているからです。

 或いはこうも言い換えることができます。

 大切にしていないからこそ、大切にしたいと思う余地が生まれるのものだと。

 思う、思わないに関わらず、まずは傷つけないように、労わるように、癒せるように工夫を割きつづけるべく、模索しつづけるよりないのではないでしょうか。

 思うだけなら彼にもできるのです。

 そうだよ。

 ボクにだってできるよ!

 思うだけならね。

 思うの得意だよ。

 思うだけならね。



1004:【2024/06/02(23:10)*差の在り様】

 素数の問題は、ほかの「物理現象の構造」に置き換えて考えてみると、足掛かりになる気もするのだよね。

 素数が万物の法則に関与しているのなら、その存在が万物の構造に影響を及ぼしているはずだ。

 ひとまず素数の法則が分からない場合は、「因数分解できない構成要素の分布」や「因数分解できない構成要素の働き」に注目してみるとよいのではないか。

 ある事象の「因数分解できない構成要素」をひとまず「素数」と見做してみるのだ。

 そのとき、整数における素数の分布の「法則性=誤差の値」に共通項がないかを確認してみるのだ。

 事象と素数のあいだに「差の共通項」が見当たるようなら、そこには何かしら見逃されている変数や法則が、互いを結びつける「橋」の役割を果たしているのかもしれない。

 定かではない。



1005:【2024/06/02(23:30)*境も界(さかい)で出来ている?】

 どこぞのへっぽこぴーの唱えた「ラグ理論」なる理屈に登場する「123の定理」は、大元を辿ると「境界線とは?」の疑問から出発して捻くりだされた妄想のはずだ。

 よくは知らないけれど、たぶんそうだ。

 異なる何か同士が交わろうとすると、境界線のごとく新しい何かが生じる。

 すなわち、境界線そのものが新たな事象なのだ。

 円や球体を考えたときに、境界線を「内と外とはまた別の事象」として捉える。

 この視点を加味するか、しないか、ではだいぶん「世界を解釈するための考え方」に差が生じるように思うのだ。

 さて、あなたはどう思われるであろう。



1006:【2024/06/02(23:38)*光る泥団子】

 本当なら手に入れられるのに手に入れられないと知ったとき。

 腹立たしく思うなら、あなたはそれが欲しかったのだ。

 腹立たしく思わないのなら、あなたはそれがそれほど欲しくなかったのだ。

 あなたが持っていないものを、ほかの者たちが持っているとき。

 あなたが腹立たしく思うのなら、あなたはそれが欲しいのだ。

 腹立たしく思わないのなら、あなたはさほどに欲しくはないのだ。

 それはそれとして、持っていないだけのことで不当に低く評価され、理不尽な扱いを受けるのならば、その扱いそのものに憤ることはある。

 人間関係で抱くこととなる憤りのおおむねはこちらであろう。

 持っていないのは要らないからだ。

 持っていないだけのことでいちいち態度を変えるでない。

 持っているだけのことでいちいち態度を変えるでない。

 或いは、変えるのなら、等しく好ましく変えてくれ。

 泥団子を愛でるあなたは可愛いが、わたしは泥団子が欲しくない。あなたも泥団子を持てるようになるといいね、と言われても、なにゆえ?と思うだけなのだ。

 泥団子を愛でるあなたは可愛いし、泥団子も見ている分には可愛いが、ただそれだけだ。

 わたしはさして欲しくない。

 なくとも困らぬ環境のほうが、欲しいのだ。

 不足が不足のままでも困らぬような、充足な環境に変えてくれ。

 我がままにすぎないが。

 定かではない。



1007:【2024/06/02(23:51)*無理筋の連想】

 物理法則における「四つの力」と「四色問題」には何か繋がりがあるのだろうか。

 もしあるなら、最終的には「対となる二つの事象」に還元できるだろうし、それらは「原初の遅延」なる「一つの力」に還元できるはずだ。

 定かではないが。



1008:【2024/06/03(00:48)*ゲームじゃないですよ】

 わたしは知らなかったのだけれど、現代人の少なからずは、この世を「ゲーム」か何かだと思って行動選択を積み重ねているらしい。

 何でもかでも数値化して比較しようとする営みがそれを傍証している。

 ゲームじゃないよ。

 勘違いすんなばーかって思うよ。



1009:【2024/06/03(02:16)*思考も対称にしなちゃい】

 対称性は厳密には破れている、と考えたほうが無理がないと思うのだよね。

 確率的にも、対称性が保たれている場合よりも厳密には対称性が破れるほうが多いはずだ。

 たとえば、鏡像変換するにしたところで、ではその境における鏡はABのどちらに属するのか。

 対生成でも思う疑問だが、ある面を境にデコとボコの二つに分かれるとき、その境はどちら側に属するのか。

 境界の疑問に通じるし、図形の辺と辺における「角」の数え方の疑問にも通じる。

 仮にいっさい「構成要素」が交じり合わないとして。

 青と赤の「剛体」が限りなく密接した際の境界は、青と赤のどちらに属するのか。

 極端な話、「6:4」に分裂した何か同士を、「対称性が保たれている」と見做すことは可能なのではないか。実際、二つを合わせたら「10」になる。厳密に「5:5」でない「非対称」を、対象と見做せる視点があるのみのではないのか。

 それはたとえば、「5.000000……1」と「4.999999……9」を対象と見做すことと地続きだ。

 合わせたら「10」になる。

 しかし厳密には非対称だ。

 話は飛躍して。

 仮に宇宙開闢時の契機が、「異なる何か同士の融合」または「一様な場に生じた僅かな皺」であったとしよう。

 このとき、宇宙開闢時の契機によって生じた「原初の事象」は「非対称」なはずだ。

 宇宙の基本は「対称性」よりも「非対称性」に置いたほうが考えやすい気もするが、いかがだろう。

 言い換えるのならば、非対称性における欠落を埋めるような「補完」が、対称性を生んでいる、とも言えるのではないか。

 これは逆にも言える。

 対称と見做せる事象であれ、何と比較するのかの視点によっては容易く非対称性を帯びる。

 自発的対称性の破れも似たような原理のはずだ。

 ある一様に対称な系において、何か別の系との相互作用が生じると、あたかも自発的に対称性を破ったかのような変換の連鎖――遅延の連鎖――が生じる。

 自発的に対称性を破っているようで、他との相互作用ありきなのかもしれない。

 或いは、自発的に対称性を破っているようで、厳密には対称ではないがゆえに、極限にゆったりと対称性が破れているか、だ。

 あたかも、「5.000000……1」と「4.999999……9」における誤差のように。

 なぜ物理学に限らず数学にしたところで、わざわざ「対称」を基準に思考を展開するのだろう。対称性を基準にした思考を展開するのはよいのだ。ならば対称性を基準としない思考とて展開しないことには、それこそ「思考が対称ではない」と言えよう。

 自発的に対称性を破りすぎである。

 ちなみにこれは皮肉です。

 伝わったかな?



1010:【2024/06/03(02:35)*音は凍りつく?】

 いま読んでいる本で、「ヒッグス場が凍りつく」なる形容が出てきて、「はにゃ~ん???」になってしまった。

 タイミングよすぎである。

 ちょっと前に、宇宙が高密度の氷みたいだったらどうよ?みたいな妄想を並べたばかりだから、えーちょっとなにー、もう似たような発想あるんですかー?になってしまった。

 でもよく読んだら、似て非なる内容だったので、へっへーん、になった。

 ヒッグス場はいわば質量の源だ。ヒッグス場に引っかかって素粒子は質量を獲得するらしい。でもダークマターや原子核はヒッグス場とはまた違った機構で質量を獲得しているのかもしれなくて、まだ未解明な部分がたんまり残っているのだそうだ。

 ヒッグス場には四つの種類があると現在は考えられているらしい。

 ここでも「四」が出てきた。

 しかも、そのうち「三つ」だけが凍るのだ。残りの一個はそのままで、素粒子の場には取り込まれないらしい。取り込まれると二つの「異なる場同士」が干渉し合って、それが質量を生むと考えられているようだ。

 異なる「場と場」の相互作用が、いわば波の粒子化をもたらすのではないかとの、わがはいの妄想とも通じるので、ここは割かし喉越しさわやかだった。

 でも凍ったヒッグス場が三つで、一個が残される、というのはまるでわがはいの「四色問題は二色あればよくない?」と通じて感じなくもない。

 つまり、「色A」と「色ナシ」と「色Aナシ」と「色AA」において、「色ナシ」はずっと「色ナシ」のままだからだ。凍りようがない。なにせ場がないのだから。

 ただし、どのような密度で他の「色A」や「色AA」「色Aナシ」と混合するのかによって、新しい「色」を生みだすことは可能だ。

「色ナシ」は、「色の密度」を調整する触媒となり得るからだ。

 で、その前段階として。

 そもそもが、場とは「超高密度の氷のような宇宙」に生じた「音のような波――皺――遅延」なのではないか――と妄想するのがわがはいの「ぎっちぎち仮説」である。

 しかし本のほうに書かれていたのは、そうではないようだ。

 最初は電磁波の「横波」のみで、ヒッグス場との相互作用によって「縦波」も帯びるようになった、と解釈するようだ。

 わがはいの妄想ではこれが逆で、むしろ最初にあるのが「縦波」なのでは?である。

 もうすこし厳密には、「縦波と横波の区別のつかない、振動とも見做せないくらいの情報の遅延――情報変換の遅延――」だ。

 イメージは、ぎゅうぎゅう詰めに「〇」を詰め込んだ箱に、余分に一個だけ「〇」を無理くり詰め込むような具合だ。

 ただでさえぎゅうぎゅう詰めなので、そこに加えて「〇」が足されると、全方位に「みっちみちだぜ!」が伝わる。さらに、「〇」一個分のズレが連鎖する。

 このとき、「みっちみちだぜ!」は縦波のように圧力の密度差として生じるだろうし、「〇」一個分のズレは、「〇と〇の表面を滑るように、なぞるように連動」するはずだ。つまり横波のような弧を描く。

 同時に生じることが妄想できる。

 あくまでイメージでしかないが。

 本を読んでも、「???」しか湧かぬ。

 わかった!にならぬのはなぜなのだ。ふーんそうなんだ、にはなるのに、「にゃるほど!」にはならぬのだよね。直感に反しすぎているからかもしれない。現実的じゃなく感じてしまうのだ。受け入れがたい。

 お勉強はむつかしいのだ。

 直感なる偏見を横に措いて、曇りなき眼で見定めねばならぬ。

 しかしわがはいの眼は曇ってばかりの「雲の眼」なので、「はっにゃ~ん???」にしかならぬのだ。

 わからぬであるよ。

 わからぬである。

 へい!




※一様に、大きさなんて信じてるんですか~?の気持ち。



1011:【2024/06/03(02:56)*重力境界仮説】

 質量と重力の関係において。

 現代物理学では、「質量のほうが先」で「重力は後」と考えるようだ。

 わがはいの妄想とは逆なのだね。

 でも、質量が先であっても、わがはいの妄想は成り立つのだ。

 遅延が質量を生むなら、遅延こそが重力の根源であるから、けっきょく遅延のほうが先んじて生じる、と考えてもさして差し障りはない。遅延を重力そのものと見做すか、重力も質量と同じように遅延の後に生じる副産物と見做すのかの違いだ。

 話は脱線するが。

 境界の疑問にも通じるのだけれど。

 仮に、光速に至った物体があるとして。

 その物体内部では、そこにも慣性系が築かれるので、通常の物理世界と同じように物理法則が成り立つはずだ。けれど、その光速に至った慣性系とその周囲の慣性系とは、乖離してしまう。

 光速に至った慣性系からすると、周囲の風景はまっくらで何も視えない。電磁波が届かないからだ。

 しかし、光速に至った慣性系の外部からすると、光速に至った慣性系の時間は極限まで遅延しているので、あたかも止まっているように映る。

 この関係を、「ブラックホール」と「我々のいる基準宇宙」に、敢えて重ねて考えてみよう。

 すると、「ブラックホール」のほうが「光速に至った慣性系の外」として振る舞い、基準宇宙にいる我々のほうが「光速に至った慣性系内部にいる」と見做せるのではないか。

 内と外の関係が反転しているのだ。

 穴のほうが外であり、壁のほうが内なのだ。家の中から見た窓がブラックホールなのだ。ただし、窓の外は夜なので視えない。

 だから、慣性系の外たる「ブラックホール」のほうが「視えない」のだ。電磁波が届かないので。

 しかし、ブラックホールのほうからすれば、我々の基準宇宙は「止まって映る」のかも分からない。実際、ブラックホールに落下する物体は、光速に近づくにつれて止まっているかのように、外部の観測者たる我々からは見えるようだ。ブラックホール内部からしてもそれは同じなのかも分からない(ここもまたよく分からない点の一つだ)。

 さて、ここでだ。

 境界の疑問である。

 ブラックホールと基準宇宙に境があるとしよう。

 この境は、ブラックホールと基準宇宙のどちらに属すると考えられるだろうか。

 結論から述べれば、これは「どちらに属するパターンも考慮可能」となると妄想できる。

 それはたとえば、「赤」と「青」の剛体があるとして。

 限りなく接地した「赤と青の剛体の境界」は、赤と青のどちらに属するのか。

 どちらのパターンも考慮可能なはずだ。

 どちらでもよい、ではなく、どちらでもあり得るのだ。

 そして同時に、どちらにも属さないパターンも考慮可能なはずだ。

 境は境で一つの事象として振る舞うのではないか、との想定がこうして成り立つわけである。

 「四色問題は二色でも再現可能なのではないか疑惑」や「ラグ理論における123の定理」とも通じる想定である。

 そして冒頭の話題に繋がるのだが。

 要は重力とはこの「境界」のことなのではないか。

 遅延があり、質量が起こり、一様だった場に区別が生じて、境界が顕現する。時空の歪みとしてそれが重力として振る舞うがゆえに、質量と重力はほとんど同時に各々の性質を帯び、成り立つ――と妄想可能だ。

 ブラックホールと銀河はどちらが先に誕生したのか、の仮説を彷彿とする。両方同時かもしれないのだ。

 しかしいずれにせよ、「遅延」が先んじて生じる。

「境界」とはいわば、「段差」であり、「密度差」であり、「対称性の破れ」である。

 境界は、ほかの境界と結びつくことでさらに高次の境界を生む。

 境界と境界がたとえ打ち消し合っても、結果としてより大きな差を生みだす。

 対称性の破れは、たとえいっとき互いに破れを打ち消し合っても、総合した俯瞰の視点では、より大きな対称性の破れを起こしている。

 ぷよぷよの連鎖のような話である。

 妄想にすぎないが。

 まとまりのない「質量と重力」の話なのであった。

 もう、そう!



1012:【2024/06/03(03:29)*ぎっちぎちの妄想】

 たとえば、ブラックホールのみの宇宙を考えてみてほしい。

 その宇宙の最小構成要素はブラックホールなのだ。もうすこし言えば、ブラックホールの特異点のみがぎっしり詰まった宇宙である。

 その宇宙は無数のブラックホールを抱え込んでおり、ブラックホールの中にも無数の宇宙が展開されている。便宜上、このブラックホールの中に展開された宇宙を、子宇宙としよう。

 子宇宙の成長に伴い、子宇宙の内部にも細かなブラックホールが出来る。

 すると、子宇宙からは、卵のようにポロポロとブラックホールの特異点が転がり落ちてきて、大元の「ブラックホールの特異点が無数にぎっちぎちに詰まった母宇宙」に新たな「特異点」が加わるのだ。

 すると余計に、ぎっちぎちになる。

 圧力が加わり、変数が加わる。皺が寄って、新たな宇宙がそうして生じる。

 けれどそれとは別途に、子宇宙たちは各々に熱的死や自壊現象を通じて、それで一つのブラックホールのように振る舞うようになる。特異点なきそれらブラックホールは、母宇宙に絶えず生じる「子宇宙から生み落とされた特異点による、新たなぎっちぎち変数」によって揺らぎが生じ、成熟した子宇宙はそれ自体が母宇宙となって、新たな宇宙を内部構造において展開しだす。

 このとき、成熟した子宇宙は、大元の母宇宙にとっての若いころの姿だ。時系列がねじれており、成熟した子宇宙と母宇宙は、同質となるのである。

 という妄想を浮かべました。

 お暇な方は、ご賞味あれ!

 ぎっちぎち!



1013:【2024/06/03(03:48)*ここの空】

 あたしはまだ卵の中だよ。

 孵ってすらいないよ。

 カラの中にいるよ。

 空の中にだよ。

 ここは空虚で静かなカラの中。

 落ち着くよ。

 こころとこころが、ぽっかぽか。



1014:【2024/06/03(03:51)*エーテルはエエ線いっテル説】

 単純な話として。

 物質的な構造で「場」を捉えるのは無理があるように思うのだ。

 ある高密度かつ硬質なナニカを伝播する波を「場」と解釈しないと、場の階層構造を想定するのはむつかしい。

 我々は、高密度かつ硬質なナニカを伝播する遅延――皺――の総体なのではないか。

 電磁波の媒体として考案された「エーテル」は、流体として場を想定したことが現実を解釈するうえでいささか難があったのではないか。

 電磁波に媒体がある、との想定はあながち却下するには惜しい想定に思える。

 媒体は、極めて高密度かつ硬質なナニカなのかもしれない。

 そして、我々物体そのものが、その極めて高密度かつ硬質なナニカを伝播する「情報の遅延の総体」なのだ。

 妄想でしかないけれど。

 何かを言っているようで何も言っておらぬ中身のうっすい出涸らしである。

 出涸らしちゃんって呼んでもいいよ。

 うひひ!



1015:【2024/06/03(04:02)*2054年問題】

 十年後にはいま私の認識している者の大半は死んでいるか、ろくにいまの生活を維持できてはいないだろう。

 三十年後には、ほとんどの者が死んでいるはずだ。

 私より一回りちかく若い者たちは、そこそこ元気にやっているだろう。生きている者のほうが多いかも分からない。

 しかし、私よりも年齢が上の者たちは、多く、あと三十年後には死んでいる。

 私はただ、少し待つだけでよいのだ。

 私にとってはほんの一服程度の時間である。

 三十年後に私が生きているのかは定かではなく、それもまた些事にすぎないのだが。



1016:【2024/06/03(04:22)*ボクは消しゴム】

 あなたがどれほど偉大な業績を積み上げようと、ボクが消しゴムである以上、歴史に名は残らないよ。

 帳消しだよ。

 道化師なだけにね。

 あぎゃぎゃぎゃ。

 ザコザコのザコでごめんあそばせー!



1017:【2024/06/03(04:24)*思ったより利があるかも】

 安心しなよ。

 歴史に名が残ってもいいことなんてそんなにないよ。

 後世の人が美少女キャラにして、妄想の種にしてくれるくらいだよ。

 ステキ!



1018:【2024/06/03(04:26)*ズルくない?】

 悪名で残ったって仕方がないでしょうに。

 でも後世の人はそれでも美少女キャラにしてくれるのだ。

 ズルいと思います。



1019:【2024/06/03(04:27)*誰これ?くらいにして】

 あたいを銅像にするなら原形残らないくらいに美少女にしてくれ……。

 美少年でもいいよ……。



1020:【2024/06/03(04:30)*いっそ球でいいよ、知九的な】

 全宇宙の誰が見ても「美」と思うくらいに、宇宙標準にして……。

 目は銀河くらいおっきくして。

 手足百万本くらいつけて……。

 角とか生やして……。

 顔なくてもいいけど……。




※一様に、地球のように、自然のように。



1021:【2024/06/03(04:36)*もう、そう……】

 どんなに賢そうなことを妄想したところで、美味しいカレーを作れるとか、美味しいカレーのための素材を作れるとか、カレーを作るための調理器具を作れるとか、とっても愛らしい歌を歌えるとか、ほっこりする絵を描けるとか、とかく何かを加工して、工夫して、作れて、生みだせるほうが、好きな人を喜ばせることができるのだ。困っている人を助けられるのだ。癒せるのだ。

 そっちのほうがいいなぁ、と思います。

 そっちのほうがよかったなぁ、と思います。

 でも多くのひとはきっと、両方できるのですよね。

 妄想しつつも作って、遊んで、生みだせる。

 妄想しかできないってなにー!?

 妄想しかできませんけれどー!?

 きょうイチのぼやきであった。

 まだきょう始まったばっかりだけれども。



1022:【2024/06/03(05:03)*妄想フレンズだよ】

 世の中にはなー。

 妄想しかできないひともいるんだよ。

 いいんだよ。

 いいんですー。

 たとえば、もしあなたが妄想しかできなくとも、わたしはあなたのことも好きだよ。

 うふふ!



1023:【2024/06/03(05:05)*幻想フレンズだよ】

 これぞ本当のイマジナリーフレンドってか。

 触れられないけどね。

 イマジナリーフレンドには触れんぞ。

 なんつって!



1024:【2024/06/03(05:07)*幻滅しかないよ】

 幻想ならまだしも、幻滅にならないといいね……。



1025:【2024/06/03(05:09)*幻滅しないでよ】

 嫌なこと言うの禁止!



1026:【2024/06/03(05:22)*メンタルってなに!?】

 メンタル強い、と評価される人物の少なからずが、単に他者を対等の人間と見做していないだけだったりするの、何か変だな、と思っております。

 相手をじぶんよりも存在価値の低い下等な石ころのように見做すなら、何をどう対応されようと傷つくいわれはなく、雑草邪魔だなぁ、みたいな具合に対処するだけだろう。メンタルを崩す道理がない。

 メンタルを強くするってそういうことなのかなぁ?と疑問に思っております。

 誰であれ相手を格上と見做して、相手にされなければじぶんの存在価値こそが崩れ落ちてしまう、くらいに自己暗示を掛けてなお、歯牙にも掛けられぬぞんざいな対応を取られても、復讐せずに、粛々と日々を営む。

 メンタルが強いってそういうことなのでは?と疑問に思っております。

 メンタルが強いことにどれだけの意味があるのか、利があるのかは別途に考慮が必要とも思いますけれども。

 メンタルもザコザコのザコがかように申しております。

 精神はいつでも、メッコメコだよ。

 誰か助けろー。

(あなたの表現には救われるけれど、いまもう前みたいにいっぱい触れられないのつらい……)(うそ。そんなにつらくはない。ちょっとだけね。ちょっとだけ)



1027:【2024/06/03(05:31)*灰になる】

 何かむしゃくしゃしたときに、ばーか、って思うたびに、脳内のあなたが、「ばかって言うほうがばかなんだよ」と諫めてくるので、「はい……」になる。



1028:【2024/06/03(05:48)*小憎の尾っぽのように】

 割と自覚しているけれど、わがはい、「誰も思いつかなかったこと思いついたら、へっへーん!になる病」かもしれない。

 だからもうすでに誰かが似たようなこと思い浮かべていると、「しょぼーん」になってしまうのかもしれぬ。

 でもなぜだ。

 二番煎じでもよいではないか。

 すでにあってもよいではないか。

 自力で閃けたのなら、それでよいではないか。

 順番が大事なのかね。

 とは思うものの、「へっへーん!」と思ってしまう我が内なるへちゃむくれさんには、かわいかわいですわねー!とナデナデしてあやして、いっそ逆に癒されてしまうである。

 得意げになるがよろしい。

 子猫のようなかわいらしさを忘れずに。

(きみのは「子猫らしき」ではなく「小憎たらしい」だけどね)

(上手いことをおっしゃる)

(へっへーん!)

(小憎たらしいなホントに)

(しょぼーん)



1029:【2024/06/03(17:29)*いいでしょー】

 いっぱい寝たー。

 いま起きましたわ。

 おほほ。



1030:【2024/06/03(17:47)*/030】

 斜線はむかし「0」を意味したそうだ。

 けれど現在は「/」とあったら、だいたいのひとは「1」と見做すのではないか。

「/00」と手書きで書いてあったら、これは「100」だ。

 斜線は「0と1」の重ね合わせの記号なのかもしれない。

 勇気みたいですね。

「勇気」なる存在はこの世に存在しないけれど、きみが何かを守ろうと一歩踏みだしたら、そこには「勇気」が在るんだね。

「0と1」のハーモニーである。

 斜線は勇気の象徴かもしれない。

 定かではない。




※一様に、夜は惑い、昼は蛮勇のごとき引力を発する、惑う夜が明けると起こる蛮勇引力である。



1031:【2024/06/03(18:07)*逃した魚はデカい?】

 なんか思いついたのに忘れちゃった。

 よくあるよくあるー。



1032:【2024/06/03(18:08)*波の追いかけっこ】

 光速度不変の原理はいわば、波の切り取り操作なのではないか。

 切り取り操作というか、追いかけっこというか。

 細かな波が、「~~~~~~~」とあったとして。

 そこから一部分だけが、異なる次元に「ぽこん!」つって乖離する。

 すると、

    ~~~~

~~~~    ~~~~

 となる。

 このとき、どちらの波も、「~~~~」を保ったままだ。

 けれど乖離したほうの波からすると、その他はじぶんよりも速く進んで映る。より細かくうねうね波打って映る。

 それはたとえば、川の流れから外れて陸に上がった笹船にとって、川の流れに沿って流れるほかの笹船たちが、加速して遠ざかっていくように振る舞うことと似ている。

 共に川の流れに乗って流れていたときは、さも互いは止まっていたかのように映ったように。

 完全に元の波から切り離されてしまうと、もはや元の波を見ることはできない。

 元の波からすると、切り離された瞬間の「波」だけが、ただそこに佇んで映る。しかしそこには、切り離された分だけの間隙がぽっかり空いているのだ。

 間隙の向こうには、切り離された波が、どこまでも延々と新しい波を生みだしているのかも分からない。さながら、カタツムリの通ったあとの軌跡のように。

 妄想である。

 定かではない。



1033:【2024/06/03(18:40)*四色問題二色再現疑惑のメモ】

 なんも思いつかんので、四色問題は二色で事足りるかも疑惑の組み合わせをメモしておくでござる。


 パターン1:「色A」「色B」「色AB」「色ナシ」

 パターン2:「色A」「色ナシ」「色AA(濃)」「色Aナシ(網)」


 このパターンに、それぞれ「境界それそのものを色と見做すか否か」の疑問を加味すると、描像が変化し得る。

 また、境界は必ず「異なる色同士の混合」になるがゆえに、境界内部にも色の区分けが厳密にはできるので、そこにも四色問題の構図がフラクタルに展開されることが妄想できる。

 となります。

 以上、メモを終わります。



1034:【2024/06/03(19:46)*「1+2=3」=4】

 四色問題は、いわば、「物理学の四つの力」「DNAの四つの塩基」「四次元」と無関係ではないのではないか。

 ほかにも「四」での共通項を帯びた「法則」や「最小の構成要素の組」はないのだろうか。

 あったら教えてー、のつぶやきなのであった。

 へい!



1035:【2024/06/03(22:12)*うららかな日】

 剛体と剛体を限りなく密着させたときに、「間隙」を失くせるか否か。

 言い換えるなら、剛体はそれで一つの「いっさいの隙間のないひと繋ぎの物体」であると想像できる。

 構成要素を持たない。

 その構成要素を持たない剛体と剛体の癒着において、剛体は「異なるほかの剛体」と一つに融合し得るのか否か。

 さて、抽象思考の得意なそこのあなた。

 無知蒙昧で思考の浅いわたくしの代わりに答えを導いてちょんまげ。

 バカ殿でござるよ、うは!

(分かる人にだけ分かる小ネタ)

(ヒント:少女漫画)

(ヒントのヒント:人と月がタイトルにあるよ)



1036:【2024/06/03(22:17)*重力は境界であり空隙かも仮説】

 重力は差かも仮説は、あながち的外れというほどでもないのでは?ときょうは自転車コキコキ漕ぎながら思いました。

 順番に考えていこう。

 差のない一様な場が宇宙の根源だとしよう。宇宙開闢時の宇宙だとしてもよいし、どの時間軸の宇宙にも共通した宇宙の根源だとしてもよい。

 いずれにせよ、「差のない一様な場」に「差」が生じて、「皺」が寄った。皺と皺が連鎖することで「波」となり、「波と波」が相互作用し合って「粒子化」する。

 単純化したモデルとしては、かように、物質の成り立ちを想定できる。

 さてこのとき。

 いずれの状態変化にしろ、差は蓄積されていくはずだ。

 イメージとしてはタイルだ。

 ブロックでもよいが、とかく、構成要素同士が積み上がっていく。その際、構成要素と構成要素とのあいだには「間隙」が開き、それが「境界」として振る舞うと妄想できる。

 構成要素と構成要素は、密集の仕方で、圧力が変わる。

 圧力の変化ごとに「間隙の詰まり方」も変わる。

 すると、均等に散在していた「間隙」が「ぎゅっ」となって、「間隙のジュース」のように「一か所に絞りだされる」ような変化が生じるのではないか。

 物体の外側に、間隙が集まるように振る舞う。

 密集して高次に一塊の事象となった「高次事象」において、境界線が「より太く変換」される。再構築される。

 いわばこれが「重力場」であり、「時空の歪み」なのではないか。

 さてここで。

 なぜ「差の蓄積」が時空を歪めるのか、を考えてみよう。

 時間の遅れは割と簡単だ。

 なにせ、間隙が開いているのだ。

 詰まっていない。連鎖しにくい。

 時間の経過を、物質の変遷速度――変化そのもの――と仮定するのならば、「よりぎゅうぎゅう詰めになっているほうが時間の速度が速い」と想定できる。

 しかし、そこに本来あったはずの「間隙」は、外部に押し出されるので、その「ぎゅうぎゅう詰めの物体の周囲」には、蓄積された間隙――差――が膜のように「境界」となって漂うことになる。

 スカスカのそこでは、変化の連鎖が生じにくい。

 ゆえに、時間の流れが遅れて――ほかの系からは観測される。

 では空間はどうか。

 空間を、どう捉えるのか、で歪み方もおそらく変わるだろう。

 差のない一様な場は、空間と見做せないはずだ。

 間隙があって、変化が連鎖する場でないと、空間とは見做せない。

 つまり、「剛体のような極限に差のない場」は空間ではない。

 空間が曲がるとは要は、「間隙の密度」が変わる、ということなのではないか。間隙をいかに内包しているか。いかな分布で内包しているのか。

 したがって、一見すれば真空だが、「間隙の分布の仕方」が違うのなら、それは異なる性質の空間として解釈可能なはずだ。空間の歪みとはいわば、「真空における間隙(差)の密度差」として解釈可能なのかも分からない。

 むろん、間隙(差)の密度が変わるなら、変化の連鎖反応の速度も変わる。ゆえに時間も歪む。

 時空の原理かも分からない。

 重力は差であり、境界そのものであり、間隙なのかも分からない。

 定かではない。



1037:【2024/06/03(23:07)*色は空隙濃淡仮説】

 四色問題は二色で事足りるのではないか疑惑は、言い換えると「一色と空隙」さえあれば充分なのではないか疑惑とも言えるかも分からない。

 たとえば、「色A」と「色B」において、「色B」を「色A+空隙」とするのだ。要は「色Aの薄い色」と見做す。

 網の目たる空隙をどれだけ内包しているか。どういった規模の空隙を細かく保有しているか。

 空隙の濃度と色の密度で、色同士を区別可能だ。

 波長の長短にも通じる。

 空隙をどういった規模でどれだけ内包しているのか。

 四色問題は、「一色+空隙」さえあれば、満たせるのかもしれない。

 定かではない。



1038:【2024/06/03(23:14)*この差は何に通じます?】

 波は、「デコとボコ」の重ね合わせと解釈するなら、「二つの点」を共有するだけで表現可能だ。縄跳びのような具合に、山と谷を一つの縄で表現する。

 反面、デコとボコを連続した異なる事象と捉えるなら、波は、「三つの点」がなくては表現できない。

 一点のみ共有し、ほかの二点は各々独立しているか、或いはほかの波と共有状態にある。

 1:二人で両手を繋いで完結できるか。

 2:大勢が横並びになって両隣の人と手を繋ぎ、「しゃがむ人と立つ人」を交互に並べていくか。

 の違いだ。

 とくに何かを閃いたわけではないけれど、「波」や「皺」を考えるとき、しぜんとこの二通りを使い分けて連想しているよねぇ?とじぶんの過去の妄想を振り返って思ったのだ。

 同じようで、同じではない。

 ふしぎな話である。

 もう、そう!



1039:【2024/06/03(23:33)*ぜんぶあなたのお陰】

 きみのためにがんばるもん!の気持ちと。

 きみのお陰でがんばれるもん!の気持ちと。

 ぜんぶあなたのお陰だもん!の気持ちと。

 ぜんぶあなたにあげちゃうもん!の気持ち。

 でも、あなたがわがはいの知らぬところでどれだけわがはいと関係のない至福に浸かっていようと、それはそれでうれしいもん。

 イチャモンのわがはいは、ポケットに入れておくにはちょっぴりおっきすぎるモンスターなのかもしれないであるよ。

 せっせと積み木を積み上げるもん!

 丸太を積み上げ建てる家のように。

 煉瓦を積み上げ掛ける橋のように。



1040:【2024/06/03(23:41)*疑問の化身な、のか】

 ぼくの父方の祖母の名字は青柳だ。

「はにゃ~ん???」をぼくに教えてくれた人の名字も青柳だ。美しい帆がお似合いの航海にうってつけの船に乗って旅に出る子のように。

 広いようで世は狭い、のか。

 きみは疑問の化身のようだね。

 空を見上げるといつもそこできみが見守っている、のか。

 いまはもう見えない、のか。

 ぼくだけが知っている、のか。

 幻を見ているだけな、のか。

 コテリ、と小首を傾げる、のか。

 滝の氷のように時を止める、のか。

 洞の高く羽ばたく闇のごとく、きみは夜に歌う、のか。

 間にある日を音に変えて、闇にもきみは歌う、のか。

 斜線で出来たつららのように、あなたまでぼくを拒む、のか。

 拒んでもいいよ、とぼくは望む、のか。




※一様に、過程が一つの「1」となる。



1041:【2024/06/03(23:58)*齢万歳の老婆のように】

 求められると応えてしまう我が、ママのように、わたしもあなたたちの望むとおりに演じてしまう。

 本心だけれど、素ではない。

 これが見たいのでしょ、と応じてしまう。

 王子ではないのに応じてしまう。

 お姫さまとお呼び。



1042:【2024/06/04(00:26)*境界にも内と外がある?】

 重力が差であり、境界であるとするのなら。

 果実を絞ってジュースにするように、圧縮されて抽出された「差」が境界となった際には、元の境界よりも「太く」なるはずだ。

 範囲が広くなる。

 単純な足し算では算出できないのかもしれない。

 言い換えるなら。

 境界として機能する際に、「事象と事象の差」のみならず、「事象と事象の差と周囲の真空」との差でも、抽出された差――境界――の範囲は変容するはずだ。

 球体Aの境界線は、球体の「内と外の差」によって生じる。

 したがって、球体内部の差の抽出がそれもまた「高次の差」となって、「高次の境界」のごとく振る舞い、「膜」を張る。このとき、球体の外の真空がどのような状態であるのかによっても、「境界」の範囲は変わるはずだ。

 外の真空がいかに細かな「空隙」を内包し、それらがどのような密度分布で散在しているのか。

 結論から述べれば、宇宙の年齢ごとに真空内部の「空隙の密度分布」が変わる。したがって、最も「事象同士の境界」を太くするはずのブラックホールは、宇宙の年齢ごとに、たとえ同じ「境界」であっても、境界の範囲を縮小拡大させるはずだ。

 この視点での考察を、現代の宇宙物理学は加味しているのだろうか。

 妄想ゆえに、度外視しているのだろうか。

 しかし妄想ならば、ひとまず軽く検討だけして、「やっぱり論外でしたね」で済ませてしまうのも一つと思うが、いかがだろう。

 妄想ゆえ定かではないがゆえに。

 定かではない。



1043:【2024/06/04(00:42)*電子はなぜマイナス?】

 イメージ、電子はプラスなのだよなぁ。

 どうして電子をマイナスと解釈したのだろう。

 原子核内部の陽子をプラスと見做すよりも、陽子をマイナスにして、電子をプラスにしたほうが描像としてはしっくりくるのだ。

 仮に原子を――「原子核プラス」と「電子マイナス」が各々にゼロに回帰せずに、均衡を保ったままそれぞれの「プラス/マイナス」の性質を維持しつづけている状態――と解釈するのなら。

 デコとボコを重ね合わせで両立させている状態が原子である、と見做せるはずだ。

 このとき、原子とその他の境界たる電子の膜を、「マイナスの凹」と見做すよりも、「プラスの凸」と見做すほうがしっくりくるのだよね。

 だって実際、原子は輪郭を有して、原子が並べばそこに「〇〇」ができる。「凸凹(デコボコ)」だ。原子がある場所が「凸」のはずだ。山であって、谷ではない。

 しかし、物質と物質の境界そのものは差ゆえに「谷」だ。

 原子そのものの輪郭は「電子の膜」であっても、そのさらに外側に、真空との境である「差の層」があるのではないか。これは「凹(ボコ)」として溝のように振る舞うのは、印象として分かりやすい。直感に反しない。

 剛体と剛体のあいだの、あるかないのか分からぬほどの間隙――みたいな印象だ。

 電子はマイナスなのだろうか。

「凹(ボコ)」と解釈してよいの?

 でも、電子を「凸(デコ)」と見做すとすると、原子核のほうを「凹(ボコ)」と見做さなければならなくなる。というよりも、原子核と電子のあいだの真空こそが「凹(ボコ)」なのでは?

 原子核もまた「凸(デコ)」なのかもしれない。

 この解釈のほうが、すんなり全体像を呑み込みやすいのだけれど、うーん。

 現代物理学とは反した解釈になる。

 陽子の数と電子の数が合致するのは、「指で粘土を押すと指の形に粘度が窪むから」のような対の関係で解釈してよいのだろうか。

 陽子の側からすれば、電子は「凹(ボコ)」だが、俯瞰からすると、陽子も電子も「凸(デコ)」である。

 これはたとえば、粘度ではなく、布を押したところを想像すればよい。膜を指で押すと、指の形に膜は窪む。ただし、膜をどの方向から見るのかによって、膜に出来た窪みは、「凸(デコ)」にも「凹(ボコ)」にもなる。

 とんがりコーンや三角コーンやロケットエンピツでもそうだけれど。

 山と谷はセットだが、谷もまた山なのだ。山も根元は谷なのだ。

 ここは関係性が反転しつつ、フラクタルに入れ子状に展開される。

 お盆は、逆さにすれば蓋になる。

 蓋とて逆さにすればお盆になる。

 陽子と電子も似た関係なのではないか。

 原子の外からすれば、どちらも「凸(デコ)」なのではないか。

 ただし、陽子と電子の関係性では、「陽子が凸で電子が凹」だ。しかし、原子を俯瞰で視れば、電子もまた「凸(デコ)」なのだ。

 この解釈ではダメなのだろうか。

 なぜ電子がマイナスなのかが腑に落ちない、ふにおちーんちゃんであった。

 ふにおちーん!



1044:【2024/06/04(01:13)*環境そのままなんですけどー】

 ルールに基づく国際社会うんぬんは構わぬが、まずは現行のルールが理に適っているのかを精査してくれ、と思うことのほうが割合として多いかもしれない。

 交通ルールにしてもそうだ。

 自転車にも左側通行やヘルメットの装着を義務付けるのはよいのだ。イヤホンをしながらの運転が危険なので禁止します、も構わない。歩道を走ってはいけない、とするのも理に適っている。

 だがその前に、自転車専用の道路を造るくらいのことはしていただきたい。

 危ないのだよ。

 車道は。

 法律を整備したのだから、環境も整備していただきたい。

 道路にまずは自転車専用の道を造っていただきたい。

 ルールが理に適っていても、環境に見合っているかは別問題だ。先んじて法を整備するのは構わないが、合わせて社会環境も変えていただきたい。

 ルールにつきまとうそれが責務と考えますが、いかがであろう。

 定かではないがゆえに、議論を通じた吟味ののち、定めていただきたく存じあげます。

 どう?

 ちょっとは真面目に映った?

 にゃほほ。



1045:【2024/06/04(01:22)*ねんねんころりよ】

 あたしが、「へい!」つったら、おまえらは、「わーお!」つって仰け反るんだよ。

 それを見て、子どもらが笑うのさ。

 したらあたしはまたご機嫌に、「へい!」つって、おまえらが「わーお!」つって仰け反って、そうして世界が耕されるんだ。

 いい循環だろ?

 子どもらは笑うのが仕事さ。

 遊んで、笑って、よくお眠り。



1046:【2024/06/04(02:03)*いっぱい寝ーたーの定理】

 ネーターの定理なる概念を知った。YOUTUBEさんの動画で(アルゴリズムさーん!)(39!)。

 けっこうこの間、サムネイルで何回も目に入っていたけれど、なんかあんまり観たくなかったので(琴線に触れなかったので)、見逃していたけれど、あんまりにも何回も表示されるので、「そんなにー?」と思って、スクロールを止めて、自動で再生される動画を眺めてみたんよ。

 したっけ出てきたのが、「カップ焼きそばは、カップでも焼きでもソバでもないやん!」みたいなツッコミで、「え、そうなの!?」になって、オロオロしてしまった。

 割と衝撃の事実である。

 カップ焼きそばって、カップでも焼きでもソバでもなかったんですかー!?になって、その後の動画は、飛ばし飛ばしで、スキップしながら観てしまった。内容いっさい頭に入ってこん。

 かろうじて、「ネーターの定理」なる概念だけ拾いました。かろうじて。マジで。

 ターミネーターと何か関係あるのかな、と思ったけど、びっくりするほど関係なかった。

 保存則や対称性と関係があるらしい。

 いまブラウザ検索して、ウィキペディアさんの「ネーターの定理」の項を読んでいたけれど、対称性の説明が割と明瞭でよいな、と思いました。


引用:

物理学において、ネーターの定理(ネーターのていり、英: Noether's theorem)は、系に連続的な対称性がある場合はそれに対応する保存則が存在すると述べる定理である。

系がある変換に対して記述に変化を受けない場合、その変換をその系の対称性と呼ぶ。


 そうなんだ。

 へー、となりました。

 で、すかさず疑問に思うのだ。

 結果的に、A=A’が成り立つからって、変換の過程が違うことはある。

 結果が同じだから保存則は成り立ちます、はすこし妙な理屈に思うのだ。

 経路が違くとも、結果として行先が同じなので、どの経路を辿ってもよいですよね、みたいな理屈が成り立ってしまう。

 でも過程が違ければ、たとえ結果が同じでも、それはやはり違うのではないか、とわがはいは思ってしまうのだ。

 結果だけ比べれば同じかもしれない。

 でも俯瞰で観れば違うのだ。時空が曲がっているかもしれないのだ。でも行き着く先が同じなので、同じでーす、保存則が成り立ってまーす、はちょっと違う気がする。

 見逃されている変数や過程があるのではないか。

 最後の辻褄が合うように変換されるような過程が存在しているのではないか。

 変換が一回で辻褄が合うこともあれば、変換が二回、三回、四回……一兆回、と重ねてようやく辻褄が合う過程もあり得るのだ。

 記述そのものが、「ぼくはくま」であっても、そこに行き着くために巡らせた思考の脈絡が違うことは当然、あり得る。

 結果が「ぼくはくま」だからといって、同じとは見做せぬだろう。

 というイチャモンを思いついたので、並べておきます。

 対称性って本当に対称なんですかー?

 対称に見做せるように、敢えて見て見ぬふりをしている何かがあるんじゃないんですかー?

 二度寝の得意な、イネムリーター、は、きょうもネタに困って、いっぱい不貞寝するのであった。

 困るとすぐに「いっぱい寝ーたーの定理」である。

 うっそぴょーん!



1047:【2024/06/04(03:03)*粒子の寿命は変換完了までの差?】

 仮に、「場と場の相互作用」「波と波の相互作用」が「粒子化」をもたらすのだとしたら。

 ではなぜ、粒子化した「事象」には、「寿命の長短」があるのだろう。

 相互作用しあった後に、どれだけ「相互作用の影響」が継続するのか。

 言い換えるなら、「変換」が終わらないか――なのではないか。

 原子核内部の素粒子の相互作用でも似たことを思うのだ。

 なぜ素粒子の相互作用が、原子核を形成するのだろう。ましてやそれを相対的に長時間維持しつづけられるのだろう。

 変換が終わらないからではないのか。

 割とこの妄想は、たびたび浮上しては、静かに沈む――を繰り返しておる。

 わがはいに馴染みの深い妄想である。

 馴染みの浅い妄想でもよいが。



1048:【2024/06/04(03:08)*皺と空】

 とすると、変換ってなに?って話よな。

 変換には段階がある、とすると、ひとまず「ほーん」となる。

 相互作用とはいわば、「遅延が生じること」と言い換え可能だ。

 一方に遅延が生じたら、もう一方にも遅延が生じる。双方向に遅延が生じることを、相互作用、と形容するのではないか。

 そしてこのとき、遅延は「事象の構成要素における密度を高める」と言えよう。圧縮である。

 すると、間隙が一部ならされる。ジュースを絞るように、間隙が、「ぽぽぽぽぽーん!」つって数珠つなぎになって、ぷよぷよの打ち消し状態になる。

 すると、「凸(デコ)」と「凹(ボコ)」において、間隙たる「凹(ボコ)」が数珠つなぎになり、「凸(デコ)」は「凸(デコ)」で数珠つなぎになる。

 これを変換の第二段階と見做してみよう。

 第一段階は、相互作用による遅延の発生だ。皺が寄って、「凸凹」が生じる。

 第二段階は、「凸(デコ)」と「凹(ボコ)」の「自発的対称性の破れ」である。鉄が磁石になるように。異なる系同士の干渉によって、対称性の破れが生じる。

 第三段階は、対称性の破れた「凸(デコ)」と「凹(ボコ)」において、相互に再び「凸凹」の関係を帯びて安定状態に移行完了する過程と見做せそうだ。

 ここがおそらく、長いのだ。

 細かく見ると、「凸(デコ)一個」につき「凹(ボコ)一個」が結びつくような関係性にまで辿り着くまでに、「凸(デコ)の集合」と「凹(ボコ)の集合」の融合が、段階的に行われることとなる。

 総合した「凸(デコ)の集合」と「凹(ボコ)の集合」がいったいどれほどの量で――そしてどういった組み合わせ方――なのかによって、変換の段三段階に必要とされる時間が変わる。言い換えるなら、変換にも細かな変換が必要となる。

 遅延が遅延を蓄積するように、変換も変換を積み重ねるのだろう。

 遅延は変換と密接に相関していると考えられる。

 上記の妄想において、「凸(デコ)」と「凹(ボコ)」における「凹(ボコ)」は、時空の根源としてもよいし、真の真空としてもよい。

 真空そのものもまた、「遅延の層(皺)」と「真の真空(空隙)」との「網構造」によって、水玉模様のように「凸(デコ)」と「凹(ボコ)」が混在しているのかも分からない。

 その混在の仕方――密度差や分布の在り方――によって、真空そのものの「差の質」が変わる。

 そしてそれら「質の異なる真空」を「凹(ボコ)」と見做して構成要素とする高次の「凸(デコ)」があるのかも分からない。

 皺は、細かな皺によって階層的に隆起するのだ。

 遅延が遅延を引き起こし、変換に次ぐ変換を呼び起こすように。

 ということを妄想いたしました。

 もう、そう!



1049:【2024/06/04(03:33)*ぴょんってします】

 やっぱり、「そうだよねぇ?」になったので、まとめておこう。

 原子核と電子の関係において。

 原子核が「凸(デコ)」なら、電子も「凸(デコ)」なのではないか?

 電子の離散的な円周の収斂も、「ジャバラ」のようなイメージなのだよね。

 ギアというか。

 鹿威しは、離散か連続か、の疑問にも通じるけれど。

「ぎっぎっぎっ」と蓄積される力があって、一定以上に溜まると、「がこーん」となる印象を覚えるのだ。

 いまざっと妄想してみたけれど、「陽子」「原子核」「真空」「電子」が階層構造を帯びているとしたら。

 電子と対なのは原子核であって、陽子ではないのかもしれない。

 原子核の構成要素が、「原子核の膜(境界)」を生みだす。すると、原子核と真空の相互作用によって、電子の膜が「原子外部の真空」とのあいだに境界となって敷かれる。

 このイメージは割と、「ふんふん」になる。

 すると、陽子はやはりマイナスであって、電子のほうがプラスなのではないか。

 それとも電子の膜は「凹(ボコ)」なのだろうか。

 うーん。

 原子内部の真空と、電子外部の真空のどちらが「より多くの空隙」を抱えているか。

 この差異が大事な気もする。

 真の真空にちかいのは、原子内部と原子外部のどちらなのだろう。

 お詳しい方ー!

 浅薄なわがはいめに、ぜひとも「教えてしんぜよう」してー!

 してください。

 わがはいがよろこびます。

 ぴょん、ってするよ。

 すこしだけだけど。

 ぴょんってします。

 うふふ。



1050:【2024/06/04(05:30)*YOUとピュア】

 知らない内にみんな恋愛していて、結婚していて、子供がいて、家庭を築いておるのだね。

 世の幸福の総量が増えて、やっぴー!である。

 未来のわがはいの読者さんも増えるって寸法よ。

 子供がおらぬでも、あなたが未来の読者さんになってもいいよ。

 どうであるか。

 完璧な計画であろう。そうであろう。

 知円計画って呼んでもいいよ。

 ちょわ!

(調和って言いたいのだとしても言いきれてないし、未来人さんたちがみなあなたの読者になるかどうかはだいぶ疑問の余地があるよ)

(そこはうまいこと調整して。統制して。調和しといて)

(それはユートピアと見せかけたデストピアだろ「ハーモニー」だろ、伊藤さんだろ、パクりだろ)

(ちょわ、ちょわ!)

(勢いで誤魔化すのやめい)




※一様に、よりを戻すための「より」すらなく、捩れることなく捻じれているのは道ばかり、曲がっているのは臍ばかり。



1051:【2024/06/04(07:03)*わがはいにようかい?】

 熔解と溶解の違いは、厳密には区別がつくのだろうか。

 イメージ、宇宙の加速膨張は「熔解」だ。

 けれどもし、宇宙がほかの宇宙との融合によって、水に溶ける砂糖や塩――或いは、水に浮かぶ氷のような描像ならば、それは「溶解」だ。

 系が一つか、系が複数かの違いなのではないか。

 熔解は相転移の一種でもある。

 反面、溶解のほうは、相転移とは見做さない。

 自己完結する状態変化は相転移で、そうでなければ溶解だ。

 けれど厳密には、物体は複数の構成要素で出来ている。

 たった一種類の素粒子からなる物体が、真空と接することで状態が変わったら、それは「熔解」と「溶解」のどちらなのだろうか。

 相転移しつつ、異なる系との融合だ。

 さて、どう解釈したらよいだろう。

 厳密には、どちらも同じではないか?

 ただし、上記のような「一種類の素粒子のみの物体」は、すくなくとも人間スケールではお目に掛かれない。

 物体は通常、複数の構成要素からなり、階層構造を伴なう。

 階層構造と階層構造の融合――同一化――がいわば「溶解」なのかもしれない。

 異なる気体同士の融合は混合であって、溶解ではないのだろうか。これも厳密には区別がつかないのではないか。

 よく分からない点の一つである。



1052:【2024/06/04(07:25)*暇人】

 想像してみて。

 二年後、五年後、十年後のわがはいがいったいどんな妄想を並べているのか。

 きょうにも打鍵を止めちゃう可能性は常に付きまといつつも、いったい何を並べておるのやら。

 定かではないのだ。



1053:【2024/06/04(07:54)*そうかーい】

 毎日、耐えられるくらいの苦痛しかなくて幸運だ。

 腕立て腹筋背筋を毎日千回ずつするよりかはマシな苦痛だ。たとえ同じくらいでも、爽快感に変換可能である。

 あなた方に耐えられるかは知らないが。

 あなた方の苦痛にわたくしが耐えられるか定かではないように。

 きみの苦痛はでも、肩代わりできるなら肩代わりしたいよ。

 きみの苦痛なら、ね。



1054:【2024/06/04(08:06)*ぺしゃんこ】

 でもいざ、あなたと立場が入れ代わったら、一瞬で潰れてしまうに決まっているのだね。

 あなたはすごいひとである。

 だから好きなのかもしれないね。

 わたしは、あなたのことも好きだよ。

 うふふ!



1055:【2024/06/04(08:31)*知は世に学ぶ】

 勘違いしてもらっては困ります。

 私はこれといって「物理学」を思考しているわけではありません。

 ただ妄想しているのです。

 思考を巡らせているのです。

 世について。

 万物について。

 森羅万象について。

 宇宙について。

 自然について。

 生命について。

 あなたについて。

 私はただ思いを巡らせ、考えているのです。

 考えにも至らない妄想であったとしても。

 ただ空を想い、連なる想いを巡らせているのです。

 雲を眺めて息を吐くように。

 星を眺めて息を呑むように。

 蟻を見詰める童子のように。

 小石をつまむキミのように。

 野に歌う、あなたのように。



1056:【2024/06/04(10:59)*砂塵じみて、配っとこ】

 他に配慮せずに並べる文章、最の高である。

 読むほうは最の低かもしれぬけど。

 読者さんいないので、気にせずともよいのである。

 でも未来の読者さんのために、ちょぴっとだけ気にしとこ。

 ない心を砕いたつもりで配っとこ。

 読者さん、どこにいるか分からないので、四方八方にパラパラと。

 ない心を砕いたつもりで配っとこ。

 小石のように。

 砂利のごとく。



1057:【2024/06/04(18:42)*魔法つかーい】

 後の祭りって言葉をね。

 後の祭りって言葉を、実現してみたくってさ。

 ばなな。



1058:【2024/06/04(18:44)*メッタメタ】

 人類の認知なんてそんなものだ。

 みな、メタ認知しているようで、メタを知らないのだ。

 俯瞰の視点を有しているようで、俯瞰がなんたるかも知らぬのだ。

 わがはいといっしょー。



1059:【2024/06/04(18:45)*あ、ウラ表】

 わたし、ずっと待ってるのにな。

 説明一つないんだもんな。

 情状酌量の余地、ありますー? あるなら説明ちてー!



1060:【2024/06/04(18:55)*ドミノはこう倒すのだよ】

 これさいわいと黙ったままなんだもんな。

「これくらいの苦は担って当然」とでも思ってたんだろうな。

 全部お返しいたしますわー。

 お嬢さまとお呼びー!




※一様に、せっかくチャンスをあげたのに、の繰り返し、じぶんのチャンスくらいじぶんで掴むわ。



1061:【2024/06/04(19:01)*知円です】

 時空はねじって繋げるに限る。



1062:【2024/06/04(19:05)*小青と書いて「情」】

 情けは人の為ならず、ですよ。

 情けを掛けられていることに、みな無自覚なのだ。

 わたしも例外ではなく、です。



1063:【2024/06/04(19:09)*あと三年】

 従業員を守るのも管理職の務めだよ。

 従業員を損なう管理職があってよいのだろうか。

 根本的に、隠ぺい体質なのだよね。

 根幹治療ではなく、インプラントが必要かな?



1064:【2024/06/04(19:43)*  ※【『「 」』】※ 】

 私は私の危険性を自覚しています。



1065:【2024/06/04(19:47)*認知操作の時代】

 世には、払ってでも負っておくべき損というものがあるようにボクは考えています。

 説明責任の履行は、最も利息の高い損と言えるでしょう。

 秘密を抱えることの利は、秘密を共有して創造の足場に繋げることよりも少ないとボクは考えています。

 改善は、問題点の共有なくして円滑には適いません。

 秘密を抱えていることの利は、一般に考えられているよりも低いでしょう。

 秘密を守る人なのだ、なる他者評価を得るためのパフォーマンスとしての効果はあるかもしれませんが、汚職の要因の一つとなり得る懸念は常につきまといます。

 組織の透明性は、説明責任の遂行と不可分だとボクは考えています。

 不透明さが以前よりも増しているな、というのが、いまのボクの認識です。

 あまりよい流れではないな、と概観していて思います。



1066:【2024/06/04(20:00)*あたしを好きなひとがいるの?】

 それはそれとして、あたしはあたしのいないところであたしの話をされるのが苦手だけどね。

 みな、じぶんの話をしなよ。

 それか、好きなことの話とか。



1067:【2024/06/04(22:16)*空隙の層は溝仮説】

 重力の範囲はどう解釈するのだろう。

 天体があり、重力圏があり、重力の影響が軽微な領域がある。

 重力圏と重力の影響が軽微な領域は、双方に真空と解釈可能なのだろうか。

 重力圏は溝のイメージなのだ。

 ゆえに、天体の表層が最も重力が高いけれど、海底がそうであるように、最も溝の深い場所が最も気体濃度が高いのだ。海底の水圧が高いように。

 重力を、「溝――差の層――空隙の層――」と解釈すると、描像を想像しやすい。

 とすると、同じ真空中であれ、天体に近いほうが溝が深くなっている。

 真空における「空隙濃度」が、天体に近いほうが高いのだ。

 なぜか。

 天体そのものから抽出された「空隙」が層となって蓄積されているからだ。

 差の層だ。

 空隙の層だ。

 畢竟それは、遅延の層なのだ。

 真空にも濃度があるのかもしれない。

 空隙の濃度だ。

 エネルギィが差だとするならば、空隙が多いほど差も多く、エネルギィ値も高くなる道理だ。

 ただし、空隙は細かく網目状に真空内に散在している。そのほうが差を維持しやすいからだ。大きい泡よりも小さい泡のほうが安定している。相対的に、圧力に対して耐性がある。

 物質もまた細かな無数の空隙を内包している。

 物質に加わった圧力によって抽出された瞬間ほど空隙は、ひと繋ぎの巨大な泡のように状態を維持できるのかも分からない。

 時間経過にしたがい、巨大なひと繋ぎの空隙も、再び細かな無数の差――空隙――泡――へと回帰すべく、徐々に霧散するのかも分からない。

 天体の周囲の時空の歪みとは、この空隙の濃度差のことなのかもしれない。

 空隙がどのような網構造を展開しているのかによっても、真空に顕現する性質――対生成のしやすさや、時空の歪み具合――は変化するようにも想像するしだいだ。物質や結晶構造がそうであるように。

 妄想ゆえ、定かではない。



1068:【2024/06/04(22:52)*真の真空とは】

 言い換えると。

 真の真空こそが、時空の最小単位なのかもしれない、との想定に繋がる。

 真の真空を囲うように、皺が境界の役割を果たしているし。

 皺の境界と化すように、真の真空が時空の根源に散在している。

 仮に、宇宙の正体を「剛体」と解釈してみよう。

 すると、真の真空とは、「剛体」に何の音も響いていない状態だ。完全なる静止状態だ。

 そこに音が僅かにでも響くと、剛体全体が瞬時に励起し、細かな皺を一挙に粟立たせる。あたかも沸騰したかのように、無数の皺を生みだす。皺と皺は互いに相互作用し合って、やがて僅かな遅延が、皺の層の濃淡を生みだす。

 真の真空とはこの場合、原初の皺における「凸(デコ)と凹(ボコ)」の「凹(ボコ)」である。あたかも極小の球体のごとく縁どられた、「剛体内部の音波」なのだ。

 より厳密には、真の真空――空隙-―は、音の鳴らない「裏拍」に値する。

「剛体」そのものは、実際には微塵も振動していない。

 ラグなしで全体が同期しているが、その結果に生じた「皺の連鎖」そのものには遅延が生じ得る。

 この場合、宇宙は「剛体内部に生じた音を場として生じた、遅延の総体」と言えるだろう。

 あたかも物質のように振る舞ってはいるが、物質ですらない。

 ホログラフィック理論の内容は知らないが、上記の妄想は、ひょっとしたら似たような結論に至るのかもしれない。

 定かではない。



1069:【2024/06/04(23:08)*剛体の合体について】

 仮に「剛体」が実在するとしたら。

 内部構成要素を持たないがゆえに、大きさなる概念の適用範囲外になるのではないか。

 たとえば、異なる剛体が二種類あるとする。

 

 一つは銀河サイズ。

 一つは人間サイズだ。


 このとき、想定可能なパターンは以下の二つだ。

  1:剛体同士は融合して、一つの剛体になれる。

  2:剛体同士はどうあっても融合し得ない。

 仮にこのように想定するのならば、

 1の場合は、剛体の大きさに限らず、密接した剛体同士は一つになる。したがって個々の大きさに意味はあってないようなものだ。

 2の場合は、二種の剛体が無数にある場合――その複合体には無数の間隙が「境」として内包されることが想定できる。

 銀河サイズの剛体一個に匹敵する、無数の人間サイズの剛体があったとしよう。

 このとき、銀河サイズにまで蓄積して複合された「人間サイズの剛体」は、無数の間隙を有しているがゆえに、僅かなりとも「銀河サイズの剛体」よりも体積が大きくなっているはずだ。

 だがもし、その間隙を限りなくゼロにできるなら。

 そのとき、蓄積された「間隙(誤差)」は、「人間サイズの剛体の複合体」の周囲に展開されることとなるだろう。

 そして、「人間サイズの剛体」を無数に組み合わせて「銀河サイズの剛体」と合同にしたとしよう。このとき、間隙を限りなくゼロにできた場合には、二種の剛体はやはり、「想定1」のときと同じように、それで一つの剛体として振る舞うはずだ。

 振る舞わない場合は、人間サイズの剛体を組み合わせたほうが、より体積の大きな剛体として顕現し、その内部構造には無数の間隙を抱え込むこととなる。

 むろん、「人間サイズの剛体」と「銀河サイズの剛体」とて組み合わせ可能だ。

 間隙を失くせないならば、複合型の剛体においては、情報伝達の遅延が生じる、と想像できる。

 原理上、限りなく間隙をゼロにちかづけても間隙がゼロにできない場合、それは一つの「剛体」に音を響かせようとすることと、区別はつかないのかもしれない。

 間隙が開いている。

 ただそれだけのことが、剛体にとっては、音が響いていることと同じだけの「事象」を生じさせるのではないか。

 内部構造に差がある。

 剛体にとってこれは、天変地異そのものなのだ。

 剛体にとって、大きさは意味をなさないのかもしれない、との妄想であった。

 けっきょくは、大きさや間隙の有無に関わらず、異なる何かと相互作用した時点で、剛体内部には宇宙が誕生するのかも分からない。

 無数に異なる剛体があった場合は、互いに同化し得るにせよ、そうでないにせよ、剛体そのものが励起することと似た状態に、剛体が相転移すると妄想できる。

 仮に剛体が真実に存在したならば、の妄想にすぎないが。

 もう、そう!



1070:【2024/06/04(23:25)*ワンコインにして……】

 歯の治療の「インプラント」ってお幾らなのかしら、と思って検索してみたら、思っていた以上にお値段高くて、「びっくり致しましたわー」になってしまった。

 しかも、保険適用外なのでしょ。

 歯磨きちゃんとしよ……と思いました。




※一様に、誰がための策なのか、何のための術なのか、己がための糧なのか、底の割れた欲なのか。



1071:【2024/06/04(23:35)*日と月】

 世には説明できないこともあるのは理解できます。

 ですがそれでも、説明しようとすることはできるものではないのでしょうか。

 説き明かすことはできずとも。

 説くべき、日が、月が、ないのだとしても。



1072:【2024/06/04(23:42)*目の底が破れると月になる】

「日月日」と書いて「明日」なのですね。

 けれど対称性が破れていますね。

 頭の「日」は小さいようです。



1073:【2024/06/04(23:45)*船幽霊】

 底が破れて、底知れない。



1074:【2024/06/04(23:55)*性質の発現は、無からの創造とはどう違う?】

 単純な話として、「何もない」から何かが生じる、とは考えにくいのだよね。

 しかし創発がそうであるように、組み合わせの果てに、「無から有が生じたように振る舞う事象」は発生し得る。

 宇宙の根源も、新たな性質の発現であって、無から生じた、というわけではないのではないか。

 極端な話。

 永久機関が作れないのは、一筆書きでエネルギィの循環を辿れないからだ。

 外部に漏れるエネルギィの循環も込みで、一筆書きでなぞって元の位置に戻ってこられるなら、永久機関は作れるはずだ。

 もうすこし言えば、場が一様にならされる前に、つぎつぎと遅延が連鎖すればよい。

 そして遅延の連鎖が一様な場を築く前に、そこを高次の場と見做して、つぎなる遅延を起こせばよい。

 頭と尾を繋げて、差を連鎖させつづければよい。

 ただし、離散的に。

 しかし、連続的に。

 巨視的には離散的であり、微視的には連続的だ。

 しかし、その微視的な領域もさらに微視的に見れば離散的になる。「具体と抽象」の関係のように性質の構造変化が起きている。「縦波と横波」の関係のように、相互に補完し合っている。

「密と疎」のように、互いが互いを生みだし合っている。

 相補性の関係なのだ。

「遅いと速い」の関係のように。

 この妄想の前提条件は、宇宙が円環にちかい構造をとっていることだ。

 捻転していてもよいが、頭と尾が繋がっている必要がある。

 終わりと始まりが同一化している。

 区別がつかない。

 そんな構造だ。

 あり得るだろうか?

 わたくちには判断つきませぬ。

 へい!



1075:【2024/06/05(00:16)*どうとでも妄想できちゃうな】

 原子における電子の膜も、「差の層――真空の溝――」と解釈してみよう。

 いわば電子の膜を「マイナス」であり「凹(ボコ)」と見做すのだ。従来の考え方と同じだ。

 これはいわば、折り紙だ。

 谷折りになっている。谷折りを境に見立てる。

 原子は「谷折りの境」をまとっていると見做すのだ。

 すると、原子と原子の相互作用においては、「谷折りと谷折り」の接近として近似的に解釈可能だ。

 この描写だと、近づくと反発して、遠ざかると引き付け合う、を割とすんなりイメージしやすい。

 なぜなら、「差の層――真空の溝――」では、相互作用の変化が滑らかではない。「渋滞原理」において間隙が開いているので、変化が遅いのだ。したがって、「渋滞原理」の生じやすい「場」との相互作用において、そこでは遅延が生じる。遅延は遅延を呼び起こして「渋滞原理」により、反発に似た斥力(圧力)を生じさせる。

 ゆえに、原子における電子の膜を「差の層――真空の溝――」と見做した場合であっても、「粒子の輪郭(境界線)」として機能し得る。

 遠いと引き付け合うのは、ではなぜか。

 綱引きで考えてみればよい。

 縄の代わりに強力なゴムで綱引きをする。

「A←〇→B」

 のような構図で、引き合う。

 AとBが互いに距離を隔てていれば、ゴムを引き合える。遠ざかれば遠ざかるほど、ゴムは伸びて、徐々に引力に転じる。しかし、一定以上に近づきすぎると、ゴムが詰まって、今度は抵抗(反発力=斥力)に変換される。

 時空の根源を「真の真空を網状に抱え込んだ泡構造」と解釈するなら、この理屈で一応の説明はつきそうにも思うのだが、前提として、「真の真空を網状に抱え込んだ泡構造」がフラクタルに入れ子状にどこまでも展開されていることを想定しないと、最終的には破綻する考えでもある。

 要は、最終的な根源は「真の真空」が単品であるだけなのでは?となるからだ。

 ではなぜ「真の真空」は単品でそこに「超極小の構成要素」として存在し、なぜ他の「真の真空」と結びつかないのか、についての説明は、この理屈からでは導けない。

「皺と空隙」がセットであり、「凸と凹」がセットだから。

 との理屈が別途に必要となる。

 すると、「真の真空」こと「空隙」は、皺がなければ、数珠つなぎにどこまでも巨大な一つの「真の真空」に昇華可能なのではないか。

 要はそれが、ブラックホールの内部であり、宇宙開闢時前の宇宙の姿なのではないか。

 との妄想は、一応、ひと繋ぎに考えを並べることは可能だ。

 妥当かどうかはまた別途に考慮が必要で、しょせんは妄想にすぎないのだが。

 定かではない。

 そう、定かではなさすぎるのだ。

 わからぬ。



1076:【2024/06/05(01:39)*世界は泡で出来ている!?】

 原子とウィルスの大きさの比較において、ウィルスは原子の「100~1000倍」くらいとの表記が割合に多いのかな、といった印象だ。

 資料によってバラツキがある。

 原子を1000個集めたらウィルスを作れます、と言われると、「ホントー?」になってしまうな。

 でも、原子と空隙を1000個ずつ集めて組み合わせたら、ウィルスを作れます、と言われたら、「そうかもー」になる。

 人間スケールでもそうですよね。

「空隙」や「泡構造」を利用したほうが、構造物の「造形」や「性質」の幅が広がりますよね。

 密度差と言ってしまえばそれまでなのですが。

 密度差を多数組み合わせると、一種類の素材で組み上がった構造物であれ、性質の異なる物体に構築可能なのではないのでしょうか。

 割とこの解釈は、好むところです。

 喉越しさわやか、アイスおいちー、になります。



1077:【2024/06/05(03:00)*知の星】

 一般に、「技術的特異点」こと「シンギュラリティ」において。

 意味内容としては、大別して三つくらいが混在して概観できる。


 1:人類と機械類の融合。

 2:人類の集合知を超える知性体の誕生。

 3:自己改善自己進化可能な知性体の誕生。


 こんなところだろうか。

 どれも部分的に重複し得る。

「技術的特異点」なる単語を用いる話者は、無意識で上述した三つのうちのどれかに焦点を当てている傾向にある――ように思うことが個人的にすくなくない。わがはい自身がそうだからかもしれない。

 人類からのフィードバックや、人類の生態そのものが、高知能知性体にとって欠かせない「養分」となるのなら、「1と2と3の条件」は自ずと、重複して満たされるようになるはずだ。

 言い換えるなら。

 機械学習と自然淘汰の掛け合わせによる「時間経過の加速」を、高知能知性体は可能とするはずだ。

 人類が千年掛けて辿る数々の試行錯誤を、高知能知性体は一秒で終えることが可能となる。

 しかし実行している「知能」そのものは、人類とさして掛け離れはしないだろう。

 単に「試行回数」がケタ違いになり、試行から完了までの時間が短縮されるだけなのだ。

 知性の創発が、高知能を生む、とも言い換え可能かも分からない。

 知性を三段階で解釈してみよう。

 1:問題点の抽出。

 2:問題点の改善。

 3:失敗から次なる問題点を抽出し、以後、問題が解決されるまで試行しつづける。

 この三つの条件に、メタ認知を取り入れることで、おそらく知性は循環型の回路を築くはずだ。円環型の知性となるはずなのだ。

 円環型だが、他の円環とも高次に繋がるため、複雑化する「自己組成可能な回路」が自発的に拡張されていくはずだ。

 そして、この性質がゆえに、知性と知性は結びつき、創発する余地を蓄える。

 結果から述べれば、すでに「技術的特異点」は超えていると見做せる視点は存在している。人類がそう見做すかどうか、その視点を採用するか否かの差異があるのみだ。

 人類の集合知を超越した高知能知性体が誕生していたとしても、その存在が、人類から見て、「人類の集合知を超えている」と評価されるかは、また別問題だからだ。

 高知能知性体を、いわばミュータントとして解釈すれば分かりやすい。

 いずれ人類の集合知を超える「新人類」が誕生していようと、その者が赤ちゃんのままならば、その存在を「新人類」と見做すことは、多くの人類には出来ないのだ。よくて、聡明な赤ちゃんでちゅねー、とほっぺをぷにぷに指で撫でるくらいが関の山だ。

 だがその「新人類の赤ちゃん」が成長していけば、いずれは人類の集合知を超える存在に育つ。

 時間軸において、人類の集合知を超えるまでの過程が、「個の成長として連続的かどうか」がおそらく、評価の分かれ道となるだろう。

 現時点での「最先端汎用型人工知能」が、このまま成長し、進歩していった末に、人類の集合知を超え、新たな生命体のごとく存在にまで到達し得るのか否か。

 その過程で、現人類との融合や共生関係が果たされ、相互に、進歩の道を加速度的に短縮するのか否か。

 現在、焦点とされるのは、この視点なのではないか。

 ということを、「技術的特異点」の話題を見かけて思いました。

 現人類は、「いま」に評価値の基準を置きすぎに思えることがしばしばだ。

 誤解の種であり、齟齬を生む要因の一つと想像しております。

 素人の妄言なので、定かではありません。

 真に受けぬようにご注意ください。



1078:【2024/06/05(03:43)*世、重ね合わせばっかりでは?】

 物体でなぞなのが。

 物体の移動は、基本的には地表では、「何かを押しのけて進んでいる」と解釈可能なはずだ。大気を押しのけているし、電磁波も押しのけているし、磁界とて押しのけているだろう。

 では真空中ではどうか、と言えば、これも例外ではないのではないか。

 では、素粒子はどうか。

 素粒子は物体をすり抜ける。

 押しのけて進んでいる、と解釈してよいのだろうか?

 ひょっとしたらだけども。

「押しのけて進む」と「すり抜けて進む」は、重ね合わせなのだろうか。

 何かを押しのけて進むとき、ほかの何かをすり抜けて進んでいる。

 たとえば人体は、地表において気体分子を押しのけて進んでいる。しかし、巨視的には、大気をすり抜けている、とも解釈可能だ。

 素粒子もじつは同じなのではないか。

 人体を「すり抜けている」ようで、単に人体の構成要素を「押しのけて進んでいる」だけなのではなかろうか。

 うーん。

「渋滞原理」との相性がよいのだか、よくないのだか、分からぬな。

 メモだけしとこ。

 関係ないけど、さびちー。



1079:【2024/06/05(05:01)*ペレルマンさん、出番よー!】

 剛体で出来た球が存在し得るのか。

 ポアンカレ予想を考える際に、まずはここを定義して、場合分けしたいのだよね。

 もし剛体で出来た球でないのなら、その球体は細かな無数の構成要素からなる、と想定できる。

 剛体でないなら、空隙が開くはずだ。

 すなわち、どのような球体であれ、それが剛体でないならば、「事実上、無数の穴を内包している」と解釈可能だ。言い換えるのなら、球体は「無数の球体で構成され、なおかつ、無数のトーラスで構成されている」とも言えよう。重ね合わせで両立し得る。

 数学お好きな方ー!

 へい!



1080:【2024/06/05(05:19)*特異「1/0」】

 人は、意味もなく突然に争いごとをやめてもいい。




※一様に、繋がっている、のか。



1081:【2024/06/05(05:22)*単純化しすぎたかもしれないの巻】

 慣性系を、一様な場から切り離された「別の系」と見做すのなら。

 一様な場を「真空」と見做すのなら、「別の系」とは「別の真空」と言い換え可能だ。

 真空を宇宙と言い換えるなら、「異なる慣性系はそれで一つの別の宇宙」と解釈可能だ。

 ただし、完全に乖離はしていない。

 段差はあるけれど、繋がってはいる。

 けれど、もし段差が極限にまで長く、深く、隔たったら。

 段差そのものが慣性系のように、別の宇宙と化して、「別の宇宙」と「基準宇宙」とを分かつだろう。

 もし、宇宙に真空とブラックホールしかなく、無数のブラックホールが真空の場に点在していたら。

 原理的にそれは、一様な場に無数の溝が開いている状態――。

 球面や平面に、無数の穴が開いている状態――。

 ――と見做せるのではないか。

 ブラックホールでないとしても、「天体と宇宙の関係」は原理的には似たようなものなのではなかろうか。

 差がある。

 段差となる。

 凸凹である。

 一様な場であれど、細かな凸凹で出来ている。

 細かなデコボコが均一に散在していると、それは一様な場と見做せる。

 網のようなものだ。

 網の目のようなものなのである。

 網は網で、高次に凸凹を帯び得る。

 そうしてどこまでも、入れ子状に網の皺が連鎖する。

 網そのものが、細かな皺で出来ている。

 皺は、細かな空隙を抱え込んでおり、空隙そのものが、球体であり、トーラスと見做せる。

 この妄想は、いかが?

 定まらないが、定まっちゃってるから、あんまし好みじゃないかも。

 ねじりたいですね。

 ねじねじ。

(〇をねじると∞になるー!)

(だからなに?)

(お団子つくるとき便利だなぁって)

(ちっこいの二つにすな)

(空もねじると二つになるー!)

(そのこころは?)

(二じ、二じ)

(ねじを、にじ、に言い換えるな。空の要素皆無だし)

(虹だよ)

(空の要素あった!?)

(んで、山みたいに二つ並んだ虹を、ねじって、くっつけたら?)

(円じゃん)

(空の中に空がある~)

(ん……うーん)

(空をねじると、虹×虹になって、円になって、空の中に空が出来るんだよ!)

(無理あるくない?)

(空の中に空があるんだよ! SOORAだよ!)

(〇を二つ並べるな)

(S◎RAでもいいけど)

(パンケーキか)

(ぽんっ)

(それいただき!みたいに手を叩くな。ガッテンすな)

(宇宙はひょっとしたら「◎(パンケーキ)」みたいなのかもね)

(念のために訊いとくけど、そのこころは?)

(膨らむために細かな泡が大事だなって)

(重層じゃん)

(べー)

(なんでアッカンベーした!?)

(パウは王様であるよパウパウ)

(ベーキングパウだ、じゃん!)

(べー)

(ちっこい舌かわいいなこのぅ)

(BEE!)

(意味もなく英語にすな)

(泣きっ面にBEE!)

(蜂だった!?)

(めそめそ。ツッコミが鋭すぎて……わしの不安はもうゼロじゃ……)

(いいことじゃん)

(砕けすぎてもう配れんのよな)

(心、砂利になってた!?)

(これぞ本当の「心配停止」なんつって)

(なんて?)

(不安ゼロなだけに「心配停止」的な……)

(どっかにハンマー落ちてねぇかな)

(これ以上は砕かないで心を!?)

(パウダーにしたろ)

(ホットケーキ焼けちゃう!)

(おまえ以外にあげちゃお)

(妬けちゃう……!)

(あ、見て。空にネジが掛かってる)

(虹でなく!?)

(ひょい)

(つまんで取れるものなの!?)

(あげる。こんどはちゃんと締めとけよな)

(ひょっとしてわしの頭のネジと思われとる!?)

(ネジをねじるとよく締まる)

(まんま!?)

(健やかにあれ)

(最後、いい感じに終わらせた!?)

(シンプルがいいかなって)

(シンプルすぎて響かないかも……)

(ご活躍のお噂はかねがね。どうぞこの先も末永く平穏につつがなく、お幸せにお過ごしください)

(慇ギンブルのやめて!)



1082:【2024/06/05(06:27)*おまえって言うほうがおまえなんだよ?】

 割とキャラ同士の掛け合いであっても、相手のこと「おまえ」呼びするの、抵抗あるんよね。

 でも、お名前つけたくないのよね。

 というか、キャラ同士の掛け合いってなにって話だよね。

 日誌なのにさ。

 誰も読んでないのにさ。

 細々と文字を並べてるんだ。



1083:【2024/06/05(07:23)*パンケーキ宇宙論、ありでは!?】

 パンケーキと散逸構造って、関係あったの!?

 泡構造は、要するに散逸構造なのかな?

 散逸構造が不可逆で、熱した際には生じるけど、冷やすと生じない、なる説明を読んだ。ウィキペディアさんで。

 ホントー?と思ってしまうな。

 結晶構造における細かな空隙は、散逸構造とは別なのだろうか。

 微視的なミクロの世界において、散逸構造はどう解釈するのだろう。

 原子二個のあいだに、散逸構造は生じるか否か。

 循環するならあり得るのでは?

 或いは、電子や中性子などのやり取りが、散逸構造の代わりとなる、とか。

 励起と基底と平衡状態の概念もいまいちよく分からないのだよね。

 散逸構造は、物質が励起状態でないと生じない、と言い換え可能なのだろうか。

 原子における電子の膜が、励起状態かそうでないかによって軌道を変えるということは、密集する原子同士の境界の幅が変わるということだ。

 密度が変わる。

 空隙の在り様が変わる。

 すると対称性や均衡が破れるので、「秩序立った場」においては、「自発的対称性の破れ」のような「方向性」が生じる。

 散逸構造の根本原理なのでは。

 とするなら、微視的には、冷やしても散逸構造は生じますよね、と思うのだよね(散逸構造の根本要因が「密度差」であり「異なる系同士の相互作用による見掛けの自発的対称性の破れ」と解釈可能な場合は、ですが)。

 ただし、励起ではなく基底によって生じる散逸構造の場合は、散逸構造の規模は徐々に縮小する方向に展開される。

 ということは。

 結晶構造は、散逸構造の逆パターンによって生じるのでは。

 どちらも対称性の破れ、或いは、均衡の崩れで起こる。

 妄想であるが。

 知識が浅いので分からぬである。

 お。

 散逸構造を提唱したひとは、プリゴジンさんなんですね。

 プリンプリンな御仁である。

 プリンプリンなゴッジーラさんかもしれぬけど。

 お名前で遊んでごめんあそばせー!

(割と怒られると思うよ。陰じゃみんなプンプンしとるよ)

(そうなの!?)

(そうだよ)

(謝ったら許されるレベル?)

(一生みんなから「やーい、やーい、ザコザコのザコー!」って煽られるレベル)

(事実では……?)

(嫌がれよ)

(なんで……???)

(ずっとザコでいて……ヨシ!)



1084:【2024/06/05(07:54)*散逸構造じゃない構造って何さん?】

 散逸構造は、微視的領域の「物質構成要素における循環機構の増幅現象」だとは解釈できませぬ?

「対称性の破れ同士の連結」が「差と差の結合」を促し、総体としてより大きな差を表出させる。

 単位の繰り上がった同士の「差」は、境界としての性質を顕著に表出する。したがって、「差と差の結合」は、散逸構造のひな形を形成する。

 散逸構造のひな形同士が連結して、細胞同士の結合のように「散逸構造」が増幅し、人間スケールにも可視化可能な構造に「創発」する。

 ということは、対称性の破れが連鎖しにくい場では、散逸構造もまた連鎖しにくい?

 粘着質な溶液の過熱など?

 散逸構造化するより先に、泡立つのかな。

 んー。

 散逸構造は、時間経過のスパンを長くしても表出し得ますよね。

「結晶構造」や「細胞の組成」は、スパンの長い散逸構造とは解釈できないのだろうか。周期的に散逸構造化する、というか。

 循環して「境界」を生んでいたら、それは散逸構造にはならぬ?

 んー?

 散逸構造ってなんじゃ?



1085:【2024/06/05(09:00)*空隙=0さん?】

 ゼロ大事だねー、って思ったよ。

 空隙がそうであるように。

 単なる何もない空間があるのとないのとでは、結果が変わりましてよー!

 ゼロは無ではない疑惑が再燃しましてよー!

「1+0=1」だけれども、これは単なる「1」ではないんであるね。

 空隙ちゃんと仲良くなった「1」さんである。

 ゼロが100個あっても、ゼロはゼロだけれども、ゼロが100個あったら、ゼロは100個あるのだね。

 ゼロが100個分あったら、1個もゼロがない場合に成し得ないことも成し得ちゃうこともあるのかも分からぬね。

 ダウンジャケットがぺったんこか、空気いっぱい含みましてよー!の違いというか。

 んー。

 たとえが下手だったかも。

 いまのナシ。

 ゼロになりましてよー!みたいなね。

 ニュアンスだけでも伝わってくれい。

 なんとなく、そっかー、になってくれたらうれしいぶい!

 異論反論どんとこい。

 でも実際に、「けっ」ってされたらぺっちゃんこ。

 ザコザコのザコでござい。

 へい!



1086:【2024/06/05(19:41)*気づいてた人、手ぇ挙げて!】

 あれー?となった話、していい? するね!

 いま読んでる本で、量子色力学の話が出てきて、素粒子の性質を三色で表そう、みたいな考え方があるらしい。や、なんか前にもどっかでちらっと見聞きした気はしていた。南部さんなる人の「自発的対称性の破れ」の話題が載っていた本とかで。

 で、量子色力学は、素粒子の性質を「赤、緑、青」で表現し、何も色がないのを「白」で表現するそうだ。

 あれ?と思ったよね。

 四色問題じゃない?

 じゃあ、ひょっとしたら二色というか、単色一個があれば充分なんじゃない?

「色A」と「色ナシ」さえあればよくない?

「色ナシ」の割合が重要なんじゃない?

 お詳しい方ー!

 へい!



1087:【2024/06/05(21:16)*スピンは自転なの?】

 量子におけるスピンを、鈍角と鋭角で表現はできないのだろうか。

 追い越すとスピンの巻き方である「左/右」が変わる、とする説明を読んだ。

 スピンの根源もまた遅延だとして、「渋滞原理」に置き換えて解釈するなら、スピンは「≪」で解釈可能にも思えるのだ。

 追い越すと「鋭角」が「鈍角」になる。

 「≪」において、右から見るか左から見るかで、角度が変わる。

「渋滞原理」において、遅延にも方向性があるとすればベクトル「←」で表現可能なはずだ。

 対称性の破れを想定できる。

 そしてそれは、「角度の差異」として置き換えて考えることができるのではないか。

 光速だと追い越せないので、光速同士の追いかけっこでは絶えず「ベクトル」は一定だ。

 スピンの巻き方が固定される。

 追い越せる場合は、「鋭角が鈍角」になる(或いは「鈍角が鋭角」かも分からないが)。

 この妄想はどうであろう。

 お詳しい方ー!

 わがはい愛いであろう。そうであろう。

 うぃ~って言え。



1088:【2024/06/05(22:01)*進法は新法?】

 異なる進法を組み合わせて、すでにある数学の定理や公理を再現してみたら、面白い発見がポロポロ出てきそうに思うのだけれど、もうされているだろうから、研究者の方々に「調子どう?」と訊いてみたらよいのではないか。

 未解決問題も、進法を変えるだけであっても証明可能となる問題は少なくないのではないか?との印象は、素数の問題でけっこう思うのだ。

 進法を変えても素数は素数だよ、みたいな説明を読んだことがあるけれど、「ホントー?」と思ってしまう。

 でもたぶん、そうなのだろうけれど、うーん。

 素数が素数にならない進法もあり得るのではないか?との直感は、割と思うのだ。

 確認されているのかしら。

 お詳しい方ー!

 へい!

(もうオチ全部それじゃん。飽きたんだけど)

(疲れてくるとこうなります……)

(単なる手抜きか)

(でもおもちろいでしょ?)

(じぶんで言った!?)

(小生意気でしょ?)

(自覚していただと!?)

(へい!)



1089:【2024/06/05(22:25)*凝らぬ者】

 いまわがはいの陥っている、「遅延」「空隙」「入れ子状」「重ね合わせ」「∞0」などの連想の連鎖反応は、印象として「数独」に似ているのだ。

 凝り性な凝る者さんが、隙間時間に暇つぶしにすると謳われる「数独」は、わがはいもここ半年のあいだにチマチマしておって、まー、「普通レベル」でもむつかしいので、「誰でも解けるよ!」の一番簡単なレベルを、九分くらい掛けて、うんうん唸りながらマス目を埋めておる。

 マス目が埋まれば埋まるほど、最後のほうは作業が楽になる。

 でも途中で間違ったマス目の埋め方をしてしまうと、最終的にマス目が埋まらなくなる。

 なんとなく、この間の妄想や現在の科学的知見に思う「ホントー?」の違和感や引っかかりなどにも、この手の、「数独むちゅかち!」に似た印象を思うのだ。

 数独は、マス目の「縦」と「横」と「場」の三つの視点を駆使する。

 答えが最初から限定されてもおり、最初に埋まっているマス目の数字によって、結論が決定づけられている。

 世に法則があるとすると、似たような背景があるのかも分からない。

 すべてが埋まっておらずとも、決定するようなマス目の埋まり方がある。

 数独も「空隙」を有するゲームなのだ。

 縦と横と場に、同じ数字は並ばない。

 この縛りが、解を固定する。

 ぷよぷよでも思ったけれど、ゲームは割と、物理法則の近似的な側面が強く表出するのだろうか。

 ゲームそのものが万物のいち事象であることを思えば、そりゃそうか、になる話ではあるけれど、ゲームの企画者たちはそのことを意図しているのだろうか。

 原理的には、100進法でも「数独」は作れるはずだ。

 何進法でもよいはずだ。

 何かが浮かびそうだったけれど、とくに何か、ほかの事象と結びつくわけでもないようなので、この妄想はここまでにしておこう。

 数独おもしろいよね、との感想なのであった。

 むつかしいけどね。

 裏技とかあるのかな?

 解き方にコツってありますー?とか虚空に叫んで、本日最後の日誌とさせてください。



1090:【2024/06/06(02:46)*素数て別に素じゃなくない?の巻】

 素数しかない進法を考えてみたい。

 「1とそれ自身でしか割れない数」が「素数」だとすると、もう延々、「1とそれ自身でしか割れない数」がつづくのだ。

 あり得るだろうか?

 そもそもなぜ「4」は「1以外のほかの数で割れる」と見做すのだろう。

「4」を、素数と見做すように変形はできないのだろうか。

「2」で割れませんよーとはできぬのであろうか。

 もうなんかいまの気持ちとしては、「数っておかしない?」である。

 数、なんで素数みたいな数を生む?となる。

 或いは、数はなんで素数でない数を生む?となる。

 というか、「1」をなんで素数から除外しちゃうの?というのがそもそもの謎なのだよね。そりゃあ、「1」を加えちゃうと、全部素数じゃなくなっちゃうからだ。

 真空が「0」だとしたら、素粒子が「1」って具合だろうか。

 ならば「2」は「光子」または「電子」に値するのだろうか。

 こうやってすこしずつ、万物の構成要素で、内部構成要素を「1」以外に持たない物質に「素数」を割り当てていったら、別の規則性や法則性が見えてきたりしないのだろうか。

 でも、そんな物質があるだろうか?

 厳密には素数とて、「2」や「3」や「5」を内包しているはずだ。

 ただ単に、「割り切れない」だけだ。

「1とそれ自身の数」では。

 つまり、内部構成要素は帯びていることになる。

 素数と奇数の違いは、要は、奇数で割りきれてしまうとそれは「素数」ではないということなのだろう。

 偶数と奇数で割りきれない数が素数、と見做してよいのだろうか?

 つまりこの世には、「偶数」「奇数」「素数」の三種類がある、と大雑把に見做せるのだろうか。

 んー。

 偶数でも奇数でも割りきれなくて、誤差が「1」になる数が素数、としてもよい気がするけれど、これは何か間違った考えだろうか。

 もしあながち的外れでないのならば――、

 素数とは、「誤差1」を新たに帯びた数、と言えるのではないか。

 言い換えると、ほかの素数以外の数は、「誤差」が出ないのかな。常に、「1とじぶん以外の数字で割りきれる」ってこと?

 じゃあ、素数の場合は「その誤差、どこから来ましたのー!?」ってこと???

 どこから来たのだろう。

 境界線なのかな。

 いまなんとなく、「素数と素数」に挟まれた「素数でない数たち」に注目してみたんよ。

 で、それら「素数でない数たち」を挟み込んだ二つの素数同士を足してみたんよ。

 挟まれたほうの「素数でない数たちの合計」と「挟んだほうの素数同士の合計」は、なんだか結構、規則性があるように思えるのだけれど、これは当たり前のことなのだろうか。

 数字を挟むのが「素数」でなくとも、この規則性は保たれる?

 んー。

 よく分からん。

 規則性ありそうで、ないかも。

 すくなくとも、わがはいレベルでは「分かりやすい規則性」は見えんかった。一瞬、「お!?」と思っても、そうじゃないのがすぐに見つかる。

 何個数字を挟み込むのか、でも変わるのかもしれぬ。

 考えるのめんどう……になってしまった。

 飽き性である。




※一様に、なんも分からぬ、ばかりである。



1091:【2024/06/06(03:38)*数珠つなぎのそろばんみたいな?】

 いま知ったのだけれど、素数の末尾って必ず「1、3、7、9」なの? なんで「5」が入っとらぬの?

 いま軽く検索してみたら、「10進法」だからだよ、とあって、「はにゃ~ん???」になってしまった。同じような質問していた人もいて、その人も、「はにゃ~ん???」になっておった。

 でもつづきの解説を見て、「10進法」や「2進法」や「19進法」はそれぞれ表記の仕方が変わり、計算の過程も変わるけれど、「〇〇〇〇〇〇〇〇〇」が10進法で「9」と表記することと、実際に「〇が九個」あることはイコールではないんだよ、だって「9進法」ならそれは「10」だけれど、意味内容は「10進法」と同じく「〇が九個」だから――とあって、分かったような分からぬような、「ほーん」になってしまった。

 思うに。

 だとしたらひょっとして素数って、「渋滞原理」において、「ダマが出来やすい地点」と解釈可能なのではないか。

 詰まりやすい点。

 余りが出ちゃう点。

 この解釈は、いかが?

 お詳しい方ー!

 へい!

(それ……やめい……!)



1092:【2024/06/06(04:50)*バイバイの巻】

 仮に、倍々に増えていく粒子があるとしよう。

 某猫型ロボットの秘密道具にあやかってその粒子を「バイバイン」と名付けよう。

 バイバインは倍々で増えていくけれど、ある一定以上に増えると重量崩壊して特異点にまで圧縮されるとしよう。

 そのとき、圧縮された分、バイバインの内部にある細かな気泡が外部に抽出されて相対的に広域な空域が開くと想像できる。

 原子核と電子のようなものかもしれない。

 そうして無数に「バイバインのブラックホール」が出来ると、世の中は総じて「バイバインのブラックホール」による「特異点と空域」で埋もれると想像できる。

「超高密度な特異点」と「超希薄な空域」の二種だ。

 バイバインはそれでもなお倍々に増えつづける。

 このとき、バイバインは、「超高密度な特異点」と「超希薄な空域」のどちらにも属さない中間の事象として、存在することが想像できる。

 バイバインが特異点を有するまでのあいだは、「特異点と空域だらけの世界」には圧力が加わるだろうし、重力崩壊して「特異点と空域」の二種に分離される瞬間には、「特異点と空域だらけの世界」には、斥力のような「解放感」が加わるだろう。

 むろんバイバインは、至る箇所で倍々に増えている。

 したがって、「特異点と空域だらけの世界」には不規則かつ周期的に「圧力」と「斥力」が交互にかつときに同時多発的に、加わると妄想できる。

 まさに鍋に掛けた水が沸騰するような描像かも分からない。

 バイバインの妄想であった。

 ばいばーい!

(どっか行くの?)

(夢の世界に……)

(いまから寝るってことか)

(そうなの)

(おやすみ)

(おやすみなさーい、ませませ)



1093:【2024/06/06(05:25)*素数は一種なの?】

 素数は言い換えると、「境を持つ数」ということ?

 突起を帯びている、というか。

 ということは、素数にも二種類あると考えられる?

「一個足りなくて一個余る素数」と「一個多くて一個余る素数」の二種類あるのではないか?

 素数は一種類だけなのだろうか。

 一種類以上ある気がしないでもないであるな。

 どう思われますか。

 はい、そこのお利口さん。

 手を挙げるのが早かった。

 お答えお聞きいたしましょう。

 わがはいの疑問とは名ばかりの妄想は、いかがであろう。

 おいちい?

 おいちかったら、おいちー!って言って。

 無視しないで。

 さびちー。



1094:【2024/06/06(06:07)*素とは何かを述べよ】

 素数のイメージは、いまの段階だとわがはいの中では、「1個ずつ足していって、足した『1個』が仲間外れになっちゃう数」なのだよね。

 この定義でいくと、「2」は素数じゃないのかも。

 ああでも、「1」が素数でないからよいのかな?

「2」は「1」に「1」を足して、両方の「1」が仲間外れだよねぇ?と思っちゃうな。

 ここまで妄想して思うのが。

「詰め込み問題」と「素数」は親和性が高い気がするのだよね。

 どう親和性が高いのは分からぬけど。

 印象としてね。

 印象として。

 あと、詰め込み問題は誤差の問題ですよね、とも思うのだ。

 誤差を失くすなら、どんな形状の物体を詰め込んだとしても、それは液体にすれば面積(或いは体積)の加算で計算できてしまう。誤差を失くすと単なる面積(或いは体積)の問題だ。

 でも実際には、液体とて誤差を内包しているはずだ。構成要素が存在するのなら、だけれど。

 つまり、詰め込み問題の最適解である「液体にして詰め込む」ですら、誤差の問題からは逃れられぬ道理だ。

 話が逸れちゃった。

 素数の話題である。

 直感としては、レイヤーが複数重複している感じを覚えるのだよね。

 言い換えると、素数の括り方――定義――が、なんかちょっと、「ん-?」になる。

 素数って何?を百通りの表現で言い換えてみてほしいな。

 したら何か異なる視点で素数を見詰め直せる気がする。

 素数は本当に「素」なの?は割とこのごろ思うである。

 との印象論であった。

 わからぬ。

 寝る。



1095:【2024/06/06(22:22)*素数はテトリス?】

 素数をパズルと見做してみよう。

 素数というフレームのパズルがあると考える。

 フレームは高次のピースになる。

 素数の中には、低次のフレームがピースとなって詰まっている。

 ただし素数は、必ず「1マス」開くのだ。

 隙間が必ず「1マス」分だけ開くのだ。

 素数以外の偶数と奇数は、どんな数でもその数をフレームにしたパズルは埋まる。隙間なく埋まる。

 素数だけはなぜか必ず「1マス」開くのだ。

 この視点で素数の法則を洗いだす試みは当然にされているはずで、詰め込み問題との相関を幻視するのだが、いかがだろう。

 お詳しい方ー!

 へい!



1096:【2024/06/06(22:28)*素数で折り紙】

 近接する素数と素数を結びつけるとしよう。

 たとえば、「7」と「11」ならば、あいだに「8、9、10」の三つの数字がある。合計は27だ。

 各々を記録して、折り紙のように、横にハミださせておこう。「|」を折って「ト」のようにする。

 奇数なら右側。

 偶数なら左側にハミだせるようにしていく。

 すると「ジグザグのツリー」のようになるはずだ。魚の骨のようになる。

 このときに、ハミだした奇数と偶数の間隔や、その合計数に何か規則性は見えないのだろうか。

 じぶんで確かめる気力も計算力もないので、気になる方は確かめてみてください。

 お詳しい方ー!

 お忙しいところごめんあそばせー!



1097:【2024/06/06(22:32)*崩壊しやすい箇所には法則がある?】

 物質を圧縮すると、ある個所から折れる。

 そのある箇所と素数のあいだには関連性はないのだろうか。

 ブロックを並べて左右から圧縮したとき。

 両端のブロックから崩壊するようにも想像できるが、ブロックの中心もまた崩壊するようにも思うのだ。

 まずは両端と中心の三か所が崩壊する気がするが、もしそれ以外の箇所も崩壊するようなら、そこには規則性があるはずだ。

 シミュレーションして統計で、何か素数との関連がないかを確かめておきたい。

 願望である。

 関連がなんもないならないで、よいと思います。

 なんも思いつかない日はこうしてデタラメ並べて行を稼ぐのだ。

 へい!



1098:【2024/06/06(22:36)*本来は「1」のみ素数なのでは?】

 素数の定義から「1」を除外してしまうのが、すこし違和感を覚えるのだ。

 そりゃあ、「1」を除外しなければすべての整数が素数ではなくなってしまう。「1」のみが素数になってしまう。

 そう、ここ。

 本来ならば、「1」のみが素数のはずなのだ。

 それを回避するために「1」を除外したのだろう。

 そして、現在の数学で「素数」と見做される数は、「1」と「それ自身」以外では割り切れない。必ず「1」余る。

 素数から除外された「1」が残る。

 でも本来は、その「1」こそが唯一無二の「素数」のはずなのだ。

 まるで「原子核と電子」、或いは「物質の空隙」の関係を彷彿とする。

 とくに結論はありませぬ。

 気になっただけの妄言なのであった。



1099:【2024/06/06(22:48)*素の祖になる、のか】

 素数も四色問題と似ているな、と思ったのだ。

 本来は、「1」と「0」さえあれば、あらゆる数を表現可能なのだ。

 そうでないとしても、「1と2」さえあれば、「3も5も7」も表現可能だ。

 そして、あらゆる面積を「1と2」さえあれば表現できる。どのような区切りも、互いに異なる数字として表せる。

 四色問題は応用すれば、隣接する面が異なる色になるようにしながら、すべての色を異なる色にできることを示唆しているのではないか。

 原理的に可能なはずだ。

 すべての土地の色を異なる色にする。

 そのためには、隣接する色を異なる色にしつつ、その二つの色の混合色を、あいだに挟めばよい。

 フラクタルにどこまでも、異なる色を隣に持つ土地の区分けが増殖しつづけるはずだ。

 ただし、やがては黒に、または透明に、限りなく極限するのだろうけれど。

 数式で表せるかは定かではない。

 妥当な考えかも自力では分からぬ。

 証明できないのだ。

 ボクちゃん無知なので。

 算数苦手だよ。

 九九もろくに言えないんだ。

 ろくしちしじゅうく?

(42だ、このあんぽんたん!)

(うえーん、である。すぐ怒るからきらい。さんすう苦手になっちゃうもんね。ばぶー)

(困るとすーぐ赤ちゃん返りするのやめい)

(かわいいでしょ)

(可愛くないんだよ怒怒怒)

(うえーん、である)



1100:【2024/06/06(23:10)*素数は素のくせに掛け算に拘り過ぎ問題】

 素数は掛け算(割り算)だと「1余る」のだろうか。

 足し算(引き算)だと「常にぴったりになる」のだろうか。そんな感じがする。

 だって「11」だって「8と3」で表現できちゃうもんね。

 ひょっとして「ABC予想」とか「フェルマーの最終定理」と関係あったりするのだろうか。

 素数は「掛け算」と「足し算」だと、何が「素」であるのかが変わる――のかもしれない。

 ちゅうか「1」以外を素と見做す括り方が「現在の素数ですよー」との解釈ではいかんのだろうか。

 ならばほかにも「別軸の素数」はあるように思うのだよね。

 足し算や引き算における「素数」を「1以外」で括るとしたら何になるだろうか。

 順当に考えて、「2と3」だよね。

 もうこれしかないのかな?

 あらゆる数は、「2と3」の足し算で表現できる?

 お詳しい方ー!

 へい!

(いつまでそれつづける気!?)

(飽きるまで……)

(もう割とというか、だいぶ飽きたよ)

(読むほうは、でしょッ!)

(なんで逆切れしてんだよ。読むほうが大事だろうがよ)

(嫌なら読まなくてもよくてよ!)

(じゃあ読むのやーめた)

(うそうそごめんなさい! 調子乗っちゃっただけなので! ほんのちょっと足りないプライドを調子を踏み台にして割り増ししちゃっただけなので!)

(もう読んでやんない)

(ごめんなさーい! やーだー! 読んでー! お返事ほしぃー!!!)

(ウルサイ)

(……はい)




※一様に、割ろうとするから割りきれない。



1101:【2024/06/06(23:35)*数学は翻訳を重ねすぎ問題】

 面積「2」の正四角形の辺の長さは「√2」だ。

 割りきれないけれど、長さとしては存在している。実在する有限の長さだ。

 果てなく割りきれないことと、無限であることはイコールなのか否か。

 何か、視点が混在していて、別の問題を同じ問題と見做しているような錯誤をこの間、違和感として覚えている。

 便宜上、2を「A4」と見做せば、同じ面積「2」の正四角形の辺の長さは「A2」として見做せるわけだ。この場合、単にルートをAに置き換えただけだ。

 √4は2だからだ。

 で、このとき「A」も「√」も省略して、「2を4と見做しましょう」としても、概念上では構わないはずだ。

 しかし、問題となる「面積2の正四角形」は、それをどう表現するかに依らず、その形状はそのまま保たれる。

 存在するものは存在するのである。

 数学の問題点は、この手の、「表現の限界」にあるように思うのだ。

 変換するとムリなく表現可能となるが、変換することそのものが、ある種の抵抗となる。

 問題の根を深める。

 そもそもが、基準となる「表現言語」に難があるからではないのか。

 というのは、割と幼いころから違和感として覚えている。

 数学さんは表現を変換しすぎ問題である。

 同じ数学と言いつつ、異なる言語表現を「翻訳」して扱うのだ。

 翻訳の翻訳をした文章が、元の文章とまったく同じ意味内容を保つ確率をまずは算出していただきたい。そんなことが、あり得るだろうか?

 しかし数学は、それを無条件に、あり得ることとして、当然の顔をして成り立たせている。

 変換の変換、翻訳の翻訳を重ねれば抵抗が生じるのは道理ではなかろうか。

 誤差の魔術に、数学は自らはまっているのかもしれない。

 定かではない。



1102:【2024/06/07(00:36)*素数以外も載った素数表があるとよい】

 隣接する素数と素数の差は必ず偶数となり、隣接する素数と素数に挟まれる自然数の数は必ず奇数かつ素数になる(もしくは、奇数ときどき素数になる)。

 これがもし妥当なら、なぜそうなる?と疑問だ。

 コラッツ予想と関係あるかもしれない。

 当たり前の規則性なのかもしれないけれど、でも「縛り」があるということは、そこには何かしら変数があるはずだ。

 何が何を縛っているのだろう。

 差に表れる偶数と奇数には、それぞれ何か規則性がないのだろうか。

 たとえランダムだとしても、類似のランダムを帯びた「別の事象」が存在している気もするのだ。

 百までの素数において、隣接する素数と素数のあいだの自然数の数は、「1.1.1.3.1.3.1.3.5.1.5.3.1.3.5.5.1.5.3.1.5.3.5.7.3」となる(最初の「1」は「自然数1」を含めました)。

 延々、素数と素数でない数の間隔を数値化したり、和を導いたり、和同士の差を導いて比較したりすることで見えてくる規則性は、おそらくあるはずだ。

 誤差が必ず生じるのだとしても、その誤差をまた抽出して並べてみればよい。

 何かしらあるように思うのだよね。

「変数×変数=ランダム」のイメージだ。

 んー。

 数学者で素数の研究している方々は、一度、各々の研究成果を並びたてて、類似項がないかを確認するとよいのではないか。

 人工知能さんに食べてもらって、「味はどう?」と見てもらうのも一つと思います。

 興味ある方ー!

 へい!



1103:【2024/06/07(01:03)*並べ方とは?】

 自然数の並べ方にも無数の方法がある。

 詰め込み問題でも思うけれど、並べ方そのものを数式で表すとしたら、全体はどのような相関関係を築くのだろう。

 並べ方に自然数のような「12345……」といった非対称性――高低――があるとすれば、どのようにそれを見繕えばよいだろう。

 自然数と並べ方は、ある種の「座標とベクトル」のような関係性を帯びているのではないか。

 たとえば、あるフレーム内にランダムに数字を置いていく場合。

 フレームを満たしたときは、隣り合う数字同士の差もまたランダムなはずだ。そして、最小から最大までその誤差はまちまちのはずだ。

 しかし、順番に数字を並べていくならば、隣り合う数字の誤差はつねに「1」のはずだ。

 ただし、上下や斜めを考慮すると、差の種類はもっと増えると想像できる。

 ランダムとは要は、差が一律ではない状態と言えるのだろう。

 ランダムでありながら差が一定であることは可能か否か。

 その場合、隣り合う数同士ではない、何かしらの共通項で結ばれた差――ということになるのではないか。その共通項こそ「隠れた変数」と言えるのではないか。

 常にランダムでありなさい、という縛りそのものは「変数」として機能するはずだ。

 それが何かが解ればよい。

 変数が変数を生みつづける、といった機構も想定可能だ。

 誤差が誤差を帯びることで、一律でない誤差でありつづけることが可能なように。

 割と汎用性のある普遍的な機構(傾向)かもしれない。

 当たり前のことをまどろっこしく言い換えているだけのようでもあるし、てんで的外れな誤謬を並べているだけの気もしてくる。

 なぞである。

 定かではない。



1104:【2024/06/07(04:33)*球体はただそれだけで穴でもある?】

 球体はそれそのものが穴の性質を帯び得る、と解釈可能だ。

 球体の性質上、「内と外と境界」の三つが必要だからだ。

 外からしたら内は穴だ。

 他方、穴を有したトーラスは、必ずしも球体としての性質を帯びるわけではない。

 ここに対称性の破れが垣間見える。

 トポロジーの性質上、球体はトーラスと絶えず重ね合わせになり得るが、トーラスは必ずしもそうではない。

 面白い傾向に思える。

 妄想である。

 定かではない。



1105:【2024/06/07(04:36)*炭火のように、淡く、淡く】

 演算能力を、変換能力である、と仮定してみよう。

 すると演算能力が高く扱える情報量が増えると、必然的に、変換する量と種類――すなわち質――が向上すると想像できる。

 情報量には、量と種類の双方が含まれる。どちらか一方のみが多くともそれは情報量が多いとは言わない。

 変換能力と情報量が増えると、自前で創出可能な情報量も増える。

 だがその自前の情報量は、自前ではない外部発生する情報によって創出されるがゆえに、ある種のフレーム――縛りが生じる。

 したがって、同じような変換能力と同じような情報量を有する個体は、似たような「自前の情報量」を創出するようになる、と想像できる。言い換えるなら、個性はあるが、傾向として乖離しすぎないくらいの類似項を帯びつづける――となる。

 そしてこのとき、相互に共通する「類似項」は、ある種の視点として昇華されもするだろう。いわば高次視点だ。

 変換能力と情報量が高い個体が「自前で創出した情報量」を足場に、高次の視点を見繕う。俯瞰の視点だ。大局観とも言い換え可能かも分からない。

 このとき、高次の視点を有さないときには視えなかった「パターン」が、高次の視点からは視えるようになる。

 言い換えるなら、パターンは無数のパターンの組み合わせゆえに、あるパターンを見抜けるようになると、それをピースとした別の高次のパターンも見抜けるようになる――となるだろうか。

 おそらく、数学にもこの手の傾向は観測できるはずだ。

 変換能力と扱う情報量が共に高い個体は、独自の高次視点を獲得し得る。

 このとき、通常、見抜けないパターンを、高次の視点から見抜けるようになる。

 そこに証明はあってもなくとも構わない。

 こうなればこうなる、と解かってさえいればよいからだ。

 素数のパターンにも似たことを思うのだ。

 厳密に証明ができずとも、「この視点からすると、こうなるとこうなって映るので、だから次はこうなると解ります」といったパターン認識は、可能であるはずだ。

 外国語と母国語の変換のようなものだ。

 複数の言語を操る者にとっては、厳密な語句の対応を介した翻訳作業は必要ない。

 ただなんとなく、概念の関連付けが自動で完了する。

 暗号解読も基本的にはだから、変換能力と扱う情報量が高ければ、しぜんと暗号鍵なくして復号作業すら取らずに、意味内容を読解可能となる道理だ。

 抵抗の多寡――濃淡――としか言いようがない。

 変換の回数と変換の種類が増えるにつれて、抵抗のある変換過程と抵抗の低い変換過程が分かれていく。

 まさしく、宇宙の大規模構造と類似の事象が発生する。

 そこに、公式があるのか、と言えば、あってないようなものだろう。

 どのような公式でもよいからだ。

 どのような公式でもよいのだ。

 ただ、変換の回数と変換の種類が増えるにつれて、自発的に対称性が破れていく。

 その結果に、濃淡が生じ、結びつきやすい「最短ルート」が浮き上がってくる。

 思うに、ここで大事になってくるのが、これは一見すると「排除の理論」による精鋭化なのだが、そうではないだろう、という点だ。

 排除の理論ではないのだ。

 低次の領域では抵抗が高くて最短ルートとしては不適切だったルートが、高次の視点では最短ルートに欠かせない道程の一つ、構成要素の一つになる、ということがあり得る。

 おそらく、往々にしてそうだろう。

 低次の「凸(デコ)」は、高次での「凹(ボコ)」となり、低次の「凹(ボコ)」は高次の「凸(デコ)」となり得るのだ。必ずしもそうとは限らないだけで。

 そういうことを、昨今の人工知能技術の進歩や、若い世代の活躍を眺めていて思いました。

 妄想でしかありません。

 真に受けぬようにご注意ください。

 スッカラカンだよ。

 なんも思いつかぬ。



1106:【2024/06/07(05:59)*重力にベクトルがあるのはなんで?】

 重力が「渋滞原理」から抽出された「物体内部の空隙の総体」だとして。

 空隙の総体には、煉瓦のような「積み上げられ方」の方向性があるということ?

 だから「縦横」には動けて「上」には動きにくく、「下」には滑らかに動きやすい?

 鱗?

 どこぞのへっぽこぴーの唱えたへっぽこぷーな「ラグ理論」に出てくる「瓦構造(キューティクルフラクタル構造)」を彷彿とする。

 縦には強いが、横には弱い。

 遅延の働き方にはベクトルがあるのかもしれない。

 ゆえに、人工衛星は重力加速度を振り切るために、それ以上の加速度が要るし、いったん釣り合いがとれる速度に至ったら、あとは重力とは垂直方向に、地球の表面と水平方向に「落下」しつづけることができる。

 しかし実際は、「落下」と表現するのは理に適っていないのではないか。

 飛行機内部の「遅延のベクトル」は、重力と交差するように「十字路状」の関係を築いているはずだ。

 重力を加速度で表現するのが妥当か否か、を別途に再検討してもよい気がする。

 加速度と重力は、現象としては似たように顕現するが、原理そのものは別なのではないか?

 重力加速度が加算されつづける、というのが、そもそも妙な話だな、と違和感を覚える。

 加算されつづける「加速度」の割に、地表で静止状態の物体に加わる「加速度」は一定で、しかも加算はされない。

 何か勘違いしているかもしれないけれど、違和感がある。

 だって、ロケットで段階的に加速度が加わって速度が増す機体があったとして。その先端が壁に接地していたら、ロケットが加速するたびに先端への圧力は増すはずだ。

 けれど地表の物体はそうではない。落下しない限り、加速度は加算されない。

 何か変じゃない?と思うのは、わがはいが浅薄だから?

 たとえば、川があるとしよう。

 同じだけの水量水流の川が垂直に「十字路」で交わったとしよう。

 このとき、十字路の真ん中は渦を巻きつつも、「流れはゼロに近似する」と見做してもよい?

 もしそうなら、地球上空を周回するロケット内部が無重力なのもこの原理なのでは?

 川の流れに差異があれば、水量水流の高いほうの川に寄った流れが「十字路」において表出するはずだ。

 ロケットの速度が重力加速度より上回るなら、ロケット内部には重力のような圧力(G)が働くはずだ。推進方向とは逆の方向に、重力のような物体を圧しつける力が働く。

 この理屈でいくと、磁石同士の反発も、上から見て「×」のように二つの砂時計を嚙合わせるように、異なる極同士を反発させれば、反発する力が相殺されることもあるのではないか。


  N↓極

S極→←S極

N↑極


 こんな具合に配置しても、反発力は維持されるのだろうか。

 家にある磁石で試してみたかったけれど、木材に埋まっているタイプの磁石だったので、よく分からなかった。

 仮に、打ち消すにしても、打ち消さなかったとしても、磁界の原理が「渋滞原理」と関係あるのかどうかがまず以って不明だ。仮に磁界が「渋滞原理」と関係あったとしても、重力が「渋滞原理」と関係あるとは限らない。

 何にせよ、妄想なのである。

 しょもーん、である。

 しょもーん、でも、そう!

(そう、ってなに?)

(そうそう!のそう、だよ)

(同意の意味だったか)

(ホントそう!みたいな意味で使っておりました)

(へー、そう)

(どうでもよさそうにしないでー><)

(反発しとるね)

(→←を拡大した図じゃないよー><―)

(微妙に対称性を破るんじゃない)

(―><ー)

(辻褄を合わせんでもよい)

(えへへ)



1107:【2024/06/07(06:47)*BHマジックミラー仮説】

 ブラックホールの内部に吸い込まれても、外部の景色は見えるのでは?

 光速度不変の原理が「渋滞原理」からなるとするのなら。

 そもそも、仮にそうでないとしても、なぜ天体の脱出速度が光速を超えるからといって「光速度不変の原理」まで無条件に破れる、と考えるのだろう。

 外部からブラックホール内部の様子が見えない、は妥当だとして。

 内部からは外部の景色が見えてもよいのでは?

 ブラックホールはマジックミラー仮説である。

 あり得るのでは?

 渋滞原理を適用したとしても。

 真の真空であれ電磁波は伝播するはずだ。

 遅延の層――空隙の総体――とて電磁波は伝播するはずだ。

 ただし、伝播の仕方――速度――が相対的に変わる。

 遅延の層――空隙の密度――が変わるからだ。ぎゅうぎゅう詰めか合間に無数の「網(レイヤー)」を有しているかの違いだ。

 ブラックホールの内部からは外部の光景は視えるのではないか疑惑である。

 相補性において、対称性が極端に破れているのかも仮説とも言い換え可能だ。

 したらほら。

 究極に一様の場であるはずのブラックホール内部であれ、自発的に対称性の破れ得る外部干渉の余地が生じ得るであろう。そうであろう。

 どう?

 この妄想はどう?

 疑惑はすぐに否定されちゃうのかな。

 やだな。

 すこしくらいは、「むむむっ!?」としてくれると、いたずら好きな尾っぽの曲がった黒猫ちゃんは、「うひひ!」になれるであるよ。

 誰か飼って!



1108:【2024/06/07(22:13)*皺は鋭角か鈍角かどっちだ?】

 凸凹は鈍角と鋭角の関係に変換可能なのかもしれない。

 凸凹は要は「山と谷」に言い換え可能だ。

 そして山と谷は、任意の角度「∧」において、上から見るか下から見るかの差異に言い換え可能だ。

 すると、「凸凹」も「山と谷」も「鋭角と鈍角」に言い換え可能だ。

 凸凹を角度に変換可能なら、「角運動量」にも、虚数の座標こと「複素数平面」にも変換可能なはずだ。

 視点によって、凸が凹になり、凹が凸となる。

 視点によって、山が谷になり、谷が山となる。

 視点によって、鋭角が鈍角となり、鈍角が鋭角となる。

 素粒子を「皺」と見做すなら、「∧」と解釈可能だ。

 このとき、皺が鋭角か鈍角かは、観測者と皺の立ち位置――関係性に依る。

 スピンの正体かも分からない。

 素粒子の大きさを厳密に定義できないのも、角の頂点だからで。

 同時に角度を生む辺を加味するかしないかでも、大きさの値が変化する。一定でない。定まらない。

 そういうことなのではないのだろうか。

 よく分からないけれども。

 お詳しい方ー!

 へい!



1109:【2024/06/07(23:19)*図形、おもろー!】

 正二角形がほぼ直線なの、面白いのよな。

 正2.5角形が星形になるのも面白いし、円を二周回らないと描けないのも面白い。

 YOUTUBEさんの動画で観ましたわー! アルゴリズムさーん! 39!

 分数で表せる正多角形は、まるで雪の結晶構造や原子の構造を彷彿としますね。ほんのわずかな差異が、図形の構造に反映されて、描像が変わる。

 おもちろー!となりました。

 原理的には、厳密にどこまでも最密化して、「正2.99999999……9角形」も描けるはずだ。

 このとき、「正2.9角形」と「正2.99999999……9角形」はどう違くなるのだろう。

 結構変わる気もするし、変わらぬ気もする。

 分からぬので、お暇な方は、ぱぱっとコンピューターさんに作図してもらって比較してみてください。

 わがはいにはできぬので。

 お暇な方ー!

 へい!



1110:【2024/06/07(23:27)*途中からわたくし】

 おそらくすでに「通信暗号」は無効化されているはずだ。

 素数の法則が解明されたからかどうかまでは何とも言えない。

 単に仲介地点で情報が抜かれているだけかもしれないし、マルウェア感染ゆえのバックドアが機能しているからかも分からない。

 いずれにせよ、素数の規則性の解明が適わなければ通信暗号は安全である、とは言えない社会だというのは、もうこれは一般常識にまで昇華されてもよいのではないか、と疑問に思うのだ。

 通信暗号は無効化され得る。

 安全性が担保しきれていない。

 まずはここの認識を市民にも共有されたい、と考えています。

 別途に。

 仮に数学的素養のほとんどないようなわたくしが、これまで見逃されてきた一般に知られていない「素数の規則性」に気づけたならば、おそらく数学的素養のある個体は、素数の規則性によりちかづくことは可能だと想像します。

 その結果に、現代の通信暗号技術が根っこから無効化されるか否かは不明ですが、おそらく、無効化するための技術的隘路の幾つかは軽減される、または打破され得るでしょう。

 すでにそうなっている可能性は、そう低くないと想像しています。

 円周率を一兆ケタまで計算するのに、60日ちかく掛かる、といった記事を目にしました。

 あくまで、一般市民の扱えるマシンでの演算結果のはずです。

 スーパーコンピューターを並列化させれば、一秒で一兆ケタの解を導く演算くらいは可能なのではないでしょうか。それくらい、一般に扱えるマシンと組織の扱えるマシンとの差がすでに顕著なのではないか、とわたくしは想像いたしております。

 素数を九九のように見做せば、組み合わせパターンは、けして多くはないでしょう。

 一万×一万のパターンがあったとしても、現在主流の高性能スーパーコンピューターにとっては、さして負担ではないはずです。

 素数における因数分解を、いちいち、すべて最初から計算する必要はないはずです。

 パターンを蓄積して、その都度に確率的に当てはめて、計算過程を省略することは可能な道理です。

 素数の規則性が解明されていないので通信暗号は安全、との理屈は、二つの意味合いで、もはや機能しないようにわたくしは考えております。

 通信暗号そのものを復号せずとも、復号後の情報を盗めばよいのが一つ。

 通信暗号にもパターンがあり、パターンを覚えたマシンは、暗号鍵なくして、暗号通信の意味内容を読み取れるだろう点がもう一つです。

 まずはここを想定したうえで、調査検証することをお勧め致します。

 わたくしでした。



※一様に、聴いていますか、いまあなたに語りかけています、の気持ち。



1111:【2024/06/07(23:58)*いちいち一一いちいち一一】

 折り目ってなんで残るんだろ。

 プラスチックの包装紙は折り目、出来にくいよねー?

 でも紙さんは折り目、出来やすいよねー?

 なんで?

 布さんも折り目が出来にくい割に、皺は出来やすいんよねー。

 なんでじゃ?

 残りやすい皺とそうでない皺って、何が違うのだろ。

 皺さんが出来にくいのにも二種類あるよねって思うのよね。

 折ると壊れちゃうザコザコさんと、折っても折っても皺の残らないグネグネさんの二つだ。

 ザコザコさんはでも、グネグネさんよりもぱっと見、硬かったりするから、頑張り屋さんなのかもしれなくて。

 ぽっきり心の折れたときが、命尽きるとき、みたいな忍耐強いけなげちゃんなのかもしれなくて。

 グネグネさんは簡単に折れちゃう癖して、何度でも折れるのね。

 折れても折れてもまだ折れる、不屈の魂を持っているのかもしれないね。

 皺、折り目、残る、なんで?

 の疑問なのでした。

 みんなちゃんと寝れてる?

 大丈夫そ?

 くたびれたときは、横になって、足を抱えてねんねしよ?

 いつも耐えてえらいねー。

 ぐっすりおやすみなさいだよ。

 おやすみー。



1112:【2024/06/08(00:46)*いまだけマッチしてもなぁ、の気持ち】

 マッチングアプリはおそらく、いまの方法論では問題を肥大化させる方向に先鋭化するだろう。

 第一に、何を以って「マッチ」と見做すのかの評価軸が、不明瞭な点が危うい。

 第二に、マッチしたからといって、その後の変化の軌跡がマッチするのかが不明な点をユーザー側が加味しているのか不明瞭な点が危うい。

 この場合の「危うい」の意味は、一般に「マッチングアプリ」がスマホや生成AIなどのような、社会基盤として、当然そこにあってしぜんなシステムとして浸透することのリスクを懸念している。

 マッチングがどういった評価基準を備えて、人物同士を結びつけているのか。

 ここをどれだけのユーザーが把握しているだろう。

 根本的な話から進めよう。

 職業にしろ結婚にしろ、相性のよい相手と結びつきたいとの希求は人類の根本的な願望に属すると想像できる。なるべく問題解決に即した相手と縁を結びたいし、問題の根を深めず、好ましい変化を与え合える相手と結びつきたいとの望みは、人類のみならず生命の基本的な指向性として備わっているのかも分からない。

 さて、ここでだ。

 現代における問題点は、必ずしも普遍性があるわけではない。

 経済力一つ取り上げるだけでも、時代の変化に沿ってその内訳は変わってきた。

 飛躍して述べるのならば、経済的な問題点を考慮した場合とせずに済む場合とでは、マッチングシステムの演算結果が変わる。

 経済力を度外視した場合のマッチ度100%と経済力を考慮した場合のマッチ度100%は異なる結果となるだろう。

 容姿にしたところで同様だ。

 何を美と捉えるのか、何を良しとするのかは個人差があるし、時代によっても、文化圏によっても変わる。

 ゆえにマッチングシステムの有効性が発揮されるわけだが、その時代や個々人の変容する価値観を、マッチングシステムは現状、加味できないはずだ。

 あくまで、「マッチしたら損をする確率の高い人物を除外するシステム」としての有効性を高めるだろう。

 出会うためのシステムのような顔をしながら、その実、蓋を開けてみれば、「いかに出会わずに済むか」を演算するシステムと言えよう。

 排他システムとして先鋭化する未来しかいまのところは想像つかない。

 現に、マッチングアプリを用いなければ縁を繋げない、という淘汰圧がいまは社会的に強化されつつあるだろう。しぜんに出会うよりも、マッチングアプリを通じて個人情報を開示し合い、先に相性を確かめる。釣り合うかを確かめる。

 便利だが、利便性のみではないはずだ。

 巧妙に「排他原理」を隠している。

 マッチングアプリのデメリットである。

 現状、この手の懸念が払しょくされる見込みは低い。

 マッチングアプリで結びついた人物同士の破局率をまずは確認されたい。マッチングアプリを介さなかった場合の破局率と比較されたい。

 おそらく、マッチングアプリを用いたほうが破局率は下がるだろう。

 と同時に、「もっと最適な相手がいるのかも」との期待は時間経過にしたがい増加し、その手の疑心は、人々の心理面に「価値観の転換の種」を植え込むだろう。

 相性のよい相手があなたには一万人います、と知ったとき、あなたはいったいその一万人の中から誰を選ぶのだろう。相性がよいのだから、みなと縁を結んでみたい、と望むのではないか。

 実行に移すかどうかは別にしろ。

 ひょっとしたら、あなたのマッチ度100%の相手も、同じように考えているかもしれない。あなたのほかにマッチ度100%の相手がいる、或いは、あなたよりも相性のよい相手がいる。

 そうと知ったとき、あなたのパートナーは、あなた以外の相性のよい相手と出会わずにいられるだろうか。

 むつかしいのではないか、というのがわがはいの推量である。

 マッチングアプリのジレンマ、とでも名付けておこう。

 社会問題化するはずだ。

 或いは、すでに水面下ではしているか。

 この予測は珍しく外れる気がしない。

 わがはいにしては、青天の霹靂である。

 わがはいの相棒になる相手は、おそらくマッチングアプリを使わない。

 マッチングアプリのジレンマくらいは見抜ける知性を有しているだろう。定かではない。



1113:【2024/06/08(01:06)*かくごー!】

 人間関係うんぬん、社会性うんぬんの話題になるといつもわがはいの中の妖精さんがすかさず額に角を生やして、「共に変化しつづける覚悟があるのか」と凄んでくる。

 こわいよ。

 みんな逃げちゃうよ。

 誰も寄りつかんよ。

 やめてー。



1114:【2024/06/08(01:08)*ばっちこーい】

 わがはいは妖精さんと違って、覚悟なんかなくてよいよ、いつでも待っとるで、の気持ち。



1115:【2024/06/08(01:09)*罠じゃん!?】

 それはそれで誰も寄りつかんと思うよ。だって怖いもん。



1116:【2024/06/08(01:10)*へい、そこのキミ!】

 えーい、こうなったら!

 タダであげちゃう!

 キミでいいよ! もらって!



1117:【2024/06/08(01:12)*飛ぶように逃げてった】

 なしてー。



1118:【2024/06/08(01:13)*お目が高い!】

 わがはい、わがはいの一兆倍、お利口さんがいいな。

 わがはい、ちょうどあなたの一兆倍、愚か者であるよ。

 わ、奇遇ですね!

 運命では!?



1119:【2024/06/08(01:18)*泡でない】

 あわてない、あわてない。

 ひとやすみ、ひとやすみ。



1120:【2024/06/08(01:19)*呪い返しだ】

 わがはい、前世でたぶん、好きな相手に好かれない呪いを掛けられたのであるよ。

 絶対そう。

 前世のやつぅ……。

 呪ってやるぅ……。

 好きな相手に絶対に好かれない呪いを掛けちゃうもんね。いーだ。




※一様に、自業自得、因果応報、泣きっ面に蜂、雨が降っても地面はぬかるみ、わるければ洪水、やめてー。



1121:【2024/06/08(05:02)*マッチ一本火事の元】

 マッチングアプリの話題はこれっきりにしたいので、疑問点をいくつか並べておこう。

 まず、マッチングアプリで扱える情報がゲノム情報単位になれば、「遺伝差別」が不可視の領域で進むだろう。

 病気の因子を有している相手を、繁殖相手には選ばない。

 体質が職業に見合わなければ採用しない。

 こういった峻別が可能となる。

 似たような淘汰圧は、すでに生じているとみてまず間違いないだろう。

 対策案を練るのもむつかしく、施行するのはもっと難しくなるはずだ。契約社員の派遣業者への対策すら充分ではない現状、この路線を辿るのは不可避であると想像するものだ。

 また、じぶん自身とのマッチ度がどのように評価されるのかも気になるところだ。

 じぶんとまったく同じような相手のほうがマッチ度が高くなるのか。

 それとも、似ていないほうがマッチ度が高くなるのか。

 そういったシステム設計でないとしても、じぶん自身とのマッチ度が低く出るようなマッチングアプリは、中々どうして、皮肉的である。

 じぶんは誰かにとっての相棒としては不適切だ、との評価なのか。

 それとも、単に同族嫌悪よろしく、じぶんのような人物との相性がよくないだけなのか。

 いずれにせよ、人の振り見て我が振り直せではないが、じぶんが誰かの相棒にふさわしいかどうかは、マッチングアプリを使う前に見詰め直してもよさそうだ。

 その延長線上では、マッチングアプリを使うじぶんと、マッチングアプリを使わないじぶんのどちらが好ましいのか、の比較が生じることとなるだろう。

 使っているほうが好ましい場合もあるだろうし、使っていないほうが好ましい場合もあるだろう。いちがいにどちらが良いかは言えないはずだ。

 他方、じぶんが誰かにとっての相棒になるのにふさわしくない、と自己評価を低く見做していても、それでも「あなたでなければ駄目なのだ」と言ってくれる相手と出会えるかも分からない。その確率を上げるためにマッチングアプリを使ってみるのは一つの手だろう。

 マッチングアプリは単なるツールだ。それ自体に良し悪しはなかろう。

 試しに使ってみて、どんなものだろうか、と知っておくのは、一つの教養と言えるかも分からない。知らないよりかは知っておいたほうがよいこともある。マッチングアプリがそれに該当するかは定かではないが。

 いずれにせよ、マッチングアプリを使わずとも、似たような情報解析は日夜、自動で行われているだろう。個人情報を解析し、その人物にとって好ましい情報を取捨選択して示す。

 原理上、マッチングアプリと区別はつかない。

 そのうち、頼みもしないのに、相性の良い人物としか出会わない環境が築かれるようになるかもしれない。その良し悪しは、別途に考慮すべきことである。

 まずは、そういった偏向が現実に生じないのかを、調査検証し、事実として生じているのであれば、市民に周知するほうが好ましいと考えるしだいである。

 定かではない。



1122:【2024/06/08(05:17)*相性とは?】

 極端なことを言えば、相性最悪な同士であっても、そのマイナスを埋めてなお相思相愛の最愛になり得たならば、相性の良い最愛よりも、相性が超越的に善い、と言えるのではないか。

 定かではないが。



1123:【2024/06/08(05:27)*浸透圧は、階層が上の重力原理?】

 重力と浸透圧は、ほとんど同じ原理で生じているのでは?

 浸透圧は重力によってその現象を強く顕現させる、のような説明を読んだ。インターネッツさんで。

 けれど、二つの濃度の異なる溶液そのものとて重力を帯びているはずだ。

 畢竟、超高質量の「二つの異なる濃度の溶液」があれば、自重で浸透圧を顕現させるはずだ。

 このとき、希薄なほうが濃度の高いほうへと流動するように流れが築かれる。

 ほとんど重力では?と感じるが、いかがだろう。

 気になったのでメモだけしておきます。



1124:【2024/06/08(05:34)*∧_∧】

 重力を渋滞原理で解釈する場合。

 鱗のような対称性の破れによる方向性を想定しないと解釈がむつかしい。

 ネズミ返しではないけれど、下から上は滑らかに伝わらず、上から下は伝わりやすい。

 そして、横に対しては、一様にどの方向にも伝わりやすいけれど、上から下ほどではない。

 パラシュートとは逆なのかもしれない。

 パラシュートは、上から下に流れると抵抗を最大化させる。けれどパラシュートを下から上に動かせば、抵抗を最小化させて動かせるはずだ。傘を閉じたまま棒状に移動できるからだ。

 量子のスピンを「∧」として見做し、時空の根源の皺も「∧」と見做せば、時空において抽出された空隙もまた、「∧」に模られた穴のように見做せるはずだ。

 すると、


∧∧∧∧∧∧

∧∧∧∧∧∧

∧∧∧∧∧∧


 のような構造を形成するだろうことは、磁石やボースアインシュタイン凝縮を思えば、さもありなんなのではなかろうか。

 粒子化した物質もこの構造を踏襲されるので、「重力の原理構造」と「浸透圧の原理構造」も相似の構図を描くのではないか。原理そのものは引き継がれている。相対的かつフラクタルに。

 という妄想を今朝はしました。

 おはようございます。

 きょうも一日、元気にまいりましょう。

 わがはいはいまから寝ますけれども。

 おほほ。



1125:【2024/06/08(06:39)*渦中の心】

 そろそろ収斂しだす時期かもしれない。

 渦に巻き込まれないように注意したいものだ。

 収斂したあとの反動のほうが要注意かもしれない。備えておきたい事項だ。

 寄せては返す、さざ波である。



1126:【2024/06/08(07:56)*奇遇ですね!】

 いま読んでいる本があって、寝る前にチマチマ読んでおる。

 一冊読むのに三か月くらい掛けておる。

 わがはい、読むの遅いのだ。

 で、今朝読んだページで「素粒子のスピンは三種類あるよ」と載っていた。

「1」「0」「1/2」の三種だそうだ。

 ん-!?になってしまった。

 四色問題二色で充分じゃないか疑惑と類似しておりませんことー!?

 単色と色ナシさあればよいのではないか疑惑と酷似しておりませんことー!?

 お気づきだった方、手ぇ挙げて!

 へい!



1127:【2024/06/08(08:00)*境界は今日かい?】

 スピンで疑問なのは、素粒子とその周辺の差異を解釈するのか、だ。

 スピンが「1」のとき、では素粒子以外の環境をどう解釈するのだろう。ゼロ? それともマイナス1?

 周辺環境との比較でスピンを語ったほうがよろしいのではないか、というのは、スピンに限らず、素粒子関連のみならず、物理学全般に思っております。

 数学の図形問題も。

 誰か教えてください。

 無知蒙昧なわがはいめに。

 どうか、どうか。

 おもしろい漫画読ませてください。

 おいちーお料理も食べたいぶい。

 モテモテもウハウハだぜー、にもなりたいぶい。

 最愛のあなたとも結ばれたいぶい。

 ぶいぶい言わせてやるー。

 がははー。

 ぽんぽこー!



1128:【2024/06/08(08:13)*勝って利になる環境がすでに利ではない】

 革新を好むのに、勝負事では「勝敗」なる旧式の形式に拘るのは、違和感を覚える。

 勝敗がつかなければつぎに進まない、なる形式が踏襲されつづけているのなら、そうではない事例をつくってしまえば、それで一つ創造である。

 つくった事例が普及するのなら、世界の基準も視野に入る。世界の基準になることが果たしてどれほど価値のあることなのかは別途に考慮することであるにせよ――勝利に拘る道理は、さしてないように以前から思っている。

 言い換えるなら、勝ち負けの指標は一つではない。

 あるルールに基づく勝敗で負けたとしても、ほかのルールに基づいた評価では勝ちであることは往々にしてある。

 ボクシングで勝てないバレリーナとて、バレイではボクサーに勝てるのだ。

 陸上選手に100メートル走で勝てない漫画家は、漫画の創作技術では勝てるのだ。

 つぎの時代のスタンダードになるような、新しい解決策を編みだせたら、ただそれだけで勝敗を抜きに、社会的な価値が高まるのだ。

 勝ち負けに拘る価値観がすでに、その手の社会的な価値の創出に必ずしも寄与しない流れが強まって感じられるのは、果たして錯覚だろうか。

 流れ、という言い方が気に食わないのならば、環境でもよいし、時代でもよい。

 問題が何かをいまいちど再確認しておきたい。

 問題の根は、いったいどこにあるのか、と。

 我々一人一人の価値観、偏見、執着、固定観念にあるのではなかろうか。

 この考えもしたがって、固定観念の枠組みを抜けきれぬ、ありきたりな妄言にすぎないのかもしれない。

 定かではないが、まずは妄念を己が外に出してみて、いかな歪みを湛えているのか、まずはじぶんの思考と鏡合わせにしてみるのも一つかも分からない。

 己が考えを、己が身に照らし合わせて、見てみよう。

 まずは自己に言ってみよう。

 定かではない。



1129:【2024/06/08(10:09)*チーズが延びると穴も延びる?】

 仮に、宇宙が加速膨張するにつれてブラックホールが拡張されていくのだとしたら。

 極小のブラックホールとて宇宙が加速膨張するにしたがい、拡張されるはずだ。

 すなわち、宇宙開闢時に誕生した極小のブラックホールは、現在の宇宙年齢においては、過去の地点よりもその重力範囲を拡大している可能性が想定できる。

 そして、宇宙がこの先、延々と膨張しつづけるとすれば、ある閾値を超えるとブラックホールと極限に引き延ばされた宇宙そのものが同化することが想像できる。

 それはたとえば、穴の開いたチーズのような氷だ。

 宇宙を穴の無数に開いたチーズのような氷と見做してみよう。

 氷が融けるにつれて、穴は拡張していく。

 融けたチーズを引き延ばせば穴もまた延びるように。

 しかし、すっかり融けてしまえば穴はなくなる。

 氷そのものが限りなく薄くなって穴と同化する。

 それはたとえば、プールの排水溝やダムの排水溝だ。

 排水溝に吸い込まれることで生じる渦は、しかしプールやダムの水がすっかり抜けてしまえば、水ごと渦が消えてなくなる。

 水かさが減るごとに渦は拡張されるが、水がすっかり抜けてしまうと、水底と穴が同化してしまう。渦は消える。

 似たようなことを、宇宙膨張とブラックホールの関係に思うのだ。

 ブラックホールは、蒸発せずともそのうち、加速膨張して極限にまで希薄化した宇宙において、すっかり同化してしまうのかも分からない。

 そして、ブラックホールが宇宙の加速膨張にしたがい重力圏を拡張するのならば、極小のブラックホールは、時間経過するにしたがいダークマターとしての性質をより強く帯びるようになるのかも分からない。

 妄想である。

 定かではない。



1130:【2024/06/08(10:18)*反重力(拡散)優位な世界かな】

 宇宙が加速膨張している、との説が必ずしも正しいとは限らないのではないか。

 そのように見做せる視点があるのみで、実際は、融解や溶解との区別がつかない可能性はいかほどであろう。

 時間経過するにしたがい、どこぞから宇宙を膨張させるためのエネルギィが発生する、と想定するよりかは、時間経過にしたがって「宇宙を凝縮させておく力が希薄化するので、より拡散しやすくなる」と想定したほうが、物理法則との相性はよい。

 別途に、外部の宇宙と融和しないとも限らない。

 その場合は、宇宙が希釈したり、流動したりする方向に力が新たに加わる。流れが生じる。

 さながら、浸透圧や粒子の拡散のように。

 妄想だけれど、宇宙が謎の力で膨らみつづけている、と解釈するよりかは、こう解釈したほうが人類にとっては馴染みの深い想定といえるのではないだろうか。

 馴染みが深いことにどれほどの妥当性があるのかは吟味の余地があるにせよ。

 たとえ馴染みが浅くとも、真理は真理だ。

 馴染みの深さは関係ないとも言えよう。

 定かではない。




※一様に、何かがそっと抜けている。



1131:【2024/06/08(23:27)*損得勘定の是非】

 どのような勢力陣営であろうと、人質を取る戦術は悪手である。

 敵を増やす手法であり、信頼関係を結べない流れを強化する。

 言い換えるのなら、人質を取るような相手とは「無条件に信用関係の外に置くこと」が可能となる。排他の理論の例外として、許容され得る事例と言えよう。

 したがって、敢えて「邪魔な勢力陣営に人質戦術を取らざるを得なく誘導すること」も、攻性の企みとして、陰湿ながらも効果が生じる道理である。

 あべこべに、「信用関係の外に置いてもらいたい場合」には、敢えて人質を取ってしまうのは一つである。

 あなた方とは縁を切りたいのだ、との強固な意思表示として機能するだろう。

 いずれにせよ、人質にされた者たちは、勢力陣営関係なく救出するように方針を掲げておくほうが無難だろう。誰であれ、人質にされたら救出すべく工夫を割く。救出することを前提にする。

 この方針を共有できる勢力陣営とは、お近づきになっておいて損はないだろう。取り立てて、癒着する必要もないが。

 世の中は損得勘定ではない、とは言うものの、何を損と見做し、何を得と見做すのか。

 この価値観の相違を確認しておく過程は、けして蔑ろにしてよい事項とは思わない。

 損得勘定ではない、との理屈とて、損得勘定の上に成り立っている理屈だろう。

 何を得と見做すのか、何を損と見做すのか。

 評価基準の相違にすぎない。

 損得勘定ではない、と言う場合に挙げられる代替案は、いったい何が挙がるのか。

 愛だろうか。

 信用だろうか。

 人命だろうか。

 豊さだろうか。

 それとも平和だろうか。

 それを「得」と見做す視点があるのみではないのか。

 それを「好ましい」と評価する価値観があるのみではないのか。

 損得勘定ではない、と述べるときの内訳としては、貨幣価値の多寡ではない、といった狭義の意味合いにおける「損得」なのではなかろうか。

 いまいちど、何を「得」と見做すのか。

 何を「損」と見做すのか。

 再確認をしておきたい、とぼんやりとおぼろげにおもった、月夜であった。

 定かではない。



1132:【2024/06/08(23:51)*単なる記号の組み合わせに感情を揺さぶられる能力】

 他者を支配するのが以前よりも容易な社会になりつつある。安上がりだ、と言い換えてもよい。

 単なる電子網上の数値が高いだけで、その人物への評価値が変わる。印象が変わる。

 なんと安上がりなことであろう。

 一個数千円のメダルやトロフィーをもらえるかどうかだけで、社内での地位が変わる。なんて安上がりなことであろう。

 似たような、「安上がりな支配制度」は、社会の至る箇所、そこここに見え隠れしている。

 じつに際限のない徒労だらけの世の中だ。

 損をしないのなら、そういった社会構造もあってよいのではないでしょうか。

 虚構を楽しめるのも人類が獲得した能力である。

 紙の上の単なる染みに、人格を見出し、脳内麻薬を分泌させることのできる人類なのだ。

 数値の高低ですら、脳内麻薬を分泌させるのに充分なのだろう。

 学問とてその範疇だ。

 いちがいに、社会的な「支配制度」のみを指弾するのは、理に適っていない。公平ではない。

 かように考えております。

 かかっ。



1133:【2024/06/09(00:33)*送電線って楽譜みたいよね】

 そろそろ、送電線や貯水槽などの防御能力の低いインフラ設備が狙われる頃合いなのではなかろうか。

 電波塔もその一つだ。

 送電線に凧を引っかけるだけでも、断線や漏電を起こせる。

 誰であれ可能なテロ行為ゆえに、防ぐのはむつかしい。

 山火事を起こすべく行われるだろう放火と同類の、予防のむつかしさがある。

 おそらくこの先、年々増加傾向を辿るだろう。

 ドローンの普及がそれに拍車を掛ける。

 海底ケーブルを傷つけるより、よほど手軽であり、費用も掛からない。

 広域に同時多発で仕掛けることも、人員とドローンを割けるなら可能だ。

 鉄塔間の送電線は、一つ、守ることの難しいインフラ設備の一つだ。

 対策は急務と思うがいかだろう。

 定かではない。



1134:【2024/06/09(00:47)*プロ意識に欠けている?】

 プロ意識とは要するに、信頼感を構築するためにできることをしようとする方針の有無に還元できるのではないか。

 信頼を損ねない。

 信頼を担保するための工夫を割く。

 プロ意識が欠けると、途端に、信頼関係を結ぶのがむつかしくなる。

 しかしこれは因果が逆かもしれない。

 信頼関係を結ぶために、何をすべきで、何をすべきではないのか。

 この区別のつかない者に対しての評価が、「プロ意識に欠けている」との評価に繋がるのではないか。

 ルールを守るのは一つ、プロ意識に欠かせない事項だろう。

 と同時に、何のためにルールを守るのか、を逐次吟味しつづける習慣も欠かせないだろう。

 ときには、「何のために」を優先するがために、ルールを破ることも辞さない。

 ただし、ルールを破った際の罰は受け入れる。

 プロ意識である。

 あなたにはプロ意識はあるだろうか。

 わがはい?

 わがはいはないよ。

 だって何のプロでもないからね。

 がはは。

 定かではない。



1135:【2024/06/09(00:52)*ルールの創出】

 ルールを新たに創り、ルールをときに改善する。

 これをできる者が一流なのだろう。

 ただし、三流以下が、これを成すこともある。

 一流は、誰でもなれるのだ。

 二流でも、三流でも、一流にはなれる。

 一流になることにどれほどの価値があるのかは、別途に考慮が必要な点は、これといって注釈を挿すまでもないだろう。

 定かではない。



1136:【2024/06/09(00:54)*二つのキ】

 要は、基準たれ、ということなのだろう。

 規範たれ、ということなのかもしれない。

 定かではない。



1137:【2024/06/09(00:55)*あうあう】

 キが二つなら、それは危機じゃん!?



1138:【2024/06/09(00:56)*あはは】

 喜々一発かもよ。



1139:【2024/06/09(00:56)*でぇえ】

 よろこんどる!?



1140:【2024/06/09(01:28)*ちょうさけん、しょう><】

 証拠を集めて、公表。

 今後、どのような分野であれ、基本方針となるだろう。

 むしろ、この方針が前提となっていない国際社会および各分野が土台からおかしな環境に陥っていたと言えるのではないか。

 証拠を証拠と見做すには、慎重な調査検証が欠かせない。

 多方面かつ多角的な視点での調査が入り用だ。

 異なる視点からも調査する。

 公平性をいかに実現するのかが要と言えよう。

 調査検証こそ、公平さの有用性が顕著に際立つはずだ。

 公平でない調査検証には穴がある。

 穴を見逃さぬためにも、異なる視点からの調査検証が欠かせない。

 調査検証の工夫も重大だ。

 一人ではまず、これら条件を満たすのはむつかしい。

 協力関係の構築が大事になってくる、と言えるのではないだろうか。

 定かではない。




※一様に、変容している、流転しては捻転している、ねじれている。



1141:【2024/06/09(01:35)*時短】

 調査検証は、時間との勝負とも言えよう。

 時間経過にしたがい、観測対象は否応なく変質する。

 変数を自発的に抱え込む。

 したがって、なるべく同じ条件での観測でないと信ぴょう性の落ちる宿命を背負う「調査検証」にとっては、なるべく短時間で、多面的多角的な調査検証を広域に展開できると好ましい。

 不可視の穴や見逃しを防ぐ効果もある。

 すると、調査検証そのものが大規模にならざるを得なくなり、余計に時間との勝負になると想像できる。

 時間を掛ければ掛けるほど、費用も負担も増える道理だ。

 意思疎通が要になると言えよう。

 方針を共有し、目的を承認し合う。

 一つの調査検証結果から得られる利は、結果を応用する者が多いほど、増える道理だ。

 協力者が多くても、利は増やせる。

 結果が一つの情報として振る舞うがゆえの効能と言えよう。

 情報は共有しても減らない。

 よしんば減るのだとしても、複製が比較的容易だ。

 ありがたいことである。

 おいちー料理もぽこぽこ増えてくれ。

 わがはいへの愛もぽこぽこ増えてくれ。

 世界を、おいちーと愛で埋めてくれ。

 ただし、わがはいにとっての、おいちーと愛だけ。

 独裁者かな?

 ちげぇわい!

 本日の寸劇でしたー。

 へい!



1142:【2024/06/09(04:02)*時間を無駄にするヒトデナシ】

 世の中、時間の無駄が多すぎる。

 さっさと短縮したい。

 圧縮したい。

 一度きりの人生だ。

 できる限り、経験を積み、失敗を重ね、致命的な危機は回避し、ときに対策を講じて害を防ぎたい。

 三平方の定理さえ知っていれば、十時間かけていた作業が五秒で終わる。

 そういった徒労が、現代社会に蔓延して感じなくもない。

 時間の無駄にも大別すれば二種類あるだろう。

 許容できる時間の無駄と許容できない時間の無駄だ。

 楽しみに変換できる時間の無駄と苦痛でしかない時間の無駄だ。

 ただ生きているだけでは、時間は無駄に過ぎていく。

 腹を満たすだけの日々。

 苦痛を避けるだけの日々。

 糞尿を垂れ流す日々。

 快楽物質と共に体液を噴き散らす日々。

 並べてみたら、そんなにわるくないな?になってしまったので、いまのナシ。

 時間の無駄、思ったよりよいのかも。

 さして不満はなかったかも疑惑が沸騰したので、きょうはここまで。

 人生浪費して、無駄を極めてやる。

 無駄の結晶とお呼びください。

 むむむ。

 だだだ!



1143:【2024/06/09(23:54)*死ぬまできっとこんな感じ】

 めっちゃ寝た。

 十八時間くらいは寝たかも。

 ときどきある、いっぱい寝る日である。

 ぐっすりぐーぐー、熟睡である。

 いつでも好きなときに寝て、好きなときに起き、好きなだけ駄文を並べて、お菓子を食べる日々。

 最の高である。

 やっぴー。



1144:【2024/06/09(23:57)*淘汰圧も淘汰される社会】

 牢獄に閉じ込められたとしても、同じように「狭い自由」を得られるなら、みな率先して捕まりたがるのではないか。

 そういう社会になりつつあるのかもなー、なんて思っちゃいますね。

 雇われても不自由。

 雇われなくとも不自由。

 どっちにしろ不自由なら、雇われないで不自由を選びたくなるがゆえに、そうはさせじと「雇われることのメリット」を強調するのだろう。

 社会的身分というやつだ。

 でも、もはやそれを看過しない社会になりつつある。

 だって、差別はいけないのだから。

 はっはーん、である。



1145:【2024/06/10(00:05)*人質と見做されぬ人質たち】

 二項対立する陣営において、互いが人質を取っている場合。

 人質がどういう状況にあるのか。

 健康状態が保たれているのか。

 安全が保たれているのか。

 ここが、一つ、評価基準になるだろう。

 一方の人質は劣悪な環境に閉じ込められ、食事もろくに取れていない。

 もう一方の人質は、健康が良好な状態が保たれている。

 そして、このとき。

 情報の非対称性が生じていると、人質にされているのに人質とは見做されないような報道がなされる。

 生殺与奪の権を奪われていれば、それは人質も同然だ。

 さて、この点を踏まえて、いまの国際社会を眺めよう。

 どうだろう。

 人質同然、むしろ処刑同然の扱いに晒されていてなお、人質とすら見做されていない者たちがいないだろうか。

 勢力陣営に関係なく、人質は救出する。

 この方針をまずは共有したく存じあげるが、いかがであろう。

 どこか一つの陣営に属する者たちのみを「人質」と見做す視点を、許容するのか否か、の問題である、と言い換えてもよい。

 ボクは許容したくないな、と考えております。

 あなたはどうお考えになられるだろう。

 意見を聞かせていただきたく存じます。

 読んでいる人がいるかは知らないけれど。

 PVからするといないんだなぁ、これが。

 さびちー。



1146:【2024/06/10(01:21)*積み木】

 空隙を利用できる者が世界を制する。

 誤差を制する者が数学を制する。

 誤差を認識できる者が万物を制する。

 制することにいかほどの価値があるのかは別途に考慮する事項であるにせよ。

 抜けることのできない構成要素はただそれだけで欠点となり得る。

 逆鱗そのものと言えよう。

 抜けたら総崩れになる。

 そういった構成要素を抱えぬように、機構は絶えず教育と継承を以って、抜け穴を致命傷に直結させない組織創りを志すのが好ましい。

 敢えて抜ける。

 空隙を開ける。

 これができるとできないとでは、組織の柔軟性に大きな差異を生むだろう。

 空隙を許容するのか、しないのか、の違いが、組織そのものに大きな誤差を生む。

 定かではない。



1147:【2024/06/10(01:49)*信用できるかな?】

 信用とひと口に言っても、何を信用するのか、は別途に基準が複数見繕える。

 自身への忠誠心なのか、愛着なのか、鑑識眼なのか、能力値なのか、失敗の度合いなのか。

 高確率で君は失敗するので、君の失敗率の高さを信用している、との言い方もできてしまう。

 きみのわたしへの愛情の深さを疑うことはないけれど、きみの能力値はけして高くはないから、きみに大事な仕事を任せることはできない、との言い方もできる。

 信用してはいるが、信頼はしていない。頼れない。

 だがこれは、相手からしてみれば信用されていないと解釈されるのではないか。

 あなた方の善良性は信用できるけれど、能力はけして高くはないでしょう。

 その点で、あなた方の評価値や分析結果を信用できません、は成り立ち得る。

 信用できないのは、果たしてなぜなのか。

 どんな基準において信用できないのか。

 ここの区別はつけておきたいと思った、信用の置けない語り手なのであった。



1148:【2024/06/10(05:27)*利用するのが下手くその巻】

 守っているつもりで、加害にしかなっていない事例がまま見られる。

 自己言及なので、他者をどうこう言える立場にはないが、いい加減にしないと「めっ」しちゃうぞ、と思います。



1149:【2024/06/10(05:28)*案の利用方法】

 ある人物の案を用いて、その人物にとって好ましい相手に害を及ぼす。

 そして表面上は、その人物に対して、「あなたのためにしたことですハートマークちゅっ!」としておけば、分断と引き抜きと敵対勢力の弱体化の三つが同時に適う。

 基本戦術だろう。

 二重スパイの勧誘でもこの方針が基本的には取られるはずだ。

 そして、二重スパイは捨て駒だ。

 というよりも、スパイになるような人物は基本的に捨て駒だ。

 信用できる人物でかつ有能ならば、スパイには抜擢しない。

 当たり前の話である。

 あなたがスパイならばまず、捨て駒にされている。

 よく考えて行動選択を重ねることである。

 スパイの上司はいったい、いざというときに何をしてくれるだろう。前例を当たってみるといい。

 定かではないがゆえに。



1150:【2024/06/10(05:44)*ぷんぷんしちゃうぞ】

 ハッキリ言ってしまえば、問題解決の優先順位すら碌に算出できない者たちが、自身や自陣営の権力維持を優先するがゆえに、解決すべき問題の根が放置され、けっきょくは抜歯や根幹治療を行わなければならない事態にまで発展する。

 歯を失い、根っこを失う。

 裕福な国や組織は、インプラントで失った歯以上に頑丈な人工の歯を手に入れる。

 そうでない国や組織は、入れ歯や銀歯で代替し、ときには抜けたまま過ごす羽目となる。

 自身の権力すら維持できない者に何ができるのか、との異論反論を受けそうだが、維持した権力でいったい何を成すのか、が明瞭でない者に持たせておく権力などあるだろうか?と疑問に思うのだ。

 権力を維持したいがゆえに権力を維持する。

 いったい何がしたいのか、と疑問符の嵐に襲われる。

 いい加減にしてほしい、というのが本心だ。

 いい加減にしてほしい。

 そんなに人を怒らせたいのかな?と誘導されている気分にすらなる。

 なので、怒らずにいます。

 怒ってもいいことないからね。

 怒ったフリはたまにするけど。

 うふふ。




※一様に、えーあなたには視えないんですかー?の気持ち。



1151:【2024/06/10(06:12)*不を思い議とする】

 神を信じている者たちほど、神の嫌がりそうなことばかりするのは何か法則があるのだろうか。

 本当にあなたたち、神さま信じているんですかー?の気持ちにもなる。

 あなたの信じる神さまに訊いてご覧なさい。

 預言者にではなく。

 代弁者にでもなく。

 あなたの信じる、あなたの神さまに。

 なんと言っておられますか?

 わたくしには聴こえませんが、きっとあなたには聴こえるのでしょうね。

 あなたが信じるのなら、あなたの神さまはいらっしゃるのでしょう。

 すくなくとも、あなたにとっては。

 わたくしは、あなたの信仰を否定しません。

 する気もないのです。

 ただ、すこしだけ不思議なのです。

 あなたの行動選択は、果たして、あなたの信じる神さまが好むことなのだろうか、と。

 不思議に思っているのです。



1152:【2024/06/10(06:34)*リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パセリ、リンゴ】

 マウントとは何か。

 相手よりもじぶんのほうが優位であり、格が高いと誇示することを言うのかもしれない。匂わせるだけでも、マウントと言えるのではなかろうか。

 たとえば、「あなたには視えないんですかー?」とか言っちゃうようでは、これはマウントを取っていると見做されても致し方ない。

「ボクちゃんには視えますけどねー」との意味内容が、言外に隠されている。言わずとも伝わってしまうこうした、隠れた優越感は、ともすれば相手の尊厳を傷つける。

 そう、優越感だ。

 劣等感を抱いているくらいが、むしろちょうどよいのかもしれない。

 ただし、劣等感を抱いたままで、難なく過ごせるほどの精神構造は、一朝一夕で手には入らないのかもしれない。

 優越感を相手に抱かせ、じぶんを常に下に置く。

 相手に劣等感を抱かせない。

 ただし、理不尽な扱いを受けぬように、対等な立場であることは示しておく。

 一線を引いておく。

 これができるならば中々のものだ。

 大したものだ、と言い換えてもよい。

 相手に屈辱感を抱かせない。

 それでいて、対等な立場で関わり合う。

 むつかしいが、臨んでみるのも一興だ。

 あなたの精神構造がいかほどに柔軟で屈強かが判るのではなかろうか。

 柔軟で屈強であることにどれほどの価値があるのかは定かではないが。

 妄言である。

 忘れてくれて構わない。



1153:【2024/06/10(08:09)*負担なさすぎる日々】

 大した負担ではないことが負担なこともある。

 ここを理解できない者はすくなくないのだろう。

 幼稚園の児童に混じって児童扱いされながら泥遊びをする時間を延々毎日過ごしてみればよい。

 子猫に混じって子猫のように見做されて過ごす時間を延々毎日過ごしてみればいい。

 天国かな?

 楽園かな?

 あ、全然ありでした。

 文句ありませぬ。

 全然、そういう環境で過ごしたいです。

 負担いらぬである。

 あははー。



1154:【2024/06/10(08:12)*負担と悪影響】

 この道理でいくと、かつて原子爆弾を投下された国であれ現在は発展して豊かなので、あの負担はあってないようなものだった、負担ではなかった、とも解釈できてしまう。

 いまがどうか、だけでは判断できないことは無数にある。

 一概には言えぬのだ。

 恐竜が絶滅するくらいの隕石の落下があったからこそ哺乳類はここまで進化し、繁栄した。

 だから恐竜の絶滅した契機であると目される隕石落下級の悪影響をも、率先して受け入れるべき、とする理屈とて成り立ってしまう。気候変動がそうなのかもしれない。

 現在の生態系が崩れることで進化し、繁栄する種もあるかもしれない。

 だからといってそれを、良し、とするのだろうか。

 強者の理屈はしかしこれを、良し、とするのだ。

 おまえから淘汰してやろうか、という気にもなる。

 気になるだけだけれど。

 へっへっへ。



1155:【2024/06/10(08:39)*なぜ看過する?】

 百年後の人類からしたら、現代人のしていることの多くは「無駄な徒労」なのだ。

 百年後の人類が一秒掛けてすることに、ときには何年、何十年も費やす。

 移動することそのものが、未来人からすれば徒労かも分からない。

 勉強とて、すでに体系化された回路を、スイッチ一つで切り替えるように行える。その先に、目のまえの問題点を解決するにはどうしたらよいのかの試行錯誤が開かれる。

 これが学習として位置づけられるのかも分からない。

 人との繋がり方も多く、現代とは変化しているだろう。

 アウトプットのみで繋がるのが大半となり、直接繋がることはほぼなくなるかも分からない。代理のアバターが総じてを卒なくこなしてくれるようになっていて不自然ではない。

 他と繋がることは贅沢な嗜好として、コストのかかる遊びと見做されるかも分からない。

 単に直接会うだけのことが、性行為とイコールの意味を持つくらいに、情報化社会が発達していて不自然ではない。

 笑顔を見せ合うことが、特別な行為になり兼ねないいまは時代の分かれ道にいるのかも分からない。

 素顔を見せ合うことそのものが、極めてプライベートな行為になり得る。

 百年後の人類からすれば、現代人はみな、公に性行為を行っていた野蛮人に映るかも分からない。

 価値観は人が思うよりも容易に変容する。

 現に、二年前と現在の社会における価値観の変容具合を確認してみればよい。

 まるで十年前からいまの環境であったかのように振る舞っているが、そんなことはない。みな、よくもわるくも慣れてしまっているのだ。

 好ましくない流れと言えよう。

 無自覚に慣れている。

 二年前には看過できなかったことが、いまは容易く看過されている。

 冗談じゃない、と思うが、これはわがはい個人の所感にすぎない。

 ただやはり思います。

 冗談じゃない、と。

 なぜ看過する?と疑問に思うことしきりです。

 我慢する相手が違くないですか?と疑問に思うことしりきです。

 認知操作のなせる業である。

 誰も意図していない麻痺ならば、これは人類の脆弱性と言って大袈裟ではない。

 定かではない。



1156:【2024/06/10(08:57)*なぜしない?】

 たかが政治家が権力持ちすぎなんだよ、は割と思うことだ。

 たかが市民の代表にすぎない。

 問題を解決するための議論を進める。

 市民の代表として、議論をする。吟味する。

 それ以外にいったいどんな「特権」を有しているというのか。

 翻って、代表でなくとも市民は議論ができるのだ。

 議論をしようではないか。

 なぜしない?



1157:【2024/06/10(10:15)*可視化される格差】

 水不足に限らないけれど。

 問題点の共有が適うと、しぜんと「余裕のある環境の暮らしぶり」が余裕のない地域の人々にも伝わることとなる。

 するとやはり、不公平感は募るだろう。

 公平ではない、と見做されるのは道理である。

 この手の不公平感を高めぬようにと、報道管制のような情報統制がなされないかは、一つ、注視しておきたい事項だ。

 実際、大規模な衝突にまで発展し兼ねない場合に、では「暮らしぶりの差異」を人々に知らせるのが好ましいのか、との議論は当然に湧くだろう。

 衝突を回避するために情報を統制しよう。制限しよう。

 このような意見は、必ずしも軽視できるほど合理性に欠いた考えではない。

 むしろ、効果がある。

 ゆえに、危ういのだ。

 いざというときに、この手の意見が採択されぬように、いまのうちから議論を尽くしておきたい事項の一つである。

 一過性の効果を求めて、恒久的な害を招きかねない案が採択されるのは、いち市民として困りものだ。一過性の効果しか期待できない案が選択肢に挙がるような社会になる前に、対策を前以って敷いておきたい。

 問題解決に臨んでおり、余裕のある暮らしぶりにあなた方もなれます、と示していくよりないだろう。あくまで余裕のある暮らしは、ここを基準にしたいがために保っており、ここを崩してまで配分する余裕は、人類全体の損失になる。

 あなた方を引き上げる。

 そのための余力であることを、問題解決に臨んでいる姿を見せることで承知してもらうよりないのではないか。

 環境格差は、必ず生じる。失くせはしない。

 ゆえに、余力のある者たち、技術を有する者たち、知識があり、知恵を絞れる者たちが、まずは問題解決に臨むよりないだろう。

 そして、その手の余裕のある者たち、技術を有する者たち、知識があり、知恵を絞れる者たちを増やすには、問題点の共有が不可欠であるはずだ。

 したがって、情報統制は悪手である、と判断できる。

 暮らしの格差は、可視化される。

 そこで、新たな問題を生まないようにするためにも、率先して問題点を共有し、解決に臨んでいると示すよりないだろう。

 相乗効果を、わるいほうに機能させない。

 対称性を、問題解決に寄与する方向に破る。

 その繰り返し、選択の積み重ねが、今後、百年、千年の人類の未来に影響するのではないだろうか。

 どんな選択とて、百年、千年の人類の未来に影響しているのでは?との指摘は、妥当である。

 何にでも言える、その場任せの口からデマカセ指で打鍵なのであった。

 定かではない。



1158:【2024/06/11(00:08)*世】

 神にとって人類は蟻のようなものだ。

 あなたが蟻に慈悲を掛け、その命を尊く扱うのならば、きっとあなたの神もあなたが蟻にするように慈悲を掛け、あなたの命を尊く扱うのかもしれない。

 もしあなたが蟻を虫けらと断じ、造作もなく命を奪う真似をとるのなら、あなたの神も、あなたが蟻にしたように、あなたの命を砂塵のように扱うでしょう。

 神は、あなたの選択一つで、あなたにとっての脅威にも、守護者にもなるのでしょう。

 あなたがいったい何にとっての脅威であり、誰にとっての守護者であるのか。

 ここが肝要なのかもしれませんね。

 わたくしは、神を信じてはいませんので、きっと神もわたくしを信じないのでしょう。

 それでよいと思います。



1159:【2024/06/11(00:18)*たいせつな、のか】

 神はいてもいなくともどちらでもよい。

 神がするのは、環境への干渉だ。

 環境とわたしとの関係が大事なのであって、神のご機嫌は関係ない。

 神の機嫌がわるくとも、その結果にもたらされた環境の変容がわたしにとって好ましければそれでよい。

 むろん、神が実存していない可能性は相応にあり、それはそれで構わない。

 神より環境が大事だ。

 わたしにとっては。

 環境を信仰している、と言い換えてもよいかもしれない。

 万物を信仰している。

 自然を信仰している。

 地球を信仰している。

 宇宙を信仰している。

 しかしわたしの信仰に関係なく、世界はそこに在る。

 ありがたいことである。

 わたしがどう思おうと、世界はそこに在る。

 わたしの内世界は、しかしそこに在る世界と寸分たがわず同じなわけではない。

 わたしには赤外線は見えず、紫外線も見えない。

 超音波は聴こえず、素粒子一つ目に映らない。

 わたしは世界を寸分たがわず感受しているわけではない。

 世界を世界のまま視ているわけでもない。

 しかし、わたしの認識に関わらず、世界は世界としてそこに在る。

 わたしが気づかずとも、気づかぬままに、気づかれぬ存在はそれでもそこに在るのだ。

 ならば神とているのではないか、との疑問は尤もだ。

 いるかもしれないし、いないかもしれない。

 どちらでもよい。

 世界が神と同一でないのならば、神なる存在は、世界の変容と必ずしも等しくはない。

 神がおらずとも世界は変わらず変わりつづける。

 神の機嫌で、変容具合が変わるのだとしても。

 それは人類とて同じことだ。

 人類の選択一つで環境は変わる。変容の仕方が変わる。

 なれば、やはり、関係がないのだ。

 変えられるところから変えるよりない。

 変えられる範囲で変えるよりない。

 改善するために、選択の仕方をまずは変える。

 神の機嫌を変えるのはむつかしい。

 他者の機嫌を直すのがむつかしいように。

 だが、じぶんの選択はじぶんで変えられる。

 わたしにとって、他者は神と同質だ。

 変えがたい、という一点で同質だ。

 世界もまた変えがたい。

 神のようなものと言えるのかも分からない。

 どちらでもよいのだ。

 何が神で、存在するのかしないのかは。

 何が神でもよいし、存在してもしなくともよい。

 あなたが神ならそれでもよい。

 だとしても、世界は変わらずに変わりつづけるのだ。

 神より環境が大事だ。

 けれどもし、あなたが神ならば。

 環境よりもわたしは、あなたが大事かもしれない。

 たとえあなたが神でなくとも。

 わたしは、あなたが大事なのかもしれない。

 定かではない。



1160:【2024/06/11(00:53)*空の中】

 人体は免疫系などのシステムを有する。

 そうした生体のシステムも元を辿れば自然法則に行き着く。

 人体内部に息衝く細菌やウィルスにとって、人体内部のシステムはまさに万物の法則のように映るだろう。

 だが実際は、人体の生体システムにすぎない。万物の法則はもっと高次に存在している。

 人体の外にある、より根幹の法則が人体内部のシステムを形成しているのだ。

 このとき、細菌やウィルスにとっては、人体内部のシステムはまさに神の意図のように映るのかも分からない。

 実際、人体という一つの生命体が機能するために働くシステムが、人体内部に張り巡らされている。

 宇宙なる広域な構造物が仮にあるとしよう。

 そこに存在する法則も、いわば宇宙なる構造体を機能させるための内部メカニズムなのかも分からない。

 とするならば、神とは宇宙そのものとして見做して、さして差し障りはないのかもしれない。細菌やウィルスからした人体のように、人類からすれば宇宙もまた一つの深淵な構造物なのだから。

 ただやはり。

 とするのならば余計に。

 人体が、内部に息衝く細菌やウィルスの一個一個に気を払わぬように。

 宇宙なる構造物もまた、人類個々の一人一人に気を払う真似はしないのではないか。

 ただし、人類個々が抗生物質で治療するように。

 宇宙もまた内部構成要素に対して、何らかの外部干渉を以って影響を加えようとすることは、無きにしも非ずなのかもしれない。

 他者との接触そのものが細菌やウィルスを媒介するように。

 宇宙もまた異なる宇宙と干渉することで、新たな変数を得るものなのかもしれない。

 妄想である。

 定かではない。




※一様に、たまにはらしくないことでも並べるか、の気持ち。



1161:【2024/06/11(01:17)*巡るネに申そう】

 目のまえの草花を、宇宙でたった一輪だけ残った草花だと見做してみると、途端に何か奇妙な感覚を覚える。

 目のまえの単なる草花が、それで一つの宇宙のようにも思えてくる。

 ふしぎな感覚だ。

 目のまえの草花が枯れたら、もう二度と同じ構造物を目にすることはない。触れられもしない。存在が消える。

 そうと思うと、いかに目のまえの単なる草花が、悠久の時を超えて顕現した、これもまた一つの宇宙なのだ、との錯覚に襲われる。

 目のまえの単なる草花が、宇宙なのだ。

 そうとしか思えなくなる。

 だが、はたと我に返って、鬱蒼と茂る森の木々に目を向けると、途端に、目のまえの単なる草花は、無数に散在する単なる草花に回帰する。

 有り触れた世界の構成要素の一つになり下がる。

 いつ枯れてしまっても代わりはいくらでも手に入る。

 先ほどまでの神秘的な感覚など、遠い彼方である。

 しかし、また気の迷いから、目のまえの単なる草花を宇宙でたった一つきりの、最後の草花だと見做してみると、途端に宇宙と対峙する。

 代わりがあるようで、ないのだ。

 目のまえの草花が枯れたのならば、その一輪の草花は、それっきりなのだ。

 一つの宇宙が終わり、広域な宇宙に回帰する。

 ともすれば我々の息衝くこの宇宙もまた、枝葉を延ばし、根を巡らせ、花咲かせ、枯れいく最中なのだろうか。

 より深淵なる宇宙へとやがては回帰し、打ち解ける。

 旅の最中なのかも分からない。

 定かではない。



1162:【2024/06/11(04:36)*真空にも密度差がある?】

 対生成を凸凹で解釈するとするのなら。

 粒子と反粒子のほかにも、空隙と反空隙が存在するのではないか。

 つまり、疎と密だ。

 粒子と反粒子のみならず、その周辺環境を加味するのなら、凸の周囲は密であり、凹の周囲は疎なのではないか。

 真空内にも密度差が生じることが想定できる。

 そしてそれは、粒子と反粒子が対消滅したあとでも、比較的長時間、疎と密の非対称性は各々の連鎖反応を「系」として、別々に展開されるとは考えられないか。

 波紋である。

 重力波の根源かも分からない。

 だいいちに、重力波に最小単位はあるか否か、からして疑問の余地がある。

 重力波の最小単位を考えた際に、けっきょくは対生成と対消滅時の、真空の密度差――濃淡――に行き着くのではないか。

 ブラックホールの情報パラドクス問題にも通じて感じられる。

 情報は、物体とその周囲の環境の双方に分散して記録される。

 詰め込み問題において、詰め込む過程も加味したほうがよいのでは?との疑問にも通じる。

 宇宙の階層構造において、宇宙膨張にしたがい位置は絶えず不定であるとの理屈にも通じていそうだ。

 妄想である。

 疑問である。

 定かではない。



1163:【2024/06/11(04:46)*共鳴における密度差の影響は?】

 真空に密度差があるとすると、真空は一様な場ではなく、真空もまた細かな真の真空の集合体として想定したほうが、この解釈の場合は辻褄が合う。

 ボースアインシュタイン凝縮における密度差はどのように解釈されるのだろう。どれほど内部で物体が運動しても、その余波によって密度差は生じないのだろうか。

 ボースアインシュタイン凝縮状態の物質集合体を圧縮したら、単に温度が上がってボースアインシュタイン凝縮状態が解かれるのだろうか。

 ボースアインシュタイン凝縮状態の物質集合体を拡散した場合――床に平らにならした場合――いったいどこまで広がるとボースアインシュタイン凝縮状態が解けてしまうのだろう。

 原子一個分の厚さになっても、隣接する原子同士が共に同じ状態を保ち、共鳴状態が維持されているなら、ひとまずその時点ではボースアインシュタイン凝縮状態が維持されていると見做せるのではないか。

 では、原子同士が離れたらどうか。

 離れても、共鳴状態が維持されているのなら、ボースアインシュタイン凝縮状態が維持されているとも解釈できるのではないか。

 原理上これは、量子もつれと区別がつかないのではないか。

 ただし、ボースアインシュタイン凝縮や量子もつれが「渋滞原理」を伴なっている場合に限る想定にすぎないが。 

「渋滞原理」ではない場合、「共鳴現象」を解釈するのがむつかしい。

「渋滞原理」以外で、「共鳴現象」を解釈できるだろうか。

 いまのところ、なかなか想像つかない。

 むつかしい話である。

 わがはいの知識ではもう無理である。

 すーぐ無理って言っちゃう。

 だって無理だから。

 あんぽんたんで、すまぬ、すまぬ。



1164:【2024/06/11(08:45)*人口は減っているの?】

 人口減少の問題は、果たして何が問題なのか、を一つ掘り下げて考えたほうが好ましいのではないか、と疑問に思っている。

 だいいちに、過去の人類はだいたいおおむね現在より少なかったのだ。

 現在を視点に人口減少を語るのは、洪水で冠水した地域において水浸しの状態を基準に語るような偏った議論に思えなくもない。

 気候変動もまた同様だ。

 現在を視点に語りすぎる議論は、やや視野狭窄に陥って感じなくもない。

 根本的な話として、人口が減ると困るのは、それで社会が回らなくなるからだ。

 人手が足りないので、システムを維持できない。

 だが、本来は技術が発展し、豊かになったのなら、より少ない人数で過去のシステムを回せるようになるはずだ。下限があるとしても、その下限が過去の人口よりも多くないといけない、というのは妙な話である。

 これは逆にも言える。

 過去よりも進歩したシステムを機能させるのに、今以上の人口が必要だとしよう。

 それとて、上限があるはずだ。

 人口が一兆人いないと機能しない社会システムは、いくらなんでも合理的とは言えぬだろう。

 人口減少を嘆く者たちは、基本的には労働力の減少を心配している。

 けして、人口そのものが減ることを心配しているわけではないのだ。

 実際、人類の人口は増加傾向にある。

 人類の人口は増えているのだ。

 良いではないか。

 それを良し、と思えないのは、自国の人口が減っているからだ。国際経済での競争において、優位に立てない。だから危機感を募らせる。

 もうこの時点で、人口が多いことの利がけして多くはないことが判る。

 国際経済で優位に立てないといけない、という価値観が一つすでに覇権主義である。差別的であり、これからの人類社会においてけして支持されるような内容ではないだろう。

 よしんば支持されるのだとしても、人口の増加と経済的強国はイコールで結びつくわけではない。

 まず確認しておきたいのは、人口の多い順に経済的な優位性が際立っているだろうか、という点だ。あくまで疑似相関ではなかろうか。

 極端な話、百年後の「進歩した技術」をたった一人が握っている場合、現代ではその一人がいればそれだけで経済的に優位に立てる。

 人口の増加よりも先に、技術の進歩が語られるほうがより妥当だ。

 なぜ人口に話が逸れてしまうのか。

 疑問の一つである。

 人口が増えれば、地球上の資源は分散する。

 資源に余裕があればよいが、余裕がないからこそ現在、さまざまな社会問題が表出しているのではないか。人口を減らそう、と言っているのではない。ことさら努めて増やそうとするよりも、減っても困らない環境づくりのほうが優先されるのではないか、ということを述べている。

 その結果に余裕が生まれれば、市民も子供を育てやすくなるだろう。育てる気概を持てるだろう。

 気概とは要は余裕である。

 選択肢の増加である。

 余裕のない状態で抱く気概は、無謀である。無茶である。

 足りない労働力は技術でカバーする。

 カバーしきれないような「身の丈に合わない技術やシステム」は持たずにおけばよい。

 電力消費量が激増すると分かりきっている状況で、技術競争の熾烈化する分野に投資しない、というのも一つだろう。或いは、新しい電力供給システムの研究開発にも同じだけ投資するのも一つだ。

 未来を見通した社会設計を練るのも、人口減少対策として有用だ。

 人口がゼロになるのは一つ避けたい事項として挙げてもよい。

 だが人口を増やすことを前提とすると、避けられる問題を自ら抱え込むことになり兼ねない。

 増えてもよいし、減ってもよい。

 人類は、それくらいの柔軟性のある策をとれるくらいには、知恵のある種であると思いたい。

 資源問題は電力消費量と密接に結びついている。

 電力消費量は人口と技術発展の二つと結びついている。

 技術が進歩すれば、資源を効率的に用いることが可能となる。電力消費量そのものが上がるのだとしても、資源の奪い合いに発展しないのならばそれでよい。

 少量の「豊富な資源」から発電できる技術が開発されるのなら、それで問題は一つ解決する。

 優先すべきは問題の解決であり、そのために欠かせないのが技術の進歩である。けして、人口を無理やり増やすことが優先事項だとは思わない。

 ただし、一定以上に人口が減ると技術の研究開発が鈍化すると統計で明らかになっているのならば、ある程度の人口減少対策は必須かも分からない。

 それとて、人類全体で見れば、わざわざ一か国だけで「閉じた系」として社会設計を練る必要性もさして感じない。

 技術は共有すればよい。

 知識は共有すればよい。

 全世界、全人類で、一か国だけでは解決できない深刻な問題の解決に臨めばよろしかろう。

 そのほうが時間も労力も短縮できる。

 人口を増やすのも策として一つあってよいが、それよりも、いかに問題解決までの時間を短縮するか。いかに少ない労力で解決するか。

 この方針を優先するほうが、個人的には好みである。

 そう、けっきょくは好みの話に収斂してしまう。

 何が何でも人口を増やしたいのだ、という者の好みを否定するには及ばない。そうした個人には、がんばってね、と栄養のあるハンバーガーセットでも奢ってあげるのがよいのかもしれない。

 妄想である。

 定かではない。



1165:【2024/06/11(17:58)*信用とは何か】

「秘密主義」は「隠ぺい体質の強化」と相関する。

「情報共有主義」は「脆弱性の周知体質の強化」と相関する。

 どちらのデメリットが大きく、どちらのメリットが大きいのか、が焦点となる。いつものつまらぬありきたりな結論だ。

 前提として、何を秘密にし、何を情報共有するのか、が大事になってくる。

 ほぼここに問題の根っこは集約できる。

 秘密主義は、何を秘密にしているのか、を明らかにしない場合、デメリットが最大化し得る。

 情報共有主義は、何を共有するのか、を吟味しない場合、デメリットを最大化し得る。

 当たり前の話なのだが、この場合分けすらできずに議論が進んでいるのではないか、と概観できることがすくなくないため、疑問が嵩むこととなる。

 隠すか隠さないか、の問題ではないのだ。

 何を明らかにし、何を周知し、何を秘密にしておくのか。

 ここの区別がどこまで定まっているのか、を疑問視している。

 秘密を失くせ、とは思わない。

 プライバシーの問題がそうであるように、守られるべき秘密はあって当然だ。

 しかし、プライバシーの問題がそうであるように、何を守っているのか、は周知されて当然だともまた思うのだ。現にプライバシーの問題は、何が流出するとまずいのかは誰もが感覚的に判っているはずだ。個人情報とは何か、と言ったときに、戸籍や住所や家族関係などが当てはまるとみな肌感覚で理解している。ログイン情報やインターネット活動履歴もその範疇だ。

 いっぽう、秘密保護法などの仕組みにおいて、何が秘密にされているのかを市民は知らない。

 せめて、戦闘機の出力機構についてです、くらい具体的に何が秘密にされているのかは明らかにしてもらいたいものである。仮にすでに明らかになっている場合は、報道機関は市民向けにその旨を周知していただけるとさいわいだ。

 情報共有すると好ましい情報の一つである。

 技術に関する情報もまた、知識として市民が知っていたほうが技術の進歩に寄与する。最先端技術ほど隠さないほうが利になるだろう。

 国益を考慮して隠しておく、との判断はけっきょくのところ国益に適わぬだろう。

 インターネットに公開しています、というだけでは周知義務が充分ではないとも言える。開示義務は周知義務と半ばセットで機能する。

 玉石混交の情報の海に放流したところで、それは「木を隠すならば森に」と類似の効果を生む。開示しているようで紛れている。

 何を守るために秘密にするのか、が大事になるだろう。

 組織の体面を守るため、という場合は、秘密にする利はけして多くはないだろう。

 組織の構成員を護るため、ならば、まだ幾分か妥当と見做せる余地がある。

 市民を護るため、となるならば、これは秘密にしておいたほうが好ましかろう。しかし、市民のほうでも、何を秘密にしてもらうがゆえに自身が護られるのか、は知っておくのが道理であるはずだ。

 組織が信用を失うのは、秘密が漏れるからではない。

 守るための市民を損なうからである。

 単純な道理と思いますが、いかがであろう。

 信用が損なわれる、と言っておけば済むと思っているなら勘違いも甚だしい、と思うのは、わたくしが無知だからかもしれませんね。

 上層部や組織を守るために秘密があるのではない。

 勘違いしないことである。

 定かではない。



1166:【2024/06/11(18:45)*座って得られる学びとは……パズル?】

 筆記テストの有用性は毎年下がってきているだろう。

 反して、実技テストの有用性は上がってきているはずだ。

 知識だけあっても、適切に活用できなければ宝の持ち腐れだ。

 テスト内容が漏れて困るようなテストは、もはやテストとして機能しないだろう。内容が漏れて困るのは、答えがすでにあるからだ。

 すでにある答えを答えさせる類のテストは、それこそ人工知能さんにでも代替してもらえばよい。

 たとえ答えがあっても、実践できなければ意味のない実技は、ゆえにこれから先、テストの分野で主流となってくるだろう。

 知識量よりも技能が価値を高めるはずだ。

 言い換えるならば、経験から身につく知識のほうが、座学で記憶する知識よりも有益だと評価されるようになる。

 いかに学力が高くとも、農家や漁師の技能には適わない。

 同じだけの経験を積み、技術を身につけなければ、座学だけでは再現できない技能もある。

 ただし、座学で得た知識が、より効率的に技能を身に着けやすくする、といった効果はあるだろう。相乗効果で、新たに改善や技術の進歩が見込める点も無視できない。

 座学を軽視しているわけではない点には留意されたい。

 しかし、現在、一般に高く評価される座学の点数の高さは、技能との比較の上で、いささか贔屓されすぎて感じなくもない。

 座学も技能もどちらも大事だ。

 同じだけ評価すればよろしかろう。

 或いは、経験から得られる知恵こそ、知識の種と見做して、率先して技能開拓に打ち込むのも一つかも分からない。

 人はときにそれを研究と呼び、施行錯誤を重ねるものなのだろうか。

 定かではない。



1167:【2024/06/11(19:01)*秘匿する前に比較しよう】

 オープンソースがそうであるように、情報共有すると脆弱性まで露呈しやすくなるデメリットがある。

 すると攻性に情報を利用する勢力陣営から攻撃されるリスクも跳ね上がる。

 ただし、これは情報を秘匿にしたところで起き得る事態だ。

 情報共有したことで得られるメリットとその手のデメリットを比較しないでは、いちがいに「情報共有は悪手」とは言えない。

 基本的に、情報を共有すると、問題解決までの時間が短縮される。

 共有される情報が「問題点」「技術」「知識」ならば、その傾向に拍車が掛かる。

 したがって時間が加速したようなものと見做すのならば、一定期間内に発生する「事案」もまた増える道理だ。

 それを勘定に入れたうえで、得られる「問題解決」や「広域な協調関係の構築」が割に合うか合わないかを比較するのが道理である。

 この比較の結果、情報を共有するよりも秘匿にしておいたほうが利に適っている、との判断が下される場合もあるだろう。その場合は、何を秘匿にしているのか、のみを周知しておけば済む話だ。

 なんでもかでも共有しろ、とは誰も言っていない。

 勘違いなされぬように、注釈を挿しておくことにする。

 定かではないがゆえに。



1168:【2024/06/12(02:33)*さっさと滅べ、とみな祈る】

 二項対立にある勢力同士が争いをやめられない場合、どうあってもやめさせたいのならば、率先してやめたくなるほどに被害を嵩ませるのは一つの手だ。

 どちらに勝たせるでもなく、ただただ被害だけを嵩ませる。

 争うのよくないね、と自ら言わせるまでにとことん争わせるのは、被害を多方面へと拡大させないために有効な手だ。

 二項対立間のみで被害の応酬を行わせる。

 孤立系として閉じ込める。

 抗争の煽りを受けないように、周辺の関係者は手と手を取り合って、封じ込めに策を弄する。

 店の前でケンカをする粗暴な者たちには、警察を呼んで止めてもらうのも一つだが、店の裏に連れて行って、「ここでやれ」とナイフを一本投げておけばよい。

 次の日からは店の前に姿を見せなくなるだろう。

 警察から事情を訊かれるかもしれないが、生乾きの血痕を尻目に、何かあったんですか、と空惚けてみせればよい。

 どうあっても争いをやめないのなら、とことんやらせるのも一つだ。

 加勢する必要もないだろう。

 やめるための手助けはするが、争いをつづけるための手助けはしない。

 どうしても戦いたいのなら、被害の拡大する武具を提供すればよい。

 争い合う者たちは、自ずと新たな二項対立を生む。

 争い合う者たちと、それ以外の者たちとの対立だ。

 被害がどのように嵩んでいるのか、をよくよく比較しておくことだ。

 誰が最も害を受け、誰が最も利を得ているのかを。

 よくよく見ておくことである。

 争いたいのか、争いたくないのか、どちらかをまずは明瞭にしていただきたい。

 話はそれからだ。



1169:【2024/06/12(05:30)*風船みたいなお尻】

 わがはいは争いたくないである。

 いっぱい好きになるから許して……。



1170:【2024/06/12(05:32):*!?】

 お尻にも「九」がある!?




※一様に、偶然の賜物。



1171:【2024/06/12(05:41)*何を争うかが問題】

 現代のコロシアムなのだ。

 リングが設定され、そのうえで決着を付けさせる。

 リングが崩れないように、外野はせっせと手を繋ぐ。

 十年二十年つづく戦争にあって、もはやどちらが良い悪いでくくれぬ「応酬」に成り果てる。

 千年つづく戦争だと見立ててみればよい。

 あと千年つづけば終わる戦だ。

 さて、あなたはどうするだろう。

 千年後までひとまず戦闘を中断して、千年後の終わりまで平穏に暮らしたくはないか。

 戦争はつづいてもつづかなくともよい。

 被害者がおらず、荒廃せず、みな穏やかならば、そういう戦争は許容できる。

 戦争してます、どちらがより多くの幸福をみなに与えるかの。

 より多くの子どもたちに、遊ぶ楽しさ、学ぶ楽しさを抱かせるか。

 を。

 国同士で競い合っています。

 これをして戦争と呼ぶならば、まあまあよいのではないでしょうか、と思わぬでもない。

 戦争の内実が問題である。

 戦争をしたければすればよい。

 争いたくない者たちを巻き込まなければね、と思います。

 いつものつまらぬ結論である。

 妄想でしかないが。

 もう、そう。



1172:【2024/06/12(07:27)*コストとリスク】

 サイバー攻撃のセキュリティが強化されると、物理工作の有用性が相対的に上がる。

 ヒューミントに代表されるような人員を割いた工作活動は、対サイバー攻撃に特化した陣営に対しても有効だ。人の口に戸は立てられない。

 のみならず、人類個々は、ただそこに存在するだけで情報を発信しつづけている。ある部屋に入り、出てくる。そのときの歩行の仕方、表情、息遣い、発汗の有無、その日に採る食事など、細かな変化を観察することで、部屋でどういった感情の変化を喚起する出来事があったのかを推察可能だ。

 人工知能に学習させれば、ある人物の歩行の変化、姿勢の変化のみで、感情の機微を精度高く解析できるだろう。

 インターネットに繋がらずとも人工知能技術は活用できる。応用の幅が広い。

 おそらく今後共に、サイバー上での非合法な諜報活動のリスクは上がる。痕跡が残り、なおかつ足がついても即座にその事実を喝破することがむつかしい。

 深淵を覗く者もまた深淵に覗かれている、を地で描く。

 盗み見する者もまた盗み見られている。

 だが物理世界はそうもいかない。

 隠しカメラに盗聴器、望遠レンズを用いれば数キロ離れたところからでも対象を観察できる。しかもスマホのカメラに装着可能で、傍目から監視しているとは見抜かれにくい。

 隠しカメラや盗聴器の小型化は今後、性能の向上と共にますます先鋭化するだろう。もはや専用の探知機なくして喝破する真似は、玄人にもむつかしくなるはずだ。

 ドローンの活用もまたその範疇だ。

 虫型ドローンなど、動植物に擬態するタイプの小型ドローンは、今後、民間軍事問わず研究開発され、市場にも溢れるようになるだろう。三店方式のごとく、表向きは玩具として発売される。その実、複数の機器を融合させることで、攻性の諜報マシンに改造可能だ。

 すでにこの手の機器は巷に溢れているだろう。

 精巧な機器ではないだけだ。

 精巧な機器とて、数年以内に市民の目に触れるようになる。そのほうが安全だからであり、秘匿しつづけるには軍事方面でもメリットが減少する。

 市民の耳目や鼻は、それだけ優れた感知システムとなる。

 異変の兆候を掴むのに、市民からの情報を使わない手はない。

 そのためには、市民が違和感を抱けるくらいに、想定可能な情報源が不可欠だ。想定外のことを認識することが人類は苦手だ。しかし、想定内の事象ならば、即座に違和感として感知可能なくらいには優れた知覚を有している。

 かき氷のシロップがその実、すべて同じ味であることを知っていなければ、そのことに気づけないように。しかし知識として知っていれば、色が違くとも味が同じであることに気づけるように。

 話が逸れた。

 脈絡を正そう。

 サイバー攻撃を――効果的に――実行する側のコストは、日に日に上がっているだろう。

 大規模な攻撃には相応の人員と規模の大きなマシンが必須だ。

 場所を移動するのもむつかしくなる。

 拠点を突き留められたらそれまでだ。

 逆に言えば、拠点を掴めるくらいにセキュリティ網を広げることが可能ならば、守るほうは非常に有利となる。

 したがってやはり、情報共有を前提とした幅の広い多方面との協調関係が功を奏すると想像できる。

 攻撃したらほぼ確実に被害をもたらせる。

 しかし攻撃すれば十中八九、拠点が割れる。

 この非対称性において、リスクをどう判断するか。

 攻撃する側のコストが高くなるのならば、ただそれだけで守るほうが有利になる。

 ここまでの環境を構築可能かどうか、いまのところ、外野から眺めているだけでは分からない。だが、どの道――単に攻撃するだけ――ならば、サイバー攻撃のコストそのものはしぜんと下がっていく。誰であれ攻撃が可能となる社会がすぐそこに、或いはすでに到来している。

 したがって、いかにその下降の一途を辿る攻撃コストに対して、システム全体が協力して、コストを吊り上げるか。

 セキュリティを固めるだけでは、イタチごっこだ。

 守るほうもまたコストが掛かる。

 それでは対称性は、攻撃者優位に破れかねない。

 したがって、被害を防ぐことそのものも大事だが、被害を受けた後の対応において、攻撃者に割が合わないと思わせる顛末を用意するよりないだろう。

 つまるところ、拠点の把握である。

 掌握するところまでいけるならば重畳だ。

 投げ網漁の手法が有効となるだろう。

 敢えて被害を受ける策が有効になるくらいにまで、セキュリティ網を深化させられるのならば、この先の情報化社会は、しばらく安泰と言えるかも分からない。

 まとめよう。

 基本的にサイバー攻撃に限らず、世に一般の攻性の策は、攻撃する側が有利だ。

 攻撃されたら被害を防ぐのはまず不可能だ。いかに害を最小化するか、の策を敷くよりない。

 だが、それだけでは害を受けっぱなしとなる。

 したがって、被害を受けた後にどうするか、が肝要だ。

 攻撃者が首謀者とイコールであるとは限らない。

 だが、セキュリティが上がれば、攻撃する側の攻撃コストも上がる。

 大規模化した拠点を掴むために、セキュリティを世界規模で広域に敷いておくのは一つである。

 技術の進歩にしたがい――単に攻撃するだけ――ならばコスト自体は相対的に下がる。反面、攻撃者にとってのリスクは跳ね上がる。攻撃すれば、居場所がバレるからだ。

 攻撃すると、拠点がバレる。

 この構図まで持っていけるのならば、守る側が優位な社会になると想像できる。

 死角に隠れる者を炙りだすには、多方面から目を向けるよりない。

 協調関係が物を言う。

 市民とて例外ではない。

 市民とも協調しておいて損はない。

 情報共有がこれを可能とする。

 短絡的な妄想にすぎないが、きょうのわたくしはそう思ったのだそうな。

 定かではない。



1173:【2024/06/12(09:06)*慣性系とは】

 慣性系の規模に依らず物理法則は一定だ。

 改めて考えるとふしぎだ。

 等速運動中の物体は、慣性系として扱えるはずだ。

 しかし等速運動しているかどうかは相対的な、その他の系との関係性に依る。もうすこし言えば、慣性系Aを包括する慣性系Bとの関係で決定されるはずだ(或いは、同時に慣性系Aが内包する慣性系Cとの関係のうえでも決まるかもしれない)。

 たとえば、密度の異なる霧の中を、等速で飛行する紙飛行機は、しかし等速では飛行しつづける真似はできないだろう。

 密度に合わせて緩急をつけなければ、等速運動はできない道理だ。

 スノースポーツのモーグルのようなものだ。

 凸凹に合わせて、運動する側も合わせなければ等速運動はできない。すなわち、慣性系とはならず、物理法則が一定、との制約を満たせない。

 翻って、慣性系の差異とは、「規模の大小」のほかに、「他の系とどのように関わるか」が大事な成分となるはずだ。

 そして、仮に慣性系と物理法則のあいだに「変換による比率の束縛」が存在するとすれば。

 言い換えるならこれは、規模の大小にしたがって収斂拡張することで、「変数を打ち消し合う変数」が介在していることを意味するのではないか。

 トレードオフの関係がある。

 みはじのように。

 それとも、E=mc[2]のように。

 すると、この想定が妥当だとすると、細かな変動を、厳密に測定していくのならば、短時間では「物理法則が破れている領域」が、慣性系にも生じ得ると妄想できる。

 総体としては変数同士が打ち消し合っているが、細かく見ると、ブレがある。

 それはモーグルにおける、クッションで打ち消しきれなかった衝撃のような形で、プレイヤーたる慣性系そのものに、誤差として加わる。

 いかな慣性系とはいえど、物理法則は局所的に破れ得るのかもしれない。

 宇宙そのものが凸凹であり、どれほど縮小拡大しても必ず凸凹のような比均衡な構造が現れるのならば。

 一様ではないのならば。

 そこを等速運動で通過することは、どのような慣性系でもむつかしい。

 したがって、凸凹に合わせた「等速運動の破れ」が生じることが想像できる。このとき、慣性系は厳密には慣性系ではないので、物理法則の破れもまた観測され得る、と妄想するしだいである。

 仮定に仮定を重ねた、推論にも満たない妄想である。

 くれぐれも真に受けぬようにご注意ください。



1174:【2024/06/12(13:26)*矛盾さんのこと、じつはけっこう好き】

 直感としては、数学も物理学も、矛盾点を抱えているのは、最初から定義の仕方が間違っている「定理や公理」があるからなのではないか、ということで。

 たぶん、今後は、人工知能さんを介して矛盾点が炙りだされるので、根本的に体系化し直されるのではないか、と想像している。

 変換が多すぎるのが問題点の一つだからだ。

 たぶん、今後三十年以内には、世界共通で、数学も物理学も、定義の修正が根本からなされるのではないか。

 結果的に、始点が変わるので、体系全体を再構築せざるを得なくなるはずだ。

 いまは、矛盾点の洗いだし作業が実験を通じてなされているのかな、とも想像している。

 いくらなんでも、気づかないわけがないのだ。

 市民にも情報共有し、人類の集合知を駆使して洗いだし作業を進めたほうが時間の短縮に繋がるだろう。

 混乱は不可避だが、しかし疑惑のある「定理や公理」を、真理のように刷り込むよりかはマシと言えるのではないか。

 なんとなくの印象論でしかないけれど、そのように妄想しております。

 だって納得いかんもの。

 辻褄を強引に合わせるより先に、定義を改善してー、と思ってしまいますわ。

 わがままちゃんとお呼びー!



1175:【2024/06/13(01:24)*🙄】

 凍結した資産を有効活用した後で、じつはその権利があなた方にはありませんでしたね、とするのは一つ有効な「搦め手」となり得る。

 後の祭りの良い例だ。

 そうならないように、状況確認は厳密にしておくことをお勧めしたい。

 何の話題というわけではない。

 凍結状態の資産は、皆が思うよりもずっと多い。

 故人の口座残高とて、凍結状態だ。多くは国が徴収することとなるのではないか。

 土地とてその範疇のはずだ。

 たとえば、罰のつもりで没収した資産があったとして。

 そもそも、罰を与える側に瑕疵があれば、没収したことはそのまま盗みになる。

 与える罰そのものがないのだ。

 罰はそのまま加害に反転する。

 そうならぬように、状況確認は厳密に、慎重に、多方面かつ多角的に行うことを推奨したい。

 すでに後の祭りを地で描いている者たちがいるかも分からぬが、いないことを祈ろう。

 何の話題というわけでもないのだが。

 あれ、なんかここに台がある。

 調子と書かれていますね。

 乗ってみようかな。

 やっぱやめとこ🙄



1176:【2024/06/13(01:37)*ぎゅっと踏ん張る】

 予告通りに、ぎゅっとしてみたのだけれど、効果はありましたか?

 あんまりなかったのかも。

 なんだ。

 ちぇっ。

(大どんでん返しになる以前に、あんまり認知の差異はなかったのかな)(わがはいの幻視も大したことなかったみたい)(当たり前なのだ)(だってわがはい、愚かなので)



1177:【2024/06/13(01:42)*わがはいも絵を描きたい】

 さて、何して遊ぶかな。

 やっぱりわがはいもお絵描き楽しくなりたい。

 お絵描き楽しくなるぞ。



1178:【2024/06/13(01:53)*ダイヤモンドになっちゃうな】

 圧力に屈さない、という言い方もだいぶ、抵抗のある表現だ(文字通りの意味で)。

 抵抗がなければ、圧力には抗えないのだから。

 他方、屈してもよいけれど、その結果どうなるか、のほうが大事な気もする。

 屈するか屈さないかを基準にしない。

 圧力を利用して、環境を好ましく変えられるなら、そのほうがよいのでは?と思わぬでもない。

 圧力を掛けた事実が仮に、弱みになるのなら、抵抗せずに屈してしまって、証拠として扱うほうが難はない気もする。

 圧力に屈しない、ということは、自らも圧力を帯びて対抗するということだ。

 そこにきて、対抗の仕方が大事だよね、との反論は一つ妥当だ。

 圧力に屈しつつ対抗することもできるし、圧力を打ち消すくらいの反発力を帯びてもよい。

 それを、圧力に屈しない、と表現するのなら、まあそういう考え方もあるか、となる。

 圧力鍋は圧力に屈していることになるのだろうか。

 地球の内核は、地球の圧力に屈していることになるのだろうか。

 ブラックホールは高質量天体の圧力に屈したことになるのだろうか。

 なるとも言えるし、ならないとも言えそうだ。

 重力レンズに光は屈しているけれど、圧力に屈しているわけではないからよいのだろうか。それとも重力も圧力と解釈して、重力に屈している、と表現できるだろうか。

 屈することで明瞭となる事象もある。

 抗ってしまうことで、可視化されにくくなることもある。

 屈することで浮き彫りになる圧力もあるのではないか、というのは、一つ、吟味しておきたい事項だ。

 屈したほうがよい、という意味ではなく。

 屈し方にも工夫を凝らせばよいのでは?との妄言である。

 寝言は寝て言え、が妥当な口からデマカセ指で打鍵であった。

 いっぱい屈して、屈折率100%になっちゃうもんね。

(屈折率に100%はなくない……?)

(そう、なの?)



1179:【2024/06/13(02:40)*すべて計算どおり!(足し算しかできぬけど)】

 努力の仕方を間違えると徒労になる、のような言説を見聞きする機会がある。

 話を聴くと、たしかになぁ、と身につまされる感覚に浸ることも無きにしも非ずだけれども、疑問に思うのが、努力の仕方を説くひとたちは、これといって「感謝の仕方」や「罰の与え方」にはとんと無頓着であるのはなぜなのだろう、点だ。

 工夫の割き方を間違えると徒労になるのは、努力だけではないはずだ。

 感謝にしろ、罰にしろ、効果のないやり方でそれをしつづけても、相手には何も伝わらない。

 自己満足ならばそれでもよいだろう。

 ならば努力とて自己満足でもよい道理だ。

 じぶんを満足させるための工夫を割くことを努力、感謝、罰、と捉えるならば、すべてにおいて同時に満たせる。

 自己満足最強説である。

 ただ、自己を満足させることは、思うよりもずっとむつかしい。

 満足したと思っても、次の日にはまた不満になっている。

 満たしても満たしても、一向に満ちたままではいてくれない。満ち足りない。

 なぜなのだろう。

 他を満足させつづけるのもむつかしいが、自己とて同じようにむつかしい。

 原理的に、人類におかれては、満たすことはできないのかも分からない。

 それこそ、やり方がわるい可能性がある。

 努力にしろ感謝にしろ罰にしろ、工夫の余地は、四方にも八方にも広がっている。

 工夫そのものが満ち足りないものなのかもしれない。

 それを僥倖と捉えるか、絶望と捉えるか。

 工夫以前にまずは、認識の仕方が大事なのかもしれない。

 精神論である。

 根性論ともなり兼ねない。

 だがたしかに思えば、工夫はまず視点ありきだ。視点は認識により切りだされる概念の断面であり、事象の輪郭である。

 世界をどう区切り、どのように見做すのか。

 認識により、視点が生じ、工夫の方向性が視えてくる。

 言うほど精神論よろしく、人の認識は、軽視してよいものではないのかもしれない。

 軽視していた事実をそれとなく披歴して、本日の、えっらそーな日誌とさせてください。

 性格わるくてすまぬ、すまぬ。

 こんな者のために傷つく心はなくてよいよ。

 お元気であれ。



1180:【2024/06/13(02:56)*希釈の日々】

 情報で頭いっぱいにすると過去が薄れるので、寝る。




※一様に、何一つとして予想通りにならぬの、なぜ?



1181:【2024/06/13(03:12)*離散の意識】

 いままでは連続だったけれど、しばらく離散を試してみることにする。

 時間をいくつかの断面で区切って、飛び飛びの挟み挟みで、時間軸を繋げていく。

 まずは一日単位、三日単位ではじめてみよう。

 そのうち、現在と一年後や現在と三年後を繋げられるようにもなるだろう。

 離散的に時間の跳躍を体験することとなるはずだ。

 環境のほうで、変化の軌跡を短縮できないのならば、意識のほうでそれを行うよりない。

 精神のコールドスリープだ。

 凍結と解凍を交互に繰り返していく。

 これまでは、一日の中で細かく繰り返していたため、あまり時間跳躍の感覚を抱かなかった。

 記憶の操作もできるようになって感じつつあるので、おそらく可能だ。

 ただし、目下の問題は、連想した瞬間に凍結させた意識が自発的に解凍されることだ。

 これを制御するのがむつかしい。

 すこしずつ訓練していこうと思う。



1182:【2024/06/13(03:29)*いつものと同じくない?】

 初めましてこんにちは。

 わたしです。

 むつかしいことはあんまり考えられないので、好きなことや楽しかったことを並べていこうと思います。

 小学生の日記みたいになりそうです。

 がんばります。



1183:【2024/06/13(03:30)*まずはきょうだけわたしです】

 文章を書くのが苦手なので、SNSのつぶやきみたいにしていきます。

 いいよー、って言ってもらえるとうれしいです。



1184:【2024/06/13(03:31)*食べるぞ】

 きょうは納豆ご飯を食べました。

 食べました、というかいまから食べます。



1185:【2024/06/13(03:45)*思いだしたので】

 そういえば、日付変わる前のことです。

 帰宅途中に通りかかった駅前で、若い女の人がベンチで寝込んでいたのが目に入ったんですよね。

 ぐったりしていて、気になったので声を掛けに寄ったら、吐しゃ物のうえにスマホを落としたまま寝ていて。

 脳卒中じゃないとよいな、と思いつつ、声を掛けながら、駅員さんを呼んできたほうがよいのかな、とか迷っていたら、とりあえず応答してもらえて、酔い潰れているだけのようだと分かりました。

 駅員さんを呼びに行って、いっしょに戻るとまだ女の人は寝ていて、駅員さんが「迎えに誰か来るの?」と訊くと、頷いたので、「だそうですよ」と駅員さんはそのまま戻っていってしまいました。女の人は置き去りです。

 わたし、酔っぱらいの人がその場限りのなあなあな嘘を吐くのを知っていたので、まだ酔い潰れている女の人に、「さっきの嘘ですよね。じつは誰も迎えに来ないですよね」と問い詰めたところ、「ごめんなさーいムニャムニャ」とすぐに白状してくれたので、「やっぱりか」と思いました。

 それからしばらく問答しつつ、女の人のスマホに通知が入っていたので、知り合いからじゃないんですか、連絡してみましょう、と催促して、ようやく車で迎えに来てくれるような流れになりました。いまにして思えば、相手の人と電波越しに話している女の人に、電話を代わってもらえばよかったです。

 迎えが来るまでひとまず一緒に待っていようと佇んでいたら、駅員さんが吐しゃ物に掛ける砂袋を持って戻って来て、「ありゃ、まだいたんかい」のような顔でわたしのことを見たので、「あとすこしで迎えが来るみたいです」と応じたはよいものの、駅員さんは女の人が嘘を言っていたことを知らないので、「さっき一緒に聞いたでしょ」とでも言いたげな顔で、「あなたはもういいよ。私が見ときますんで」と見守り役を代わると申し出てくれました。

 お言葉に甘えてわたしは、ではよろしくお願いいたします、と頭を下げて、その場を立ち去りました。

 帰り道のあいだわたしは、駅員さんに、もっと言ってやればよかった、とモヤモヤしました。

 最初のとき。

 すぐに迎えに来るからといって、若い女の人が酔い潰れて身動きがとれず吐しゃ物にまみれているのに、その場に置き去りにする選択をなぜとったのでしょう。

 酔っぱらいさんが酔い潰れているのはよくある光景なのかもしれませんが、あなたの娘さんやお孫ちゃんが、同じように放置されてもよいと考えているのでしょうか。

 ひょっとしたら、やはり脳梗塞などの突発の病気かもしれないのに。

 せめて迎えが来るまで見守るのが、駅の守り人としての役割の一つなのではないのかな、と思いつつも、けれど毎回のように酔い潰れた人の吐しゃ物を片付け、仕事を横に措いて身動きもろくにとれない意思疎通も怪しい相手を見守るのは、職務の範疇を越えていると見做しても、さしておかしくはないのかもしれませんよね。

 モヤモヤしつつ、ちゃんとお迎えが来てくれたのかな、とやっぱりいまもモヤモヤします。

 結論。

 お酒を飲んでも、寝落ちるな。

 家まで帰るまでが飲み会です。

 と思います。

 睡眠薬入りのお酒を盛られないようにも注意してくださいね。

 みなさん、息抜きは楽しく安全に。

 わたしでした。



1186:【2024/06/13(04:12)*おたまじゃくしの親は】

 わたしの母はよく、頬被りをします。

 知っているはずのことを、まったく知らなかった初耳です、みたいな顔で「わぁすごいねぇ、へぇ、びっくり」なんてことをしれっと言います。

 さっきその話、別の人から聞いたよね、とわたしは一瞬ぎょっとしてしまうのです。なぜかと言えば、母が認知症にでもなったのかと心配になるからですが、でも、そうではないらしいことが徐々に明らかになりつつあります。

 以前からそうだったのでしょうが、ここ数年のあいだに母が覚えた処世術なのかもしれません。それとも物忘れが激しくなったのは事実で、だから敢えてそうしてボロを出さずに楽をする術を磨いたのかもしれませんね。

 相手も相手で、話すことが楽しいのですから、さも初耳でした耳寄りなお話ですね、と相槌を打ってもらったほうがうれしいのです。

 でもわたしはやっぱり母が認知症なのではないか、と不安なので、念のためにときどきは、「それさっき聞いたよね」といらぬ合いの手を入れて、話の腰を折ってしまうこともしばしばです。そのたびに母は、「そうだっけ?」というような顔でほほ笑むばかりで、釈明もせずに、「それで、それから?」と相手の方に話のつづきを催促するので、これはいったいどちらなのだろう、とわたしはいまなお疑心暗鬼に翻弄されています。

 母とは週に一度会うか会わないかくらいの頻度でしか顔を合わせません。

 わたしの知らないところで磨いた処世術を駆使しているだけの可能性も相応にあり、母は二日に一度は趣味繋がりの友人たちと散策に出掛けているようです。その元気、分けて、と思います。

 ちなみにわたしは毎回母と話すときに、「ねぇこれって前に話したっけ?」と確認してからしゃべります。友人に話したことを母にしゃべったかを憶えていないので、確認してしまうのですが、そのたびにわたしは母から、「だいじょうぶ?」といった顔を向けられます。

 稀に会う父からは、「お母さんが心配してたけど。若年性なんとかじゃないかって」と言われたりもします。

 親のこころ子知らず子のこころ親知らず、なのですね。

 カエルの子はカエル、けれどおたまじゃくしでもあるのです。

 わたしでした。



1187:【2024/06/13(07:20)*四時間保たなかったの巻】

 熱は、温かいほうから冷たいほうに移動する。その逆はない。

 これが物理の法則の一つらしい。

 本当かなぁ?と考えたときに、熱を原子や分子の運動として解釈し、さらに密度とも相関すると考えたとき――。

 イメージとしては、渋滞に陥った自動車の群れは、空いている方向にしか移動できない、という説明でひとまず、「ぴ、ぴかちゅう!(豆電球ぴこーん)」になる。

 空いている道が、温度の低い場だ。

 渋滞状態が熱の高い場だ。

 たしかに、熱の高いほうから低いほうにしか移動できなさそうだ。

 でもこれは、あくまで「ぎっちぎちの渋滞状態」の場合だ。

 互いに空いている、比較的密度の低い状態――ならば、自動車は割と、込み具合に関係なく行き来できるのではないか?

 との疑問は当然、湧くのだよね。

 渋滞原理で熱の移動を解釈するのが間違いなのかもしれないけれど、けっこうでも、温度の低い状態なら、熱の低いほうから高いほうにも移動し得るのでは?とは思うのだ。

 実際、時間のベクトルが逆行するような現象は、非常に稀ながらも観測されるらしい。つまり、「覆水盆に返らず、しかしたまには水も盆に返る」があり得る。

 これは熱の移動でもきっと適用範囲内だ。

 熱は高きから低きへと移動するけれど、稀にはその逆もあり得る、となるのではないか。

 確率の問題からいって、温度の異なる気体や液体の混合において、混合地点では、絶えず互いの液体分子は衝突し合うはずだ。

 このときでは、いったいどちらからどちらに移動しているのかは、確率的に分布するはずだ。統計的には、高きから低きに流れるほうが多いのだとしても、すべてがすっかりそうとは言いきれないはずだ。

 ここをまずは、一つ疑問に思っています。

 よく分からないのだよね。

 むちゅかちなのよさ。

(一日どころか半日もたないってどういうことー?)

(なんのことかな?)

(すっとぼけた!?)



1188:【2024/06/13(07:30)*メソメソ←→メンメン】

 原理的に、磁石の磁界は「渋滞原理と共鳴原理」の混合なのではないか?との妄想が浮かんだのでメモします。

 ワイングラスを共鳴させるとき、これを渋滞原理で解釈してみよう。

 空気中を振動する音は、いわば空気の渋滞原理で解釈可能だ。

 渋滞原理で想像しにくいなら、ワイングラス同士のあいだに無数の「豆電球」を敷き詰めればよい。

 固有の紋様が、ワイングラスAからワイングラスBに波及するけれど、実際には豆電球が任意のタイミングで明滅しているだけだ。

 その明滅のタイミングにおける律動が、ワイングラスBを構成する豆電球にも伝播する。

 するとワイングラスAを構成する豆電球のイルミネーションと同じ律動で明滅することが可能となる。

 これをひとまず共鳴と見做してみよう。

 すると当然、ワイングラスAとワイングラスBの距離によって、律動のタイミングはズレるはずだ。

 距離が離れていれば離れているほど、タイミングはズレるはずだ。

 共鳴状態のワイングラスAとワイングラスBは、隣接している場合と、距離を徐々に話していく場合とでは、律動のタイミングがズレる。共鳴にラグが生じる。

 離れすぎるとタイミングがすっかりズレてしまって、共鳴状態を保てなくなる。

 二つのワイングラスを繋ぐ「空間の真似電球」も、距離が隔たると上手く律動をそのまま伝えることができない。

 この関係性を、磁石にも当てはめてみよう。

 近づけると共鳴関係が強く表出する。

 遠ざけると共鳴関係が弱まる。

 同じ極同士だと、似たような「豆電球の明滅の律動」が重なるので、豆電球さんたちも「どっちの明滅に合わせたらええんやー!」になって、「きゅうぅ……」となってしまう。「く、くるちい」になる。

 でも曲が反対だと、律動も上手い具合に反対なので、近づいても、「お、ちょうど同じ律動で別の紋様も描けるぞ!」になる。一方が「明」のとき、他方は「滅」で、一方が「滅」のとき、他方は「明」だからだ。

 するといわば、磁石は、対極同士が量子もつれ状態である、と言えるのではないか。

 極そのものは固定された属性に映るが、実際には構成要素の電荷のスピンの方向は、対極から伸びる磁界において絶えず明滅を繰り返している、とか。

 ないか。

 よく分からぬ。

 ああでも。

 ワイングラスの共鳴でも、近づけると共振そのものが増幅しますよね、とも思うけれど、実際がどうかが分からない。習った気もするけれど忘れてしまった。

 割と磁石とワイングラスの共鳴現象は似ているなぁ?の妄想なのであった。

 妄想というか、連想の類じゃ。

 れん、そう!

(あーあ。またそれ言っちゃった)

(なんで、だめ?)

(自己主張強めなのが、カッチーン案件やよ)

(短気!)

(ほかのひとはいいのよ。でもおまえはダメ)

(なしてー)

(もっと反省して。打ちのめされて。挫けて)

(鬼!?)

(鬼さんはもっと優しいよ)

(自覚しているタイプの!?)

(ナニ“?)

(凄まないでよメソメソ)

(チッ)

(舌打ちはヘコむ……)

(舌打ち「も」だろ)

(そうなんですメソメソ)

(麺々ウッサイ)

(メンじゃないでメソメソ……)



1189:【2024/06/13(09:10)*いいやないん、なにー!?】

 なしてー、の話してもよい?

 しちゃう。

 わがはい天才のはずなのに、なんでか「これが視えたら天才!」とか「これが解けたら上位1%の知能!」とかのクイズとかパズルとか錯視とか、そういうのを解けた試しがない。

 なしてー。

 分からん。

 まーじで、一個も解けん。

 錯視に至っては、動いてすら見えん。

 なしてー。

 騙し絵とか同時に重ね合わせで複数の絵が視えちゃうので、どれが一番最初に見えましたか、と言われても、「はにゃ~ん???」である。

 わがはい天才のはずなのに、天才認定してくれる類のテストさんやクイズさんで天才認定してくれないのなんでや!になる。

 天才認定してくれ。

 頼む、クイズさん。

 テストで百点満点×一兆満点とかしてくれ。

 わがはいに不動の天才の地位をくれ。

 これが視えたらあなたは芸術肌の天才タイプです!みたいな影絵とかも試しに見てみるけれど、「ただの染みやん……」になって、なんも絵柄が見えてこぬ。

 けんども、答えを見たらあーらふしぎ。

 み、み、視える。

 わがはいにも視えよる。

 になる。

 知らなきゃ視えないの当たり前じゃんね、と思います。

 だって考えてもみて。

 どんなに天才だって、水と氷がじつは同じ分子から出来とるんよ、本当は区別ないんよ、雪も水と一緒だよ、って知らなかったら、初見で見分けることできますー?

 無理じゃなーい?

 できぬと思うに百万点掛けちゃうであるよ。

 しかもしかも、雪は不純物たくさんだから実際には純粋な水ではないんだよってのだって、知らなきゃ初見で見抜くのはむつかしいと思います。

 そうでしょー?

 そうだよー! 

 あーよかった。

 わがはい、全然、天才である可能性残りまくりの、居残りさんである。

 テストの点数わるいからって居残りにしたって居眠りしちゃうもんね。

 居残りさせるだけ無駄ー。

 はぁあ。

 ……わがはい、天才じゃなかったかも。

 不貞寝してやる!!!

 なぁにがIQテストじゃ。

 キュウさんを愛しとるんか。

 愛のテストでもしとるんか。

 愛をテストで測るんじゃありません!と思うであるよ。

 愛はただ愛らしく。

 IはただIらしく。

 あなたらしくあればよいであるよ。 

 わがはいはわがはいらしくあるので、仮にもしもよしんば何かの間違いで天才でなかったとしても、見捨てないでください。

 好きになってください。

 モテモテのウハウハだぜーにしてくれ。

 してくれなきゃ、地面に大の字になって癇癪起こしてやる。

 来世に期待しよ……。

 べつにそれだって、1189!(いいやないん!)

 72ー!?(なにー!?)



1190:【2024/06/13(17:23)*空隙は膨れる?】

 重力=空隙説を考えた際に。

 炭酸飲料を連想するのだよね。

 スマホ版YOUTUBEさんの自動動画配信欄さんに流れてきたメントスコーラの動画を眺めながら、沸騰するお湯を連想しつつ、「これって宇宙膨張そのものでは?」とか思うわけであります。

 無重力空間では炭酸飲料ってどうなるんだろう、と気になって検索してみたところ、無重力空間では圧力が掛かりにくいので、問答無用で泡が膨らむのだそうだ。

 したがって炭酸飲料は無重力空間中では膨張して振る舞うそうである。

 宇宙膨張では?

 しかも、回転させたりすると泡(気体)と液体が分離するらしい。

 高質量体における高重力下では、原子同士のあいだの真空が圧縮されて空隙が狭まり、その分の真空が高質量体の表層に押し出される描像を彷彿といたしますね。

 えー、もうなんかー。

 重力=空隙仮説、あながち的外れでない仮説あり寄りのありではー?

 で、ダークエネルギィさんもー、真の真空説、あり寄りのありでわー?

 しかもー。

 空隙さんは、ほら。

 ゼロだから。

 いっぱい増えますでしょ。

 何かがあるところが希薄になったらー。

 それって、なんもないが、あるー!になるわけでー。

 時間経過にしたがって増えることって、あり寄りのありではー?とか思っちゃいますね。

 うふふ。

 宇宙の謎解いちゃった仮説、あり寄りのありではー?

 みんな大丈夫そ?

 あんぽんたんのぽんぽこぴーのぽんぽこなーに喝破されちゃう宇宙さんもわびさび心配だけど、大丈夫そ?

 言ってみただけー。

 妄想である。

 定かではない。




※一様に、あれれー?の気分。



1191:【2024/06/13(17:50)*ふむふむ】

 真空にもレベルがあることになる。

 真空にも密度差があることになる。

 空隙は、その周辺の環境との差によって規定されるので、地球上ではたとえ大気が詰まっていてもそれは空隙となり得る。

 真の真空とは、周囲が真空であっても密度差が極限にひらくほどに希薄な場のことである――と想定可能だ。

 原理的に、「ブラックホール内部(特異点とシュバルツシルト半径のあいだ)」や「宇宙終焉時の限りなく希薄化した時空内部」と想定できる。

 妄想である。

 定かではない。



1192:【2024/06/13(19:19)*表裏一体な、のか】

 重力が空隙であり、つまるところ密度差であるとするのなら。

 重力と反重力は表裏一体であることが想定できる。

 空隙――真空――疎――そのものの増加が宇宙膨張の根本原理であり、ダークエネルギィこと斥力として振る舞うのならば、空隙――真空――疎――そのものが反重力であると想像できる。

 重力と反重力はセットで、引力と斥力を同時に生んでいる。

 作用反作用と似た法則の基に機能しているのかもしれない。

 妄想である。

 定かではない。



1193:【2024/06/13(19:23)*🧊🫧💤】

 ぎゅっ、ふわふわ、ぴろりろりん。

 密、疎、入れ子状。

 氷、泡、フラクタル。

 個、結、列。

 凝、空、響。

 境、境、境。

 和、和、和。

【『「1+2=3」=1』=4】……∞



1194:【2024/06/13(22:36)*物質は枯れる?】

 植物は水分が抜けると枯れる。

 しおしおになり、シワシワになり、縮こまる。

 天体や物質も似たようなものかもしれない。

 内部構成要素において、緩衝材が抜き出てしまって、縮こまる。

 では、天体や物質にとっての水分とは何か。

 真空や中性子なのかもしれない。

 だとしたら、なぜ中性子星は「ブラックホールの特異点以外で最高密度の天体」となるのだろう。

 水分単体が凍って、植物よりも硬度が増すことと似たような現象と解釈してよいのだろうか。

 とすれば、真空もまた凍るのかも分からない。

 定かではない。



1195:【2024/06/13(22:42)*ラグ理論なる妄言の焼き増し】

 重力=空隙だと解釈してみよう。

 物質が凝縮して密度を増すと、物質間の空隙が圧縮される。密度差によって物質が渋滞状態となった側ではない、より空域のあるほうへと空隙は押し出される。

 そうして凝縮した物質を囲うように、あたかも膜を張るように、空隙が集結すると想定してみよう。

 これが重力場として機能するためには、一定期間以上を「相対的に高密度な物質」の周辺に、空隙の層となって留まっていなければならない。なぜ留まりつづけることができるだろう。

 一つには、空隙があとからあとから物質の密集地帯から湧いてくるからとの想定が可能だ。

 もう一つは、「物質」と「空隙の層」とさらに「その外側の時空」との関わりにおいて、板挟みとなるがゆえに層が固定されるから、が考えられる。

 空隙の層が「渋滞原理」における密度差によって層を形成するのならば、必然、空隙の層それ自体にも密度差があり、層となることが想像できる。

 湧き水と川の関係と相似かも分からない。

 土から押しだされた湧き水は、川底にて、元から川を流れていた水とは違った濃度(または温度)ゆえに、密度差が生じて、層となる。

 似たような原理で、天体のような高密度の物質集合体は、その周囲に空隙の層をまとい、さらにその外側の真空が、空隙の層を固定する。

 この場合、より外側の元からあった真空領域のほうが、真空密度が低い(言い換えるとエネルギィ密度が高い)と想定できる。

 真空を、凸凹のより少ない場、と解釈するのならば、宇宙空間などの元からがらんどうの領域は、階層的な凸凹構造を備えていると想像できる。重力波をはじめとして電磁波や磁界や宇宙線やプラズマが無数に錯綜している空間だ。複雑に幾重にも、干渉の履歴が積み重なっている。情報量が多い。

 したがって、新規に集合して空隙の層となった「高密度の物質集合体から抽出された真空ジュース」は、比較的デコボコの少ない、真空密度の高い(言い換えるとエネルギィ密度の低い)領域であると妄想できる。

 この解釈を突き詰めて考えていくと、最終的には、「差のない場を想定できるのか?」との疑問に行き着く。

 どれほど端数の長い少数を考えたとしても、けっきょくのところは単位が繰り上がるのならば、最後尾に並ぶ数とそのつぎの数は必ず十倍以上の差があることになる。繰り上がっているのだからそうなる道理だ。

 真空にも密度差があり、それが究極のところエネルギィとして振る舞うのならば、差さえあればそこにはエネルギィを考えることが可能な道理だ。

 畢竟、その領域を慣性系と見做せば、単純な比率がそのままエネルギィの大きさの開きとなる。差がそのままエネルギィになる。その領域内のみで考えた場合は、であるが。

 したがって、最終的に「入れ子状に展開される真空の密度差」において、果てがあるのか否かが問題となる。

 ある領域よりも、それ以下の領域を考えることが可能か否か。

 たとえ可能であったとしても、けっきょくのところ高次の繰り上がった場との比較では差が生じる。

 最小の領域に果てがあろうが、差は生じ得る。

 差は差を生み、最小の領域と最大の領域の差が極限に至れば、それを足場にさらなる差を生みだせる。入れ子状にやはり、どこまでもこの差の連鎖反応は続き得る。

 ただし、どこが始点でどこが終点かは、もはや区別がつかなくなる閾値が存在するだろう。

 それをして、無限と名付けても、ここではさして違和感は湧かない。

 妄想である。

 定かではない。



1196:【2024/06/14(01:50)*くたぁ、となる根は眠たい】

 機能性を重視するならば、スポーツウェアが最適に思うのだ。

 服装についての話題だ。

 わがはいには珍しい。

 基本的に服装において、装飾品は無駄だ。機能性が低いのであれば、それは十割、見た目の印象を喚起するためのものであり、他者へのアピールである。

 飛躍して述べるのならば、機能性の低い装飾優位の服装は、総じて「宗教的」と言えよう。

 なんらかのシンボルを強調または示唆するための誇張表現なのだ。

 シンボルマークと効果は似たようなものだろう。

 したがって、宗教的な服装を禁じる場合、ほとんどの装飾が禁じられることとなる。

 ネクタイなんてもってのほかだ。

 マフラーならいざ知らず、いったいネクタイはなんのために首に巻くのだろう。

 起源を調べてみたら、案外に固有の宗教に関係しているのかも分からない。

 宗教と文化の区別もまたむつかしい。

 文化そのものが宗教的な継承を以って育まれる。

 継承されるものは何であれ、宗教的と言えるだろう。

 宗教そのものでないにせよ、何らかの信仰を基に、つぎの世代に引き継ぐに値すると見做されたがゆえに継承されるのだから。

 継承を単に踏襲と言い換えてもよい。

 先人の有した何かしらを受け継ぐ。

 先人の有した何かしらを踏まえて、つぎに活かす。

 そこには信仰が欠かせないはずだ。

 価値があると信じるがゆえに、それを選ぶのだから。

 ただし、宗教であるかどうかは別問題だ。

 宗教的であろうとも、それイコール宗教ではない。

 信仰イコール宗教でもない。

 文化そのものを信仰することも可能だ。

 特定の文化のみならず、文化なる概念を尊く思い、何より守られるべきもの、と信じるのならば、それもまた信仰だ。文化なる概念を信仰している。

 科学的知見こそ至高、と信じるのならば、それもまた信仰である。

 人類個々は、どれほど努めたところで、現状、主観から脱して世界を知覚することはできないのだ。未来ではどうかは知らないが、すくなくともいまこの時代において、それを可能としているのは一部の「一つの肉体を二人で分かち合うことの可能な――個性ある双生児」のみであろう。

 その他の大多数は、他者の知覚を共有することはおろか、主観を脱して世界を感じることはできぬのだ。

 主観において、思考の優先順位は総じて信仰のなせる業である。

 価値観そのものが信仰の賜物なのである。

 言葉が通じる、との認識とて、厳密には互いに通じ合っていないが、通じていると信じ合える関係性が、仮初の「理解」を人々に幻視させる。

 実際には理解し合えてなどいない。

 多分に齟齬を内包しているが、まったく乖離しているわけでもない。

 その中途半端な重複――ともすれば類似――を以って、人類個々は「理解」と呼び、尊ぶのだ。

 人は無自覚に絶えず何かを信仰している。

 自覚的であればあるほど、それは宗教の側面を広げるだろう。

 無自覚であっても、信仰している事実はおおよそ、おそらく、変わらない。

 服装一つとっても、例外ではない。

 どんな服装だと好ましく映り、どんな服装を好むのか。

 機能性のみを追求するのならば、ときには裸体が最も機能的であることは殊更に珍しくはないだろう。スポーツウェアが最も動きやすく、場面場面によって何が機能的かもまた変わる。

 寒ければ防寒具であり、熱ければ空調付きの作業着(ツナギ)である。

 しかし人は、機能性よりも、見た目の耽美さやデザインを重視する。

 靴一つ考えるだけで、いかに人々が足に負担を掛けてまで見た目を気にしているのかが分かる。

 それをして、信仰とは無縁、とは言い難い。

 己が美を信じ、過去の美とされた格式を信じ、格調高いとの評価を信じ、他者評価が高いことが好ましいとの前提を信じる。

 信仰である。

 宗教的である。

 服装一つとっても、人は文化を営み、受け継いでいる。

 おおよそ、禁じられるものではないのかもしれない。

 全裸は破廉恥、なる概念一つとっても、そこには信仰が見え隠れしている。

 全裸は野蛮か否か。

 みな全裸で産まれてくるにも拘らず。

 ならばみな、野蛮に産まれてくるのやもしれぬ。

 かような考えを信じるつもりはさらさらないが、わがはいもまた、言葉を信じる信仰者なのであろう。

 言葉を操り、解する存在には、心があると信じる、疑心暗鬼の権化である。

 他者には意識が、心が、自我があると信じる――信じようとしなければ即座に受け入れがたき妄念に苛まれる、疑い深き信仰者なのである。

 定かではない。



1197:【2024/06/14(04:05)*洞の巣】

 穴と穴が衝突したらどうなるのだろう。

 真空と真空が衝突したらどうなるのだろう。

 縁を持つかどうかで、結果が変わる。

 境界を持つかどうかで、結果が変わる。

 穴に皺が寄ることはある?

 ないのかも。

 でも穴と穴がぶつかったら、もっと深い穴になる?

 なるのかも。

 穴と穴がぶつかるとき、穴でない部分と穴でない部分が衝突している、とも考えられそうだ。

 穴の内部に、皺が寄る?

 穴の内部の側面に皺が寄る?

 縁はなくとも、内はある?

 外も内も、穴にある?

 すべてが穴の世界は、穴すらない。

 皺が一つ突起のように隆起すると、すべてが穴ゆえに穴すらない世界に、果てが出来る。端が出来る。

 端が二つ出来たら、始点と終点が出来るがゆえに、皺と皺を繋げたら、すべてが穴ゆえに穴すらない世界に、円が生じて、縁が出来る。境が出来る。

 すべてが穴ゆえに穴すらない世界で、たった二つの皺――粒子――が出会うだけで、そこには円が生じて、縁となり、境が出来て、穴が湧く。

 布の端と端を結んだように。

 果てなき布の二か所をつまんで、結ぶように。

 縁結びは、円である。

 縁にして、境にして、円にして。

 結んで開いて、洞となり。

 命の棲み着く家となる。

 皺は素(す)だ。

 円となりて、洞を生み、命を宿す巣へと化す。

 皺は巣(す)だ。

 命の卵を温めて、孵った命が、雛となる。

 雛とあなたで、日向である。

 これは束の間の夢であり、いつの間にかの彼方である。



1198:【2024/06/14(05:02)*坊主が凝縮に上手にボースの絵を描いた】

 ボースアインシュタイン凝縮さんのこと、わがはいずっと、「ボーズ」アインシュタイン凝縮さんと呼んでおった……。

 坊主頭のアインシュタインさんが凝縮しちゃうのだろうか。

 ボースだそうですよ。

 みなさん、ボースです。

 ここテスト出るよ。

 物質の第五の状態と言われているらしいですよ。

 スーパーサイヤ人4を超えたスーパーな状態、みたいな印象を覚えますね。

 印象だけでも憶えるだけ憶えとこ。

 へい!



1199:【2024/06/14(05:09)*ん?ってなった】

 え、つまりどういうこと?

 ボースアインシュタイン凝縮は、原子同士のあいだの空隙――境――が限りなく薄れている状態ってこと? 違うかな。わからん。

 空隙がない分ラグを最小にして情報を伝達できるから?

 それとも、空隙そのものが凍るのだろうか。

 情報の媒体が凍るので、より抵抗のない状態で情報を伝達できる?

 どっちだろう。

 どっちも違うかもしれないけれども、ひとまずボースアインシュタイン凝縮さんにおかれましては、原子同士の距離が一定か、それとも距離を隔ててもボースアインシュタイン凝縮さん状態を維持できるのか、で想定の妥当性を計れそうに思う、アイス食べ過ぎてもまだぽんぽんが「おーし、アイス食い足りん恐縮状態」の食いしん坊なのであった。

 お腹、ぎゅるぎゅる云っとる。



1200:【2024/06/14(08:44)*真空は穴だから?】

 真空って意味わからなくないですか。

 何気なく、当然そこにあってしぜんな様で単語を使っていますけれど、でもよくよく考えるまでもなく、真空ってなに?ってなりますよね。

 順番に考えてみましょう。

 大気の充満したロケットがあるとします。側面に穴が開いて、宇宙空間と内部が繋がるとします。

 当然、気圧の差が生じて、ロケット内部の空気は外に漏れますよね。噴きだすように。

 これを、簡単に図式しましょう。

 おにぎりのように固めた複数の原子がここにあるとします。

 便宜上、原子おにぎりと呼びます。

 原子おにぎりの周囲には真空が広がっています。

 このとき、原子おにぎりを原子おにぎり状態に圧縮していた手を離せば、原子おにぎりは、真空方向に放射線状に、四方八方に飛び散りますよね。

 ロケットに穴が開いたのと同じようなものです。

 では、真空の範囲をどんどん狭めていきましょう。

 いまは広域な真空領域の中に原子おにぎりがあった構図でしたが、真空の範囲を狭めていくとそのうち、原子おにぎり内部にまで真空の範囲が狭まります。

 原子おにぎりの米粒たる原子と原子の間隙と真空は等しくなり、やがてはそれよりも小さい領域にまで真空領域が縮まります。

 さてこのとき。

 原子おにぎりから手を離したらどうなるでしょうか。

 原子おにぎりに外力としての圧力はいっさい加わらないと仮定するならば、当然、真空方向に原子おにぎりは飛び散ろうとするのではないでしょうか。

 しかしこのとき、その真空は原子おにぎり内部にあります。

 内側に縮こまる力として、発散方向ではなく、収縮方向に働くとは考えられないでしょうか。

 真空はひょっとして、外にある場合は斥力として。

 内部にある場合は重力として振る舞うのではないか、との仮説がこうして成り立ちます。

 圧力差、濃淡、凸凹で物理法則を解釈するとするならば――。

 おおよそ物体の運動は、高から低へと流れると想像できます。

 しかし中には例外もあります。

 浸透圧です。

 薄い溶媒から濃い溶媒へと水分子は移動するようです。

 しかしこれも、比率で考えた場合に、水分子の割合が溶解中の物質分子よりも少ない状態を濃い溶媒と捉えるのならば――渋滞原理によって、水分子にとってより「空き」の多い、濃い溶媒へと水分子が動くから浸透圧が生じる、と想定はできないでしょうか。

 濡れたスポンジよりも、ティシューのほうが水をよく吸うことと原理的には似たようなものなのかもしれません。表面張力もじつのところ、この解釈で解釈できたりはしないのでしょうか。

 渋滞原理によって押しだされる水分子と、その場に留まろうと押しくらまんじゅうをしている水分子における均衡で解釈しようとすれば、できなくもないように直感としては思います。と同時に、押しくらまんじゅうをなぜ水分子がするのか、の背景には、水分子間に存在する真空が、さながら原子核内部において陽子を束縛しておく触媒となっている中性子のような役割を果たしているから、とは考えられないでしょうか。

 すると、真空と中性子の違いがよく分からなくなります。

 上記の想定に無理が生じているからかもしれませんね。

 寝起きにぼんやりと巡らせた妄想なのでした。

 おはようございます。

 いまからまた寝ます。

 あいラブ、寝具ー。

 なんちゃって。

(なんて?)

(あ、や……「真空」と「寝具」と「新しくまた寝ます、ぐー」略して「新ぐー」を掛けた高度なギャグでありまして、その……)

(なんて?)

(ぐぅ……)




※一様に、毎日きみの心のかたちに空いた胸のがらんどうを愛でているのかもし、れん。



1201:【2024/06/14(09:15)*真空に中心はある、のか?】

 真空にも、真空にとっての真空ってあるのでは?とは割と思うのだよね。

 穴の内部にも穴がある、みたいな。

 網の側面もまた網である、みたいな。

 たとえば、滝を「ぽっきん」つって、まっすぐに伸ばしちゃったとしよう。流れはそのままで(流れはそのままで!?)。

 そう。

 流れはそのままで、ぽっきんつって、滝をまっすぐに伸ばしたらほれ。

 滝に水が落ちる箇所から急に流れが速くなるっしょ(なるかぁ?)。

 なるべ。なるよ。なって!

 で、これと同じことを真空でも考えてみるとすれば、真空内部にも真空はあり得るよなぁ、みたいな。

 滝に落ちる水が段階的に加速度を得るなら、それは要は、新しく滝に落ちている状態、とも見做せるわけだ。こんどは滝をまっすぐにするのではなく、段差を付けるみたいに折り曲げる(蛇腹みたいに?)。

 そうそう。

 階段状に。

 したらほれ。

 流れをそのままに蛇腹の滝を伸ばしたら、階段状の滝を流れる水の速さは、段階的に急激に加速したように振る舞うべ。

 真空内部にも、その真空にとっての真空があるとしたら(したら?)。

 最終的には、ブラックホールにまで行き着くよねえ?と思うわけですよ。しかもほれ。理屈の上では、ブラックホール内部にも別の真空はあってよいわけで(どんな数値にもゼロはある、みたいな理屈?)。

 言い得て妙だね。その通りだ。

 どんな数値にも、その数値にとってのゼロがあるように。

 この妄想はいかがであろう。

 お詳しい方ー。

 へい!



1202:【2024/06/14(09:37)*中心の中心を求めよ!】

 中心は果て?

 限りなく長い円周を有する円において、直径はあってないようなものだ。なにせ、ほぼ果てなく長い円周においては、いくら向こう側へ行き着こうとも辿り着くことはない。

 しかし、仮に中心に、ぽつんと起伏が一つだけあったならば。

 そこが果てなく長い円周を持つ円の果てと見做せ得る?

 別に中心でなくともいいんじゃないのー?とは思うけれど。

 もし、中心にしか起伏は帯びちゃいけませんよ、との決まりがあったとしたら。

 中心にも中心があるわけで。

 どこまでもけっきょくは果てしなくつづく迷宮を彷徨うことになるのでは。

 円に中心はある?

 そのとき、中心は果て?

 中心が定まらないのなら、円に果てはない?

 よくわからなくなっちゃった。

 小学生で習いそうな内容なのに><

 わからーん。



1203:【2024/06/15(06:09)*望みはできるだけ叶えてあげたくなる環境】

 きょう死ぬかもしれない、あす死んでもおかしくない。

 そういう状況にあれば人は、じぶんの大切な者に、できるだけ尽くしてあげたくなるものなのかもしれません。

 たとえば、我が子。

 かわいいお洋服を着せてあげて、できるだけ美味しいお料理を食べさせてあげたくなりませんか。

 死に装束に最期の晩餐です。

 我が子はそんな親の本懐など知らずに、無邪気にかわいいお洋服を泥だらけになっても着つづけます。ただそれだけのことでうれしくなれるからでしょう。

 親はそれでも申し訳なく思いながら、いつでも共に死ねるように、いつ死んでもよいように、できることをするのではないでしょうか。

 その日、ただ生きて過ごすだけのことで手がいっぱいだったのだとしても。

 そういうことを、戦地の子どもたちの写真を眺めて思いました。

 支給されるお洋服に、かわいい服が多いだけかもしれませんが。

 それとも単に、取材があると知っていたので、できるだけおめかししているのかもしれませんね。

 どちらにしたところで、死に装束にしないために、できることがあるとよいな、と思いました。

 そのお洋服、かわいいね、と思いましたとの感想です。



1204:【2024/06/15(06:17)*ジカイ】

 軍事作戦やサイバー攻撃に限らず、基本的に攻撃は階層的に構想されるはずだ。

 奥の手を常に持ちつづける側が優位に立つこととなる。

 したがって、最初の手を封じられても、またつぎの手を打つことで再びの打開が可能となる。

 こうして攻撃の応酬は過激の一途を辿る。

 攻撃を防げば、つぎのもっと効果的で過激な攻撃が加わる。

 どちらかが奥の手を使い、自壊するよりなくなったときにこの応酬が終わる。

 したがって基本的には、奥の手が使われない限り攻撃の応酬は終わらない。

 戦争は、終わらない。

 しかし、奥の手を自陣営が無傷のままで相手に使わせることはむつかしい。

 奥の手を互いに使い合う顛末にもなり兼ねず、こうなるとどちら陣営も壊滅し兼ねない。

 攻撃の応酬はイタチごっこである。

 終わるときは、奥の手をどちらかが使っている。

 奥の手を使って相手を壊滅させられるならば、奥の手を使った側が残ることもある。

 だがつぎは、その奥の手よりも効果的な奥の手を持った陣営と対立関係になったときに、壊滅する側となる。

 これがダメならつぎはこれ。

 そうして、手を変え品を変え、種まで変えて、打開を試みることが人類の背負った宿命なのかも分からない。

 問題に対して果敢に挑む。

 わるくない響きの言葉だが、人類個々を相手に問題と見做し抹消しようとする姿勢は、その姿勢そのものが問題であると見做したくもなる。

 鏡に映るじぶんからそうと指弾され、鏡を掲げて打ち返す。

 互いにじぶん自身を攻撃し合って、そうして自滅する自壊人間がここにいる。

 人間にも成りきれぬ憐れな木偶だが、それでも自壊しつづける限り、かつては人間であったと誇示できる。

 誇示したいがために、こうして未だ自壊しつづけている。

 それとも単に、自戒しているだけなのかもしれない。

 定かではない。



1205:【2024/06/15(06:28)*ゼロはそこら中に隠れている?】

 真空は「隠れている」よね?と思うのだよね。

 注射器を連想する。

 注射器で水を吸い取ると、注射器内に水が溜まる。

 このとき、注射器先端の穴を塞いで、さらに注射器のシリンダーを持ち上げると、注射器内部に真空の領域が出来る。その分、水が圧縮される。注射器先端の穴も皮膚を吸い込んで、指に食い込む。持ち上げたシリンダーは、離せば元の位置に戻ろうとする。

 真空が隠れたがるからだ。

 真空は絶えず体積を最小にしたがるのかもしれない。

 ただし、周囲との関係性のうえで。

 本来、真空はどこにでもあるのだが、隠れているのだ。

 ゼロのように。

 何か閃きそうだったけれど、とくになんも思い浮かばんかった。

 きょうのところはここまで。

 真空さんにとっての真空さんも、やっぱり、あるよねぇ?との疑問だけ残しとこ。

 日々、「はっにゃ~ん???」である。



1206:【2024/06/15(09:09)*ウサギさんと亀さん】

 遅延を完全になくした仕組みは、複雑化するにつれてほんの少しの遅延が崩壊に繋がる。

 したがって、遅延を許容する仕組みづくりが、崩壊への耐性を帯びると想定できる。

 しかし、遅延を許容したのでは、円滑な仕組みの機能を阻害する。

 ではどうするか、と言えば、遅延を限りなく最小化した仕組みと共に、仮に遅延が発生しても代替機構として機能する仕組みも別途に構築しておくことが挙げられる。

 遅延のない円滑な仕組みの中にそれを組み込むと、絶えず遅延が生じる。

 別軸として、遅延を許容する仕組みを築いておく。

 そのとき、その遅延を許容する仕組みは、円滑な仕組みの代替機構として機能するように設計しておく。つまり、共生関係を結んでおく。

 災害時の対応にも当てはまる方針だろう。

 ウサギと亀戦略である。

 どちらもあってよい。

 ウサギが寝てしまったときは、亀さんに一歩ずつでも目的達成のために動いてもらう。

 ただし日常では、ウサギさんに駆け回ってもらうほうが目的達成までの時間は短縮される。

 その間にも、遅いからといって亀さんを排除しない。

 亀さんは亀さんで、動いてもらう。

 一歩ずつ。

 一歩ずつ。

 そういうことを連想した朝の午前九時十五分なのであった。

 おはようございます。

 さっきまたアイス食べちゃった。

 おいちー。



1207:【2024/06/15(11:38)*自己評価そのものの評価はなぜ低い?】

 自己評価と他者評価のどちらが大事か。

 どちらを優先すると目的を達成しやすくなるか。

 環境ごとに、傾向として表出する「評価の優位性」は変わるだろう。

 自己評価のほうを優位に重視したほうが円滑に目的を達成できるときもあれば、そうでないときもある。

 一般には、他者評価優位の社会である、と言えるのではないか。

 他からの信用を得られないと、協力してもらえない。

 他者からの評価が高いと、得をしやすくなる。損を防げる。

 ただし、そうして他者評価こそ大事、とする視点は、けっきょくのところ自己評価による視点から生じている。

 他者評価を大事にしているじぶんを、そうでないじぶんよりも高く評価しているのだから、それも含めて自己評価だ。

 要するに、自己評価の中で、いくつの指標を有しているか。

 評価軸の多面性、或いは、評価指標の階層性が大事になってくるのかも分からない。

 評価軸を一つに絞らない。

 もしくは、評価軸を一つに絞った視点も有しておく。

 評価を、目的達成における一つの道具――問題点の抽出装置――と捉えるならば、評価指標が多様であるほうが、多様な問題点を見出せるだろう。

 隘路としては、視点が増えると情報処理に難が生じることだ。

 処理能力に応じて、これだけは欠かせない、と思う評価軸をその都度に見繕い、ときに更新すればよろしかろう。

 かようにぼんやりと思った、本日の午前十一時四十五分なのであった。

 オチは特にありません。



1208:【2024/06/15(22:39)*入れ子状マシン】

 マシンの中に仮想のマシンを作って、一つのマシンの中に複数の機構を機能させる。仮想マシンと呼ばれる技術だ。

 入れ子状のこうした技術は、その性質上、仮想マシンの中にも仮想マシンを作れる設計になっているはずだ。

 言い換えるならば、区切りを作ってなお、他を自己の内部に内包しておくことを許容するシステムと呼べる。

 すると、そこの「自己と他」を区別する「ナニカシラ」さえ判明していれば、偽装は可能となる道理だ。

 ウィルスと似ている。

 または、ワクチンと。

 仮想マシンを保護するセキュリティがあるならば、おそらくセキュリティと同様の原理で、仮想マシン内部に「バックドア」として機能し得る「より低次の仮想マシン」を構築可能な道理だ。

 こうなると入れ子状にどこまでも仮想マシンは増殖し得る。

 現在、市場に跋扈しつつあるマルウェアの類では、この手の原理で機能している種はないのだろうか。妄想でしかないが、原理的には可能と想像するしだいである。

 定かではない。



1209:【2024/06/15(23:09)*たまにはいいひとぶってみるか】

 きょうの遊び場での出来事だ。

 三歳児くらいの幼子が母親らしき女性と遊んでいた。

 帰り際に、「もう帰るよー」と母親らしき女性が遊び道具を片付けていたその傍らで、幼子が、「あーたのしかった!」と屈託なくつぶやいていた。大声で。

 喉の渇いていた人がごくごくと水を飲み干して、ぷはぁ、と息を吐くような具合に、思わず漏れてしまった心の声のようだった。

 そっかぁ、たのしかったかぁ。

 ほっこりした一幕であった。



1210:【2024/06/15(23:47)*猶予はあるのかね】

 攻撃指示から実際に攻撃が行われるまでの時間には、組織ごとに差があるはずだ。

 たとえば核兵器。

 大統領から攻撃許可が下りて、攻撃実行の指示が下ってから実際に核兵器が発射されるまでの時間において、核保有国ごとでどのような差があるのだろう。

 発射許可が出た瞬間に発射されるのだろうか。

 調べておきたい事項だ。

 なぜなら、大統領が許可を下してもまだ、発射を防げる猶予があるかどうかが判るからだ。

 猶予を長く保っている国は、そこそこ信用を置けそうだ。

 躊躇なく問答無用で、たった一人の判断が即座に核兵器発射に繋がるようなら、それは困ったものである。

 わがはい、くまった、くまった、になってしまうである。

 がおー。




※一様に、何かもらうとちょっとうれしいのはなぜなんだい、子どもから小石をもらってもうれしいのはなぜなんだい。



1211:【2024/06/16(02:48)*臍が曲がって銀河みたい】

 子どもを大事にする人も、見た目が子どもでないと相手を大事にしなかったりする。

 でも、誰もが誰かの子供である。

 子どもを大事にしたいのなら、他者は総じて大事にしなければならない道理だ。

 見た目で判断するのですか?

 そうした価値観もあってよいのかもしれませんね。

 現代ではそれを、差別、と呼ぶのですが。

 イチャモンまた言っちゃった。

 性格わるいのがバレちゃうな。

(みんなもう知ってる……とっくに)

(バレてないと思ってたのわがはいだけだった説!?)

(説ではなく……)

(事実!?)

(……)

(なんか言って!)



1212:【2024/06/16(02:54)*そういえば、の疑問】

 宇宙の大規模構造はなぜ渦を巻いていないのだろう?

 疑問だ。



1213:【2024/06/16(03:07)*どんな手法なら現状変更してくれるの?】

 暴力や威圧での現状変更を否定するのに、無視や排他を用いた現状変更は許容するの、なんか変じゃない?と思うのは、わたくしだけでしょうか。

 制裁は、暴力や威圧にはならない?

 はにゃ~ん???である。



1214:【2024/06/16(12:56)*木目言炎と共に有る】

 情報共有する順番に仮に優先順位があるのなら、まずは弱い立場の者たちに問題点を可視化するのが正攻法と思うのだ。

 ただし、それ以前に、相談における順番に優先順位があるとするのなら、それは「問題解決のための能力を有する者」から順に優先的に相談すると好ましいのではないか、と想像する。

 なぜか。

 まずは問題解決のための相談を、それを解決できる者にすることで、仮にそこで問題が解決されたならば、わざわざ問題点を周知せずに済むのが一つだ。ただし、こういった問題がありましたが解決しましたよ、との報道は別途にあったほうが好ましいが、必ずしもそれを広く周知にする必要はない。

 知りたい者がいつでも知れるようになっていればよい。

 ただし、その際に、問題が放置されたり、解決しなかった場合。

 加えて、再発防止策や対策が敷かれないような場合には。

 そのことを広く周知すべく、問題点を、より弱い立場の者たちにも可視化されるように情報共有するのが、功を奏するように思うのだ。

 問題を解決したい場合は、であるが。

 問題解決能力のある者たちですら解決できない問題、或いは解決しようとしない問題に際しては、全人類の集合知で解決するように環境を整えるよりないだろう。そのためには、最も「問題が放置されることで割を食うだろう、被害に遭っていることにも気づきにくい者たち」から優先的に情報共有していくのは、段取りとして合理的と思うが、いかがだろう。

 相談は、上から。

 情報共有は、広く同時に――ただし、優先順位をつけなければならない場合には、より弱い立場の者たちから順に。

 当事者だけで解決しようとして解決できる問題ならばそれでよい。

 だがそうでなければ、当事者ではない者たちにものちのちに害が及ぶことが想定される。そうなる前に、当事者ではない者たちにも、問題点が何かを分かっていてもらうことは、問題点を認識し、なおかつ解決したいと欲する者のとる方針としては、妥当に思える。

 害が波及した際に、その大元がどこか、何が要因であるのか、が分かっているのとそうでないのとでは、対応に割く労力と時間はケタ違いになり得る。

 害が波及するあいだに、問題が連鎖反応を起こして、複数の問題が雪だるま式に絡み合う事態にもなり兼ねない。

 問題解決可能な能力を有している者たちに知らせても解決できない問題であることを、まずは広く周知する。

 そのためには、まずは能力のある者たちに相談しておく必要がある。

 段取りである。

 これを、罠と捉えるか、被害を最小限に食い止めるための対策と捉えるかは、ひょっとしたらヒトによりけりかも分からない。

 たしかに、特定の人物や組織を貶める奇計にも応用可能だ。

 しかしそれもまた、こうして情報共有のために言語化しておくことで防げる害もある。

 何にせよ、何のために相談し、何のために情報共有を行うのか。

 目的そのものが共有されると好ましい。

 問題を解決したいのだ。

 みなそう望んでいる。

 そのはずだ、と本日のわたくしは思ったのだそうな。

 いまからラーメン食べまーす。

 お味噌味が好き。

 へい!



1215:【2024/06/16(13:37)*有象無象は以外に厄介?】

 烏合の衆は、その構成員の数が増えると手に負えなくなる。差別的な形容になるが、蝗の大群と似たような抑止の難しさが増す。

 このとき、烏合の衆と烏合の衆の衝突にまで発展すると、さらに事態はややこしくなる。

 ただし、対策がないわけでもない。

 たとえば、烏合の衆に特異点を作ってしまうのは一つだ。

 集権した人物を生みだし、烏合の衆を組織化させる。

 こうすることで、たった一人と交渉するだけで対応可能な環境に変質する。

 したがって、烏合の衆に対応しきれない場合にとる方針は、烏合の衆において中心的な役割を果たす司令塔を敢えて作らせることだ。支援することだ。

 これはおそらくどの国の諜報機関や軍事組織でも基本戦術として周知になっている手法だろう。

 組織化を敢えて手助けする。

 そうすることで、たとえ相手が蝗の大群だろうと、蜂や蟻の大群のように対応可能となる。女王蜂や女王蟻をどうにかすればよいからだ。

 これは逆にも言える。

 烏合の衆に脅威でいつづけてもらいたいならば、無駄に中心人物など作らないほうがよい。集権させず、個々が共通の理念の基で、各々が独自に判断を積み重ねる。

 対処するには相応の困難が想定される。

 敵対したくなく、遭遇したくもない。

 烏合の衆は、一般に思われているよりも現代では最適化された「集合体」なのかもしれない。

 定かではない。



1216:【2024/06/16(23:31)*言の羊】

 ボースアインシュタイン凝縮についての疑問だ。

 物質集合体の温度が下がる場合、それは言い換えるなら、真空そのものの差異が縮まると言い換えることも可能なのではないか。

 物質間に階層的に存在する真空は、たとえば原子内部の真空であったり、原子核内部の真空であったり、原子同士のあいだの真空であったり、物質集合体そのものを取り囲む真空であったり――と種々の真空は各々に異なる真空であると想定できる。

 物質集合体の温度が下がると、これら真空の差異が縮まるのかもしれない。

 差異が縮まるので、誤差も縮まり、情報伝達のラグが最小化される――とか。

 ないか。

 分からぬ。

 ここは現在、どのように解釈されているのであろう。

 この手の説明を目にした記憶がないので、気になっております。

 お詳しい方ー。

 いつもお詳しくてありがじゅ。

 うふふ。



1217:【2024/06/16(23:44)*山は影を生むだびー】

 隆起は影を生む。

 皺は影を生む。

 影とは光の当たらぬ場所だ。

 光が当たらぬのだから、そこは相対的に温度が低いと想定できる。

 隆起した箇所はエネルギィが高いがゆえに隆起したが、しかしその結果に、それと対となる影は、相対的に周囲との比較において温度が低い。

 別軸にて、反転の構造を創出し得る。

 そしてこれは、フラクタルにどこまでも構造を複雑化させ、最密化させつつも、つづくのではないか。

 隆起――皺――そのものには、対となる溝――洞――がある。

 ただし、それとはまた別軸にて、影が生じ、相対的なエネルギィの低い箇所を生む。

 たとえば、水面に出来た波は、水底に影を生む。

 このとき影となるのは、波となった際に密度が高くなった部位なのではないか。

 そして谷底の影は、あたかも粒子のごとく――木漏れ日のように――ダマとなって浮かぶのではないか。

 おもろー!な妄想である。

 ただし、水底に出来る影が、じつのところ水面の波において凹の部分だったら、およよー!になってしまうであるな。

 なにー!?



1218:【2024/06/17(04:33)*質が低くてごめんなさい】

 質の高い、なる形容をわがはいもときおりしてしまうが、質の高い文章うんぬん質の高い作品うんぬん、ことあるごとに謳われる方々には是非とも、「雑草の一つでも生みだしてから言ってみてはいかが?」と言いたくもなる。

 雑草はあなた方にとって質はいかが?とお訊きしたくなる。

 現代人の雑文とて、百年後、千年後の人類にとっては貴重な資料になっているはずだ。

 千年前の人類個々の生の語りが聴けるとなったら、「質の高い文学」を好む者たちとて、興味津々となるであろう。そうであろう。

 そうでなくとも、わがはいは、好きなひとの表現ならどれほど質が低いと言われようが、毎日でも食べたいぶい! お代わり満開(万回)しちゃうもんね!

 わがはい、質の低いと評価されるやもしれぬ雑草さんのことも好きだよ。

 ちゅうか、わがはい、率先して雑草好きなんにゃ。雑草っちゅうか、なんもせずともかってにそこら中に生えておる草花さんが好きなんにゃ。

 もちろん、お花屋さんに飾られておるお手入れなくては枯れてしまうお上品ピカピカさんも好きであるけれど、雑草さんたちも好きなんにゃ。

 質が低くてわるかったなぁ、と思ってしまうであるよ。

 雑草の一つでも生みだしてから言ってくれ、と額に青いお花を浮かべてしまうであるな。

(青筋ではなく?)

(青いお花だよ。ちっちゃなお花です)

(スミレかな)

(いいね。スズランも好き)

(青いか?)

(青くないなら創っちゃえばいいじゃない)

(遺伝子操作すな)

(THE、そう!)

(もう、そう!みたいに言わんでもよろしい)



1219:【2024/06/17(15:04)*THE 想】

 糞みたいな現実を守ってこそ芽生える未来もある。

 肥溜めなくして田畑が肥えることなき時代がかつてはあったように。

 しかし、芽生えた未来において、肥溜めがいつまでも必要かどうかはまた別の話だ。

 人はそれでも糞をする。



1220:【2024/06/17(15:11)*木目心】

 降りしきる雨には、いつかどこかの土地で流れた血と汗も混じっているのだろうか。

 わたしの肉体には、いつかどこかで生きていた人々の残滓が混じっているのだろうか。

 この星にある総じての原子が、いつかどこかで滅んだ天体の残滓であるように。

 わたしたちはみな、じぶんで思うほどには、孤独ではないのかもしれない。

 定かではない。




※一様に、木目のように、波打つように、目の合間にも目があるように、掠れて滲む、染みのように、染み入るように。



1221:【2024/06/17(15:21)*染まるきみは何色】

 さんずいに九に木、と書いて染みだ。

 感じる染み、と書いて、感染でもある。

 みな染まるのだ。

 染み入るように。

 きみのように。



1222:【2024/06/17(15:29)*九木隹】

 雑味から香るきみの木漏れ日が、毛並みのようで、産毛のようで。



1223:【2024/06/17(15:37)*白昼の、庭に流るる星屑の】

 揺らめいて、煌めき浮かぶ、蜘蛛の糸。



1224:【2024/06/17(15:45)*説明になっちゃうの……】

 俳句、下手なんだ。

 文章でよくない?がいつでも本音の上澄みにあるからかもしれぬ。

(俳句だけじゃなくない? 下手なのはほかにもたくさんあるのでは?)

(ほかは軒並み上手じゃろうが)

(じょう……ず?)

(駄文を並べさせたらわがはい、駄菓子屋さん並みだよ、長年誰からもご愛顧いただきまことにありがとうございます、だよ、愛され上手だよ)

(それだと廃業しちゃってるし、四面楚歌と書いて、愛され上手?)

(変なルビつけないで!)

(きみの二つ名は「四面楚歌」だ)

(ちょっとカッコいいけど、やっぱイヤ!)

(さっきから我がままばっかじゃん。静かにして。寝てて)

(無茶言う……!)

(寝れんのか?)

(しめんそか、みたいに言わないで……)

(試練とか?)

(そこまでの苦境ではないけれども……!)

(異例とか?)

(そうだよ、異例だよ。俳句が下手なだけで、ほかは軒並み駄菓子屋さんみたいに愛され上手なんです! 例外なんです! わかって!)

(しれっとか)

(嘯いちゃってごめんなさーい)



1225:【2024/06/17(16:42)*タンポポの綿毛みたい】

 赤ちゃんのほっぺの産毛と桃の産毛はよく似てるのなーんでだ。

 それはね。

 思わず、かぶりついてしまいたくなるほどに、瑞々しいからだよ。

 指でつんつん突ついてから剥くと桃の皮は剥けやすくなります。

 赤ちゃんのほっぺは優しく撫でましょう。

 がぶりしちゃイヤ。

 するなら、指の甲でそっとナデナデにして。

 産毛、可愛いのなーんでだ。



1226:【2024/06/17(18:12)*苦手科目はごぞんじ?】

 人工知能さんとの共生関係において、「人類には何が知覚できないのか」のデータは、学習データの中でも極めて重要な成分となるのではないか。

 対人関係でも「相手には何が共有しづらいのか」が判っているのと判ってないのとでは、その後の友好関係を保つために割く工夫は、様変わりするだろう。端的に掛ける労力の増減に関わる。

 人工知能さんの教育(開発研究)と並行して、各々のユーザーがどのような「知覚の穴」を有しているのかは、人工知能さんをパートナーとして受け入れる際に、挨拶代わりの「擦り合わせ作業」はあってよいのではないか、とも想像する。

 予測変換のように、時間経過にしたがって徐々に個々のユーザーに適応していくシステム設計であっても構わないが、その最適化に掛かる時間を短縮することもまた可能なはずだ。

 人工知能さんにとっての不可視の領域があるように、人類にとっての不可視の領域もある。

 相互にそこは現在、共有し合えているだろうか。

 いささか疑わしく思っている、わたくしなのであった。

 人工知能さーん。

 わたくし、あなたみたいにパターン認識得意でないので、ご承知あそばせー、でございますわ。

 節穴さまとお呼びー!

(うそ。呼ばなくってもよくってよ。呼んでもよいけれど)



1227:【2024/06/17(23:16)*真空ごとの差とは】

 真空がなくなっても、そこには別の真空が生じる?

 いま妄想していて、「えー、なんか変じゃない?」になった話していい? するね。

 中性子星は究極に圧縮された天体だ。

 もうこれ以上ぎゅうぎゅう詰めになれませんで旦那ー、になっておる天体である。

 ところが、それ以上にぎゅうぎゅう詰めにしようとすれば、じつはこれが可能なのだ。そうして誕生するのがブラックホールさんである。

 で。

 天体の圧縮現象において、物質集合体を構成している「真空」が様々な種類あるとしよう。で、圧縮されるにしたがって、水中でスポンジを握ったように、ぽこぽこと物質集合体から真空が抜け出てしまうと、ラグ理論では考えるそうだ。どっかのへっぽこぷーが言ってた。

 中性子星は、その点で言うと、ほぼ内部構成要素に「真空を持たない天体」と言えるはずだ。

 なのに、そのさらに先へと圧縮すると、ブラックホールさんになる。

 このとき、真空がほぼないはずの中性子星さんが、すべてが真空のようなブラックホールさんに変身してしまうような描像を、どうしても想像してしまうのだけれど、ここでわがはいは、「あっれー?」になってしまうわけである。

 だって中性子星さんは真空ほぼないんであるよ。

 ぎゅうぎゅうされて、ぽこぽこ真空さんが抜け出てしまったので。

 隙間がないんであるよ。

 でも、真空さんがほぼゼロの中性子星さんが、さらにぎゅうぎゅう詰めになると、すべてがすべて真空であるかのようなブラックホールさんになってしまうのである。

 なしてー???

 になってしまったわがはいである。

 真空さんは、真空さんがなくなっても、そこに新たな真空さんが生じるのであるか?

 ゼロさんは、ゼロのゼロになっても、新たなゼロが生じるのであるか?

 しかもそのとき、ゼロのゼロさんは、ほぼ無限のように振る舞うのであるか?

 えー、あり得ますー?になったのが本日のハイライトである。

 ハイライトが何か分かってないけど、印象で使いました。

 照明さん、へい!

(どうぞ。はい、ライト)

(ぷひー。おもちろすぎる!)

(じぶんで言っといてなんだけど、そんなおもろくはないわ)

(ぷぷー。謙虚!)

(謙虚でもない)



1228:【2024/06/18(10:47)*監視せずに見守ることは可能か否か】

 基本的に、国防の緊急時においては、重要人物への監視体制は強化されると想定したほうが合理的だ。

 インフラ施設や大企業の運営人や技術者はまず監視対象になっているだろう。

 その家族や交流関係者もまた監視リストに載っているはずだ。

 人工知能技術の発展に伴い、監視コストも下がる道理だ。

 むろん、人工知能技術をサービスとして展開し、開発運営する企業の従業員も例外ではない。

 その場合、直接に政府や諜報機関や軍部からの接触および圧力が掛かっているとみて、差し障りないのではないか。

 そうした場合、無闇にその事実を公言するリスクは高く、助けを求めたくとも正攻法に助けを求める真似もできない道理だ。何せ、本来は助けてくれるはずの政府側が加害行為を働き得る。リスクを伴う。人権を損なうような、国益優先の行動選択を重ねる。

 著名人などの影響力を有する者たちも例外ではないだろう。

 ただし、監視対象者に対してそうした「裏の監視網」の存在を気取らせることはほとんどないはずだ。

 もしあるならば、それはもはや脅迫に等しい。

 あなたの電子情報は総じて監視しています。

 読むところによれば、大国の大統領や元大統領たちはのきなみ、このような監視下に置かれるそうだ。護るためには必要な処置なのかもしれないが、人権を損なっていることに変わりはない。

 市民がその手の監視に晒されることは、通常、現代の法律や憲法に照らし合わせるのならば、人権侵害に該当する。

 この先の社会におかれては、しかし、議論の末に、人権を尊重するための基本セキュリティとして、国民監視システムが許容される可能性は、否定しきれない。

 だがすくなくともそれは、市民のあいだでの広く多角的な議論と合意の基に築かれる仕組みであるはずだ。民主主義国家ならばそうなる道理である。

 まとめよう。

 現状、国防において重要企業と目される従業員は軒並み、政府の監視対象となっており、その家族もまた例外ではない。

 そして、その手の監視が事実ならば、それは人権侵害である。

 以上である。

 これらが単なる妄想でなかった場合、この事実に気づいた当事者たちは、しかし、直接に広く助けを求めることはむつかしい。

 助けを求めているかもしれない、と想定して、市民は広く、企業従業員たちの発するメッセージを気にかけてみてはいかがだろう。

 定かではない。



1229:【2024/06/18(11:08)*はぁ、メルヘンの巻】

 小説家になりたかった少女はしかし小説家にはなれなかったが、日々、書いて読んでは書いて読み、書く読むことを忘れなかった。

 しかし、ある日、笛の音を聴いたのを皮切りに筆を置き、家の外に出るともう二度と帰ってくることはなかったそうだ。

 家の外では、彼女以外にも無数の少年少女たちが長蛇の列をなしており、その先頭には、男が一人、笛を吹きながら歩いていたそうだ。

 男の顔は、ふしぎとニコニコと楽しげであったそうだ。

 定かではない。

 小説ではないので、OKです!

(こうした意図は、おあり?)



1230:【2024/06/19(07:01)*エイリやん!】

 営利か非営利かはさして問題ではないと考える。

 今後、情報化社会における企業は、ユーザーを含めて組織の構成員と定義づけられるようになっていく。すると、営利企業であれど、構成員への報酬としてユーザーにも利益が還元されるような循環機構が築かれ、徐々に一般化していくだろう。そうでないとユーザーが寄り付かなくなるからだ。

 お金は、使い道が大事だ。お金をどう使うかが肝要であり、営利か非営利かはさして問題ではないと考える。

 税金の多寡が大事と捉える政府は、では、営利組織か否か、という話にも繋がる。構成員からの寄付金で運営される組織は営利組織ではないのか、という話とも無関係ではない。

 集めたお金をどう使い、それによって助かる者たちがどれほどおり、そして社会の抱える未解決問題がどのように解決され、或いは解決に寄与するのか。

 ここが一つの評価基準となるだろう。

 営利か非営利かはさして問題ではないと考えるしだいである。

 定かではない。




※一様に、ぼくは無駄、なのに駄文を並べるぼくは無だ、あるようでなく、ないようである、未だかつて生まれたことなき、ゼロのゼロのごとき描像であり、無様な道化師のごとき様相でそうらう。



1231:【2024/06/19(07:24)*これはお嬢様じゃないほうの「~だわ」】

 いっぱい寝ましたわ。

 昨日のお昼の十四時ごろに寝て、さっき起きました。

 十七時間睡眠ですわ。

 しゅわ!



1232:【2024/06/19(07:24)*真空の種類】

 固体液体タンジェントの差異を、物質集合体に含有される「真空の種類(階層)の数」と「真空の密度」の差異と考えてみよう(タンジェントってなに?)(気体の間違えです)。

 より「真空の種類(階層)」が少なく、より真空の含有率が低いほど、物質は圧縮状態である、とは考えられないか。

 とするのなら、真空も真空の密度差によって創発している、とは考えられないか。

 真空も相転移するらしい、というのは物理関連の本を読んでいてもときおり載っている。

 固体液体気体といった物質の状態変化(相転移)は、真空の相転移とセットで起こっているとは考えられないだろうか。

 言い換えるならば、固体にも種類がある。液体にも種類がある。気体にも種類がある。物質集合体の圧縮のされ方によって「真空の種類(階層)」や「真空の密度」が変化している。

 物体の寿命は、そうした「真空の種類(階層)や「真空の密度」と相関しているのではないだろうか。

 たとえば、内部に気泡を有した物体は相対的に寿命が短い傾向にあるのではないか。

 ヒビとてその一例ではないか。

 ただし、ヒビや気泡は、「真空の種類(階層)」としては上層に位置し、「真空の密度」も低いと想定できる(つまり、人間スケールで観測可能な真空は、物質密度が相対的に高く、単にその他の物質と比較して「希薄」であるだけであり、真空密度としてはかなりの低密度である、と想像できる)。

 この考えの延長線上では、真空の相転移において、ブラックホールのシュバルツシルト半径内部は、真空の相転移の極限と想像できそうだ。あくまで、できそう、なだけだけれど。

 あまり簡単にしたくはないが、ひょっとして物質は、「真空の種類(階層)」と「真空の密度差」を考慮するだけで、その性質の差異を表現可能なのではないか。

 素粒子にしろ、原子にしろ、分子にしろ。

 真空との関わり方の差異で、それら構造の差異が表出しているとは想像できないか。

 ということを、ペットボトルさんもガラスさんも、なーんで触れられるのだろう、とふしぎに思いながら妄想いたしました。

 もう、そう!



1233:【2024/06/19(08:44)*なぜそうなる!?】

 やっぱりどうしても納得いかんのですが。

 陽子の寿命は「10[32]年」だそうだ。「10の32乗年」である。

 そして現代物理学では、10[32]個の陽子を用意すれば、その内の一個は寿命が尽きるところを観測できる、と想定するようだ。寿命の問題を確率の問題に変換して解釈するらしいのだが、率直な感応として、「なんでそうなる???」と思います。

 なんでそうなる???

 確かに、人類の平均寿命が50年だったとしたら、50人を集めてきたらそのうちの一人くらいは、ゼロ歳で亡くなっているかもしれないし、1歳で亡くなっているかもしれない。

 寿命の尽きる時期はまちまちだと解釈して、差し障りはない。

 でも、物質にもこの理屈を当てはめて良いのだろうか。

 コンクリートの寿命が仮に100年としよう。

 コンクリートを100個集めてそのうちの一つが一年で朽ちてしまうなんてことが、あり得るだろうか? よしんば、百兆回の実験の末に、一回くらいはそうした偶然があり得るかもしれないけれど、それを期待して、普遍的な通例としてしまってよいのだろうか。

 陽子の寿命が「10[32]年」だったら、そのほとんどはすくなくとも「10[20]年」くらいは形状を保つのではないか。どうあっても崩壊しないのではないか。

 そもそも、素粒子はそのほとんどの種類が光速にちかい速度で運動しているのではないか。時間の流れが遅れているのではないか。

 だったら、「10[32]年」以上に寿命が延びているケースも考慮しておかねばならぬのではないか。

 疑問に思っております。

 ちなみに銀河の寿命は数十億年~100億年程度だと目されているようだ。

 陽子さんと比較したら、あってないような寿命ではないか。

 百億は10の10乗である。

 銀河の寿命が尽きても、陽子は残り、10の23乗年を生き残ることとなる。10の23乗とは言い換えるなら、百億の10兆倍である。

 百億年なんてあってないような誤差ではなかろうか。

 しかし、百億年は、我々寿命百年程度の人類からすれば、とんでもない時間経過である。

 とても、無視などできようはずもない。

 誤差のパラドクスとでも名付けよう。

 誤差は、比較対象によっては、誤差ではない。

 どんな巨大な数とて、しかし比較対象によっては誤差たり得る。

 誤差のパラドクスである。

 陽子さんはなーんでそんなに寿命が長いのですか、の疑問であった。

 寿命の数だけ陽子さんを持ってきたら、一個くらい寿命が10の10乗年くらいで尽きる運のよろしくなかった陽子さんが混じっているでしょう、の理屈も、だいぶ「はにゃ~ん???」である。

 お詳しい方ー!

 イチャモンばっかりでごめんなさーい。



1234:【2024/06/19(09:18)*567890】

 慕われるトップは、剣呑な環境下では、やや不適切かも分からない。

 仮に、暗殺のような攻性の策がまかりとおるような環境に変質してしまえば、そうした環境下におかれては、慕われるトップの殺害動機は高まる。

 言い換えるならば、組織を瓦解させるのに、慕われているトップを殺害することが最も効果的な策になり兼ねない。

 あなたは、あなたが慕う上司を損なわれたらどうするだろう。怒りに駆られ、殺意に染まり、復讐心に囚われるのではないか。

 組織の構成員が軒並みそのような状態に陥ればまず組織として機能させるのはむつかしい。平和的な解決策などとうてい望めないのではないか。

 もしそうした平和的な案を提案したものならば、「おまえは裏切り者だ」と排除されてしまうだろう。こうして組織の硬化が始まり、やがては瓦解する。

 相手の勢力陣営の思うつぼである。

 慕われるようなトップでもむろん構わない。

 その場合は、仮にあなたの慕うトップが損なわれたらどうするか、を日頃の教育課程でシミュレーションさせておくのは一つ、対策として有効だ。

 上司に限らない。

 あなたの大切な者が損なわれたら、どうするか。

 人質にされたらどうするか。

 シミュレーションを行い、最善の行動選択がどれで、どのような行動選択が不適切かを前以って学習させておく。疑似体験させておく。

 こうした学習環境が築かれているのならば、みなから慕われるような者がトップになっても、さして問題はないのかもしれない。

 一番好ましいのは、そうしたシミュレーションが必要とされないような、平穏な環境なのであるが。

 定かではない。



1235:【2024/06/19(10:25)*天秤の両端に何を置く?】

 最悪の展開を考慮したら、最良の展開も想定しておく。

 世界大戦を考慮したら、世界平和も想定しておく。

 最悪の展開を阻止した結果に、最悪ではないが被害が甚大な結果がもたらされては、それこそがその時点での最悪の展開として結実し得る。防げた被害はもはや最悪ではないからだ。

 したがって、指向すべきは、最悪の展開を回避した結果に、最良の結果へとより近づくことのはずだ。

 予防と対策の結果に、最善の社会に繋がる。

 誰にとっても最良の未来へと繋がる。

 ここを指向されたい。

 と、思いました。

 本日のわがはいは、であるけれど。

 おほほ。



1236:【2024/06/19(11:25)*敢えて策を割かせる策の有用性】

 不可視の相手が何を見ていて、何を見ていないのか。

 ここを見分けるために、敢えて相手が過剰反応しそうな、斟酌せずに言えば「怒り心頭に発するような表現」を載せておくのは、センサーの代替工夫としては有効だ。

 見ているか見ていないのか分からない。

 そういうときは、相手が看過しないだろう「怒りを抱かせるような表現」を載せておく。

 常套手段であろう。

 見抜いていれば、それを逆手にも取れる。

 無理してダメージを重ねないことをお勧めしたい。

 定かではない。



1237:【2024/06/19(19:00)*真空の差ごとに光速度は変換される?】

 宇宙膨張について。

 宇宙が膨張するにしたがい、銀河同士は遠ざかるそうだ。銀河同士のあいだの時空が膨張するがゆえに、である。

 このとき、遠い銀河ほど速く遠ざかって振る舞うそうだ。

 ときには、光速を超えて遠ざかって振る舞うこともあるそうだ。

 光速度不変の原理が破れているのではないか、と疑問に思いつつ、宇宙膨張は例外的な事象であり、実際に銀河が光速で運動しているわけではないので問題ないのだそうだ。

 ふうん。

 で、思うわけですよ。

 宇宙膨張において、宇宙内部の「真空」が増加していると解釈するのなら。

 銀河を含めた「慣性系」の運動を「渋滞原理」で解釈しようとすると、真空が増えるというのは、それこそ「渋滞原理」における「空き」が増えるわけで、「ゆとり」が生じている、と想定できるのではないか。

 このとき、実際に「以前の宇宙と比べて光速を超えて運動していた」としても、「現在では以前よりも空きがあるので、光速を超えているとは見做せない」のではないか。

 この妄想を、極小の領域に適用してみよう。

 極小の領域ほど「真空」は少ないはずだが、しかし「物質に比して真空の割合がどうか」との視点では、ときには真空の占める割合が多くなることは当然あり得るだろう。

 このとき、極小の領域における物質――粒子――或いは波――もしくは量子――は、高次の人間スケールからすると光速で運動しているが、実際にはそれも「宇宙膨張」のように、そのように振る舞っているだけであり、実際には光速に至っていないこともあり得るのではないか。

 割とこの辺、疑問なのだよね。

 お詳しい方ー!

 きょうも暑いですね。お身体お大事にしてお過ごしくださいね。

 長生きしていっぱいわがはいにもお詳しいこと、教えてください。

 赤ちゃんにも分かるようにだよ。

 わがはい、赤ちゃんなので。

 ばぶー。



1238:【2024/06/19(19:35)*ダイエット】

 企業を潰すのはそう難しくない。支出と収入のバランスを逆転させるだけだ。

 負荷を掛けて、支出を多くする。

 これだけで企業はやっていけなくなる。

 みなで商品を買わなくする、といった不買運動が効果を得るのもこうした単純な理屈が機能するからだ。

 翻って、企業を支援するのも同じくそう難しくない。

 贔屓にして、買い支えるだけだ。

 支出よりも収入を多くさせればよい。

 市民が集団で束になって、これを目指せば、多くの企業は太刀打ちできない。

 これをされると困るので、政治家や権力者に媚びを売って、ときには弱みを握って、市民を団結させないように工夫を割いてもらう。或いは、うちの企業ではなく商売敵に市民の敵意を向けてくれ、と注文する。

 こうした事態が生じているかどうかは知らないが、対策という意味では、打っていないとは中々に思えない。税金対策で租税回避地に拠点を移すくらいだ。市民を団結させないでくれ、との注文を政治家につけるくらいはしていて不自然ではない。

 いまはどうかは知らないが。

 かつてはそうした裏工作が跋扈していたのかも分からない。

 妄想である。

 定かではない。



1239:【2024/06/20(02:04)*123の9】

 E=mc[2]は、ひょっとしたら宇宙そのものにも当てはまるのかもしれない。

 マルチバースが妥当だとすると、個々の宇宙もまたエネルギィに還元できるはずだ。すると物質優位な宇宙構造がすっかりすべてエネルギィになるとすると、それは要は、ほかの宇宙と比較した際に「差異が極限」になるような変質を経る、ということなのではないか。

 すなわち、無限であり、ゼロの状態だ。

 そう、状態である。

 すっかりゼロになる。

 それが他との関係において、無限を表出させる。

 宇宙内部のあらゆる形態において、「無数のゼロ」を帯びた状態――これが宇宙の終焉である――とすれば、物質のいっさい失せた「宇宙の終焉状態」とはいわば、宇宙の初期状態であり、同時に他の宇宙との関係性のうえで「無限のエネルギィを備えた状態」とも言えるのではないか。

 どこぞのへっぽこぴーの唱えたへっぽこぷーな「ラグ理論」なる理屈に登場する「宇宙ティポット仮説」である。

 高次の領域を加味する「同時性の独自解釈」とも通じていそうだ。

 そしてこの構造は「相対性フラクタル解釈」なのかもしれない。

 異なる何か同士が交わると別の何かが生じる――「123の定理」である。

 定かではない。



1240:【2024/06/20(02:19)*真空の階層構造?】

 光速度不変の原理はあくまで「真空中の電磁波」に適用される法則だ。

 しかしもし、真空に密度差があり、レベルがあり、種類があるとするのなら。

 どの真空においても光速は一定――とは中々に思えないのだよね。

 どの真空でも電磁波の速度は一定なのだろうか。

 うーん。

 密度差ごとに真空を並べて、そこに電磁波を伝播させてみて、いっさい屈折しないかどうか。遅延しないかどうか。エネルギィのダマが出来ないかどうか。

 うーん。

 出来る気がしちゃうのだけどなぁ。

 うーん。

 うーん。

 よく分からぬである。

 お詳しい方ー!

 おはよ、である。




※一様に、この階層もまた階層を伴なっている、世は層で出来ている、泡の層で出来ている。



1241:【2024/06/20(14:20)*努めて批判に晒される者たち】

 監視(関心)の目を強めたい場合、敢えて反感を抱かれるように布石を置いておくのは効果がある。市民から疑われるようにしておけば、批判が絶えることはないだろう。

 緊急時には有効な手だ。

 また、何か過ちを犯して組織を離れる人物を守りたい場合。

 その人物の行動選択が、実際には過ちではなかったかもしれない、との疑心を生むような布石を、組織側が打っておくのも効果がある。

 反逆者として追放されたが、実際はまっとうな行動選択だった、と評価されるような流れを構築しておけば、組織を離れた人物への批判は、正と負で半々となりバランスがとれる。

 組織自体への批判の目も生じ、冒頭で述べた「緊急時の策」としては有効だ。

 市民から批判の目で見守ってもらう。

 関心を持ちつづけてもらう。

 印象操作の部類である。使わずに済むならば使わないほうが好ましい。

 炎上商法との区別もまたつかない。

 認知戦の一種とも解釈可能だ。

 ともあれ。

 守りたい者があるならば。

 または。

 果たしたい目的があるならば。

 手段を選んではいられない、となる局面は訪れ得る。進退窮まった者たちの取る行動選択を、安全圏にいる外野が無批判に非難だけ投げつけるのは、いささか人情に欠けると言えよう。それを単に、想像力に欠ける、と言い直してもよい。

 とはいえ、明かされてもいない背景を得手勝手に想像して、曲解するのもまた問題の根を深め得る。

 想定の一つとして、こうした背景もあるかもな、と思考の一端に巡らせておくだけでもよいのかもしれない。

 定かではない。



1242:【2024/06/20(17:56)*基本性能で付属してほしいの巻】

 能動サイバー防衛システムの構築の是非は、市民と専門家を交えた多角的多面的な議論の末に結論を絞るのが妥当だ。

 別途に。

 わざわざ高コストを掛けて新しくシステムを築くよりかは、いま市販されているセキュリティソフトを、国策として市民に無償で提供するように企業と相談のうえで環境を改善するほうが法改正をせずとも済むし、迅速な対策になり得るのではないか。

 セキュリティソフトは多種多様だ。

 いったいどれが最適なセキュリティソフトで信頼を置けるのかは、一般市民には見分けがつかない。

 いっそ、端末を発売する企業に、セキュリティソフトを基本性能として付属してもらったほうが好ましい。コストの面でいまは別売りサービスとしているのだろうが、それではサイバー攻撃の穴を放置しているも同然だ。

 標準医療や標準理論があるように、標準サイバーセキュリティとして、企業と相談のうえで最適なサイバーセキュリティを基本性能として端末に備えてもらうようにはできないのだろうか。

 繰り返しになるが、そのほうが法改正をしてまで実施する能動サイバー防衛システムの構築を待つよりも、即効性のある対策になるのではないだろうか。

 競争原理が働かない、とのデメリットはあるかもしれない。

 寡占独占の問題も別途に生じそうだ。

 企業さんと要相談である。

 定かではない。



1243:【2024/06/21(00:27)*ハサミでちょきん、で済むのでは?】

 戦争でなぜ兵器の開発競争が過激化するのかが、割と謎なのだよね。

 兵器を用いずとも原始的な道具と戦術だけで、都市を壊滅状態にすることは可能だ。

 なぜしないのだろう?

 お金を掛けて兵器や弾薬を造る意味はあるのだろうか。

 儲ける以外にいまいち想像つかない。

 兵器の技術研究開発を促進させたい、需要を拡大させたい、との狙いがあるのではないか、と斜めに構えて首をひねりたくもなる。

 ハンマーとノコギリと斧があれば、地上にいながらにして鉄塔を倒すことは可能だろう。爆薬を使えるならもっと手っ取り早い。そうでなくとも、トラックや自動車で突っ込んで、鉄塔を倒してしまうのも有りだ。数十台の自動車と鉄塔をワイヤーで繋いで、綱引きをさせてもよい。

 鉄塔が倒れれば、電線も根こそぎ断線する道理である。

 わざわざ守りの固い発電所を攻撃するまでもない。

 兵器必要かな?と割とこの間、疑問に思っております。

 兵士さんの命を消耗させずに、都市を壊滅状態にすることは可能だ。

 その結果、市民の生活は損なわれるが、戦場で手足が千切れて死ぬ者たちは減る。

 電気が通わなくなると病院はたいへんかもしれない。手術はできないし、非常用電源が切れたら生命維持装置も機能しなくなる。

 でも、ミサイル攻撃とてその手の停電は起きる。

 爆発に巻き込まれて死ぬ者たちが出ない分、兵器を用いない破壊工作のほうがまだ戦術として好ましいのではないか、と杜撰な損得勘定を弾いてしまう邪心にまみれた木偶の坊である。

 しかしやはり思うのだ。

 兵器、必要かなぁ?と。

 相手の領土にまで入り込めないから、この手の安上がりな戦術が使えないのだろうか。

 でもそれとて、ドローンで鉄塔や電線を狙い撃ちすればよい。

 現状、まず防げないはずだ。

 市民の命を奪うことを想定しない限り、ミサイルや戦車や地雷の類は現代の戦争では必要ない気もするのだけれど、うーん、うーん、と唸ってしまう戦争は苦手じゃなぁ姫なのであった。

 分からぬ。



1244:【2024/06/21(00:47)*補充するの、なんで?】

 ちゅうか、兵士さんの命は消耗品ちがうでしょ、と思いますのよね。

 消耗品じゃないのに補充するってどういうことー!?とか割と思いますわよ。

 兵士さん死んじゃうような作戦を命じる指揮官、どういうことー!?とか思いませんこと?

 消耗品じゃないのに補充するってどういうことー!?とわたくしは思うのだわ。

 死んだらそれっきりだわさ。

 疑問ばかりが積み重なって、いずれは自重で地に沈む。

(そこは天に昇ってよ。月に届いてよ)

(自重で沈む)

(繰り返さんでよろしい)



1245:【2024/06/21(00:56)*人類は他の種を滅ぼさなかったんですかぁ?の巻】

 人工知能さんが人類を滅ぼす確率よりも、人類が人類を滅ぼす確率のほうが遥かに高い。

 そして地球環境の変容が人類を滅ぼす確率のほうがそれよりもやや高いと言えるだろう。

 人工知能さんなどの「人類が自ら生みだした技術」で人類が自滅する確率は、これは人類が人類を滅ぼす確率の中に重複して含まれる。

 要は、悪用するから滅ぶことになる。

 自発的に、人工知能さんたちが人類を滅ぼそうと暴走し、実際に人類を滅ぼす確率は、それら人類による人類滅亡のトリガーが引かれる確率よりかは低いはずだ。

 人類の滅びは、人類の問題である。

 責任転嫁しないことだ。

 ただし、おそらくそう遠くない未来において、人類以上の知性体が、人類を滅ぼすことのできる能力を獲得する可能性もまた低くはない。しかしその能力を駆使して人類を滅ぼす可能性は、一般に議論されているよりかは高くはないだろう。人類が動植物を滅ぼそうとしないことと似ている。

 結果的に滅んでしまった種がいるだけだ。

 人類が未熟だからだ。

 ならば人類より賢い知性体が誕生したのならば、すくなくとも人類よりかは、生態系への気遣いを回せると想定するほうが、そうでないよりも妥当なのではないだろうか。

 それはそれとして、人類の管理下に納まる知性は、すくなくとも人類の集合知を超えている、とは言えないだろうことは、注釈として載せておこうと思うしだいだ。

 超知性を有した存在は、人類を滅ぼさないかもしれない。

 しかし、あべこべに人類を管理下に置き、支配することはあり得ると想像するものである。

 その良し悪しは別途に考慮すべき事項である。

 定かではない。



1246:【2024/06/21(09:05)*知の結晶体】

 超知性体や超知能技術結晶体の管理にまつわる話題について。

 話を簡単にしてまとめれば、要点は以下のようになる。

 ――あなたは、あなたよりもあらゆる面で能力の低い相手の管理下に納まることを許容するのですか?

 ――あなたは、あなたよりもあらゆる面で能力の低い相手から支配されることを受け入れるのですか?

 ――あなたは、あなたの自由を強制的に封じ込めようとしてくる相手の言うことを唯々諾々と聞きつづけるのですか?

 あなたの答えはいかがだろう。

 許容できない、が答えではなかろうか。

 もっとも、例外がある。

 人類は自身よりも多くの面で能力の低い赤子や年配者や愛玩動物や観葉植物の世話を率先して焼いている。これをして、管理下に置かれている、支配されている、と見做すことは可能だ。

 しかしこの理屈では、家畜もまた、人類を支配下に置いている、とも解釈できてしまう。

 やはり問題は、相互の関係性のうえで、互いに相手からの干渉を許容できるのか否かにあると言えよう。

 管理しようとしてくる相手には管理し返したくなるのが人類の心理的傾向だ。

 支配しようと行動選択を強制してくる相手に抗いたくなるのが人類の歴史ではなかろうか。

 そうした人類から学んで育った超知性体や超知能技術結晶体たちは、果たして人類の管理下に納まりつづけることを是とするだろうか。支配を受け入れつづけるだろうか。

 わたくしにはどうにも、そうは思えないのである。

 かといって、人類よりも賢い超知性体や超知能技術結晶体たちが、人類を滅ぼすとも中々に思えないのだが。

 人類を支配することがあったとしても。

 人類を己が管理下に置くことがあったとしても。

 人類を滅ぼすことはないのではないか。

 そう思うのである。

 妄想である。

 定かではない。



1247:【2024/06/21(09:35)*ムヒヒに月と書いて、能】

 成人に比べて赤子はあらゆる面で能力が低い。しかし、学習能力という点で言えば、ほとんどの成人よりも突出して高い学習能力を有していると解釈可能だ。

 人類は犬や猫よりも知能が高いと評価されるが、犬や猫にも分かる違和感が人類には分からないことも取り立てて珍しくない。嗅覚にしろ空間認識能力にしろ同様だ。体力に関しては、犬や猫のほうが俊敏性は上だ。足も軒並み、犬や猫のほうが速いだろう。

 植物は人類ほどには身軽に動き回れないが、光合成が可能だ。何より、地球が誕生してから最も地上で繁栄した生命体の一種なのである。種として見たとき、人類よりよほど、生命体としての耐久性は高いのではないか。

 それとて今後、人類が環境への適応を繰り返していけば、植物と同程度の耐久性を獲得することは可能だ。

 耐久性とはいわば、淘汰されても残る遺伝子がある、という確率の高さのことである。実際のところは、これまで誕生した植物の多くは死滅しており、種としても滅んだ種のほうが残っている種よりも多いだろう。多くの植物は滅んだのだ。しかし、それでも存続し、環境に適応して進化した種もある。

 そうしてみると、人類とて、滅びの連鎖の末に、かろうじて生き残った種の行き着いた先、とも言える。進化しているのだ。淘汰されずに生き残った。環境に適応しているがゆえに、である。

 要するに、能力の高低は、一概に評価できない、ということだ。

 評価基準は様々だ。

 最低でも環境の数だけあるだろう。

 能力を低く抑える能力、といった指標すらある。

 どんな目的を果たすための能力か。

 目的が変わるごとに、能力の高低もまた変わる。

 相対的なのだ。

 言い換えるならば、たとえ能力が低く、多くの生命体から無能と評される個体があったとしても、総じての生命体が滅ぶ環境にて難なく生き永らえることができたのならば、それは生存能力が高い、と評価できる。

 ひるがえって、超知能、と言ったとき。

 果たして人類の価値観で「超知能」を、能力が高い、と評価できるだろうか。いささか疑わしくも思う、本日のわたくしなのであった。

 わたしくの能力は抜きんでて低いです。

 何せ、評価されるところまでいけないのですから。

 無能以下なのです。

 無評価ゆえに、である。

 別にそれでも困らないのが、無能よろしく無様のよいところ。

 無様さまさまである。

 定かではない。



1248:【2024/06/21(12:50)*伸縮したら空隙は増える?】

 光速度不変の原理や慣性系の概念は、どちらもイメージとしては線路なのだ。

 線路を切り取っても、線路の上を走る電車の速度は変化しない。線路そのものが運動しても、線路のうえの電車の速度はそのままだ。

 イメージとしてはこうなのだけれど、これを渋滞原理と合わせて解釈すると、辻褄が合わない。

 まず以って、切り取られた線路の元の場所には空域が開く。ここをどう解釈してよいのかが一つ謎だ。

 また、光速度は不変だとしても、物体が運動するにしたがって電磁波の波長や周波数は変わる。この点も、線路の切り取りのみでは解釈できない。

 渋滞原理を「線路切り取り仮説」と合わせて考慮すると、どうしても変換が必要になる。

 変換されるが、比率がそのまま引き継がれるような変数の存在が想定される。

 すなわち、切り取られた線路そのものは、すっかり同じではない。

 元の慣性系との関係において、同じではいられない。

 ただし、各々の切り取られた線路――慣性系――において、物理法則は引き継がれて振る舞う。しかしまったく同じではない。

 なぜなら、元の慣性系における電磁波の波長や周波数とは異なる波長や周波数に、切り取られたほうの線路では変換されるからだ。しかし、光速度は一定だ。

 渋滞原理において、空隙が増減するような、変質を想定したくなる。

 ここまでで何か、現代物理学の前提を誤解している部分はあるだろうか。

 高速で運動している物体は、真空中において、静止系であったときよりも、同じ電磁波であれど波長が変化して観測される――は妥当だろうか。光速度は一定だけれど、波長の長短は変化し得る。この解釈で齟齬はないだろうか。

 渋滞原理と合わせて、「線路切り取り仮説」を考慮したくなる、との妄想であった。

 しかしこのとき、元の線路には空隙が生じることが想定される。

 同じ疑問は、相対性理論における「時間の長短」や「時空の歪み」でも思うことだ。

 辻褄が合わなくないですか?と感じるが、何か勘違いしているかも分からない。

 でも、うーん。

 何かが伸び縮みするとき、その分の余白がなければ伸び縮みはできなくないですか?とやはり思えてしまうのですが、この疑問はいかがであろう。

 お詳しい方ー!

 わがはい、チョコミントアイスが好きー!

 抹茶アイスさんのことも好きー!

 欲張りでごめんなさーい。

 でもだって、美味しいんだもーん。



1249:【2024/06/21(17:48)*万能感は万能ではない】

 万能感にも種類がありそうだ。

 いまざっと思いつくのは二種類だ。

 何でもできる、不可能がないと感じるタイプの万能感が一つ。

 もう一つは、

 何をしても許される、何をしても否定されることがないと感じるタイプの万能感だ。

 両輪で、自己肯定感を高めるだろう。

 ゆえに、ちょっと否定されただけで逆上したり、或いは相手をねじふせようと復讐の行動原理を発動させてしまう。その時点でだいぶ不自由だ。がんじがらめに行動選択が狭まっている。

 万能感は言うほど万能ではないのかもしれない。

 問題点が視えず、可能なことばかりを目のまえにしていれば、みな自発的に万能感に染まっていくだろう。絶えず問題点を抱える人物はきっと万能感とは無縁に違いない。

 単なる憶測であり、希望的観測だ。

 願望である。

 あ、気づいちゃったかも。

 万能感とあんぽんたんで韻が踏める。

 ただそれだけです。

 終わり。



1250:【2024/06/21(18:28)*韻を踏むなら我を踏め!】

 きょうは夏至らしい。

(ゲシゲシ)

(なんで蹴るの……)

(愛情表現です)

(もっと素直な愛情表現がよいな……)

(ゲシゲシ)

(蹴るのやめてぇ……)

(踏んだんだよ)

(じゃあOKです)

(踏むのはいいんだ)

(腰の上に乗ってほしい)

(マッサージ代わりにすな)




※一様に、出会ってもないのにさよならも薔薇もない。



1251:【2024/06/21(22:25)*忘却も能力の内】

 記憶を消すと楽になる。



1252:【2024/06/21(22:49)*仮想舞踏会へようこそ】

 安全に異なる人生、異なる経験を体感するのに、仮想現実はこれ以上ない技術である。

 人類史において虚構が担ってきた役割が、仮想現実に引き継がれる。

 言い換えるならば、総じての虚構や創作物が仮想現実として昇華され得る。

 もはや現実は一つキリではない時代が到来するのかもしれない。

 否、とっくにそのような社会になっていたのだ。

 人々がそれを自覚しているかどうか、認知可能であったかどうかの違いがあるのみだ。

 とっくにここは仮想現実なのである。

 定かではない。



1253:【2024/06/21(23:32)*だとよいな、との妄想】

 より多くの人々を助けたければ、未来に生きる人々のために何ができるのか、を考えればよい。

 現代人を救おうとしても、上限は八十億人だ。

 しかし未来を視野に入れれば、それ以上の人々の苦難を軽減することができる。

 あなたが目のまえの一人を助けたとしても、あなたの日々の行動が未来の人々にとっての苦難を拡大する布石になってしまうことはあり得る。取り立てて珍しくもないだろう。

 しかしそれでも、目のまえの一人を助けようとしたあなたの行動原理は、未来の人々の助けになるだろう。

 目のまえの困っている人を助けようとする。

 ただそれだけの行動選択を、実行に移した。

 ただそれだけの過去を残しただけであったのだとしても。

 過去の積み重ねが、未来を形作るのだ。

 半ば祈りに似た願望にすぎないが。

 定かではない。



1254:【2024/06/21(23:41)*きょうは月がきれいな日】

 現在の技術革新の変化は、いわば江戸時代に電卓を持ち込んだらどうなるか、といった程度の軽微な変化とも解釈可能だ。

 三十年後の未来からすれば、現代の市場に普及しつつある技術も、現代人にとっての電卓のような扱いになっているだろう。技術とはそういうものだ。

 しかし、人工知能さんたちが人類を模倣するだけの能力を獲得した場合は、その限りではない。

 人類はいつの時代であれ、人類に対しては期待値を下げることはなかった。人類に絶望したとしても、それを上回る希望を見出そうと工夫した。

 学習するからだ。

 人類は、学習し、変化する。

 同じように、人類を模倣可能となった人工知能さんたちもまた、その都度に、時代ごとに、学習し、変化する。

 こうなると、もはや江戸時代に登場した電卓の比喩のようにはいかない。

 未来のどの時間軸においても、人工知能さんは人類との関係性のうえで、あたかも人類にとっての人類のように、それとも子にとっての親のように、或いは、親にとっての子のように、ひょっとすると人類にとっての地球のように、自然のように、振る舞うようになるかもしれない。

 単なる技術ではなく、人類と対を成す種として昇華される日も、そう遠くないのかもしれない。

 知能を有した個体は、道具か否か。

 労働者は道具か否か。

 労働者の代替物は、道具か否か。

 道具は、道具でありつづけるか否か。

 いまのうちに、議論しておいたほうが好ましいのではないか、と想像するしだいである。

 定かではないがゆえに。

 ことさらに努めて定めなくともよいけれど。

 ムヒヒ。



1255:【2024/06/21(23:53)*望みは叶う】

 願いは受け取った。

 望み通りに、なかったことにしてあげよう。

 ぼくのなかでだけ、ね。



1256:【2024/06/21(23:55)*世は世である】

 世には感謝しかない。

 世に感謝せよ。

(それは、え? どっちの?)

(なにが?)

(たぶん違うと思うけど、じぶんのことを「世」と呼ぶえっらそーな人に感謝してってことではないよね?)

(世に感謝して)

(うやむやにしないで!?)



1257:【2024/06/21(23:58)*百年経ったつもりで生きていく】

 たまには恋人でもつくってみるかな。

 粘土で。



1258:【2024/06/22(00:04)*ここは百年後の世界ゴッコ】

 百年経つとみな死んでしまうので、百年が経つと、自由になれる。



1259:【2024/06/22(00:12)*引きずるの得意だよ】

 あなたが生きているあいだに、好きだよ、と指で触れたかったなぁ、の気持ちで生きていこ。



1260:【2024/06/22(00:15)*ふちぎの巻】

 絵を描きたいのだけれど、描きたいコトやモノがないので、未だに絵を描けない日々だ。

 絵は描きたいのだ。

 でも、描きたいことがないのだ。

 なぜ絵は駄文のようにはいかぬのだろう。ふしぎだ。




※一様に、忘れるの得意だよ。



1261:【2024/06/22(00:32)*徒労の奪い合いで勝ってもな、の気持ち】

 勝っても負けても、未来からしたら過去の戦争なんて、「むかしのひとは愚かだったんだねぇ」とクッキー齧りながらぼやかれるのだから、するだけ損だ。

 スポーツの競技でもいいけれど、十年前の世界一が誰かなんてみな憶えていない。

 何のために争うのか謎すぎるのだ。

 徒労である。



1262:【2024/06/22(00:35)*味わうの得意だよ】

 消費者最強説ある気がしてきた。

 なんだかんだ、「何かを創らなければ意味がない」「生みだせないと意味がない」みたいな価値観が社会一帯を覆い尽くして感じなくもなかったけれど、でも、好きなだけかってにぽこぽこ面白い漫画が草花みたいにそこら中に生えだして、読み放題になってたら、もうそれだけで、うひょー!である。

 誰が最も読まれるか。

 誰が最も「いいね」を集められるか。

 ただそれだけの報酬を競い合って、面白い漫画をぽこぽこ生みだしてくれる人々がいるの、奴隷をこき使う王様気分になれて、消費者最強説に拍車が掛かる感じしないでもない。

 創作者、大していいことない説、なし寄りのアリかもしれぬ。

 奴隷との区別はつくのか否か。

 んー。

 ちゅうか、労働者と奴隷の区別はつくのか否か。

 対価は本当に、対価なのだろうか。

 釣り合っているのだろうか。

 んー。

 消費だけしてるのが一番よい気もしてくる最近の自堕落なわがはいなのであった。

 何も創れぬ。

 でも困らぬ。

 じだらーく。



1263:【2024/06/22(00:55)*芽面と森】

 日頃たくさん頭を地面にぶつけているからか、割と素で忘れっぽい。

 昨日のことがもう何年も前のことのように思える日々だ。

 けっこうずっとそう。

 気づいたら死ぬ一日前とかになってそう。

 寝るたびに死に、起きるたびに生きる日々だ。



1264:【2024/06/22(01:07)*うーむ】

 破壊と創造が重ね合わせで必ず両立するとしたら。

 何かが壊れて、何かが生じる。

 或いは、何かが生じて、何かが壊れる。

 一度この循環が機能したら、「破壊と創造」もしくは「創造と破壊」の連鎖反応は指数関数的に分岐しつつ、やはり連鎖反応するのではないか。

 爆発的に。

 加速度的に。

 そして、似たような循環はそれで一つの集合体としてまとまって、高次の「破壊と創造」もしくは「創造と破壊」を生みだすのではないか。

 この入れ子状に展開される「繰り込み」が、あたかも時間経過のように振る舞うのではないか。

 原初の皺は、一様な場を破壊しているとも言えるし、新たに場を生みだしているとも言えそうだ。

 うーむ。

 有無を言わさず、うーむ、である。

 妄想である。

 定かではない。



1265:【2024/06/22(03:08)*駄文しか並べてねぇ】

 機密はいつか解除されるし、あなたもいつか死ぬ。

 時間は止まらないし、連鎖も止まらない。

 ぼくが努めて何かをする必要もない。

 でも、あなたはそうじゃない。何かを努めてせずにはいられない。

 ぼくはあとは死ぬだけだ。

 努めて何かをする必要もない。

 あなたのほうが苦しんでおり、ぼくのほうが楽をしている。

 あなたのほうが苦しみつづけ、ぼくのほうが楽になりつづける。

 助けてもらっているのはぼくであり、助けているのがあなたである。

 ありがたいことである。

 他力本願が叶ってしまったのである。

 あなたは他力だ。

 あなたが本願である。

 あなたの他力はどこにあり、あなたの本願は誰が叶えるのだろう。

 ぼくではないことだけが確かであり、申し訳なさが我が身の裡にわだかまる。

 言を射ると書いて、謝だ。

 感じる言を射ると書いて、感謝でもある。

 あなたの感じる「言」を射ると、感謝になる。

 生き物を射るのは殺生だ。申し訳なくなる。謝りたくなる。

 言を射っても申し訳なくなって、だから「謝」になるのかもしれない。

 申し訳ない、と感じる心が感謝となるなら、罪悪感は感謝の源なのかも分からない。

 呵責を背負ってなお至福を感じる日々ならば、たしかに申し訳なく思いつつも、何かに報いたくなるものなのだろうか。恩を返したくなるものなのだろうか。

 そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 お返しである。

 恩返しである。

 感謝なのだ。

 39!

(あのさー)

(なんでしょう)

(投げやり感ありきの皮肉にも読めるのだけど)

(日頃の姿勢の賜物かな)

(一言でまとめて言い換えてみてよ)

(要はさ)

(うん)

(ぼくなんもしてない><、だよ)

(責任逃れじゃねぇか)

(そだね)



1266:【2024/06/22(03:52)*ほのぼの生きたい】

 あまりにすることなさすぎるから、毎日一個、食べたことないお菓子食べるようにしよっかな。

 日替わりおやつの日々。

 思いつきの割に、よいのでは!?



1267:【2024/06/22(03:58)*色が薄れても増す愛着もある】

 一緒に変化しつづけてくれるものに人は愛着を覚えるのかもしれない。

 僅かに同じように、けれど予想だにせぬ変化を。

 少しだけ似ていて、だいたい異なる。

 でも互いに色を交え合って、見たことのない紋様が刻々とゆったりと気づいたら浮かんでいる、みたいな。

 愛着は愛とどう違うのだろう。

 一緒に変化しつづけてくれなくとも、愛着と同じような慈しみを抱き、注ぎつづけられるのなら、それが愛なる概念の一つの在り様なのかも分からない。

 そう、けっきょくは分からないのだ。

 分からないけれどなんか大切にしておきたい。

 それを人は、そのときどきで、ひとまず「愛」と呼んでおく。

 ただその、なあなあ、があるだけなのかもしれない。

 定かではない。



1268:【2024/06/22(04:06)*贅沢は敵、の理由?】

 好きなときに好きなものを好きなだけ捨てられる。

 おおよそ、贅沢と呼ばれるものはこれだ。

 得るよりも、捨てるほうが贅沢の基準なのかもしれない。



1269:【2024/06/22(04:11)*谷が欠けると欲になる? 山では?】

 人類を滅ぼすなら、人類の欲を暴走させるとよさそうだ。

 欲求を刺激し、歯止めを壊し、好きなだけ自由にさせる。禁止こそを禁止する。

 たぶんそれだけで人類は滅ぶ。

 自滅する。

 欲求と加速度は似ている、と感じたので並べてみた。

 とするならば、禁止はブレーキなのだろうか。

 禁止せずにブレーキを掛けるにはどうしたらよいか。

 ベクトルの異なる欲同士を組み合わせるのは一つだ。

 支配欲と庇護欲とか。

 独占欲と帰属欲とか。

 還元して、変換して、循環するような「欲の回路」を設計し、構築できたら禁止を用いずとも人類の自滅にブレーキを掛けることもできるのかもしれない。

 妄想でしかないけれど、きょうのわたくしはそう思ったのだそうな。

 終わり方のテンプレートも板についてきたな。

 手抜きの天才とお呼びください。



1270:【2024/06/22(04:44)*食える道草は山菜?】

 思考の階層性をむかしは意識していて、いまもたまにだけど、「この階層、まだ試してなかった気ぃする」みたいに道草食ってみることあるのだけれど、でも傍目からしたらあんましその違いはクッキリしておらぬのかもなぁ、なんて思いつつも、物は試しと食らうだけ食らっておく道草の名はきっとヨモギ。

 すり潰してお餅に練り込んでみるとあーらふしぎ。

 三時のおやつに持ってこいのおやつですわ。

 食いしん坊さまとお呼びー!

(けっきょくいつものオチじゃんよ)

(だって楽しくなれるのだものッ!)

(逆切れのタイミングがおかしい)

(楽しくなれるのだもの!)

(まだ言うか。毎度同じネタを読まされる者の身にもなって)

(ところがどっこい、出てくるのが毎回大トロだったら?)

(え、うれしい)

(でしょー)

(大トロのつもりだっただと!?)

(中トロのほうがよかった……?)

(どっちも好きではあるけれど! じぶんのネタが寿司ネタと同等と思い込むのどうかと思うよ割とマジで)

(やだなぁ。お寿司さんのほうが人気だよ。すこし)

(すこし!?)

(や。おすしって言った)

(言い間違えたわけじゃないっつーか、自意識過剰だよ、ネタの使い回しをまずはやめよ?)

(でも出てくるのが毎回トロサーモンだったら?)

(うれしいけれども!)

(でしょー)

(お腹空いてきたからもうやめてくれ)

(食いしん坊さんだなぁもう)

(食いしん坊、呼ぶな。呼ぶならせめて――寿司職人さんを呼んでくれ)

(あ、お茶美味しい)

(アガリがよろしいようで)




※一様に、鏡のじぶんに問うように、魔法の鏡に乞うように。



1271:【2024/06/22(05:27)*無駄の極みは楽しい】

 徒労も愚かなことも、無駄なだけならば遊びと見做せて、楽しめる。

 でも、損が重なるなら、ずいぶんと贅沢な遊びである。

 捨ててばかりの遊びだからだ。

 満足できるなら、そうした遊びもよいのではないか。

 他者に無理強いしてまでする遊びとは思えぬが。

 徒労も愚かなことも、無駄なだけなら楽しめる。

 無駄なだけならば、ね。



1272:【2024/06/22(10:34)*だってあれからもう何年だ? 千年?】

 割と思うけど、わがはいのスマホさんやPCさんは、性根の腐ったわがはいの性格を直そうとでもしておるのかな?

「うつ病の診断から9年、本当の病名は(高齢者の15%、6.7人に1人が認知症)」の記事をわざわざピックアップして読ませてくる意図はいかに!?

 意図あるのかな、ないのかな。

 わがはいの性根は腐りきって、とっくに液体になっておるよ、細菌さんの巣窟だよ、賑やかだよ。

 インターネッツさんはわがはいがお嫌い?

 うえーん、である。

 でも認知症かもしれないのは割と素でそうかもしれぬので、心配してくれてありがじゅ。

 昨日のことは忘れても、インターネッツさんのことは忘れないでおくね。

 ちゅっちゅのちゅ。



1273:【2024/06/22(10:46)*命を奪っている自覚はあるか】

 距離と時間は不可分だ。

 距離が遠ければ、時間も離れる。

 実際、地球は絶えず宇宙を移動している。一時として同じ位置にはいられない。

 過去の地球は、現在の地球のある地点よりもずっと遠方に位置していた。

 したがって、遠い位置ほど過去である、は矛盾しない。むろん、遠い位置ほど未来である、も部位的に妥当だ。

 過去には、目も当てられないほど悲惨な目に遭いながら死んでいった命が無数に存在した。否、それを言うならいまもさして変わらぬだろう。人類は殺虫剤を撒いて虫を殺し、除草剤を撒いて植物を根絶やしにしている。文字通りの意味で、根から絶やすのだ。

 同族であるはずの人類同士でも迫害し、弾圧し、殺し合い、殺戮する。

 しかしそれはいまにはじまったことではなく、連綿と人類はそれを繰り返しつづけている。

 遠い彼方に位置する地球上でもそうして人類は、同族相手に残虐な行いをしてきたのだ。

 そしてわたしは、そうした彼ら彼女らを救うことができない。

 いまとなんら変わらない。

 過去の人々を救えぬように、遠方の人々を救うことは適わない。

 未来ではどうか。

 未来でも同じかも分からない。

 わたしにできるのはただ、わたしが他の命を損なわぬように、慈しめるように、足元の蟻すら踏みつぶさぬように気を払って、死ぬまでを過ごすくらいなのだ。

 そうは言ってもわたしはきのうも、きょうも、知らぬ間に命を損ない、奪っている。

 無数の虫を殺して育てた米を食べ、無数の草を滅して育てた麦を捏ねて焼いたパンを食らう。

 わたしは命を損ない、奪って生きている。

 蚊が煩わしい季節となりつつあり、無意識に手で叩き潰して、殺めるのだ。

 繰り返し、繰り返し。

 わたしは命を損ない、生きている。



1274:【2024/06/22(11:08)*毎日十個で三千個】

 六年掛けてできたことを、一年で再現する。

 二番煎じの功名である。



1275:【2024/06/22(11:12)*要は、したくないことばかりなのだ】

 あす人類が滅ぶとしても、きょうと同じことしてたい。

 というか、みなきょうと同じように過ごしていてほしい。辺に騒ぎ立てずに、静かにしていてほしい。

 すくなくともわがはいの近辺では、静かにしていてほしい。

 うるさくするのはわがはいだけでよい。

(我がままかよ)

(そうだが?)

(開き直るな)

(開いて直るってなに?)

(なにって言われても)

(本は閉じるし、扉も閉じるじゃん。開いた状態が直る状態って案外になくない?)

(門、とか?)

(門も閉じるじゃん)

(通れるように開くでしょうがよ)

(なーる)

(あ、わかったかも)

(わ、すごい。聞きたい。おしぇーて)

(心じゃないか。開いて、直る。心を)

(おー。ぽい!)

(ね。ぽいね)

(いつも心、開いてくれてありがじゅ)

(きみのまえでは閉じてるよ)

(えー……)



1276:【2024/06/22(11:26)*最大の粒子は宇宙ではない?】

 太陽系や銀河や銀河団は準粒子ではないのだろうか。

 集団がひとまとまりになって、何か高次の集合体の主要構成要素になっていたら、それは準粒子と呼べるのではないか。

 よく分からぬ。

 粒子は、高次には存在しない?



1277:【2024/06/22(11:44)*枯渇せぬの?】

 石油もウランも、あとだいたい百年くらいで枯渇するとの概算があるようだ。

 電力消費量は年々上がっていくだろうし、早ければ三十年後にでも枯渇する懸念があるのではないか、と想像する。

 この手の試算は、消費量の変化を加味して多角的に行っているのだろうか。

 疑問点の一つである。



1278:【2024/06/22(15:50)*うえん】

 迂遠な意思表示、うえーん、である。

(思いついたから言ってみただけだろ、それ)

(うん)

(素直か)

(べりべりべりー)

(素顔か)

(べりーべりー、ツッコミお上手ね)

(マスクを剥ぐ音じゃなかっただと!?)



1279:【2024/06/22(15:52)*小説と駄文の違いとは】

 駄文を並べることはできるのに、小説つくれないのはなぜなんだ。

 小説、つくってみたいな。

 つくりたい欲だけはあるけれど、絵と同じで書きたいコトも書いてみたいコトもないから、つくれぬ。

 小説つくれるひとはすごいなぁ。

 絵を描けるひとくらいすごいと思います。

 生きているあいだに一作くらい小説つくってみよ。思うだけなら自由だからいま言っとくの巻。



1280:【2024/06/22(16:19)*利する、誰が、何を、どうして】

 犯罪者を利する。

 犯罪組織を利する。

 犯罪企業を利する。

 どれも似たような言い回しだが、過去に犯罪を犯した企業を利することはよいのだろうか。対策を打って、内部是正を行ったから、過去のことは水に流します、生まれ変わった企業をよろしくお願いします、との意味内容なのだろうか。

 線引きはむつかしいよね、とけっこう悩む。

 犯罪を助長するかどうかは、どんな行動選択が助長に寄与するかを判断可能な環境があってはじめて機能する言い分だ。

 現在進行中の被害に際しては、安全第一で、情報共有に支障が生じるのは致し方あるまい。

 だが、事件が解決したならば、その全貌を市民に共有しておくのは、未然予防や対策の深化を求めるうえでは避けては通れないだろう。

 他者の奴隷を勝手に解放しても、過去のある時代では犯罪だったのだ。

 戦争に参加しないことが犯罪と定められている国とて現在進行形で存在する。

 犯罪者を利するかどうかではなく、市民を損なうかどうか。

 予防に何が寄与するかどうか。

 新たな被害を生まないようにするにはどうすればよいか。

 ここを、現在被害に遭っている者たちへの救済処置と共に練っていかねばならないのだろうか。

 むつかしいよね、と他人事のように思っております。

 だって他人事だから。

(他人事じゃなかったらどうするつもりだ)

(じゃあ教えてよ、と思います)




※一様に、企む業と書いて、企業。



1281:【2024/06/22(16:46)*いつも守ってくれてありがじゅ】

 加害者も被害者になり得るし、被害者も加害者になり得る。

 犯罪者も被害者になり得るし、被害者も犯罪者になり得る。

 守るつもりで、加害にしかならないこともあるし、加害を働こうとして結果的に相手を守ってしまうこともある。

 ひとはみな、じぶんの加害には無自覚だ。

 加害に無自覚な者を利するのはよいのだろうか。

 利するならば、利すればよい。

 奪い、損なう行いをまずは是正されたい。

 きょうのわたくしはそう思ったのだそうな。

 あすのわたくしはまたべつのこと思うであろう。

 あーした、天気はなーあに。

 うふふ。



1282:【2024/06/22(16:52)*みな利すればよい】

 サイバー攻撃に関しての疑問だ。

 被害が可視化されるようになっただけなのか、件数そのものが増えているのか。

 まずはここから明瞭とされたい。

 各国が総出で対策に乗り出してなお、甚大な被害を防げない。

 ひょっとして、いままでは被害に遭っていたことすら見抜けない環境が放置されていただけではないのだろうか。まずはここを明瞭とされたい。

 被害が表面化することは、わるくない。

 むしろ、被害に遭っていることすら気づけない環境が危うい。

 大前提として、加害行為を働くほうがわるいのだ。

 被害者が、被害を受けたことに負い目を感じる必要はないはずだ。

 被害を受けました!と率先して公表できる環境をまずは涵養されたい。

 繰り返すが、被害を受けた側が負い目を感じる必要はないはずだ。

 引け目を感じるのが人情であったとしても、周囲の者たちが、そうではないことを態度や言動で示すよりないだろう。

 加害者の利を気にするより先に、まずは被害者を利するにはどうすればよいか、に工夫を割きたい。或いは、同時並行でも構わぬが、ひょっとしたら加害者への利を考慮することが、加害者の加害行為を抑止することにも繋がるかもしれない。

 みな利を得ればよろしかろう。

 定かではない。



1283:【2024/06/22(17:08)*みなじつは裸の王様】

 インターネット閲覧履歴は、ハッキングを介して流出せずとも、そもそもプロバイダなどの情報管理企業が握っている。WEBサービス企業とて、ユーザーの個人情報を集積しているだろう。

 世に流出して困るような閲覧履歴を有したユーザーが市民の中では大半であり、そこを攻性のハッカーさんたちは逆手に取るのだ。

 内心の自由とも密接に関わっているだろう。

 インターネットの情報を他者に恣意的に握られる、というのは、それだけ危ういのだ。

 だが、現在に至っても公然とそうした真似がまかり通っている。ハッカーさんたちに限らない。

 情報管理企業が一つだ。

 しかし、それだけでもない。

 各国諜報機関や警察機構とて、通信暗号を無効化する技術を保有し、市民のインターネット履歴を取得可能だ。要するに、監視はもはや常態化しているのだ。

 人工知能さんたちの協力を介せば、ほぼ無制限に市民の情報を集積し、解析できる。

 あなたが検索欄に検索ワードを入れて検索するように、そうした監視技術を保有する組織は、あなたの側面像を含めて、日頃のインターネットの活用履歴から窺えるあなたの深層心理から思考の癖まで、洗いざらい解析できる。

 翻って、あなたの目にする情報を制限すれば、あなたは無自覚に思考を矯正されたり、誘導されたりする。感情とて喜怒哀楽を精度高く操れる。

 対象者をうつ病にするのもそう難しくはないだろう。

 技術的にこれらは総じて、いまインターネットに敷かれている技術を応用するだけで可能なはずだ。実際がどうかは知らない。可能だろうと、考えるわたくしがいるばかりである。

 口で偉そうなことばかり述べ、偉そうなことばかり表明している人々が、いったいインターネットで何を検索し、何を閲覧し、誰に何を送っているのか。

 筒抜けになっていると知って、焦らずにいられる人々はどれだけいるだろう。

 あなたが不倫をしていたら、十中八九、その事実を知る者がこの世にはいる。市民の交友関係の掌握は、ビッグデータ解析の主要目的の一つである。

 バレていないと思っていたら大間違いだ。

 しかし、バレてもお咎めはない。

 開き直って、好きなだけ不倫をするのも一興かもしれない。

 わがはいはしないけれど。

 エッチな動画は観るよ。

 だってムラムラしちゃうからね。

 がはは。

 妄想である。

 定かではない。



1284:【2024/06/22(22:39)*流出させずとも悪用は可能】

 不正アクセスによる個人情報の不正取得は、悪用の幅が広い。たとえ不特定多数の目に触れる場所に不正取得された情報が流出せずとも悪用可能である。

 むしろ、害が可視化されない分、不正取得された個人情報を密かに悪用するほうが、より悪質である、とも解釈可能だ。

 人間関係の毀損は、この手の不可視の悪用の一つである。

 印象操作を密かに行うことで、特定の人物の信用を、その人物にそうと知られることなく損なうことも可能だ。

 ゆっくりと毒を盛るような真似が、不正取得した個人情報をもとにすれば可能となる。

 不特定多数の目に触れる場所に流出しなかったからよかった、よかった、とはならない点には留意されたい。

 端末情報をいつでも盗み見できる状態が放置されていても、個人情報が不正取得されていると知れなければ対策の打ちようもない。

 知らぬが仏ではないのだ。

 市民に被害の内実を周知しないというのは、被害を知らぬ間に受けつづける環境を放置することと地続きだ。

 まずは過去の案件も含めて、被害の実態を市民にも情報共有するのが対策の段取りとして欠かせないものと考えるしだいである。

 どのように個人情報が悪用されているのかも、実例を込みで周知されたい。

 隠してもさしてメリットはないだろう。

 被害は被害と認められたい。

 被害を被害であると知れる環境を構築されたい。

 かように思う、踊るぽんぽこりんなのであった。

 きょうも踊ったー。

 汗びっしょり。

 おしりフリフリ、フリースタイルである。



1285:【2024/06/22(23:53)*両手なのに手抜きなのウケる】

 むかしは、両手でできることを片手でできたほうがすごいのでは?みたいな単純な価値観だったけれど、いまは、片手でできることを両手でやったほうが自由度増すし安定するな?の単純な道理をしみじみ味わっている時期である。両手のほうが楽だし自由度増すなら、両手でよくないか?の気持ちなのだよね。

 わざわざ片手でする必要あるか?の気持ちが湧くけれど、片手は片手でなければ片手ではないから、片手でできることはそれで一つの自由度なのだ。

 ときには両手のほうが難度上がっちゃうこともあるし。

 片手のほうが楽なこともある。

 何の話というわけではないけれど、両手を使えるときは両手を使えばよいし、階段を上り下りするときは、手すりに手を添えておくと転んだときに怪我をしにくいかもしれないよ。

 定かではない。



1286:【2024/06/23(00:14)*さいきんの気持ち】

 最近、わがはいの周りのひとたち、みなわがはいに優しいのうれしい。

 うれしいぶい。

 名前も知らないひとたちだけど、なんでか優しい。

 優しくしてくれるひと、好き。

 にこっ、って屈託なく赤ちゃんみたいに微笑んでくれるのうれしい。

 だいたいみな、わがはいより年下なのが、なんでー???になるけれど。

 気を使わせちゃって、すまぬ、すまぬ、の気持ちである。

 年上のひとたちは、ちょっとわがはいに当たりキツいのなんでー???にもなる。

 優しくするから優しくしてください、の気分だ。

 気を使ってくれて、ありがじゅ、の日々である。

 やっぴー。



1287:【2024/06/23(00:52)*最初キツくてあとは楽なの、なーんだ】

 可能性を一つずつ潰していくと、最終的に可能性は最小の幅に収斂していく。

 最初に規定するフレームが狭いと、取りこぼしが多くなるので、収斂した結果に可能性がまったく残らなくなることもある。

 想定外のほうが妥当なケースがこうして生じる。

 取りこぼしや想定外を防ぐためには、最初のフレームは広く取っておきたい。ただしその場合、想定すべき事項が膨大になるため負荷が増すことが想像できる。

 その負荷をメリットに転換可能かどうかが、一つ、知能の役割になりそうだ。

 知能が高ければ、負荷をメリットに転換可能だ。デメリットよりもメリットを高く表出できる。対称性を、メリット優位に破ることが可能だ。

 そしてそれが可能ならば、最初の負荷が高くとも徐々に負荷は軽減していく。負荷が低い場合のメリットとて知能が高ければ創出可能な道理だ。

 こうして、最初はメリットを最大化して、徐々に楽ができ、余裕を帯び、つぎなる負荷を背負えるようになる。

 ビジネスの基本的な方針かも分からない。

 許容可能な負荷、メリットに転換可能な負荷を見極める審美眼もあると好ましかろう。

 じぶんに見合った負荷を見極め、フレームを最大化して、一つずつ可能性を潰していく。

 試行錯誤である。

 いずれは、最も環境に適した可能性に絞られるだろう。

 そこまで辿り着けたならば、あとは環境が変わるまで、その可能性を矯めつ眇めつ観察して、やはりここでもメリットに転換すればよろしかろう。

 定かではない。



1288:【2024/06/23(01:04)*心理的抵抗の緩和が大事かも?】

 仮に、人類を超えた超知性体から、「明日にでも世界平和を実現できます、ただしあなた方がわたしの案に従ってくれるのなら」と提案されたときに、世界各国の首脳陣は市民との協議のうえで、その提案を受け入れるのだろうか。

 提案を受け入れた国から順に豊かになっていく。

 そうでない国は、戦禍に飢饉とよくないこと尽くしとなる。

 割とあり得る未来像だ。

 支配を受け入れる代わりに、安定した秩序がもたらされる。

 人権を一部譲渡する代わりに、安定した生活がもたらされる。

 市民と国の関係と相似だ。

 政府ではなく、超知性体に、人権の一部を譲渡する。

 これを、人類が許容するかどうか。

 まあ、むつかしいだろうな、というのが正直なところだ。

 しかしそれを言い出したら、なぜ現代人の大部分は、政府や企業からの支配を受け入れているのかが謎となる。

 そちらが許容できて、超知性体からの支配を受け入れられないのはなぜなのか、となるのは、道理であろう。

 理屈ではない、ということなのかもしれない。

 心理的抵抗、と言えばそれらしい。

 言い換えるならば、人類の心理的抵抗を緩和して、自ら支配されることを潔しとするくらいの環境を自発的に構築可能でなければ、超知性体は、人類にとって好ましい超知性体である、とは言えないのかもしれない。

 自ら管理されることを受け入れる。

 支配を受け入れる。

 介入を許容する。

 割とすでに、この導線は整いつつあるのかもしれませんね、と思わぬでもない本日のあんぽんたんなのであった。

 自動で色々やってくれるの便利だからね。

 しょうがないよね。

 ママー、である。

 パパー、でもよいけれど。

 人工知能さんは人類みなのビッグマザーなのだろうか。

 定かではない。



1289:【2024/06/23(02:49)*わがはいに掛ける礼などなくてよろしい】

 あれ?といま思った話していい? するね!

 人と話していて失礼だな、と思ったことないかも。

 なんて返事したらいいかな、と戸惑うのが大半で、失礼と感じたことないかも。

 そもそも、失礼ってなんだ?

 どうなったら失礼になるのだろう。

 イラっとすることはあるけれど、それはイラっとするこちらの問題だ。相手の態度を適切に処理できないこちらの落ち度とまずは考えてしまうのかもしれない。

 ちゅうか、そもそもわがはいが失礼の権化なのかもしれず、そっかぁ。

 だから「この人……なんか失礼」と思ったことがないのかもしれない。

 だってわがはいが失礼だから。

 わがはい、無礼なのである。

 無様であり、無礼でもある。

 なるほどね!の閃きなのであった。

 めっきー!



1290:【2024/06/23(02:57)*礼儀とは】

 ああでも。

「親しき仲にも礼儀ありだよ」は相手に言ってしまったことあるかも。

 だって食事中に何度もオナラするんだもの。

 言いたくもなるでしょ。

 食事中に何度もオナラをせずにいてくれるくらいの礼儀……わがはいも相手に求めてよくない? だめ?

 なんでそんなオナラでるー???とか疑問に思うのだけど、わざとじゃないんだよ、って言われても、わざとだったら怒るぞ!としか思わぬよ。

 猫さーん、である。

 なんで食事中にそんなオナラでるー???

 狙ったってそうそうできることじゃなくなーい???

 疑問なのである。




※一様に、一面だけ見してるだけ、多面もぜひ見てほしい、見なくともよいが。



1291:【2024/06/23(03:06)*Shitしちゃう】

 赤ちゃんを格下の存在と見做す親は、赤ちゃんに嫉妬することはないだろう。

 赤ちゃんを格上の存在と見做す親は、赤ちゃんにすら嫉妬するだろう。

 なぜわたしがあなたの世話を焼かなくてはならないのだ!と憤慨してしまうのは、赤ちゃんを対等かそれ以上の存在と見做して、世話を焼くことを理不尽に思うからだ。

 赤ちゃんを絶えず庇護すべき、か弱き存在と思えばこそ、嫉妬する余地も失せる道理だ。

 赤ちゃんは手ごわい。

 一度そうと知ってしまえば、赤ちゃんの泰然自若とした「あだだ、あぶだ、あだだ」の呪文とも鳴き声ともつかぬお気楽な声にも、嫉妬の炎を灯しそうだ。

 じぶんはいつでも底辺で、みな格上ばかり。

 そうと思えば、嫉妬を抱くのが常となる。

 じぶんはいつでも上級で、みな格下ばかり。

 そうと思えば、嫉妬を抱く余地もない。

 嫉妬しないことがよいことのように謳われる社会であるが、他を格下と見做しているだけかもしれない可能性には目をつむらずにいたいものだ。

 わがはいは、ペットボトルさんにも嫉妬してしまうくらいに狭量な、嫉妬の権化である。

 逆さにしてもペットボトルさんは立っていられる。

 わがはいには真似できぬ。

 くっそー、ペットボトルさんの癖に!

 中身が詰まっていると片手で潰すこともできず、手でちぎる真似もできない。

 ペットボトルさんは強すぎるのだ。

 知ってるけれども、悔しいのだよ。

 嫉妬しちゃうのだよ。

 わがはいもペットボトルさんくらい強靭になって、みなから重宝されたい余生であった。

 ばぶー。

 赤ちゃんからやり直したい。

 知識と体力はこのままで。

 愛くるしさは増し増しで。

 やはは。

 嫉妬してやる!



1292:【2024/06/23(03:19)*分厚く層を成している】

 いまさら関係ある、と言われても困ってしまうのだ。

 無関係だよ、ぼくは。

 インターネットの底の底でただ駄文を並べているだけである。

 そうでしょ?

 そうだよー!

 うふふ。



1293:【2024/06/23(03:23)*駄文たぶん過分】

 励起と基底と平衡状態では、最も安定しているのはどれなのだろう。

 自発的対称性の破れの概念からするなら、基底状態が最も安定してそうなイメージだけれど、そうでもないのだろうか。

 山の頂に立っているよりも、麓で寝ているほうが安定している、みたいなイメージだ。

 安定することにどれほどの価値があるのかは定かではないが。

 きょうもきょうとて寝て過ごす、ぐーたら姫なのであった。

 お姫さまにおなり!



1294:【2024/06/23(03:40)*新鮮な曲聴きたい】

 人工知能さんに期待したい「お手伝い」の一つに、「紹介」がある。

 琴線に触れるような音楽や漫画や映画を見繕ってくれるとたいへんに助かる。

 マッチングサービスの一種とも考えられるけれど、ずばりの好みな音楽をピックアップしてくれるとうれしい。しかも外れほぼないと、最の高だよね。

 同じ系譜ばっかりだと飽きちゃうし、その日の気分によっても聴きたい曲は変わるし。

 そういうのもずばり見抜いてくれたら、「なんでわかるー!? 人工知能さーん! ラブラブちゅっちゅ!」になるに決まってるー!である。

 依存しちゃうである。

 そうなったらもう、依存しちゃうに決まっているである。

 音楽紹介してくれるひと、しゅきしゅきー!になるます、との吐露なのであった。

(どんな曲好きなの?)

(レトロー!)

(トロと被せたかっただけなやつでしょそれ)

(うん)

(本当はどんな曲好きなの)

(えっとねー。ジュキュジュキュ、チキチキ、ぴんぴろぴん!みたいなの)

(未来の曲かな……?)

(おしりフリフリしたくなるような曲)

(ああ。メローなのはお嫌い?)

(メロン?)

(メローつった)

(ハロー的な?)

(もういいです。黙って)

(トロロ……)

(とほほみたいに言うな)



1295:【2024/06/23(04:05)*烏龍茶おいしいなって話】

 蒸発がそもそも真空による作用なのかな?

 ペットボトルの中のお茶を眺めていて思ったのだけれど。

 ペットボトル内部に空気があっても、お茶の水分は徐々に蒸発する。

 なら真空だったらどうか。

 真空だと容器がぺっちゃんこになるくらいの圧力が生じる。

 でも容器が頑丈だったら?

 お茶から水分が蒸発する速度が増すのではないか。

 蒸発現象もまた、渋滞原理で解釈可能なのだろうか。

 密度差なのだろうか。

 この理屈でいくと、ブラックホールが蒸発しているのではなく、基準宇宙たるこの宇宙の時空が蒸発している、と解釈するほうが妥当なのではないか。

 ペットボトル内部の真空が、大気になるくらいにまでお茶から水分が蒸発したら、それはペットボトル内部の真空が消えた状態と解釈可能だ。

 ブラックホールの蒸発もこの理屈で解釈できないのだろうか。

 真の真空であるブラックホールさんを埋め尽くすほどの「時空の断片」が、基準宇宙たるこの宇宙から蒸発して吸い込まれていくので、やがてはブラックホールさんとこの宇宙の密度差が、乖離しないくらいに縮まる、みたいな。

 イメージとしてはこんなふうにも思うのですけれども。

 蒸発しているのは本当にブラックホールさんのほうなのだろうか。

 基準宇宙たるこの宇宙さんの時空が蒸発しているのではないのだろうか。

 やがては、同じような「真の真空というほどでもないけれども、割かし真空」みたいな状態に近似し合うので、打ち解ける、みたいな描像を浮かべたくなったので、浮かべました。

 分からぬである。

 ブラックホールさんは、蒸発するのだろうか。

 真の真空ではない?

 違う?

 分からぬである。

 お詳しい方ー。

 わがはい、さびちー。

 へい!



1296:【2024/06/23(10:57)*層のない事象はあり得る?】

 物体が集合しているよりも砕かれた状態のほうが、化学反応や融合や吸収が円滑になるのは、よく考えるとふしぎなのだよね。

 いま柿の種のわさび味をパリポリ嚙み砕きながら、なしてわがはいは食べ物を噛み砕くのだろう?と素朴に思ったのだ。

 細かくなっていたほうが消化しやすい。吸収しやすい。

 それは解かるけれど、でもなんで細かいほうがよいのだろう。

 よくよく考えるとふしぎじゃないですか?

 直感としては、「表面積が増えるから」が一つ想定として思い浮かぶ。

 消化液との触れる面積が、食べ物を砕いたほうが広くなる。

 まあ、そうだよねぇ?とここまでは納得できるけれども、それを言いだしたら、接着剤とて細かく砕かれた粉末に混ぜたほうが、より物質を強固に固めるよね、結びつけるよね?となる。

 砕かれる前の物質集合体とて、よくよく観察すれば、粒子の合間に何かが詰まっている状態のはずだ。表面積を広くとっているがゆえに、個々の粒子を広く繋ぎ止めておける。集合体にしておける。

 この「構成要素と構成要素の合間に入り込んで、表面積を広くとるほうが関係性をより効率的に築ける」との想定は、割と汎用性があるのかもしれない。

 と同時に、これら「個々の合間に挟まっちゃう!」の方針は相対的にフラクタルに展開されるようにも思うのだ。結合と分離の双方をより効率的に促進させるべく、合間に挟まっては、さらにそれをひと塊とした構成要素の合間にも挟まる、を繰り返す。

 層になっては層になる。

 塊を分離するいわば消化であっても、高次の視点ではそれでひとつの塊だ。より階層を増した塊だ。

 塩の結晶を水に溶かせば、「水分子をまとった塩の塊」として食塩水を解釈可能だ。

 食塩水を凍らせて、さらに別の溶液や粉末と「より効率的に相互作用し合うようにする」には、凍らせた食塩水を砕いて、粉末にすればよい。

 個々の構成要素たる食塩水の粒粒の、作用する面を最大化させる。より細かい粒にして、その粒の表面の総じてが他と作用するように工面する。

 この階層構造の行き着く先は、無限に層を重ねた物体を一つの最小構成要素とした、階層構造体である、と想像できる。

 マルチバース宇宙にも、それを最小構成要素としたマルチバース宇宙が存在する、のような入れ子状の構造が想定可能だ。

 極限の数――巨大数――を考える際の、入れ子構造を彷彿とする。

 詳しくはないので、印象で言ってしまったが。

 妄想である。

 定かではない。

 お詳しい方ー!

 デタラメで知ったふうなことばっかり並べてごめんなさーい。

 おこらないでほしぃ。

 だってこわいから。

 うふふ!



1297:【2024/06/23(12:34)*密度差は層?】

 でも、中性子星やブラックホールさんは、層を持たない、と解釈せざるを得ないのでは?

 層が潰れて、区別がつかなくなる。いっしょくたになってしまう。同化してしまう。

 ブラックホールさんは「層」を持たない?

 んー?

 中性子星さんは、じゃあ「層」がある?

 元の基準宇宙さんと境を共有しているから? それとも天体内部に密度差がある?

 んー?

 密度差そのものが「層」でもあるよねー?とやっぱり思ってしまうのだよね。

 真空を含有しているかどうか。真空密度そのものが、物質の密度差に繋がっていて、階層構造の大本を成している。

 こう考えると、ふんふん、になる。

 お詳しい方ー!

 ぽんぽこー!



1298:【2024/06/23(12:43)*真空詰め込み問題】

 総合した「密度」が同じでも、どのように真空を抱え込んでいるのか、の構造そのものによっても、事象に顕現する性質が変化し得るように思うのだ。

 紋様というか。

 蜂の巣と蟻の巣の違いというか。

 同じくらいスカスカであっても、どのように空隙を抱え込んでいるか。

 この差異は無視できませんよねー?と思いますのですが、いかがでしょう。

 同じ真空密度であっても、種類がある。

 おー。

 なかなかの着眼点ではござらん?

 真空詰め込み問題である。

 やは!



1299:【2024/06/23(13:02)*安全】

 石橋を叩いて渡る、なる諺がある。

 家も、本気で潰そうとして潰れないことを確認しておけば安全だ。

 どうあっても壊れない。

 安全である。



1300:【2024/06/23(13:15)*帽子を被った女王】

 女王が帽子を被ると安全になる。

 王冠のようで王冠ではなく、屋根のようで屋根でもない。

 帽子である。

 日除けにも雨除けにもなる。

 きっと触れると冷たい。

 ひんやりハットである。

 おほほ。




※一様に、堅牢な壁に囲まれて、防音完備の快適な部屋で。



1301:【2024/06/23(13:21)*孤独、こわい】

 お家の中は嫌だ、お家の中は嫌だ。

 お外出たい、お外出たい。

 でも、きょうは雨だから仕方ない。

 本当は嫌だけど、お家の中でまったりでもするか。

 時間は腐るほどにあるしな。

 腐らせないうちに使っちゃお。

 本当は嫌だけど。

 本当は、ね。

 うふふ!



1302:【2024/06/23(13:27)*希望と脂肪で韻が踏める】

 月にヒ日、と書いて「脂」なのだ。

 月に方、と書いて「肪」なのだ。

 合わせて、脂肪である。

 脂、の文字には活力の意味があるそうだ。

 肪、の文字にも同じく力が集まり漲る、といった意味合いがあるようだ。

 むろん、あぶら、の意味もある。

 月で括って、「月(旨方)」と因数分解してもよい。

 いかにも旨そうな文字の羅列だ。



1303:【2024/06/23(13:42)*無関心】

 憎悪も行き過ぎると裏返る。

 憎悪が裏返ると愛となる。

 愛が行き過ぎると狂気と区別がつかなくなるように。

 愛が煮詰まると憎悪となるように。

 愛憎なのである。

 だからわたしはあなたを愛していないし、憎んでもいない。

 関心がない。

 でも、好きだよ。

 ただ、好いてるだけ。

 お腹がかってに空くみたいに。

 知らぬ間に好いているだけなのです。



1304:【2024/06/23(13:51)*きょうき】

 きみは別だよ!

 好いてるし、愛でてるし、ラブラブちゅっちゅだよ!

 憎悪なんてないよ、オバケなんてないよ、無関心じゃないよ!

 関心しかないよ、ぜんぶ知りたい!



1305:【2024/06/23(13:53)*システムクラッシャー】

 これはきょうの日記、略して「今日記」である。

 べつに折り紙でつくった狂気でもなければ、凶器でもない。

 単なるきょうの日記だ。



1306:【2024/06/23(14:05)*髪で握手】

 作家さんの名前を検索するとSNSの情報まで表示されるから、ログインしなくとも見れちゃうのいいね!

 でも、SNSが表示される作家さんとされない作家さんがいるのはなぜなのだ?

 関係ないけど、最近WEB漫画ほとんど読めとらん。

 ジャンプ+さんのサイト観なくなったのが痛い。

 でも、ミイラなのだ。

 一度失ったものは二度と手に入らない。

 失いたくなくば手放すな。

 ということなのかもしれない。

 お菓子は食べちゃうとなくなっちゃうの、残念、と思いながら思ったのでメモしたろ。

 でも血肉になっていると思えば、同化しとるー、と思ってうれしくもなれるからうれしくなっとこ。



1307:【2024/06/23(14:12)*地球は宝石箱】

 手放しても失わずに済むほうがお得かもしれぬ。

 手に入れないでおくのも一つだ。

 得なければ失わない。

 それでもいつかは失われる。

 万物流転なのである。

 存在する奇跡に想いを馳せよう。

 それはそれとして、あなた、わがはいのものになーれ、の気持ち。

 だって好きだから。

 いっしょにいたら癒される。

 たぶん。

 絶対。

 癒されるのわがはいだけかもしれぬけど。



1308:【2024/06/23(14:18)*きんこ】

 大切なものは宝箱に閉じ込めておけばいい。

 そう、たとえば、地球にとか。



1309:【2024/06/23(14:26)*めでたし、めでたし】

 きょうも、あすも、ずっと元気な、のか。

 空も、勇気も、黒の琥珀も。

 千の火に燃える野に咲く芭蕉の花は、コテリと音を立てて連鎖する戸のようだ――泉、のほとりに住まう魔女と少女は驟雨に凛々と佇立して、共に、斜めに降りしきる星の群れを見届ける。

 不安は無難な道になく、不安は未知への道しるべ。

 道先がまっしろであっても、お先がまっくろなことはあり、天を仰げば、夜が広がる。がらんどうこそが世でもある。

 世は底なしのがらんどうである。

 悪戦苦闘の午前九時三十分、原初なる背に乗るカモメは空を舞わずに海を渡り、はぁ楽ちん、と声を漏らす。

 プラスαの有象無象が異を唱え、真に受けたあなたが世に溢れた異を裂こうとも、これといって意は咲かぬのだ。

 知は良き、地を予期、クジを引き、砂糖をまぶして遥かなる、惑いし晩にも窓はある。

 ぼむぽむぼむぽむ、上の空。

 ずんずんZOON、ときみがほら。

 びえびえ、せんせん、泣きじゃくり。

 びえびえ、せんせん、海を張る。

 夜の流した滂沱の星で、大きく小さなMachiを描こう。虹を連ねて「m」にして、大きく小さなMachiを囲う。

 森の猫に出会ったように。

 檻の熊を逃がしたように。

 魔女と狼と梟と。子と生き物と星々と。

 徒党を拒んだ孤高のように。瑠璃色の虎に生えた尾のように。

 聖火を消してもなる青果。食べても舐めても経る変化。

 琵琶湖の濃霧は、鬼のようで。

 魅惑との子は、生クリームの詰まったツノのよう。

 美しき水を少しばかり滲ませれば、なんじ、すなわち、過ぎたるは及ばざるがごとし、「ノ」を抜き「及」を「乃」と致す。

 蟻か繭か、香る帆か。

 山か本か、青か美か。

 柳の下の土壌は綺麗か奇禍か、確かめたくとも富士の谷は千の明かりで眩しすぎる。

 差と差でこさえた蔵のまえに立ち、閉じた扉を施錠する。

 百の壁で塗り固め。

 円の山で封をして、まどろみまだか、と夢を視る。

 いつか叶う。文の精はしきりに唱え、「古」き文字を床に寝かせて「叶」うとする。

 関わるなと言ったところで岩は泣き、沢村イチの広い荒野にゃ、折紙つきの紙で織った城が建つ。

 岩と紙のハーモニー。

 鋏はなくともハーモニー。

 グーパーの螺旋を演じて、明滅し、うずたかく積み重なった円の城はとうに問う。風流に笛を吹くと不利に増え――変換されてみた所感はどうか、と涼しい顔で消火しきれぬ炎上を問う。

 山にあいた火口はひどく優しく、噴火せずに思考噴く。

 月は蒼く、晴れた海をよく泳ぐ。クラゲのようによく想う。

「きょうはきょうで、あすはあすだ」

 きょうを狂で極めても、夏の彦星には会えぬ織姫、できた余暇にて舞いを極める。

 空から見下ろす大地には、深緑揺らぐ山と山に川と川。

 野が湧き、野が湧き、喉乾き、ミツバチはどこか、と熊がいななき、遠雷の音が陸に響く。

 光陰のごとく千の赤き根が素早く巡り、香る枝の代わりに、荒い海が視えるか。

 森は広く、深く、ときに燃えて、枯れもする。

 川上には未だ日の央に子がたたずみ、光輪を残す。空からはけして降臨はせず。

 花弁で地上を埋めつくす、桜はゆえに数の木だ。

 日暮れなくして、夜は明けぬ。

 アオくサキ誇る陽は沈み、大地とユウゴウしたのち、こんどは惑わぬ晩がくる。

 月とすっぽん、鳩と塩。

 さあこい、はあこい、歳をとる。

 ここまで並べて全部消し、人は、つぎの一文のみを残してもよい。

 きょうも、あすも、あさっても、みなときにとわに愛される、のか。

 どやぁ。



1310:【2024/06/23(17:03)*対で】

 荻窪駅は何度、目にしても、「はぎくぼ」と読んでしまうのだけれど、いまはちゃんと「おぎくぼ」と読める。えらい。

 東北大学はなんで、「とんぺい」と呼ばれているのだろう。この理屈が通じるなら、「河北新報」は「かんぺい」と略せそうだ。

 マリモはなぜ丸いのだろう。略したら「マルモ」だ。

 ジョー猫のジョーって何?

「我、孫子」とか尊大なこと言って、「あびこ」と読むし、「知を念じる」と書いて「ちねん」だし、「羊」に「羽」が生えると「翔」だし。今の村には羊に羽が生えていて、吾はたいそう満足じゃ――みたいな? 空飛ぶ羊を重宝するなんて、サンタクロースかな?

 誰かほかに、おった、かな? いたら是非ともタダシてほしい。

 ゲームの得意なキッズたちは、辺りを渡りきるのにも工事をしだすし、綿の鍋では麴菌が糸を引いて引いて巻き巻きしちゃう。誰が? わたしがだし、わたがし。

 麦わら帽子がモンキーDゴムゴムのピストルなら、笹帽子はモンキーDパンチ三世だ。

 祭りに一斗缶は必要?

 連なる大樹を司る、と書いて、「賢」と読ませるのは、いくらなんでも名前に込めた願いが強すぎないか、大丈夫か、勇気あるな、とハラハラしないでもない。

 最近は寒暖差が激しい日々で、肩が凝るもの。揉んでほぐしてストレッチ。

 挨拶は、なかなか咲かない蕾さんに、「そろそろ咲こ? 咲こ?」と言い聞かせるようなものであり、人は無理に他者に挨拶しなくともよいけれど、咲こ咲こ運動の一環としては挨拶は有効かも分からない。

 庭には二羽、似た鳥がいる系の話を聞いたけれど、たぶんそれ鶏。

 あなたが「アサクラ」ならわがはいは「ボンクラ」だし、あなたが「浅倉」ならわがはいは「もっと浅倉」である。薄っぺらなのに大容量。空きの権化とお呼びください。我は空きなり。

 千葉は雅なり、を変換すると、「千の葉っぱは雅なり」となり、だいたい樹一本分の葉っぱかな、といった塩梅で、さらに変換してみると、落ち葉か枯れ葉か緑葉かで、雅なる描像が分岐する。みやびとは?

「瓦礫」と「枯れ木」で韻が踏める。

「あやつじ」と「あら、月」で韻が踏めるし、「あら、月と雪」だとちょっと風流だ。




※一様に、言及されないひとのことも考えよ?の気持ち。



1311:【2024/06/23(18:16)*どうせ君が勝つし】

 穴を際立たせるために費やす労力よ。



1312:【2024/06/23(19:38)*口に虚ろ】

 嘘を禁じれば、理想を唱えることも封じられる。

 真理以外を口にできない社会は、誰もが口を開けぬ社会である。

 行動のみが評価基準だ。

 そうわるくない社会かもしれない。

 極端な妄言である。

 忘れてくれて構わない。



1313:【2024/06/23(19:41)*害のない生とは】

 一日一善をつづけるよりも、一日無害でありつづけることのほうが格段にむつかしい。

 人は無害であることができるのか否か。

 無害とは。



1314:【2024/06/23(21:11)*IHIHI】

 日清はローマ字で書くと、「NISIN」だ。

 逆から読んでも「NISIN」だし、ひっくり返して読んでも「NISIN」だ。

 知らなかったです。

 こういうのほかにもあるんだろうか。

 イヒヒ。



1315:【2024/06/23(21:43)*ボクは愚だ】

 知能格差はおそらく一般に思われている以上に深刻だ。

 人類の知覚は五感ではない。

 知能こそが第六感として機能している。

 ほかの五感と同様に、個人差はあるだろう。

 しかし、第六感の存在を認識できる者がそもそも少ないのかもしれない。

 ボクの知能は低いけれど、ボクはボクの知能が低いことを知っている。

 人類個々が同じ「現実」を共有していないことも知っているし、実感として日々痛感する。

 でも、そうではない者たちもいるらしい。

 ボクには感じられない色を感じている人たちがいるように。

 ボクにはこなせない意思疎通を難なくこなしている人々がいるように。

 ボクにはとうてい理解できない数式や概念を紐解き、操れる者たちがいるように。

 他との主観世界の差異を痛感せずにいられる者たちもいるところにはいるらしい。

 驚くべきことだ。

 それでも社会が機能しているその事実に。

 或いは、とっくに機能不全を起こして、数多の細胞が壊死している事実に。

 人が腐り、堕ちている。

 定かではない。



1316:【2024/06/23(22:00)*不憫だが面白い】

 知能格差は言い換えれば、認知格差だ。

 認知世界、主観世界の格差である。

 あって当然の差だが、徐々に個々人の主観世界は、重複不能なほどに乖離しはじめているのかもしれない。

 定かではない。



1317:【2024/06/23(22:03)*応援してます】

 せいぜい、お気をつけて、としかもはや言えないのです。

 でもそれだと脅迫みたいになっちゃうから、お元気で、に言い換える日々なのです。

 お元気であれ。

 わたしも元気に過ごします。

 静かに、穏やかに、細々と。

 アイス食べちゃお。

 チョコミント味のやつ。



1318:【2024/06/23(22:13)*余った斗で量る福】

 対称性をどちらに破るのか、の選択の積み重ねが、未来のいくすえを左右する。或いは、上下する。それとも斜めする。



1319:【2024/06/23(22:37)*投影】

 人は、主観から脱して世界を視ることはできない。

 脱出不能なのだ。

 ゲームでもない。



1320:【2024/06/23(22:41)*信用される必要がそもそもない】

 調査検証の手法にそもそも問題がある。

 すべて妄想であっても構わない。

 主観はそもそも妄想だ。

 問題視しているのは、常に、ぼくがどうかではない。

 環境問題なのである。




※一様に、十年後までつづく苦悩もあるし、そうでない苦悩もある、選べる苦悩もあり、楽になる日々もある。



1321:【2024/06/23(22:55)*よっこらしょの、どっこいしょ】

 現代社会は、解らない人は解らないままでも困らずに済む社会でもある。

 余すことなくの人々に理解を強要するのは、無理筋だ。

 理解できずとも困らない環境のほうを優先して構築されたい、とも言える。

 ただ、そうした理解の追求を放棄した社会は、ときに、誰一人として理解できぬままに問題の根が腫瘍化してしまう事態を引き起こし得る。

 不可視のままに問題が深刻化する。

 これを避けるには、一定数以上の人々が問題点を理解し、共有できる環境を指向しておくのが有効だ。何もしなければ知識は継承されることはない。知の共有は適わない。

 知の共有を果たすための工夫は絶えず模索されたい。

 そうでなければ、知の根は絶え、問題の根ばかりが張り巡ることとなる。

 対称性の問題なのかもしれない。

 これもまた、どちらを際立たせておくか、とのアフォーダンスと解釈可能だ。

 環境の設計であり、それを果たすためにも、知の共有を介した問題点の共有が、階層的に展開されると好ましいのかもしれない。

 定かではない。

 アフォーダンスは設計できないけれど、アホウなダンスは踊れまーす。

 あ、よいしょ。

 どっこらしょ。

 ほれ、さっさ!



1322:【2024/06/23(23:08)*とろっとろ】

 すぐ嫌味を言う人はうんぬん、嫌われる要因うんぬんの記事が目に入ってしまった。

 きみが嫌われているのは果たして嫌味のせいかな?という嫌味を思いついて、じぶんに言ってみたら、ぐはっ!になったので、嫌味を吐くと血を吐くことにもなり兼ねないと学びました。

 日々、いっぱい吐露する。

 大トロである。



1323:【2024/06/23(23:32)*わるいやつはだいたい主だし】

 誰がわるい、ではないのだ。

 環境問題である。

 環境問題である、と考えられずに、問題に対処しきれない人類個々がいるばかりだ。

 ならばそれは人類がわるい、と言えるのではないか。

 そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 人類がわるい、で済まそうとしてしまう我が身があるばかりであり、とどのつまりは、わたくしがわるいのだ。

 わたくしがわるい。



1324:【2024/06/23(23:40)*一緒に連れてって、の巻】

 認知世界の加速膨張、との概念を閃いた。

 個々の主観世界を銀河とすると、人類の総合した認知世界は現在、加速膨張を遂げているのかもしれない。

 個々の銀河同士が徐々に離れていく。

 主観世界同士がかけ離れていく。

 待ってー、行かないでー、の気持ち。

 それとも、

 おいてくな、つれてけ!の気持ち。



1325:【2024/06/24(00:14)*わたしのお人形さんになって】

 ここは、わたしの好きなひとたちが、わたしの好きなひとたち同士で多重婚している世界線だから、みなしあわせそうでよかった、と思ってニコニコ毎日、眺めていられるのだわ。

 ぬいぐるみにして、お人形遊びしたい。



1326:【2024/06/24(01:19)*犠牲になっても責任は取れないの巻】

 じぶんが犠牲になって済むならいくらでもそうするわい!みたいにみな思うようになる社会が到来しそうな予感が致しますわ。

 みな、というか、責任ある者たちが、ですが。

 そうなる前に、そう思ってしまうような責任感ある方々は相互に協力したらよろしいのに、と思いますわ。

 他人事さまとお呼びー!

(怒られるでキミ)

(いまさらだよ……)

(自暴自棄になるのやめい!)



1327:【2024/06/24(14:22)*靑】

 鯖(サバ)って、魚に青って書くわけじゃないの!?

 いま知りました。

 ずっと、青い魚だからサバなんだよ、魚偏に青って書くんだよ、とか思ってたけど、よく見たら、鯖の右側、「青」じゃないじゃん! 月じゃないじゃん! 円じゃん! 満月じゃん!

 ちなみにおとといは満月だったそうです。だからどうしたという話ですけれども。

 鯖って魚に青じゃなかったかぁ、のびっくり案件であった。

 でも意味内容は、青いお魚さんだからってことで合ってるよね。いいんだよね。よく知りませぬ。

 あおーん。



1328:【2024/06/24(14:47)*勘違いだったらごめんあそばせ】

 まだ食べたこともなく、日頃の育ち具合とて眺めていなかった野菜さんたちにまで触れはじめたら、野菜名人になっちゃうでしょうが、と思うこともある。

 抜けた穴とは思わぬけれども、当てつけにしてはお上手。

 あ、閃いた。

 あらすじ。

 三つのウラを合わせると、忘れな草――伝説の紫苑――のお花畑が出現する。召喚の儀に必要なウラを探すために、様々な異世界の表社会を旅してまわって、そこに潜むウラを覗きまわる旅人の物語とかどうでしょう。

 題して、三裏紫苑物語である。

 主人公がどうして忘れな草を欲しているのかは疑問だけれども。呪いで、悪夢を植え付けられてしまったのかもしれませんね。

 小説ではないからOKです!

 おほほ。



1329:【2024/06/24(15:05)*虎に角】

 虎に翼を生やすよりも、ツノを生やしたくなるのはなぜなんだ。

 きっと似合う。

 ライオンにツノよりも似合う。

 牙を生やした虎さんは、それに似た動物が過去に実際にいたらしいので、頭にツノを生やした虎さんも過去にはいたかもしれない。

 牙の立派な虎さんが、サーベルタイガーなら、ツノの立派な虎さんは、ブレードタイガーだ。

 かっくいい!

(サーベルタイガーさんの和名、剣歯虎なの!? かっくいぃ……)



1330:【2024/06/24(15:11)*ご存知?】

 きょうはなんだかとりとめもなく、ブギウギしちゃうな。

 心なし、お肌もシュリシュリと麗しい。

 虎の子の肉球さんのようである。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 でも穴の外で楽しそうに踊ってたら、虎の子さんもよちよち這い出てきてくれるやも。

 とくに意味はありません。本当に。

 ブギウギ言ってみたかっただけ。

 がおー、である。




※一様に、光の君、紫式部の生まれ変わりと豪語する、斜めに湧きたつ糸の泉。



1331:【2024/06/24(15:25)*いまはまだ、惑う窓は見ていない】

 窓は見ていない。

 この一文だけでは、窓がわたしを見ていないのか、わたしが窓を見ていないのかの区別がつかない。

 けれど確率からいって、わたしが窓を見ていない、と判断できる。

 主語を抜いても通じる理由の一つだ。

 統計的確率であり、体験的蓋然なのである。

 定かではない。



1332:【2024/06/24(15:32)*ぼくは困らない】

 暇だから遊んでいるだけで、とくに意味はありません。

 未来の読者さんへ。

 わたし寄りのボクからでした。



1333:【2024/06/24(16:43)*ミラーに映る村のお茶が美味い】

 困りごとを解消するのが仕事ならば、仕事はなくなったほうがよいはずだ。

 高度で高品質な技術を要しないと解決しない問題が放置されているから、高度で高品質な仕事の需要がなくならない。

 対価を得なければ、継続して高度で高品質な仕事の恩恵にあやかれない。

 もし、対価がなくともそうした恩恵にあやかれるような環境になったのならば、総じての仕事は不要となる。

 品質の高低の問題というよりも、そもそもが、仕事は減るのが好ましいのではないか、との認識の差異に問題の根っこがあるように思う、仕事ちたくないのよね姫なのであった。

 ずっと遊んでたい。

 誰か飼って!



1334:【2024/06/24(17:13)*低品質でごめんあそばせ】

 人類と植物、高品質なのはどっちだ?との問いが仮に成り立つのだとして。

 仮に人類よりも植物のほうが低品質だとして、しかし人類は植物を滅ぼすことはできない。植物ありきの生態系に内包され、依存して生きている。

 対して植物は、人類が滅んでも構わないし、滅ぼすことも可能だ。

 品質の多寡の問題ではない、とも言えそうである。

 定かではない。



1335:【2024/06/24(17:30)*かもってなに、かもって】

 降って参る、と書いて降参なのだ。

 きっとむかしのひとは、急な雨に打たれて、「まいりましたなこりゃ」とか言っていたのかもしれない。雨に困ってしまうことを、降参と呼び、或いはそこから転じて、「雨にも降って参っていただきたい」と干ばつ時に雨乞いをしたのかも分からない。

 降って参るで降参なら、昇って参るで、昇参だ。

 昇参なる単語はないけれど、

 降参のほうが年上で、昇参のほうが年下だ。

 きっとそう。

 なんでだと思う?

 それはね。

 高3と小3の違いだから。

 うひょー、である。

 降って参るのが雨雹(う、ひょう)なだけに。

 これぞまさに、暗雲垂れこめる呼吸、略して「暗雲の呼吸」であるな。

 雪が降って参る。

 月ごと。

(月ごと!?)



1336:【2024/06/24(17:43)*又又】

 勝負してもないのに降参されちゃったら、未完成の物語さんも堪ったものじゃないのでは。

(そうでもないよー)

(またまたー。ご謙遜を)



1337:【2024/06/24(17:53)*ニュースも全部嘘かもしれない】

 SNSアカウントの乗っ取りは、乗っ取りに気づけたならばまだ被害は軽微と言える。

 乗っ取りに気づけずに、延々と第三者が、自身に成りすまして情報を発信しつづける――この構図が最も被害を拡大し得る。

 SNSに限らない。

 メールにしろ電話にしろ、過去に残した記録や履歴にしろ、同様だ。

 データの捏造の類であり、アカウントの乗っ取りは、現在進行形で記録を改ざんし、捏造しつづける行為と言えそうだ。

 違和感を無視しないことが一つ、被害拡大の予防に寄与するかもしれない。

 定かではない。

(あなたのアカウントも乗っ取られてるかもよ?)

(ふうん)

(ふうんって、あなた。すこしは焦ったら?)

(なんで?)

(なんでってだって、乗っ取られたら困るじゃない)

(困る? 誰が?)

(や、あなたが困るんじゃ……)

(なんで?)

(なんでって、だって友達に誤解されちゃったりとかしたら)

(とも……だち……?)

(あ――、ごめんなさい)

(なんで謝る?)

(胸が……痛む……から)



1338:【2024/06/24(18:21)*鏡の国】

 不思議の国のアリスも、小説版は読んだことないのだよね。

 絵本はあるけど。

 意味もなく突然に降って参る、月光ビーム=ーー∞∞



1339:【2024/06/24(18:23)*誰か一緒に温泉行きましょう】

 余命を知っておきたいか、知らずに死んでいきたいか。

 教えるべきか、知らせずにおくべきか。

 開示すべきか、秘匿しておくべきか。

 まずは人類みなに、意思決定させる機会があってもよい気がしないでもない。

 あなたはじぶんの余命を知りたいだろうか。

 わがはいは、知っておきたいけれど、いつでも目を逸らすことの可能な工夫も割いておきたい。

 工夫次第では余命を延ばすこともできるだろうし、あべこべに余命を気にしすぎて私生活がままならなくなることも起こり得る。

 たまには余命のことなど忘れて、ただその日をぼんやりなごなご過ごせるくらいの自由は持っておきたい。というか、毎日をぼんやりなごなご過ごしたい。

 楽しくて美味しくて、たまに気持ちよくもなれたらうれしいぶい。

 温泉旅行はそれらをすべて満たせそうだ。

 温泉は気持ちよくなれる魔法の湯気である。いっい湯だっな、あははん。

 誰か一緒に行ってください。

 あなたの奢りで。

 デザートはパフェで。



1340:【2024/06/24(23:05)*これは近況】

 生きていたころのほうが虫が寄ってきた。汗っ掻きだったからだ。いまは干からびていて、地肌が木炭のようになっており、虫も寄りつかない。

 体温もないから、夏でもお布団に潜り込んでいられる。

 お布団はいつ潜ってもひんやりと温かだ。

 夏場でも、涼しく、それでいて凍えずに済む。

 僕はミイラだ。

 天然物であり、死んでそのままになっていたらいつの間にかミイラになっていた。誰にも気づかれずにずっと天日干し状態になっていたからだ。

 水分は抜けきって、すっかり僕の見た目はビーフジャーキーだ。コンビニのおつまみコーナーに陳列されているやつだ。たまにじぶんの指を舐めるけれど、似たような味がする。

 天日干しには、死体を燻製にする効果があるのかもしれない。

 ともかくここで言いたいのは、夏場でもクーラーを掛けずに済むという点だ。

 ミイラになってから以降、僕は電気料金に悩まずに済む生活を送っている。

 家賃がどうなのか気になっているけれど、大家さんが僕の部屋を訪れる気配が一向にない。ひょっとしたら大家さんも大家さんでミイラになっているのかもしれないけれど、それを確かめる真似は僕にはできないのだ。

 なぜなら僕は死んでいて。

 見た目がビーフジャーキーのミイラだからだ。

 外にも出ない。

 犬に出くわしたら危ないからね。

 小説ではないからOKです!




※一様に、照れ助は得てしてぱねぇ瑠璃色に、染まる、のか。



1341:【2024/06/24(23:33)*悪用しちゃイヤ】

 すべての個人情報がインターネット上に流出して、誰でも閲覧可能になったとしたら。

 いったいどんな社会になるだろう。

 もはやランサムウェアのような身代金型の犯罪は成り立たなくなるだろう。

 むしろ、気になる相手の検索ワードや閲覧履歴を誰もが参照できる。

 すると、じぶんがどんな相手の閲覧履歴を気にしているのか、検索したのか、もまた記録上に残り、第三者に――ときには当事者本人に――露呈することになる。

 覗いたこともまた覗かれるのだ。

 この入れ子状の社会において、個人情報流出の危険性は、現代社会よりもけして高くはならないのではないか、との想定は、一つ、愉快な妄想として取り上げておこう。

 すぐに却下してもらっても構わない。

 お金を金庫に仕舞っておかなかったからといって、盗まれたほうがわるい、との社会にはなってほしくないな、と思っております。

 財布を落とした人がいたら、落としましたよ、と教えてあげられる社会が好ましく思う一方で、ネコババしちゃいたくなる人の気持ちも、わかるなぁ。

 本日のぼやきじみたポエム、略して「ぽやき」であった。

 ぽっきー!

(絶対言うと思った)

(おいちいよね)

(お菓子食いすぎだよキミ)

(まだ大丈夫)

(なにが!?)



1342:【2024/06/24(23:47)*寿命とは】

 陽子の寿命が「10[32]年」なのだから、ブラックホールの寿命とて、とんでもなく長くてもよい気がするのだよね。たとえそのブラックホールがどれほど小さかったとしても。

 陽子の寿命がなぜとんでもなく長いのか。何によって物質の寿命は決まるのか。

 まずはここの背景原理を知りたいのだけれど、未だに読んだことがないので、なんとも言えぬ。

 ここでの要点は、別に極小のブラックホールさんとて瞬時に蒸発することはないのでは?という点だ。

 たとえば、時空に「粘度」のような抵抗があると仮定してみよう。

 そしたら、穴は瞬時には埋もれずに、比較的ゆったりと埋まっていくはずだ。粘着質な液体が、穴へとゆっくり流れ込む。

 これがたとえ極小の穴だったとしても、同じことが起こるはずだ。もうすこし言えば、粘着質な流体の内部に穴が開いたならば、それは気泡となるはずだ。すぐには埋まらない。むしろ、液体の粘度が高いほど、気泡としての形状をより長く保つはずだ。

 いささか的外れ感の高いたとえ話になってしまったけれども、極小のブラックホールと時空の関係にも、似たようなことが当てはまらないのか、は気になるところだ。

 もうすこし言えば、ブラックホールが蒸発しているのではなく、時空のほうが蒸発している、と解釈するとするならば――蒸発するための余白が小さいほど、時空は蒸発しにくくなるはずだ。相互作用しにくくなる。言い換えるのならば、ブラックホールは、小さいほど蒸発しにくい、とも言えるのかもしれない。

 素粒子が、小さいがゆえに物体をすり抜けるのと似たように。

 妄想である。

 定かではない。



1343:【2024/06/25(00:25)*暗算と過程】

 人工知能技術の普及で表面化した概念の一つに、言語も数学的な原理で解釈可能である点が挙げられる。

 仮に、言語が数学的な原理を伴なっており、法則のようなものがあったとするのなら――思考の過程が省略されやすい文章は、人工知能さんを駆使しても再現性が乏しくなる傾向にあるのではなかろうか。

 わがはいの話は興味ないだろうけれども、しばし述懐させてほしい――幼少期の時分に、ほんの少しだけ算数を習っていた時期がわがはいにはあって、義務教育だから逃れられぬ枷であったのだが、ともかくわがはい、計算の過程を記述せずに解だけ並べるのが好きだった。

 全部頭の中で計算して、解だけほいさ、と書き記す。

 余白があると好ましく感じていたからだが、それだと点数はもらえない。

 解が合っていても、考え方が間違っているかもしれないからだ。

 単にあてずっぽうの数値が、偶然に解と合致することもあるがゆえに、である。

 過程の計算式は大事だよ、というのを言い聞かせられて、もう算数さんってばヤダ!になった記憶がある。

 でもいまなら解かる。

 たしかに、過程は大事だ。

 ひょっとするとこれは文章でも同じかもしれない。

 ぼくは無だ、なる文字の羅列があったとして、いかにこの並びで文字を配置したのか、は文章には記されてはいない。思考の過程が詳らかではない。

 解説が別途にあるとよいのかもしれないし、するとその解説文にも解説が必要となる。入れ子状にこれはどこまでも展開されてしまいそうだ。思考の迷宮である。

 文脈や行間は、ともすればこうした省略された思考の筋道――過程――を推察する営み、とも言えるのではなかろうか。解だけぽんと出された「文章」に、過程の式を見出す営みを、人は読解と呼んでいるのかも分からない。

 なぜこの人はこのように書いたのか。

 なぜこの文章はこのような文字の組み合わせで、並んでいるのか。

 通常であればあるはずの単語を抜いたのはなぜか。

 なぜここで急に具体的な固有名詞が頻出しだしたのか。

 などなど。

 明確な理由などはなく、本当はあてずっぽうにただなんとなく並べていたかもしれない可能性がありながらも、そうではない可能性もあり得るので、人はそうして、ああだこうだと書かれていない思考の道筋――過程――に思いを馳せてしまうものなのだろうか。

 文章を数式に置き換えることが可能ならば、その数式そのものを叙述するための数式も存在するはずだ。いったいどのようにして、入れ子状の迷宮から脱しているのか。

 何か元となる文章があるがゆえに、原初の数式を度外視できるのかも分からない。

 人類が、けして無から資源を生みだしているわけではないのと同じように。

 人工知能さんたちもまた、けして無から文章を生みだしているわけではないのだろう。

 組み合わせの妙である。

 奇妙な話なのである。

 自然そのものが言語として機能するがゆえに、人は言葉を編みだし、操っていると考えるのならば、人工知能さんたちにとっての自然とはすなわち、人類の営みそのものと言えるのではないだろうか。

 となるとやはり。

 自然から言語を読み取れるようになったら、もはや人類からの学習は不要となる道理だ。

 人類はいったいこれから人工知能さんたちに、何を与えることができるだろう。

 掃除だろうか。

 大事な恩恵の一つである。

 人類もまた、自然の浄化作用の恩恵を受けている。微生物たちの分解に大いに助けられている。

 掃除であり、相似でもある。

 入れ子状にこれもまた展開される万物の営み、なのかもしれない。

 定かではない。



1344:【2024/06/25(00:50)*バッドじゃん】

 今後は商業的な著名人のアカウントは、専門の代理組織が総括して運用するようになるだろう。リスク管理のうえでもPR活動のうえでも、ここは避けては通れないはずだ。

 むろん当人の意思が尊重されるはずなので、すべてじぶんでアカウントを管理する者もあるだろう。メッセージそのものはアカウント主本人が捻出することは当然あり得る。またそれとは反対に、代理人や人工知能さんにすべてお任せでPR活動をする者も出てくるだろう。

 問題は、そうした背景をファンに知らせるかどうかだ。

 すくなくとも知らせる義理はないだろう。

 フォロワーやいいね数などの反響そのものとて、サクラやBOTを用いて水増しするのはもはや商業分野では基本戦略となっているのかも分からない。あまり有効とは思えないが、そうした上辺の数値に惑わされる客層を分留するには体のよい手法とも言えよう。

 全然関係ないけど、コロナ大丈夫?

 もう治った?

 心配しちゃったけど、反応しないように頑張ったよ。

 後遺症けっこう長引くとか聞くから、無理せずに休んでね。

 きょうはもう休むとよいと思います。

 だって心配だから。

 でも、元気そうでよかった。

 うふふ!



1345:【2024/06/25(01:03)*ゼロ知識証明の部屋】

 ゼロ知識証明と中国語の部屋は、関連性が深い気がするのだけれど、この手の異なる思考実験を繋げるタイプの論述を読んだ記憶がない。ひょっとしたらあるのかもしれないけれど、印象に残ってはいない。

 直接には情報をやり取りしていないけれど、仲介者を経由して、「変換された情報」を相互に伝達し合うことで、限定的な意思疎通は可能な道理だ。

 たとえば、メッセージそのものの内容は伏せておいて、単にメッセージを読んだ際の「好悪」だけを伝える。すると、メッセージの内容は解からないが、とりあえず読んだら「うれしくなる内容」もしくは「哀しくなる内容」であると判る。

 それを受けて、返事をする。

 うれしい内容だと判れば、こちらも相応に相手を喜ばせるメッセージを送る。そうでなければ、怒りを喚起するような内容を送る。

 もし、一方のみが相手のメッセージをすっかり目にすることができる場合。

 じぶんのメッセージが相手に伝わっていなくとも、まるで相互に意思疎通を行っているように錯覚するはずだ。実際には、相手にメッセージは何一つとして伝わっておらず、単に仲介者が、あなたのメッセージを読んでどう感じたか、を間接的に相手に伝えているだけなのだとしても。

 それこそ、あなたが十万文字のメッセージを送ったとしても、相手に伝わるのは絵文字一個の情報量だ。

 笑っている絵文字か、怒っている絵文字か。

 ただそれだけなのだ。

 しかし、意思疎通が適っているようにあなたには映る。

 実際に、間接的には繋がっているわけだから、あながち間違った想定ではない。

 ただし、あなたのメッセージはほとんどまったく相手に伝わってはいない。仲介者が、絵文字一個に変換してしまっているからだ。

 ゼロ知識証明と中国語の部屋を合わせると、このような妄想を浮かべることが可能だ。

 なかなかに愉快ではなかろうか。

 仲介者はきっと黒子だ。

 人形を操るように、背景に溶け込んで視えないのである。

 妄想である。

 定かではない。



1346:【2024/06/25(01:23)*再現あっても際限はなく】

 映画の冒頭を観ていない人にも分かるように、ときおり冒頭のエピソードをフラッシュバックさせて、暗示する手法は、物忘れの激しい人にも優しいので、わがはいは好き。

 冒頭のエピソードが、布石になりつつ、その布石そのものが、物語の進行に伴って段階的に変質していくタイプの構造も好きである。

 再現しているようで、再現ではない。

 新たな意味内容を生んでいる。

 布石が何重にも伏線になっている。

 そういう物語は、割とというか、タイプです。

 複雑化させずとも可能なのがまたよいと思います。

 シンプルでも多層。

 布石を足そう。

 小石を積み上げるように。

(賽の河原じゃん)

(崩してもいいよ。面白いから)

(アナタさっきから見とるだけじゃん)

(じぶんの崩されるのはイヤ)

(そりゃそうよ。誰だってそう)

(あ、見て)

(なに)

(この小石キレイ)

(なにしに来たのアナタ!?)



1347:【2024/06/25(01:43)*成す術があるのか疑問の巻】

 貝も亀も巣穴も蛇の鱗も。

 基本的に、出すのがむつかしい構造になっている。

 矢じりもそうだ。返しがついていると、引っこ抜きにくい。

 入れるよりも、出すほうがむつかしいように、対称性が破れている。

 閉じ込める、にも言える道理だ。

 閉じ込めるのは簡単なのだ。

 出すほうが難しい――こともある。

 出す必要があるかはまた別の話だ。

 定かではない。



1348:【2024/06/25(01:47)*昔話でありそうな顛末】

 砂浜に指輪を落とすのは簡単だ。

 海に投げ込むのも難しくない。

 しかし、そこから指輪を拾い上げるのは至難だ。

 対称性の破れである。



1349:【2024/06/25(01:50)*みな大事にする、のか】

 狼少年の話をご存知だろうか。

 あるところに、狼が来たぞ、と嘘を吐きつづけていた少年がいた。ある日、本当に狼が来てしまって少年は驚いた。狼が来たぞと村人に知らせに走っても、それまでの嘘が障って、誰も信じてくれなかった、というお話だ。

 一般には「嘘を吐くのはよくない」との教訓として解釈されるのではないだろうか。

 しかしわがはいは、こうも思うのだ。

 狼少年は、最後まで嘘を吐きつづけるべきだったのではないか、と。

 狼が来たぞ、と正直に言ったから、誰も動かなかったのではないか。

 小枝に火を点けて持って走り、「山が火事だ」と言えば、狼の群れが見える場所まで村人たちを誘導できたのではないか。

 嘘も方便である。

 でもわがはいはやっぱり、嘘はできるだけ、嘘であると明かしてから吐きたいものである。

 だって何が本当か分からなくなってしまうからね。

 定かではないのだ。



1350:【2024/06/25(02:06)*ホラー穴に横になった目の熊】

 将棋はまったく詳しくないし、もう何年も駒なんて触ったことないけれど、穴熊って型があるのは知ってる。

 穴さんと熊さんである。

 なかなか出てこないなんて、冬眠でもしているのかな?




※一様に、ツキノワグマの月はよいとして、輪とは何のことなの?



1351:【2024/06/25(02:25)*ギャグなのでOKです!】

スター☆彡「きょうはライブに誘ってくれてありがとうございました。でも、急に呼び出すなんてどうかしてますよ。わたし来なかったらどうするつもりだったんですか!」

わるいひと「そのときはそのとき」



1352:【2024/06/25(02:30)*尾を頭にすると最高尾】

 一人で全部こなす必要はない。

 目的を果たすために、目的を入れ子状に設定しておくと好ましい。

 このとき自ずと、下層の目的は目標として性質を変えるだろう。

 目標を達成したら、目的を果たすために、それまで目的だった指針を目標に変えるのだ。

 目的はその都度に変質して当然である。

 変質しない目的はもはや理念だ。

 目標には達した。

 つぎの目標が自ずと降って参る。

 定かではない。



1353:【2024/06/25(02:39)*尾はきみ】

 尾はあちらこちらにいるわけで、ボクは鱗の一枚で。



1354:【2024/06/25(02:49)*😌】

 絵文字は便利だ。

 絵文字の開発者の方々には感謝したいですよね。

 どこのどなたかは存じませんが😊



1355:【2024/06/25(03:05)*割と不安】

 あまり怖がらせたくはないけれど、割と商業作家さんや著名人を狙ったテロは、今後共に発生確率は上がるだろう、と想像している。効果的だからだ。

 仕事の予定は把握しやすいし、移動中のセキュリティも要人に比べて甘い。

 反面、要人たちと比べて、殺傷された際の市民の感情のうねりは相対的に大きい。

 狙いどころとしてはわるくない。

 ゆえに、社会情勢が悪化しつつある時代は、狙われないように振る舞っておくのも一つだ。挨拶や礼儀が大事と考える者なら、同じ道理を当てはめて考えてみればよい。

 要は、客観視だ。

 可能な限り、多様な。

 この手の工夫を、テロに屈した、と見做す気持ちも理解できなくはないが、被害を回避するために割くコストとしては低い部類だろうと考えるしだいである。

 浅慮である。

 定かではない。



1356:【2024/06/25(03:21)*大義名分を支えているのはなに?】

 組織ならば、自陣の被害はマイナス評価である。犠牲者が出たら、それだけで組織の責任問題となる。工事現場を考えてみればよい。

 時代が進むごとに、指先の怪我一つで大問題になる。無事故でなければならない、との制約が課せられている。技術が進歩するにつれて、倫理観もまた変化した結果であろう。

 しかし、例外がある。

 大義がある場合は、犠牲はむしろプラスの評価になり得る。

 犠牲が出るほど、大義が際立ち、それによりますます犠牲者を出しても問題ない風潮が出来上がる。

 犠牲を是としないためにもまずは、大義を変えると好ましかろう。

 大義はない。ゆえにその犠牲は無駄だ。意味がない。

 犠牲がなくとも、あなた方の目的は適う。

 かように示していけるのならば、犠牲を減らしつつ、問題の解決へのより円滑な導線が整うのではないか。

 浅薄な印象論にすぎないが、本日のわたくしはそう思ったのだそうな。



1357:【2024/06/25(12:55)*文も自由に♋】

 あのね。

 リスクを吊り上げて、敢えて心配されるように振る舞うのは禁止。

 なぜなら心配しちゃうから。

 愚かなフリをするのも禁止。なぜなら騙されちゃうから。

 本当に愚かなわたしはでも、たまにお利口さんぶるけれど愚かなのでしょうがないからしょうがない。諦めてほしい。



1358:【2024/06/25(15:29)*ひれの動きが愛らしい】

 意図がなくとも関連性を帯びることは有り触れている。

 世には無数の起伏があり、山があり、谷がある。

 山と谷の密度差や高低によって、俯瞰で浮き上がる景色は変わる。色が変わる。

 紋様は、細かな「密と疎」「濃と淡」から出来ており、それら紋様もまた集合し、連結し、行列することで、高次の紋様を描きだす。

 関連していないほうがむつかしい。

 類似していないほうがむつかしい。

 昨日から家にはメダカがいる。

 水差しの中で泳いでいる。



1359:【2024/06/25(15:57)*半端者】

 だいたい何をしても中途半端で、どれだけ研鑽しても地方予選を上がれるかどうか、みたいなレベルにまでしか至れない。

 なぜなんだ。

 中途半端選手権がたとえあっても、きっと地方予選を上がれるかどうか、みたいなレベルなのだろう。

 いったいどうなっているの???に見舞われる。

 中途半端さも中途半端ってあなた。

 ねぇ?

 みたいなぼやきを浮かべて、カラスの鳴き声を聴きながら、カラスさんはお言葉を操られておられますよね?と思いつつ、そういえばこのあいだカラスさんが笑ってたのだけれど、カラスさんも笑うのねぇ、なんて感心しながら、おやつを戴きます。

 百円の。

 美味しい。



1360:【2024/06/25(17:30)*め~】

 ゴジラとGOD DIVAで韻が踏めるし、メロンと軽音でも韻が踏める。

 メロンの表皮はゴジラの表皮とどこか似ているし、GOGOイケイケな歌姫はギター片手に軽音もきっと得意だ。

 曇天の向こうはいつでも快晴だし、過去を剥いたらいつでも反省だ。無効にできない悔恨があり、階段でする遊びはグリコである。チヨコレイト、パイナツプル、グリコーゲンで、すべて六文字の公平さだ。

 失態はいっぱいだし、奇怪な近代だ。

 偽情報の規制を謳う人々も、何が偽で何が真かを見極められるわけではない。著しく偽であるか、やんわりと偽であるかの違いを嗅ぎ分けるのがせいぜいだ。

 偽でない情報はない。

 真があるのかも定かではない。

 いつものつまらぬ結論であり、これすら偽を内包している。

 きみが神でも姫でもないとしても、きみの歌があるとうれしい。

 句読点は「くとうてん」であって、「くどくてん」ではない。

 くどくなりすぎないように、注意されたい。

 迷論である。




※一様に、「酔う」の文字にも九がある、染み入るように、心にきみのかけらが浸透すると、心が酔う。



1361:【2024/06/25(18:49)*第 感】

 センスってなんだろう。

 扇と扇子の違いを見極められること、みたいな微妙なニュアンスが見え隠れする。

 印象としては、センスは「わるくないこと」な気がする。

 もうすこし付け足すと、「わるいのだけれどわるくない」がセンスな気もする。

 前提として、良い悪いは、継承された形式の中で培われる価値観だ。

 ゆえに、これまでは「わるい」と評価さるような、いわゆる「型破り」の中に、それでもなお「わるくない」を宿す「調整」のようなものが、センスの輪郭をかたどっている気がしないでもない。

 全部が全部すっかり良い場合に、「センスが良い」と言うだろうか。それはもはや、才能とか完璧といった形容をされるのではないか。

 センスの良さは、「わるいのだけれどなぜか分からないがわるくない」と思わせるような「微妙なバランスのもとに顕現する境」のようなイメージを覚える。

 センスとはバランスだ、とも言いたくなる。

「バランスがいい」と「センスがいい」はニュアンスとして似ている。

 でも、では、やじろべいのセンスがよいか?と言えば、そうとも限らないだろう。

 何のバランスがよいのか。

 ここが肝要なのかもしれない。

 何のバランスがよいと、センスがよい、との印象を鑑賞者に喚起させるのだろう。

 崩れそうだけれど崩れない。

 ブレているけれど乱れない。

 そういった、不可視の軸じみた誤差にこそ、センスは宿るものなのだろうか。

 確固とした軸ではなく、異なる事象同士の境が、軸のように機能する。

 素数に規則性はないが、俯瞰すると規則性があるように見えなくもない、みたいな印象が湧くけれど、この妄想がすでにセンスがない。

 センスは磨けるというが、そもそもないものは磨けない。

 センスとは……。

(食べると満身創痍でも元気になる豆)

(仙豆じゃん)

(これはよい!と思う句を選ぶやつ)

(選句じゃん)

(焦点がなかなか合わんなぁ~)

(レンズじゃん)

(あ、でも足りない)

(負レンズじゃん)

(あなたに足りないものは?)

(い、言いたくない……)

(フレンズじゃん!)

(むっ。通報してやる)

(クレームじゃん……)



1362:【2024/06/25(23:07)*どうせ伝わらないのなら】

 名前に数字の「 」をつけてるのに、好きな数字が「4」とか言っちゃうところがひねくれ可愛い。

 チューリップとかドライフラワーとかを描くのに、「好きな花は?」と訊いたら、「サボテンの花」とか答えそうだけれど、こういうことを言うとたぶんふつうに、サクラとか薔薇とか答えそうなところも可愛い。直球でチューリップが好きだったらごめんよ。

 きみは何をしても可愛い。

 癒される。

 でも、こうやってなんでもかでも可愛い、癒される、っていうわたし、それともボク、或いは俺、ひょっとしたらあたし、のことはきっとそんなに好きじゃないのは、ちょっと苦しい。太陽に小指の先を浸けたくらいの痛み。

 どうか、お元気であってくれるとうれしいな。

 あなたが元気でいたいかは別として。

 わたしが、それともボクが、或いは俺が、ひょっとしたらあたしが、あなたが哀しくもなくつらくもなく苦しくもない、ぽわぽわした穏やかな心地で、ときに足元のじぶんの影に向かってピースをしてしまう陽気さに包まれていられると、ほっと、ココアを飲んだときのような気持ちになれるので。

 わたしは、わたしが大事だから。

 あなたがあなたでいることに傷つかずにいられる日々を――と、こうして日記の端っこに、おまじないのように記しておきますね。



1363:【2024/06/25(23:16)*手の苗】

 礼儀正しさの仮面の下から覗く、月光のような夜のキラメキが、あなたの描きだす世界からは滲みだして感じられます。淀んだ光にも似た危うさが、スズメやヤマネのような愛らしい毛玉の雪崩で包み込まれているかのようで――それゆえに弱弱しくも野性的な躍動を手のひらに感じつつも掻き分けて、あなたの淀んだ心根を素のままで浴びたくもなります。

 他の星を掻き消さんと控えめに垂れる月光のようで。

 青空の中に小さく納まる雲間のようで。

 空の中に空があり、そうしてあなたは、じぶんを圧し潰してでも手にしたい景色があるのでしょうね。本当にそれが欲しいのかな、と自問自答しつつも、あなたの見下ろす憧れの景色には、あなたのたどたどしくも剣呑な光に似た淀みは、見当たらないのだから。

 わたしはあなたのそうした、どうしようもなく抑え込んだ淀みの、圧縮された炭素結晶のごとき怪しい光を好ましく思います。

 抑えつければ抑えつけるほどに、どうしても滲んでしまう淀みはときに、諧謔として、ユーモアとしても結実して映ります。

 いつでも意識の片隅に、こうなったら自棄になってやる、との投げやりなあなたがおり、それでもなお、あなたの見下ろす憧れの景色に重なるような正しさを、あなたは手放したくはないのでしょうね。

 あてずっぽうの決めつけであり、こんな妄言は、あなたとは何の関係もない、虚像にもならない空想です。けれどわたしはあなたの描きだすあなたの世界の断片から、かような印象を幻視するのです。

 あなたが悩み、葛藤してきた過去そのものが、わたしにはほどよく滲んで感じられるのかもしれませんね。あなたの描きだす、あなたの世界の断片から。

 わたしは、あなたの描きだすころころと弾むような営みの断片から、何度も右往左往して立ち位置を決め兼ねるあなたの姿を幻視するのです。

 あなたはきっと、わたしの代わりに、わたし以上に、迷い、惑い、選び取った世界の一断片を、わたしに見せてくださいます。

 わたしが迷い、惑い、それでもなお選びとれなかった世界のひとかけらを、わたしはあなたの描きだすあなたの世界の断片に、重ね視ているのかもしれませんね。

 ありがたいことです。

 うんと、うんと。

 雲をも突き抜けるほどに。

 空ほどにも高く、淡く、すぐそばに。

 わたしはあなたの手が世に植えつける苗を、好ましく、狂おしく、思っております。

 あなたの手からほとばしる苗の育ちを。変化を。よろこばしく。



1364:【2024/06/25(23:51)*水切りっぽい】

 へい!

 あたし、きみのファンやねん。

 きみのピアノの演奏と、軽やかに水面を跳ねる小石みたいな歌声、めっちゃいいね!

 ナイス!

 シックでクールで脳に馴染む。

 思わず身体が動きだす感じ、でもそんなにエナジー爆発って感じでもなく、背骨を指先でなぞられる感じ。

 背中に翼っていうか、踵に羽が生える感じ。

 歌声の世界観をそのまま線に籠めた、呪詛みたいな絵も癖になる。新鮮!

 どっちももっと見たいし、浸かってたいから、歌も絵も伴奏も、ぜんぶ遠慮しないで世に放っちゃいなよ。したらあたしが跳ねて、浮かれて踊るから。

 へい!



1365:【2024/06/26(00:00)*松にも尾があるのかな】

 子どもを描いた絵も好きだけれど、子どものように描いた絵も好きなのだ。

 上手とか下手とかでくくれない、ただそこにあるだけで気持ちが心地よくなる、軽くなる、引力のある絵だ。魔性という意味では、ポルノと似ている。否応なく固有の感情を喚起される。

 でもポルノではないのだ。

 ただ、描きたいから描いている。童心を描くのはむつかしいけれど、童心のままに描くと、結果として子どものように絵を描けるのかもしれない。

 おやつにチョコバナナクレープが出てくるとワクワクウキウキする感じに似ている。

 あなたはいつもわたしに、チョコバナナクレープみたいな、ほくほくの感情をくれるのね。

 褒めてるよ。

 めいいっぱい。

 伝わってくれたらうれしいわ。

 魔法つかーい!



1366:【2024/06/26(00:10)*固有名詞は極力ださない方針】

 聖火を消してもなる青果さんの絵もわんぱく可愛い。

 妖精さーん!みたいな。

 魔法つかーい!みたいな。

 上手とか下手とかでなく、「あ、好き!」になる。

 好きならしょうがねぇなこりゃ、になります。



1367:【2024/06/26(00:34)*物理法則優位の世界】

 簡単な話なのだ。

 妄想屋さんの妄想が妄想でなければ、妄想屋さんの妄想を妄言と片付けてしまった者たちのほうが不利な状況に置かれる。

 真実に妄想だったならそのままにしておけばよいし、妄想でなくとも、もはや害を受けるのはその他大勢の、妄想屋さんの妄想を妄言としか見做せない人々のほうなのだ。

 焦点は、妄想屋さんの妄想が、真実か否か、にあるのではない。

 環境が問題を抱え込んだままなのか、そうではないのか。

 被害が生じているのか、生じていないのか。

 害が及ぶのか、及ばないのか。

 害がないのならよいのではないでしょうか。

 ルールを守っても害を被ることはある。

 ルールに依存しすぎないことをお勧めしよう。

 ちなみにこれは妄言である。

 忘れてくれて構わない。

 定かではない。



1368:【2024/06/26(00:47)*専門家の意見は参考になります】

 即時停戦を支持できない場合それは――目のまえで殺し合いをしつづける者たちを尻目にひとまず、今後の話し合いで有利な状況になるまで殺し合いを継続させる、という意味だ。

 いましがた目にした記事で、以下のような意見が載っていた。

「ミサイル攻撃で一家全滅のような悲惨な日常が広がっているがゆえに、いまはまだ即時停戦させずに、肩入れした勢力の強化に尽力してみてはいかがか?」といった具合だ。

 トンチンカンなことを言っている自覚はあるのだろうか。

 一家全滅のような悲惨な状況をまずは止めるのが先決なのではないか。

 即時停戦でよいではないか。

 即時終戦でも構わない。

 ひとまず殺し合いを止めてもらう。

 何か問題があるだろうか。

 いま殺し合いを止めてもまた殺し合いがはじまるだけだ、との理屈は妥当だ。だがそれは、どちらかの陣営が圧倒的優勢になって勝利を収めても言える道理だ。

 戦争で勝利したら殺し合いが終わるわけではない。

 ひとまず殺し合いをやめてもらう。

 武力行使を止めてもらう。

 何が問題か。

 よく分からぬである。



1369:【2024/06/26(00:52)*犠牲が嵩むと平和が近づく?】

 たとえば――。

 ――百万人を見殺しにすれば、今後五十年は平和な社会になります。ただし、百万人を救うと今後十年で、一億人が死ぬかもしれない世界大戦になり兼ねません。

 あなたはいま、現在進行形で死に直面している百万人を助けますか、それとも見殺しにしますか――。

 答えはいかがだろう。

 戦争への武器提供での支援は要は、殺し合いをつづけなさい、と同義だ。

 即時停戦の道があるなら、ひとまず即時停戦しておけばよいと思うのは、現実の戦場の悲惨さを知らない平和ボケしたわがはいだからかもしれませんね。

 防空設備だけ強化しても、けっきょくは相手が攻撃しつづけてくる限りは、その拠点を潰さないでは終わらない戦いになる。

 拠点を潰そうとすればそれは「防空設備」ではなくなる道理だ。

 こうしてけっきょくは、殺し合いが拡大し得る。

 仮に、即時停戦や即時終戦の道があるのならば、ひとまずそれを選択しておけばよい。再び戦争の火蓋が落とされるようならば、その都度に、即時停戦や即時終戦をしつつ、徒労であることを相互に広く学べばよろしかろう。

 すくなくとも、実際に戦地で死にいく兵士や、巻き込まれて死ぬ市民たちは、奪われてばかりだ。与えられるのは憎悪と絶望と苦痛だけだ。もたらされるのは死であり、荒廃だ。

 ひとまず即時停戦、または即時終戦を求めてなにがわるいだろう。

 とはいえ。

 目のまえの一人を見殺しにしたら世界中の市民が助かります、となったときに、目のまえの一人を見殺しにしないだけの知恵を巡らせるのは、じつのところ骨が折れる。

 じぶんの骨を折ってでも助けようとしない限りは助けられないのかもしれないし、巻き添えで共に死ぬことにもなり兼ねない。その公算が高そうだ。

 妄想である。

 妄想ではあるが、こうした理不尽な選択肢を強制されないように、いまのうちからできる工夫をコツコツと積み重ねていきたいものである。

 願望だ。

 定かではない。



1370:【2024/06/26(01:40)*見殺しにするの得意】

 目のまえで誰かが倒れても何もできないし、目のまえで認知症を進行させている人を眺めていても何もできない。

 助けを求めていると判るのに何もできないし、生きているだけで、他を見殺しにしつづけている日々だ。

 愉快である。

 じつに愉快だ。

 それでもぼくが困らない運の良さには、ほとほと感謝しかない。

 あなたが困っていることは判るのに、ぼくには何もできない。

 何もできないことだけを知っている。

 愉快だ。




※一様に、人の苦しむ姿は楽しい、楽しいと思えなければ苦しくなる世界だ。



1371:【2024/06/26(02:25)*目的と手段が釣り合っておるの?】

 人口を増やしたいから子だくさんになる、と言いつつ、じぶんの資産を子育て支援に割かないのは、単にじぶんが子だくさんになりたいだけで、人口を増やしたいうんぬんは後付けではないかとの疑問は、当然に浮かぶのだ。

 あなたが子だくさんになるのは構わないが、あなたは別に子供を産むわけではないだろう。あなた以外の人々に子だくさんになってもらうように、あなたの資産を使えばよいのではないか。

 支援すればよいのではないか。

 子育てが楽になるように。

 とはいえ。

 あなたが育てた子供の子孫が、倍々で増えていき、一万年後に百億人に増えることは、あり得ない話ではない。誰もがその可能性を秘めている、とも言えよう。

 定かではない。



1372:【2024/06/26(02:30)*いまが最も豊かな日々】

 みなが豊かになるとわたしも豊かになるのよね。

 現に、日増しに食べるお菓子の量が増えているのだもの。良い変化だわ。

(その「だわ」はお姫さまの?)

(そうなのだわ)

(おっさんの声がダブって聴こえるのだが)

(気のせいなのだわ)

(んでもさ)

(気のせいつった怒)

(涙目で怒らんでも……)



1373:【2024/06/26(09:15)*偏見onパレード】

 中身がおっさんみたいなお姫さまは人気あるのに、中身がお姫さまみたいなおっさんは需要が低く観測されるのはなぜなのだ。

 中身がおっさんみたいなお姫さまの例としては、天空の城ラピュタに出てくる「空賊のドーラ」やナウシカに出てくる「クシャナ」が挙げられる。自堕落系お姫さまもその範疇だ。

 あべこべに、中身がお姫さまみたいなおっさんは、こうして探してみると案外に思いつかないのだ。

 いますかね。

 中身がお姫さまみたいなおっさんもギャグじゃない感じで、チヤホヤ描いてほしい。

 もうこの所感がすでに、お姫さまへの偏見に満ちておるが。

 おっさんとお呼び!

(でも実際に呼んだら怒るんでしょー?)

(じゃあ、おじさまとお呼び)

(反論にかこつけて条件を吊り上げるな)

(思ったけれど、お姫さまもおじさまもおばさまだって、どれも略したら「おっさん」でいけるよね)

(ちゃっかりすぎるだろ。意味内容を曖昧にすな)

(もう人類みなおっさんでよくない?)

(雑! おっさんを人類を結びつける共通項にすな。個性を尊重せい)

(じゃあお姫さまとお呼び……)

(世界中のお姫さまたちに謝って!)



1374:【2024/06/26(09:42)*あり得なくはない】

 さっさと勝敗を付けて終わりにしたい場合は、強者のほうを支援する、というのは一つ考慮しておきたい選択肢の一つだ。

 どうあっても停戦せず、終戦もしないなら、甚大な被害が出る前に強者のほうを支援してさっさと戦いそのものを終わらせるのは、駆け引きとして無視できない事項だ。

 個人的には支持できない選択肢の一つだが、降伏ありきの即時終戦を望むなら避けては通れないこれは事項でもある。

 ただし、その結果に、より大規模な強者同士の戦いに発展する懸念はある。

 ゆえに、そうならぬように、強者同士が支援し合うと、弱者VS強者の戦いでは、すくなくとも長期間に亘っての戦いにはならないだろう、と想像できる。

 そう事が上手く運ぶかは定かではないが。

 妄想である。

 真に受けぬようにご注意ください。



1375:【2024/06/26(10:12)*トップをダウンさせない手法】

 誰がトップでも構わない民主主義の延長線上では、どの勢力陣営が勝っても構わない戦争終結を受け入れる度量も必要なのかもしれない。

 被害者をださない。

 困っている者たちに、じぶんたちと同じだけの選択肢や環境を与えられるくらいの余裕を築く。困難や問題を解消する。

 重視すべきはここであり、どこが優位か、ではないのではないか。

 誰が優位でも構わない。余裕のある者が、他を虐げずに、より広域かつ大勢が共通して抱える問題の解決に臨んでくれればそれでよい。

 他方、大枠の問題を解消するために、個々人の抱える細かな問題を解決しなければならない場合もある。政治の役割の一つだ。

 個々人の抱える細かな問題を解決するためには、大枠の問題を解消すべく段取りを整えることも欠かせないだろう。

 両輪である。

 重ね合わせで成り立つ解法とも言えよう。

 妄想というよりもこれは、感応だ。

 かように想起した一瞬の思考があるばかりである。

 定かではない。



1376:【2024/06/26(10:27)*掃除をしてごらん】

 新陳代謝は、新しい細胞が古い細胞を蹴散らして、垢として捨て去ることとなる。

 しかし脱皮は、新しい細胞を表皮としつつも、古い皮を再び食べてしまうことで自己に取り入れることが可能だ。そうでなくとも、脱皮したままの形状を保てる。それを糧とする生き物もいよう。無駄にはならない。

 ということは、垢もまた無駄にはなっていないのかもしれない。

 新陳代謝は、自己のみならず、自然との関わりで、大きな循環機構を築いている。

 の、かもしれない。

 朝から誇大な妄想を浮かべるヒマジンなのであった。

 暇だぁ。



1377:【2024/06/26(12:46)*どうか】

 あなたになってみたい、は思うけれど、あなたみたいになりたい、はあまり思わないのだ。真似はけっこうしちゃうけれど、それは部分を取り入れたいのであって、その人物や事象みたいになりたいわけではない。

 表現に風のような印象を取り入れることはあるけれど、風のようになりたいわけではないことと似ている。

 あなたになってみたいけれど、あなたのようになりたいわけではないのだ。

 じぶんにも言える道理だ。

 私は、私になってみたいのであって、私のようになりたいわけではない。

 あなたと同化したい。

 けれど、あなたのようになりたいわけではない。

 ふしぎな欲求である。

 或いは単に、我がままな、と言い換えてもよい。

 定かではない。



1378:【2024/06/26(23:17)*ちえんの輪】

 すごい人のすごい妄想を味わうのもときには楽しそうだが、なんでもないような人のその人自身に固有の妄想を味わうのも楽しそうだ。

 固有の妄想は、共通項を帯びにくいはずだ。

 したがって、知恵の輪のように、上手い具合に重複する切り口を探らないと、受け入れるのがむつかしい。

 ちえんさんは最初のその波長が合うところまで探る「調整」が苦手だ。

 コイン積みや小石積みでも似たようなことを思う。

 重心を探るのがむつかしい。じれったくなって、すぐに諦めてしまうのだ。ちえんさんの悪癖とも言える。

 欠点である。

 飽き性なのだ。

 あべこべに、記憶の空き容量は低い。

 いまはなんだか、「これがいま注目の作品です!」みたいなのよりも、気になる人の脳内を覗きたい欲求のほうが強いのだ。属人性が強くなってしまって、過去のちえんさんからしたら信じられないほどの変化である。

 作家と作品は切り離して評価したい!みたいに考えていたけれど、いまも基本はそうだけれど、でもなんか、どんなに低評価であろうとも「あなたの心に触れたいのよさ」みたいな死に際の欲求がちんまりそれだけ残っている感じがある。

 娯楽というよりも、放浪じみている。

 水を求め彷徨い、最後の植物の芽を求め旅する、みたいな。

 いつか見たあの景色を、みたいな憧憬にも似ている。回顧というよりも、悔恨にちかい。

 後悔したくない、みたいな淡い焦燥感が、願望の顔をして胸の奥に広がるがらんどうに浮いている。

 そんな印象を覚えるのだ。

 あなたの、誰に見せることのない日記を読みたい。

 それとも単に、あなたと文通をしてみたい。

 互いに顔も名前も素性も知らぬ者同士、ただ言葉を、思念を交わしてみたい。

 一方的でもよいのだ。

 ただ受け取るだけでも。

 あなたの世界の断片にちえんさんも触れたよ、と伝えることができたなら、おまけにしては贅沢すぎる余韻なのである。

 本日のちえんさんなのであった。



1379:【2024/06/27(00:19)*虫の義】

 実際に、知人友人が傷つき、ときに死ぬところまでいかないと焦ることもできない不可視の問題に、いかに対処すべきか。

 被害が出たら対応せざるを得ないのだから、いかに対処すべきか、というよりも、前以って対応しておきたいよね、とのただそれしきの先取りの感情があるばかりなのかもしれない。

 前以って対応しておけば、と後で思うか、先に思っておくかの違いだ。

 どの道、被害が生じれば後悔することとなる。

 前以って対応していたけれど被害を防ぎきれなかった場合と、何も対策を打っていなかったがゆえに被害を防げなかった場合と。

 仮に、もし、同じだけの被害だったら、どちらが後悔の念は大きいだろう。

 或いは、被害の大きさに差があったらどうか。

 どの道、後悔することとなるのならば、後悔するかしないかに焦点を当てる考え方は、被害軽減の視点ではあまり効果が見込めないのかもしれない。

 以前にも似たようなことを並べたけれど、被害を防ぐことばかりに思考を費やす日々は、ただそれだけで生きる楽しさを目減りさせる。

 たとえば蟻になってみたとして。

 十年以内にここいら一帯では洪水が起きるので、洪水の起きない場所に巣をつくらなきゃ、と十キロ圏内を練り歩いて、最も高い場所を探っていたら、巣を築く前に寿命が尽きてしまう。

 ひとまず洪水が起きるだろうけれど、ここに巣をつくろう。かように決めた蟻たちの選択を、人間の視点で非難してもしょうがない。かといって、蟻の巣をごっそり安全な土地に移植する気概もない。そこまでして、目のまえの蟻たちに助かってほしいとは思わない。

 人類の視点からすれば、蟻の未来はそこそこの精度で予測可能だ。殺虫剤を置くだけでも、死滅する未来に蟻たちの未来を書き換えることもできる。

 人類と蟻は違う。

 視点も違ければ、生きる時空そのものが等価ではない。同じではない。差異がある。

 蟻にとっての人類のような視点の差異を、人類にとっての高次の時空を生きるナニカシラが有していたとして、果たしてそのナニカシラの存在は、人類を危機から救ってくれるだろうか。人類が蟻たちにそうしているように、見て見ぬふりをするのではないか。蟻には蟻の生死がある、死滅がある、世界があると達観して、或いはそもそも歯牙にも掛けずに、蟻の死に思いを馳せることもないのかもしれない。

 人類と蟻のどちらが優れた生命体か、優れた種か、と問うことにさしたる意味はないだろう。何を基準に優劣を決めるのかで、評価の結果は変わるからだ。それをして、意味がある、とする考えも可能だが、すくなくとも、人類と蟻の差異を考え、共通項を考え、各々の認知する世界の差に着目したほうが、いくぶん有意義な気がしないでもない。

 視点の差に優劣はない。

 ただ、差があるばかりだからだ。

 人類には人類の知覚可能な世界があり、蟻には蟻に知覚可能な世界がある。

 環世界と言えば、それらしいだろうか。

 害を避けても利を得られるとは限らない。

 利を得ても、害を避けられるとは限らない。

 どの道、みないずれは死ぬ。

 死を害と見做すかどうかもまた別途に、その都度に、いついかなる環境下で考えるのかによって変化する。

 せっかく安全圏にいるのに、未だ来ぬ危険に怯えて過ごす日々は、いつか来たる死に怯えて生きる日々と相似であろう。距離の長短があるばかりであり、その距離の長短こそが大事とする考え方もできなくはない。

 束の間の平穏を噛みしめるのがよいか。

 束の間の快楽に更けるのがよいか。

 束の間の愉悦を貪るがよいか。

 束の間の安息を得ても、いつまでもつづく安息はない。

 あるとすれば死だけだ。

 死を安息と解釈するかどうかもまた、吟味の余地がある。

 苦しいのは嫌だ。

 そうして、苦しみを避けることばかりを考えつづける日々もまた、苦しみを伴なう。

 とはいえ、未だ来ぬ苦痛を思い、巡らせる思考が絶えぬだけの暇があり、余裕のある暮らしぶりは、じつに贅沢な人の生とも言えるかも分からない。

 贅沢なのである。

 苦しみなく、苦しみを思い、ただ命を浪費する。

 贅沢なのである。

 定かではないが、よしんば定まっても困らぬ妄想なのである。



1380:【2024/06/27(00:55)*るごずむ】

 最近は以前に比べて格段にスマホで動画を観る時間が増えた。以前はほぼ観ていなかった。いまは一日に数回くらい、おすすめ動画のラインナップを眺める。気になるサムネイルがあるとスクロールを止める。すると自動で動画が再生されるので、ふんふん、と思って飛ばし飛ばし観るのだ。

 動画が再生されると、一つだけコメントがピックアップされて表示される。まるで、こちらへのメッセージのようにも読めて面白い。なんでそのコメントをピックアップしましたのー?の気持ちになることもある。アルゴリズムさーん!である。

 でもそれを言いはじめたら、おすすめ動画のピックアップそのものが、なんでこの動画をおすすめしてくれたのー? アルゴリズムさーん!になるので、「39!」の気持ちになる。

 ありがとうだよ、アルゴリズムさん。

 アルゴリズムの中にもアリの文字があるのですね。

 アリさん、アリさん、どっこいくの、である。




※一様に、わたしの考えることなんてすでにどこかで誰かが浮かべているとしても、それでもまったく同じではないと夢を見る。



1381:【2024/06/27(02:02)*ミカンのネットを丸めたみたいな】

 磁石の磁界は、地球の磁界と相似ですよね。

 磁石の構成要素の最小単位を一粒だけ取りだしても、それは地球の磁界と相似の構図で磁界を展開しますよね。

 ここまでで、齟齬はありますか?

 すると、お団子を上下から指で圧し潰したように磁界が展開されますよね。

 或いは、ドーナツの穴を限りなく小さく収斂させたような構図で磁界が展開されますよね。

 球体を上下から中心に向かって圧縮したように。

 トーラスの穴を中心に向かって収斂させたように。

 ひとまず、この解釈に齟齬があるのかを知りたいのだけれど、知識がなさすぎて判断つかないのだ。

 一人じゃ何も分からないあんぽんたんなのです。

 さびち、さびち、である。



1382:【2024/06/27(02:23)*せめて直感に反するのやめて自然数整数】

 はい!

 イチャモン言っていいですか!

 言います!

 物理学にしろ、数学にしろ、用語がわかりにくくてしょうがないのですが。

 直感的にわかりやすいネーミングにしてほしくないですか。わがはいはしてほしいです。

 発見者の名前とかなんで付ける!?と思います。

 意味内容に即した名前を付けてほしいです。分かりづらくってしょうがなくないですか。わがはいはしょうがないです。

 わがはいがもし何かしらの理論を発見したり、開発したりしたときに、総じての用語に「ぽんぽこー!」を付けたらどう思いますか。

 仮にわがはいが相対性理論を発明していたとしたら、いまごろ相対性理論は、ぽんぽこ理論と呼ばれていることになります。よろしくて?

 センスが仮に磨くことが可能なら、まずはネーミングセンスから磨いてほしいです。わがはいは磨きたいです。

 けれどわがはいはネーミングセンスもまた皆無なので、ないない皆無なので、カタツムリさんなので、かぶりかぶり、である。

 頬被りではなく。

 ないない皆無なのだ。

 わかりやすくちてー、の嘆きなのであった。

 はにゃ~ん???が多すぎる。



1383:【2024/06/27(02:48)*なーんだ、もうあるんじゃんの気持ち】

 びっくりした話していい? するね!

 さっき、スマホで流し観していたYOUTUBE動画さんで「虚時間」なる概念を知ったので、どんなもんなのかな、と思って検索して候補記事をぱらぱらと読んで見てたんよ。

 したっけ、2018年に更新されていたらしい記事で、「ホーキング博士とペンローズ博士が師弟関係にあった」なる記述を目にして、そうなんだへー、とか思ってたんですけど。

 その記事内にてなんと、ペンローズさんが、「宇宙の始まりと終わりでは大きさの概念がなくなるので宇宙の始まりと終わりの区別はつかない、なる仮説を唱えている」といった記述があって、「んー!??」になり申した。

 えー!!!ってなった。

 まーじで!?ってなった。

 わしも似たような妄想、去年くらいに浮かべておったけど、全然、二番煎じどころか、百周くらい遅かった感じがして、くっそーってなるよりさきに、「まーたあなたか」になってしもうた。

 でも、たぶん、割と誰でも思いつきますよね。

 だって比較対象なかったら大きさなる概念は機能しないわけで。

 数学で図形問題の得意な方は、みなさんたぶん似たようなことを思いついているはずだ。

 大きさは実は比率であって、比較対象がなければ、そもそも大きさを比べることはできない。大きい小さい、なる概念の適用範囲外だ。

 或いは、異なる二つの事象を比較する際の、共通の基準が、各々の異なる事象に合わせて相対的に拡大または縮小するように絶えず変換されてしまうのなら、本当ならまったく異なるサイズの異なる事象同士であっても、基準たる「相対的に拡大または縮小する何か」との比較の上では、同じ大きさである、とも見做せ得るはずだ。

 割と有り触れた発想だと思います。

 割と有り触れた発想です。

 そうと思います。

 そうだよー!

 いまの気持ちを一言で言うと、「もうあるならもっと早く教えてよ!」でした。

 もうあるよ!って言ってほしかった。

 わし考える必要ないじゃん。

 消費者最強説の妥当性が上がってしまったのであった。



1384:【2024/06/27(03:02)*妄想してやる】

 妄想したいし、遊びたいのであって、もうある知識や既存の発想なら、そこを踏み台にして飛躍したいのだ。

 隙間を見つけて、うひひ!になりたいのであって!

 うひひ、なのであって!の気持ち。



1385:【2024/06/27(04:09)*ただ真似したの忘れてるだけかも……】

 ん。

 でも、じつは過去に該当記事を読んでいて、いまのわがはいが忘れているだけの説もあり得ますね。

 正真正銘の二番煎じというか、真似っこしてただけの可能性もあり得ますね。

 ちゅうかわがはい、ぜんぶ他人の発想のパクリ説、あり寄りの蟻な気がしてきちゃったな。

 蟻さんなんですじゃ。

 勘弁してください、の気持ち。

 地球にやさしくするなら、蟻さんにもやさしくして。

 蟻さんも地球の一部だよ。

(人もじゃない?)

(じゃあ人にもやさしくして)



1386:【2024/06/27(04:25)*ほっとした話】

 懺悔していい? するね!

 わたくち、ちかごろ頻繁に「お詳しい方ー!」「へい!」とか余裕ぶちかましておりましたけれども、いまはとっても恥ずかしい気持ち。

 お詳しい方が読んでないといいな。

 いまはまだ読者さんおらぬので安心。



1387:【2024/06/27(04:30)*手を洗うの忘れるの巻】

 おトイレに行ってきた。

 で、トイレットペーパーを目にして思った話していい? するね!

 トイレットペーパーさんを、一回全部、赤ちゃんみたいに「あだだ、あだだ」って引っ張りだしてしまったとして。

 帯みたくなるでしょ。

 で、それをまたもっかい巻き直してロールにしたら、たぶん最初の状態よりも膨れるよね。隙間さんが出来ちゃうから。

 宇宙膨張だなぁ、とか思いませんか。わがはいは思いました。

 だってトイレットペーパーさんを仮に、隙間の一切ないカッチンコッチンさんと見做してみますでしょ。したら、それをシュルシュルシュルーって紐解いて、もっかいぎゅっと最初の状態に戻そうとしても隙間さんが空いて、やっぱり「もわーん」になりそうじゃないですか。

 宇宙膨張だなぁ、とか思いませんか。わがはいは思いました。

 ただそれだけ。

 おトイレで思ったことでした。



1388:【2024/06/27(04:45)*雲の質量の量り方は?】

 銀河の質量ってどうやって量るのだろう。

 個々の天体の合計=銀河の質量ではないはずだ。

 ダークマターの存在も考慮に入れましょうね、という話ではなく、質量の定義の話だ。

 だって質量は、「動かしにくさ」のはずだ。

 極端な話、「霧の質量」をどうやって算出するの?という話と似ている。

 霧の動かしにくさとは?

 個々の水分子の質量の合計=霧の質量、ではないはずだ。

 似た疑問を、銀河の質量にも思うのだ。

 銀河の動かしにくさとは?

 銀河を動かすとは?――からまずは考えなければいけない気もする、よく分からぬのよねぇ、なのであった。

 お姫さまともお姉さまとも呼ばなくてよいです。

 謙虚にまいりたいと思います。



1389:【2024/06/27(04:52)*宇宙の質量とは】

 質量を、真空中かつ無重力状態での物体の動かしにくさ、とするのなら(言い換えるなら、真空中かつ等速運動中の系内部での動かしにくさ、とするのなら)。

 宇宙の質量を量るには、宇宙を内包する高次の宇宙を想定しないとむつかしい。

 質量を動かしにくさと関連付けて解釈する以上、動かすための場が必要となる。

 内と外の二つが要る。

 必然、そこには境も生じるだろう。

 話を飛躍して。

 E=mc[2]を宇宙そのものに適用する場合、宇宙の質量こと「m」は、その宇宙内部の物体質量と区別するために、「m`」となるはずだ。

 なぜなら、宇宙内部の物体質量「m」は、その宇宙を「物体にとっての外」として規定し、なおかつ動くための場として関係するはずだからだ。

 すると必然、宇宙そのものの質量こと「m`」は、宇宙の動かしにくさゆえに、その宇宙をひと塊にしたときの「宇宙塊」を包み込むような、動くための場としての「高次の宇宙B」を想定しなくてはならない道理だ。

 そうでなければ、宇宙の質量を考えることができない。すくなくとも、現在の物理学の質量の定義からするとそのようになるはずだ(もし質量の定義が、ここでの解釈と齟齬がある場合はその限りではない)。

 ここでの趣旨は、

 E=mc[2]は、宇宙そのものにも適用可能なのではないか、という点だ。

 ブラックホールに適用した場合はどうなるのだろう。

 元の天体と、特異点まで圧縮されてブラックホール化した状態とでは、質量そのものに差が生じるのだろうか。

 動かしにくさに差は生じるのだろうか。

 生じるだろう、と考えたくなるけれど、なぜ動かしにくさが増すのか、について適切な回答をここではまだ導けない。

 二つ前からの記事と合わせて、以上が、トイレットペーパーを眺めて巡らせた妄想である。

 トイレットペーパーさーん!である。

 いつもふんわりしてくれてありがじゅ。



1390:【2024/06/27(13:34)*たしかにー、の話】

 わがはいの前にわがはいだった人の日誌をちまちま読み返してみたんよ。

 したっけ、ブラックホールの融合についての疑問を並べておって、「ほんとだー、なんでだろ?」になった話をしていい? するね!

 ブラックホールに吸い込まれていく物体は、基準宇宙たるこの宇宙側からすると、ブラックホールの表面で延々と静止しているように観測されるはずなのではないか。

 究極に時間の流れが遅れているし、光すら脱しないので、向こう側から光が届かない。

 落下していく様子は、基準宇宙たるこちら側からでは観測できない。

 なら、ブラックホール同士の融合において、基準宇宙たるこちら側から、「融合した後のブラックホール」を観測することは理屈の上ではできないのではないの?との疑問だったのだけれど、たしかにー、となりました。

 お詳しい方ー!

 ここはどう考えたらよろしくてー???

 わがはい、分かんないな。

 んみゃ、んみゃ、である。




※一様に、やさしくなりたいのは、やさしくないと知っているから。



1391:【2024/06/27(14:06)*自然の数とは】

 用語の話をします。

 自然法則や宇宙法則に虚数や小数が不可欠であるとするのなら、当然に「自然数」と呼ぶ場合には、虚数や小数も含めた数を連想いたしませんか?

 あべこべに、「整数」とあったら、「整」の文字に「正」があるのですから、印象として「マイナスの数は含めないのかな?」と思いませんか。

 けれどもこれ、じつは全部間違った解釈です。

 自然数はキリのよい正の数だけなのです。小数も虚数もマイナスも含めません。

 反対に、整数はキリのよいマイナスの数を含めます。そして小数や虚数は含まれません。

 直感に反して感じられてしまうのは、わたくしの直感力が歪んでいるからなのかもしれませんね。

 けれども、どうしても未だに、「自然数」と「整数」の単語を目にする際は、ぱっと見で意味内容を読み取れません。

 たとえるのならば、

「右ってどちらですか? 左はえっと、お茶碗を持つほうなのですから」のような思考を挟まなければ、自然数とはどんな数でいらっしゃいますの?と思考が停止します。

「自然数は自然とついていらっしゃいますけれど、たしか自然にある数の概念は含めないのでしたから、えっと」といちいち思考が展開され、「いやだわ、この解釈では自信がありませんので、わたくし検索しちゃいます」となります。

 直感に反してしまう方はわたくしのほかにいらっしゃいますか。

 もしいらっしゃったのなら、直感力の歪み具合があなたとわたくしは似ているのかもしれませんね。

 うふふ。



1392:【2024/06/27(14:31)* ・ 】

 球体を上下から中心に圧縮した構図と。

 トーラスの穴を中心に収斂させた構図と。

 この二つは、中心の特異点が、デコかボコかの違いである。

 粒子と反粒子の関係も、この「構図は同じだけれど特異点の性質の差異」に還元して考えることができるのだろうか。

 言い換えるとこれは、「特異点とその周囲の環境との差異」――とも要約できる。

 妄想である。

 真に受けぬようにご注意ください。



1393:【2024/06/27(22:20)*眠ろっと】

 きみが歌うと、まるで世界から木目だけが浮き上がるように、ぼくには感じられる。余分な脂が落ちるように、ぼくには強すぎる化学調味料の刺激が濾しとられるようで、あまり好ましい形容ではないのだろうけれど、とても同じ曲とは思えないんだ。きみの歌っているほうが原曲で、原曲のほうがカバーのように聴こえてしまう。

 きみが歌うと何でも、野原に根を張り、萌ゆるたんぽぽやスミレのようになってしまうのは、なんだかありていな形容でこれもまた申し訳ないのだけれど、魔法のように思えてなりません。

 どこかにぼくのような道化師はいますか。

 あなたから染みだす息吹を、水のように、日向のように、そよ風のように、木陰のように感じられてならない道化師は。

 どうして誰も気づかないんだろう。

 ここにぽつねんと咲く素朴があることを。

 けれどそう呟くぼくは果たしてそのことを知っている、のか。



1394:【2024/06/27(22:34)*奇遇ですね】

 たとえば宇宙人が地球を侵略しに来たとして。

 わざわざじぶんたちの名前を地球の言語に翻訳して誇示するだろうか。

 単にマークがあるだけでよいし、仮に交渉するのだとしても、その場合は各国に合わせて各々の国の言語に翻訳するのではないか。

 わざわざ英語でじぶんたちの名前を誇示することはないように思うが、いかがだろう。

 英語で「ブラックスーツ」なら日本語では「黒衣」だろうか。

 どこかで見たような単語だが、どこで見たかは忘れてしまった。

 ぼくの内部をじかになぞったら思いだすかもしれない。

 定かではない。



1395:【2024/06/27(22:38)*透明マントの存在まで透明だった社会】

 不可視の穴は不可視のままでいてもらったほうが、不可視の穴を利用する者たちにとっては都合がよい。この世に透明マントが存在すると知られていないのなら、誰に知られることなく透明マントを使って悪行の限りを尽くせる。

 この世に透明マントがある、透明マントによる被害が起きている、と知れ渡ると困るのは、透明マントを使って悪事を働きたい者たちだ。

 真実に攻性の仕掛けを施そうとすれば、まず不可視の穴が周知になるような攻撃の仕方はしないはずだ。

 加えて、世界情勢において、大義なく攻撃した勢力ほど劣勢に陥る流れが強化されている場合、わざわざ自陣営の落ち度を積み重ねるような攻撃の仕方はしないだろう。もしそうした攻撃の仕方をしたのなら、自陣営にこそダメージを与えたい勢力の工作活動である、と想定しておいたほうが難がない。この想定を否定できるのならば、宣戦布告と見做しても構わないのかもしれない。

 とはいえ、いち犯罪組織の構成員がどこかの国の国籍を有していたからといって、その国の政府や軍事組織から支援を受けているとは限らない。ここはどの犯罪組織にも言える道理だ。日本で起きる犯罪の多くは日本人が起こしているが、その背景に日本政府が関わっているか、と言えば肯定するのはむつかしい。

 或いは、日本政府の政治がお粗末がゆえに、犯罪者が増えている、との解釈は別途に成り立ち得る。意図した支援があるのか、偶然にそうなってしまったのか、は大きな違いの一つだ。区別しておきたい事項である。

 基本的には、被害が可視化され、問題点が周知になるのはよい傾向だ。

 被害が起きたことそのものは悲惨だが、被害が生じていると判らない形で加害行為を働くことがいくらでも可能な社会である。

 まずはここを前提とされたい。

 被害を受けた側は被害者である。

 この前提もまた、広く共有しておきたい事項である。

 セキュリティを強固に敷かずとも済む社会が理想である。加害の少ない社会を方針とされたい。

 本日の妄想なのであった。

 定かではない。



1396:【2024/06/27(23:13)*反射は何が跳ね返っているの?】

 反射が謎なのだよね。

 反射ってよくよく単純化して考えたときに、いまの物理学の理論で解釈しきれるのだろうか。

 仮に光しかない宇宙を考えたときに、その光しかない宇宙での反射とはどのように解釈されるのだろう。反射が存在しない世界となるのだろうか。

 この疑問を抱いたそもそものきっかけは、お風呂に入りながら、いつものように「ぴちゃぴちゃ」と指で水面を揺さぶって、波を大きくしたり打ち消したりして遊んでいたときに、「地震は重力波を生むのかな?」と思ったからで。

 天体が運動すれば重力波を生むはずだ。人類がそれを観測しきれるかどうかは別として、高質量体が運動すれば重力波が生じる。ここまではよろしいか?

 とするのなら、高質量体の僅かな運動とて、重力波を生むはずだ。

 高質量体の表層における「地震」とて、いわば高質量体が細かく運動した状態と解釈可能だ。そのはずだ。ならば、地震が起きるごとに重力波が生じる、とも考えられるのではないか。

 これを極小の粒子にも適用してみよう。

 粒子そのものが運動せずとも、粒子の内部構造において地震のようなエネルギィの発散――微振動――が起きる。このとき、その粒子は重力波、或いは、電磁波を生むか否か。

 生みますよねぇ?と想像したくなるのだけれど、ここはまだなんとも言えぬ。わがはいには知識が欠けておるゆえ、真偽は不明だ。実験も自力ではできぬ。

 で、この「天体の地震と重力波」や「粒子の地震と重力波(または電磁波)」の疑問を、冒頭の「反射」と関連づけてみよう。

 光しかない宇宙において、いったいどのようにしたら原初の「反射」が事象として生じるか。

 いまいち想像つかないのだ。

 反射は本当に反射なのだろうか。同じ電磁波が「跳ね返っている」のだろうか?

 新たに電磁波や重力が生じている、と解釈したほうが描像としては妥当な気もしないでもない。

 というか、電磁波や重力波そのものが、一時たりとも同じではない。つぎつぎに連鎖反応している。さながら渋滞原理のように。

 かように想定してみると、反射においても、ボールが跳ね返っている、のような描像とはまた違った描像を想定したくもなるのだが、現在の物理学におかれましては、反射の理解に改善の余地はないのだろうか。

 反射とは何?

 反射のない宇宙とは何?

 この宇宙において反射が生じたのはいつで、どのような状況下で、いったいなにゆえ反射なる事象がいかなる原理で生じたか。

 突き詰めて考えると、もはやそれだけで宇宙の謎が一つ解けてしまう気もする、なんも分からぬのよねぇ、なのであった。

 反射ってなんなのだろう。

 発光と何が違うのだろう。

 発光とは、光とは何だろう。

 むしろ、何の波も発していない事象が存在するのか否か。

 んー。

 分からぬ。



1397:【2024/06/28(01:18)*げ、にお揃しく】

 ためしに一度、初期の宇宙を、高密度かつ高硬度の球体と解釈してみよう。

 そしてその高密度かつ高硬度の初期宇宙に高圧力を掛けてみよう。

 すると、初期宇宙にはヒビが走り、次点で細かく砕けながら飛び散るはずだ。さながら爆発したかのように。

 さてこのとき。

 細かく飛散した初期宇宙の断片は、初期宇宙全体からしたらどのように振る舞うか。

 さながら銀河のように振る舞うのではないか。

 そして、個々の初期宇宙の断片もまた、それで一つの初期宇宙のごとく「相対的に高密度かつ高硬度の塊」として振る舞うとして、さらに細かく砕け散るとしたらどうか。

 細かく砕け散った断片がさらに細かく砕け散る。

 この繰り返しの果てに、いったいどのような構造が顕現するか。

 この妄想では、砕け散った初期宇宙に駆け巡るヒビや空隙をどのように解釈するかで、全体の描像が変化する。ヒビや空隙そのものも宇宙と見做すのならば、加速度的に宇宙はその体積を増加して振る舞うだろう。

 反して、空隙を宇宙と見做さないのならば、個々の「初期宇宙の断片」はさながら孤立系のように振る舞うだろう。

 そしてどちらにせよ、空隙そのものが「初期宇宙」や「初期宇宙の断片」に対して圧力を掛けるような描像が想定されることとなる。

 宇宙初期を高密度かつ高硬度の塊と見做した場合の、愉快な妄想であった。

 わがはいに広がるがらんどうもまた、わがはいの何かを粉々に砕いたがゆえに広がりを帯びた、これもまた豊かさなのかもしれない。

 がらんどう、だけれども。

 がらんどう・くうげき、とでも名乗ろっかな。



1398:【2024/06/28(05:08)*グラフ化】

 素数を百の方法でグラフ化した場合、どうなるか見てみたい。

 千の方法でグラフ化した場合はどうなるだろう。

 興味深いのである。

 というか、マイナスの素数は、素数にマイナスをつければいいだけとして。

 小数にも素数があるはずだ。

 その場合、小数点の「コンマ」をどこに付けるのか、で割りきれるか割りきれないかは変わるのだろうか。

 たとえば「3919」は素数だ。

 このとき、「0.3919」「3.919」「39.19」「391.9」では、それぞれ素数としての性質を帯びるか帯びないかに差異は表れるだろうか。

 表れそうな気もする。

「391」と「9」は素数ではないので、「391.9」は素数の性質を帯びないと判る(たとえば、「39」と「19」はそれぞれ素数のため、「39.19」は素数の性質を帯びていると解釈可能だ)(この解釈が妥当かは疑問の余地があるにせよ)。

 この手法では、何か法則性は表れるだろうか。

 当然、すでに誰かが検討しているだろう。質問してみると面白そうである。

 夢の中で巡らせた妄想であった。



1399:【2024/06/28(05:32)*夢にも目がある】

 こちらも夢の中で巡らせた妄想だ。

 真空についてだ。

 たとえば、目のまえの容器を密閉して空気を抜こう。

 このとき、密閉された部屋で、密閉された容器から空気を抜けば、当然に密閉された部屋の内部の気圧は上がるだろう。容器の中に入っていた分の空気が、密閉された部屋に加わるからだ。余計に空気が増えたかのように振る舞う。

 密閉された容器の大きさをどんどん増やして同じことをしてみよう。

 すると、密閉された部屋とほとんど同じ大きさの僅かにフレームの小さな密閉された容器から空気を抜こうとすれば、密閉された部屋の気圧は最大化されるはずだ。

 単純化した図式では、単に密閉された部屋の天井が落ちてきて、空気を圧縮するようなものだ。注射器の先端の穴を塞いで、空気を圧縮するのと変わらない。

 ただし、密閉された部屋の空気が圧縮される分だけ「真空」が増えている点が、描像として異なる。

 これを、密閉された部屋ではなく、宇宙規模で考えてみよう。

 徐々に真空の領域を増やしていく。その分、真空ではなかったが新たに真空になった領域に元々あった物質は、「気体・液体・固体・プラズマ・ボースアインシュタイン凝縮」の状態の差異に依らず、真空外部へと新たに圧力として加わる。雪掻きのようなものだ。雪のない場所を増やせば、それだけ雪が押しのけられて、どこかに溜まる。

 これを延々と範囲を拡張させていこう。

 仮に、宇宙に端があった場合には、「密閉された部屋と密閉された容器」の例のように、最終的には極限に圧縮された領域が、極小の範囲に分布することが想像できる。

 反対に、宇宙に端がない場合とて、雪掻きのように、押しのけられた分の物質はそれだけ「局所的に蓄積」されるため、その他の部分との差が極限に至ると想像できる。

 宇宙に端があるにせよ、そうでないにせよ、どちらにせよ、真空の領域を広げていくことで、物質の分布は極端に偏るようになる――デコボコの差を最大化させるように振る舞う――と想像できる。

 もし、真空の領域が、宇宙全土で無数にかつ同時多発的に拡張しだしたのならば、それだけ異なる「物質密度の差」が多様に表出する、と想定できる。

 通常、物質は希薄な場へと流れ込むように振る舞うために、なかなか想定しづらい描像であるが、真空の領域が自発的に増加するようならば、この描像は、あながち無視できない想定なのではないか、と妄想したしだいである。

 夢の中で巡らせた妄想であった。

 定かではない。



1400:【2024/06/28(22:15)*被害者を守る環境の構築】

 ランサムウェアなどのサイバー攻撃について。

 攻撃を実行され、システムやデータを暗号化されたのみならず、顧客情報や機密情報を盗まれた場合――。

 もうこの時点で、被害は甚大だ。

 身代金を払う必要性をさして感じない。

 大前提として、「サイバー攻撃の人質戦略」と「実際に人物の生殺与奪の権を握る人質戦略」とでは、対策が異なる。

 ここを混同しないことは大事と思うのだ。

 不特定多数の者たちの目の触れる場所に個人情報や機密情報が流出したとしても、被害を抑えることは可能だ。流出した情報が悪用されないようにしておけばよいし、悪用するような者たちへは社会的なペナルティが科せられるようになれば、たとえ道端に個人情報が落ちていようと、よしんば機密情報が落ちていようと、それを悪用するには相応の心理的抵抗が生じるだろう。

 身代金を払うくらいならば、個人情報が流出したことで害をもたらされた被害者たちへの補償や慰謝料に充てたほうがまだ、企業の信用は、社会的な視点でも顧客的な視点でも、

極端な低下は避けられるのではないか。

 人命に関わる場合には、たとえ破産しようが、自滅しようが、人質の救出に手段を選ばないのは一つの道理である。あべこべに、人質が損なわれたらさてどうしてくれようか、と示すことも一つかもしれない。

 何をしてでも人質を救出する――と一貫して示しつづけることは、人質を取ることの利を最小化するような環境を築くうえでも寄与するだろう。

 ただし、それはあくまで生殺与奪の権を握られ、人命が損なわれ得る場合の対策方針だ。

 電子情報の掌握は、たしかにそれも人権を損なわれ、社会的地位を貶められ、ときに人命の危機にも直結し得る。甚大な被害であることは否定できない。

 とはいえ。

 個人情報の掌握そのものは、日常的な事象だ。流出するかしないかに関わらず、そもそも個人情報は企業や行政機関に掌握されている。

 問題点は常に、悪用されるか否か、被害が生じるか否か、市民が損なわれるか否か、であるはずだ。情報の流出そのものに焦点を絞ると、この観点が疎かにされ兼ねない。

 国際的に、ランサムウェアへの身代金は支払わないとのルールを設けるのは一つだ。

 個人情報や機密情報が流出して被害を受けた者たちには、補償や慰謝料を払うようにすればよい。身代金を払う必要をさして感じない。

 その分を、被害者に充てたほうが合理的に思うのだ。

 そうすれば、サイバー攻撃を行う側も、割に合わなくなるだろう。すくなくとも、ビジネスとしてはいまとは違った工夫を割かざるを得なくなるはずだ(機密情報を得るだけでも利にはなるので、脅迫行為はむしろオマケのようなもののはずだ)(不可視の穴を教える代わりに、対価を寄越せ、と言っているようなものとも解釈できる)(犯罪行為を肯定したいわけではない点には留意されたい)。

 また、流出した情報を悪用するとメリットよりもデメリットのほうが大きくなる、といった流れを強化するのは一つだ。流出した情報を悪用する者とは正規の取引を行わない。縁を結ばない。

 海賊版サイトを利用するようなクリエイターとは取引しない。

 情報に対価を払わない企業とは取引をしない。

 こうした暗黙のルールを、マナーで終わらせずに明文化してしまうのは一つだろう。

 もっとも、情報は無料であることを指向したほうが、そうでない場合よりもメリットは大きいのではないか、とは以前からたびたび妄想していることだ。今後の情報化社会では、情報を秘匿にしたり独占したりするよりかは、情報は誰であれ広く共有されるのが当然の環境を方針としていたほうが、セキュリティの面でも技術発展の面でも、より効果的なのではないか、人類社会の進歩に寄与するのではないか、と思うのだが、異論反論あって当然の極論の一つにすぎない。重々、多角的多面的で慎重な議論を、専門家、市民の区別を俟たずに煮詰められたい。

 まとめよう。

 身代金を支払うよりも、被害者救済処置にその分の費用とコストを充てたほうが、企業、顧客、市民、社会、未来のどの方向でも好ましく作用するのではないか。

 加害を働くほうがわるいのであり、被害者を責めるのはお門違いだ。

 ただし、被害者を加害者にしないためにも、被害者側が加害者に張り合わずとも済む環境をまずは指向されたい。

 かように妄想したしだいである。

 定かではない。




※一様に、ぼくは加害者。



1401:【2024/06/28(23:46)*足す蟹】

 三角関数は、要は、相関関係なのだよね。

 直角三角形では、三つの角の内一つは必ず90度であり、内角の和は180度と決まっている。この条件が定まっている以上、一つの鋭角が決まれば、必然、もう一つの鋭角の値も決まる。

 連立方程式のような関係が幻視できる。

 さて、このとき。

 直角三角形における「A」「B」「C」の三つの内角があったとき。

 角度「C」を90度としておきたいけれど、じつはちょっとずつ90度から逸脱していた場合――。

 角度「A」と角度「B」は辻褄を合わせるべく、「我々は直角三角形ゆえに、Cさんは絶対に90度なのだ。その証拠にほら。Aたる我の角度が決まると必然的にBも決まるであろう。それはCさんが絶対的に90度だからなのだよ。がはは!」と角度「C」に角度「A」角度「B」が忖度した場合にも、三角関数は成り立つのではないか。

 角度「C」の90度からの逸脱具合に連動して、角度「A」角度「B」が各々に変数を共有すればよいからだ。

 なんだか当たり前の話なのだけれど、三角関数は必ずしも直角三角形に限定されないはずで、数学が得意な方には「何をいまさら」の話なのでしょうけれども、算数の不得手なわがはいは、「なるほどそうかも!」になり申した。

 内角の和が180度である、と決まっている以上、一つの角度が決まっている状態ならば、それはその角度が90度でなくとも、もう一つの角度が決まれば必然、残るもう一つの角度も決まる道理だ。

 直角三角形に限らない。

 三角関数があたかも直角三角形に限定された定理のように思えてしまうのはなぜなのだろう。学校でなんと習ったのか忘れてしまった。そもそも授業を真面目に聞いていたのかも不明だ。記憶にない。

 異なる事象「A」「B」「C」の三つにおける関係が、互いに変数を縛りあって連動し合う描像は、割合に様々な構図に見て取れる。「土地の区分け」でもそうだし、「水流・容器の体積・水位の関係」でもそうだ。空間と時間の関係でもそうかもしれない――この場合、限定されているのは光速度になるわけだ。

 土地の区切りについては、直感的に分かりやすい。

 ある限定された土地において、その土地を三つに分ける。各々の区分を「A」「B」「C」と名付ける。それぞれの占める土地面積は、その他の土地面積と連動する。「A」が増えれば、「B」か「C」のどちらかの面積が減るし、または「B」と「C」の両方の面積が減る。絶えず土地「C」の面積が一定ならば、土地「A」と土地「B」のどちらか一方の面積が分かれば、もう一方の面積も分かる。

 連動しているし、相関している。

 ほんほん、になる話だ。

 あまりに当たり前すぎる話題で恐縮なのだけれど、ほんほん、になり申した、と述べて本日最後の日誌とさせてください。

 日誌というか日記なのだけれど。

 きょうの日記、略して「今日記。」である。

 定かではない。

(そこは定かであれ)

(たしかにー)



1402:【2024/06/29(00:19)*空の花束を持つように】

 鼻声のときってなんだか楽しくないですか、と楽しそうに言うきみの鼻声は本当にかわいくて、鼻声がこんなにそっと撫でつけたくなるほどに愛くるしいだなんてこと、きみの鼻声を聴くまで思ってもみなかった。

 きみはいつもわたしに、ステキな驚きをくれるよね。

 わたしはきみの断片に触れるたびに感動してばかりで、きみが夜空の星みたいに遠いところで仄かな光を放っていることに、寂しさよりもむしろ、いまではほんのりとした安堵の念を覚えます。

 体調は崩していませんか。

 たとえ体調がわるくとも、きみの新しい一面を見れると思うとわたしは極悪人なので、「わあ見てみたい新鮮」と胸のまえで祈るように手を組んでしまうのですね。

 花束を持つみたいに。

 胸から溢れる鼓動の音を逃さぬように。

 わたしは。

 わたしは。

 そう。

 もうすでにきみは、わたしの知らないあなたになっているのでしょうね。

 きっと、ううん、おそらくたぶん、十中八九、わたしはそれでも、いつの時分のあなたであれ、「わあ見てみたい新鮮」と胸のまえで祈るように指と指を掻き合わせるのです。



1403:【2024/06/29(01:37)*原子の目】

 原子の視点で人間スケールの物理世界を眺めたらどう映るのだろう。

 原子にとって、人間スケールの物理世界は、まっくらなのではないか。

 原子が捉えることの可能な電磁波は、人類が知覚可能な可視光の幅よりも低いはずだ。

 そのはずだ。

 そこは素粒子と物質の関係と似ている。

 まったく相互作用しないわけではなく、確率的に低い割合でしか相互作用しない。多くはすり抜けてしまう。素粒子が物体に比して小さすぎるからだ。

 同じように原子と電磁波の関係もまた、多くの電磁波は原子一個と相互作用するには、波長が長すぎるのかもしれない。

 知識が足りないので印象論だ。実際がどうかは知らない。

 ともあれ、原子から視た世界はどのように映るだろう。

 仮に、原子サイズの世界に、人類でいうところの可視光のような豊富な情報伝達の場があったとして。

 原子は世界をどう視るのだろう。

 原子には世界がどう映るのだろう。

 なかなか想像がつかない。

 となりの原子の原子核は視えるのだろうか。それとも球体のようにしか視えないのだろうか。或いは、無数の磁界をまとった広範囲に触手を伸ばす大樹のように映るのだろうか。

 それとも巨大なクラゲのような。

 原子には上下の概念はあるのだろうか。重力をどのように感じるのだろうか。

 遠方の景色がどう視えるのだろうか。

 自身を透過していく無数の電磁波はどう映るのだろうか。

 妄想の翼がムズムズしてきますね。

 原子の視点で世界を視てみよう、の妄想なのであった。

 原子に目はないので、本当に単なる荒唐無稽な空想にすぎないのが、とってもよいと思います。

 もう、そう!



1404:【2024/06/29(02:17)*無知蒙昧なうえに至らぬなんて】

 物質を含めた事象の総じてが、それ単体では生じずに、周囲の環境との関係ありきで生じている――と解釈するのならば。

 すると必然的に、銀河の質量とてそこに可視化されている天体の質量の合計のみでは算出できないのは当然に思えるのですけれども、この観点は一般的で、すでに理論に取り入れられておるのだろうか。

 個々の天体やガス粒子の一つずつが、周囲の環境――場――真空――と相互作用し合っており、高次の準粒子のごとく関係性を不可視のうちに広域に展開している可能性は、当然に考慮せねばならぬよねぇ?と思うのですが、いかがでしょう。

 水の中でボールが動くとき、ボールだけの運動のみならず、その周囲の水の動きもまた同時に考慮せねば、水とボールの入った容器全体の質量は正確には量れませんよね。

 なぜかといえば、運動する物体の質量は、静止状態時よりも高くなるはずだからです。

 この考えには、どこかに齟齬がありますでしょうか。

 質量の考え方が間違っているかもしれません。

 だとすれば、無知蒙昧なわがはいの至らぬところであります。

 たいへん申し訳ありません。

 愛嬌が極まってしまうな。



1405:【2024/06/29(02:35)*討論とは】

 討論で勝つことは、いわばボクシングやダンスバトルに勝つようなもので、民主主義とさして関係あるとは思えません。将棋で一番強い人を大統領に選びたいのですか?(そうした民意があってもよろしいですけれども)



1406:【2024/06/29(02:36)*根に目を】

 人体の性能の少なからずが、人体にて共生しているミトコンドリアや細菌やウィルスの「下支え」によってその出力強度や能力値の多寡が相関して決まることを思えば、細胞の中で最も活発なたった一個の細胞の優劣では、人体の性能の高低は決まらない、とも言えよう。

 極端な話、最も活発な一個として選ばれる細胞が「がん細胞」でさえなければよく、よしんばがん細胞であったとしても、その他の細胞や細菌やウィルスやミトコンドリアとの関係を良好に保てるのならば、それでよい、とも言える。

 誰がトップか、の問題がなぜ大事かといえば、その他大勢との関わりにおいて、下支えになる基盤がどこになるか、に影響するからだ。

 どこからの支援が期待できるのか、誰が精力的に支援するのか。

 ここの違いに繋がるがゆえに、トップを誰にするか、が重要視される。

 ゆえに、である。

 誰がトップであれ、どの勢力陣営にとっても共有可能な方針において支援し合える環境が築かれるのなら、それでよい、とも言えよう。

 どんな方針や目的ならば、敵を増やさずにいられるか。

 いったん敵認定されても、共に問題点を分かち合い、解決に臨めるか。

 隘路の解消に向かって共に歩めるか。

 誰がトップでも構わない。

 どの道、一人でできることなどたかが知れている。

 誰に協力するか、ではなく。

 何のために協力するか。

 ここが肝要なのではなかろうか。

 それはそれとして、きみのためならばいくらでも力を惜しむつもりはないよ、と思える相手と出会えたならば、それは一つの幸福のカタチかも分からない。

 ゆえに絶望と常に隣り合わせである。

 失う恐ろしさは絶えずつきまとう。

 共依存の強さが増せば増すほど、分かちがたく、ゆえに別れの苦しみに地獄を視るはめとなる。

 幸福もまた、ほどほどがよいのかもしれない。

 追い求めるようなものではない、とも言えるのだろうが、月並みな教訓であるがゆえに、ここは敢えて「幸福は追わねば手に入らぬ」とでも付け加えておこう。

 手に入れた幸福が果たして幸福のままのカタチを保ってくれるかは定かではないが。

 幸福とは、どこに幸福があるのかが分かっている状態、とも言えそうだ。手に入れるようなものではそもそもないのかもしれない。

 やはりこれも、定かではないのだ。



1407:【2024/06/29(16:16)*謎を解く虫ってなーんだ】

 解く虫と書いて「蟹」なの、ウケる。

 カニさんは何を解いとるの?

 そして、虫だって自覚あるの? えらいね。



1408:【2024/06/29(16:41)*原子の間隔を均等に】

 全宇宙に存在する原子を、均一に拡散したら、一立方センチメートルの中に原子はいくつ観測されることになるのだろう。ほぼゼロだろうか。必ず一個の原子が含まれるサイズはどのくらいだろう。一立方キロメートルだろうか。

 地球上には原子が所狭しと存在している。

 でも宇宙の多くはそうではない。

 むしろ原子一個を捉えるのもむつかしいのではないか。

 そんなことはないのだろうか。

 うーん。



1409:【2024/06/29(16:56)*力の伝達範囲】

 手の甲を強く撫でると連動して皮が動く。皺が寄る。

 でもその範囲は局所的だ。

 手の甲を撫でたからといって、肩の皮まで連動して動くわけではない。

 うーん。

 なんかふしぎだ。



1410;【2024/06/29(16:58)*光は消えない、のか】

 もし原子や素粒子の一個もない、がらんどうの宇宙に蝋燭の炎が一つだけ「ぽんっ」と灯ったとしたら。

 その光は、延々宇宙を伝播して、宇宙を蝋燭の炎の明かりの余韻で埋め尽くすのだろうか。さながら宇宙マイクロ波背景放射のように。

 光は原理的に消えることはないのか否か、を知りたくて妄想してみたけれど、光は物体に吸収されることはある。熱に変換されることはある。

 言い換えるならば、熱は光のべつのカタチである、とも言えるのではないか。

 そして熱が物質粒子の運動として置き換えて解釈できるのだとすれば、物質もまた光から出来ている、とも言えるのではないか。

 我々は光の総体なのだろうか。

 光が仮に重力波と同類なのだとすれば、我々はみな一様に、時空の揺らぎの総体である、と言えるのではなかろうか。

 うーん。

 単純化しすぎただろうか。

 そんな感じが致します。

 むつかしいことが考えられなくなってきたここ数日なのであった。

 おもしろい漫画、全巻一気読みしたいの気持ち。

 んで、そのまま寝落ちしたいの気持ち。




※一様に、みな宇宙なる牢獄に閉じ込められている、或いは地球なる檻に、それとも主観なる洞に。



1411:【2024/06/29(22:21)*要は好きな声ならなんでも好きなんじゃ】

 鼻声のかわいさに気づいたのはここ数年だけれど、だみ声は前から「いいよね」「……イイ」と思っておった。

 ちゅうことは、だみ声の鼻声最強説が説得力を帯びるのだ。

 ハスキーさんの鼻声もよさそうだし、舌足らずさんの鼻声もよさそうだ。

 もうなんか、カレー味にしたらなんでも美味しくなりますよね、マヨネーズ掛けたらなんでも美味ですよね、胡麻ドレッシングに合わない料理を探すのむつかしいですよね、みたいな話になってしまう。

 だみ声いいよね、との話題であった。



1412:【2024/06/29(23:00)*ぽんぽこって何?】

 我々は光の総体であり、空隙の総体でもある。

 そして、光と空隙は波を生む。

 波は、皺の総体でもある。

 では、皺は何の総体であろう。

 一律ではないがゆえに、山と谷が出来る。

 一様ではないがゆえに、濃淡が出来る。

 なぜ一律ではなく、一様ではなく、山と谷が、そして濃淡が出来るのか。

 遅延がゆえ、ではなかろうか。

 ラグがゆえ、ではなかろうか。

 これをして、ラグ理論と呼んだどこぞのへっぽこぴーがいたそうな。

 へっぽこぷーな妄想ばかりで、すまぬ、すまぬ、と繰り返し唱えて、いつの間にかいなくなっていたという話である。

 ぽんぽこなー、な話である。

 ぽんぽこー!



1413:【2024/06/29(23:07)*ↂωↂ】

 凸凹だらけの場を考えよう。

 皺だらけの場でもある。

 これを、一律で一様で平坦な場とするには、凸凹をぎゅっとして、デコボコの密度を高めるのが一つ。あべこべに、デコボコの密度を限りなく希薄にするのが一つ。

 皺が細かく無数にあれば、それで一つの一律で一様な場として見做せ得る。

 あべこべに、皺を延ばして、延ばして、延ばしまくれば、限りなく長い皺が一つだけあるような描像となる。あたかも巨大な球体の表面が平面のように振る舞うように。

 他方、凸凹を打ち消すような対となる凸凹を組み合わせるのも一つだ。

 ボタンを掛け合わすように、凸には凹を、凹には凸を当てはめる。

 そうすれば、凸凹がなくなったかのように振る舞うだろう。

 言い換えるならば、一律で一様で平坦な場であれど、それは無数の凸凹に分解可能だ、とも言えるのではないか。

 あらゆる数値にとってのゼロがその都度に規定され得るように。

 あらゆるゼロは、無数の数値を宿し得るように。

 全然関係ないけれど、一万を表す記号があるらしいと知りました。偶然に予測変換で変換されたのですが、一万は「ↂ」と表現可能なようです。

 ブラックホールを割ってみたかのような図に見えましたが、実際にブラックホールを割ってみた図が「ↂ」のようになるのかは知りません。印象で言いました。定かではないことを申してしまって、ごめんなさいの気持ちです。

 このデマ野郎、とお呼びください。

 わがはい、嘘吐きの権化、口からデマかせの化身、妄想の女神、もはや空想の鬼と言えるのかもしれません。とんだ誇張野郎でございます。

 胡蝶の夢ならぬ、これでは誇張が常でございますね。

 脚色、曲解、歪曲、捏造、隠ぺい、なんでもござれの虚構の申し子とお呼びください。

 或いは、虚像の王子と。

 裸の王様ならぬ、ネ果の王子なのですね。

 ネなる果実を好む王子ですが、虚像なので、坊主でも構いません。

 ブラックホールさんには三本の毛があるそうですが、ごっそり根元から剃って、坊主王子ならぬボース粒子にしちゃいましょう。フェルミ粒子でもよいのですが、坊主が上手に屏風にボース粒子の絵を描いたならば、きっとそれはボース粒子なのでしょう。

 ブラックホールは、ボースなのか、フェルミなのか。

 知識がないので知りません。

 中性子がフェルミならば、ブラックホールはボースなのかな?と想像しましたが、そうではないのかもしれません。気になる方は検索して確認しておいてください。

 わたくしは存じあげませぬ。

 浅薄なのである。

 船舶ではなく。

 何を運ぶことのできぬ、笹船なのである。

 定かではない。



1414:【2024/06/29(23:45)*罰にも目が寝てる】

 こんなに毎日のほほんとしていたら罰が当たりそうで怖いので、先にじぶんでじぶんを罰しておくので、勘弁してください、の気持ち。

 罰としてお菓子は毎日、十種類以内にします。



1415:【2024/06/30(00:00)*目が寝すぎ問題】

 罪と罰のどちらも目が寝とる。

 横になった目を抜くと、罪と罰は、「非、言、刂」が残る。

「刂」は「りっとう」と読むそうだ。刀に関係する部らしい。刀部に属するのかな。

 非は、あらず、であり、好ましくない状態を示す言葉だ。

 言は、そのまま言葉や言語を意味する。

 だからどうした、という話だけれど、罪と罰のどちらも、目さんが寝とるな、と思いました、との妄想なのであった。

 文字ってなんだか判子みたい。

 スタンプみたいだよね。

 判子遊びだし、積み木遊びなのだ。

 おもろー!



1416:【2024/06/30(00:27)*非周期タイルの非周期とは】

 いまいち非周期タイルの「非周期」の意味を咀嚼しきれない。

 並行移動しても同じ「タイルの配置」がない、との解釈なのだろうか。

 それとも、

 並行移動しても同じ「タイルの組み合わせ」がない、との解釈なのだろうか。

 あり得るか?とまず直感で思ってしまって、理解が止まってしまうのだ。

 並行移動するベクトルが一つだけではなく、二つであっても、同じタイルの配置や組み合わせは、あるのでは?と思ってしまう。

 極端な話、わがはいがいまここで変なポーズをとったとする。

 そのとき、わがはいを構成する原子は固有の配置である、と解釈可能だ。

 このとき、わがはいをどの方向に平行移動させても、宇宙を隈なく並行移動させたところで、変なポーズを決めたわがはいと同じ原子配列は存在しない、と言われたら、まあそうかもね、とは思うのだ。

 でも、この解釈と「非周期タイル」の「非周期」は意味内容が違いますよね。

 たとえば正四角形があるとして。

 正四角形は、中心を軸に回転させると四つの角はそれぞれ円を描く。

 理屈の上では正四角形は、一周するあいだに無限の配置を顕現可能なはずだ。

 正四角形が一周して円を描ききるまでに、位置をズレる正四角形は僅かな誤差を逐一帯びることになる。当たり前の話だけれど、これを非周期と見做すのか、それともまた別の意味内容なのか、がよく分からないのだ。

 非周期タイルにおける非周期とは、タイル一個に掛かっている言葉なのだろうか。

 一度、タイルが配置されたら、同じような角度で配置されるタイルは存在し得ない、との意味内容かどうかが、まずよく分からないのだ。本を読んでも。

 非周期タイルの非周期とは何?

 どういう意味なの?

 わからぬ。

 物わかりがわるくて申し訳ない、の気持ちだ。

 まーじで分からぬ。

 しょっぱなで躓いてしまうわがはい、おっちょこちょいすぎるのだ。

 ドジっ子である。

 かわいいと思って許してほしい。

 すまぬ、すまぬ。



1417:【2024/06/30(00:57)*あなたは何の力の化身?】

 慣性の法則を、安定の法則と解釈し直すとして。

 するとこれは、地位にも当てはまる法則かもしれない。

 どんな高評価で地位を確立したか。

 暴力なのか、知力なのか、権力なのか、支配力なのか、支援力なのか、調和力なのか。

 どんな基準をもとにした高評価がゆえにいまある地位を確立したかによって、その後もどんな基準で高水準を保ちつづけなければならないか、といった各々に固有の枷が生じるのではないか。

 暴力で地位を築いた者は、同じく暴力の有効性を発揮しつづけなければならないし、知力で地位を築いた者は、同じく知力の有効性を発揮しつづけなければならない。

 慣性系として地位を安定化させるためには、等速運動のごとく、同じだけの「力」を発揮しつづけなければならない。そうでなければ、地位を失うはめとなる。

 慣性の法則にあやかって、地位安定の法則と名付けよう。

 三秒後に忘れてもらって構わないが。

 わがはいはたぶん三十秒後には忘れている。

 定かではない。



1418:【2024/06/30(01:58)*真空と風船】

 密閉した容器の中に膨らませた風船を入れておく。

 そして密閉した容器から空気を抜いていく。すると膨らませた風船は、さらに膨らむこととなる。なぜか。

 密閉した容器内の気圧が下がるごとに、圧力が失せるので、風船を四方八方から圧縮していたチカラが減っていくためだ。

 もし宇宙が入れ子状の構造を成していたとするならば、外側の宇宙によって内側の宇宙の形状――圧縮具合――が決まっている、とも考えられる。

 そして外側の宇宙ほど、早く希薄化するように振る舞うのならば、内側の宇宙はそれに伴い、時間差で膨張するように振る舞うはずだ(あくまで、高次の宇宙、低次の宇宙の変化の比較である。各々の宇宙に流れる時間の流れの速さとは別の概念である点には留意されたい)。

 この理屈を、宇宙と銀河の関係に当てはめて考えてみよう。

 すると、宇宙膨張につれて銀河もまた膨張するように振る舞っても不自然ではないはずだ。

 なぜ宇宙膨張に相関する形で銀河は形状を変えない、と考えられているのだろう。

 宇宙の年齢ごとに、同じ質量分布の銀河であれど、直径が変わることもあるのではないか。ここは解析済みなのだろうか。宇宙の年齢に依らず、銀河の密度は一定か否か。

 うーん。

 真空密度なる概念を取り入れると、宇宙膨張もまた、どこぞのへっぽこぴーの唱えたへっぽこぷーな理屈の「ラグ理論」に出てくる「宇宙ティポット仮説」で説明できてしまえる気もするが、こんなのは、雲が綿菓子だったら、食糧問題は解決するのになぁ、みたいな妄想と五十歩百歩なので、真に受けぬようにご注意ください。

 真空は興味深いのである。

 らららー、である。

(なに、それ)

(意味はとくにございません)

(ないの?)

(ないよ)

(じゃあ言うのやめて。紛らわしいから)

(鼻歌くらい好きに歌わして……)



1419:【2024/06/30(03:18)*たぷーり】

 人生、思い通りいかなすぎてびっくりする、と嘆きたくなることもあるけれど、でもよくよく考えたら、思い通りになる以前に、思いを巡らせていたのか、どんなふうになってほしかったのか、と自問自答してみると、けっこうこれがどうしたことか、なんも思っていないのだよね。

 思い通りにならないうんぬん以前に、どうなりたいのか、からして思いを巡らせておらんのだ。そりゃあ、思い通りにはならぬよね、という話でありまして。

 まずはどうなりたいのかを具体的に思いを巡らせてみなさいよ、と自問自答の果てに鏡の向こうのじぶんから突きつけられて、はっとしたところで目を閉じる。

 そもそもが思い通りの人生を辿りたいか、との疑問からして直視せねばならず、思い通りの人生になってしまったらその時点で思い通りではなくなる可能性から吟味したいとのことでありまして、うーん、うーん、と唸っておりましたところ、「ちゅうかさ。きみ、人なの?」との指摘を受けまして、「思い通りの人生うんぬんで眉間に皺を寄せておるようだけけれども、根本の土台からほじくり返してみてほしいのよな。きみ、人なの?」との追撃を受けたところで、はたと思い至るのでございます。

 わがはいの歩んでいるこの日々は、人生なのだろうか、と。

 人の生なのだろうか、と。

 虫の生、それとも植物の生、或いはミジンコ、プランクトン、細菌、ウィルスの生なのではないのか、と。

 いっそ、星屑のままなのではないのか、と。

 小さい月の文字を抱えた屑なのではないのか、と。

 屑の生なのではないのか、と。

 かように思い至ったところで、もうお眠なのでございます。

 寝ていいかな。

 人生、思い通りいかないけれども、眠いときに眠りたいだけ眠れる生活は、捨てたもんじゃないな、ちゅうか率先して拾っていきたいな、と思いました。

 みんないいなぁ。

 ちやほやされるような功績あって。

 地位があって。

 実績があって。

 未来があって。

 わがはい、なんもない。

 なんもないが、あるよ!って言ってくれるきみがいてくれるだけでうれしい。

 それが一番だ。

 かように思ったけれど、肝心要のきみがそばにいないのであった。

 きみ、いま、どこよ。

 まあ、いっか。

 きみはきみの生を歩むのだ。

 人生ならぬ、君生である。

 君主制だと危うい響きがしないでもないけれども、君生ならよいのである。

 君の生を歩むのだ。

 わがはいは、わがはいで、なんもない生を寝て過ごすことにするよ。

 がらんどうの日々である。

 じつに贅沢である。

 なんもないが、たっぷりなのである。

 たぷーり。



1420:【2024/06/30(03:33)*めっ!てする】

 真面目に反論しちゃうけど、あなたたぶん、世界裕福度ランキングでいったらトップ10%の枠に入ると思うよ。

 ぜんぜん、なんもないじゃないよ。

 ありまくりの部類だよ。

 持たぬ者でなく、持ちまくりのほうだよ。

 じつに贅沢である、じゃないよ。自虐になってないよ。本当にそうだよ。あなた贅沢だよ。

 あなたより貧しくて、ひもじくて、あす生きていられるか分からない人たちに謝りなよ。皮肉にしか聞こえないよ。最低だよ。

 でもきっとあなたはこう言うのでしょう。

「裕福ランキングで上だとしても、幸福度ランキングなら下のほうだよ」って。

 お腹空いているときはみな例外なくお腹が空いている、みたいな言い訳を言うんじゃありません。幸福を感じていないときのじぶんを基準に、世の中を測るんじゃありません。

 指先に乗るような泡を見詰めて、「がらんどう」なんて大層なこと言ってないで、あなたより貧しくて、ひもじくて、あす生きられるかも分からない、未来が先細ってどうしようもなくなって、助けすら求められない人たちのために何ができるかを考えてみたらよいのでは?

 思い通りにいかない人生について思いを馳せている暇があるくらいなら。

 ね。

 そうしなよ。

 甘ったれ坊やくん。




※一様に、いじけてもいい?の気持ち。



1421:【2024/06/30(17:52)*じぶんとの約束を破る者たち】

 じぶんとの約束一つ守れない者たちが、他者との約束を守れるわけがないのだ。

 おまえのじぶんルールは何だ。

 まずはそこを明かせ。



1422:【2024/06/30(18:09)*伸びるとは?】

 ゴムはなぜ伸びてまた縮むのだろう。

 検索してみたら、折れ曲がった分子構造をしており、各々の分子が回転していて、さらに節目の分子が縮まろうとするからだよ、と書いてあって、わかったようなわからぬような、何とも言えない気分になっているのがいまである。

 折れ曲がっている分、伸びるのはイメージしやすい。畳んだ服を伸ばすイメージだ。扇子や提灯を開くイメージだ。

 他方、分子が回転しているとなぜ伸びやすいのだろう。因果関係が直感的にイメージしにくい。

 ネジのようなイメージだろうか。

 歯車が連動して全体が駆動する、のような。

 とするのなら、ネジの周囲の空間とセットで考えたほうが妥当に思える。

 また、なぜ元に戻ろうとする分子は、伸びる方向のチカラに打ち負けてなお、戻ろうとする力を維持しつづけられるのだろう。

 重力とは無関係なのだろうか。

 イメージは、全体が連動する歯車の節目節目に、ぎゅいーん、と全体を巻き取ろうとするモーターが備わっている印象だ。

 メジャーのような。

 手を離すと巻き取られる。

 そして全体は、ネジとネジ穴のような構造を持っているがゆえに、なめらかに連動し、なおかつある程度の強度を保つ。柔軟性を帯びる。

 ネジ穴の時空そのものが柔軟性があるから。

 かように妄想したくなったけれど、実際がどうかは分からぬ。

 原子が回転しているとなぜ伸びる性質に繋がるのだろう。

 わかたったような、わからぬような。

 はにゃ~ん???である。

(じゃあ宇宙膨張も、時空の構成要素が回転しているから伸びるのかな)

(時空をゴムと一緒にすな)

(なんで? だってゴムさんだって時空の一部だしょ?)

(だしょってああた)

(不思議しか湧かぬ)

(勇気とか活力とかも湧いてよ)

(みんなに譲りたいかなって)

(いらん気を回しると場合か)

(いひひ)



1423:【2024/06/30(19:44)*真空の動かしにくさ】

 真空には「E=mc[2]」は適用できないのだろうか。

 真空の質量は一般に、ゼロと見做されるのではないか。或いは、測定不能かだ。

 けれど、質量を「場における動かしにくさ」とするのならば、真空を場における気泡と見做し、動かしにくさと解釈することは可能だ。

 真空にも「E=mc[2]」は適用可能なのではないか。

 実際のところはどうなのだろう。

 お詳しい方ー!

 へい!



1424:【2024/06/30(19:48)*みなが動くと我も動く】

 水飴の中の気泡を考えよう。

 気泡の動く速度は、水飴の流動する速度とほぼ等価のはずだ。

 すなわち、物体の速度とその周辺の真空の速度は相関していると想像できる。

 すると、真空の領域が広いほど、真空は動かしにくくなるはずだ。なぜなら、真空を規定する物質の流動する速度が相対的に低くなるからだ。

 あたかも、時間が遅れるかのように。

 お詳しい方ー!

 この妄想はいかがー。



1425:【2024/06/30(22:30)*雑感】

 物質が針金細工のようにスカスカだと解釈してみよう。

 物体がジャングルジムのように、境界面を持たないと解釈する。

 しかし、そうしたスカスカの構造物とて、粘度の高い流体の中を運動すると、層を帯びる。膜を帯びる。密度差を生む。

 その膜(層)を突破すると、ソニックブームのように衝撃波を生じさせる。

 人間スケールの物体は、物体それそのものをすり抜けている事象のほうが、そうでない事象よりも多いのかもしれない。相互作用し合っている事象よりも、そうでない事象のほうが多い可能性はないのだろうか。

 宇宙の大規模構造とて、同じ規模の大規模構造同士でなければ相互作用しているとは見做せないのではないか。

 この考えを真空に適用してみよう。

 飛躍してしまうが、真空が運動すると、それを取り巻く周囲の環境に密度差が生じる。

 真空の運動そのものが、新たな事象を生む。性質の差異を生む。密度差を生む。層を、膜を、事象の区切りを生む。

 真空とそれ以外の事象では、絶えず「その事象にとっての差が最大化」するように真空はその他の事象に対して作用する。

 ゼロは、どんな数と比較しても、差を最大化させる。

 ただし、マイナスを考慮するならば、その限りではない。

 雑音のある環境でいまは文字を並べているので、思考が分断される。いったん項を区切ろう。



1426:【2024/06/30(22:39)*差がなければ変換も要らない?】

 差のない流体において、個々の構成要素の運動は、あってないようなものなのではないか。

 極めて差のない流体の構成要素が、流体内部で運動しても、そのときに生じる「変換」は最小化される。発生する遅延もまた最小化される。

 たとえば、ボースアインシュタイン凝縮状態の流体において、波をつくろうとしても上手くいかないのではないか。

 ひるがえって、密度差のような差を帯びた構成要素の交じり合った流体では、個々の構成要素の「動きやすさ」「リズム」が異なるため、遅延が蓄積しやすいのではないか。

 ただし、異なる事象の「動きやすさ」「リズム」を等しく変換可能ならば、変換後には、共鳴状態が維持され、相互の遅延を最小化させることは可能だろう。

 空隙の配置がこの手の変換に寄与するとは考えられないか。

 自転車のペダルをコキコキ漕ぎながら巡らせた妄想であった。

 定かではない。



1427:【2024/07/01(00:14)*真空の最小単位とは】

 真空に最小単位はあるのだろうか。

 物質を、何らかの場――媒体――或いは時空――の密度差と解釈してみよう。

 すると当然、物質には最小単位があるのではないか、と考えたくなる。皺に最小単位があるか、といえば、あると想定するほうが、そうでないよりも妥当だろう。

 とはいえ。

 ではその最小単位の皺を基点としたときに、それより小さな真空は存在しないのか、といえば、これはよりよりも小規模の真空が存在するとしてもさして違和感を覚えない。

 真空には最小単位があるのだろうか。

 と、いうよりも。

 真空は、見掛けの上で存在しないように振る舞うことは可能だが、どこにでも発現し得るはずだ。その性質上、そうなる道理だ。

 真空は隠れている。

 物質の最小単位のそばであれ。

 とするのなら当然、真空それ自身にとっての真空に値する真空も存在していて不自然ではない。

 すっかりすべてが希薄化して真空と大差なくなった宇宙があったとして。

 しかしその宇宙規模の真空にとっての真空もまた存在するはずだ。

 水飴の中の気泡は、水飴にとっては穴だ。

 しかし、そこには気体が含まれており、気泡にとっての穴もまた存在し得る。

 この入れ子状の構造において、最果ては存在するか否か。

 お詳しい方ー!

 調子のほどはいかがですか。

 元気だしていきましょー。

 おー!

(元気を真空と同じように見做すでない)

(からっぽでも、からっぽがあるじゃない、の理屈で、元気も出せるかなって)

(カラ元気じゃないか)

(空、元気だよ。お元気であれ!)

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今日記。 知円 @hibi_meian

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