第25話:あたしの一部

 窓から外を眺める。深い森の中だ、空模様から時間の経過を計ることは難しい。それに、心象世界では時間がどのように流れているかもわからない。

 それでも結構な時間が流れていることは体感でわかる。クラリスはなにも言わない。制限時間にはまだ余裕があると考えていいだろう。


「後はあの扉……」


 エントランスから件の扉を見やる。いまだ開く気配のない扉、その向こうに患者の本当のこころがあるはずなのだ。

 扉の向こうに閉じ籠る患者のこころ、そして複数の人格に共通する“人との関りに対する興味”から考える。

 きっと本心では準備ができていないだけ。また傷つくのではないか、二度と立ち直れなくなるのではないか。不安を捨て切れず、重たい枷になっているのだと思う。そのために時間をかけて四つのこころと向き合ってきた。


「で、お前のやったことはなんだ? ただガキ共を部屋で寝かしただけじゃねぇか」


 呆れたようなティオの声。

 彼の言う通り、あたしは床で寝ていた四人のカイルを自身の部屋へ運び、寝かしつけただけ。これで間違いはない、はずだ。


「カルテを思い出したの。気分が変わりやすいって書いてたけど、それが原因だとしたら対応としては間違ってないはず」

「そいつァなんでだ? 根拠があるんだろうな」

「うん。カイルくんはたぶん、悪循環の真っ只中なんだと思う」

「悪循環?」

「解離性同一性障害は苦しいこと、つらかったことを自分の代わりに耐えてくれる人格が生まれる症状……苦しいことやつらいこと、本来のこころと同じくらいたくさん経験してきたと思う。そして、長引けば長引くほど新たなカイルくんが生まれる、はず」


 それぞれのこころが苦痛を背負い、限界が訪れれば苦痛を受け持つための人格が生まれ続ける。自分を守るために知らない自分が生まれていく。そうするたび、本来のこころへ辿り着くことが難しくなっていく。

 それぞれがこころを守るために独立しているのであれば、いっしょくたにして考えない方がいい。それぞれを一人の人間として接する必要がある。

 褒め、遊び、話を聞き、受け止めて。一人ずつ、こころを満たしていっていまに至る。残るのは重たい扉ただ一つ。


「彼らが活動を続けている以上、本来のこころは顔を見せない、見せられないはずなの。防衛本能の具現化みたいなものだからね。防衛本能を緩める……って言い方だと悪いけど、要するに安心させてあげればいいんだと思った」


 扉を守る四つの層を抜けた先――あたしはもう患者のこころ、その扉に触れている状態のはずだ。


「苦しいことやつらいことに慣れたら、こころを守る扉は厚くなって、本心も表層に出られなくなる。扉を開く鍵は、きっと愛情なんだよ」

「また抽象的なこと言いやがる」

「こころを正確に言い表せる言葉はないでしょ。だからいいの、抽象的で」

「へいへい。それで、後はどうするんだ? ただじっと待ってるのか?」

「ううん。あたしにできることはまだある」


 ただ時間が経過するだけでは勿体ない。あたしはキッチンへと向かった。ティオとクラリスもついてくる。

 冷蔵庫を開くと、食材のラインナップが少し変わっているようだった。心象世界は患者のこころによってその姿を変える。調味料やお菓子作りの材料も変わっている。この変化は患者からのメッセージだ。


「こういうものが食べたい」


 きっと両親にも素直に甘えられなかったのだろう。甘えることが難しかったのではない、自身の変化、異常に関して両親に理解があったからこそなのだと思う。

 罪悪感がないはずがないのだ。他の人と見比べたときに、自分の中に別な誰かがいて、それを制御することができない。愛のある家庭で育ったからこそ、カイルもまた両親への愛を持っている。

 愛した人に悲しい思いをさせたくない、迷惑をかけたくない。そう思えばこそ、手放せず抱えるものが増え続ける。その結果がいまなんだ。


「『初めまして』だからこそ話せることもある。あたしがその役割を担えればいいな」

「ま、後腐れがない関係ってのが一番気楽だったりするだろうよ」

「言い方が優しくないなぁ、もう」


 あたしの考えを否定はしない。ティオはあたしを尊重してくれる、これもまた愛情の形の一つなのだと思う。

 とはいえ、もう少し優しい物言いを覚えてほしいところでもある。いまさら甘やかされるのも妙な気持ちではあるのだが。


「とにかく。カウンセラーとしてやることは、信用してもらうこと。そのためには安心してもらうこと。やるべきことはやった。だからここからは、あたしにできることをやる」

「殊勝な心掛けだ。いいカウンセラーになるだろうよ、お前は」

「ふふっ、ありがと。パパとママが自慢できるカウンセラーになるよ、あたし」


 用意された食材で作れるものを思い返す。

 あたし自身はお菓子作りも料理も決して得意ではない。マザーの真似にしかならない。あとは、あたしの中にいる“誰か”の記憶に頼るだけ。

 あたしじゃない、名前も知らない“誰か”。怖さはあるが、考えようだ。

 あたしのこころは、二人分の人生を知っている。それはきっと、共感できることも、伝えられることも人より多いことの証明だ。

 患者のこころに寄り添うのがカウンセラーの仕事。あたしじゃない“誰か”のこころが宿っているのなら、心強い存在になってくれるはず。


「……力を貸してくれる?」


 当然返事はない。ただ、こころが少しだけ跳ねた気がした。応えてくれると解釈していいのだろうか。

 ――ううん、疑う必要なんてない。

 顔も名前も知らない“誰か”の記憶も、あたしと一緒に育ってきた。消えずに残り続けてきた。であれば、この記憶もあたしの一部なんだ。疑う方がナンセンスである。


「よしっ! もうひと踏ん張りだ! 気合い入れろ、あたし!」


 あたしの記憶と“誰か”の記憶。どちらも信じて進めばいい。

 試験はまだ終わっていない。むしろこれからが本番だ。患者のこころと対面できなければ、カウンセリングへ進むこともできないのだから。

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