第23話:触れてはいけない
「姉ちゃんよわーい!」
「面白くないなぁ……」
「いっぱい遊んでくれて楽しいな! あははっ!」
「姉ちゃんと遊んでもつまんねーよ!」
「ちょ、ちょっと待って……! 一旦休憩、ね!」
あれから四人のカイルと遊ぶことになったのだが、それぞれ性格が異なるせいか相当疲労してしまっていた。
全員が
身近な親といえばマザーやティオが思い当たる。これからはもう少しおとなしくいい子にしておこうとこころに誓った。
そのティオはここぞとばかりに意地の悪い笑みを浮かべてあたしを見守っていた。彼を抱えるクラリスもどこか苦笑しているように見えた。
「ほうら、ガキのお守りは大変だろう? 俺の苦労がわかったか、ええ?」
「あんた、本当に底意地が悪いね」
「やかましい。お前だってシェリーのお守りはうんざりだろう? 同志じゃねぇか。ミライもちったァ親の苦労を知っておいた方がためになるだろうよ」
「それは……そうね」
試験監督は公正な立場のはずだ。いまの同意は明らかに私的な感情だろう。立場上、下手に言い返せないのが悔やまれる。
それにしても、この四人が全員カイル・ペンバートンであるならばどう攻略するのが正解だ?
兎にも角にもハートリウムが具現化した理由を知る必要がある。ヒントは間違いなく彼ら四人――解離性同一性障害によって生まれた四つのこころだ。
ハートリウムの定義は“過度のストレスから社会生活が困難になり人生そのものを放棄する病気”だ。ストレスがもたらす悪影響はなにもハートリウムだけではない。ハートリウムに囚われた上に精神疾患を併発していることもある。
今回がいい例だ。現場に出ればこういった場面に出くわすことも多いだろう。最終試験としては適切だと思う。
理屈はわかる。だが、対処法は依然掴めないまま。ハートリウムに囚われた原因がどこにあるのか、それがわからなければ四つのこころとの付き合い方もわからない。退屈してきたのか、四人の子供はそれぞれ好き勝手に過ごしている。
「ねえ、カイルくん。どうしてここにいるの? 遊ぶのが好きなら友達とか……っ」
瞬間。
空気が凍り付くのを感じた。散らばっていた四人の視線があたしに突き刺さる。そう、突き刺さるのだ。それほどまでに冷たく、鋭い。
四人のカイルは怒鳴ったりしない。泣き喚いたりもしない。ただ無言であたしを見詰める。沈黙が呼び込む緊張感は雄弁に語るのだ。
それ以上言うな。
と。そのことからわかるのは、ハートリウムの具現化に関わっているのは人間関係。そして恐らく、彼を追い詰めたのは学校であること。
「……ごめんね、余計なこと言っちゃった」
これ以上刺激してはいけない。直感がそう告げる。もしこのまま続ければ四人を同時に鎮めなければいけなくなる。
カウンセラーは説教をするのが仕事じゃない。こころに寄り添うのが仕事。患者を立ち上がらせて、また歩けるようにするのが仕事なのだ。この空気のままじゃ進展は望めない。別なアプローチを試すべきだ。
「そういえばカイルくん、ご飯は食べた?」
「食べてなーい」
「お腹空いてない……」
「作ってくれるのー?」
「まずい飯作ったら怒るからな!」
「ふふ、わかった。とびっきり美味しいのを作ってあげる! キッチンはどこ?」
「あっち! ぼくが案内してあげる!」
笑顔のカイルがあたしの手を引く。子供なのにすごい力だ、引き摺られるようについていく。そこで、あることに気が付いた。
一緒に出てきた三人の部屋は並んでいるようだった。そしてあたしと戦闘になった子もあの並びにあるのだろう。現に四つ、扉が開け放たれたままだ。
――だけど、扉は五つ並んでる。
いまだに開かない一つの扉。恐らく、あの部屋が心象世界の中心。患者本来のこころがそこにいるはずだ。
これだけ騒いでも姿を見せないのには理由がある? 決して人を拒んでいるわけではないはずなのだ。なんとかして話ができればいいのだが。
思惑は顔に映さず、案内されたキッチンに立つ。
「なに作ってくれるの?」
爛々とした目で問いかけるカイル。本来のカイルもきっとこういう目をしていたのかもしれない。
実際の患者の心情を推し量ることはできないが、そのギャップに胸が痛んだ。
「ご飯って言いたいけど、あたしが作れるのはおやつだけなんだ」
「おやつ作れるの!? すごい!」
「へへ、ありがとう。記憶頼りになるけど味は保証するよ」
――あれ? 記憶頼り、って、なんの記憶だろう。
どこか遠く、色もなく、輪郭も曖昧。ただ確かに、機嫌を直すほどの魅力を持つおやつを食べた記憶がある。
あたしがイメージしていたものはマザーが振る舞ってくれていたようなもの。ただ、それよりもっと、ずっと前の記憶がまぶたの裏にこびりついているような感覚がある。
正体不明の記憶に微かな不安が胸の内側を引っ掻く。とはいえ、この不安は患者から気を逸らすものだ。いまは忘れて、はっきりしない記憶を元に動くだけ。
冷蔵庫を開けると、想定していたかのように食材が用意されている。家庭料理に使うものから、探してみればナッツ、ドライフルーツまである。キッチン周りにはたくさんの調味料が並んでいた。
「パン……もあるね、よし! じゃあカイルくん、みんなでいい子で待っててね」
「わかったー!」
「ああ、あと……もうひとりの子に、も……っ」
元気に返事をした直後、まるで能面のように無機質な顔に変わる。
カイル・ペンバートンの本来のこころについては禁句のようだ。四つのこころを通じて接触するのは諦めた方が良いだろう。
なんとかして隙を見つけるか? しかしそれは、裏返すと患者のこころを欺くことにも繋がる。不信感を抱かれては終わりだ。他の方法を考えなければ。
「……じゃあ、あたし頑張っちゃう! さ、みんなのところに戻っててね!」
「はーい!」
ご機嫌な足取りで駆け出すカイルくん。時間は有限だ、気になるところはあるが手を動かそう。
不思議なことに、迷わない。頭に浮かべるのはマザーの作ってくれたハニートースト。
なのに、あたしの手が生み出すのはイメージから大きく逸脱したもの。
こころが作業工程を無視している。しかし形は整っていく。記憶にはあるのに色がない。いったいどこで見たのだろう、マザーが作ってくれていた? 彼女が台所に立っているのを見たことがないが、どうして彼女の顔がちらつく?
そうして時間が経ち――あたしの目の前には綺麗な輝きを放つパンケーキが出来上がっていた。
「……これ、知ってる」
知っている。のに、知らない。あたしはこのパンケーキを知らない。不気味な感覚だった。
以前のハートリウムで感じた、あたしの中の知らない誰かが知っているような感覚。カウンセラーにとって必要な感覚ではない。
だからこそ不気味だった。カウンセラーに関連することならば納得できるし、向き合える。必要なことだから付き合っていける。
だがこの記憶は違う。ミライという人間を形作るピースではない。あたし以外の誰かを構成するもの。
「……誰か、いる?」
自分のこころに問いかける。当然反応はない。当たり前だ、あたしのこころはあたしのもの。他人が入り込む隙間があるはずがない。
――じゃあティオは?
あたしのこころがあたしだけのものならば、あたしのこころと同一の存在だと証明されたティオはどうなる? ティオはあたしにとって何者なのか。どういう存在なのか。
「……わかりっこないや」
元々賢い
こころの揺らぎはカウンセリングに直結する。この疑問には蓋をしておくのが吉だ。
「よし、カイルくんたちが待ってる。喜んでくれたらいいなぁ」
パンケーキを四つに切り分けて一つの皿へ。そのままエントランスホールに戻る。
あたしの目に飛び込んできたのは、ぐったりと床に伏すティアの姿だった。
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