第22話:邂逅

 不自然な道を歩き続け、見つかったのは二階建ての広い屋敷。背の高い柵に守られ、豊かな庭には誰かの胸像が建ち並んでいる。

 あたしたちは屋敷の近くの茂みから様子を窺っていた。際立って異質な部分は見受けられない。少なくとも、現状では。


 患者のプロフィールを見る限り裕福な家庭で育ったわけではないことはわかる。これだけ立派な敷地はなにを意味している? まだ九歳の子供だ、胸像だって誰がモデルになっている? 外側から見ただけでは得られる情報にも限りがある。


「こんなところでこそこそしてるのは時間の無駄じゃねぇか?」


 ティオの言う通りだ。慎重にならざるを得ないとはいえ、患者のこころと接触しないことにはカウンセリングは進められない。

 気を引き締めていこう。心象世界は患者のこころ。傲慢な振る舞いは世界そのものを敵に回す恐れがある。

 頷き、あたしたちは敷地内に足を踏み入れる。侵入者撃退用のからくりがないか心配していたが、なにもない。てっきり四方八方から銃撃されたり警告音が鳴り響くものかと思っていただけに拍子抜けだった。


 胸像に目をやる。歴史には明るくないが、知っている顔がいるかもしれない。そう思ったが、並んでいるのは患者の胸像だった。


「……? どういうこと?」


 どれだけ見ても同じ顔。よく見れば顔つきが若干違うような気もするが、顔の造形自体は概ね患者と一致していた。


「自分の姿をこんだけ並べるなんてな。実は結構なナルシストなんじゃねぇか?」

「カルテを見る限りそんな風には見えなかったけど……まずは話してみないとだね」


 ひとまず玄関までは難なく到着できた。あとは呼び鈴を鳴らすだけ、と思った。

 しかしそれがない。鍵だって当然開いているはずがない。ノックすれば反応があるのか?


「も、もしもーし」


 ものは試しだ。厳つい扉を二、三度叩いてみる。反応はない。どうやって入ればいい? このままでは患者と接触することができな――


「っ!?」


 背後から迫る冷たい感覚。咄嗟にガントレットとロングブーツを生成し、振り向きざまに右腕を薙いだ。

 瞬間、激しい金属音が響く。ガントレットを通じて重たい衝撃が全身に走る。

 患者の防衛本能か!?

 臨戦態勢を取った矢先、目の前に転がる人影に言葉を失う。


 襲撃者は少年だった。ゆるい栗色の癖っ毛、ぱっちりと大きな目には冷ややかな光が灯っている。未熟な体が持つのは、玩具にしては仰々しい装飾の斧だった。


「……カイルくん?」


 その少年こそこのハートリウムの主――今回の患者、カイル・ペンバートンだった。


「おい、こんなにアグレッシブな患者がいるか?」

「わかんない。ただ、ここまで来たなら第二ステージみたいなもの」


 攻撃性の高い患者と相対したときの技術、即ちスペードの“向き合う力”が試されるはずだ。それに伴い、クラブの“産み出す力”も。


 カイルは言葉を発さず、あたしを真っ直ぐに見詰めている。張り詰めた空気の中、先に動いたのは彼の方だった。

 子供とは思えない脚力で地面を蹴り、滑るように肉薄してくる。なにはともあれ迎撃!


「ごめんねっ!」


 あたしも駆け出し、カイルが斧を振り上げたその瞬間。その勢いを利用して彼の腕を下から小突いた。

 虚を突いたその一発に体勢を崩したカイル。その隙だって見逃しはしない。あたしは足を止めず、背後へ回る。体を回転させ、勢いをそのままに上から斧を蹴りつけた。


「うわっ!?」


 斧を叩きつけた衝撃と重さに幼い体が耐えられるはずもなく、柄を握る指が離れる。そのまま宙に投げ出された。


「ティオ、お願い!」

「任せろ」


 あたしの意図を察してくれたか、胸像を器用に登り、跳躍。彼の行く先にはカイル。


「上手くいってくれよ……!」


 ティオは前足を顔の前で広げる。狙いを澄まし、拍手するように前足を合わせた。

 落下するカイルを挟むように大きな黒い影が生まれる。それは彼を包み込み、ゆっくりと落ちていった。ティオを置き去りにして。


「ちょっと待てこれ着地どうすりゃぶぐげぇっ!?」


 受け身を取れなかったようで、お腹から着地してしまうティオ。痛みに喘ぐ彼も心配だが、一番は巨大な影に包まれた患者だ。慌てて駆け寄るも、違和感に気が付く。


「……? なにこれ、毛が生えてる?」


 近づいてその概要がわかる。真っ黒な影だと思っていたものは艶っぽい黒の毛だった。


「これ、もしかして……ティオ?」

「長く生きてりゃあ、いつどこでなにが必要になるかなんざわからねぇもんだ……」


 ティオが合わせた前足を開くと、それに応じて黒い塊が割れていく。中には呆然と目を丸くするカイル。彼の体をクッションのように包み込んでいたのは大きな猫の手――肉球だった。


「すごいよティオ! やっぱりやろうと思えばできるんだね!」

「俺の精神的負担を考慮しなけりゃあなあ……」

「本当、あんたたちって規格外というか……」


 これにはクラリスも苦笑する。

 お腹から着地してぐったりしているティオだが、ティオも同じことができるのであればあたしの力不足を補う存在になってくれるはず。あとは彼のやる気次第なのだが。


「くっそぉ……! 誰だお前ら! なんの用だ!」


 そのとき、肉球に包まれたカイルが叫んだ。カルテを見た限り、普段はここまで声を荒らげるような子ではないように思えるが。気分が変わりやすいというのはこういうこと?


「驚かせてごめんね、あたしはミライ。あっちの猫はティオっていうの。きみがカイルくんだよね?」

「だったらなんだ! ここから出て行け!」


 話を聞く気はないようだ。どうしたらいい? シェリーのように力で従わせるのは通常のカウンセラーのやることじゃない。

 ひとまずは興奮状態の彼を鎮めることからか。話ができる状態に持ち込む必要がある。


「実はあたしたち、迷っちゃったんだ。ここを離れても、また迷って戻ってきちゃうかもしれない。だから、迷わず出ていくにはどうしたらいいか教えてもらってもいい?」


 嘘も方便。出ていく気はないが、ひとまず警戒心を解くことが最優先。こちらの都合を押し付けてはより警戒、反発されるだけだ。

 まずは受け止めること。真っ向から否定しない、ただそれだけで人のこころはある程度軟化する。


 カイルは一瞬驚いたような顔を見せた。噛みつくことに慣れ過ぎたのだろう、この対応は想定していなかったとでも言いたげだ。


「……出ていきたいの?」


 カイルの表情に寂しさが滲む。こころから他者を排斥するつもりはない、人との接点を蔑ろにする気がないとわかる。


「うん。ただ、せっかく会えたから少しだけお喋りに付き合ってくれる? ずっと猫と歩いてたから、人に会えたのが嬉しくて」

「……」


 返答を待つ。急かして言わせた言葉より、自ら選んで言った言葉の方が精神的にも負荷が少ない。彼が自分で選ぶことができるなら、試験の内容としても難しいものではないはずだ。

 少しして、やや複雑な表情で頷くカイル。まだ気を許しているわけではないようだが、一歩前進だ。


「……うん、わかった。とりあえず入って」


 そう言ってカイルは扉に手を添える。鍵を持っているわけではないようだが、触れた手のひらから解錠の音が聞こえた。

 心象世界の中でも更に隔離された空間ということなら、間違いなくここが世界の核。気を引き締める。扉は自動で開き、あたしたちはカイルに続いて中へ。


 屋敷の中は広く、閑散としている。人の気配はないように思える……が、妙だ。気配がないんじゃない、気配が分散してる?


「客来た!」


 カイルくんが屋敷全体に呼びかける。すると三つの部屋の扉が同時に開き、あたしとティオは絶句する。


「誰……?」

「知らないお姉さんだー!」

「遊んでくれるの!? なにして遊ぶー?」


 反応はそれぞれ。しかしひとつだけ共通している部分がある。


「同じ顔……!?」


 三人の顔は全く同じ、カイル・ペンバートンのそれだった。そこから導き出される答えはひとつ。

 彼らは同一人物で、それぞれに固有の人格がある。気分が変わりやすいどころの話じゃない。変わっているのはカイルそのもの。違う人間に成り代わっているのだ。


 解離性同一性障害。

 それがハートリウムに囚われた患者、カイル・ペンバートンが抱える病だった。

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