第20話:ふたつでひとつ

「……さて。準備はできてる?」

「ハイ……」


 緊張感のある食事を終え、試験のために借りた部屋で縮こまるあたし。クラリスの機嫌は直ったのかどうなのか、表情は依然険しいまま。

 怒っていようがいまいが試験は行われる。この状態のあたしは果たして準備万端なのだろうか。自分の判断力を信じられない。


「おいミライ、そんなに委縮してたら落ちるぞ」

「ティオはいいよね、気楽な立場でさ……」

「カウンセラーになったら気楽なことなんてないんだから、腹括りなさい」

「ハイ……」

「やれやれ覇気のない声だな、そんなんじゃあ受かるもんも受からんぞ。ほら、腹から声出せ」

「ハイ、ハイ! もう! うるさい外野だなぁ!」


 ティオがいつもの調子なのは試験に直接関わらないからだ。実際に現場に立つのはあたしなのだから、好き勝手に言える。

 いまはこの変わらなさを頼もしく思うべきか。やかましいと思ってしまう辺り、少し余裕がなくなっているのかもしれない。


 クラリスはため息をひとつ。無言でハートリウムを机に置いた。

 外から様子を見る限り、複数の影が見える。それぞれが独立して動いているようだ。ハートリウムは基本的にひとりのこころを癒すためのもの。だとしたらこの影は患者にとっての重要な要素でもある?


「今回はカルテを用意してある。ちゃんとした試験用のハートリウムだから、正解もある。形式としては最初から最後まで通しでカウンセリングを行うことになるけど、質問は?」

「うーん、そうだなぁ……カルテに記載されてる内容を教えてもらうのはありですか?」


 駄目で元々の質問ではあったが、クラリスは頷く。


「勿論あり。カウンセリングするにあたって患者のことを知らないんじゃなにもできない。簡単なプロフィールは共有できるよ。はい、これ」


 この質問は想定内だったようで、手渡されたのは受験者用に用意された簡易なカルテだった。

 名前、性別、年齢。家庭環境や普段の過ごし方が記載されている。これだけあれば充分な情報だとは思うが、再現されたものとはいえ人間が相手になる。


 ――これだけでも情報があるだけマシ、かな?


「ありがとうございます」

「もういいの? 試験開始はハートリウムに入ってからだから、準備の時間は確保できるけど」

「はい、大丈夫です。なんかやれる気がしてます」

「そう。それじゃあ期待させてもらおうかな」


 試験監督として公平に、と言っていたが期待はしてくれるようだ。リップサービスのようなものなのだろうけど。


「ま、やれるだけやってこい」

「うん、ありがとう。それじゃあ行ってきます」


 パスをハートリウムに触れさせる。意識が光に呑まれる中、聞き慣れた渋い声が――


「おい……どうなってやがる」


 語気を尖らせ、足元から聞こえてきた。


「……あれ? ティオ?」


 周囲に視線をやる。

 深い森の中、あたしは大きな木の根本にいた。地表に露出するほど逞しく育った根は歴史を感じさせる。枝は不規則に伸びており、それぞれ立派に葉を蓄えている。おかげで日の光が感じられない。

 この世界のどこかに患者がいる。それはいいのだ、当然だから。問題なのは、あたしの足元で不満げに唸る異常。


「……いやいや! え、なんで!? また!?」

「こっちの台詞だ! パスを使ったのはお前だろうが! なんだって俺までここにいる!?」

「本当、あんたたちって常識に囚われないね……」


 動揺するあたしたちとは対照的に、背後から聞こえるのは呆れたようなクラリスの声。

 やはりティオがここにいることは彼女にとっても予想外だったということ? 先輩のクラリスでさえわからないのだ、なぜティオがハートリウムの中にいるのか? あたしには皆目見当もつかない。


「おいクラリス、俺だけは戻ってもいいだろう? これじゃあまるで俺まで試験を受けているみたいじゃねぇか」


 クラリスに食って掛かるティオだが、彼女の表情は極めて深刻だ。言えない理由があるのか、それとも考えがまとまっていないのか。

 暫し押し黙るクラリスだったが、重々しく口を開く。


「……戻す術がない」

「は?」

パスは与えられたカウンセラーのこころをハートリウムに橋渡しするもの。だから基本的に、当事者のパスを介すことでしかこころを肉体に帰すことができない」

「えっと……つまり、パスを持たないティオはひとりじゃ帰れないってことですか?」

「そういうこと。で、あんたがパスを使ったことでこの子までついてきたってことは……」


 そこまで言って黙るクラリス。なにが彼女の言葉を堰き止めているのだろう? 想定外の事象を下手な憶測で済ませられないから?

 この状態は明らかにおかしいのだ。であれば一度撤退することも考えられる? 同じことを考えていたようで、クラリスは続ける。


「一旦ハートリウムから帰る。パスを」

「わかりました」

「俺だけ残されるこたぁないだろうな?」

「私の憶測が間違っていなければ大丈夫、のはず」

「ハッ、大丈夫じゃなきゃ困る」


 パスを胸に翳す。意識がハートリウムから離れていくのがわかる。

 そうして、こころが現実に帰ってくる。振り返ればティオも動いている。自分が現実にいることをしっかり確かめ、くたびれた息を漏らした。


「ったく、なんだってんだ……」

「想定外のことではあったけど、こんなイレギュラーはそう発生しないはず。さ、もう一回」

「わかりました」


 改めてパスをハートリウムへ。背後ではまた不穏な叫びが聞こえ――


「なんだって俺が来なきゃならねぇんだ!?」

「なんでティオもセットなの!?」


 またしてもティオと一緒に来てしまったようだ。

 これはどこに原因があるのだろう? パスの翳し方が悪い? 周囲の存在を巻き込んでハートリウムに干渉するなど座学では習わなかった。


 それはクラリスにとっても同じだろう。数々の現場を経験した彼女でさえこの現象に頭を抱えてしまっている。


「ハートリウムに干渉出来るのはカウンセラーのこころだけ……カウンセラーの周囲の存在が巻き込まれるなんて話は聞いたことがないし、有り得ないものと仮定する……」


 険しい表情で独り言を言うクラリスはなかなか迫力がある。想定外とはいえあたしたちほど取り乱していないのは現場での経験が活きている証拠なのだと思う。

 原因がわかったとして、このままの状態で試験を進めることを善しとするのか。試験監督として、不備のない状態で試験を進めたいと考えるのが当然。


 しかし彼女が下した決断こそ一番の想定外だった。


「……このまま試験を続ける」

「ええっ!?」

「はあ!?」


 ふたりで詰め寄る。この状態では進めたくないと思うのが自然のはずなのに、なにを思って続行することに? 激しく狼狽するあたしたちを手で制し、クラリスは続けた。


「前回に続いて今回も発生するこの現象……だけど一次試験と二次試験ではこれが発生しなかった。このことから考えられるとしたら、本物、あるいはそれに近いハートリウムにこの子ミライが干渉することで発生することになる」

「だからなんだってんだ?」

「要するに、カウンセリングが必要な環境には必ずあんたティオのこころも必要だってこと」

「俺になにができるって? ただの猫にできることなんざあるか!」

「人語を喋る猫がただの猫のはずないでしょ。少なくともあんたは普通の猫じゃない。ハートリウムに干渉できることも含めて、ね」

「それはそれだ! 俺がハートリウムに連れてこられる理由を教えろ!」

「ティオ、一旦止まって。クラリスさんの考え、あたしも知りたいです。どうしてティオがハートリウムにいると思うんですか?」

「……私の憶測でしかないけど……可能性はこれしかない、と思う」


 クラリスはやけに言葉を濁す。それほど有り得ない出来事であるということ?

 じっと言葉を待つ。彼女は諦めたように深く、長いため息を漏らして告げた。


「――あんたミライティオのこころは、ふたつでひとつってこと」

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