第19話:ゲン担ぎ

 ぱち、と。

 なにがきっかけになったわけでもなく、突然まぶたが開いた。頭はすっきりしている。枕元の時計を見れば、午前七時前。

 自室の天井を見るのが久し振りに思える。あたしの傍ではティオがいまも寝息を立てている。寝坊助はどっちだ、と笑みが漏れた。


 ベッドから降り、洗面台で身嗜みを整える。髪の毛は相変わらずの破天荒で、今日という日にもそのくせの強さは変わらない。これくらいでちょうどいい。

 手櫛でさっと整え、ニカッと笑みを見せる。気のせいか、自分の笑顔が懐かしいと感じた。ここのところ病室で過ごしていたし、なにより笑顔を忘れていたと思う。


 ――うん、あたしはこれがいい。


「なんだ、珍しく早起きだな」


 背後からティオの声がする。のっそりとした動きで姿を見せる彼だが、表情はどこか意地が悪い。


「なんか起きちゃった」

「今日は雪でも降るのかね」

「雪の代わりに紙吹雪が舞うよ、合格するから」

「ハッハッハ、威勢がいいこった」


 どこか気のない笑い声ではあるが、小馬鹿にした様子はない。言葉通り、頼もしく思ってくれているのだと思う。その笑顔にあたしも釣られて笑う。

 今日は適性試験の日。あれから体調も回復し、マザーとクラリスが相談して試験を実施しても問題がないと判断された。

 残っているのは最終試験のみ。実際のカウンセリングに近い環境に挑戦することになるだろう。

 こころが踊る。この高揚感もいまは心地良い。


 勿論、怖さもある。自分じゃない誰かの熱のように思えてならない。あたしが感じる興奮ではない。

 でも、それさえ飼い慣らす。この昂りも糧にして、カウンセラーと呼ばれるに相応しい人間だと証明してみせる。


「見違えたな」


 ふと、ティオが呟いた。


「そう?」

「初めて会ったときのことをな、思い出した」

「そういえばあたし、ティオと初めて会ったときのこと覚えてないや。どうだった? 可愛かった?」

「コメントは控えさせてもらおう」


 そう言って視線を逸らす。恥ずかしがり屋なのだ、ティオは。きっと出会った頃のあたしはもう少し可愛げがあったのだと思う。


「だが、まあ立派になったと思う」

「え? それ本音?」


 口をついて出た言葉は紛れもなく本音だ。茶化すつもりもなく、本当に本音かわからなかっただけなのだ。

 ティオは大きくまばたきを繰り返し、わざとらしく項垂れた。直後聞こえてきたのは大きなため息。


「たまに褒めりゃあいつもこれだ。ああ、ああ、悲しいねぇ。もう二度と褒めてやるもんか」

「え!? 嘘、本音だったの!? ごめんね! すっごく嬉しいよ!」

「抜かせ。吐いた言葉は戻らんわ」

「戻す! 頑張って戻すから!」

「ふふ、元気は有り余っているようですね」


 気が付けばマザーが立っていた。どうやら今日も起こしに来たようだが、生憎今日は自ら目を覚ませたのだ。無駄足を踏ませてしまったが、彼女の様子は変わらない。むしろいつもより温かい目をしていた。


「ねえマザー、今日は自分で起きれたよ」

「そうですね、今日は急患で溢れかえるかもしれません」

「え!? マザーまでそういうこと言うんだ!?」

「そりゃそうだ、お前が早起きなんていままであったか?」

「あ、あるよ、一回くらい……たぶん……」


 記憶にないだけで一度や二度は早起きできているはずだ。過去の自分を信じる以外なにもできない。


「そうだ。試験、何時から始めるの?」

「まずは朝食を済ませていらっしゃい。その後は自室で待機。クラリスが迎えに行きますから」

「わかった」

「それはそうとマザーよ、言わなきゃいけないことがあるんじゃねぇのか?」


 ティオの言葉にマザーの表情が微かに揺らいだ。

 言わなきゃいけないこと? あたしに? 応援はしてもらった。また背中を押すような激励の言葉だろうか。背筋を正しマザーを見詰める。

 彼女はしばし押し黙り、観念したように深い息を吐く。ようやくあたしと目を合わせてくれたものの、いままで見たことのない顔をしていた。


「いままで黙っていましたが……あなたのご両親もカウンセラーだったんですよ」

「え!?」


 どうして黙っていたのだろう?

 そんな疑問よりも先に感じたものがある。ふたりのことはなにも覚えていないが、奇しくも同じ道を進もうとしていたことに驚いた。

 ティオの口振りから察するに、彼は知っていた? それとも聞き出した? どうやって? なにをきっかけに?


「……驚きましたか?」


 窺うようなマザーの声。確かに驚いた。だがそれ以上に、胸に湧くものがある。


「びっくりしたよ。でも……なんか、嬉しいな」

「嬉しい、ですか?」


 今度はマザーの目が丸くなる。予想していない回答だったのかもしれない。でも、この感情に嘘はない。あたしからしてみれば、ふたりがカウンセラーだったことには大きな意味がある。


「パパとママ、家には全然帰ってこなかったから顔も覚えてないけど、その間もたくさんの人を助けてきたんでしょ? パパとママに助けられた人がたくさんいるなら娘としては鼻高々だよ」


 寂しいとは思う。それは紛れもない本音だ。だが、こころを満たす誇らしさにだって嘘はない。

 家に帰ってこなくても、仕事を頑張ってくれていた。ふたりのおかげで救われた人だってたくさんいるだろう。自慢の両親だと胸を張れる。


「だから今度はあたしの番。パパとママの分まで、たくさんの人を助ける。パパとママが自慢できるような立派なカウンセラーになるよ、あたし」


 ニッ、と。任せてよ、と。笑って見せる。

 マザーは少しだけ眉を下げ、どこか複雑な笑みを浮かべた。その笑顔がなにを含んでいるのかはわからない。

 ただ、あたしは決めた。目標が定まった。パパとママが自慢できるカウンセラーになる。そのためにも、試験は絶対合格しなければならない。


 ――やってやる。あたしならできる。


 その決意は目に灯る。この目を見て、無理だなんて言わせない。マザーも微笑を返してくれた。


「結果、楽しみにしていますね」

「うん、ありがとう」

「さあ、ご飯を食べていらっしゃい。ティオもね」

「俺ァ気楽な立場だがねぇ。ま、晴れ舞台の予定だ。ゲン担ぎになにか食っておこう」


 ティオが担いだゲンでもあたしの結果に一役買ってくれるのだろうか。なんにせよあたしを思って担いでくれるなら余計なことを言わないのが吉か。


「じゃあマザー、また後でね! ティオ、行こ!」

「わかったわかった」

「ふふ、行ってらっしゃい」


 マザーの言葉を背に受け駆け出す。部屋の扉を開けたと同時――


「ぶぇっ!?」


 なにかにぶつかって弾き飛ばされた。突然のことに尻餅をついてしまう。

 あれ、これ知ってる気がする……?

 深い、深いため息が聞こえた。聞き覚えがある、その程度じゃない。背筋が凍る感覚に間違えようがない。


「……なるほど。元気が有り余ってるのがよーくわかった……」

「ああっ!? クラリスさん!? え、なんで!?」


 知ってるのも当然だ。最初の出会いと全く同じなのだから。

 あたしと同じように尻餅をついているものの、彼女の放つ空気は重い。気のせいか、地響きのような低い音さえ聞こえる。怒っている。


「なんでもなにも様子を見に来ただけ……それより、なんでより先に言うことがあると思わない……?」

「ごごごごめんなさい! はしゃいじゃった!」

「別にいい……その有り余る元気で試験も乗り切ること……わかった?」

「ハ、ハイ……」


 これで不合格ならどうなるか。考えただけで呼吸ができなくなる。なんなら食事も喉を通るだろうか。

 一方でティオは愉快そうに笑っている。なにがおかしいのか、こっちは表情が強張って大変なのに。


「ハッハッハ、今日と同じことがあった試験初日が上出来だったんだ。今日も上出来だろう。大したゲン担ぎじゃねぇか、なあ?」

「こんなに縁起の悪いゲン担ぎ嫌だよ……」

「人にぶつかっておいて縁起が悪いなんて、ね……」

「あああああっ! ちがっ、違うんです! そういう意味じゃなくて!」

「ご飯、食べそびれてしまいますよ?」

「そうだった! ティオ、行こう! クラリスさんも! ダッシュ、ダッシュ!」

「このっ、逃げないの!」


 背後から迫るクラリスの足音があたしの足を一層速くさせる。ティオも追い付けていない。振り返ることもできない。

 捕まったらどうなるか! 考えたくない!

 食欲よりも恐怖が勝る。食堂までの道程をいまだかつてないほどの速さで駆け抜けていった。

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