第17話:妄界症
「……それで? どうしてシェリーがこの子の部屋に?」
「面白い子がいるってマザーが言ってたから挨拶しに来ただけよぉ」
「本当にそれだけなんでしょうね?」
「どうしてそんなに疑うの~? クラリスちゃんひどぉい……ひよこちゃん、慰めて?」
「え!? あ、え? よ、よしよ~し……ん?」
いったいなにが起こっているのか。わけもわからずシェリーを抱き締め頭を撫でる。
クラリスの声はいつになく刺々しい。シェリーは彼女の姉だと言っていたが、他人が見ると血縁には見えなかった。
クラリスは鋭い雰囲気があるし、シェリーは逆に穏やかで緩い雰囲気がある。敢えて共通点を挙げるのであれば、二人ともカウンセラーであることか。
クラリスが所属するスペードはカウンセラーの用心棒として同行することが多い部署だ。一方でクラブは“産み出す力”を得意とするカウンセラーが多い部署。
正直なところ、ハートやスペードに比べてイメージしにくいところがある。あたしが試験でやったように武具を生成するのであれば、その力を極めたということ?
どちらかといえばスペードのカウンセラーと言われた方がしっくり来る。それでもあたしの腕の中でさめざめと泣くシェリーを見るとやはりピンとは来ないのだが。
「ちょっと。あんたそいつの味方するの?」
「え!? いや、味方とかそういうのではなく!」
「ひど~い、わたしのこと捨てちゃうのね?」
「いやいやいやいや! ちが、違うんですよ!」
どちらにつくとかそういう話ではない。ひとまずこの流れをどうにかしなければ。
「シェリーさんはエース? なんですよね! エースって、すみません、あたし聞いたことなくて……教えていただけませんか?」
「あらぁ、知らないのね? わたしもまだまだひよこちゃんねぇ」
「どの口が言ってるんだか……知らなくて当然でしょ。エースはカウンセラーの中でもより専門分野に特化した連中なんだから」
専門分野に特化している? ハートリウムにも分野があるということ? 優れた成績を残した者がなれるのなら
疑問符を浮かべて固まるあたしを見兼ねてか、クラリスが語り出す。
「ハートリウムに長く囚われた患者が発症することがある後遺症があるの。私たちは
「妄界症? って、なんですか?」
「自分がいま存在しているのは現実か、ハートリウムか。その判断ができなくなる症状のこと」
ハートリウムに囚われてる期間が長いと、現実との区別がつかなくなる? 確かに危うい状態ではあるのだろうが、家族のサポートなどがあればなんとかなりそうなものだが。
「なにかまずいんですか?」
「ハートリウムは現実じゃない。こころの赴くままに世界を動かして、歪める。患者はまるで
「……ん? つまりどういうことですか?」
現実がハートリウムであるかのように? 現実は現実だ、いくら区別がつかなくたって現実に生きる以上この世界の法則に従うしかない。
だがそういうわけでもないようで、クラリスの表情は極めて真剣だ。あたかも危険なことを語るかのように重々しい声音で続ける。
「簡単に言うと
「そうなった患者を鎮めるためのカウンセラーがエースって呼ばれてるのよぉ。格好いいでしょ~?」
「な、なるほど……? カッコいいですね?」
クラリスとは対照的にシェリーは相変わらず穏やかな声音。なんでもないことであるかのように語る。
現実をハートリウムにする。どういう状態なのかはさっぱり掴めない。ただ、クラリスの様子から推察するに相当重い事態を示すのだろう。
とはいえまだカウンセラーでもないあたしには関係がないことだ。そういうこともある、程度に考えておけばいいだろう。
「おう、なんだ客が多いな」
そんな折、ティオが帰ってくる。
「おかえり。ご飯は食べた?」
「済ませてきた。それより誰だ、その女」
「あら~? 喋る猫ちゃんなんて初めて見たわぁ」
シェリーがティオに歩み寄る。ティオが目を細めたのがわかった。警戒している?
屈んでティオと視線を合わせようとするシェリー。ティオも目を合わせはするものの、その表情は余所行きのものではなくいつもの無愛想な顔だ。クラリスが身構えたのを見る限り、なにかよくないことが起こるかもしれない。固唾を飲んで見守る。
「ふぅん」
「ハッ、なにか言いたげだぐげっ!?」
瞬きの間に抱き抱えられたティオ。あまりの手際の良さに彼も抵抗できていないようだった。シェリーはわしゃわしゃと乱暴な手付きでティオを撫で回している。
「ぶさいくな猫ちゃんね~、かわいいわぁ。お名前なんて言うのかしら~?」
「くそっ、放せ! 暑苦しい!」
「あらあら抵抗しちゃだ~め、痛いの嫌でしょう?」
「シェリー、その辺にして。さすがに猫を床に叩きつけるのは見過ごせない」
背筋が凍った。仮にクラリスが止めず、ティオが床に叩きつけられていたら? 卒倒してしまうかもしれない。あたしとティオふたり分を救う一言だ。
シェリーもその気はなかったのか、あるいは興が削がれたのか。退屈そうな息を漏らしてティオを解放する。彼は一目散にあたしの懐に駆け込み、低い唸り声をあげてシェリーを睨み付けていた。
「なんなんだあの女は……」
「あの人はシェリーさん。クラリスさんのお姉ちゃんなんだって」
「姉? 似ても似つかんな……」
「よく言われる……」
クラリスのため息は疲れ切っている。昔から振り回されてきたのだろうか。余計なトラブルを避けたいとは誰しも思うものだが、クラリスにその傾向が強いのも納得ではある。
クラリスとシェリーに会話の主導権を握らせると言い合いになって会話が散らかるかもしれない。なんとかあたしが主導権を取らないと。
「あの、シェリーさん。マザーとなにを話してたんですか? あたしのこと、ですよね?」
「ひよこちゃんのことよ~、適性試験ですっごい結果を出した子いるって聞いたからぁ、いろいろ聞いちゃったぁ」
「す、すごい結果? やっぱり駄目だった……?」
「待ってシェリーそれ以上は――」
「いいえ~? 新人とは思えないくらい仕事ができるってクラリスちゃんが言ってたらしいわぁ」
「え……?」
思わずクラリスを見やる。彼女はわざとらしく視線を逸らし、いまだかつて聞いたことのない長さのため息を吐く。
その反応から考えられることとしたら――
「あたし、よくできてた?」
「……いまは言えない」
「どうしてですか!?」
「試験はまだ残ってるから」
「よくできてたかくらい言ってくれてもいいじゃないですか!」
「どうして試験監督が受験者のご機嫌取りしなきゃいけないの」
「ご機嫌取りじゃないです!」
「ご機嫌取り。だから言わない」
「違う!」
「違わない。違わないから言わない」
「ふふ、仲良しなのね~。やきもち妬いちゃう」
シェリーの声音にゾッとする。決して悲しんでいない、顔を見ても笑みを湛えるばかり。笑顔なのはマザーと同じなのに、どうしてこうも違って見える?
シェリーはぽんと手を合わせる。なにを閃いたのか、少しだけ声を弾ませて「それじゃあ」と切り出した。
「ひよこちゃんも元気みたいだし、マザーのところに行きましょうかぁ」
「え、マザーのところ? なにをしに……?」
「決まってるでしょう? 最終試験の話をしに、ね」
話が急過ぎる。まだ全快でもないというのに。なにより試験監督のクラリスを無視して進められることなのか?
クラリスはなにも言わない。全ての判断をマザーに委ねる、ということだろう。ティオに目配せしても、諦めろと言わんばかりに首を振るだけ。
……抵抗の余地なし、ってこと?
「さ、ひよこちゃん――立って」
その瞳の奥に宿るものは読めない。ただ、逆らってはいけないことだけはわかる。ベッドから降り、あたしたちはシェリーの先導のもとマザーの部屋へと向かった。
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