第12話:罪滅ぼし

「マザー。クラリスです」

「どうぞ」

「失礼します」


 背筋を正し、ドアノブを捻る。部屋の主、マザー・ノーマは柔和な笑みを湛えて私を迎えた。

 彼女の顔から笑みが奪われたことはほとんどない。そのことから、カウンセラーの大多数は彼女を優しい人物だと認識している。


 ――そう、大多数は。


 私は少数派。彼女の笑みの奥になにかがあると確信し、肚の内を見透かそうとする者もいる。なにを考えているかわからない、だから信用ならないと考えているのだ。私もその一人である。


「クラリス、試験監督お疲れ様でした。大変だったみたいですね」

「いえ。不測の事態ではありましたが大したことはなく。ミライも無事です。それより、独断で試験を中止してしまいご迷惑をおかけしました」

「いいんです。さ、かけて。あなたは紅茶よりコーヒーが好きでしたね」

「はい。ですがお構いなく」


 易々と気を許すものか。

 私がこうも警戒する理由は経歴が大きい。

 マザーの出自は謎が多く、彼女の過去を知る者は少ない。少なくとも、私の知る限りでは一人もいない。どのような経緯でカウンセラーになり、ハートの女王クイーンにまで上り詰めたのか。

 当然、実力でのし上がったと考えるのが妥当だろう。だがそれが異常なのだ。彼女の年齢は三十にも満たない。幾らなんでも出世が早過ぎる。

 私の警戒心を知ってか知らずか、マザーは楽しそうに準備を進めるばかりだ。


「コーヒーを淹れるくらいのことはさせてください。私は所詮、前線を退いた身ですから」

「なにを言うんです? あなたは若くして目覚ましい功績を残し続けてハートの女王クイーンになった。前線を離れたとはいえお忙しいはず。あまりカウンセラーに気を回し過ぎては身が保ちませんよ」

「ふふ、好きでやっているんです。前線に出ない分、カウンセラーの皆様を労うくらいはさせてください」


 その笑顔に嘘はない。そう思わされる。


 診療兵団にはハート、スペード、ダイヤ、クラブ、それぞれに役持ちが存在する。各分野で飛び抜けて優秀な者が役を任命される。

 騎士ジャックはカウンセラーの教育、女王クイーンはカウンセラーの管理、そしてキングはカウンセラーを代表する称号のようなもの。


 外部の者からしてみればキングがカウンセラーの印象に直結する。彼らは言わば象徴であって統治者ではない。

 つまり、診療兵団内における実権を握っているのは女王クイーンなのだ。経歴不詳のマザー・ノーマが、一部とはいえカウンセラーの管理を任されている。私を含めた少数派はそのことに疑問を抱いていた。


「それで、ミライはどうでしたか?」


 ――来たか。


 ミライは彼女のお気に入りだ。他のカウンセラーよりも目をかけているのは傍目にもわかる。

 噂では診療兵団に所属する以前から関係があるようだ。だが、実際にどういった関係性だったのかを知る者はいない。口封じをされているのか、あるいは少数派が流した噂に過ぎないかは判断できずにいた。

 ひとまずは、感じたことを率直に伝える。


「これまでの受験者の中では飛び抜けて優れています。特にハート、スペード……この二つの力はすぐにでも前線で通用すると判断しました」

「そうでしたか。勉強はしっかりやっていたので、成果を出せたようですね」


 成果を出せた? 果たして本当にそうなのか?


 疑念は膨らむばかり。鎌をかける意味でも、ミライに感じた違和感を伝える。


「……ですが、妙ではあります。心象世界に戸惑いはあれど、対応があまりにも的確過ぎた」

「的確過ぎた、とは?」

「一次試験では犬が患者の防衛本能であることに気が付き、犬がどれだけ激しく抵抗しても一切動揺しなかった。二次試験では良質な武具を創造した上で患者に抵抗の余地を与えず鎮めていた」


 言葉を失うマザー。共謀して不正を働こうとしていたか? ミライからはその気配は感じなかったが、マザーとしてはなんとしても合格してもらいたかったのではないか?

 だとしたら、最終試験のハートリウムにも納得がいく。ミライには事前に情報を流し、私にだけ共有しなければ、あたかもミライが患者の居場所を特定できる力を持っているように演出ができるだろう。


「まるで試験内容を知っていた・・・・・ような……そんな印象を受けました」


 ――さあ、どう出る。


 マザーの言葉を待つ。ここで白状するならそれでいい。緘口令かんこうれいでも出すつもりか。素直に従うと思うならば自身の信頼を過信していることに他ならない。


「……そう、ですか」


 笑顔の裏に隠れていたものが見えた。ただしそれは、私が想像しているものとは大きく異なっていた。

 そんなことがあるはずないとでも言いたげだ。だが、それは私の想像しているものとは違う。マザー自身も、ミライの手際の良さが信じられないようだった。

 想像とは異なる反応に私も戸惑ってしまう。これが演技とは考えにくい。知ってはいけないことを知ってしまったとでも言いたげな表情だ。


「なにか思うところがあるんですか?」

「……ミライにカウンセラーの適性があるのは必然だと、気付いてしまって……」

「贔屓目ですか?」

「そんなことは……」


 贔屓目という言葉が出れば反射で否定したくもなるだろう。ミライを贔屓していることは立場上認めたくないはずだ。

 だが、マザーは諦めたようにため息を吐いた。いままで見たことがない、哀しみが滲んだ顔をしていた。


「……いえ、そうなんでしょうね。贔屓目かもしれません」

「……あなたは何故ミライに干渉するんです? ご自身の立場をお考えになったことはないのですか?」


 女王クイーンである以上、多くのカウンセラーと話す機会があるはず。しかしそれはあくまで仕事上のやり取りであり、ミライとの関わり方は個人的なものにしか見えない。

 ここで噂の真偽を掴めるのであれば大した収穫だ。さあ、どう来る?


「……私はずっと、あの子に負い目を感じていました。私にできることはなんでもやりました。贔屓と言われても仕方がないと思います」

「それはこのハートリウムに関係することですか?」


 マザーに渡された三つ目のハートリウムを出す。不測の事態の原因となったものだ。

 これはマザーが試験にと渡したもの。そして、本来共有すべきカルテを共有しなかった。なにか意図があるならば、試験監督として知る義務がある。


「……そうです。そのハートリウムは試験用に再現されたものではありません」

「では治療を優先すべきでは?」

できない・・・・んです。そのハートリウムは」


 できない? 治療できないハートリウムなど聞いたことがない。だが、患者と対面しても存在が曖昧になっていた。あんな状態の患者を見たことは一度もない。

 私がいままで見てきたハートリウムとはなにかが決定的に違う。それだけはわかる。マザーは重々しい口調で続けた。


「……かつて皆がそのハートリウムと向き合った。結果として、患者の下へ辿り着くことさえままならなかった。患者と対面できたカウンセラーも、患者の容体を口にしませんでした」

「それは何故?」

「わかりません。そして、私が語れることももうありません。ただ、ミライに関係することだけは確かです」

「このことは他の役持ちも知っているんですか?」

「ええ。カウンセラーと直接関わることが多い騎士ジャックには共有していませんでしたが、女王クイーン以上の役持ちは皆知っています」


 女王クイーン以上でのみ共有されているのなら、機密事項と言って差支えないだろう。これ以上踏み込めばどうなるか。口封じとして余計な干渉が発生するかもしれない。


 ――ここまでか。


「わかりました。でしたら最後に、なぜミライにあれほど目をかけているのかは教えていただけませんか? 贔屓の自覚があるにしても、私たちは理由を知らない。一部のカウンセラーから、あの子とマザーに対して不満が漏れています」


 これもまた有益な情報になる。ここまで話を聞き出せたなら、マザーから私に対して不自然なアクションは起こせないはず。

 彼女は目を伏せ、掠れた声で呟く。


「……罪滅ぼしのようなものです」

「……? あなたは、ミライになにを……」


 暫しの沈黙。喉元につっかえて上手く言えない、あるいは言いたくないようだ。

 根気強く待つ。やがてマザーは深い息を吐き、自嘲めいた笑みを浮かべて言った。


「あの子がここにいるのも、カウンセラーとして力を持ってしまったのも……私のせい、だからです」

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