第11話:違和感

「おい、いい加減起きろ」

「ん……うん? ティオ……?」


 ティオの声がどんどん近づいてくる。というより、あたしの意識が表層に引っ張り上げられている?

 目を開けると、そこは見知らぬ天井。微かに漂う薬のにおいから、病室であることがわかる。背中には柔らかい感触もあり、どうやらベッドで眠っていたようだ。

 顔だけを横に向け、ティオを見る。やれやれ、と言わんばかりに深いため息を漏らした。


「ようやくお目覚めか」

「あたし、なんで病室に……」


 記憶を手繰る。試験をしていて、二つは突破した。三つ目のハートリウムで患者と会って――それで?


「試験は!?」

「急に起き上がるな、体に響く」

「響くって……っ、はっ……!」


 心臓が痛い。あくまでハートリウムの中で起こった出来事だ、外傷はないはず。であればこの痛みは心因性のもの?


「ぶっ倒れて意識も失くしてたんだ、大人しくしとけ。原因について詳しい説明はなかったが、過度なストレスじゃないかって話だ」

「ストレス……? ううん、原因なんてどうでもいいよ。試験がどうなったのかが知りたい。クラリスはなんて?」

「さん」


 びくりと肩が跳ねる。病室の入口にクラリスが立っていた。あたしの様子を見るや否や、つかつかとわざとらしい音を立ててベッドの傍へ。


「あ……えっと、試験は……?」

「中止。今後についてはマザーと相談するから、報告を待って」

「……!」


 クラリスの制服の袖を掴む。だが、力が入らない。手も震えており、呼吸は次第に乱れていく。

 こんなところで休んでいられない。早く、早く試験を終えてカウンセラーにならないと。焦りか、使命感か。どちらが強いかはわからなかった。

 睨むようにしてクラリスを見上げる。彼女はただ無機質な眼差しをあたしに向けていた。


「いまはしっかり休むこと」

「あたしは大丈夫です、試験の続きを……!」

「やってもいいよ。だけど不合格だったときに言い訳は許さない」


 突き放すような言葉に二の句が継げない。

 言い訳などする気はない。だが、クラリスの言うことはもっともだ。大丈夫なんて言えない、踏ん張る力も出せない状態で試験を受けたって結果は見えてる。

 いま無理を押して試験に臨んだ挙句、不合格だったら? あたしはその判断を後悔することになる。


 今回ばかりはティオも背中を押すことはない。それが答えではないか。

 袖から手を放し、悔しくて拳を握る。勿論、力なんて入らない。入れられないほど衰弱していることを実感してしまった。クラリスは肩を竦め、続ける。


「こころと体は密接に繋がってる。ハートリウムに干渉するのは私たちのこころ。体を動かすのもやっとの状態でまともに仕事ができるはずがない。それはあんたも、先輩である私たちも同じ」


 そう言ってクラリスはあたしの肩に手を置く。彼女の顔を見られなかった。目の奥が熱を持ち始めたから。


「いまあんたがすべきことは休むこと。次もきっと私が試験監督になる。やる気はそのときに見せて。わかった?」

「……はい」

「じゃあ私はマザーのところに行く。お疲れ様、お大事に」


 病室を去るクラリス。その背中を見ることもできない。静まり返った病室であたしの荒れた呼吸が虚しく響く。


「ミライ、まずは休め」

「ん……ごめん」

「謝るな。あのときのお前はおかしかったんだ」

「あたし、どんなだった……?」

「ガキみてぇな顔してたぞ」

「どんな顔……?」


 いつも子供扱いするティオに言われると、いつも通りの顔だったのではと感じる。ただ、様子がおかしいと言っていた。きっといつもとは違う顔をしていたのだと思う。

 それに、ティオの言葉がわからないわけじゃない。


「……あたし、怖くなった」

「なにがだ」

「なんか、患者の姿が見えたとき……変な感じがした。全身が熱くなって、軽くなって、患者に引き寄せられる感じがした」


 あのときの感覚は覚えている。子供みたいな顔、という表現は言い得て妙だ。本当にそんな顔をしていたのだろう。無邪気で、ずっと求めていたものを待ち望んでいたときのような顔。


 自分でもそう思うほどこころが沸き立っていた。あと一歩、止められるのが遅ければどうなっていたかわからない。

 それくらい危うい状態だったと思う。自分じゃない誰かに乗っ取られたような感覚だった。


「カウンセラーに憧れはあった。でも、あの昂り方は変だった。おやつを目の前に出されて、食べるのを許されないままずっと待たされて……ようやく許してもらえたような、そんな感覚だった」

「喩えが子供っぽいな。要するに飢えてたんだろう」

「飢えてた……?」

「カウンセリングにな。まあ初めてのカウンセリングだってのに飢えもクソもねぇとは思うが」


 適当に聞き流しとけ。

 そう添えて、ティオはあたしの傍で丸くなった。こういう優しさもあるのに素直には出さないのだ、やっぱり可愛いところがあると思う。


 ……飢え、か。


 初めてのカウンセリング。それは間違いないはずなのだ。思えば一次も二次も妙だった。知識としては確かにあった。だが、知識だけじゃない。得体の知れない慣れ・・があったと思う。

 まるで昔から。何度も、何度もカウンセリングしてきたような。こころが知っているような。そんな感覚があった。

 ティオの背中を撫でながら、ぐっと拳に力を込める。震えは止まず、力も維持できず、すぐに解けてしまう。


「……あたし、変だ」


 考えたって憔悴するだけだ。身もこころも。クラリスもティオも休めと言った。調子を整えるのが最優先なのだと思う。

 再び寝転がり、目を閉じる。疲労が残っていたのか、思考はすぐに無意識へ溶けていった。

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