第7話:変な子
「じゃあ次で最後」
クラリスの言葉に面食らってしまった。よほど間の抜けた顔をしていたのだと思う。ティオが珍しく大笑いしていた。
「つ、次? どうしてですか? あたし、患者さんのこといじめちゃったのに……」
「確かに乱暴ではあったけど、興奮状態の患者なら、まず対話できる状態を作ることが大切。あんたが相手じゃ勝てないとわからせるだけで充分だった。クラブとスペード、両方も最低限の力はあるってわかったし。あれ以上やる意味がなかっただけ」
あくまでクラブとスペードの力を試す場だったということか。実戦ではあそこまでやり過ぎないように気を付けるべきだろう。
クラリスが最後のハートリウムを取り出す。いままで見たものよりも暗く、中では分厚い雲が渦を巻いている。中心が見えない以上、外側から患者の状態を確認することができない。
なんでだろう、胸がざわつく。前の二つとは比較にならないなにかを感じる。
「最後がこれ。……ただ、これに関しては注意事項がある」
「注意事項?」
「本来、試験監督は使用するハートリウムについて、当時の患者のカルテで詳細を知らされる。受験者が課題をクリアできてるか判断するためにね。……だけど、このハートリウムについては事前情報がなにも与えられなかった」
「……つまり?」
「なにが起こるかわからない。限りなく本番に近い環境で行われるってこと。マザーがなにを考えてるかわからないけど、気を引き締めて」
試験監督に与えられるべき情報が与えられていない。どんな意図があってそうなっている?
マザーの意図が読めない。あたしに対してなにを望んでいる? 不合格にさせて飼い慣らすため? あるいは、これを乗り越えてほしいという期待?
考えたってわかりっこない。ならば本気で臨むまでだ。あたしの全てを出し切ってやればいい。それで駄目ならまた挑戦すればいい。
「ティオ」
「どうした?」
「頑張るね」
「くくっ、朗報を願ってるぞ」
意地の悪い笑みを浮かべて、本当にそんなことを願ってくれているのか。
などと詰め寄る時間が勿体ない。意を決し、
「あ? おいちょっと待――」
遠くでティオの声がした。なにか異変を感じたのかもしれないが、待っているだけの彼があたしを引き留める理由なんて――
「……? なに、これ……」
心象世界に到着し、真っ先に飛び込んできたのは真っ暗闇。肌に纏わりつくような嫌な感触は雲のせい。それらを運ぶのは立っているのもやっとの強風。
光源がないはずなのに、自分の体は視認できる。暑いとも寒いとも思わないのに心地良い。不思議な空間だ。
あたしは確かにハートリウムへの干渉を試みた。つまりこれは、誰かの心象の再現のはずだ。だとしたら、いったい当時の患者はどんな心境だったのだろう。まるで他者との、世界との関わりを全て拒絶するような世界。
「制限時間」
傍でクラリスの声がする。辺りを見回せば、あたしのすぐ後ろで腕を組んでいた。表情は険しいものの、眉間の皺の原因はあたしだけではないようだ。
「……とは言うけど、今回ばっかりは事情が違う」
「どういうことですか?」
「外側から見ただけでも相当こころを病んでた。実際に干渉してみてわかったけど、こんな心象世界見たことない。カルテも共有されなかった以上、場合によっては私も手を貸す」
彼女の表情は極めて真剣だ。あたしだって生半可な気持ちで臨んではいないが、実際に何度もカウンセリングを行ってきたクラリスがここまで言うのは妙ではないか?
マザーもマザーだ。どうしてこのハートリウムを試験用として使用を許可したのか。どうしてカルテを共有しなかったのか。クラリスにもその意図を伝えていない以上、本当にイレギュラーなのだと思う。
「試験監督として採点はするけど、危険だと判断したら即中止する」
「え、でも中止したら……」
「マザーに打診してもう一回やり直す。こんなの現場に出たこともない人間が対応する範疇を超えてる」
クラリスの声音はいままで以上に低く、鋭い。さながら戦場に赴く戦士のようで、気圧されそうな迫力があった。
「行くよ。私が先導する」
「は、はい……」
彼女の背中を追い、駆け出す。
そういえばティオがなにか言いたげだったが、なんだったのか。彼としても想定外のことが起こった、というような声だったが。
まあ、余計な一言だろう。昔からそうなのだ。大切なことがあると、わざとらしい嫌味を吐く。その裏に優しさが隠れていることも知ってはいるのだが、敢えて触れることもしない。長い付き合いだ、言わなくてもわかることだってある。
しばらく沈黙したまま歩き続ける。相変わらず風は強く、前に進むのも一苦労だ。進めば進むほどに荒々しさを増していく風、世界が――患者があたしたちとの接触を拒んでいると考えるのが妥当だろう。
先程までとは世界そのものの印象が異なる。再現されたハートリウムは試験に必要な要素だけが再現されているような印象があった。物語の一部だけを切り抜いた、とでもいうような。
しかし今回は違う。
「ねえ」
ふと、クラリスが呟く。
「は、はい?」
「あんたとあの喋る猫、どういう関係なの」
「え? ティオですか?」
「喋る猫、他に見たことあるの?」
「……ないや」
思えば、ティオがなぜ喋れるのかを知らない。それに、どういう関係かと言われると説明に困る。
質問されている以上、答えるべきだ。しかし適切な表現が思いつかない。
「うーん……どういう関係……? 家族、かな……?」
「歯切れ悪いね」
「なんていうか、気が付いたらそこにいて、ずっと傍にいてくれたんです。でもガミガミうるさいし、ねちねち小言ばっかり言うし、褒めてほしいときに褒めてもくれないし。パパっていうより頑固親父って感じ」
ティオがいないから言えることである。聞かれていたら何倍で返ってくるかわかったものではない。
実際のパパの記憶はない。だが、保護者を自称するティオがパパかと言われると絶対そうではない。親父、という方がしっくり来る。
「妙な関係だね。猫が父親代わりなんて」
「そうだと思います。いつから、どうして傍にいるのかは思い出せないんですけど。ずっと一緒にいてくれたから、家族みたいなものです」
「ま、家庭の形は人それぞれだよね。ごめん」
「……え? え!?」
謝った? クラリスが? あたしに? どうして?
つい足を止めてしまう。いったいなにに謝った? 彼女の謝罪の理由がまるでわからない。
ふとクラリスに視線を戻す。この世界を見たときよりも鋭い眼差しをあたしに向けていた。
「……なに?」
「あっ、いえ! ただ、なんで謝ったんだろうって……」
「家庭の事情に踏み込むのは不躾だと思った。それだけ。それより、私が謝るのがそんなに不自然?」
「いや、違っ! 違うんです! びっくりしちゃってつい!」
なにを言っても言い訳になりそうだ。いや、既に言い訳がましい。また厳しい言葉をかけられるかと思いきや、ふっと浅く息を吐くクラリス。
うん? いまのなに? 笑っ……た?
「変な子」
「は、へ? 変ですか?」
「そう。変な子だよ、あんた」
「あ……うん? ど、どうも……?」
褒められたのだろうか。馬鹿にして言っているわけではない? 彼女の表情を見る限り、悪い感情はないようだが。
考え過ぎても仕方がないことか。いまは試験に集中しなければ。クラリスも同じことを考えていたらしい、ふいと背中を向けて歩き出す。
「お喋りが過ぎたね。ほら、行くよ」
「は、はい」
駆け出す足が微かに軽い。そこでようやく緊張していたことに気がついた。
クラリスはカウンセラーの先輩だ。おまけに不測の事態ということもある。彼女なりに気を遣ってコミュニケーションを取ろうとしてくれていたのかもしれない。
……ただ意地悪なだけの人じゃないのかも?
なんて、本人には絶対言えない。
頼もしい背中を追う。暗闇の中、こころを休める患者のために。
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