第6話:無情な言葉

 意識を取り戻したと同時、耳をつんざく大歓声が轟いた。たまらず耳を塞ぐが、熱狂的な声は世界を揺らし、全身に響く。

 ここは間違いなくハートリウムの中だ。だが、こうも賑わう世界があるか? こんな興奮状態でいったいどうやってこころを癒す?


「時間は有限。今回はクラブとスペード」


 背後でクラリスが呟く。彼女がいるならここは試験会場も同然。まずは状況の把握だ。

 あたしが立っているのは人込みの只中。あたしの前は一段ずつ低くなっており、逆に背後は一段ずつ高くなっている。前にも後ろにもたくさんの人がおり、天井では幾つもの照明が世界の中心を照らしている。なにかのイベント会場のようだ。

 人込みを掻き分けて照明の真下へ向かう。一際大きな歓声が世界の熱を一層高める。

 見えてきたのは大きな真四角の台。四隅には柱が立っており、それぞれが三本のロープで繋がれている。格闘技のリングのようだ。


 鈍い音が響いたと同時、あたしの足元に大柄な男が転がってくる。顔のパーツはなにもなく、のっぺらぼうだった。ぴくぴくと痙攣している辺り、ただのマネキンではなさそうだ。


「ハッハッハ! 弱ェ弱ェ! 雑魚が俺に歯向かうんじゃねぇーよ!」


 リングに立ち、右手を掲げる男性がいた。大胆な台詞とは裏腹に、体の線は細い。色も白く、この世界の中心とは思えないほどくたびれたスーツを着ていた。

 彼が右手を突き上げるたび、会場が揺れる。今回の患者と見て間違いないだろう。


 それはいい。問題は、彼とはじっくり話す機会がないことだけ。この心象世界から察するに、患者のこころは相当興奮している。

 現実では抑圧された生活を強いられていた可能性が高い。こういった患者の対処法も知識としては持っている。そこで必要になるのがスペードとクラブの素養だ。


「俺に挑戦する奴ァいねぇのか!? 誰でもいいぜ? リングに上がれよ!」

「わ、わわわっ!?」


 高波が押し寄せるように、あたしの背後で大きなものが動く気配を感じた。恐らく観客席から挑戦者がリングに上がろうとしてあるのだろう。

 まずい。患者がひとりひとり相手にしていたら制限時間が過ぎてしまう。


 ――だったらこうするしかない!


「あたし! あたしが相手になる!」

「ああ? なんだガキンチョ……ん? 他の奴らと顔が違ェな……?」

「ぎく……! と、とにかく! あなたと戦いたい! 相手は誰でもいいんでしょ? だったらあたしだってリングに立つ権利がある!」


 マネキンとの違いを認識できてはいる。ただ、それがこの世界において異常であると判断できていない。

 患者にとっては些末な問題なのだろう。いまの彼は不可能なんてないと思い込めている。それはつまり、こころが満たされつつある状態とも言える。この様子だとハートリウムが具現化して間もなくのはずだ。

 であれば、落ち着いて話し合うことなんて不可能。今回は世界が彼に味方する。第二関門はその法則を覆せるだけの力を求められているんだ。


 患者の男性は高らかに笑う。体を仰け反らせて、天に向かって吼えた。


「ハハハ! 勿論オッケーだ。ほら、上がれよ! 優しくはできねぇけどな?」

「上等! 本気でどうぞ! あたしが勝ったらお喋りに付き合ってね!」

「おおいいねぇお喋り! ガキとはいえ女だ、お喋りだけじゃ済まねぇかもしれねぇがな!」


 邪悪な笑みを浮かべる男性につい身構える。

 この世界が彼のこころと考えたとき、リングに立つのは彼を満たすための人形であると考えるのが自然。つまり、これまでの対戦は全て八百長に等しい。


 ――無抵抗にやられると思うなよ! この世界において、あたしだけはあなたの思い通りにならない!


 心象世界の庇護を受ける彼は非現実的な力を宿しているはず。だからこそ、こちらも負けないイメージを強く持つ必要がある。

 四肢を保護する装身具。そして、大人の男性にも負けない身体能力。

 イメージしろ。肺一杯に空気を吸い込み、叫べ!


「いまのあたしは、誰にも負けない!」


 直後、光が前腕から手先を包み込む。弾けると同時、金属質な光を放つ山吹色のガントレットが生まれた。膝から下も同様。同色のロングブーツを装着している。

 これはクラブ――“産み出す力”。

 心象世界ではこころの姿がそのまま反映される。イメージを強く持てば道具を具現化することも可能だ。今回のように戦闘が避けられない場合に必要となる力である。


「なんだそりゃあ!?」


 驚く患者。その一瞬だって逃してやるものか!


「対戦よろしくお願いしますっ!」


 身を屈め、思い切りリングを蹴る。風のように駆け抜け、一瞬で患者に肉薄する。瞬く間に懐に潜り込み、身を翻して――思い切り顎を蹴り上げた。


「ぶごっ!?」


 鈍い感触が足から全身に伝わってくる。殴る蹴るの喧嘩をしたことがない身としては決して心地良いものではない。

 喧嘩に縁がないあたしでもこれだけ動けるのがスペード――荒ぶる患者のこころと“向き合う力”。現実離れした身体能力を実現するための力だ。


 患者の体が宙に浮かぶ。リングを離れたら自由は利かないはず!

 すぐさま体勢を立て直し、ぶらりと放られた足を片手で掴む。そのまま腰を捻り、回転。何度も、何度も回る。


 って、このままじゃただのいじめだ! コミュニケーション!


「乱暴なことしちゃ駄目! どうしてこんなことしてるの!?」

「あがががががが……!」


 言葉にならない声をあげる患者。もっと簡単な質問の方がいいか!?


「あたし、あなたのことを知りたい! なんの仕事をしていたの!?」

「がかかっ……」


 駄目だ、まともに答えてくれない! どうして!? あたしはただ――


「お喋りしたいだけっ!」


 気が付けば、患者をリングに叩きつけていた。凄まじい音と共に会場が揺れる。しかし熱は急速に引いていった。落下しそうなほど大きく揺れる照明、しんと静まり返る会場。


 あれ? あたし、なにを……。


「……ああっ!? ごごごっ、ごめんなさいっ! やり過ぎちゃいましたか!?」

「あわわわわわ……」


 振り回された影響か、とてもじゃないが会話ができる状態ではない。これは……カウンセラーとしてどうなのか。制限時間はまだあるか!?


「そこまで」


 無情にも、いつの間にかリングに上がっていたクラリスが告げる。体は現実にあるはずなのに血の気が引いていくのを感じた。


「まだ、まだやれます!」

「これ以上は要らないって言ってるの。ここで終わり。黙ってパス

「うぐ……! はい……」


 逆らうだけ無駄だ。諦めてパスを胸に当てて現実に帰る。そこまでと言われた以上、クラリスの中で合否が決まったのだと思う。


 ごめんね、ティオ、マザー。あたし、不合格だ……。

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