第9話 交代

 彼が来る、と直感で分かった。今まで抑えられていたが、今回はダメだ。怒りが引き金になり、魔石自体が本来の力を発動しようとしている。あの時以来だ。何故、魔石の主がシトロンの支配を解いたのかは分かっていない。

 だから、次に彼と交代すれば戻れなくなる。抑えられなければ、この研究施設は壊滅し目の前の魔物も、ルディ、シンシャだって殺されかねない。

 それは嫌だなぁ……、なんて珍しくシトロンは思った。けれど、体の自由が既に利かなくなってきていた。意思が遠のく感覚はあの時と同じ。


 「シ、シトロン……?」


 不安そうな声をルディにシトロンは反応を示さない。危険を察知した魔物が爪でシトロンを攻撃しようと振り上げる。それを剣で受け止めれば、爪と剣がぶつかり火花が散る。体躯の大きい魔物相手にシトロンは片手のみ。力負けしない相手に魔物は低くなり腕を離そうとした。が、シトロンは後退するどころか前進しながら剣を振った。

 魔物の指が斬られ、悲鳴を上げながら魔物が後ろへと距離を取ったが、足に魔力を集中させたシトロンは一歩で一気に距離を詰めて構えなおした剣で斬撃を魔物に与えていく。深い傷口から血が流れ、魔物が膝を付いた。


 「……今、楽にしてやる」


 ようやく言葉を口にしたシトロンは魔物の首、正確には魔石に触れた。自身の魔力を流し込み、魔力の循環を変える。魔石は禍々しい光を失い、元の宝石のような輝きを取り戻した。


 「ア、 アア……、タスケ、殺シ、テ……、オ願イ……」

 「分かった」


 短く返したシトロンは剣に力を込め、魔物の首を刎ねた。

 魔石と身体が離れたことにより、魔力の供給が途絶え、魔物の身体は砂のように崩れていく。崩れいく身体の中、一瞬だけ人のそれも子供のような姿が見えた。


 「ははっ。やっぱりお前ではダメだな」


 剣を納めたシトロンにルディが声を掛ける。


 「シ、シトロン……?」


 雰囲気の変わったシトロンに恐る恐る声を掛けたルディにシトロンが振り返った。ニコリと笑みを浮かべてはいるが、全く別人のように思えるのは彼から溢れる魔力のせいか。


 「シトロンは魔族なのか? でも、宿では魔石は無かったし、君は一体……」

 「ルディ、好奇心旺盛なことは良いことだ。でもね、世の中には知らなくてもいい事があるんだよ。例えば、こいつのように、ね?」


 シトロンが自分を指して言う。意味を問おうとして口を開いたルディは言葉を発さないまま気を失った。傾いだ身体を片腕で抱きとめたシトロンの背後からシンシャがシトロンの名を叫んだ。


 「シトロン!」


 振り向けば、息を切らせたシンシャが血相を変えていた。彼の目にはシトロンがルディを殺したように見えたのだろうか。シトロンはルディを床に寝かせてシンシャの方へ歩き出した。


 「なんだよ、シンシャ。血相変えて」

 「ルディに何をしたんだ?」

 「何って、嫌だなぁ。何もしてないよ。俺の魔力にあてられただけだろ?」


 問いに肩を竦めながら答えたシトロンにシンシャが眉根を寄せた。シンシャの反応をシトロンは見逃さない。違和感に気付いた、という顔だと察して口角を上げる。


 「お前は誰だ?」

 「誰って。俺はシトロンだよ」

 「お前はシトロンじゃない。シトロンはそんな顔はしない」

 「顔かぁ。同じだと思うけど、違いが分かるんだ」


 そう言ってシトロンが近づいた。シンシャを見上げる顔はいつものシトロンだが、シンシャには違いが分かるらしい。シトロンはつまらなそうに息を吐いた。


 「シトロンじゃない、と言い切る君に質問。俺は誰でしょう? あいつリオネルから聞いてるんだから分かるだろ?」

 「……魔石の主か?」

 「正解。俺はここに埋め込まれている魔石。あいつリオネルがいつまで経っても約束を果たさないからこうして出てきたってわけ」

 「約束?」


 シンシャの言葉に魔石の主は「そう約束」と頷く。魔石を埋め込まれる直前、リオネルと賭けをした時の約束の内容と研究施設の中で何が起こったのかもすべて含めて魔石の主は話した。聞き終えたシンシャは目を見開いたままシトロンを凝視していた。


 「そういうことだからこれからは俺がこいつリオネルの代わりに研究施設を片っ端から破壊することにした」

 「それは嘘だな」

 「へえ……。それはどうして?」

 「それが出来るなら最初からやってるだろ。なのにお前は今日までシトロンと交代していない。何か条件があるはずだ。それに、十年前の時もシトロンに戻っているならお前は長く活動出来ないんじゃないか?」


 シンシャの返しに魔石の主は興味深そうにする。シンシャの言う通り、リオネルの心臓に埋め込まれ、体を借りて研究施設を壊滅させることは出来た。が、リオネルの体を借りての活動には限界があった。一つは子供の体であったが故の体力の限界、二つは魔力を行使しての活動は長時間出来ないことだった。魔族は生まれながらに魔石を宿しており、体も魔力を行使するのに適しているが、人間の体は違う。魔石の主がリオネルの意識を奪い、活動し続けるのは不可能に近い。

 もちろん、多少の魔力を使うだけならいくらでも活動は出来るが、魔石の主が魔石本来の力を魔族が扱うのと同等に使い続けることは出来ない。せっかく魔石を埋め込まれても魔物化しない人材に出会ったのだ。リオネルが死んでは研究施設の壊滅、という魔石の主の目的は遂げられない。


 魔石の主は「ははっ」と笑い声を上げた。


 「そうだよ。俺の力を使うにはこいつリオネルの体は脆い。死なれては俺の目的が遂げられないからな。今までは大人しくしていた。だが、今日は違う」

 「違うって……」

 「今日は大型の魔物に対して俺と同じで怒りを露わにしたからな。おかげで魔石がいつもよりも反応して俺が出て来られた」

 「あのシトロンが怒ったのか?」


 意外そうな顔をするシンシャに魔石の主は「そうだよ」と笑いながら返す。ついでに自分と賭けをしたきっかけも研究者たちに対する怒りだったことも明かした。


 「……どうやったらシトロンは戻る?」

 「なんだ、こいつリオネルの方が良いのか? 俺はお前と同じ魔族なのに」

 「このままだとシトロンは死ぬかもしれないんだろ?」

 「まあ、そうだな。魔力が常に体を循環している状態だからかなり負荷が掛かってるからな。このまま俺と交代できなければ死ぬかもな」

 「それだとお前が困るんじゃないのか?」


 たしかに困る。が、魔石の主もリオネルシトロンも自分の意思ではまだ互いの意識を自由に交代することが出来ない。大型の魔物を倒した程度では十年前と同じように強制的に交代することが出来ない。要は魔力の消費が一定数を越えなければ交代できないのだ。


 魔石の主はシンシャをジッと見つめた。リオネルシトロンが拾って来た魔族の少年。昨日彼を通して見た魔石の色は深紅。それは自分たち魔族の中でも上位の者の証。そのことをリオネルシトロンは知らなかったようだが、シンシャの能力である悪食魔力喰らいは魔族の中でも一部の者しか使えないものだ。魔族たちを従えることのできる地位にいる者たちのことを彼らは”長”と呼ぶ。


「ああ、だからか」


 納得した魔石の主はそう零すと笑った。リオネルシトロンはシンシャを拾った時からいつか訪れるであろうこの時を想定したのだ。

 だから昨日シンシャに


「暴走したら自分でも止められる自信がないからさ、どんな手を使ってでも止めてほしい」


 そう言ったのだ。意味は自分を殺せ、だったのかもしれない。だが、魔石の主は一つの仮説を立てた。まだ、リオネルシトロンに死なれては困る。自分に適合する人間はこの先現れないかもしれないなら、このチャンスを逃せない。

 それなら、仮説を試す価値はある。魔石の主はシンシャに告げた。

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