蛇の妖怪と夏の恋

旦開野

第1話

 むかーしむかし。まだ侍が息を潜め、都で貴族たちが優雅な生活を送っていた時代のこと。とある田舎の山奥に、綺麗な湖があった。その湖は気味が悪いほどに美しかったために、村の人々はその湖に近づこうとはしなかった。

 そんなある日。湖の近くを通りかかった旅人が妙なことを言った。「湖のほとりに、この世のものとは思えないほどの美少年がいた」と。それを聞いた村人たちは、美しい少年の姿を一目見ようと、こぞって湖へと足を運んだ。しかし誰もそんな少年を見なかった。

 美少年の噂が落ち着いた頃、これまた湖で、不思議なことが起こった。湖の近くを通りかかった女性がことごとく、遺体となって発見されたのだ。彼女らは何の用事かはわからないが、必ず一人で湖まできていた。首には赤い、絞められたような跡があった。こちらの事件は、村人たちの間で色々と憶測を呼んだ。女たちは湖の主の怒りを買ったのだ、私は遺体を一番最初に見つけたが、そこには少年の影があった。いや、私が見た時には一匹の大蛇がいた……とか。それらの噂が合わさって、いつのまにか「美しい湖の主である大蛇は、美少年に化けて女たちの命を奪う」と言い伝えられるようになった。


「……うちの裏の湖には、そんな話が言い伝えられている」

 山の奥にあるお寺の講堂。俺は幼馴染の七海宇海と一緒に、じいちゃんであるこの寺の住職の話を聞いていた。まだ早い時間にも関わらず、ジリジリと照りつける太陽。今はちょうど夏休み。俺と宇海は夏休みの自由研究を終わらせるために、じいちゃんのお寺にここ数日お世話になっている。ここは、普段生活している場所に比べて、自然が豊かだ。街では見られない植物や生物を見ることができる。さらには、じいちゃんがさっき話してくれたみたいな、妖怪にまつわる不思議な言い伝えなどもたくさんある。宇海はその言い伝えについてまとめるらしい。俺は昆虫採集でもしようと思っているのだが、なぜかじいちゃんの話に付き合わされている。

 七海宇海は、俺の幼馴染だ。彼女のことは幼稚園に通っていた頃から知っている。ボブヘアで少し小柄、丸い瞳が特徴的で、見た目は可愛らしいが、少々気が強い。俺はいつも彼女に振り回されている。

「だからあの湖に近づく際は気をつけるんじゃよ。蛇様に食われてしまうかもしれないからな。特に宇海ちゃん」

 じいちゃんは宇海の方を見て言った。

「はい。気をつけます」

 宇海は元気に返事をした。じいちゃんの……というか大人の前では、彼女は元気な優等生だ。


「蛇が化けた美少年か……」

 お寺の庭。俺たちはここへきてからの日課である、掃除をしていた。竹ぼうきを持ち、落ち葉を集める。確か一昨日くらいにも掃除をしたはずなのに、地面はもう葉っぱにまみれている。

「妖怪なんて、本当にいると思う? 大輝」

「自由研究のテーマにしてるお前がいうか? それ」

「いや、テーマにするには別に、いるいないはそんなに重要じゃないのよ。単純にお話として面白いじゃない? 」

「じゃあいるかいないかなんて、どっちでもいいじゃん……」

「そうなんだけどさ……」

 宇海は少し困ったように、竹ぼうきの先に目線を落とす。

「いて欲しいのか? 妖怪」

 俺は宇海のその様子を見ながら聞いてみる。

「まあね。だっていたら楽しそうじゃん」

「そうか? 」

「うん。少なくとも、今よりも楽しくなりそう」

 宇海からそんな言葉を聞くなんて意外だった。

「お前、毎日楽しそうに見えるけどな」

「そう見える? 最近退屈してるんだよねー。刺激が欲しい」

「刺激? 」

「妖怪じゃなくてもいいのよ。そうだなー。例えば……身も焦がすような恋……とか? 」

「ふぁ!? 」

 彼女からの思わぬ言葉に、俺は思わず竹ぼうきを離してしまった。カラン、と乾いた音が辺りに響く。

「え? 私、そんな変なこと言った? 」

 宇海は真顔で聞いてくる。

「あ、いや。身を焦がすような恋って……言ってて恥ずかしくないの? 」

「あれれ? 中学2年、思春期真っ只中の大輝くんには、ちょっと刺激が強かったかな? 」

「お前も同い年だろ! 」

 宇海は俺の様子を見てケラケラと笑った。俺が言うのもなんだが、全く、ませたやつだ。恥ずかしさと同時に、俺は少しショックを受けていた。そんなことを言い出すということは、彼女は今、恋をしていない。俺は恋愛対象にはなっていないわけだ……

「ん? どうしたの? 」

 一瞬、だったのか、少しぼーっとしていた俺の顔を宇海が覗き込む。

「な、なんでもねえよ! ほら、さっさと掃除終わらせるぞ。ダラダラしてるとお昼食い逃しちまう」

 俺は誤魔化すように、残っていた落ち葉をほうきでかき集めた。


「ねえ、大輝! ちょっと聞いてよ! 」

 次の日、昨日と同様、じいちゃんの朝の説法を聞いた後、俺たちは寺の大廊下の雑巾かけをしていた。時刻はもうすぐ11時。昼飯までは、まだあと少しある。宇海は廊下の途中で止まって立ち上がった。

「なんだ? そんな大声上げなくても聞こえるぞ? 」

 大廊下、と言ってもそもそもそんなに大きな寺ではないから、大声をあげる必要はない。まあ、そんなことを抜きにしても、宇海は大きな声で俺を呼ぶだろう。いつものことだ。

「私、恋したかもしれない」

「は、はぁ? 」

 宇海の突然の言葉に俺は動揺を隠せなかった。

「こ、恋って……一体誰に……」

 こんな山奥で一体誰に会うと言うのだろうか……ありえないだろうけど、もしかして、俺のこと言ってるのか?流石に自惚れが過ぎると思いつつ、少し期待してしまう。

「それが、よくわからないの」

「……は? 」

 どう言うことなのか?心臓の鼓動が大きくなりながら、俺の頭は混乱していた。

「実は今日、おじいさんの説法の前に散歩に行ったんだけど……」

 そういえば今日、宇海は遅れて講堂にやってきた。別の部屋で寝ているので、てっきり寝坊でもしたのかと思っていたが、その逆だったらしい。

「で、私、湖のほとりまで行ってきたんだけどね。そこで男の子に会ったの。多分私と同い年の」

 俺はなんとか正気を保ちながら、宇海の話を聞いた。

「横顔がとても美しくてね。あんな男の子、私初めて見た……これが一目惚れってやつなんだなって思った」

 相変わらず、この女は恥ずかしげもなくそんなことを言う……などと冷静な俺は思う。

「見かけただけだろう? そんな……本当に恋なのか? 」

「挨拶はしたよ。おはようって。そしたら彼、おはようって返してくれたの」

 そう語る彼女の顔は、恋する乙女のそれだった。今まで俺が見たことのない顔だ。

「名前も知らないやつなのに……」

「あれ? もしかして、妬いてるの? 」

 心の中で思っていただけのつもりだったのに、どうやら口に出ていたらしい。

「そ、そんなんじゃねえよ! 」

 俺は自身の気持ちを隠すために、必死になって言った。

 この時の俺は冷静じゃなかった。もっと早くに気がつくべきだった。湖のほとりに立つ美少年……ということに。



 この日、俺はよく眠れずにいた。ずっと頭の中がぐちゃぐちゃする。人が誰を好きになろうと構わない。そもそも、俺はただの幼馴染だ。何をいう資格もない。だけど……。宇海の相手が、俺の知っているクラスメイトとかの方がきっぱり諦めがついたと思う。多分。しかし相手は名前すらろくに知らないやつだ。その……少し心配になる。俺のこの感情を抜きにしても、だ。

 そんなことを一人、布団の中で考えていたら、いつのまにか障子の向こう側が明るくなっていた。ろくに眠ることができなかった俺は、とりあえず朝の澄んだ空気を吸い込もうと、部屋から出た。縁側に出て伸びをする。伸び切ったあと、ふとお寺の玄関の方を見ると、外へ出て行く宇海の後ろ姿が見えた。時刻は午前5時。こんな早くに散歩に出ていたのか……

「……ついて、行くか? 」

 どうせ今日も、湖まで行って例の彼に会いに行くのだろう。相手がどんなやつなのか……正直気になる。若干の後ろめたさもあるが、これも幼馴染を心配する良心がゆえだ、と自分に言い聞かせ、俺は玄関へと向かった。


 宇海は後ろを振り返ることなく、真っ直ぐに湖に向かった。もちろん、俺が付けていることには気づいていない。人を尾行する背徳感を味わいつつも、俺は宇海を見失わないよう、そして気づかれぬよう、静かに後を追いかける。

 湖が見えてきた。それと同時に俺の目は人影を捉えた。身長はおそらく俺と同じくらい。それほど背は高くない。体型は細くてひょろりとしている。宇海も同じく、彼の姿を見つけたようで、少し早足になった。俺は彼の顔を拝みたいと思い、宇海が彼に近づくのと同じように、距離を詰めた。

 彼の顔はなるほど、宇海の言う通り、美しかった。切長の一重、スッと筋の通った鼻、薄めの唇。髪型は耳下ほどのおかっぱで、結構奇抜な髪型ではあるが、それがとても似合っていた。和風なすっきりとした美少年だ。

 宇海は彼に近づくと、笑顔で彼に話しかけた。美少年はそれに笑顔で答える。名前も知らないと言っていたくせに、もう既に打ち解けている。まあ、宇海は元々人見知りをするタイプではないのだけど。宇海と美少年は何やら談笑をしている。俺はビビりすぎてあまり近づけず、何を話してるかまではわからなかった。しばらくその様子を見る。あんなに笑顔な宇海を、俺は見たことがない……心がチクチクとした。帰ろう。ここで、こそこそ見てたところでどうにもならない。俺は来た道へ戻ろうとしたのだが、ふと、湖の水面に目をやった。そこには宇海の姿と美少年……いや、彼がいるはずのところに映っていたのは、大きな蛇だった。


 空には雲が広がり、やや薄暗い午前5時。宇海はやはり今日もお寺から出て行った。俺は相変わらず後を付ける。

 湖まで来ると、やはりあの男はいた。彼は宇海を見つけると、さわやかな笑顔を向けた。昨日のように2人は楽しそうに何かを話していた。すると突然、少年が宇海に抱きついた。宇海は急なことで体が固まっているようだった。俺はその様子を見て沸々と何かが湧き上がってきていることに気がついた。俺はその湧き上がる感情に身を任せ、隠れていた林から飛び出して男と宇海を強引に離す。

「た、大輝!? 」

 いきなりのことに宇海はとても驚いていた。しかしすぐに平静を取り戻した彼女は

「ちょ、ちょっと、何してるの!? 」

 と俺に怒りをぶつけてきた。俺は彼女の強気な言葉に負けずに返す。

「何言ってんだ、あいつの顔、よく見てみろ」

 俺に言われて、宇海は視線を男の方へと向ける。自身が捉えたものを見て、彼女は一瞬息を止めた。

「な、何よ、あれ……」

 俺たち2人の目の前にいたのは、先程までの古風な美少年ではなく、肌を鱗まみれにして、長い舌を出した妖怪だった。切長の目は一層鋭く、こちらを睨みつけている。

「ば、化け物!? 」

 体を震わせている彼女を、俺はあの妖怪から庇うように体を広げる。

「少し下がってろ」

「下がってろって……大輝、あんな奴に勝てるの? 」

 宇海は俺の後ろですごく不安そうだ。

「大丈夫。勝算はある」

 こんなやりとりをしている間、蛇の妖怪は

「おのれ……おのれ……」

 と地響きにも似た声で、こちらを睨んでいる。今にもこちらに襲い掛かりそうな勢いだ。

「さあ、こい。妖怪め」

 やつは言葉を合図にすると、俺の方に向かって走り出した。俺はポケットからじいちゃんからもらったお札を取り出して、やつの攻撃を防ぐ。妖怪は先ほど立っていたところまで吹き飛ばされた。お札の想像以上の威力に俺は驚く。

「おぉ、すげえ、じいちゃん」

「感心してないで! まだ来るよ! 」

 宇海に言われて、妖怪の方をみる。やつは体勢を立て直し、再び走ってこちらに向かってくる。俺はお札をもう一枚取り出して防ぐ。今度は吹っ飛ばされることなく、なんとか耐えているようだ。

「なあ、宇海」

「なに? 」

 妖怪との交戦中、俺は後ろの彼女に話しかける。

「俺、お前が好きだ」

「はあ? 」

 アドレナリンが出過ぎているせいなのか、俺は予定していない言葉を口走ってしまっていた。

「こ、こんな時に何言ってるの? 」

 ちらっと見た彼女の顔は、真っ赤になっている。

「お前だって、こんな状況で何照れてるんだよ! 」

「て、照れてないわ! バカ! 」

「とにかく! 俺はお前のことが好きだ! 妖怪なんかにたぶらかされてしまうお前のことが……ちゃんと返事くれよ、こいつ倒し終わったら! 」

「じゃあそのためにも、そいつ早くどうにかして! 」

 それを聞いて、俺は再び妖怪の方に向き直る。彼は強い力で俺を倒そうとしている。相変わらず地響きのような声で「おのれ……おのれ……」と呟いている。

「うおおおお! 」

 俺は力いっぱいやつを押す。すると妖怪はバランスを崩し、体勢を崩した。俺はその隙をついて、やつの額にお札を貼った。お札のまわりの皮膚は熱を持ち、あたりには焼け焦げた匂いが広がった。

 妖怪はしばらく熱さにのたうち回っていたが、しばらくすると大人しくなった。

「やられた……の? 」

 俺の背後から、宇海が倒れた妖怪の様子を窺っている。

「いや、確かじいちゃんの話だと……」

 俺は反対側のポケットにしまっておいたお札を、一枚取り出す。先程使っていた、墨汁で文字が書かれた黒いものではなく、紅色で模様が書かれたお札だ。

「これを貼るとやつは消滅するらしい」

 俺は妖怪の胸の辺りにそのお札を貼った。すると、やつの体はまるで灰のようになり、俺たちの目の前から姿を消した。

「すげえな、じいちゃん。まさか本当に妖怪を倒す力持ってたなんて」

 俺は少し、じいちゃんのことを見直した。

「た、大輝……」

 お札の力に感心していると、宇海がいつもよりも小さな声で俺の名前を呼んだ。

「ん? 」

「……あ、ありがとう。助けてくれて」

 いつもの強気な宇海はどこへ行ってしまったのか、その言葉はとても気弱なものだった。

「お、おう……」

 そんな彼女の態度に、こちらも少々調子が狂う。

「よく気がついたね。あいつが妖怪だって」

「いやだってさ。湖のほとり、美少年、それに女ばかり狙うって……まさにじいちゃんの話してた通りだったじゃん。気づかない方がおかしいでしょ」

「……」

「……と言っても、俺も最初は気づかなかったんだけどな」

 俺が笑ってそういうと、彼女は釣られて笑った。

「そういえば、まだだったな」

俺は宇海に聞く。

「へ? 」

「その……返事だよ、返事! 」

「あ、ああ……」

 自分で話を戻しておきながら、心臓の音が口の中まで響く。

「今までさ。大輝のこと、いい幼馴染としか、思ってなかったんだけど。私を全力で守ってくれる姿、ちょっとだけかっこいいって思った」

 ちょっとかよ!と突っ込みたくなったが俺は口には出さなかった。

「ありがとう。私も、大輝のこと、好きだよ。だから……また妖怪に襲われそうになった時は守ってね? 」

「次は変な妖怪にたぶらかされないでほしいけどな。もちろん、その時は守ってみせるさ」



 中学2年生の夏休み。俺は妖怪に出会った。そして、大切な相手に気持ちを伝える勇気を得た。

 


(了)


 

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蛇の妖怪と夏の恋 旦開野 @asaakeno73

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