第7話 「本を務む。本立ちて道生ず(務本。本立而道生)」

  「本を務む。本立ちて道生ず(務本。本立而道生)」

  「物に本末あり、事に終始あり(物有本末,事有終始)」


  「常識を疑う」「固定観念と戦う」という若い心が、数千年の歴史の流れの中で失われていないのは素晴らしいことですし、2千年も経ってから批判されるだけの精神的遺産を持つ国というのは、世界でも中国くらいのものでしょう。

  それくらいしっかりとした(精神・物質的)歴史を持つ国だから「孔子批判」なんて言っても、彼らの血の中には根本の理念がDNAとなって流れている。

  理と徳と誠による政治で天下大道を往く中国と、口先ばかり理念を唱え、現実には利念と利得ばかりに汲々たる台湾客家(及び、その仲間の各国政治屋たち)。

  この二つの形而上的な面における違いを、今回の紛争における両者の言動から学ぶことができたという意味で、私にとっては非常に有益な3ヶ月間でした。


  誰でも・どこの国でも、まず「飯を食う・お金を稼ぐ」ことが大切とはいえ、そのために精神を犠牲にしては本末転倒というもの。「精神を尊重した食やカネ」なんて、いまどき流行らないと考えるのは、西洋的病気です。中国では現実に、そういう正しい道・教育をやっている(中国という国家が許容している)のですから。


○ 雲南省にある「近視の児童0人」の小学校 その秘訣は?

http://j.people.com.cn/n3/2022/0909/c94475-10145415.html

人民網日本語版 2022年09月09日15:36


  この学校は、特に「修身・道徳」を教え込んでいるのではなく、東洋的な「自然に順応した無理の無い発育」を助ける教育をすることで、目がいいばかりでなく、本当の人間に近いという意味で、極めて健康な精神と肉体を成長させることができている。


  ここに掲載された子供たちの、邪気のない純真無垢な素晴らしい笑顔。

  「小学校から英語教育」なんて、所詮は金儲けにつながる教育を強制される国々とは、根本的に違うものがある。

  日本の黒澤明監督映画「素晴らしき日曜日」に登場する野球少年たちや、「二十四の瞳」の子供たち。日本にもかつて、今の中国の子供たちと同じくらい素晴らしい魂を持った子供たちが沢山いたのですが。

  

  台湾客家も在日韓国(百済)人も、いい加減、モノカネによるケンカ(優劣競争)という幻影から目を覚まし、中国人のように、心の豊かさによって現実の飯が食える民族に、あと何千年かかるかわかりませんが、なれるよう努力すべきでしょう。


2022年10月16日

V.2.1

平栗雅人

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