第六章 四大公ギエユーヴ

「お待たせしました!紅茶を三つとスコーンです!ゆっくりとお楽しみください!」

「いろは君。次は五番のテーブルにドラゴン・クッキーを五セット追加だ」

「り、了解!あ、はい!ハーブティーのお代わりですね!ちょっと、お待ちいただけますか!?」

 開店して二週間が経った。

 カンヘルは、ごらんのとおりの大盛況。

 開店後、一週間続いた閑古鳥状態が嘘みたいだ。

 先日のシヨちゃんの来店を皮切りに、続々とお客さんがお店に押し寄せるようになった。

 シヨちゃんが来店した日の夜、わたしはハリスさんとお店の経営スタイルについて話し合い、まさかのプランBを選択することになった。

 プランAは従来通り、営業時間を通してお店を開けるやり方だ。

 だが、想定以上のお客さんの殺到に対し、わたしたちは予約制のプランBに変更した。

 時間を一時間ごとに区切り、途中休憩をはさみながら予約したお客さんたちを入れ替えながら営業することにしたのだ。

 そうしなければ、竜たちの体力が持たない。いや、竜たちは平気かもしれないけれど、わたしたちが持たない。

 予約制にした場合、お客さんが諦めてお店から遠のく心配もあったが、全くの杞憂だった。予約はみるみるうちに埋まっていき、一か月後まで満杯になったのだ。

 お店の評判も上々である。期待以上に、竜たちはお店とイーマの人々に順応してくれたからだ。

 元気いっぱいのファフや人懐っこいコアは子供や若い人たちに大人気。おもちゃと、ごはんのドラゴン・クッキーがあれば、いくらでも遊んでくれる。ファフは気まぐれなので、時々、あらぬ方向に遊びに行ってしまうが、それがまた可愛いらしい。愛嬌たっぷりなコアは、お客さんからべったりと離れない。

 マイペースのヨルはシニアや落ち着きたい人たちに大好評。膝の上に乗せてもじっとしてるし、気が向いたらドラゴン・クッキーをもぐもぐと食べる。時折、ファフやコアとじゃれて遊ぶことがあるが、そのギャップもいいらしい。

 一方、気弱なティアはあまりお客さんとは絡まない。天井付近に設えたベッドの中にくるまったまま、下の様子をじっと伺うのが日課だ。ごく稀に、水やご飯を食べに降りてくるが、その様子を逃すまいと、じっとチャンスを待っているマニアなお客さんもいる。触っても嫌がることは無いし、何故かティアに触ると幸運が訪れるというウワサが広まっていることから、運気向上を目的にティア目当てに来る人たちも少なくない。そのティアが自分から遊びに行く唯一のお客さんがシヨちゃんだ。シヨちゃんが来るとティアが下りてくるので、ここぞとばかりにティアを触ろうと人だかりができてしまう。いつしか、シヨちゃんは幸運の女神と呼ばれるようになっていた。

 町の人たちへの認知度も進み、買い出しの時のこちらへの対応もずいぶん柔らかいものになった。

「竜たちはたくさん食べるんだろう?持っておいき」

 そう言って、差し入れを手渡してくれる市場の人たちも増えた。元の世界で保護猫カフェで働いていた時も、猫たちの餌やトイレの砂など、差し入れには十分助けられた。人々の善意で成り立つ仕事なのだ。

 大慌てで一週間が過ぎ、週末の営業も無事に終了した。

 最後のお客さんを笑顔で送り出し、やっと人心地がつき、椅子に崩れ落ちる。

「今日もお疲れ様。明日は休みだ。ゆっくりしよう」

「そうですね……。とりあえず、一日中寝ていたいです」

 ハリスさんが出してくれたお茶を受け取り、一口すすった時だった。

 からん。

 入り口のドアベルが軽やかに鳴った。

「すいません。今日の営業時間はもう……」

 そう言いながら疲れで重くなった腰を上げたわたしの疲労が、目の前の人物を見て一度に吹き飛んだ。

「いろは。ハリス。よろしくて?」

「ジュケイヌ様!?」

 夜の時間帯にふさわしい、黒いドレスと紫のローブを羽織ったジュケイヌが店の入り口に姿を見せた。

「様はつけなくても結構です、いろは。お仕事が終わった後で申し訳ないのですが、少し、お話がしたくて」

「じゅきーぬだ!わーい!」

「じゅけいぬ!ふぁふはきおくりょくわるい」

「……こんばんはー」

「……」

 ファフ、コアが真っ先に飛び出し、ジュケイヌにじゃれつく。少し遅れて、ヨルがジュケイヌの前に腰を下ろした。ティアは自分のベッドにくるまったままだ。

「先日は世話になりましたね。貴女がたのおかげでイーマの平和と秩序は守られました。父のスール候と市民に代わり、篤くお礼を申します。もっと早く、改めてお礼を言いに来たかったのですが、みなさんお忙しそうだったから……」

 ジュケイヌの言うとおり、彼女が店に入るのは一週間前の猟犬との死闘以来である。お店の前で二度ほど顔を合わせ、挨拶をしたぐらいで、まともに会話もできていなかった。

「あまり気になさらずに。ジュケイヌ嬢ならいつでも歓迎しますよ」

「そうはいきません。入店は予約制で、しかも、かなり後まで入っていると聞きました。わたくしもお店を利用する以上、お店のルールには従います。それに、竜たちとは開店当初にたくさん遊べました。しばらく、市民の方々に楽しんでもらえれば十分です」

 ハリスさんが出したお茶を美味しそうに口に含みながら、ジュケイヌが竜たちと戯れている。本気モードの竜たちの突撃をものともせずに、優雅にお茶を呑む姿は流石の一言だ。

 そういえば。

「ジュケイヌ……さん。あの、例の犬たちはどうなったんですか?」

 わたしの質問に、ジュケイヌの形のいい眉が、珍しくほんの少し歪んだ。

「再起不能だそうです。さて、ギエユーヴ大公が、何というか」

 なるほど。ジュケイヌが「いったん」と言っていたのはこのことなのか。どうやら、国同士でいろいろと問題が残っているらしい。

「そもそも、そのギエーとかブーとかいう発音しづらい人は何者なんです?」

 わたしの言葉が可笑しかったのか、ハリスさんもジュケイヌも同時に噴きだした。

「ギエユーヴはこの世界の北方を守る太守、大公だよ。天下に武名を轟かせる、天下最強の英傑だ。君の住んでいた土地では知られていないのか?」

「え、ええ。まあ」

 やばい。藪蛇をつついたか。わたしが異世界から来たことがばれてしまいそうになり、思わずドキドキしてしまう。

「その様子では四大公のこともご存じないようですね。我々人間の生活圏には七つの公爵家が存在し、その中で抜きんでて大きな力を持つ四つの公爵家を、わたくしたちは四大公と呼んでいます。その大公に並ぶ存在として、漂泊公という方もおられるようですが……」

「領地も領民も持たず、血族で繋がらず、一人、世界を放浪する漂泊公か。まあ、おとぎ話の世界だな。民話の登場人物はともかく、北方のギエユーヴ、東方のダーハオラ、西方のリモー、そして、南方のズシマ。これをもって四大公と称されている。人間たちの王家は、三百年前に魔王との戦いで滅亡してしまった。後に摂政家が代理としてトップに立ったが、こちらも百年前に勢力が衰え、今は各地の貴族たちの食客となりながら各地を転々としている有様だ。今や、人間たちの政治の実権は四大公が握っていると言ってもいい」

 なんだか、とんでもない人物のお犬様を怪我させてしまったようだ。

「大丈夫なんですか、ジュケイヌさん」

 先程まで朗らかに笑っていたジュケイヌの顔が、にわかに曇り始めた。

「我がスール家は代々ギエユーヴ家と同盟を結んでいます。スール領が平和でいられるのは、ギエユーヴ大公の後ろ盾があってのこと。なるべく、関係を悪化させるような展開は避けたいですわね。実は、一週間前にギエユーヴ領から猟犬を受け取るための一団が派遣されたとの連絡を受けています。もうそろそろ、着く予定ですが……」

 ジュケイヌの言葉を、騒々しい馬の蹄の音がかき消した。音からして相当な数だ。

「お出でなさったようですわね」

 がらららん。

 ドアベルが荒々しくなったかと思うと、一週間前にお店に駆けつけてきた、あの中年の騎士があの時と同じように飛び込んできた。

「も、申し上げます!ジュケイヌ様!何とか止めたのですが、こやつらが!」

「どけ」

 突然、後ろに鎧兜に身を包んだ大男が立ったかと思うと、騎士の首根っこをつかみ店の外に放り出した。

「無礼である。侯爵家の騎士を何と心得るか」

 ジュケイヌの叱責に臆することなく、大男は傲然とした態度で扉の横に控えた。

 奥から、何者かが店に入ってくる。

 入ってきたのは白銀の鎧に身を包んだ壮年の男だった。青白い顔、後ろに撫でつけられた黒髪、酷薄そうな顔のつくり。一目で嫌なヤツだとわかる。わたしの目の合図に気づいたハリスさんが、竜たちを自分の周りに集めた。

「お初にお目にかかる。スール候のご令嬢、ジュケイヌ殿。我が名はジョキタ。ギエユーヴ公家の第二家老を務めている」

 慇懃な態度で一礼したが、全く心がこもっていない。完全にこちらを見下しているのが明らかにわかる。

「表敬の申出は既に受けています。ずいぶん、お早いお付きですこと。ですが、面会は侯爵家の城館にて受けると回答したはず。場所を移しましょう」

「いや、ここで結構。生憎と時間が無いのでな。早速だが、今回のスール家の不始末について、こちらの満足のいく対応をお見せ願いたい」

「え?不始末って」

「お前は黙っていろ、小娘」

 ジョキタが蛇のように冷たい視線でわたしをにらみつける。腹の底から冷たくなってくるような、冷気を帯びた眼力だ。

「ギエユーヴ大公絡みというと、例の女神の猟犬の話か。何故、スール家に不手際が?」

「何だ、貴様は!俺は侯爵令嬢と話をしに来たのだ!」

「問われたので、一応、名乗っておこう。私はハリス。人の店にいきなり踏み込んできて、その言いぐさはないだろう。そちらの望み通りに会談の場所を提供してやってるんだ。こちらの質問に答えてくれてもいいはずだが」

 流石はハリスさん。怯むことなく、ジョキタを問い詰める。

「ハリスの申す通りです。我々スール家に何の咎があるのか、こちらがお聞きしたい」

「我らの積荷を破損させたことについて、だ」

 苦々しげな表情を浮かべながら、ジョキタが胸を反らした。

「ギエユーヴ大公への献上品である女神の猟犬が脱走し、スール家の者たちの手によって大怪我を負わされた。まことに遺憾だ」

「負わされた?わたくしたちは市民に被害が及ばないよう、対処したまでです。むしろ、こちらがお聞きしたい。女神の猟犬は一頭だけという報告でしたが、何故二頭いたのです?虚偽の申告ではないのですか?」

「さあ、知らんな。何処かで伝達について過失があったのだろう。そんなことはどうでもいい。問題は大公に猟犬が届かなくなったことだ。この点について、スール家はどのような誠意を見せてくれるのかな?」

 滅茶苦茶な言い分だ。自分たちで猟犬を逃してしまいながら、その責任をこちらに押し付けようとしている。

「大公は義と名誉を重んじる御方だ。そなたらの行為は大公の想いを踏みにじるものである。大公はお怒りだぞ?」

「賠償金を払え、とおっしゃるのですか?」

 ジュケイヌの言葉に、ジョキタが侮蔑するかのような表情を見せた。

「見くびるな。大公は清廉な御方。金になど執着はせぬ。大公がお求めになるのは、ただ武のみだ」

「武力?しかし、天下最強を誇るギエユーヴ大公を満足させるような武力は、当家には……」

「あるだろう」

 ジョキタがハリスさんの方を指さした。

「猟犬の代わりに、竜を差し出せ。それで、手を打とう」

「ふざけないで!!!」

 雄叫びを上げて、わたしは受付の机を思いっきりグーで殴った。めっちゃ、痛い。痛いけど、その痛みを怒りが一気に押し流してくれた。

「ファフたちは絶対に渡さない!帰って!」

「だから、貴様は黙っていろと言っただろう!この下郎が!」

「下郎でもゲロでも結構!お客じゃないならとっとと帰ってよ!このゲロ野郎!」

 ジョキタの額がピクピクと痙攣しはじめた。幽鬼のように青い顔が、わずかに紅潮している。

「ゲ……ゲロだと!?なんて下品で下劣な女だ!」

「じぶんだって、いってるじゃん」

「きさまもげろっていっただろ。ふぁふもっといってやれ」

「……なんか、はきそうなきぶん」

「おといれ、いく?」

 ファフたちの煽りに、ジョキタが歯ぎしりの音を上げた。

「貴様らの意見など、どうでもいいのだ!決定権はスール侯爵家にある!いいか、ジュケイヌ嬢!竜を差し出さなければ、大公の庇護を失うぞ!そうなれば、武力に乏しいこの国はひとたまりもあるまい!その口の減らない四匹の生き物と、自国の領民との命と、どちらが大事かよくよく考えるのだな!期限は明日正午!城門の外にてスール家の返答を待つ!」

 それだけ言い放つと、ジョキタはマントをひるがえして店の外に出て行った。

 あ、明日!?

 私が文句を言おうと追いかけるより前に、蹄の轟音があっという間に遠ざかって行った。

 撤収したようだ。

 なんだ、あいつ!!!

 怒りを込めてドアを叩き閉めようとした時、今までずっと入口の隅の特等席に座っていたアントワーヌがひらりと足元に飛んできた。

 いつの間にか、入り口横に近づいていたハリスさんが、身をかがめて何事かをアントワーヌに呟く。アントワーヌは耳をピコピコと数度動かすと、夜の闇の中に走り去っていった。

 呆気にとられたわたしの横を、今度はジュケイヌが通り抜けていく。

「厭な男。それはともかく、面倒なことになりましたね。これより城館に戻り、父と側近たちを交えて協議してきます」

「ジュケイヌさん……。ファフたちは、どうなるんでしょうか?」

 未だ状況を理解できていないファフを抱き上げ、不安げにつぶやいたわたしに、ジュケイヌが力強い笑みを返した。

「もちろん、渡すようなことはいたしません。この子たちはわたくしの命の恩人、そして、友です。あのような信頼できない男に、みすみす友達を売り渡すようなことをするものですか。父が反対するようなら、わたくしが説得いたします。それでは、明日正午、城門の前で」

 物騒な連中に驚いて集まった市中の人たちの間を通り抜けて、ジュケイヌは城館に戻っていった。心配そうな表情を浮かべる皆さんにぺこぺこと頭を下げながら、わたしは扉を閉める。

 心配そうな顔を浮かべているのは、竜たちも同じだった。

「大丈夫よ、心配しないで。さ、ご飯を食べて、もう寝ましょうね」

「ごはん!おにく!」

「ふるーつ!ふぁふはやさいもたべろ」

「……みるく、のみたい」

「はやく、ねたいな」

 それぞれ、竜たちがフロアの中央に集まり、思い思いに晩ご飯を堪能し始めた。

「我々も晩飯を取らないとな。心配するな。ジュケイヌを信じよう」

 わたしが座っている机に、ハリスさんが夜食を置いてくれた。分厚くスライスし焼き上げられたベーコンに、蒸したニンジンとキャベツの上にマスタードドレッシングをかけたものが添えられている。隣にはいい香りのするハーブティー。いい香りのオーケストラに誘われて、わたしは無心でかぶり付いた。

 一方のハリスさんはベーコンをはさんだトーストを慌ただしく口に放り込むと、結っていた髪の毛をばさりと解いた。精悍な顔つきが、妖艶な雰囲気を湛えた美女に変わる。

「すまないが、片づけは任せる。いろは君、早めに休むんだぞ」

 そう言い残すと、ハリスさんは階段を登り、自室に消えていった。

 口の中に溢れた生唾をハーブティーと一緒に流し込むと、わたしは自分と竜たちのご飯皿を洗い、竜たちをそれぞれのベッドに寝かしつけ、一階の照明を落とした。

 二階に上がり、お風呂に入って汗を流し、自分の部屋に戻ったのは午後十時頃。

 ベッドに座ると、一週間の疲れと今夜の騒ぎのストレスが一気に押し寄せ、わたしはそのまま横になった。頭の中は心配と不安でいっぱいだが、それをかき消すような穏やかな波が、身体の奥から染み渡っていく。おそらく、ハリスさんが淹れてくれたハーブティーはカモミールの類だろう。安眠効果があるお茶だ。

 照明を消し、ふとんをかぶると、あっという間に眠気の大波に巻き込まれていく。波間に漂いながら夢の世界に沈んでいくわたしの耳に、ハリスさんの部屋の扉が開く音が微かに聞こえたような気がした。

 何処に行くんだろう?お風呂かな?お手洗いかな?

 そんなことを考えながら、わたしの思考は深い眠りの水底へと消えて行った。


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