第四章 四番目の黒い竜

 一週間の準備期間の後、わたしたちがここのカフェをオープンしてから一週間が過ぎた。

 時間は午後三のお昼時。

 大きな窓から燦々と陽光が入り込み、思わず、うとうとと微睡みかける。

 竜たちも、部屋の中にそれぞれ設置したベッドの中で眠りこけていた。

 我々がこんな状況であることから、だいたいは察していただけるだろう。 

 そう。

 暇である。

 開店してから今まで訪れたお客様の数は、ゼロ。

 いや、一応、たった一人だけは毎日やって来てくれるけど。

「このままだと、今日もジュケイヌだけだな」

 お茶のカップをわたしに手渡し、ハリスさんが苦笑いを浮かべた。

 結局、隣国に旅立つはずだったハリスさんは、竜の生態を調べたいという理由で、このお店に残ってくれることになった。旅人を引退したら、自分と同じ旅人たちが立ち寄れるサードプレイス的な場所を開きたいという目的も持っているらしく、その予行も兼ねているらしい。

 ハリスさんは出会った時の厚ぼったい旅装とは違い、如何にもカフェの店員を思わせるような、黒と白を基調としたシックな装いをまとっている。動きやすいよう、スカートではなくパンツ姿だが、その様子はまるで男装の麗人だ。長い髪は首の後ろで丁寧に結ってあるが、短く切れば、宝塚の歌劇にも出てきそうな感じである。美人は何を着ても似合うから、ずるい。あの指輪も、しっかりつけている。

 わたしの方も、ハリスさんと同じ衣装を身に着けているが、わたしはパンツではなくスカートである。二人の服はジュケイヌが準備してくれた。既製品だが、二人とも身体にぴったり合っている。ここだけの話、下着についても、わたしがいた世界と特段に違いが無いのは助かった。デザインと着心地には目をつぶる他ないが、この際、贅沢は言っていられない。

 このイーマで暮らし始めて一週間。

 だんだん、生活にも慣れてきた。暮らす分には全く問題ない、安定した平和な都市である。

 わたしが出歩くと市民のみなさんがもの珍しそうな視線を向けてくる。いきなり竜を連れて現れたのだから、それは仕方がない。石を投げられたり、拳を振るわれないだけマシである。むしろ、買い物の時にも誠実に対応してくれることから、イーマの人々の人徳の高さを感じることができた。これもスール候の治世が上手にいっているからだろう。

 お店兼住居となったカンヘルでの生活は快適だ。

 まず、居住性についてだが、スイッチひとつでガス灯は点くし、ガスを使って料理もできる。何より嬉しいのはお風呂だ。シャワーも温水だし、バスタブにだってお湯を張れる。上下水道は完備されているから蛇口をひねれば水は出るし、トイレが水洗なのも大助かりである。流石にウォシュレットと消音装置は無い。トイレもバスもわたしの部屋の向かいにある。ハリスさんはあまり気にしていない様子だが、女子二人の共同生活とはいえ、生活音を共有するのは、やっぱりちょっと恥ずかしい。

 お店としての活用も、申し分ない。元々はお役所だったためか、基本的な構造は地味でお堅いが、堅牢なので竜たちの大暴れにも耐えることができるのは心強い。映えのしない内装は観葉植物とアンティークな家具、そして間接照明でカバーした。わたしがいた世界のカフェと殆ど見劣りしない出来栄えだ。

 ちなみに、お金の出所はハリスさんの本の印税である。本当に、ここにいてくれてよかった。

 さて。

 これでお客さえ来てくれれば万々歳なのだが。

 今の所、来てくれるのはジュケイヌのみ。

 必ず来ますと仰っていたが、本当に、しかも、毎日来てくれるとは思わなかった。

 侯爵令嬢という忙しい身でありながら、時間を見つけて顔を出してくれる。ジュケイヌがお店に現れると店の周りに人だかりができることから、彼女がイーマ市民から愛されていることがよくわかる。できれば、一緒に入ってきてほしいんだけどね。

 ジュケイヌが現れると竜たちも大喜びだ。マイペースなヨルは自分から寄ってくることはないが、ファフとコアは喜び勇んで遊ぼうと、いや、暴れようと飛んでくる。

 ジュケイヌの異名である金剛令嬢は伊達ではない。

 先日、元気があり余ったファフがカフェの柱に全力突撃をした時は、軽い地震でも起こったかのようにカフェ全体が少し揺らいだ。まだ子竜だが、竜の身体能力は他の生物を圧倒している。だが、その超常的な体力すらも、ジュケイヌは軽々しく受け止め、捌き切る。竜たちのタックルや頭突きを受けても顔色一つ変えない。むしろ、楽しそうにしている。竜たちもジュケイヌ相手なら全力で遊べることがわかっているからか、本当に楽しそうだ。金剛とはダイヤモンドのことだが、本当に身体の組織がダイヤでできているのではなかろうか。もちろん、彼女の美貌もまたダイヤの如し。今年の冬には十七になるようだが、既に各所から求婚の依頼が殺到しているとか、いないとか。

 そうそう。実は、開店した翌日に新たな同居人、いや、同居猫がやって来た。店の入り口の向かって左側の角にある椅子の上に、丸くなって眠っている。名前はアントワーヌ。優美な姿をした、オスの白猫だ。

 正直に言うと、わたしは竜と同じくらい、この世界の猫のことを心配していた。もし、迷い猫や保護猫がいるなら、彼らもカフェに迎え入れようと思っていたくらいだ。だが、ハリスさんから聞いたこの世界の猫たちの生活は、実に驚くべきものだった。

「猫たちの心配なら、杞憂だ。猫たちは独自の生活圏を築いており、各地に猫たちの自治領がある。人間の言葉はしゃべれないものの、賢く、勇敢で、様々な仕事を請け負いながら自活している。主な仕事はネズミ取りだが、その能力を活かして密偵として雇われることもあるようだ」

 実際、アントワーヌがやって来たとき、もう一匹、キジトラの猫が同伴していた。ハリスさんがキジトラ猫の背負っていた皮袋に硬貨を入れると、ご利用ありがとうございますとばかりに一声鳴き、店の外に走り出ていった。

「ネズミ取り用の料金だ。二か月に一回、お金を徴収に来る」

 元々、税務署として使用されていた時から猫もいたのだろう。扉には猫用の通り口があり、アントワーヌはそこから自由に出入りしている。食事は外で小動物を取ってくるのか、わたしが何か知らの食べ物を差し出しても、身向きもしない。竜たちとはじゃれあうことはないものの、関係は極めて良好だ。

 さて。ハリスさんが淹れてくれたお茶も無くなった。夕暮れ時になり、慌ただしくなったのか、イーマの人たちもお店を覗く暇も無くなったようだ。わたしたちも、そろそろ店じまいをしなければならない。元から、開店休業状態だから、開いていても閉まっていても同じようなものだけど。

「ハリスさん。今日の晩御飯、何にしま……」

 からん。

 背伸びしながら立ち上がったわたしの背後から、ドアベルが小さく鳴り響いた。

 寝ていた竜たちが一斉に目を覚まし、首を伸ばす。

 ジュケイヌ?でも、今日は既に午前中に来ているはず。

 振り返ったわたしの視線の先で、ドアが小さく開いている。

 通りの雑踏の音と共に、小さな声がカフェの中に入ってきた。

「あ、あの」

 女の子だ。十歳ぐらいだろうか。丁寧に結われた栗色のおさげと同じ色をした大きな瞳が、わたしたちをじっと見つめている。

「おもだち!」

「ともだち!ふぁふはへたくそ!」

「……んー?」

 興味を持ったファフたちが一斉に羽音を響かせて飛び上がる。

 びっくりした女の子が顔を半分ドアの後ろに引っ込めた。

「みんな落ち着いて!ちょ、ファフ!まだ飛んでいっちゃダメ!女の子、怖がってるでしょう?ハリスさん、ちょっとお願いします」

 視線をじっと少女から動かさずに、ハリスさんが竜たちをだっこして集めていく。突然やって来た少女に、ハリスさんも興味をひかれているようだ。

 わたしは姿勢をつとめて低くし、少女の視線の高さで態勢をキープしながら、ゆっくりと少女に近づいた。猫も子供も、自分より背の高いものを警戒する。スピードが速ければ、なおさらだ。相手に緊張させないためにも、こちらも相手の視線の高さに自分を近づけることが大事なのである。

 ハリスさんがファフたちを押さえてくれているのがわかったからか、少女の顔から若干緊張の色が消え、今度は顔だけではなく、全身が店の中に現れた。空色をしたロングのワンピースの上にグリーンのジャケットを着けている。なんとなく、上品な感じを受ける子だ。

「いらっしゃい。お店に遊びに来てくれたのかな?」

 わたしの笑顔に、少女はふるふると首を横に振った。

 なんだ。違うのか。

 心の中で頭を床に打ち付けたが、かろうじて笑顔はキープできた。

「じゃあ、お嬢ちゃんはどうしてお店に?」

「竜を……」

「え……」

「ちっちゃい竜を……見たの。街中で」

 そうと聞いたら、じっとはしていられない。

「今から出かけるのか?もうすぐ夜だぞ?」

「だからこそ、放っておけません!」

 竜たちをハリスさんに預けると、わたしは女の子と一緒に街に出た。何時ものように、敵意や悪意こそ入ってはいないものの、周りの人たちからの好奇の視線を浴びながら街の中を進む。わたしの傍らでは、ややうつむきながら少女が続いている。

 少々空気が重苦しい。なんとかして空気を変えなければ。

 そうだ。まだ名前を聞いていなかった。

「ええと。わたしは、いろは。止来いろは。もしよかったら、名前を聞かせてくれる?」

「シヨです……」

 それだけ言うと、シヨちゃんはまた押し黙ってしまった。

 何とか会話を続けなければ。

 そうだ。場所、場所。

「その……いったいどこで竜を見たのかな?」

「中央市場の……ちょっと奥に入った裏道にいたの。最初はなんなのかわからなかったけど、お姉ちゃんたちが連れていた生き物を思い出して。ひょっとしたら、竜じゃないのかな、て」

「何時ごろから?何回くらい見たの?」

「お母さんと一緒に買い物に来た三日前、かな。それからは毎日見てる。他にも気づいている人がいるかも」

「そう。教えてくれてありがとう。お姉さんが必ず竜を見つけてあげるね!」

 わたしがにっこりとほほ笑むと、シヨちゃんは微かに笑みを返した。

 少し照れ屋なだけで、こちらのことを悪くは思ってはいないようだ。ちょっと安心した。

 ほっと胸をなでおろしたわたしの前に、中央市場の門構えが現れた。わたしもここで何回か買い物をしたことがある。昼間は出店と買い物客でごった返しだが、夕暮れ時の今の時間帯は閑散としていた。

「ねえ、お姉さん。もう、何処かに行っちゃったかな」

「いいえ。きっとこの近くの何処かにいると思うよ」

 そう。

 市場は食べ物が集まる場所だ。ここにいれば、気づかない内に地面に零れた食べ物に預かれる。なにより、市場では出店や資材がそのまま置かれている。身を隠す場所も多い。猫なら、きっと何処かに隠れている。

 なんとなく、わたしには察しがついていた。竜と猫は似ている。性格も体質も、竜と猫はそっくりだ。

 とりあえず、今は竜の捜索だ。積み上げられた資材や出店の陰を丹念に見て回っていく。完全に夜のとばりが降り、市場の街灯も明々と火を灯らせていた。その灯りを頼りに地面に腹ばいになりながら、わたしは子竜を探していく。時折行きかう人たちが何事かと不審な面持ちで通り過ぎて行くが、わたしは一向に気にならない。二十一世紀の日本でも、同じような視線は嫌というほど浴びてきた。もう、慣れた。

 探し始めて三十分程、わたしは果物屋の出店の横に積まれた資材の前で、動きを止めた。

 いた。

 資材の隙間に隠れるようにして、一頭の子竜が息を殺して潜んでいる。体色は真っ黒だ。夜の闇より、なお黒い。金色にぴかぴかと光る瞳には、あからさまに不安と不信感の色が浮かんでいる。うまくいくかどうかはわからないが、じっくりと時間をかけて、距離を詰めていくほかない。わたしが長期戦を覚悟した時、横からぴょこんとシヨちゃんが覗き込んできた。

「竜さん、いた?」

 この動きにびっくりしたのか、突然、竜が奥から飛び出してきた。

「わあ!」

 びっくりして後ずさりしたシヨちゃんが足元を崩し、石畳の上に叩きつけられた。

「大丈夫!?」

 慌ててシヨちゃんを抱き起したわたしの前で、子竜が一瞬だけ、歩みを止めた。

転んで手を打ったシヨちゃんの掌から、血がにじんでいる。その様子を見て、子竜は申し訳なさそうな表情をわずかに見せたが、わたしと視線が合うや否や、一目散に市場の夜の闇の奥に走り去っていった。完全に、見失った。

 失敗だ。

 子竜が走り去った方向を、わたしは呆然と眺めるしかなかった。


 

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