第三章 ドラゴンカフェ「カンヘル」
「カフェを開く?」
ハリスさんが猪肉を頬張りなら愉快そうに笑い声を上げた。まるでお菓子を食べる少女のような顔だ。
「かへ?」
「かふぇ!」
「……それ、ごはん?」
わたしの手から受け取った猪肉をもくもくと食べながら、三匹の子竜たちが興味深そうに聞いてきた。
「カフェ。みんなといっしょにごはんを食べるところなの」
「ごはん!たべれる!かへ、すごい!」
「そうだよ。ファフ。みんなとごはんを食べれる、とってもいい場所だよ」
「かふぇ!かへじゃない」
「よく言えたね。コア。おりこうさん」
「……おかわり」
「はいはい。すぐあげるから待っててね、ヨル」
赤い子竜はファフ。
白い子竜はコア。
青い子竜はヨル。
わたしはそう名付けた。
竜たちに名前を聞いてみたら、三頭とも首を傾げていたので、名前を付けてあげたのだ。
彼らも特に不満はないらしく、すぐに自分の名前を認識し、お互いの名前を呼び始めた。
「ふぁふ、かへ、いきたい!こあも、よるも、そこ、いく!」
「かふぇ!ふぁふ、へたくそ!こあ、じょうずにいえる!」
「……よる、もっとごはん」
三匹に猪肉をあげながら、わたしも炙り肉を口に運んだ。塩とハーブだけの味付けだけど、とっても美味しい。まあ、わたしが気を失っている間にハリスさんが仕込んでくれたんだけど。
食事をしつつ、わたしはハリスさんからこの世界のことをいろいろと教わった。
今いるこの国はスール侯国。王家にも連なる名門スール候が代々治めてきた国だ。
あの空から降ってきた令嬢は現スール候の一人娘、ジュケイヌ・スール。本当はもっと長い名前らしいが、それだけ覚えた。
この遺跡から首都のイーマまでは半日ほどで行けるらしい。意外と、近い。まあ、旅人のハリスさんの足で半日だから、わたしはもう少し、かかるかもしれない。
食生活については、わたしが元いた世界とはそう違わない。スール侯国については、ほぼヨーロッパと同じ食生活だ。カフェもすんなり受け入れてくれるだろう。
揃えるべきものは、まず、お茶だ。紅茶とほぼ同じ製法で作られるお茶があるから、これは準備したい。ハーブ類も豊富らしいからハーブティーもいけるだろう。ハリスさんはドライフルーツを携帯していたし、果物も普通に出回っているに違いない。フレッシュジュースもゆくゆくは出したいと思う。
食事については、当面はお菓子系で行こう。小麦と砂糖はあるらしいので、ちょっとしたケーキ類や焼き菓子は作れるはずだ。猫カフェ定番の猫のおやつ、つまり、竜のおやつだが、食事についてはNGが多い猫とは違い、竜は何でも食べれるらしい。ちょっとずるいけど、人間用のクッキーと竜のクッキーは併用してしまおう。
残念ながら、コーヒーや米、麺類は無いようだ。こちらはメニューから外すしかない。
「まずは場所だな。良い場所をあてがってくれるといいが」
「そうですね。でも、小さな場所でも大丈夫です。まずは、ハリスさんやこの子たちといっしょに暮らす所がないと」
食事を終え、片づけをしていたハリスさんが噴きだした。
「おいおい。私もか?私は旅人だぞ?」
「え?いっしょにいてくれないんですか?てっきり、いてくれるものかと」
「君たちをイーマに送り届けたら、次の国に行こうかと思っていた」
ハリスさんは獣が近寄らないよう火を起こし、てきぱきと寝床の準備をしていく。寝袋はハリスさんの分しか無い。わたしは固辞したが、結局、ハリスさんの寝袋を拝借することになった。
「次に行く国の予定も決めてある。残念ながら、君たちとはイーマでお別れだ」
「カフェ、やったことあります?」
「ない」
「ハリスさん、作家でしょ?きっといい経験になりますよ!」
「あいにく、私の作風にはあわない」
「まー、そう言わずに」
「いわすにー!」
「いわずに!ふぁふ、へたくそ!」
「……ねる」
わたしといっしょに竜たちが声を上げた。
「竜たちといっしょに暮らしましょう!こんなこと、滅多に経験できませんよ!」
焚火に照らされたハリスさんの瞳に、ほんの少しだけ、興味の光が灯った。
作家なら、きっと、得難い体験になるはずだ。
わたしの誘いには答えず、無言のまま、ハリスさんは眼を閉じ、わたしも寝袋に身を包んで横たわる。
夜と眠りが、あっという間にやって来た。
翌朝。
陽が昇りきらない時刻にわたしはハリスさんに起こされ、昨日の猪肉の残りで朝食をとると、イーマに向けて出発した。街に行くわけだからメイク直しをしたいところだけど、残念だがコスメの持ち合わせがない。携えていたはずのバックは周囲には見当たらなかった。おそらく、こちらに落ちてきた時に紛失してしまったのだろう。スマホも財布も無くしてしまったわけだが、どのみち、異世界では使えないだろうから問題はない。だが、携帯用のメイク道具まで何処かに行ってしまったのは痛すぎる。一応、ハリスさんが湧かしてくれたお湯で軽く身体は拭いたので、匂いは大丈夫なはずだ。たぶん。
いろいろと乙女な悩みを抱えながら、わたしたちは街を目指して進んでいく。
途中、荒れた道はあったものの、街道はそれなりに整備されており、歩く分には問題ない。ただ、現代日本の都会育ちであるわたしには、やはりきついものがある。正直、スニーカーで助かった。パンプスやヒールだったら、絶対に音を上げていただろう。
途中、数回休憩しながら、山を下り、谷を登り、沢を越え、集落を通ること数時間。
ようやく、首都イーマの城壁が見えてきた。
ハリスさんは通行許可証を提示し、わたしを連れて中に入ろうとしたのだが、衛兵たちは槍を重ねたまま、どこうとしない。
衛兵たちの視線は、当然ながら、わたしの足元にいる竜たちに一点集中している。
「その妙な生き物はなんだ?モンスターか?」
まあ、普通、そう聞くよね。
「竜だ。害はない」
「がいない!」
「がいはない!はがぬけてる!ふぁふ、まちがい!」
「……おなかすいた」
「ししししししししゃべったぞ!こいつら!」
衛兵二人が同じようなアクションと言葉を発して後ずさった。
うん、普通、そう反応するよね。
「そんな得体のしれん化け物を入れることはできん!」
「ハリスとか言ったな!許可証を持っている以上、お前だけは入門を許可するが、後ろの小娘と怪物はダメだ!」
小娘?わたし、二十四ですけど?まあ、童顔だとはよく言われる。
「通行許可証には『帯同も含む』とある。規則上は問題ないはずだ」
「き、規則は人間にのみ適用される!」
「私の友人にはエルフやドワーフもいるが、彼らが入った記録があるはずだ。彼らは人間ではない。前例があるなら、適用されてしかるべきだろう。近隣の農家も牛や豚を連れて入門するはずだ。竜も生物なら同様に扱うべきではないのか?」
理路整然としたハリスさんの問答に聞き覚えのある言葉が出てきた。
エルフ?ドワーフ?
アニメやゲームで聞いた響きだ。考えれば、竜もいるわけだし、いても当然か。どうやら、この世界はファンタジーな世界らしい。
ふと、門の向こう側に人だかりができていることに気が付いた。わたしたちのやりとりに興味を持ったのだろう。ファフたちに気が付いたのか、驚きの表情を浮かべている者もいた。
衛兵も背後からの視線を感じ、退くに退けなくなったのか、さらに意固地になる。
「ならぬと言ったら、ならぬ!早々に立ち去れ!」
「らちが明かないな。では、この許可証の内容について疑義を問いただしたい。許可証は各国が加盟する中央政府が発行している。つまり、許可証の責任者は侯爵だ。侯爵に取次ぎを願いたい」
「バカを申すな!侯爵がお前のような旅人風情に会われるはずがない!」
「仕方がない。プライベートな事情で入門したくはなかったので伏せていたが、実は侯爵令嬢との謁見を許されている。嘘だと思うなら、今すぐ確認してきてくれ」
「我々は衛兵だ!ここにいるのが我らの役目だ!誰が確認になど行くか!」
「では、私自身で確認するとしよう」
ハリスさんが外套から右手を出した。
え?戦うの?
衛兵の顔色が変わり、手にした槍を身構えた。向こうも戦闘態勢に入ったようだ。
「力ずくで入ろうというのか!?血迷ったか!?」
「入るのは、私じゃない」
ハリスさんの右手は剣には伸びず、美しい形をした唇にあてがわれた。
木枯らしのような、甲高く、乾いた口笛の音が、数度、周囲に響き渡る。
四度目の口笛が消え去ろうとした時、その口笛に応えるかのように、空の奥から鳴き声が帰ってきた。
城壁に大きな影が舞っている。何かが飛んできたとわたしが気づいたのと同時に、羽音が降りてきた。
衛兵が腰を抜かさんばかりに、足腰を震わせている。
大鷲が、ハリスさんの傍らに降り立った。背丈はハリスさんとほぼ同じ。
びっくりした表情で固まるわたしと子竜たちをよそに、ハリスさんは懐から例の手帳と鉛筆を取り出し、さらさらと何事かを書き付け、そのページを破り取ったかと思うと、足元の小石を拾って包み結んだ。
「よく来てくれた、我が友の一族よ。これを侯爵令嬢に届けてほしい。おそらく、約束した広場で待っているはずだ」
大鷲は行儀よく包みを受け取ると、大きく羽をはばたかせた。あたりに土埃を舞い上がらせると、勢いよく空に舞い上がり、城内の方へ飛んでいく。
「すげーはやい!」
「すごくはやい!ふぁふはらんぼう」
「……ねえ、ごはんまだ?」
興味津々に見ていたわたしと竜たち、そして、ハリスさんに別れを告げるかのように、城内から戻ってきた大鷲は大きく一度旋回し、また空の彼方に消えていった。
もはや言葉もなく、呆気にとられていた衛兵たちの後ろから、ざわめきが聞こえてくる。
群衆の群れが、まっぷたつに割れた。
さざ波のように観衆の声は静まり、靴音だけが響いてくる。
侯爵令嬢ジュケイヌが姿を現した。
白いドレスと青いローブを身に着け、着飾ったティアラや首飾りが、午後の陽光を反射しキラキラと輝いている。まるで女神のように美しい。熊を百頭殺した挙句、猪まで屠った人物とは思えない。
令嬢に気づいた衛兵が姿勢を直立に戻す。
「侯爵令嬢にあらせられましては本日もご機嫌うるわしく……」
「御託はよろしい」
城門に重い金属音が二つ、響いた。
ジュケイヌの凄まじい気迫を受け、気絶した衛兵が丸太のように転がっている。
あ、やっぱりこの人、熊殺しの人だ。
「こえー!」
「こわい!ふぁふはしつれい」
「……いっしょじゃないの?」
慌てて三頭を抱き寄せる。
「ち、ちょっと……!あ、すいません。この子たち、まだ言葉を覚えたばかりで……」
「正直でよろしい。お待ちしていましたよ、わたくしの友たち」
城内の群衆から声が上がった。ハリスさんが言ったことが本当だったとわかったらしい。
そのハリスさんは優雅な動作で頭を垂れ、ジュケイヌの前でひざまずく。
「お約束した時間よりだいぶ遅れて申し訳ありません。ハリス・エグザイルズ、止来いろは、並びに三頭の竜、ただいま参上つかまつりました」
「構いません。少々トラブルがあったようですね。それでは参りましょう。あなたがたの新たな家に案内します」
踵を返して先に歩くジュケイヌの後に続き、わたしたちは首都イーマの中に入った。
「こちらの建物でよければ、どうぞ自由にお使いください」
ジュケイヌに案内された建物は、中央広場から少々東に入った通りにあった。
わたしは小さな家屋でもいいと思っていた。
こじんまりとしたお店でもやっていければと思っていた。
だが。
目の前に建つ建造物は、広さはちょっと大きめのコンビニほどで高さは二階建て。
横浜の有名な歴史的建造物、山手二百三十四番舘を思わせるような造りである。
立派な建物だ。
外壁は少しくすんではいるものの、むしろ、ひなびた感じがカフェにはぴったりである。
「つい最近まで税務署兼職員住宅として利用していた建物です。昨年造成した新庁舎の中に税務署も移転したため、今は空家となっています」
ジュケイヌが大きな鉄製の扉に鍵を差し込み、押し開く。
広々した空間が、そこには広がっていた。
大きな窓が適所に設置されており、部屋の中に燦々と陽光が入り込んでいる。
入り口近くには部屋の両隣まで届く備え付けの机が置かれてある。かつては受付窓口として使われていたのだろう。引き続き、カフェの利用者への応接場所として使いたい。右端には出入り用の推しドアが設置されており、ここから机の向こう側と出入りするようだ。
部屋の左手には部屋が二つ。一つは事務室兼炊事場。もうひとつは倉庫だ。
カフェとして利用するならこの一階のフロアが最も好ましい。炊事場で料理をし、竜たちの休憩場所やトイレには倉庫を使おう。
次に部屋の右手にある階段から二階に上がる。
階段を上がったすぐ傍に扉がある。そういえば、外から見た時に外付けの階段が設置されていた。ここから屋上に上がれるのだろう。
階段を上がって左手、つまり、一階の玄関口の上に位置する場所には部屋が三つ並んでいた。どれも私室として使えそうだ。ハリスさんと話し合い、手前から順番にハリスさん、物置、そして、わたしという順番で部屋を利用することになった。
右手側には手前側から小さな倉庫部屋、トイレ、そして、わたしが熱望していたバスフロアがある。シャワー、バスタブ、洗面所と文句のないフルセットだ。
「ガスも上下水道も通っているので、快適に使えると思います」
感激。ガスが使えることが意外だった。そういえば、街並みは中世風だったが、ガス灯と思しき照明が路上に並んで立っていたっけ。電気は流石に無理なようだが、生活様式は近代的であり、わたしのような現代人には嬉しいこと限りない。
喜ぶわたしの横をジュケイヌが手配した家具職人たちが慌ただしく通り抜け、二階の我々の部屋にみるみるうちに家具が運び込まれていく。
ベッド、衣装ダンス、机、椅子、ドレッサー……女性の一人暮らしに必要なものがあっという間にあてがわれた。鏡台の引き出しにも、たっぷりとコスメが入れられていく。流石は同じ女性、ジュケイヌはわかっている。
そのジュケイヌが感心しまくりなわたしの傍らに立った。
「ここでカフェを開くという話は本当ですか?」
ジュケイヌの言葉に、わたしは頷く。
「竜と人とがふれあい、友だちになれる場所にしたいと思っています」
「すてきなことです。わたくしも必ず、足を運びます。お二人と竜たちが暮らしていくぶんについては最低限準備させていただいたはずです。何かあったら、すぐに連絡をしてください」
そう言い残すと、深々とお辞儀をするわたしに軽く手を振りながら、ジュケイヌは店を後にしていった。
さて。
いよいよ、本格的にカフェ開店に向けて準備開始だ。
わたしはハリスさんからメモ用紙を一枚もらい、鉛筆を借りると、これからやるべきこと、揃えなければならないことをメモし始めた。
そうだ。
まずは店名を考えないと。
「私の部屋までできてしまったぞ。明日には旅立つんだがな」
苦い顔をして肩をすくめるハリスさんに、わたしはぽつりとつぶやいた。
「カンヘル」
「うん?」
「お店の名前です。『カンヘル』にしました」
ハリスさんの瞳に、好奇心の光が走った。
「カンヘル……。聞いたことが無い響きだ。なにか由来があるのかな?」
「わたしが来た世界……じゃなくて、わたしが住んでいた地方の言い伝えです。神様が世界の原型を造った後、次に神様は四匹のドラゴンを造りました。それがカンヘルです。カンヘルたちは東西南北にそれぞれ飛び去った後に歌を歌い、その歌から万物が誕生したと言われています。そのカンヘル竜たちみたいに、ここで暮らす竜たちが新たな世界を創ってくれたらいいな、と思ったんです」
ハリスさんの両目がキラキラとキラ星のように輝き始めた。美人だが、顔の表情は豊かな人である。自分の内心をオープンにする、裏表の無い、誠実な人だ。
ちなみに、カンヘルの話は南米に伝わる伝説で、南米を旅したお客さんから聞いた話である。メルヘンな感じがして、頭の中に残っていた。
「いい話だ。詩情をくすぐられたよ」
「でしょ。さて、わたし、これから買い物に行かないと……」
「メモをくれ。私が買ってくる。君はイーマに不慣れだろう。いっしょに行くのもいいが、竜たちの面倒もみなければならない。ほら、ヨルが欠伸をしている。竜たちも疲れているようだから、君はここでお留守番をしつつ、お店の内装でも考えておいてくれ」
わたしからメモを受け取ると、ハリスさんは夕暮れの街に買い出しに行ってしまった。
「ねみー」
「ねむい。ふぁふは、はわー」
「……ぐう、ぐう」
竜たちはわたしの部屋の思い思いの場所に陣取ると、そのまま、すやすやと寝てしまった。
愛らしい顔を眺めながら、窓の外の夕日に目を細める。
カンヘル。
それが、わたしの新しい居場所。
そして、新しい世界。
これから起こる様々な出来事を思い、わたしは胸をときめかせた。
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