第14話 平坦でない旅路(1)

 乗合馬車はピットブルグを出ると、周辺の農村を回って街から戻る利用者をおろし、残ったアーヤ達のような少数の長距離移動者を乗せたまま街道を北上する。

 魔王の領土である大陸の西側からは離れているので、街道に危険は殆どない。ごく稀に、西側から流入した亜人だの魔物だのの生き残りが村落や馬車を襲撃したが、まだ食い詰めた人間が盗賊ばたらきを行う方が件数が多い。


 用心のために武装した冒険者や傭兵が同行するが、護衛が主目的なのか、行き先が同じなので有事の際の加勢を条件に運賃をまけているのか、それはケース・バイ・ケースだった。


 今回もピットブルグから二人の冒険者が同乗していた。どちらも外套の下になめし革の鎧と小剣で武装していた。使い勝手はよいが、本格的な戦闘には力不足感がある装備なので、携帯している荷物の方に半弓や楯、槍といった武具を持っているのかも知れない。

 揃って、目つきが鋭い男たちだった。


 他の客は北方の郷里に帰るという中年男性と、行商目的の初老の商人が乗っている。アーヤは気軽に自分が王国週報の記者と告げていた。それでシェイマスは今回の取材先への道案内と称していた。


 これに御者を含めて、乗合馬車は街道をゆく。ゆくと言っても荷台を引きながらでは、早駆けなんて速度は出ない。それでも人間よりも大きな四足獣なので、歩幅のワンストロークがはるかに大きい。これで馬を休ませながらでも丸一日歩けば、人間よりも多くの距離を進んでいる事になる。

 地球の距離換算で日に40キロ前後といったところか。

 人間も一日で30キロは歩くと言われていたが、老若男女問わずに馬車に乗せれば一律、同じだけ移動できると考えると、やはり乗り物は偉大であった。


 予定では街道上の宿場町で宿を取りながら、二日でカナル村の麓に到着する。そこでもう一晩宿をとり、翌朝から山道を登る。

 が、そこまではひたすら馬車に揺られるだけ。

 これが結構キツかった。

 車輪はゴムタイヤでないし、高度なサスペンションがある訳でもない。路上の石ひとつで馬車が跳ね、衝撃は打ち消されることなく椅子へ伝わる。


 それでも金属の板バネを使った初歩のサスペンションは装備されているようで、石に乗り上げて側横転、という事態は免れていた。

 そして乗り手側であるアーヤが準備した、外套を何度も折ったクッション。これで何とか衝撃を看過できるレベルに抑えている。

 これで問題は解決かと言うと、キツいのは振動だけではなかった。


 暇だ。

 贅沢な話ではあるが、なにせスマホやモバイルパソコンのある世界ではない。紙も貴重で、街でのちょっとした読み物ならあるが、旅先に持ち込めるような本はまだ珍しい。暇をつぶせる娯楽は中々なかった。

 さらに人が歩くよりは速いという馬車の速度では、幌の中に入る空気も微風で、広くない客室の空気は生ぬるい。


 追い討ちを掛けるのは外の風景だ。起伏の少ない平地を選んで作られた街道に変化は少ない。ずっと続く直線は刺激がなく、こうなると次には瞼が重くなってくる。

 朝からドタバタと忙しなく、ダンジョンに身を隠して、挙句に戦闘まで巻き込まれた。そこから解放されれば、どっと疲れを覚えるのも当然だった。

 アーヤは精神抵抗に失敗し、馬車に揺られながら眠りの世界に落ちていた。


~ ~ ~ ~


 ぴちょん、と水音がひとつした。

 それで目が覚めた気になったが、辺りは暗く、真冬の川の近くにいるかのような肌寒さがあった。幌の中の温んだ空気と一変している事と、街道の風景が見えない事から、どうも自分は眠ってしまい、今も夢の中という事らしい。と、いうか――


「あ、しまった?!」


 思わず声が出るのは、ここがまた”しじまの神”が見せている夢ではないかと気付いたからだった。

 高位の聖職者が、夢見で神託を授けられるのは実際にある。ではこれはソレなのかと問われると、どうにも判らず、身に覚えもない。

 闇の神々の中の破壊神だの邪神だのと呼ばれる御歴々が、荘厳さで神官に落涙させるような演出をするとも思えない。そしてアーヤの郷里に祀られている”しじま様”とは、袂は分かっても闇の神々の親類縁者であった。


 ゲッソリとしながら周囲を確かめると、またも水辺にいるようだった。目の前には触れられそうな程に凝った闇を湛えた淵がある。

 覗き込んだら今朝の悪夢のように水の中に落っこちそうな気がして、足を踏ん張って堪える。すると淵を満たした闇の中央に小波がたち、みるみる同心円を幾つも重ねたような波紋になる。


『これは”しじま様”の聖印だ』


 里から持ってきたナイフにも刻まれている意匠と同じだ。その事に気付いたのも、つい最近ではあったが。

 何が起こるのか。目を凝らすと、波紋を構成する同心円の合間から音が聞こえて来た。ささやきのように小さい、そう思った直後、頭名の中に直接、響き出した。


 まるで左右の耳からそれぞれ好き勝手な言葉を囁き、吹き込んだようだった。うわん、と頭の中で言葉が渦を巻く。

 何を言っているのか理解しようと耳を澄ますと、どうも単語だけが響いているようだった。もう少し、何とか。そう思って声に耳を傾けるや、言葉と一緒に目まで回ってきた。


『あ、これ、まともに聞くと正気じゃ無くなるやつッ』


 とっさに淵から目を逸らし、うずくまって視線を切って耳を塞ぐ。それからダンゴムシのように丸まって耐えた。何に耐えているのか判らないが、頭の中に渦巻く闇の神の声が静まるのを待つ。

 夢の中なのに額に脂汗が浮かんだ。


『なんで!? なんでこんな事にっ?!』


 思わず漏れる弱音だが、そういう理不尽が正に神威というものだった。

 吹き荒ぶ暴威に土にしがみついて堪えていると、嵐が次第に収まってくる。というか、頭の中で荒れ狂う言葉がクリアになってきた。同じ言葉のタイミングが揃い始め、判断できる反響のある音、程度に変わってきた。

 もう大丈夫だろうか。頬を引きつらせ、アーヤは今一度、頭の中に響く声に耳を傾ける。


「快……愉快……騒々しい……光明神……信徒……徒労……愉快」


 どうも”しじま様”は誉めているらしい。が、アーヤは喜ぶわけでも、神妙にするわけでもなく『あー……』という微妙な顔になる。


 ニュアンスを汲み取るなら、今朝のアーヤ達の逃避行が、愉快である、と。それは騒々しい光明神と、その大勢の信徒を相手取り、見事に煙に蒔いたからであり、彼女の郷里に祀られた神様は光の神々と敵対こそせずとも、それで喝采するくらいには毛嫌いはしている、という事だ。

 背教者とは当たらずとも遠からず。増々、世間の目がこわい。


『あー、破壊神とか邪神って、信仰してるのバレたら死罪だっけ、うちの国?』


 そこまでのキワモノじゃないと思いたい。そんな小市民的な心配に胸を痛めていると、”しじまの神”の声音が変わり、人の身には無慈悲な事が告げられる。


「里の子……真……殊勝……信仰……報いる……我……巫女……任命」


『やめてくださいッ、闇の神の巫女とか社会的に死んでしまいますッ!?』


 本心では首を犬猫のように左右に振るいたいが、先程からのポーズのまま、平身低頭のアーヤである。もちろん、気が気ではない。中立とはいえ、本質は現行の神々に対立する闇の神の一柱である。


『あーーーー、王国週報って兼業できたかなー』


 なんて軽く現実逃避するうちに、頭の中に木霊するしじまの神の声が遠くなってゆく。最後に、


「我……希求……静寂……夜」


『あ、それだけは同意できるかも……』


 と思ったのも束の間、アーヤは尻の下から小突かれるような衝撃で腰が浮き、思わず仰け反った拍子に、幌の骨材である木に後頭部をぶつけていた。

 今度は頭の中に星の神々が待った。


「うっぎぎぎぎぎ……」


 涙目で辺りを見渡すと、そこは乗合馬車の荷台で、気遣わし気な表情の老商人と目があい、それから笑いを嚙み殺したシェイマスに声を掛けられる。


「良く寝ていたな。車輪が石を踏んでな、随分と飛び上がったぞ」


「乙女の寝顔を見ておいて、言うに事欠いてそれですか」


 悔し紛れにそうは言うものの、気恥ずかしさは『驚いて起きて頭をぶつけた』辺りに掛かるので、実際はおそろしく色気がない。シェイマスも困ったような顔はするものの、


「ま、じきに宿場町だ。宿代はギルド持ちだし、麦酒エールの一杯くらいつけよう。それで乙女の尊厳は収めてくれ」


「乙女には麦酒エールじゃありませんよ、まったく……」


 アーヤはジト目を送りつつ、シェイマスの後ろに見える光景に気を惹かれていた。

 宿場町近くの畑が広がっていた。それが風に揺れる一面の麦の穂だったら情緒もあるだろうか。残念ながら、次第に秋が深まってゆくこの時期、麦は種まきの季節だ。

 土が剝き出しの畑に作物の姿はなく、所々で農夫が牛にスキを引かせて土を起こし、麦を蒔く準備をしていた。

 山里育ちのアーヤには、こう言った大規模な農業の方が珍しい。山の農地は面積が限られる。斜面にこしらえた猫の額ほどの耕作地では、牛馬も活躍する機会が少なかった。


『あ”あ”~~~~~……』


 心中で何とも重たい溜息が出た。

 実家の事をわざわざ思い出すのは、さっきの夢の事もあってか。あれは闇の神々の神官就任という事だろうか。


『えぇと、戒律とか、あったっけ?』


 故郷の小さな神殿を思い浮かべるが、そういう厳格さは無かったように思う。念のため、手紙でも書いて聞いてみるか。いや、そんな事をしたら『帰ってこい』と言われるのが関の山だ。それは困る。


『……どうせ光明神の神官からは背教者呼ばわりだし、この取材だってその流れだし。むしろ、今のままでも良いのでは?』


 楽な方に考えていると、一瞬、カナル村の神殿の、野戦病院のような有様が思い浮かぶ。


 ああいうのは、良くない。

 あの衝撃にうちひしがれた時の感情を忘れず、取材を続けていけるなら、それは光明神嫌いの”しじまの神”の注文にも、応えている事になるのでは。

 でもそういうのは反権力とか、反骨とか、色々と味方の少ない、大変なスタンスになるのかも知れない。


『いやいや、そういうエラそうなのじゃなくて……むしろ、カナル村みたいな件こそ、取りこぼさないような記者に……』


 漠然とだが、そう考えて納得しておく。結果として、本人未承認の信仰形態は、彼女に社会派記者としての道を歩ませるようだった。

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