第13話 突破

 いくら人気のない迷宮が静かと言っても、走ればたちまち足音がたつ。

 小鬼ゴブリンたちも直ぐに接近するシェイマスに気付き、烏の警戒声のように耳障りな叫びをあげ始めた。

 暗がりの向こうから向けられる意志を察知し、彼は左手のランタンを突き出した。そして鉈を持ったままの右手で、素早くつまみをひねる。


 ランタンの基本構造はシンプルゆえ、冒険者の蛮用にも耐えうる堅牢さがあった。底部のランプを太い四本の柱が支え、火の保護には厚い硝子が嵌め込まれている。四面の硝子を覆っている遮光版には小窓があり、シェイマスがつまみを捻ると、小さな丸い窓が開いた。

 と、小窓から一条の閃光がほとばしる。


 遮光板の裏は磨き上げた金属の輝きがあり、その中で揺らめく火明かりを強く照り返す。小窓から出て闇を裂いたのはそれだった。

 ちょうどこっちを向いたゴブリンの目を、突然の閃光が焼く。

 たちまち獣じみた悲鳴があがった。ゴブリンの目には迷宮内の壁が発する僅かな明かりで充分だった。そこを突然、閃光を突き付けられるのだから、堪ったものではない。


 蹲る小さな人影たちへシェイマスは殺到するや、額の高さに振り上げた鉈を梃子の要領で振り下ろす。ぴうと風を切って真直にかけ下るのは農具の筈が、おそろしい剣勢があった。

 最前にいたゴブリンの頭が割られ、目を押さえて蹲ったまま崩れ落ちる。

 続けざまに、もう一体。シェイマスへ差し出されるような形になった後頭部から、耳の上へ掛けて一太刀。

 力みも淀みも無く、鉈の重量の全てを無駄なく活かしているようだった。素晴らしい業の冴えだ。が、次の標的は勝手が違っていた。


 シェイマスとゴブリンの目が合った。そいつは目を覆って泣き叫ぶ仲間の後ろに隠れていた。偶然か、それで光条をやり過ごした様だった。

 シェイマスの左手が再びランタンを向けるより早く、そいつは自分が隠れていたゴブリンを後ろから突き飛ばした。目の見えないゴブリンはつんのめり、予想外のタイミングと低姿勢で彼の足にまとわりついて来る。

 そして間髪を入れず、仲間を突き飛ばしたゴブリンは何処に隠していたのか、両刃の小剣を腰だめに構えて突進してきた。


 迷わずしてのけたのは、人間であったならそれなりの悪党だろう。が、それこそゴブリンだ。ずる賢くて残忍。味方も同族もあったモノではない。

 今も同族が傷つくかも等とは気にも留めず、小柄な体躯の全てをかけて突き込んでいた。生来、殺しに慣れた、あるいは身の安全すら度外視した、野獣のような殺法だった。


 同じことを衆を頼りに一斉に行えばベテラン冒険者でも不覚を取り兼ねないし、駆け出しの冒険者なら一体が相手でも戸惑い、後の祭りとなる。

 人間は激しい憎悪をぶつけられる事に慣れはしない。受け身に回り、自分を殺害しようとする程の悪意をぶつけられると、素人であれば容易く戦意を砕かれる。そして訓練を積んだ兵士であっても、心のどこかに傷を負う。

 蛮性を競う限り、闇の神々の亜人が優越した。


 シェイマスはその辺りを心得ているようで、こちらも迷わず、右足にまとわりついたゴブリンごと、突き込んでくるゴブリンを蹴りつけた。

 子供一人分といえば結構な重量だが、目を焼かれて何をしているか解っていないなら、抵抗もなかった。二匹はぶつかり、もつれ合って立ち往生する。シェイマスはそこへ大きく踏み込んで、


「”戦の時ぞ”」


 古典演劇のような台詞をはきながら、鉈を斜め下から摺り上げた。

 すると淡く光を発したかと思うと、鉈の刃はするすると伸び、見事な両刃の長剣に姿を変えた。見るからに鉈だった木の柄も、拳一つ半分の長さの、革紐巻きの見事な柄になっていた。柄頭には八面体の金属の柄飾りまであった。

 片手でも両手でも取り廻せる片手半剣バスタードソードというやつだ。それも闇の中でほの白く輝く刃をもった、魔法の武器だった。折れず、曲がらず、欠けず、切れ味も抜群。


 今も振り抜いた一太刀で手前のゴブリンを胴から脇の下へと両断し、後ろにいたやつの胸から大量のどす黒い血を噴き出させた。肋骨を切り裂いて肺を傷付けていた。

 同族を突き飛ばしたゴブリンは、肺にも流れ込んだ血液で溺れながら、恨みがましい目をシェイマスへと向け、膝から崩れ落ちる。

 最後の一匹はそれこそ夜烏のように、『ぎゃあぎゃあ』と泣き喚きながら、見えぬ目で大ぶりのナイフを振り回していた。小柄なゴブリンでは脅威にもならなかった。次の瞬間には長剣が横薙ぎに、その首を斬り落としている。


 シェイマスは剣身に手入れ用の雑巾で拭いを掛け、鞘に納めた。”見えざる鞘”は武

器の形が変わっても問題なく刃を収納する。


「そのまま鞘に戻すのですね……あ、もしかして、形が変わる時間が制御できないから、魔法道具の鞘なんて持ってるとか」


 痛くもない腹を探る声が思ったよりもすぐ後ろで聞こえてきて、シェイマスは小さく溜息を吐いた。


「あれだけ文句を言ってたんだ、もっと離れていれば良かったろうに」


「そんな事言っても、さっき明らかに危ない瞬間があったじゃないですかっ」


 少々邪険な扱いにアーヤは頬を膨らます。何をするつもりだったのか、用途不明の魔法の小杖を何本か握っていた。シェイマスはそれに器用に片眉だけ曲げて、


「知恵がありゃ、色んな事があり得るんです。例えば、キミを人質にするとか」


 戦時中の亜人による残虐エピソードだ。特に子供たちには義務教育とばかりに刷り込まれる物だから、アーヤも思わず言葉に詰まる。が、これで負けていては記者的にいけない。何に負けているのか、そういのは後回しだ。


小鬼ゴブリンに制圧された村の人々が、楯に括りつけられて使われた、って話でしょう?場所も規模も違うじゃないですか。前提が合いませんよ」


「なら駆け出しの冒険者が小鬼ゴブリンられる原因は?毒、弓矢に吹矢、罠、同時攻撃。それに後衛が回り込まれて、足を斬られて人質にされる。これだ」


「それこそ、裏回りされてる時点で詰んでるじゃないですかっ!」


「そう、詰むんだよ、容易く。知恵があるヤツとの殺し合いでは」


「あー言えば、こー言う!!男だったら小娘一人守ってやるくらい、どぉんと言えば良いじゃないですかッ!?」


 アーヤは一世代前くらいじゃ済まなそうな、古典的美徳を吐いていた。途端、シェイマスは困った、と言うより、嫌そうな顔になる。


「あー!見捨てるって顔してますっ?!」


「そりゃあ、”お役目”中だしなぁ……ご下命、如何にても果たすべし、って立場だよ、俺?」


「くっ、これだから心が乾いた都会モンは!」


「あー、はいはい」


 シェイマスは降参したように両手をあげる。


「この話はこれで終わり。終了。アーヤ君は戦闘になったら、俺には近づかない安全距離を確保するようにね?ウチの都合に巻き込んでいる以上、キミを見捨てるような真似はせんから。アーヤ君は自分自身の安全を全力で確保するように」


 いつの間にやらカーソンさんからアーヤ君呼ばわりになっていたが、打ち解けたというよりは、扱いがぞんざいになっている気がしてならない。

 だいたい、以前に戦闘はしない、みたいな事を言っていたシェイマスだったが、ゴブリン5匹を一蹴した手腕は本物だ。明らかに彼は戦士であり、それを隠していた。


 アーヤはチラリと左手に巻いている包帯を見て、小さく溜息を吐く。

 何のかんのと助けられてはいるが、あちらの都合に組み込まれているのも確かだった。そのうえ安全な距離を用意され、粛々と取材をさせてくれると言うのだから、仕事の上では良い事ずくめではある。


 しかしアーヤ的には巻き込まれているだけのようで、何だか面白くない。

 などと彼女がモヤモヤしているうちに、シェイマスは出発の支度を終えてしまう。迷宮産の亜人達が持っていたナイフや小剣を回収して、自分の剣を拭った雑巾で包み、背嚢の隙間に差し入れて、


「さぁ、出口まであと少しだ」


「えぇと、今更ですけど、お怪我が無くて何よりでした?」


「……なぜに疑問形?」


 まだ何かあるのだろうか。戦闘とは別の警戒をしつつ、シェイマスは背嚢を背負って先を促す。二人はゴブリンの目から隠していた光源を出して再出発した。

 ゴブリンの死体は放置された。迷宮のモンスターは活動を停止した後、一晩もすれば綺麗サッパリ消える。最深部の”核”に戻され、また”再生産”されるのだと言われていた。


 亜人が持つ武具や、人類領域の生物よりも強靭であったり特異であったりする生物の稀少な部位などは、地上へ持ち帰られて冒険者の活動資金になった。

 迷宮の富としてそれらを持ち帰る行為は、迷宮が歪めているとされる”万物の根源たるマナ”を地上に開放するとされ、冒険者の目下の目的となっていた。地球言語に口語訳するなら、ダンジョン・アタックしてダンジョンのHPを減らせ、であった。


 シェイマスはさっき展開しかけた自論も、そこに含まれると考えている。迷宮が形成される際、影響範囲内の鉱物資源は収集され、分別されて利用されている。これが亜人たちの武器になり、または成因を無視した鉱物資源になって迷宮内に露出する。

 とはいえ王国領土に迷宮が誕生してから数十年。今だ枯渇した迷宮は無く、”核”の破壊こそが、冒険者にとっての最終目標な事に変わりはなかった。


~ ~ ~ ~


 隧道は緩やかな上り坂となり、迷宮の一階を経由せずに地上へつながっていた。

 砂粒が吹いた砂岩の壁面は終わり、圧し固まった泥が壁を作っている。所々で白い縞模様が見えるのは、砂利の薄い層が細い線のように混じっているからだ。

 シェイマスが隧道の先に目をやりながら、ガイドのように壁面の解説をする。


「この辺りはもう迷宮の外だな。下町の本来の地層を掘り進んでいる。この泥は河が押し流してきた粘土や砂が混ざった物で、こっちの砂利は洪水で河の流れが変わったりして、一時は川底になっていた名残――」


 河川による一般的な堆積環境の説明だった。彼が岩妖精ドワーフの街で学んだ知識だ。

 ドワーフ達が金属や貴石を巧みに扱うのは、冶金技術のみならず、地質や土木といった知識も併せ持ち、物性や成因といった多角的な知見を持つからだ。決して神の恩寵のみ、という訳ではない。


 まぁ寡黙な職人気質が多いので、深く探っても『勘でエイ、ヤッ』とやってるように答える者も多いのだが。

 ところで、科学未実装な幻想世界で自然科学的な見解を突然語り始める事が、年頃の娘的にアリかと言われると、とても微妙だ。アーヤは職業柄、雑学おおいに結構だったので、今回はきちんと反応はしたが、


「え?洪水?」


 壁の縞模様を眺め、思わず首を傾げる。


「町史にそんな災害の記録ってありましたっけ?」


「ピットブルグの街がつくられる前の話だろうな。数百年……いや千年でも済まないか。それこそ伝説の魔法王国の時代よりも以前かも」


 歴史よりも伝説よりも古いとなると、アーヤの頭の中で該当しそうなのがピンとくる。


「それじゃ神話ですか。光と闇の神々の戦いで、天地が何度も捏ね繰り回されていますから」


「神学者たちはそう言って、経典との辻褄合わせに腐心しているね。岩妖精ドワーフたちは、『ありのままを受け入れろ』と言っていた。だから俺も洪水の原因までは、無理に考えないよにしているよ」


「そりゃ誰も、神話を見たわけじゃありませんものね」


 まさしく。シェイマスは微笑した。

 アーヤにしても見たどころか、主だった神話には影も形もない”しじまの神”を村をあげて信仰している事になっているので、経典絶対よりは、ドワーフ達の自論に共感を抱けた。


 それは王国週報の研修時代に、口を酸っぱくして言われ続けた客観性にも通じているように思える。ちょっしたスタンス上の共通点だが、そういのは嬉しいものだ。

 アーヤは意気揚々、上り坂も何のそのと、隧道を登り切る。


 と、そこで二人を待っていたのは鉄格子であって、見事に高揚感が粉砕される。


「何でぇ……もう追っ手に追い着かれていたんですか!?」


「落ち着きなさいって。こりゃ、魔物モンスター用の防護柵だな」


 辺りを見渡すと、地面に開口した隧道の入口は幾重にも積まれたレンガの建屋で隠され、鉄格子で街と区切られていた。モンスターが這い出てくる可能性があるのだから、それはそうだろう。

 シェイマスは鉄格子に取り付き、近くにいるだろう街の衛兵を呼んだ。


「おぅい、誰かいないかぁー。迷宮から出て来たんだ、開けてくれないかー」


 すると近くに詰め所があるのだろう、衛兵が鎧を鳴らしながら現れる。


「おぉ、隠し道の安全確保の依頼は、出してなかったと思うが……」


「新人に非常口の案内だ、ほら」


 そう――口から出まかせを――言って、シェイマスは冒険者の記録証の板をチラつかせる。それで納得したのか、衛兵は南京錠に大きな鍵を挿して回し、鉄格子を開けた。と、思ったら、


「ちょっと待っていてくれ。今朝から警邏神官にせっつかれていてな。念のため、こっちから出て来た冒険者は、分神殿の詰所に連絡する事になっている」


 そう言って帽子型兜ケトルハットの下で目を光らせた。

 ゲェー、シェイマスは内心で泡を吹く。まんまと監視の目を掻い潜ったつもりだったが、迷宮浅層の構造は流石に周知されているようだ。ここで足止めされるうちに、警邏神官を連れて来られては目も当てられない。というか、背後からアーヤのジト目の方を感じていた。


 これは拙い。一件を案じたシェイマスは、背嚢に挿していたゴブリン達の刃物を取り出して衛兵に見せる。


「ところで衛兵さん、こいつを見てくれ」


「すごく……ゴブリンの武器じゃないか?!」


「地下二階からの隧道トンネルで見つけて、倒しておいた。だが、もしかしたら……」


「仲間がいるかも知れないな!すぐに安全確認に行かないと。なぁ、あんた、光明神の分神殿に、自分で報告しておいてくれないか?」


「ああ、かまわんよ」


 シェイマスは衛兵の職業倫理の高さに心の中で感謝しつつ、迷宮出口の衛兵詰め所を後にした。衛兵は詰所に戻り、同僚たちと迷宮へ降りて行った。彼らは職務柄、街の中に通じているトンネルに、ゴブリンが居座っているのを看過する訳にはゆかなかった。


「彼らが真面目で助かったよ……」


 胸を撫でおろすシェイマスへ、アーヤは若干ひいた目を向ける。


「衛兵さんを偽情報で動かしてますよ、この人」


「失礼な。嘘は言ってないだろう。今なら小鬼ゴブリンの死骸だって見つかる。衛兵の仕事として名分は立つ……さ、こっちだ」


 シェイマスは先を促した。迷宮の隠し出口は既にピットブルグの街外れだ。下町から続いている安普請の木造平屋も、もう主要道に沿ってまばらに並んでいる程度だった。更に先に目を向けると街並は終わり、街道と畑が続いている。この辺りの家屋も、あの郊外の畑で働く小作人が多く利用していた。


 のどかな景観ではあったが、にわか逃亡者の片棒を担ぐアーヤにはそれどころでない。はやく乗合馬車を掴まえねば。そう思っていると、街の方から馬車が一台、都合よく走って来るのが見えた。

 体格の良い荷駄馬に引かれた二頭立ての幌馬車だ。行商人か乗合馬車だろう。御者に声を掛け、速度を下げてもらって話を聞くと、北方行きの乗合馬車だと解った。一も二もなく、二人は飛び乗った。


 これでようやく取材に行ける。

 硬い木の長いすの上に、脱いだ外套を丸めて座布団にして一息を吐くと、アーヤは今更ながら、動員された警邏神官たちの徒労に気が咎めてくる。が、よく考えればカナル村の奇病を取材してからこちら、彼等に目の敵にされて来たのは彼女の方だ。

『うん、やっぱり知らないふり、しとこう』と開き直る。


 あのカナル村の野戦病院じみた光景を思い出すと、地方とは言え救民が遅れていた光明神殿の体制を批判した事に後悔はない。それで神の威光に後ろ足で砂かけた背教者と罵られても、『知ったことか』である。

 出張前の妙なテンションで、そうアーヤは思うのだった。

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