第10話 五大種族の協約(2)
アーヤが日程調整などの打ち合わせを終えて鍛冶師ギルドを辞したのは、午後も大分回った頃だった。ゆっくりしていたらアッという間に夕方になるので、彼女は本来の予定である事前調査のため、翠玉の塔へ急いでいた。
シェイマスとは別れている。彼にしてもカナル村行きはいきなりの事のようで、今も鍛冶師ギルドで関係各所と調整を進めていた。
『真の銀のお役目』。
思いも寄らぬ方向へ、話が一気に転がっていた。
こういうのはドワーフが同族内で済ますモノではないのか、とも思うのだが、そういえば以前にシェイマスは、彼らの居住地である『鉄と火の
そんな事を考えながら官庁街の小綺麗な街路を、女性にしては大股でずんずん歩いてゆく。ただでさえ、この辺りは各神殿の神官たちが、ゆったりとした足取りで歩いているものだから、相対速度の違いで殊更、素早く見えた。
その健脚で小高い丘の上り坂を越えると、目的の翠玉の塔の下に出た。
塔と言っても、それこそ天を衝くような、超高層建築がそびえ立つわけではない。上へ向かってやや先細りになっている程度の円錐台だ。窓の並びを下から数えてゆくと、どうやら地上6階建てらしい。
領主のカーウェルシュ卿が魔術師を招聘し、鳴り物入りでつくった自慢の機関であり、地方都市には珍しい、王都を思わせる都会的な”におい”をさせていた。
万物の根源たるマナを操る一大技術体系である魔術を研究し、次代の魔術師を育成するほか、大陸の人類種領域を結んだ魔術による情報通信網”
といっても、そこはやはり根っこは地方都市であり、重要施設である塔のまわりには厳重な監視の目が———とはゆかない。軍用犬が放たれ、傭兵の手には連射式の
入口の警備員の小部屋へ挨拶すると、初老の番兵は前にアーヤが取材に来たのを覚えていた。
「おやまぁ、王国週報さんだね。今日は何の取材だい?」
「はい。今日は事務局さんに少し問い合わせが」
営業スマイルでこたえると、番兵は日頃と違う来訪者と反応に気を良くしたのか、たいした確認もせずに通してくれた。地方クォリティであった。
アーヤは共通語で『訪問者』と記された木札を紐で首から下げると、レンガ造りの廊下を歩いてゆく。内側から見る印象は円形の塔というより砦か何かのようだ。質実剛健の感すらある。
各階は大小の部屋で区切られ、研究員や学生の姿が見えた。
外壁の内側に沿ってレンガ積みの階段があって、魔術師の卵だろうか、少年少女が駆け下りてくる。彼らと行き交いつつ、一階の奥へ。翠玉の塔の事務局は鍛冶師ギルドの時のように、こじんまりとした静かなオフィスだった。
受付の中年女性に王国週報の名刺を渡し、取材の旨を伝える。そして『あいにくとその研究室はカナル村の第二次調査団として出張中』と聞けた。落胆したアーヤへ、代わりに彼女が出来る範囲で説明をしてくれた。取材の当事者にはちょっと訊ね辛い事も含めて。計画通りだった。
人間、要請を一度断ると、次のお断りへの精神的なハードルが上がるものだ。まして雑談混じりのお願いであれば、余計な資料でも閲覧出来たり、ついでに噂話などと口も軽くなる。
アーヤ自身は人の良心に付け入るようで乗り気でないが、それは王国週報の研修時代に教え込まれた話術だった。
師事してしばらく着いて回ったベテラン記者に、その事を訊いてみると、
『相手の受け取り方次第だろ。最後まで気持ちよく喋ってくれるようにするのは、お前さんの身の振り方ひとつさ』
あの年嵩の男性記者はそう言って、人の悪い笑いを見せたものだった。
なお、騙された者が最後まで騙されたと気付かないのは、詐欺師の言う最上の詐欺の事である。
そうして詐欺の手口に近似した手法で情報を得て、アーヤは事務局を辞した。メモ帳の走り書き、【録音】の魔法のステッキには遣り取りの記録。それなりに背後関係を知ることが出来た。
『調査団を指揮しているのはイライジャ・クレイグス教授。翠玉の塔の創設からの人で、五十代。前職は王都の魔法大学。専門は空間への影響全般……正直、それがどういう意味かは、魔法使いじゃない自分にはサッパリだけど、地水火風じゃ済まないのだから、すごい大魔術師なんだろう』
凄いとは、どうスゴイのだろう。自分の語彙力にちょっと自信が無くなって来るが、クレイグス氏が王都の魔法大学校の元研究者と知れたのは収穫だ。ドワーフのブレンダンは、人間社会でミスリルの精錬が行える施設は珍しい、と言っていた。その中の一つは王都の魔法大学だ。
そこから来たとなれば、ミスリル鉱滓に何らかの関与があるのでは、とも疑ってしまう。
『まー、なんて考え過ぎなんでしょうけど!』
先入観は厳禁。これも師の教えだ。
それよりも今は事務局のおばさんから聞けた、もう一つの成果だ。
溺死した――とされる――マイルズに対する反応。
彼はクレイグスと対立し、不遇をかこったのを嘆いていたが、研究室を放逐される等の報復人事にまでは発展していなかった。一部の同僚らは、彼が二次調査団から外されている事も知らされていなかったらしい。お陰で先日の出発の様子は、だいぶ浮足立ったものになったようだ。
事務局のおばさんは茶請けの焼き
『クレイグス教授もいきなりの事で、随分驚いていたようねぇ。水路に落ちて亡くなった方、教授が目をかけてたとかで』
どうもマーティン・マイルズとベーゼル・ヘイデンの両氏は、クレイグス教授が魔法の素質アリとして、戦災孤児の施設から翠玉の塔の教育機関へと連れ帰った逸材だったらしい。
ヘイデン氏の出立時の様子は一研究員に過ぎないので、残念ながら判らなかったが、
『期待の俊英同志、クレイグス教授にも恩義がある……なんかどろどろして来たような。二人とも係累は無いとの事だから、実家を嗅ぎまわるような真似はしなくて良さそう。あとは調査団に同行した土木建築業者にあたって、用意した資材の量を知りたかったけど……』
用立てた木材の量が判れば、工事の規模にも見当がつくだろう。
しかし今から探して訪れるには、廊下に差し込むのは既に西日の茜色だった。
今日の下調べは此処までの様だった。
~ ~ ~ ~
アーヤは夜道を歩いていた。深い、深い、粘るような闇の中を、一人で歩いていた。
ここは何処だろうと考えたのと、何処か近くで水音がしたのは同時だった。
もしや、色町の外側を囲っていた、あの暗い路地なのでは。そう思いつくや、辺りの風景は記憶に基づいて、そのとおりに着色された。
そこは薄暗く、湿った風の吹く路地で、彼女は水路のすぐ脇に立っている。そして最初にあった深い闇は、今は水路を満たす水に形を変えていた。日陰の中にあってなお濃い闇だった。
どういう訳か、アーヤは跪いて水路を覗き込む。
と、誰かに後ろから突き飛ばされた。
驚いて首を巡らせると、証言の通り、長い杖を持った人影が走り去るのが見えた。その顔は最初、アーヤをこの路地まで追いかけて来たヤクザ者の若頭で、次には警邏神官長のヤヴィエが歯頚を剥き出しにした変顔……もとい、威嚇している顔だった。そして最後は人の悪い、陰湿な笑みを浮かべたシェイマスになる。
『え?なにこれ?!』
混乱もたけなわの最中、アーヤの体は水路に張られた闇の中に、音もなく落ちていた。
寒くなく、息苦しくもない。ただ包まれるような闇の中で、彼女は奇妙な声を聴いた。まるでこの水面にたった波紋の合間から伝わってくるような、緩急がついて震えた声だった。
「しじまよ、
どこか童歌のようで、聞いていると、いつまでも深いところへと引き込まれてゆきそうになる。ところが怖い事はなく、ちょうど故郷の山々に抱かれるような安心感を――
「なんて思うかぁーーーー!あんな限界集落ゥ!!」
精神抵抗に成功したアーヤは
そこは下町の
その筈だったのだが、あの夢見の悪さは何だったのか。
『あぁ、そういえば、すっかり油断してたわ……』
アーヤは溜息を一つ吐き、机の上に外したまま置いてある腰回りの装備を、恨めし気に睨みつけた。
たぶん、原因はあのナイフではないか。子供が山仕事を出来るようになると配られる物で、故郷の山村の神様の印が刻まれたナイフだ。よりにもよって元闇陣営の中立神で、人類種の保護者である光の神々からは異端視される。
あの童歌のようなやつは、村祭りの際に口にする”はやし言葉”だった。
案外、村から離れた者たちへ、夢見で信仰の催促をしているのかも――
「……呪いの道具じゃないの、もう」
おもわず力ない言葉が漏れた。以前も似たような夢見の悪さがあったから、支局の道具箱につっ込んで、知らぬ存ぜぬを決め込んでいたのだ。しかしここの処、迷宮に入ったり、追跡調査に追われたりで、片づけぬまま自室に持ち込んでしまった。
朝からモヤモヤしながら起床し、寝間着から活動的な服に着替える。動き易さ重視のため、クローゼットの中にはフリルじみた女子力の高い品は無い。部屋の内装も含め、総じて殺風景だった。
これも部屋が狭いせいで、飾り付ける余地もないのだと自分に言い訳するが、たぶんコニーたち冒険者ギルドの受付嬢なら、自室は同条件でもキラキラとしている事だろう。
トイレ、キッチンは共用。風呂は無しで外部の共同浴場なり、有料銭湯なり、或いは湯水に浸した手拭いで拭くか。現代社会と比べるといかにも不便だが、幻想世界のインフラ設備なら、これくらいは普通だろう。
むしろ家賃は安い割に、台所に炭火が用意され、湯が比較的すぐに手に入る。洗顔に、喫茶に、色々と便利だ。はたらく単身女性用の賃貸住宅だそうで、細かな配慮が嬉しいアタリの物件だった。
と言っても、手軽に使える火があったとしても、自炊とまでは中々ゆかない。
部屋の空いたスペースは限られているから、料理道具や食材の置き場の確保が難しいし、生鮮食料の保存も利かない。台所に共有スペースでもあれば良いのだろうが、そこまでには住民相互の理解が進んでいない。
あんなコトこんなコト叶えてくれる魔法の道具というのもあるが、庶民には手が届かなかった。むしろアーヤには故郷の山村にあった天然の氷室――ふつう、洞窟という――を知っている分、街の方が不便ですらある。
もっとも、街はその分、日毎に行商人が生鮮食料を売りに来るので、何とかなるようにはなっている。
また、ピットブルクなら単身労働者を必要とする工房も多いため、外食産業も盛んだった。以前にアーヤが一人で夕食をとっていた事があったが、それが許される治安と社会風土があり、同時に貧民窟で見た古い食材を素揚げにしていた業者のような、隙間産業が蔓延る土壌ともなっている。
都市部の貧民はカロリーベースに偏った料理が現金で買えてしまう。これでは他の必須栄養素や、調理といった概念も得られないため、そこで育った子供たちの自立にも影響があるだろう。
その解決には、幻想世界なりの栄養学の萌芽を待たねばならないのかも知れない。あるいは地球の前近代の脚気や壊血病のように、経験則がモノを言うのかも知れない。
少なくともアーヤにはそんな先見はないので、今日も朝から食べ物を買って、ピットブルクの外食産業を回すのだった。
今朝は雑穀と低品質な小麦で焼き上げた田舎パンを薄く切ったものに、
彼女は職場に持ち込んで、茶を入れていただきつつ、明日からの出張の準備をしよう――とか考えていたところが、どうした訳か、今日も微妙な顔をしたコニーと目が合うのだった。
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