第4話 救援は山賊風

 火傷はまず冷やすべきであるが、迷宮に都合良く冷たい流水がある訳もない。

 次第に明確な痛みになる左手の火傷を確かめるべきなのだろうが、アーヤは怖くて目を向けられなかった。それに涙でろくに前も見えない。

 それでも立ち上がって、迷宮から出るために足を動かす。

 空いたままの腰の雑嚢ポーチから、カラカラと他のステッキが転がり落ちた。


『拾わないと……』


 痛みで呆とする頭。足腰はステッキを追って、それでぐらりと身体が揺れる。

 倒れる。受け身も、手も出ずに、衝撃だけは覚悟したが――


「おい、大丈夫か?」


 不意に男性の低い声がして、二の腕を掴まれて支えられた。

 むわっと、別の人間の匂いを身近に感じ、アーヤは離れようともがく。


「だい、じょうぶ……です」


 涙でさぞかしグシャグシャな顔だろう。こんな隙だらけの状態を晒すわけにはゆかない。冒険者の中には性質タチの悪い輩もいる。コニーにも散々、言い含められていた。

 とはいえ手負いの乙女と、声質から察するに大人の男だ。右手一本ではどだい、勝負にならない。思い切ってアーヤは火傷した左手も使って振りほどこうとして、どすんと痛んで変な声をあげる。


「ひぅぎゅッ?!」


「待て待て、その左手、放っておいたら不自由になるぞ」


 さらに男の追撃。

 アーヤの振り絞っていた意思がポキリと折れた。膝から力が抜けて、ぺたりと尻餅をついてしまう。


 もしかしなくても、人生最大の危機だろう。迷宮で自爆気味に怪我をし、見ず知らずの男の前で意気消沈している。ああ、こんな事なら、郷里の山村から出てこねば良かった。

 どんどんネガティブになるアーヤ。顔に出ていたのだろう、男の声音が少し穏やかになる。


「なに、取って食いやせんよ。その左手を手当てしような。キミは運が良い、こいつはドワーフの火傷薬だ」


 アーヤには何が起こっているか皆目、解らない。今も涙で視界が歪んでいて、男が大きな背負いの雑嚢ザックを下ろして、がさがさとやっているとしか認識出来ない。

 不意に左手が引っ張られ、


「……うわ」


『うわ、ってなに?!』


 思わず心中で突っ込む。どうも左手の火傷は相当酷いらしい。


「這い寄る蔦に火を撒いたのか。何をしたらこんなに……よし、少し冷やっとするぞ」


 男はアーヤの反応を待たず、手当を始める。何か冷たい物が左手を這って、指の一本一本まで丁寧に触れてゆく。傷に染みるような障りはなく、むしろ火傷の痛みが冷気に吸い取られてゆくようだった。


「ふわぁ……」


 戸惑いの声が出て、流石に現状を確認せずにはおられず、涙を拭う。

 左手に包帯が巻かれていた。指はわざわざ丁寧に、個別に巻かれていた。


「あ、あの!」


 顔を上げると冒険者風――軽度の武装をした男性がしゃがんでいた。

 動きを阻害しないようにしつらえた革鎧と、腰には鉈だろうか、剣にしては短くて太い鞘を吊っている。

 足下に下ろしたザックは結構な大きさで、こうなると闇の諸神の眷属モンスターと戦う冒険者にしては、戦闘向きでない気もしてくる。


『……むしろ山賊?』


 アーヤは失礼と妥当、半々な事を考えつつ礼を言う。


「ありがとう御座います……その……」


 何と聞いたものか逡巡していると、察した男が口を開いた。


「ドワーフは知ってる、よな?」


「ええ、はい。岩妖精。光の諸神の子らである人種族の一員。山や地下に暮らし、小柄で巌のような体躯。酒と美食を愛して、鍛冶と細工に長けた職人気質」


「模範的回答どうも。彼らはその鍛冶の課程で、しょっちゅう火傷をするんでね。魔術師の【治癒】の霊薬のような、よく効く火傷薬を持っているんだ」


「霊薬っ?!」


 アーヤは息を呑む。魔術師の作る≪治癒≫の霊薬は、冒険者の出血と戦傷をみるみる治す。迷宮を擁するピットブルクなら需要は言わずもがなだが、供給はと言われると、全く釣り合っていない。

 

 【治癒】の魔術とは人体に精通した専門性が高い分野であり、なおかつ霊薬を作る技術も必要になるので、全ての魔術師が作れる物ではない。その上で荒事がつき物の迷宮周辺では、作る先から飲まれるので、値段はガンガン吊り上がる。

 もう銅級の底辺冒険者では、到底支払えない。アーヤは王国週報から給金が出ているとは言え、発給であるからして、


「そんな高価な物で手当してもらっても、礼金が払えません!」


「なんだ、気にしていたのはそっちか」


 男は溜息をついた。無精ヒゲのうえに、外仕事で焼けたらしい肌のせいで、まさに山賊風だったが、よく見ると顔に法令線はなく、姿勢も良いので、存外に若いようだ。山賊呼ばわりよりも、おじさん呼ばわりの方が傷付くのではないだろうか。

 彼は続ける。


「薬草摘みのお嬢さんからなんざ、なにも取れるとは思ってないさ。それよりも!その火傷だ。事細かに説明したら、技芸女神が『過激なので子供に聞かせてはいけません』と文句を言いに来る酷さだったぞ。そのまま雑に回復させたら、指の間がつながってしまったかも知れない」


「ひっ……」


 思いもよらぬ悲惨さにアーヤは鋭く息を飲んで、それぞれに包帯が撒かれた指を見直した。情けないが、また目地に涙が溜まり始める。


「な、治るんでしょうか……」


「だからドワーフの火傷薬と言ったんだ。炉から弾けた溶けた鉄で腕が焼け爛れたって、あいつらはコレを使ってピンピンしてる。明日には地母神の施療院に行って診て貰うんだな」


 そう言って男はまだ「まったく何を失敗したらあんな火傷を負うんだ」とブツブツ言いながら、地面に散乱した彼女の小杖ステッキを拾い上げる。それが火傷の原因なのだが、そこで彼は先端の水晶を眺めながら、


「なんじゃこりゃ?クズ魔力石を使った魔法の杖か?」


「……魔術師の魔法の杖に使えないような、魔力石の屑石で作った魔法道具です」


 やはりアーヤが使っていたのは単能の魔法の杖、という事らしい。それで男は納得したのか、


「ああ、魔力の最充填に時間が掛かるとか、そういう二級品だな……関心しないぞ、あからさまに安いものに命を預けるのは」


 そうは言われても魔法の小杖は王国週報本局からの支給品であり、でもその中に明らかな護身用の物まで混じっているのだから、そういうのまで安物ってのはどうなのよ、と悩んでしまうところもある。


 しかし彼女が記録した礼拝所の情景は、今ではカナル村の変事の象徴のように“風の声”で扱われているのも事実だ。

 アーヤはそこに自分の仕事への、ささやかな満足を覚えている。

 だからこれからも小さな魔法の杖をじゃらじゃら持って、王国内へ取材に出向くのだろう。


 そう納得がゆくと、だいぶん気分も持ち直してきた。男からステッキを受け取って、腰のポーチに戻すと、スカートに付いた泥汚れをはらって立ち上がる。


「治療、ありがとうございます。ずいぶん楽になりました」


「もう立つかい。気丈なお嬢さんだ」


 男も膝を伸ばす。立ち上がれば頭一つ高く、体格も良い。

 もしも悪党だったら、アーヤは大変な目に遭っていたかも知れない。空恐ろしい考えが過ったが、頑張って表情を引き締めた。


「もし治療の費用が必要になったら、冒険者ギルドの受付でアーヤ・カーソンを呼びつけてください」


 なんでギルドの受付で?男は訝しんだが、費用は不要と言った手前、そこは強調しておく。


「薬草摘みを卒業してたら請求を考えよう。それよりも、さっき言った通り、明日にはれっきとした治療をうけろよ」


「ええ、はい。では、助かりました」

 

 アーヤは深く頭を下げると、迷宮を後にした。

 相手が見えなくなるほどの最敬礼は隙だらけになるが、紳士を通してくれた山賊風の男に迷宮で払える最大の礼だった。

 

 探し人は見つからず、怪我までした。つけ加えると、労災と言う概念は未だこの世界にはない。止めにコニーには、しこたま叱られた。

 

 散々な午後だった。怪我で動揺もしていただろう。だから世話になった男の名前を聞いておくのも失念していたし、何でドワーフの火傷薬なんて物を持っていたのか、聞くのも忘れていた。

 何しろドワーフは鉱石や貴石の知識に富む。自分が探していたのは誰だったのか。

 その辺りに考えが及んでいたら、翌日の展開はまた違ったモノになっていたのかも――


~ ~ ~ ~


 次の日、太陽も中天に掛かろう頃、アーヤ・カーソンは重役出勤の有様になっていた。

 地母神の神殿に併設された施療院で火傷の治療を受けた。診断され、薬が出されただけだ。が、問題なのは、施療院が恐ろしく混雑するという事だ。


 一般に開放された病気・怪我の治療の場である施療院は、地母神の慈愛の体現の場でもある。具体的には市政の魔術師から【治癒】の魔術を使われるよりも安い。もう、医療保険制度の有無くらい違う。

 それだけに利用者は多い。


 遊んでいたら転んで膝小僧をずる剝けしてギャン泣きする子供がいれば、指ごと金槌で打って仏頂面で我慢する大工もいて、いつも体の何処かが悪いと嘆いている老人がいる。そして皆、地母神の慈愛の元、平等に処置されてた。

 

 アーヤも朝から並んだのだが、終わってみれば昼だった。

 だが昨日の処置が適切であったお陰で後遺症はなく、待ち時間の長い【治癒】や【再生】の魔術を受ける必要もなかった。あの男性のお陰とも言える。

 あの男性は山賊のようなナリをしていたが、確かに善性の人だったのだ。


 と、良い気分でアーヤは冒険者ギルドの一階に入る。王国週報ピットブルク支局に直通の入口など無い。

 ギルドの一階は少し前まで冒険者たちが割の良い現金仕事にあり付くために、押し合い圧し合い、いがみ合いしていたので、その熱がまだ残っている。それに負けじと声を張り上げて依頼の受理を行っていた受付嬢たちも、頭のてっぺんから煙をのぼらせ、グッタリしていた。

 それでもコニーはアーヤを見つけると、カウンターに身を乗り出した。


「アーヤぁ~~~、それで火傷の具合はどうだったの!?」


「大丈夫だったよ。軟膏を貰って来たから、五日も塗れば跡も残らないだろう、って」


「……ホントにもぉ、あんたと来たら、どうして蔦の魔物を自分の手ごと燃やそうなんてするのよ……無駄に男らしいんだから」


 コニーの眉間の縦皺の深さから、彼女の心配の度が知れる。アーヤは思い切りの良過ぎた昨日の事を少し反省した。


「あははは、ゴメンね。あの時はアレが最善だったと思えて」


 乙女はそんな捨て鉢な思考はしないと思いつつ、コニーはハッと、さっきの事を思い出した。


「それどころじゃない!鉱石屋、今日、ギルドに来たのよ!」


「ほんと?!それじゃあ今は、迷宮に?」


「ううん、光明神の神殿のブタ牢獄


「――なんて?」


 アーヤは耳を疑った。


 コニーの話ではこうだ。鉱石屋氏は一週間ぶりにギルドに現れ、鉱物資源の回収依頼などを物色していたところ、勢い込んで光明神の警邏神官が飛び込んで来た。なんでも今朝方に水路にあがった水死体の目撃情報を集めていたところ、昨晩、酒場で鉱石屋と共に痛飲していたとの証言があがり、重要参考人と言うか、もう殆ど容疑者としてしょっ引かれていった、と。


 光明神の神殿は法と契約の神命のもと、人々を正しく導き、守るとの使命をもって奉仕活動に勤しんでいる。つまり警察組織である。諸神の筆頭だけあって人間社会における信徒数は最大であり、警邏神官のなりても多いので、彼らの捜査能力はバカにできない。まして科学捜査と言う概念のない幻想世界なら、人力の数は正義だ。


 では件の鉱石屋氏は犯罪者であり、悪い人であったのかと考えると、それも少し違うようで、


「ところでアーヤ、鉱石屋と遭ってたの?彼、あんたの火傷の事を心配してたけど」


「へ?」


 と、目を丸くした後、細めて考えてみる。火傷の事を知っている人物と、ドワーフの火傷薬に、ドワーフが持つ鉱石や貴石の深い知識を紐付けると、あの山賊風の男性が――彼は人間だったが――鉱石屋として浮かび上がった。


「あ、あの人が鉱石屋さんだったの?!」


 驚くやら、気付くべきだったと後悔するやら。しかも見つけていたにも関わらず、今は留置場だという。


「これじゃ話も聞けないじゃない!」


 二重にショック。

 兎にも角にもアーヤは階段を駆け上がって物置部屋たる支局に行くと、昨日、ベルトごと外したままになっていた取材用具やら雑嚢やらナイフやらを、もう一度腰に下げて、階段を駆け下りてくる。


「とりあえず!光明神の神殿に取材に行ってみる!」


 慌ただしく出てゆくアーヤを、コニーは手を振って見送った。


「まるでカチコミね。こりゃまた無茶をして来そうだわ……」




 ピットブルクは大きな川の両岸に拓かれた都市だ。

 川の下流側にある低地には迷宮を擁する下町。

 川の東側には豊富な水量を宛てにした鍛冶屋などの鉄鋼業やガラス工と、そこから発展した商工街。

 川の西側の丘陵には貴族である領主の館や役場が建ち、裾野には諸神の神殿と関係者や役人たちが暮らしている政庁街。

 以上の三つが、街の大まかなスタンスだ。


 アーヤは貴族とは縁も所縁もない一般国民であり、山の手の政庁街など用が無いのであるが、その足元にある地母神の施療院など、神殿が管理する公共施設になら用がある。現に今日は既に地母神の施療院に通院していた。

 とはいえ法の番人然と建つ光明神の神殿に、お世話になるような後ろめたい事はない。まして武装……ささいなナイフまで携えて赴くなど初めてだ。

 少々緊張を覚えつつ、ナイフくらい置いてくれば良かった、などと今更に思う。

 

 政庁街の町並みはつくりが大きく、家々の間も庭があるので広くとられていた。冒険者ギルドのある商工街の目抜き通りのように、年中、馬車が行き交うような騒がしさはない。

 全体的に静かで、おハイソだった。

 そういう場所に建つ光明神の神殿と言うのは、圧力がいや増す。中央に尖塔が建った神殿建築で、統一された白色の石で組まれていた。大きく開かれた入口の上には、太陽をモチーフにした金無垢の聖印が掲げられている。


 光の諸神の神殿はどの神々でも基本が似たようなものだが、光明神に限っては、大きな別建ての施設があるのが常だ。むしろ日々の活動上、そちらが本命とすら言える。

 多数の神官と正規入信者が詰める警察施設。


 木造二階建ての大きな詰所の前には、これまた広々とした運動場があって、いまも警邏神官に付き従う入信者だろうか、何人か走っており体力づくりに余念がない。

 詰所の裏には独身の神官や入信者の合同宿舎が並び、昼時なので何処からか炊事の煙があがっていた。

 彼らが街の治安を維持しているのは理解出来るのだが、やはりアーヤはむせ返るような体育会系の雰囲気に圧倒されてしまう。


「うぅ……やっぱり下町の分神殿――派出所のようなもの――にお願いして、取材許可を貰ってからにしようか……」


 思わず後ずさるが、おりしも昼時。街のどこからか流れてくる王国週報が、風に乗って耳に届いた。

 アーヤが原型を作った記事を読み上げた王都の女吟遊詩人、歌姫ナナリーのアップテンポな新興曲が背を押し、つま先を前に出させる。


「よ、よし!」


 アーヤは一歩を踏み出した。表の神殿でなく、裏手の詰め所の門へ、そそくさと。

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