第9話 夕焼

 そうは言っても、内心どれだけ立派な心構えをしようと、日常の問題が解決するわけではない。

「アガット様、また、ジョルジュ様がどこかに行ってしまいました!」

 悲鳴のようなメイドたちの声を背景に、シルバーを負ぶった私は屋敷の一階を走り回っていた。なぜ一階かと言うと、別室で食事を摂っていたはずのエクトルの姿も先ほどから見えなくなっていたからだった。

 こういうとき、彼らは最後には必ず一緒に見つかった。

「ジョルジュ! エクトル!」

 エクトルが見つかる場所と言ったら、彼の持つ地属性の通り、地下であるはずだった。だから最近のエクトルは二階以上に上げられなくなっていた。

「ジョルジュ様たちを見つけました!」

 その声に駆け寄って、絹を裂くような悲鳴を上げたのは、一人ではなかった。

 邸宅で最も高所にある尖塔のてっぺんにいたのはジョルジュだけでなく、エクトルも一緒だった。

 きゃっきゃと笑うジョルジュとは異なり、エクトルはきょとんとした顔で、周囲に集まる鳥と、眼下で騒ぐ人々を眺めていた。

「寝返りもこの間出来たばかりなのに、どうしてあんなところまで!」

「ジョルジュだ! あの空属性め!」

 聞き逃せない叫びだった。私は小さな背をごまかせるよう背伸びしながら、甲高い声で叫んだ。

「今、ジョルジュ様を呼び捨てにしたのは誰です!」

 シン、と静まり返った彼らに、私は言う。

「彼らは悪意を持ってやっている訳ではありません。しかしあなたたちのその言葉には悪意がある。彼らに悪意を植え付けるな」

 何人もの反抗的な目を背後に、私は邸宅のなかを走る。あの尖塔の場所は、最上階の西端の窓を通れば、すぐに行ける場所だった。

 窓を開けて、私は息を飲む。そこにあったのは、予想以上の高さと、地平線に沈んでいく、真っ赤で世界の終わりのように美しい夕暮れだった。

 ジョルジュは楽しそうに笑い続けている。

「まさか、夕日を見たくて?」

 私は馬鹿な考えだと理性で否定する。一歳にもなっていない赤ちゃんが、景色の美しさで笑い転げるだろうか。

 でももし、そうだったら? 私の心の中の柔らかい部分が囁きかける。

 もし、ジョルジュが夕日を見ながら笑っていたとしたら、双子の片割れに同じ景色を見せるためにここまでやってきたようではないか。

 そっと、背中で弟が熱を帯びていっていることに気づいた私は、はっとその考えを振り払った。弟のミルクの時間が近い。つまり、彼らの食事の時間も近い。

 その証拠に、エクトルはむずがり始めた。不吉な音を立てて、屋根がきしんでいる。地属性の魔法が発動される瞬間も近い。

 今、地属性の魔法が使われれば、私は最上階から地面に叩きつけられるかもしれない。しかし、腕を伸ばしても届かず、周囲の人間は恐れから近づくことが出来ないでいる。

 私は腹をくくって、弟の額にそっとキスをする。不吉な予感を気づいたのか、温度を上げるシルバーを、耐熱頭巾をかぶった人間に預け、私は屋上へと飛び乗った。

 ひときわ大きな悲鳴が上がった。地上を見れば、アルフ伯が腕をぶんぶんとふりながら叫んでいる。

「降りてこい! 家程度、どうしたって良いから!」

 必死に叫ぶ彼を、ジョルジュは不思議そうに、エクトルは泣き出しそうになりながら、見つめている。

 彼らがどこまでその愛情を理解しているかはわからない。けれど、これも彼らの人生の一部であることは間違いがない。昼間見た、イーモンの冷えた目を思い出す。私はためらいもなく、尖塔へと躍りあがった。

 脚で尖塔に踏ん張って、彼らを抱え上げると、ジョルジュはまた、はしゃいだように笑った。赤ちゃんは退屈でも大いに泣く。けれど今、ジョルジュはよく笑っている。

 私はぴんときた。

「お前、もしかして夕日を眺めるほど、退屈だったのかい?」

 返事はもちろんない。

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