第8話 郷愁
困ったことはまだあった。
「やあ、火傷腕のアガット」
「イーモン、また来たのか」
「イーモン先生だよ。君と違う腕を持つイーモン」
白いシャツに身を包んで、両腕をぶらぶらとさせてけらけら笑うのは、イーモン・ダスウェルだ。まつ毛が長く、口を開くまで深窓の令嬢のような冷然とした美を讃えた、その実、型破りで礼儀知らずの言動しかしない、自称革新派の魔法使い。
彼は学院に所属する、若き天才魔法使いだ。
彼は初めて会ったとき、イーモンと呼んでほしいと名のった。しかも敬語も使わないでほしいとも彼は言った。
「君とは対等でいたほうがよさそうだ。」
彼は私を見透かすような目で見つめてきた。私は今世で初めて、どきどきとしたのを覚えている。
そんな彼は、私を学院に勧誘すると言って、この邸宅にやってきては、小一時間は居座っていく。今日はどうやら意地悪な気分だったらしく、私の王都での呼び名を披露してはけたけたと笑っている。
仕方なく、私はイーモンに問いかける。
「火傷腕? 何、その呼び名は」
「うん、最近ではこの邸宅は魔法使いの館と言われているんだよ。そこの主であり、最近王都の魔法使いの話題をかっさらう元凶が、君、火傷腕のアガット」
「誰が言い出したのですか。響きからいうと、悪い意味ですよね」
「わかっている癖に。君の火傷した腕を見た成人の魔法使いは、ボクともう一人だけでしょう」
「つまり、イーモンが」
「バシュラームだよ! ボクは君の味方。だって、」
「「ボクは革新派だからね」」
合わせて言ってやった言葉にきゃっきゃと笑う姿は、先ほどまで診ていたシルバーたちと同じ笑顔だった。私は呆れて聞いた。
「ずっと聞いてみたかったんだけど。ここに入り浸る本当の理由は? もう勧誘できそうにないとは察しているよね?」
すっと彼は邸宅のゲストルームの方向を見た。そこでは、今、私の代わりをメイドたちが勤めているはずだった。
イーモンは穏やかな笑みを浮かべた。
「ここの子どもたちは、君に、君とアルフ伯に育てられて幸運だよ」
王都の学院では、傷ついた目をした魔法使いがとても、とても多いのだと彼は言った。
「ひどい扱いをされて、傷ついた子どもたちを見たくない気分になったときにここに来るんだ。ここなら、どの魔法使いも傷ついていないから」
「王都とは年齢が違うでしょう」
「けれど、傷ついていないことには変わらない。学院の魔法使いは、小さいときから傷を負ったものが多すぎる」
そっと、革新派の魔法使いは目を伏せた。その目はあふれそうなほどの憂いを讃えていて、ちょっとでも声をかければ、ガラス細工のように砕けてしまうのではないかと思うほど繊細なものだった。彼はそっと言う。
「とっても多いんだ。魔法使いは幼い頃は周囲の不理解でひどい目に遭って、なんとか成長すると、反対にちやほやされる。どうしてって、未だにボクも思う」
そう言って私を見る目は、私に対しても、どうしてと言っていた。私は悟る。この様子では彼らは決して、優しさを受け取ることは出来ないだろう。
私はそっと、視線を向ける。私は幼い頃、誓った。弟を、妹を、幼い子を守り育てると。そっと魔法使いに祈り直す。
「君に届くかはわからないけれど、私は弟妹たちを守り育てることを誓うよ」
うっとりと彼は笑った。そう笑える彼の優しさは、どこか夏の夜空に似た、輝く眼が爛々と光っていた。
どうしてそんな風に笑えるのか、私にはさっぱりわからない。ただ、彼を裏切れば大切な何かが失われることだけがよく分かった。
私は心の中で浮かべた弟妹たちの笑顔に、もう一度、誓いを立てた。
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