第5話 天職

 王都までの道は、手配された馬車に乗って三日間かかる。しかし、馬車が来るまでの間、一か月間家族の一人だったゴールドに、代わる代わる別れの挨拶をすませたことが、つい昨日のように思える道中だった。

 名目上、重要参考人となっている私は、兵士の見張りをつけられていた。私にしか世話の出来ないシルバーも一緒だ。決してゴールドから離れようとしなかったからでもある。

「じゃあオリバーも九人兄弟の長男なんだ」

「おうよ。だからお前の苦労も、離れるのを惜しむ深い愛情もわかる。あれは大家族の長男長女しかわからない感情だ。……けど、これはわからんのだが、どうして俺相手にだけ敬語じゃないんだ?」

「親近感感じちゃって」

 ゆりかごのなかで揺られるシルバーは不安を感じ取っているのだろう、少し落ち着かない様子で、ゴールドの手を掴んでいた。

 彼らはこの一ヶ月、双子のように過ごしていた。

 もしかしたら、あのまま見つからなかったら、ジェム家の魔法使い双子として、村から共に冒険に出る日もあったかもしれない。穏やかに暮らしたいと言って、村を暖かくしながら過ごす日もあったかもしれない。

 しかし、もう、そんな日は来ない。

 泣き出しそうに熱くなる片割れの手を、ゴールドは不思議そうに握り返している。

 私はそっと目元をぬぐってミトンを手に、彼らを抱き上げた。

 オリバーが言う。

「ゴールド様は、きっと、立派な人になる」

「うん」

「覚えていなくとも、きっと、この一ヶ月、ゴールド様は楽しかったよ」

「そうだったら良いな」

 馬車は村にはない、舗装された道を行く。すやすやと寝始めたゴールドは、いかにも馬車の乗り心地に慣れている。

 シルバーはついに泣き始めた。真夏のような暑さになり始めた馬車の扉を開けて、風を通す。

 別れの時が近づいていた。



 領主の館は前世でも見たことのない、見事な邸宅だった。三階建てで庭園に囲まれる様子は、前世で見た城よりもベルサイユ宮殿に近い。広大な庭園にはいくつもの東屋が立っており、場合によってはお茶会でにぎわうのだろうと予想できた。

 邸宅のなかも外観に負けずに広く、高い天井にはシャンデリアがかかっている。歩けばこつこつと音がして、大理石で作られた床がどれだけの重量で、どれだけの費用がかかっているか、今の私にはとてもわかるものではない、豪奢なものだった。

 ゴールドが両親と再会したのは、そんな邸宅の一室のことだった。

「ああ、ああっ、ゴールド。良かった、良かったぁ!」

 そう泣き縋るのは、領主の奥方、カーネリア様だ。

 領主様であるアルフ伯爵様は、私を見て、ほうと唸った。

「こんなに幼い子が、魔法使いであるゴールドの養育をしてきたと?」

 私は視線に応えて、一礼する。

「全力を尽くしました」

 その姿を見て、もう一度アルフ伯は唸った。

 挨拶の重要性は、社会人になれば叩き込まれることだ。私はここに来るまでの間に、貴族の挨拶の仕方をハクロ兵士長に教えてもらったのだった。

「貴族の礼を練習していたと聞く。それはなぜか?」

「一ヶ月でも、野蛮な人に育てられたと知られれば、ゴールド様の経歴に傷がつくからです」

 何度目かの唸り声を、アルフ伯はあげた。

「六歳と聞いている。その年齢で、ここまで思慮深いとは」

 そりゃ、前世がありますからね。そんなことを思いながら、無言でにっこりと笑う。

 その顔を、アルフ伯はじっと見つめてくる。背中を冷汗が伝った。その場の空気を霧散させたのは、カーネリア様だった。

 カーネリア様はゴールド様を抱えながらも、なんと、私を抱きしめた。

「お礼を言わせてくださいな。ゴールドも不幸のなかで幸運をつかんだのよ」

 そっと腕を外そうにも、私の体躯では難しい。あきらめてじっとしていると、頬がくっついたゴールドとシルバーがきゃっきゃと笑った。

 ようやく離れた彼女は言う。

「報酬は後日渡しますわ。他にほしいものがあれば、今、ぜひ言ってほしいの!」

 喉でぐっと音がした。私は決して、報酬のために彼を助けたのではない。ぎゅっと手を握る私をじっとアルフ伯が観察している。

 そっと、腕の中の温かいシルバーが動いた。私以外にはまだお世話できない末弟には、ここにまでついてきてもらった。けれど、彼が魔法使いであることは、誰にも知られてはならない。

 そうだ。ここにいるのは私だけではない。シルバーがいる。

 私は最大限努力して、笑顔を作った。

「面会権を」

「それは駄目だ。彼には彼の生活がある」

 予想されていたような返答に、一つ肩をすくめる。

「それでは、絵か写真はありますか。私の家族たちも、彼を思い出したいのです」

「では、写真を」

 これも予想されていたように、アルフ伯はハクロ兵士長に合図する。彼が持ってきたのは、ゴールドが映った一枚だった。

 私はそれを恭しく受け取って、そっと、ゴールドをなでた。

 そして、一礼して歩み去る。

 不思議そうな彼は、離れていく私とシルバーをじっと見ていた。


 彼が泣き出すのは、邸宅の廊下に出てすぐだった。


 カーネリア様が悲鳴を上げた。取り落とされた、ぼふんという音が聞こえると同時に、私は部屋に駆け戻っていた。

 質の良く、乾いた産着に小さく火がついて煙を上げている。溶けた布地はゴールドには傷をつけないが、もう少しで邸宅に火をつけてしまうだろう。

 私は至急、水を集めるように、周囲の人間に呼びかける。使用人たちとは異なり、兵士たちは慣れた様子で水や厚手の布、燃えにくい鍋掴み、エプロンを集めてくる。

 いつものように、泣き止ませるように世話をしていると、アルフ伯は驚いた様子だった。

「報告には聞いていたが、ここまで大事となるとは」

「報告?」

 アルフ伯が言うには、ゴールドの誘拐騒ぎというのは、既に犯人が見つかっているとのことだった。

「犯人は疲れた乳母だった」

 領主らしく、対外的な仕事も多いアルフ伯とカーネリア様は、ゴールドを乳母に預けていたのだという。

「魔法使いが、我がオリオル家に生まれるのもずいぶん久しぶりのことでな。しかも常に生まれるのと異なる、火属性。世話の仕方は誰も知らなかった」

 そうして疲れた乳母は魔がさして、各地をゴールドを連れて放浪。同じ騒ぎを起こしていたジェム家に侵入し、ゴールドを放置した。それが、ゴールド誘拐事件の概要だった。

「アガット・ジェム。お前の家にも火属性の魔法使いが生まれたのだろう」

 もう既に、私たちの秘密はバレていた。

 魔法使いは王族の宝。隠すことは罪ではないが、見つかれば、魔法使いとしての義務からは逃れられない。農民である私たちと引き離されるかもしれない。

 一日に二人と別れることになる絶望に、私は俯いて、腕の中の二人を見る。泣き止んだとはいえ、まだぐずついているゴールドを、シルバーは不思議そうにかまっていた。

「せめて」

「なんだ」

「私のすべての知識を教えます。だから、せめて、彼らが幸せになれるよう、どうかよろしくお願いいたします」

 貴族の礼を忘れて、私は床に土下座をした。前世でしか通じないはずのその仕草は、アルフ伯に奇妙な感覚を覚えさせたらしい。

「そう平伏するな。誰が、お前とゴールドたちを引き離すと言った?」

 がばっと顔を上げる。その様子に、アルフ伯とカーネリア様はくすくすと笑っていた。

「今の話を聞いて、わからなかったか? 村一番の知恵者だったのだろうに」

「彼らの乳母の席は、現在空席だということよ。見たところ、良く世話できるみたいだけれど、あなたは座るかしら。忙しい、そんな仕事は嫌かしら。お賃金は払うわよ?」

 家族の面倒を見る、忙しい仕事。この異世界に生まれてずっと、そんな仕事をしたかった。

「絶対に、やります!」

 そうして、私は、異世界で魔法使いのベビーシッターになることとなった。

 あのとき、私の剣幕を見て、ゴールドとシルバーはそっくりな笑顔を浮かべていた。

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