第2話 末弟

 白樺のような木が生える森のそば、小さな畑を挟んで自分の家を見ながら、私は自分で作った不格好な椅子に座っていた。

 異世界に転生して六年間、私は深刻な危機に悩まされていたからだった。

(お金を、お金を稼がなければ)

 苦労の多い転生だった。チート能力もなく、力も年齢相応だった。もちろん、神様の声も聞こえたことがない。

(でも、前世だけは覚えている)

 仕事に短い一生を捧げた、平凡な人生だった。電車で倒れたことだけは覚えている。

(前世のお金をここに持ってこられたら解決なのに!)

 家からは賑やかな子どもの声が聞こえてくる。眺めているうちに扉が開き、五人の子どもが飛び出てきた。

「おねえちゃん、ご飯できたって!」

 そう叫ぶのは三女と次男の双子だ。その大声に私が手を振ると、畑のあぜ道を走ってこちらに来ようとしていた長男がむくれている。どうやら自分が一番最初に話したかったと、双子に大声で抗議しているらしい。そうしているうちに、次女と三女がこちらに到着して、私に思い切り抱き着いた。

 悩みの種というには温かな重みを、私はしっかりと抱きとめた。

 今や私は大家族の長女だった。それも子ども七人の大家族だ。全員を食べさせるのに、両親は働きづめではあるが、一向に暮らしは良くならない。

 私は寒くなってきた空を見上げた。

 科学の知識を使って、生活が良くなってはいるらしい。ただ、それに追いつかないほど、大事な家族たちは成長し、呆れるほどたくさんの食料も水も必要だった。

 しかも、自分の体力はびっくりするほど少ないときた。農村の皆と手分けしても、この秋はより効率の良い水車を作り出すので精一杯だった。

 前世の知識に参照すれば、私は今、農民階級に生まれたらしい。時代と場所で言えば、産業革命前夜だろうか。いや、それにしては便利なものも多すぎる。貴族は水洗トイレを使っているらしい。技術進歩はちぐはぐで、成長するごとにあるものとないものの把握が難しくなっていった。

 原因は魔法があることかもしれない。

 魔法! 魔法があれば、私たちの暮らしはもっと楽だっただろう。魔法使いは永遠に燃え続ける炎や、一定時間ごとに周囲を冷やす宝玉を作り出すことも出来るらしい。

 それさえあれば、薪もいらない暖炉に、温度変化を利用した発電機が作れるのに! 私は一人ため息を吐く。

 しかし、魔法使いは貴族階級にしか生まれないらしい。少なくとも、生まれて五年、魔法使いには一度も会ったことがない。

「お兄ちゃん、またお姉ちゃんがむずかしいこと考えてるー!」

「動かないー!」

「じゃあ、おれが家まで運んでやるよー!」

 気がつけば、長男が抱え上げようとしてきていた。私は彼の手を笑いながら逃れる。

 どれだけ考えても、この冬の食事を増やす方法を私は思いつけなかった。情けない気持ちを隠して、三人の弟妹たちに手を引かれる。家の中ではまだ赤ちゃんの三男と、亡くなった親戚の子どもであるいとこが待っている。

「今日はじゃがいもだってー!」

「それは楽しみ」

 薄い塩味のじゃがいもスープは、私の好物の一つだ。前世ほどの味の濃さや出汁はなくとも、温かなあれは、皆で食べると甘くて、ほくほくしたじゃがいもが口の中に広がる逸品だ。


 働いている父親以外の全員がそろう家のなかは、冬も近いにも関わらず、とても温かだった。

「ああ、帰ってきたね、アガット」

 アガットとは、今世の私の名前だ。宝石のめのうの意味だが、宝石は今世では一度も見たことはない。

「シルバーをあやしてくれない? 今、手を離せなくて」

 末弟である三男のシルバーは、ぐずぐずと泣きながら指をしゃぶっている。指しゃぶりは彼がお腹がすいたときの癖だ。あやしながらミルクを用意しよう。

 私は返事をしつつ、いつものように抱き上げようとした。

「あっつ!?」

 じゅっと腕から音がして、ひりひりと痛みだす。火傷だ、すぐに冷やさなければ跡になると、前世の知識が囁く。

 しかし、目の前はそれどころではなかった。

 シルバーは火のついたように泣き始めた。次の瞬間に、彼をくるむ毛布がぷすぷすと煙を吐き出した。

 なぜか、末の弟は、高温を発し出したのだ。

 脇に置いておいたミルクが、一瞬にして沸騰し出す。ワックスがけした床が、ぬるりと溶け出す。百度を超える高温が、木造の建物に影響を与えていく。

 彼の周囲の気温が一気に上がったことで、家族全員が異変に気がついた。

「シルバー! アガット!」

 母の悲鳴を背景に、私は再度末弟を抱き上げた。じゅうじゅうと私の腕が焼ける音に、弟妹たちも叫び出した。

(このままでは家が燃えて、一家全滅だ!)

 私は家の外へと飛び出した。


「アガット、何があった!?」

 近所の農地を手伝いに行っていた父親が帰ってきた。

 じゅうじゅうと音を立てる腕の感覚はなくなりつつある。謝りながら、シルバーを地面に下した。

 末弟はまだ泣いている。近くに置いていた水桶の水が沸騰し始めた。彼の着ていたおくるみが煙を上げて、姿が見えなくなりつつある。

「シルバー! アガット、何があった」

「わからない。どうして煙だけが。なんでこんな高温で泣いていられるの。たんぱく質が固まらない人間がいるの!?」

「おちつけアガット。考えることに関しては、お前はこの村一番の名手だ!」

 私は深呼吸して、また、愛すべき末弟を見つめた。

 泣き続けるシルバーは、まだ、ミルクを欲しがっている。私の腕と違い、彼の皮膚はしみひとつない。

 私はひとつだけ、仮説を思いついた。

 父が私に問いかける。

「何か考え着いたのか」

「ええ」

 私は家を振り返る。こちらを母も弟妹たちも見ている。私は言う。

「ミルクを用意して、あつあつの熱湯でね!」

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