第77話 聖女の力4

 一度は不安のあまり私を引き留めてしまったことをハナコ様は後悔しているようだ。自分はともかく私まで閉じ込められる事はないと思っているらしい。

 本当にこの方は……可愛らしいんだから。

 だが確かにハナコ様がなんの対策もなくここを出ていけば再び大陸は『黒霧』に脅かされるだろう。しかも今度はキンデルシャーナ国が最初の犠牲となる。

 私は俯くハナコ様を何も言わずに抱きしめた。今は何を言ってもなんの説得力もない。何か方法を考えなくてはいけないだろうが、ここにはそれを探る術はない。

 

 

 またいつもの騎士と魔術師が食事を運んで来た。

 

「どうやら『黒霧』が完全に片付いたようですよ。明日にも大隊長が王都へ引きあげるそうですから」

 

 魔術師は私達が『黒霧』の事を気にしていると思って教えてくれたようだが、私としては大隊長がいなくなるということが知れた方がよかった。

 

「まぁ、そうなのですね。これで安心出来ますね」

 

 荷物の行き来も安全に出来るようになっているのか、最近は食事も豪華とは言えないが安定して来ている。恐らく近場の村から料理人を雇い入れたのだろう。

 

 ハナコ様は夕食を終えるとすぐにベッド潜り込んだ。先日、私に迎えが来たらここから出るようにと話したときから口数が減り笑顔も見られなくなっていた。

 ハナコ様のベッドには天蓋がついていて厚いカーテンを締めてしまえばこちらから様子は窺えない。私のベッドは部屋の反対にありそこにも薄いカーテンはついている。

 まだ眠くはなく食事と一緒に時折持ち込まれる本を何度目か読み返していた。すると部屋の扉が音もなく開き大隊長が顔を出した。私は本を閉じるとカーテンが閉まっているハナコ様のベッドに目をやり起こさぬように鉄格子の側までそっと歩み寄った。

 

「何か御用ですか?」

 

 小声で出来るだけ冷静に言う。

 

「いやなに、別れを言おうかと思ってな」

 

 大隊長はどうやら酒を飲んでいたらしくぷんとくさい息が臭う。

 

「そうですか、では王都へ?」

 

「そうだ……」

 

 大隊長がそう言いながら鉄格子の間から手を差し入れると私の頬を撫でた。ゾワッと寒気がし顔が引きつる。

 

「何をするんです!?」

 

 その手を振り払い部屋の奥へ逃げようとすると反対の手で後頭部の髪を掴まれ鉄格子に押し付けるように引き寄せられた。

 

「静かにしないか、それとも見られるのが好きか?」

 

 そう言って押し付けた格子の間から私の頬をベロリとなめた。

 ヒィーッ!気持ち悪い!!

 ゾワゾワが止まらず必死に抵抗しようとしたが頭を押えている力が強くて逃げられない。大隊長はもう一方の手で私の体を弄り始めた。

 

「止めて下さい」

 

 ハナコ様にこんな姿を見せるわけにいかず、小声で抵抗する。

 

「公爵がいなくて夜が寂しいだろう?私が相手をしてやろうと思ってな」

 

 私はなんとか大隊長の手を押えようと藻掻いているが上手く逃げられず、胸元から下へと伸びていく手がスカートを捲り始めた。

 うぅっ、嫌だ!気持ち悪い……誰か……

 

「助けてっ、グウェイン様!!」

 

「当然だ」

 

 聞き覚えのある声に驚いていると、大隊長に掴まれていた手が緩んだ。慌てて鉄格子から離れようとすると柔らかく抱きとめられサラリとした黒髪が顔にかかった。

 

「……どうして、ここに……」

 

 私の背後に立つグウェイン様を見上げる。

 

「エレオノーラが私に助けを呼んだからな」

 

 一瞬だけ私に視線を落とし、すぐに顔を上げると既に掴んでいた大隊長の首を更に締め上げた。

 

「ウグッ、こ、公爵……どうし、て……」

 

 苦しそうな大隊長を睨みつけヒンヤリとした冷気を漂わせると氷漬けにした。

 

「聞いていなかったのか?エレオノーラを助ける為だと言ったんだがな」

 

 グウェイン様が凍らせた大隊長から手を離すとそのままバタリと倒れた。

 私はまだ信じられない気持ちでグウェイン様を見上げた。

 

「本当に、グウェイン様なんですか?」

 

「あぁ、待たせたな。残務処理が思っていたより多くて……わっ、エレオノーラ……見ない間に随分積極的になったな」

 

 グウェイン様が話し終わらない内に私は抱きついてしまった。胸一杯に息を吸い込むと、やっとここにグウェイン様がいるんだと実感する。

 グウェイン様も私の背中に手をまわし抱きしめてくれる。

 

「姉さん!もういいだろ?ハナコ様は大丈夫なの!?」

 

 私がグウェイン様に抱きついていると愛しい弟のエドガールが焦りながら私の肩を引っ張る。

 

「エドガール!あなたも来てくれたのね。ハナコ様はこっちよ」

 

 急いでハナコ様のベッドへ行くと天蓋の向こうに声をかけた。

 

「ハナコ様、エドガールが来てくれましたよ。グウェイン様も」

 

 きっと喜んで直ぐに出てくるだろうと思ったが全く反応がない。

 

「ハナコ様、起きてください!エドガールですよ」

 

 もう一度声をかけるとカーテンの向こうから微かにすすり泣く声がした。失礼しますよと声をかけ、私はすぐにカーテンを開けた。

 

「駄目、開けないで……うぅ……グスン」

 

「ハナコ様!何故泣いているのですか?」

 

 私はベッドに乗り込むとシーツを頭から被っているハナコ様に近寄った。

 

「いいの、ヒック、私はいいから早くエレオノーラを連れ出してあげて。顔見ちゃうと泣いちゃうから、グスンッ、私はこのままで放っておいて」

 

 既に号泣気味のハナコ様が震えながら答える。

 

「ハナコ様……」

 

 私まで涙ぐんでしまいハナコ様をシーツごしに抱きしめた。

 

「嫌です、ハナコ様と離れるなんて。私もここに残ります」

 

 せっかく来てくれた二人には悪いが、私だけがここを出る気にはなれない。私はグウェイン様とエドガールを振り返った。

 

「ごめんなさい、私行けない。ハナコ様を置いてなんて、無理です……」

 

 ここで行けなければもう本当に二度と二人には会えないかもしれないと思うと涙が止まらない。ハナコ様もシーツの中で震えて泣いている。

 

「あぁ……盛り上がっているところ悪いがハナコ様ここを出られるぞ」

 

 グウェイン様が申し訳無さそうな顔で言う。

 えっ?

 一瞬にして私とハナコ様の涙が止まった。聞き間違いだろうか?

 

「今なんておっしゃいました?」

 

 一応聞き返すと今度はエドガールがもどかしそうに言う。

 

「だから、ハナコ様も出られるんだよ!早くして、他の奴に気づかれたらマズい!」

 

 エドガールはそう言って、『黒霧』が封印されている石の扉を囲っている壁の前まで行った。よく見るとその一部がポッカリと開いている。

 

「そこから出られるの!?」

 

 私が叫ぶとハナコ様がシーツの中から出ようともがき始めた。

 

「待って!私も出られるの!?本当に?」

 

 ハナコ様を手伝いシーツをはずすとグズグズの姿で顔を出す。

 あらまあ大変!

 私は急いでハナコ様の鼻を拭きポケットから櫛を取り出すと髪をササッと整えた。するとハナコ様も私の鼻を拭き私から櫛を奪うと同じ様に梳いてくれた。

 

「テヘへ、これでお互いにキレイになったね」

 

 まだ鼻声のハナコ様が久しぶりにニッコリと微笑んだ。

 

「早くしろ」

 

 それを見ていたグウェイン様が不機嫌そうに急かしてくる。

 

「はい、只今」

 

 私とハナコ様は急いでベッドから下りるとグウェイン様について行き壁の向こうへ入って行った。

 そこには暫く見ていなかったが崩れかけた石の扉は健在で隙間から『黒霧』がうごめいているのが見える。石の扉の横の壁にかがんで通れるくらいの穴が開いてあり、どうやら二人はそこから侵入してきたようだ。

 

「じゃあ、行くよ。ハナコ様、こちらへどうぞ」

 

 エドガールが嬉しそうに頬を染めハナコ様へ手を差し出した。ハナコ様は一瞬嬉しそうにその手を取りかけたが直ぐに躊躇した。

 

「本当に、大丈夫なんですか?私がここを出ても」

 

 そう言ってグウェイン様を見上げた。

 

 

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