第68話 神殿へ向かう聖女3

 グウェイン様が辺りを窺うように視線を巡らせる。もしここに留まるなら結界を張るところかも知れないが今はそうはいかない。結界はそのに固定する魔術なのでこれからどれ程の魔物が襲ってくるかわからない状態では有効とは言えない。

 不安が高まってきたのか、ハナコ様と繋いでいた手にぎゅっと力を込められた時、縦長の隊列の側面、私がいる方から『黒霧』に紛れて魔物が飛び出してきた。

 

「キャー!!」

 

 叫ぶハナコ様の手を後ろに回し身構えるとエドガールが素早く間に入って剣を振るった。

 ガキっと硬いものに当たったような音がしてエドガールの剣が魔物の腕で止められた。

 

「コイツっ!オークか!?」

 

 エドガールの背中越しに初めて『黒霧』に取り込まれた魔物を目の前で見た。普段のオークは腕力に物を言わせて大きな体で襲いかかって来る豚の頭部を持つ魔物だ。私も何度か見たことがあるがそれはこれまでのオークと全く違って見えた。

 まるで体全体が『黒霧』に染め上げられたように真っ黒で目だけが赤くギラギラと光っている。黒い体はよくみると所々爛れ肉が腐り落ちたようにえぐれ腐臭を放っている。

 オークであった魔物はエドガールの剣を受け止めた腕を引くでもなくそのまま反対の腕を振り下ろしてくる。後方を護ってくれていた騎士が駆けつけその腕を切り払ってくれたがそれでも怯まず攻撃してくる。まるで痛みを感じていないようだ。

 

「クソッ!なんだコイツ!」

 

 エドガールの剣が腕に食い込んだまま再び反対の腕を振り下ろしてくるがその腕は既に騎士によって手首が切り飛ばされどす黒い血が吹き出している。騎士がオークの腹に蹴りを入れ一瞬体が泳いだ所をエドガールが腕に食い込ませていた剣を抜き素早く胴体目がけて突き刺した。騎士も続けて剣を振り抜くと首を落とす。

 

「まだいるぞ!気を抜くな!」

 

 誰かの叫ぶ声が聞こえぐるりと見回すと四方を数体の魔物が囲いそれぞれ対峙している。

 

「閣下!お進み下さい、ここは我々が食い止めます!!」

 

 大隊長が叫ぶとグウェイン様がハナコ様の腕を掴み進行方向の魔物を吹き飛ばすと足を進めた。オーガスト様がグウェイン様の前を行きダンテ様とジェラルド様が私達の後ろについた。

 

「エドガールっ!」

 

 ハナコ様が振り向き叫けんだがエドガールはまた目の前に現れた魔物に剣をふるっていてついてはこれない。私も心配だったがエドガールを待つことでハナコ様を危険な目に合わせる訳にはいかない。騎士達が一緒なのだから死ぬことは無いだろうと自分に言い聞かせ前を向いた。

 

 視界が悪い中、走る事は出来ないがそれでも必死に足を動かす。グウェイン様達が進める一歩は私とハナコ様には大き過ぎてほぼ走っているようなものだけど。

 

「方向は合ってるか!?」

 

「大丈夫です!とにかく中腹あたりまではこのまま行きます」

 

 神殿は山の中腹より上というところまでは予想がついているらしく、オーガスト様が不意打ちのように『黒霧』に紛れて現れたゴブリンだったモノを風の魔術で吹き飛ばしながら言った。

 

「まだこんな小物がいるのか」

 

 ダンテ様も後方のゴブリンだったモノを燃え上がらせながら言う。

 

「恐らくこちら側に流れ込んだ時に取り込まれたモノだ。カシーム国では早々に小物共は腐敗し自滅していったらしいが、こちらへはまだ本格的に『黒霧』が流入していないせいだろう」

 

 ジェラルド様が言うには山を覆い隠すほどの『黒霧』でもまだ時間からみても量的には少ないくらいらしい。本格的に流れだしたらあっという間に山脈沿い一帯が黒く染まるそうだ。そうなれば多数の魔物が取り込まれ凶暴化して人々を襲い、その上また山が崩れるかもしれない。

 

「離れるなよ、置いていくぞ」

 

 ハナコ様の腕を掴んだまま大股に進むグウェイン様について行くのは大変だが置いていかれるつもりはない。私とハナコ様が手を繋いでいてはお互いに負担になるかもしれないので手を離し必死に走った。

 

 いったいどこまでこの状態なの!?

 マスクで息苦しい中、なだらかな登り坂を休みなく進み続け私とハナコ様が汗だくで限界が近い。ふらつき出したのを見かねたのか先を行くオーガスト様が一旦止まると周囲を窺い結界を張ってくれた。

 やっと休める!

 マスクを外してへたり込む私とハナコ様にダンテ様とジェラルド様が背を向け周辺を警戒してくれる。彼らはそれほど疲れたようすがないのがなんだか腹立たしい。私達ってそんなにひ弱なの?

 オーガスト様が持っていた水筒を渡してくれたが私とハナコ様は口も聞けないほど息が上がっていて無言で水を飲む。

 

「これでは先が続かんな」

 

 グウェイン様が呆れたような顔をする。

 

「普通のお嬢様方はもっと酷いですよ。エレオノーラもハナコ様もよくついて来ている」

 

「魔術で運びますか?」

 

 ダンテ様が振り返りグウェイン様に提案する。

 魔術で人が運べるの?

 

「駄目だ、この先どうなるかわからんのに余計な魔力を消費するな」

 

 くぅ〜、もっともなご意見ですけど出来れば運んで欲しい。

 

「私はまだ大丈夫です!有り難いお話ですが魔力は大事にしないともったいないですよ」

 

 ハナコ様がもう落ち着いたのか元気に答える。魔石に聖なる力を込める訓練を必死に続けているハナコ様は力を無駄に消費することには抵抗があるようだ。

 

「いい心掛けだ、では山を登っている間も訓練を続けるように。どうせ歩いているだけだろう」

 

 グウェイン様がいい笑顔でハナコ様に大きな魔石を差し出した。

 

「は、はい……もちろんです」

 

 流石のハナコ様も笑顔を引きつらせていた。走りながら魔石に聖なる力を

 込めるなんて出来るんだろうか?

 

「そろそろ行くぞ。立て、エレオノーラ」

 

 意外と元気なハナコ様に比べ私はまだ休んでいたかったがそうもいかない。黙って立ち上がるとオーガスト様が結界を解きまた先頭を進んで行く。

 さっきよりはゆっくりとした足取りで黙々と進んでいた。時折、弱い魔物が現れてはオーガスト様やダンテ様、ジェラルド様に倒されていく。ハナコ様は腕を掴まれながら反対の手に魔石を握りしめ無言で聖なる力を込めているようだ。グウェイン様は少し後方にいる私を時々確認してくれている。私はただ必死に足を動かすだけで何も気遣う事も出来ない。これでは足手まといなだけだろう。

 

「エレオノーラ、大丈夫か?」

 

 ダンテ様が隣に来ると声をかけてくれた。

 

「は……はい……」

 

 息があがってまともに返事は出来ない何とか笑顔を見せた。

 

「無理するな、コレ飲んでおけ」

 

 ダンテ様は懐からポーションの小瓶を出すと私に差し出した。

 

「いいえ!とんでもない。勿体ないです」

 

 私が驚いて無駄に声を上げてしまうとダンテ様がさっさと蓋を取りいいから飲めとマスクを外され口に押し付けてきた。

 早足で移動している最中にそんなことされても困る!

 

「いいから早く。ふらふらついてこられても迷惑だ」

 

 腕を掴まれ逃げられないようにされると再び口に小瓶を押し付けられ仕方なくコクリと飲み込んだ。じんわり口に広がる苦い味とともにお腹の中から全身を何かが巡りふっと体が軽くなる。

 

「ほら見ろ、顔色が良くなった」

 

 ダンテ様がニヤリと笑う。実はかなり有り難かった。

 

「ありがとうございます、ダンテ様」

 

 礼を言って再びマスクをつけ前を向いた。

 

 

 

 進んでは休み、休んでは進む。そうやって数時間進んだ頃、漸く後方の騎士達とエドガールが合流してきた。

 

「エドガール!」

 

 騎士達の中に弟の姿を見つけてホッとした。エドガールはマスクをしている目だけでニヤリと笑ってそばへやって来たがその姿は酷かった。マントは破れ全身魔物の血らしきもので汚れ顔は疲れ切っている。

 

「良かった、無事だったんだね」

 

「それはこっちのセリフよ。怪我は無い?」

 

 どす黒い汚れは魔物だけの血では無いだろう。

 

「あぁ、オレは大丈夫だった……」

 

 騎士の一人が魔物の犠牲になったようだ。大隊長がグウェイン様にその事を報告し、今夜はここで野営することになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る